03:17 from web (Re: @Hirabayashi76) [ 1 RT ]
@Hirabayashi76 この辺りは私も分かりかねるので、ちゃんと調べてみたいです。しかし、どうやって調べたら良いものでしょう。。。日本国憲法がアメリカ人の手により英文で書かれていたことを日本国が公式に認めたのは1993年でしたが、どこかそれに似たものを私は感じます。
16:25 RT from web [ 3 RT ]
Anyone looking for a perfectly bilingual (incl. reading/writing) guy for a job (w/ visa) in Tokyo? He's a recent graduate and a good writer.
(Naoki Matsuyamaさんのツイート)
17:03 RT from web (Re: @curatorshinya) [ 1 RT ]
@curatorshinya 『世尊布施論』の内容を検討したいと思い『大正大蔵経』データベースp.tl/wW4iで検索したが無いです。インドで成立し中国で漢訳された経典/論書以外の中国で編纂された疑経/論書も大正大蔵経に収録されているはずなのですが。(続く)
(平林 幸壽さんのツイート)
17:03 RT from web (Re: @curatorshinya) [ 1 RT ]
@curatorshinya ケン?ジョセフ氏の最澄が『世尊布施論』を日本に伝来したというの説の真偽について、最澄が唐から持ち帰った経典類の自筆目録である『伝教大師将来目録』(『伝教大師全集』に収録のはず)に『世尊布施論』が記載されているかどうかを調べると真偽が解ると思います。
(平林 幸壽さんのツイート)
17:03 RT from web (Re: @curatorshinya) [ 1 RT ]
@curatorshinya 私は真言宗の僧侶なので残念ながら『伝教大師将来目録』の資料が手元にありませんが、最澄は国の正式な還学生として入唐しており、招来した経典や論書は余す事無く目録にし朝廷に提出する必要があり目録に『世尊布施論』が無ければ招来していないのは間違いないはずです
(平林 幸壽さんのツイート)
17:17 from web (Re: @Hirabayashi76) [ 1 RT ]
@Hirabayashi76 平林さまの返信、とても参考になります。しかし、最澄が国の正式な還学生として入唐した為、招来した経典や論書は余す事無く目録にし朝廷に提出する必要がある為、目録に『世尊布施論』が無ければ招来していないのは「間違いない」とするのは早計だと思います。
17:17 from web (Re: @Hirabayashi76) [ 1 RT ]
@Hirabayashi76 私は現在、国費留学生としてベルリンに滞在していますが、仮に私が購入した本を全て国に報告しなくてはならないとした場合、重要な書類でありながら国からの誤解を招く恐れがあった場合、それを報告しないという手段を取ることは可能性として否定できないと思います。
17:18 from web (Re: @Hirabayashi76) [ 2 RT ]
@Hirabayashi76 オックスフォード大でのサンスクリット研究の為東本願寺から派遣された南條文雄は、明治3年の東本願寺では、破邪顕正のための護法場として耶蘇教の『漢訳聖書』を研究したと述べています。kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstre…
17:19 from web (Re: @Hirabayashi76) [ 1 RT ]
@Hirabayashi76 私は『世尊布施論』の画像がどういった経路で広まったのか正確に把握していませんが、もしも「反証」するのであれば、最澄の記録に当たって「間違いなし」とするのみならず、この画像を誰が何の為に、どこから手にいれて広めたのかを突き止める必要があるでしょう。
17:20 from web (Re: @Hirabayashi76) [ 1 RT ]
@Hirabayashi76 検証と反証の非対称性について述べたのはポパーでしたが、彼は科学的な立場を検証や累進的確証ではなく、反証可能性であるとしました。つまり経験によって覆される可能性があるものが科学だとする立場であり、それは観察や観測ではなく、言明・命題のみにより可能です。
17:21 from web (Re: @Hirabayashi76) [ 1 RT ]
@Hirabayashi76 このテーマは私も時間をかけて考えて行きたいと思いますので、平林さまの方でもしも何か新たな発見がありましたら、情報を共有できましたら幸いです。引き続き、どうぞよろしくお願いします。
17:32 from web [ 1 RT ]
ギリシア神話のアンドロメダは、エチオピア王ケーペウスの子だとされる。エチオピアのシバの女王とイスラエルのソロモン王の間に生まれたのが初代エチオピア皇帝メネリク1世だが、エチオピア正教会は旧約聖書から新約聖書への架橋のみならず、ギリシア世界への架橋も少なからず担っていたのだろう。
18:22 from web
連続ツイート「海へ - キリンとサイを巡る物語」
18:22 from web [ 1 RT ]
(麒犀1)ルカ・ランドゥッチの『日記』によると、1487年11月11日に到着したスルタンからフィレンツェ共和国元首に贈られる珍しい動物を載せた船の積み荷の中に、一頭のキリンがいたという。しかしスルタンが西洋世界に持ち込む以前、キリンはアフリカから中国へと既に持ち込まれていた。
18:23 from web
(麒犀2)明朝の宦官だったイスラム教徒の鄭和は、1419年ケニア遠征から帰国した際、犀やキリンを永楽帝に献上した。ソマリ語「首の長い草食動物」を意味する「ギリン」の音から、中国ではこれが伝説上の一角獣「麒麟」ではないかと考えられ、これが日本語におけるキリンの由来となった。
18:24 from web
(麒犀3)ヴァスコ・ダ・ガマにインド航路を開拓させたポルトガル王マヌエル1世は、1513年にインドからサイを輸入した。リスボンからニュルンベルグへと送られたインドサイを描写した簡単なスケッチと説明を元に、アルブレヒト・デューラーは一度も犀を見ることなく、木版画「犀」を制作した。
18:24 from web
(麒犀4)ポルトガル王マヌエル1世は、ゾウとサイが互いに天敵であるという、古代ローマの博物学者大プリニウスの記述を確かめる為、ゾウとサイを戦わせたという。おそらく彼は、古代ローマ人が本当に犀を知っていて、それを正確に理解していたのか、自分自身の目で確かめたかったのだろう。
18:27 from web
(麒犀5)マヌエル1世がリスボンに建て、旅立つ航海士たちを女性たちが涙を流して見送ったとされる「ベレンの塔」には、遠く海を見据えた犀が掘られていた。このインド航路が、レコンキスタ後のイベリア半島でマラーノ化したユダヤ系キリスト教徒ザビエルの来日に繋がったと思うと、感慨深かった。
18:27 from web
以上、連続ツイート「海へ - キリンとサイを巡る物語」でした。おしまい。
20:32 from web
真珠湾攻撃以前に日本国のパープル暗号の解読に成功したWilliam Friedmanは戦前、劇作家シェークスピアの名の下で物語を書いたとされる哲学者フランシス・ベーコンの、その文中に残された暗号の解読をしていたと言う。en.wikipedia.org/wiki/William_F…
20:33 from web [ 1 RT ]
シェークスピアの物語の多くは哲学者のフランシス・ベーコンによって書かれているという理論を、Baconian Theoryと呼ぶ。ニーチェやカントールも、ベーコンの理論を信じていたと言う。en.wikipedia.org/wiki/Baconian_…
20:34 from web [ 2 RT ]
以前アムステルダムの図書館で、シェークスピアの肖像画が哲学者ベーコンの肖像画を下敷きにして描かれていたとする資料を見たのだけれど、当時はそれが何を意味しているのか理解できなかった。どうやらその背景には、実はベーコンがシェークスピアだったとする「ベーコンの理論」がある様だ。
20:35 from web
マルティン・ルターによるドイツ語訳聖書とその文化的影響は、イギリスにおける欽定訳聖書とシェークスピアの小説とパラレルして論じなくては不完全だろうと私は考える。そして私の中では、シェークスピアと千利休の存在が、以前から似た様なものとしてずっと被ってしまっている。
20:38 from web [ 1 RT ]
ダンテもカフカもジョイスも、暗号解読の達人だった。フランシス・ベーコンがシェークスピア劇の中に暗号を残したとしても何の不思議もなく、それを解読できたのがカントールとニーチェ、William Friedmanくらいしか居なかったのかもしれない。
by curatorshinya on Twitter
@Hirabayashi76 この辺りは私も分かりかねるので、ちゃんと調べてみたいです。しかし、どうやって調べたら良いものでしょう。。。日本国憲法がアメリカ人の手により英文で書かれていたことを日本国が公式に認めたのは1993年でしたが、どこかそれに似たものを私は感じます。
16:25 RT from web [ 3 RT ]
Anyone looking for a perfectly bilingual (incl. reading/writing) guy for a job (w/ visa) in Tokyo? He's a recent graduate and a good writer.
(Naoki Matsuyamaさんのツイート)
17:03 RT from web (Re: @curatorshinya) [ 1 RT ]
@curatorshinya 『世尊布施論』の内容を検討したいと思い『大正大蔵経』データベースp.tl/wW4iで検索したが無いです。インドで成立し中国で漢訳された経典/論書以外の中国で編纂された疑経/論書も大正大蔵経に収録されているはずなのですが。(続く)
(平林 幸壽さんのツイート)
17:03 RT from web (Re: @curatorshinya) [ 1 RT ]
@curatorshinya ケン?ジョセフ氏の最澄が『世尊布施論』を日本に伝来したというの説の真偽について、最澄が唐から持ち帰った経典類の自筆目録である『伝教大師将来目録』(『伝教大師全集』に収録のはず)に『世尊布施論』が記載されているかどうかを調べると真偽が解ると思います。
(平林 幸壽さんのツイート)
17:03 RT from web (Re: @curatorshinya) [ 1 RT ]
@curatorshinya 私は真言宗の僧侶なので残念ながら『伝教大師将来目録』の資料が手元にありませんが、最澄は国の正式な還学生として入唐しており、招来した経典や論書は余す事無く目録にし朝廷に提出する必要があり目録に『世尊布施論』が無ければ招来していないのは間違いないはずです
(平林 幸壽さんのツイート)
17:17 from web (Re: @Hirabayashi76) [ 1 RT ]
@Hirabayashi76 平林さまの返信、とても参考になります。しかし、最澄が国の正式な還学生として入唐した為、招来した経典や論書は余す事無く目録にし朝廷に提出する必要がある為、目録に『世尊布施論』が無ければ招来していないのは「間違いない」とするのは早計だと思います。
17:17 from web (Re: @Hirabayashi76) [ 1 RT ]
@Hirabayashi76 私は現在、国費留学生としてベルリンに滞在していますが、仮に私が購入した本を全て国に報告しなくてはならないとした場合、重要な書類でありながら国からの誤解を招く恐れがあった場合、それを報告しないという手段を取ることは可能性として否定できないと思います。
17:18 from web (Re: @Hirabayashi76) [ 2 RT ]
@Hirabayashi76 オックスフォード大でのサンスクリット研究の為東本願寺から派遣された南條文雄は、明治3年の東本願寺では、破邪顕正のための護法場として耶蘇教の『漢訳聖書』を研究したと述べています。kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstre…
17:19 from web (Re: @Hirabayashi76) [ 1 RT ]
@Hirabayashi76 私は『世尊布施論』の画像がどういった経路で広まったのか正確に把握していませんが、もしも「反証」するのであれば、最澄の記録に当たって「間違いなし」とするのみならず、この画像を誰が何の為に、どこから手にいれて広めたのかを突き止める必要があるでしょう。
17:20 from web (Re: @Hirabayashi76) [ 1 RT ]
@Hirabayashi76 検証と反証の非対称性について述べたのはポパーでしたが、彼は科学的な立場を検証や累進的確証ではなく、反証可能性であるとしました。つまり経験によって覆される可能性があるものが科学だとする立場であり、それは観察や観測ではなく、言明・命題のみにより可能です。
17:21 from web (Re: @Hirabayashi76) [ 1 RT ]
@Hirabayashi76 このテーマは私も時間をかけて考えて行きたいと思いますので、平林さまの方でもしも何か新たな発見がありましたら、情報を共有できましたら幸いです。引き続き、どうぞよろしくお願いします。
17:32 from web [ 1 RT ]
ギリシア神話のアンドロメダは、エチオピア王ケーペウスの子だとされる。エチオピアのシバの女王とイスラエルのソロモン王の間に生まれたのが初代エチオピア皇帝メネリク1世だが、エチオピア正教会は旧約聖書から新約聖書への架橋のみならず、ギリシア世界への架橋も少なからず担っていたのだろう。
18:22 from web
連続ツイート「海へ - キリンとサイを巡る物語」
18:22 from web [ 1 RT ]
(麒犀1)ルカ・ランドゥッチの『日記』によると、1487年11月11日に到着したスルタンからフィレンツェ共和国元首に贈られる珍しい動物を載せた船の積み荷の中に、一頭のキリンがいたという。しかしスルタンが西洋世界に持ち込む以前、キリンはアフリカから中国へと既に持ち込まれていた。
18:23 from web
(麒犀2)明朝の宦官だったイスラム教徒の鄭和は、1419年ケニア遠征から帰国した際、犀やキリンを永楽帝に献上した。ソマリ語「首の長い草食動物」を意味する「ギリン」の音から、中国ではこれが伝説上の一角獣「麒麟」ではないかと考えられ、これが日本語におけるキリンの由来となった。
18:24 from web
(麒犀3)ヴァスコ・ダ・ガマにインド航路を開拓させたポルトガル王マヌエル1世は、1513年にインドからサイを輸入した。リスボンからニュルンベルグへと送られたインドサイを描写した簡単なスケッチと説明を元に、アルブレヒト・デューラーは一度も犀を見ることなく、木版画「犀」を制作した。
18:24 from web
(麒犀4)ポルトガル王マヌエル1世は、ゾウとサイが互いに天敵であるという、古代ローマの博物学者大プリニウスの記述を確かめる為、ゾウとサイを戦わせたという。おそらく彼は、古代ローマ人が本当に犀を知っていて、それを正確に理解していたのか、自分自身の目で確かめたかったのだろう。
18:27 from web
(麒犀5)マヌエル1世がリスボンに建て、旅立つ航海士たちを女性たちが涙を流して見送ったとされる「ベレンの塔」には、遠く海を見据えた犀が掘られていた。このインド航路が、レコンキスタ後のイベリア半島でマラーノ化したユダヤ系キリスト教徒ザビエルの来日に繋がったと思うと、感慨深かった。
18:27 from web
以上、連続ツイート「海へ - キリンとサイを巡る物語」でした。おしまい。
20:32 from web
真珠湾攻撃以前に日本国のパープル暗号の解読に成功したWilliam Friedmanは戦前、劇作家シェークスピアの名の下で物語を書いたとされる哲学者フランシス・ベーコンの、その文中に残された暗号の解読をしていたと言う。en.wikipedia.org/wiki/William_F…
20:33 from web [ 1 RT ]
シェークスピアの物語の多くは哲学者のフランシス・ベーコンによって書かれているという理論を、Baconian Theoryと呼ぶ。ニーチェやカントールも、ベーコンの理論を信じていたと言う。en.wikipedia.org/wiki/Baconian_…
20:34 from web [ 2 RT ]
以前アムステルダムの図書館で、シェークスピアの肖像画が哲学者ベーコンの肖像画を下敷きにして描かれていたとする資料を見たのだけれど、当時はそれが何を意味しているのか理解できなかった。どうやらその背景には、実はベーコンがシェークスピアだったとする「ベーコンの理論」がある様だ。
20:35 from web
マルティン・ルターによるドイツ語訳聖書とその文化的影響は、イギリスにおける欽定訳聖書とシェークスピアの小説とパラレルして論じなくては不完全だろうと私は考える。そして私の中では、シェークスピアと千利休の存在が、以前から似た様なものとしてずっと被ってしまっている。
20:38 from web [ 1 RT ]
ダンテもカフカもジョイスも、暗号解読の達人だった。フランシス・ベーコンがシェークスピア劇の中に暗号を残したとしても何の不思議もなく、それを解読できたのがカントールとニーチェ、William Friedmanくらいしか居なかったのかもしれない。
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