Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

アーモリー・ショーとブラッサイ

2007-02-26 15:06:21 | Weblog
今週のニューヨークは世界最大のアートフェアである、アーモリー・ショーの話題でもちきり。今、NYでは本当に多くのアートフェアが開かれていて、NYで一番忙しいシーズンである。私も早速、アーモリー・ショー、ビデオアートのフェアであるDIVA、マイアミで参加したPulseアートフェア、そしてADAA(Art Dealers Association of America)に行って来た。

どこに行っても本当に数えきれないくらいいろんな人に会って、話が弾む。アートフェアは展示を見る、というよりもネットワーキングの要素の方が強いのではないか。アーモリーの後にひょんなことからダグラス・ゴードンらと一緒にカラオケにてアナーキー・イン・ザーU.K.を歌ってきたりなどと、とりあえず楽しい日々だった。

これらアートフェアができたことにより、アートの流通そのものが劇的に変化した。これはアートの庶民化にも繋がってくると思うが、それは最終的にはアートの自己解体にも繋がりかねない。かなり大きな問題なので、いつか丁寧にまとめて書いたり、話したりしてみたい。

おとといはアイスランドで仲良くなったSAFNのキュレーターであるビルタと一緒にビト・アコンチのパフォーマンスを見てくる。その後、市原研太郎さんも交えて食事しながら、アートと言語やナショナリズムの問題、そしてアートとアニミズムの関係に関していろいろと議論する。モダニズムの問題は宗教の問題を始めとするパースペクティブや自己認識の問題が大きく横たわっているように思えるが、アニミズムを内包したアートにはそれを軽々と超える力があると思う。そういったアニミズムの思考をヨーロッパに輸出したい、そんな話をビルタとする。ビルタも私の言いたいことをかなり上手く汲みとってくれて、さらにお互い沖縄民謡や日本のエクスペリメンタル・ミュージックとアイスランドの音楽CDを交換したり、と大変楽しく、有益な時間となった。

肝心のアートフェアでの作品だが、やはりなんだかんだ言ってもArmory Showには良い作品が数多くあったと思う。アグネス・マーティンやバーネット・ニューマン、ジェームス・ウェリングやマルセル・ブロータス、シール・フロイヤー、モナ・ハトゥムの作品などが特に素晴らしかった。しかしお値段もかなりのもの。それでも売れているのがNYの現在のマーケットの強さを反映している。

興味深かったのは、クリス・マルケルのドキュメンタリーフォトのシリーズ。まさかアーモリー・ショーで開放同盟のドキュメントを見ることになるとは思わなかった。とてもクールな写真群で、とても惹かれた。お金があったらぜひ買ってみたい作品の一つである。

なお、今回グラッドストーン・ギャラリーなど大手現代美術ギャラリーが参加して話題になっているADAAにも初めて行ってきたのだが、大変興味深い体験であった。ADAAは基本的にモダンアートのフェアなのでピカソを始め巨匠の作品が多く並んだのだが、その中にもはや古典となったリヒターやリュック・タイマンスの作品などが入って来るのである。完全にハイエンドな客層で、観光客はほぼゼロであった。

これらの古典となった多くの作品群の中で尤も私の興味を惹いたのは、ブラッサイの写真作品であった。これはピカソがブラッサイの写真に書き込みをすることからインスパイアされたブラッサイが、直接ヌード写真のネガにドローイングを数段階に分けて書き込むことで作品を完成させていったものである。この作品には大変胸を打たれた。

私は作品を見た瞬間、このブラッサイのドローイングの手法に非常に非ヨーロッパ、もっと言ってしまうと非ローマ・カトリック的な視点を見出してしまった。これはモンドリアンでもルイットでもなく、ブラッサイの非西ヨーロッパの手法だと思うのだ。ブラッサイは「ブラショフ人」というニックネームだが、オーストロ・ハンガリー帝国下のルーマニアのブラショフにユダヤ人として生まれたというコンテクストは、カフカのそれと非常に似ている。またブラショフはドイツとルーマニアの緩衝地帯、すなわちローマ・カトリックと東方正教会の分岐点だった訳だが、そういった歴史性が、あたかも必然として作品に出ている、そんな印象を受けた。

ブラッサイが捉える落書きの写真にも、そういった要素が感じられる。それはデュビュッフェ的なものとは全く異なる。一緒に展示を見ていたピカソ美術館で働いていたヴェランヌにそう思うか、という意見を聞いてみたのだが、なかなか言いたいことが伝わらなくて残念。ビルタがここにいたらどんなコメントをするのだろうか、と想像してみる。

アメリカの病とブリトニー・スピアーズ

2007-02-21 15:27:56 | Weblog
今日職場で、同僚たちとブリトニー・スピアーズがスキンヘッドになった話で盛り上がる。私自身はそれほどブリ嬢には興味はないのだが、どうしてこうも、アメリカのスター・アイドルは崩壊していくのか、と考えると、いろいろと思い当たる節がある。

アメリカン・アイドルの自己崩壊の良い例はマイケル・ジャクソン(私の好きな!)だと思うが、同じくモーダウン出身のマーヴィン・ゲイもアメリカの生き方そのままを反映して、死んでいったような気がする。ジミヘンやジャニス、ジム・モリソン、カート・コバーンだってそうだ。アメリカは駄目ダメな国で、そのダメさが音楽という領域に昇華され、反映されているのだが、それさえも最後は散っていってしまうような風土があるのかもしれない、などと漠然と感じた。

興味本位で昔のブリトニーのビデオをyoutubeで見てみると、なぜ彼女がアメリカのスターダムにのし上がっていったのかが少し分かる。

Britney Spears "Lucky"

アメリカの普通のアメリカ人は、普通のアメリカ人の白人の女の子が成功していくアメリカン・ドリームを望んでいるのだと思う。彼らは、混血であることをある種隠蔽しながらアメリカン・アイドルを装うキャメロン・ディアス、マライヤ・キャリー、ジェニファー・ロペスとは違った、普通のアメリカ人のアイドルを求めていたのだと思う。しかしその歪み(?)は、彼女の自己崩壊という所に帰結していると思う。

久しぶりにマイケル・ジャクソンが聞きたくなってyoutubeにてJackson 5のビデオを見たのですが、本当に最高ですね。ぜひご覧になって下さい。

Jackson 5 "ABC"

Jackson 5 "I want you back"

私の好きなフィンガー5のビデオを見ようと思ったのですが、youtubeになくて残念。フィンガー5も、最高ですよね。

共有できる言語とできない言語

2007-02-19 12:19:58 | Weblog
最近、一生懸命勉強している。時間の合間を縫って、とにかく読書している。今までも比較的頑張って勉強してきたかもしれないが、今回はもっと、本気で勉強している気がする。どうにかしなくては、と思って勉強している。少しでも無駄をすると、時間が惜しいと思う。

私には使命感がある。この世界を少しでも良い方向に動かせるように、自分の学んできたことや経験を活かしたいと思う。その気持ちは、ひときわ強まってきた感がある。幸運にも、私は必ずしも皆が経験できたり、勉強できたりしていないことを経験し、勉強してきたと思う。それを今度は世界に向かって還元する時が、これから少しずつやってくると思う。

今日は朝から勉強した後、NYUにて教えているベルギー出身のキュレーターであるヤンと会う。会うのは初めてだったのだが、とても活発な議論になった。彼とは、消滅という事象が人間に与えるインパクトというものを、芸術に取り組むことで考えて行きたい、と言っており、それに関していろいろと議論する。かなりいろいろと面白い議論をしたのだが、それに関してはまた次回まとめて書くことにしよう。

夜はコソボ出身のビデオアーティストの友人であるドリトンの作品上映会があって、ミッドタウンに行ってくる。例によって、バルカンのアーティストの作品であるにも関わらず、アルバニア人以外の人がほとんどおらず、作品もアルバニア色の強いものが多かった。

ドリトンの作品はなかなか良かった。Sin(罪)という作品で、ドイツの教会にて、ドリトンが神父に「アルバニア人としてコソボに生まれたことは罪でしょうか?」と相談する、という作品であった。神父は、「罪ではない。世の中には不公平があるだけだ」と答えるが、ドリトンは「しかし、私はどうしたら救われるのでしょうか?」と続ける。シニカルと言うよりも、不思議な楽観主義が見え隠れする良作だった。このシニシズムの混じった楽観的ジョークは、バルカン特有のものに思える。日本のジョークとは少し異なる。

私が上映後、「アルバニア人としてコソボに生まれたことは罪でしょうか?とドイツにて相談することは何か特別なコンテクストが有ると思うのですが」と質問すると、「コソボの状況は西欧次第でどうにてもなる」という答え。それに関して、私が全く同じ質問を繰り替えすも、あまり構築的な話にどうしてもならない。そんな中、ロシア出身のキュレーターが私の質問の意味を汲んでくれたのか興味深かった。しかし、その質問の意味を汲んでくれたロシア人の言っていることは、アルバニア人の人たちとはその後も共有できなかった。歴史の制限が生んだ外部性の制限なのかもしれない。

言語も、人によって共有できるものとできないものが多いと思う。このジレンマを、どうにか解きたいと思うのだが、これは表現以前の問題だと思う。これを少しでも共有する為には、時間をかけてお互いが努力していくしかないのかもしれない。

大雪の中でのフジモリ大統領

2007-02-15 12:58:35 | Weblog
今日のNYは大雪。前を向いて歩くのが困難なほど、風の吹き荒れる中での雪はやっかいだった。

地下鉄を出て、シティホールの近くの歩道で信号待ちをしていると、私の傘の中に小柄な女性が舞い込んできた。あまりにも酷い雪の中、少しでもそれを避けようと私の傘の影に隠れたのだ。

「Hi, how are you?」と話しかけると、ばつの悪そうな顔で、だって雪が酷いから、ということを表情に出しながら、「それにしても酷い雪ね」、なんて他愛のない話をする。これからどこに行くの?と聞くと、Chambers Stにある大学でリベラルアーツの授業をとっているから、その授業に行く所だ、との答え。小柄な黒ずんだ顔をした女性の人で、南米なまりの英語を話していたので、どこの出身?と聞いてみると、ペルーの出身だと言う。私が冗談で、「じゃあ、アルベルト・フジモリの国だね」と言うと、「そう、フジモリの国よ」と答える。彼は良い大統領だった?と聞くと、それからずーっと彼がいかに良い大統領だったか、という話をしてくれた。

彼のおかげで、私達は舗装された道路が使えるようになり、そして普通の民家にも電話が入ってきた。衛生状態も良くなったし、本当に良い大統領だったと思う、等々。雪の降りしきる朝、Chambers通りの大学近くまでずっと話してくれたのだが、こういった不思議な出会いみたいなものがNYっぽくてなんだか新鮮だった。


最近、やはり主体性の問題をずっと考えている。主体性というものを定義してしまったのが、近代の限界を設定してしまったのだろうと思う。

松澤宥は、「オブジェを消せ」という啓示を突然受けて作品を作り始めるが、オブジェを消すということは、サブジェクトを消すということである。つまり、客体(object)を消すということは、それを立ち上げている主体(subject)そのものを消すことになる。

そう考えていくと、主語と述語を比較することで、この主体性の問題に迫ろうとしていた西田幾多郎は、相当凄いな、と改めて関心してしまう。私はもちろん、まだ彼にすら追いついていない。

彼の到達した絶対矛盾的自己同一とニコラウス・クザーヌスのCoincidenta Oppisitorumは大変似ていると思うのだが、やはりコギトを発明したこと、すなわち考える自己そのものを存在としてしまった事にかなりの無理があったのではないか、と思う。それをどう超克していくのか、これから長期的に考えていきたい。

他者の痛みと死

2007-02-13 12:33:15 | Weblog
昨日はチェルシーのギャラリーを回った後に、友人の河合君から、シモーヌ・ヴェイユに関する話を伺う。

ヴェイユは他者の痛みを理解することに固執した結果、餓死を選んだという。これはどういう事だろう。端的に言って、究極的なレベルで言えば他者の痛みを理解することは不可能である。しかし彼女は、他者の痛みを理解する為に、自ら死、しかも餓死を選んだのである。ここで彼女は、他者の痛みに到達することはできたのだろうか?問いの立て方そのものが間違っているかもしれないが、かなり考えてみる必要のあるテーマだと思う。

また同時に、私の物事の理解の仕方が非常に方程式的だという批判を受けた。私も見に覚えの有る所なので、もうちょっと勉強する時間を確保することで、解消して行きたいと思う。

社会学的な方程式に当てはめて表現を理解しよう、とする態度は、キュレーターとしていけないと思う。しかし、それは文脈に乗せて作品を理解してもらう、という仕事をする上で必要な行為でもある。問題は、社会学的な方程式を先に持ってくるのか、後に持ってくるのか、という、言い換えれば作品に対してどれだけ真摯な態度を持てるか、ということだ。作品を表現として第一に扱い、それを第二段階でなぜ成立したか、と掘り下げていくのが真摯な態度だと私は考える。しかし、そこで記号論的な操作だけを行い、作品を説明するのは間違いだと思う。難しい所ではある。

同時に、チェルシーを回っていた際、アートのシステムそのものがかなり疲弊してしまった印象を受けた。最大の理由は、言うまでも無く資本である。これは必然であるし、なかなか変えていくことは難しいと思うが、問題意識としては常に持って行きたいと思う。

昨日は岡部あおみさんと一緒に時の番人に会ってくる。日本における非対称の文明や、ユニバーサルなもの、またリヒターの抱えた西洋の芸術としての油絵の問題などについて語る。前回のミーティングに続いて、大変濃い時間となった。

一つ、すごいミーティングの予定が入ってしまった。このミーティングは有名人とのミーティングでも何でもなく、一人の集合的・間接的戦争体験をひきずるアーティストとのミーティングである。そのアーティストの持つ表現に対して、とにかく真摯に応対したいと思う。

レジーナ・スペクターの外部性

2007-02-11 01:46:58 | Weblog
今週はとにかく多くの方のオープニングやレクチャーなどに参加してくる。MoMAで開かれた辻直之さんのフィルム・スクニーリングやApexArtで開かれたデヴィッド・グラッブスが聞き手役を務めたエクアドル音楽に関する座談会、さらにPriedrich Petzelギャラリーでのアンドレア・フレイザーのオープニング、昨日はスクール・オブ・ビジュアル・アーツにてジャン・ストーラーのレクチャーを聞いてくる。お腹いっぱいの一週間だった。

そんな中、最近凄いなぁ、と思ったのは、Regina Spectorの音楽である。友人の一馬さんに「レジーナ・スペクターが良いよ」とお勧めされていた直後、同僚のミシェルが職場で流している際に聞いたのが始まりだった。特に代表曲Fidelityは素晴らしいの一言。名曲だと思う。また、youtubeの彼女のビデオに2日間で20万件のアクセスがあったというのは、歴史的な快挙だと思う。しかもこのRegina、私と同じ80年生まれのみずがめ座で、NY在住だ。私の友人も演奏していたSidewalk Cafeの出身らしい。かなり親近感を覚えてしまう。

彼女の音楽における、どこにもなかった様なスピリチュアルなものと外部性に引かれ、ちょっと調べてみたら、彼女はロシア生まれのユダヤ人で、ペレストロイカ期にユダヤ人の国外移動が許された際に、オーストリアとイタリアを経由してからブロンクスにやって来たらしい。あのまるでキューバ音楽のような豊かな響きは、アメリカのものではないと私は感じたのだが、こういう外部性があったのか、と思うと少し関心。また彼女、ピート・シーガーのLittle Boxesをカバーしているらしい。ぜひ聞いてみたい。

ホームレス・ミュージアム体験

2007-02-06 02:31:43 | Weblog
NYタイムズに載っていたのだが、63歳になったジョニ・ミッチェルが新曲を出すらしい。Alberta Balletというダンス・カンパニーに曲とダンスを提供するということだ。とても楽しみだ。

この記事で興味深かったのが、ジョニミがケベック出身であることから、自らの英語をimperfectなものだと認めている点だ。そう言われて見ると、例えば名曲All I Wantなどは、歌詞の雰囲気が非ネイティブ的な感じがする。これは、私が以前書いた「アストラード・ジルベルト問題」とも重なって来るだろう。すなわち、英語の非ネイティブの女性が、英語で作詞したり歌った時に発生する不自然な感じが、人を惹き付けるということである。男性、例えばカエターノが英語で歌っても、こういった不思議な魅力は発生しないように思える。しかし、女性、アストラード・ジルベルトやジョニ・ミッチェル、羽鳥美保が歌えば、それは発生する。これには世間を支配的な男性的視点という問題も有るのだが、それ以外にも、例えば植民地主義の問題などがある気がしてならない。

日曜日は、新らしく出来た友人のフリップ・ノートルダムがブルックリンにてやっているホームレス・ミュージアムを訪れて来る。このホームレス・ミュージアムはホームレスとは基本的に全く関係がなく、分かりやすく言ってしまえば美術館制度の解体のようなパフォーマティブなアート・イベントという事になるのだろうか。

ミュージアム(と言っても普通のアパート)に入ると、フィリップのパートナーであるマダム・バタフライが歓迎してくれる。(ちなみに二人はベルギーとドイツ出身のゲイ・カップルで、それがおそらくホームという概念と重なっているのだと思われる)入り口にてマダム・バタフライにコートを預けると、体重計で体重を量ることを求められ、その体重1ポンド当たり1セントの寄付金を入場料として支払う。(ちなみにこのお金はホームレスの人に寄付されるらしい)

CDウォークマンによるオーディオ・ツアーにて完全に人を食ったようなミュージアム・コレクション(ホームレス体感シェルターやMoMAコレクションのミニチュアなど)を眺めながら、フィリップの待つサロンの部屋に行くと、付け髭を生やし、重病人の格好をしてベッドに横たわったままのフィリップが、来客たちと禅問答のような議論を始める。しかし、ここでのフィリップの話術が本当にすごいのだ!

部屋に入ると、まず左手の窓の先に見える、最近拡張したばかりのミュージアムの別館であるChiken Wingを紹介される。つまり、South Windとか拡張部屋に付けられる名前をChiken Wingとして本当に鳥の手羽先を窓から延長して展示しているのだ。これをフィリップは大真面目に説明した後、最近某ミュージアムから買収したというエゴン・シーレならぬEgg on Shieleという絵画を見せられ、そこから美術館制度についての話に持っていく。さすがにNYUで教えているだけの事はあって、とにかく話が上手い。またベルギーの外交官の息子だけあって言語能力が非常に高いので、来客の言語に合わせてフランス語やドイツ語にて会話を進める。非常にカリスマ的なパフォーマンスで、とても関心した。

その後、マダム・バタフライがやっているカフェ・ブロータスにてハーゲン・ダッツならぬHaake'n Datzというわさび風味のアイスを見せてもらい、Curatorial Roomを使用する。トイレ(Rest Room)はCuratorial Roomと書かれており、ここのカフェではトイレに行くことをCurate the showという風に言うらしい。トイレに行く際、マダム・バタフライに「Enjoy Curating a show!」と声を掛けられる。

ホームレス・ミュージアムを去った後、アンソロジー・フィルム・アーカイブスにて「ゆきゆきて進軍」を見た後にイースト・ビレッジにてユダヤ系ルーマニア人が歌うジプシー音楽を聴いてくる。日曜日はなんだかNYを満喫した気分になった。