Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

実行委員会ミーティング

2005-04-30 12:28:04 | Weblog
夕方に前日芸大にて出会ったエリックさんとお話する。エリックさんは大変インテリのアーティストで、多くの話で盛り上がる。しかし、時間が迫ってきてしまった為、実行委員会の方へと向かう。ごめん、エリック。

実行委員会のミーティングでは、主にファンドレイジングが軌道に乗った点や、芸大のシンポジウムが順調な事、さらにセイラとミリツァのスケジュールについて話す。

芸大でのプラットフォーム用にイラストレーターの金子さんにデザインしていただいたA4サイズのチラシの評判は上々。とても素敵なデザインだ。私も大満足。このチラシを1000枚発注し、500枚は芸大側にて、500枚は実行委員会にて配る事になった。写真をやっている谷邊さんや、ボランティアに参加してくれた若いキュレーターの河野さん達に協力してもらい、チラシが出来上がる5月9日に、手分けして新宿、渋谷にて配る事になった。これで多くの人の参加が見込めそうだ。また茂木さんもブログにて声をかけてくれるとの事で、目標の100人動員は可能かと思う。

また実行委員会で、ゼロ次元の加藤さんにどうやって展示に参加してもらおうか、作戦を練る。私と加藤さんはベクトルとしては同じ方向に向かっているのだが、出だしで方向が違ってしまった感がある。次回に加藤さんに会う時には、ちゃんと準備をする必要がある。

加藤さんは師匠である太郎を、最大の先生孝行として潰しにかかった、と言っていたが、もしそうなら、私はゼロ次元抹殺を謳い、「もう一つの万博」を開催する事は可能ではないか、とか、または加藤さんの家をテロリズムで潰してしまう、なんていう過激なアイディアも出てくる。

おいおい、そんな過激思想の持ち主ではないよ、私は。そう考えてきた時に、少し糸口が見えてきた気がする。とにかく、加藤さんに私のやろうとしている事を理解してもらうしかない。私はゼロ次元の様な破壊主義者ではない。内部と外部をつなげようとしている、一人のキュレーターである。

ミーティング中に、日本の現代美術状況の低迷について、話が進む。私はそれを日本における近代の不在と結びつけたが、多くの人が似たような意見を持っていた様に思う。

今回がおそらく最後のミーティングになったと思う。セイラとミリツァが来日した際には歓迎パーティを行なうが、それまでしばしお別れ。みんな、ありがとう。

芸大での準備

2005-04-29 01:31:17 | Weblog
昨日の外国人を対象としたシンポジウムは散々な結果だった。広報が十分行なえなかったのが最大の理由だが、4人という小人数は、衝撃だった。やはり、東京で人を呼ぶというのは半端な事ではない事が分かった。

そこで、5月19日のプラットフォームに向けて、準備を始めた。芸大に迷惑をかけない様にする為、細心の注意を払う必要がある。そこでプロのイラストレーターの方にチラシのデザインをしてもらい、1000部を東京でまく事に。そのうち半分は芸大の方でまいてもらう予定だ。今日のお昼は、芸大の先端の木幡様と学生さん達と、その準備に関して打ち合わせ。少しずつイメージが湧いてきた。

その後、芸大でプラットフォームのパネリストである茂木さんの授業にお邪魔する。授業の後は、そのまま上野公園で夜まで飲み会。楽しかった。20人くらいの学生に囲まれた茂木さんは、とっても嬉しそうで、下ネタを連発していた。このまま、気持ち良くプラットフォームを迎えられそうだ。

夜は、セイラからメールがあり、私が注文したアメリカのyahooからチケット注文が不確定だった、というメールをもらう。あせった私は、公衆電話からアメリカに電話し、状況を確認するが、チケットがなぜ許可されたのか、向こうもよく分からない様で、しばらく時間がかかっている間に、電話が切れてしまう。コンビニまで走って、3000円分の公衆電話用の国際電話カードを購入し、仕切り直し。しばらくやりとりしている間に、それがようやく、アメリカからfedexを利用してボスニアに郵送する事が不可能だから、と判明する。そこで、このチケットを、一旦NYの私の住所に送ってもらい、そこから航空便にてキプロスに送る事にする。セイラにも電話にて確認した所、了解をもらえる。ふぅー。

北九州での展示のフライヤーのデザインが出来上がってきた。うん、良い感じだ。

一日デスクワーク

2005-04-26 20:23:20 | Weblog
今日も一日デスクワーク。雑誌社の仕事を片付けつつ、明日のイベントに向けて最後の電話+メール作戦。やはり準備期間が短かった為、十分な広報活動ができなかったのがネック。いきなり開催を決定した私にも問題があるのだが、まあ、やらないよりやった方がいいでしょう、とあくまでポシティブに捉える。そこで良い出会いがあればそれで良しとしよう。

また、アーティストやギャラリーとメールにてインスタレーション等のやりとりをする。イネスも制作に気合が入ってきている。

HPもちょっと手直し。エディション数をアップし、また紅型作品にSOLDのマークを入れた。また赤瀬川原平さんの名前も、展示のHPにアップした。

また、東京芸大で探していた同時通訳も、なんとか見つかりそうだ。協力者の方々、ありがとうございます。

それにしてもセイラのチケットの件が不安で仕方がない。ちゃんと発注できているだろうか。もしもできてなかったら、と心配し始めると、きりがない。

ミリツァもはやくメールくれよー!

大幅な進展あり

2005-04-26 01:48:54 | Weblog
セイラのスケジュールが決まった。16日の朝4時にキプロスを発ち、ハンガリー経由でベルリンへ。ベルリンから東京のルートで、17日のお昼には東京に着く。帰りは、18日の北九州のオープニングの後、セイラの次の仕事先であるベルリンに20日の朝までに着く予定で、チケットを取った。ここまでの道のりが長かった。企画を立ち上げてから2年、そしてセイラを口説くのに半年かけた甲斐があった。

アメリカのyahooにてチケットを買ったのだが、クレジットカードの認証に時間がかかり、さらに購入者である私の所には証書が届かない為、ちゃんと買えているかどうか大変不安だ。セイラの元にはメールがyahooから行っているので、確認する必要がある。また、輸送先のあて先国にボスニア・ヘルツェゴビナが存在していない為、ユーゴスラビア名義でシッピングした。何年も前に独立した国が載っていないという事は、購入者が余程少ないのだろう。

ミリツァのスケジュールが決まらなかったのだが、急に動きが出てきた。1ヶ月滞在が可能かもしれないと言うのだ。仕事の方も順調に片付いており、うまくスケジュールの調整がつくというのである。

これには伏線がある。2週間ほど前に、私がベオグラードのミリツァ宛てにロンリープラネットのガイドブックを送ったのだ。もっと日本に親近感を持ってもらいたいという思いからだ。それが1週間程前にベオグラードの彼女の家に到着し、そしてミリツァの中で好奇心が湧いてきたのだろう。ミリツァの部屋には、今は日本語の単語帳が壁に張ってあり、日本語単語の暗記に励んでいると言う。一番最初に覚えた単語は「競争」だって。カートレースをやっている彼女らしさが垣間見える。ベオグラードでミリツァと一緒にカートレースをやったのだが、小さいコースをグルグルと何周も回った私は、オイルの臭いと振動とでひどく車酔いしてしまい、復活するまで1時間ほどかかった思い出がある。今となっては懐かしい思い出だ。

また、作品販売がいくつか実現し、予算も少しづつだが集まってきた。作品販売にはかなり気を使うので、なかなか話をすぐ進める訳にはいかない。しかし、とりあえずいくつかが実現した。この調子で、今後も頑張っていくしかない。

しかし、仕事量が多すぎて、全く手に負えない。2件の雑誌社の依頼や、友人の誘い、ピンクカウでのイベントに関する告知、芸大のビラ制作の依頼、それに関するドキュメンティング依頼、ネットワーキング等で、返さなければならないメールがたまる一方。ブログも更新できなかった。丁寧に対応するには、時間がなさすぎる。この辺りの時間と力配分は慎重に行なわなくては。

また、名古屋にて一緒にプラットフォームを行なった五十嵐太郎氏が、「愛知博に見る35年の変化」という記事を書き、その中で私の活動に触れてくれた。この記事は、が、『福井新聞』3月31日、『長崎新聞』4月1日、『熊本日日新聞』4月1日、『河北日報』4月2日、『愛媛新聞』4月2日、『山形新聞』4月2日、『福島民報』4月3日、『神奈川新聞』4月4日、『下野新聞』4月5日、『南日本新聞』4月6日、『山陰 中央新報』4月4日、『山陽新聞』3月31日、『岩手日報』4月1日、『静岡新聞』4月11日、『神戸新聞』4月9日、『四国新聞』4月7日に掲載されたそう。五十嵐様、ご好意をありがとうございました。

「戦争と万博」+赤瀬川原平+芸大+再考

2005-04-22 01:52:41 | Weblog
昨日は、友人の紹介で、雑誌nobodyに椹木 野衣氏の「戦争と万博」に関する書評を書き、投稿する。私は書評をはじめて書いたのだが、大変な困難であった。書評というのは本の内容を理解してもらい、興味を引いて読んでもらう為に書く訳だが、それが難しい。普段、どちらかと言うと社会科学系の文章に慣れている私としては、困難だった。しかし、雑誌側が「もう一つの万博」に関する広告を載せてくれたので、大変嬉しかった。

夜はピンクカウで担当のTさんにお話をしてみました。ピンクカウは表参道にある外国人が集まるバーで、アートイベントもちょくちょくやっていたりする。Tさん自身も画家だったそうで、アートイベントは積極的にやりたい、と好意的に引き受けてくれた。しかし、何せ準備期間が短いので、どれだけ人が集まるのか、不安ではある。でも、やるしかない。目標は30人くらいかな?

その後はボランティアの方と、渋谷でビリヤード。本当に久しぶりに仕事と全く関係のない遊びをして、こんなに楽しいものかと思い、はしゃいでしまった。

今朝は膨大な量のメールを処理する。処理が全く追いついていない。

その中で、大ニュースが2つ。

一つは、赤瀬川原平さんの展示への出品が決定したこと。彼が1970年7月の美術手帳に掲載した、「万博跡地利用の提案」という、最高にカッコイイ作品だ。作品のイメージは、展覧会開催までのお楽しみ。

それと、5月19日での東京芸大でのプラットフォーム開催が、芸大主催のイベントとして正式決定した。裏で必死になって動いて下さった、木幡和枝様、そして茂木健一郎様に最大限の感謝を述べたい。ありがとうございます。

しかし、この東京でのプラットフォーム、通訳がまだ見つかっていないのが本当にネック。皆さん、紹介して下さい。謝礼も僅かですが、用意します。

今日の午後は、渋谷にてボランティアの方と話しをして、セイラの作品をデジタルフォトプリントする作業を進める。いろいろ考えた挙句、作品「ボスニアン・ガール」と「馬の解体」は、エディション5と限定して販売する事にした。この数で限定すれば、おそらく買い手は現われるだろう。とうか、セイラの作品をこの値段(10万円)で販売するには、安すぎるかと正直思うのだが、買い手が今まで出てこなかった事を考えると、この値段で良いという事なのだろう。その後、東急ハンズでフレームも決めて、準備万端。27日のシンポジウムまでには間に合わせたいと思う。

それと今夜、ゼロ次元の加藤さんへのインタビューを聞きなおしてみて、思うところがいくつかあった。

私の展示や考えには、常にいくつもの位相が入り組んでおり、そういった意味では理解されにくい事ばかりだ。私は常に、どんな話をしていても、すれ違いやミスアンダースタンディング(日本語で言う勘違いではなく、理解の行き違いのこと)を恐れるのだが、それが発生しかねない。

もしかしたら、こういった思想的なものは、美術展には向いていないかもしれない。執筆に専念して、展示としてはもっと作品とアーティストを前面に押し出した作品を見せるべきだ、と少し思う。それと同時に、コアなメッセージがある展示を皆がもっと作らないと、全てがダメになっていく様な気もする。

A.私は特にユーゴの問題において当事者性を批判してきたのだが、当事者性がないとしたら、それは批判する立場にいない、と逆説的に語る事も可能だ。(それは批判をどういったレベルで捕えるかという問題になってくる)

B.私は万博という制度やもろもろを批判しているが、それに対する責任感のなさが加藤氏の気にする所だったのだろう。「お前はオバケだ」と言っていたのは、そういう点だったろうと思う。責任をもって、というか文字通りカラダを張ってハンパクをしていた彼には、まったくウソでない本物の責任感と当事者性があったのだろう。

C.私は論文内で民主主義理論、すなわち多数決理論とリベラリズムの関係、さらにはパレート均衡について述べたが、これは私が当事者的ではなく全体におけるパレーシア的なものに引かれ、そういった思想がリベラリズムとして発生しても民主主義理論と合致せず、機能しない、という理論であったはずだ。

このABCは全て異なった問題ではあるが、トポロジカルに全て接続している。それを加藤さんの当事者的な立場から理解するのは、困難である。ここで、ミスアンダースタンディングが発生するわけだ。

私はよく議論を摩り替えているという風に捕えられるが、例えば言語論と貨幣論の問題における差異は形態の問題であり、本質は似ていたりする。そこが、一点のパースペクティブにおける理解の問題かもしれない。

まあ、何はともあれ、キュレーターって、胡散臭い仕事だよな、本当に。

ゼロ次元の加藤さん

2005-04-20 13:24:57 | Weblog
ゼロ次元の加藤好弘さんとお話する。かなり熱い話で4時間近く討議が進んだが、結論から話すと、この議論はすれ違いに終わってしまった。

このすれ違いは、他の戦争体験世代のアーティストと話した時の私の印象と同じである。すなわち、彼らは問題意識と立場がはっきりしているのだが、YesかNoかの立場を鮮明にしなければならず、複雑系的な話になると拒否反応を持ってしまう。

加藤さんに「お前は911の実行犯側か、それともアメリカ側か、どちらだ」と迫られ、私は「どちらでもない。その問いそのものがナンセンスであり、そういった単純なイエス・ノーでは問題は解決しない」と答えると、「お前はオバケだ。自分の立場をはっきりしろ」の一点張り。まったくの議論のすれ違いであった。加藤さんは911テロに関しては実行犯の側につく、と名言しており、もっとやれ、と言っている。ある種、究極の反体制アーティストなのかもしれない。

また、平和や戦争のない世界という理想を掲げているが、彼は最後に「日本民族の誇りの為」という、極右的な思想に惹かれていってしまう。全共闘と一緒に活動していた人が、なぜそういう結論に至るのか、私には理解できない。おそらく彼らの世代にとって、アメリカは完全なる他者であり、理解不可能なものなのだろう。しかし、私にはアメリカや日本の内外問題における論争は通用しない。なぜなら、私自身が自己を徹底的に他者に求めるという思想の実践者であり、故にそういった国家的枠組みに基づいた二元論的議論は有効性を持ち得ないのだ。しかし、そこが分かってもらえないのだ。

故に、私が万博を19世紀ヨーロッパの産物と捉えているのに対し、彼の立場は当時の70年安保に関係してくる「日本対アメリカ」という構図に完全に飲まれてしまい、万博に関してはそれ以外の議論はない。しかし、それも無理もない。彼は当時あれだけ本気で万博破壊を謡っていたのだから。だから、彼にとって、万博は「アメリカ側につくかどうか、戦争する側につくかどうか」の議論であり、それ以外のものではない。故に、私のやろうとしている事にすれ違いが生じてしまうのだ。

また、彼はヒューマニズムという言葉が嫌いで、海外からの宣教師的影響力がとにかく嫌いで、日本民族の土着の多神教文化が好きだ、と語っていた。にもかかわらず、韓国と中国を「日本の父と母」と捉えており、日本に天皇制や仏教などの文化をもたらしてくれた、と結論づける。それでは、あなたの言っている日本の土着性に対して矛盾が発生するではないか、と指摘した所、「俺は矛盾だらけの人間だ」と切り替えされてしまう。

この切り替えしは、アートの世界での立ち回る際の困難な所だ。アートは、議論が構築的であったとしても、それの落とし所でどうにでもなってしまう。理論のみではアーティストや批評家にはなれない訳で、そこが困難な所でもある。

加藤氏は岡本太郎の弟子であり、思想的な拠り所の大部分がヒッピーから来るユング思想と、アジアの仏教・儒教などの思想である。ユング研究者の河合隼雄が右翼的な思想化になった様に、この辺りに日本の暗部が隠されていると私は考える。さらに加藤氏はNY滞在中にかなり激しい人種差別を受けたと語っているが、それが彼の現在の立場にかなりの影響を及ぼしている気がする。

と同時に、私自身が完全にポストモダン世代で、記号論的病に冒されているのかもしれない、とも思った。彼の様な地面に張り付くような芯は、現在の若者にはなかなかないだろう。

加藤氏は「また出直してくれば話は聞いてやる。でもやるなら、徹底して万博を破壊しなければ駄目だ」の一点張りで、困ってしまった。現在の状況で、愛知万博を徹底破壊する事はラディカルでは在り得ない。それを、いかにして分かってもらうか、乗越えるべき困難は多い。

夜は夜で、セイラとそのアシスタントの為のビザ申請や、T-シャツ作成に関する交渉、ArtsLinkの新聞への準備などで大忙し。作業が終わったのは午前4時半。こんな生活をしていては身体がもたん。私には休む時間が必要だ。

セルビア・モンテネグロ大使館

2005-04-19 01:33:52 | Weblog
一昨日まで、少しはゆっくりと両親を話しをしたい、と思い、静岡に滞在した。

もしもこのプロジェクトで高額の負債を負ってしまった場合、私には一旦インディペンデントキュレーターの道を諦める他ないかもしれない。借金を返す為には、少しはお金になる仕事をするしかないかもしれない。そんな事も含め、両親と話をした。

少しはゆっくりとしたい気持ちもあったのだが、ミーティングの予定が入ったため、昨日の朝には東京に出てくる。お昼には、アートディーラーの人と作品販売に関して相談し、夜には海外からの美術関係者やジャーナリストと歓談。一人はユーゴ情勢に強い人で、話しが弾むが、その為に終電を逃し、友人の家に転がり込む。深夜2時過ぎまで今日の為の資料つくりに励む。というのも、今日はセルビア・モンテネグロの大使館にて助成の申請をしてきた為だ。

ユーゴネットをやっていた村田さんのお誘いで、大使館の方々とお話をする。残念ながら会う予定であった大使は外務省との打ち合わせの為参加できなかったが、秘書官や書記官の方と話す。支援を要請したが、後援という事で名義貸しをする事やまた人を紹介する事などは可能、との話しをする。また彼らには、できるだけ旧ユーゴという言葉を使わずに、セルビア・モンテネグロという言葉を使ってくれと注文をつけられた。それはそうだ。旧ユーゴといわれて話されたら、セルビア・モンテネグロ大使館側はあまり良い気分はしないだろう。ユーゴスラビアという名前は、2004年には完全に消滅してしまったのだから。また、彼らにはボスニア大使館の方と会う事を強く薦められた。

また現在、私は外国人を対象とした英語でのシンポジウムを4月7日に渋谷にて企画しており、その件でJapan Timesなどに英文資料を制作し、faxする。その後、夜は東京の美術関係者の方とお会いして、日本における美術教育の問題点などを話す。

以前、NYのArtsLinkからメールがあり、セイラの画像をArtsLinkの機関誌に載せたいという連絡を受け、私経由からもセイラに画像使用の許可を求めるのだが、セイラから返事がなかった。いくら忙しいとは言えYesかNoかの返事くらいはもらいたかったのだが、残念だ。その為、次号のArtsLinkの号には穴が開いてしまう事になりそうだ。

Juanの激励

2005-04-16 23:56:04 | Weblog
ホワイトボックスのディレクターのJuanから激励のメールが来た。ファンドレイジングに失敗している、というのに、励ましのメールだ。あまりにも詩的なので、ブログにて紹介させてもらいたい。
頑張るぞ、ファイター!

dear Shinya,

it's wonderful to seee you, in the face of bad news, pick up and move
on ahead like a beautiful art warrior!
Best wishes for the next round, beautiful fighter!


Juan

撃沈!

2005-04-15 10:43:34 | Weblog
あってはならない事が起こってしまった。なんと、ポーラ財団に続いて国際交流基金の助成にも落ちてしまったのだ。NYの非営利ギャラリー「ホワイトボックス」のカーラからそう連絡が入った。
国際交流基金は私達の本命で、かなり気合の入った申請資料を作ったのだが、どうして落ちたのだろう・・・?申請書や推薦状、内容共に充実したものだったはずなのだが。やはり、いつも私が言われる「政治的すぎる」というのが理由だろうか。うーん、参った。
これで、展示に必要な実行資金の半分しか集まらないという悲惨な状況になってしまった。これでは、私はまさに撃沈だ。100万円以上もの借金を私が被ってしまったら、もう私は美術を続ける事ができない。だだでさえ、もう学生ローンに苦しんでいると言うのに・・・。うーーーーん、、、、うーーーーん。。。。
みんな、助ーーーけーてーーーー。

同時通訳(英語→日本語)募集!

2005-04-14 23:07:59 | Weblog
東京でのプラットフォームが本決まりに向けて動いている。しかし、東京でのプラットフォームに必要な通訳がまだ見つかっていない。東京でのプラットフォームは全編英語で行なう為、日本語への同時通訳が必要なのだ。その為、通訳探しのメールを知人に送る。どうにかして見つけなくては。。。

また、セイラの京都精華大学でのレクチャーが正式決定した。関係者にサンクスメール。これが決定した為、他の京都の大学でのスケジューリングが進んでいなかった所にメールにてスケジューリングの調整を行なう。

さらに、「もう一つの万博」を掲載してくれた雑誌「インパクション」の関係者にサンクスメール。ありがとう!

それと、セルビア大使館の周辺人物に、在日セルビア大使の紹介を頼んでいたのだが、ついに今日お返事を頂、来週会うことになる。やったぁ。この企画を応援してもらえると嬉しいのだが、果たして上手くいくだろうか?

来週はゼロ次元の加藤さんとのインタビューも決まり、順風満帆といった所か。加藤さんにお会いできるのは、本当に楽しみだ。

また、出品を依頼している大御所アーティストのA氏にギャラリー経由で再度アタック。彼には一度お手紙とお電話を差し上げたのだが、断られてしまったのだ。上手く行くと良いのだが。。。

また、在東京の外国人をターゲットとしたファンドレイジングパーティを企画する。場所は昨日会ったMに紹介してもらった渋谷のバー。協力者にメールにてhelpを請う。

それと、明日雑誌の編集者と会い、別件でインタビューをした記事の校正を行う。明日はそのミーティングが終わった後、実家に一旦帰らなくてはならない。