Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

サダム・フセインの死刑に思う

2006-12-31 09:25:41 | Weblog
サダム・フセインの処刑の直前の様子が報道されたCNNのニュースを、ネット上のビデオアーカイブにて見た。いやな気分になった。死刑、という制度そのものもイヤだが、権力を失った元権力者が、権力者によって公開処刑されているのがとにかくイヤだった。

国家権力がその主権者である国民(それは人を殺すことを禁じている)を、国家の名の下に刑罰として死を要請するのが死刑という制度である。そこには飛躍があるが、国家の主権者である国民には人を殺すことを禁じておきながら、国家という大きな権力となった際に飛躍が発生し、その権力が死を要請するのである。ディドロらの書いた百科全書では、司法の権力は国民から国家に一旦譲渡される、と書いてあると聞いたことがあるが、死刑制度もその辺りが一番の問題となってくるのかもしれない。(実際、フランスは憲法に死刑廃止を盛り込むことになるそうである)

ヨーロッパにおける公開処刑の中止がミュージアムの発生に結びついている、と指摘したのはフーコーであったが、それはつまり、フランス革命とナポレオン戦争以降のモダニズムの発生と、国家による文化統制がほぼ一致しているのである。しかし、この半公開処刑を見て、私はまた中世に戻ってしまったのではないか、という印象を受けた。又はそれだけ、現在の統治の体系が疲弊していることなのだろうか。

国家が法を用いて統治するのは当然のことであり、それには異論はない。しかし、それが国際レベルで行われる際に(この裁判はイラク国内の裁判ではあったが)、かなり丁寧にやらないとまずいと思う。裁く側と、裁かれる側の問題だ。裁く側が存在する限り、その裁く側は同時に裁かれる対象でなくてはならない。

世界連邦の会議の通訳をした際、ICC(国際司法裁判所)の実現の為には各地の国内法の整備が必要だという話を聞いて、なるほど、とも思ったが、それが植民地主義や資本原理主義の延長に行われているのであれば、それは残念だ。

ミロシェビッチ裁判の時もそうであったが、ミロシェビッチが裁かれるのは当然であるが、国家元首が他の国家によって裁かれることや、その裁く側が戦勝国であるというのはどうかと思う。彼を裁く主体は、西ヨーロッパではなく、本来彼を権力の座に据えたセルビア人でなくてはならないのでは?

同様、イラク戦争という、大量破壊兵器の存在を理由に戦争を始め、多くの死者を出すことになってしまった戦争の責任者である全ての権力者は、サダム同様裁かれるべきではないか。

ジェームス・ブラウンとアメリカにおけるルーツ

2006-12-28 14:22:13 | Weblog
ジェームス・ブラウンが死去してから数日経ったが、彼がいかに偉大だったのか、今になって思い起こしてしまう。

彼のような音楽は、アメリカからしか生まれなかっただろう。彼は、本当にアメリカが生んだ天才だったのだと思う。あの音楽に宿るスピリットのようなものは、ハンパなものではなく、もう動物的と言っても良いほどである。あれだけの元才能を持った人間は、そう居ないだろう。

史上初とも言われている、何事も起こらない日常の出来事を音楽というレベルに押し上げたファンクの定番Papa's Got a Brand New Bagや、彼以外誰も歌わなかったのではないかと思われるSex Machine、そしてplease please pleaseにおける、歌いながら何度もぶっ倒れるパフォーマンスなどは、アメリカという土地からしか生まれなかったと思う。

ジミヘンがStar Spangled Bannerを演奏中、自らのギター音をベトナムの空爆のイメージと重なったように、please please pleaseという曲の中に不気味に横たわるのは、アメリカに黒人として生まれたブラウン自身の、まさに表現だったのだと、本当に思う。please, pleaseとプリーズだけを叫びながら、ブラウンはステージ上で倒れ続けた。そして泣いた。そこに何が込められていたのだろう。そんな彼が、ついに亡くなったのである。


私は大学時代、ビースティ・ボーイズのHip Hopを良く聞いていて、彼らがどうしてあんなクリエイティブでリズミカルな音楽を作れるのか疑問に思ったが、私自身がアメリカに住むようになってから、彼らの音楽がNYのユダヤ人の音楽であることに気がついた。アダム・ヤウクを筆頭にメンバーの3人ともNYのユダヤ人だが、彼らはアメリカに対するアイデンティティ・コミットが無い分、自由に動けたのだと思う。それがリー・ペリーやジェームス・ブラウン崇拝に繋がっていたのではないか。また、それがチベット人の妻を持ち、政治的発言をする方向にも結びついて行ったのだと思う。そして、演繹的に考えていくと、NYの生んだ彼らの音楽は、そのルーツでもあるジョン・ゾーンやサイモン・アンド・ガーファンクルの音楽とも結びついて行った。

音楽は多かれ少なかれ、ルーツと密接に関係していると思う。表現の領域が自由な分、自身がテーマとするものが重要になってきて、それがルーツに被ってくるのだろうか。

何はともあれ、ジェームス・ブラウン、素敵な音楽を本当にありがとう。

アーティストとモラルについて

2006-12-27 14:13:27 | Weblog
クリスマスパーティでの出来事。複数のアーティストと、レストランで食事をしていたとき、こんなことがあった。

食事の最中、あるアーティストが、アーティストでない人に向かって、
「私はアーティストであり、作品を作ることで真実に到達しようとすることが目的である。」
という話をした。私はそれに対して、それはそうだ、作品を作るということ、表現ということが真実に到達することだと思った。

しかしその後、そのアーティストがNYのレストランの室内でタバコを吸おうとした。屋外は寒いので気持ちは分かるが、ここはNY。レストランの中でタバコを吸うことは、違法である。

そんな中、そのアーティストは、酔った勢いか、「レストランの中でタバコが吸えないのはおかしい。ファシズム的だ。私はアーティストだ」と言い始め、レストランの中でタバコを吸い始めた。それにつられ、もう一人のアーティストもタバコを吸い始めた。それを見つけた店員は驚いた表情ですぐさま駆け寄ってきて、「お客さん、タバコを吸うのは禁止されています」と言った。当然である。それに対して、アーティストは反抗的な態度を見せながら、タバコをすい終える為に外へと出て行った。

私は非常にイヤな気分になった。

さらに、「タバコを吸えなくするのは、非常にファシズム的だ」とアーティストが語るのは、非常に怖いし、間違った立場だと思う。整理すると、私がここで一番個人的にひっかかるのは、次の誤解(誤認)である。

1つ目:タバコを吸うのは個人の自由であり、法律で禁止するのはおかしい、とするボヘミアン的な立場
2つ目:ファシズムという言葉をこんな風に使うのは、歴史に対する欺瞞だ。

1つ目は、「違法にも関わらず、タバコを吸うアーティスト」というボヘミアン的な魅力をパフォーマティブに見せつけ、それを受け入れさせようとする彼らの立場とその態度がイヤだった。「私はアーティストだ」という言葉(?)が、エセ社会批判的な態度(アクション)を持っていると考えていること自体が駄目だ。

ただ単に、自分がタバコを吸いたいという欲望を満たすため、法律に対して社会批判的な立場を取り、それをアーティストの真理に到達することを目的とする立場を逆手に取り、自己肯定するのは非常に醜い。

また、「NYのレストランでタバコが吸えない」ということを「ファシズム」と呼んだことである。あなたたちは、ファシズムをその程度にしか理解していないのか?それであなたは心理に到達しているつもりなのか?ちゃんちゃらおかしい。1からやり直せ、と言ってやりたい。あなたたち二人は、そのファシズムという歴史を背負ったヨーロッパから来たアーティストではないか。

本当に自由を愛好する人間は、こんな子供っぽいことはしないと思う。もっと別の方法を取るだろう。

ちゃんと自身の弁明をした後に、「悪法も法」と言って弟子の前で毒を仰いだソクラテスは、なんと偉大だったのだろう。

スピノザがあれだけの哲学書に「エチカ(倫理)」というタイトルをつけているのか、よく分かった。同じく真理に到達しようとする哲学も、同じく倫理的なものなのだ。アーティストがそうである様に。

上記のような話を私が当の本人たちに指摘した際、全く理解されなかった。そんな際、論理的に打ち負かしてしまった際にアーティストが取る立場として、アーティストだ、といって自己のわがままを無理にでも受け入れさせようとする行為にいたることが稀にある。でも、そういうアーティストは私は嫌いだ。ごめんなさい。そしてさようなら。

追記*でもジェームス・ブラウンが「俺はアーティストだ、だからタバコくらいは、どこでも吸うぜ、という立場を取ったら、容認してしまいそう。それは、彼がアーティストだからではなくて、「俺はアーティストだ、といってしまうジェームス・ブラウンというその人だからだ。

マレーシアと美国

2006-12-22 12:55:12 | Weblog
昨日、レストランでベトナム料理を食べている際、メニュー表に現れた漢字メニューの英語読みとベトナム読みを比べながら、いろいろと考えていた。シーフードは海鮮で、マンダリンで確かカイシェンという音だったと思うが、ベトナム語でもそれに近い読み方をする。

マレーシア料理を食べた時、マレーが馬来、すなわち馬で来る、という表記であることにハっとしたのだが、もともとマレーのルーツは中華系であることが思い出させた。つまりマレーシアは中国から見た際、馬で来るほど離れた地域なのだ。

マレーシアはもともと文字が発達しなかった地域で、名前の表記をそのままアルファベットを埋め込んだ地域である(文字が発達しなかった点は沖縄と似ている)。たとえば、レストランはそのままレストランを輸入してカタカナ的にレストランと呼ぶのだか、表記はローマ字式のRestoranである。だから、しゃべり言葉のルーツも、表記に由来する音は基本的に中国の影響ではないか。

さらに植民地主義の時代に生まれたインドシナという言葉がIndo-China、すなわちインドと中国の間という意味である様に、マレー半島は後進地域で、基本的に中国の影響下であったと想像するのが順当だろう。

ベトナムが南越になれす、”中華”的発想の越南(つまり中国の南)になった様に、中国語圏の発想だと、マレーも中国から馬で行くほど離れた距離なのだろう。日本が小人の国という意味の「倭の国」と言われた由来と似ている。

阿部首相の言っている「美しい国」、という言葉を聴いた時、私はアメリカを思い浮かべてしまったのだが、中国、韓国にて「美国」とは日本語で言う「米国」、つまりアメリカである。日本語でいうメリケン粉(またはメリケンサック?)的な「メリケン」が米(メイ)という音と重なったからだと思うのだが、中国と韓国では、それが美という音と重なったのだろう。(なんて読むのかな?)

ちなみに、米国というのは、日本の持っている農耕民族の内部性を外部に投射した結果とも言えるのではないか。ハーンと汗に関しても述べたが、馬来や美国の由来も面白い。

Avant la lettre

2006-12-19 03:44:56 | Weblog
今日、仕事でアメリカ人のポーランド史を専門としている編集者と仕事をしていた際、こんな事があった。

ジンメルに関する「レンブラントはゲーテとカントの思考を内在化し」、という文章を英文化した私の文章を、
Rembrandt internalized the philosophy of Goethe and Kant avant la lettre,
と校正したのである。このavant la lettreというのがよく分からず、調べてみると、web上に私と同じ質問をしている人がいた。どうやら、こういう事らしい。(面倒臭いので英文のままです)

--
What is the meaning of the French phrase "avant la lettre" which I
have seen used in scholarly writing? It is not "before the letter,"
the literal translation, but is some kind of idiom. Thanks.

Answer

Hello viseu and thank you for your question.

The French phrase "avant la lettre" means "before the term (or phrase) existed"

For example:

"She is driven by these sharp emotional changes because as an artist
she is dealing with the subject before it was defined, the medium
before it existed. In this sense, she is an artist of things avant la
lettre."
http://www.paris.fr/musees/MAMVP/expositions/schneider/schneider_cat_scherf_ang.htm

and a translation of a book title:

"Votiefgeschenken: epidemiologie avant la lettre"
"Votive offerings: epidemiology before the term existed"
http://www.volkskunde.be/Inhoud%202000,%203.htm

also see:

"avant la lettre [F] foreign term : before the letter: before a
(specified) name existed"
http://www.orbilat.com/Languages/French/Vocabulary/French-International.html


例えばavant gardeというのはもともと第一次大戦中の軍事用語で最前線という意味である、というのは知っていたが、内在化する、という言葉を形容する際にこういう言葉を使うことがあるとは知らなかった。納得。

しかしこの言葉のまえ、という発想には引かれる。きっと、言霊、という考えがきっとヨーロッパにもつきまとっていたことだろう。

アイスランドで皆と会話していて、イエス、と答える際にみながヤウ、ヤウ、と言っていた音が私にはとても不思議だったのだが、こういう音そのものに言霊が宿っているケースもあるのではないか。とても興味深い。前にkikiとboobaという音声とビジュアルとの関係に関する文章をブログに書いたが、この音と意味の関係も非常に密接に関係していると思う。

Hady Syオープニング

2006-12-17 02:53:09 | Weblog
ハディ・サイのオープニングは大成功だった。かなり作品数が多かったのでインストール面で不安があったのだが、何とかなった。しかもかなり綺麗にインストールできて、私的にも満足だった。

今回のインストールで楽しかったのは、ハディ自身はもちろん、ハディのパートナーであるcamille(カミーユ)と一緒にインストールできたことだ。ギャラリーの後部の部屋にcamilleのミュージック・インスタレーションをインストールしたのだが、このプロセスが楽しかった。ハディがセネガル人の父とレバノン人の母を持ってフランスに生まれたことから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という宗教との軋轢に苦しんだ過去がある。その3つの宗教の聖歌を、camilleがアカペラで歌い、その音楽インスタレーションを私が行ったのだ。

camilleの名前はフランスのスター・シンガーとしてかろうじて知っていたのだが、こんなに素敵な方だとは思わなかった。とても知的な方で、そしてとても優しかったのが印象的だった。オープニングの2次会でカミーユとカミーユのお父さんが歌い、みんなで踊ったのだが、このお父さんが本当に凄かった。みかけはおいじいちゃん、という感じの方なのに、歌を歌い始めたら、ジェームス・ブラウン級のノリのラップで、みんなを盛り上げる。そのラップに、カミーユがマリア・カラス級のコーラスで絡む。こんなに自由に音楽を楽しむ家族に出会ったのは、生まれて初めてかもしれない。ちなみにカミーユの弟さんは物理学のPhD専攻からピアニストになり、成功していると言う。凄い家族だ。camilleファミリー、素敵な時間をありがとう!

Hady Sy "In God We Trust"

2006-12-15 23:03:57 | Weblog
うちのギャラリーにてオープニングがあります。NY在住の人はぜひいらして下さい。

For Immediate Release

HADY SY “IN GOD WE TRUST”

December 15, 2006 – January 20, 2007
Opening reception with the artist on Friday, December 15, 2006 from 6-9.

Ethan Cohen Fine Arts is pleased to present Hady Sy “In God We Trust,” in his first solo exhibition in the United States.

Artist Statement:
My art is my weapon. I intend to use it to fight. To fight terrorism, injustice, war, religious discrimination, racism, and anything art can overcome.

September 11, 2001: 146, Chambers Street, New York. This is where I was when the world was shaken by that terrifying incident. I witnessed it first hand and, like thousands of New-Yorkers living in Tribeca, was forced out of my apartment for weeks. These weeks gave me a lot to think about and triggered a multitude of memories, memories of the civil war in Beirut. Hundreds of thousands died in the name of religion and patriotism.

My memories of Beirut, though tender and nostalgic, are also painful. I spent all my adolescence in a war-torn country. Weapons and militias were part of the daily scenery. We lived among them. They were the first we saw when we woke up and the last we heard when we went to bed. Feelings were different then. A child has no sense of danger. I could not understand the unreasonable fear that overtook my mother when I stepped out of the house. What could happen to me? I felt immortal. As I grew older, my memories, although blurred, became more painful. Life in “safe” parts of the world made me feel secure. Paris and New York gave me snapshots of peaceful moments…until 9/11. All my memories resurfaced more ghastly than before. For good reason: I was an adult. Over the years, I had passively and remotely witnessed, several wars, the enrolment of child soldiers, terrorism, famine, the exodus of refugees, and anything the media was happy to serve us for the evening news. However, an event of this extent was inconceivable. In my mind, New York was the last place in the world where it could occur.

In the weeks following 9/11, I lived as a “refugee” – I was: a displaced person in the event of a disaster, with no place to go, relying on the kindness of friends and strangers. During this time, an idea snuck into my mind. We have to fight terrorism with everything we have got. Part of my childhood was destroyed by people using weapons to spread destruction. How do I fight them? I only have art. I will use it as my weapon. I will strip myself to the bone if that is what it takes. We are all alike: Jews, Christians, Muslims, Whites, Blacks, Arabs, Africans, Europeans, Blonds, blue-eyed and slit-eyed. Peeled of his/her outer shell, the human being is unrecognizable. We are all afraid of difference. But are we so different? Can you tell my ethnicity from my skeleton?

I began to gather testimonies and started to work on my project. I want to promote tolerance. This is the legacy of my father. Fear has instigated an increase in intolerance, suspicion. Who is the guy next door? “Is he going to blow the building?”

Since 9/11 the world has changed. And I have changed too. I want to be a better man…

--

Ethan Cohen Fine Arts: 18 Jay Street (Tribeca between Hudson and Greenwich)
New York, NY 10013 Tel: 212-625-1250 Fax: 212 -274-1518
Gallery Hours: Tue-Sat 11 a.m.-6 p.m., info@ecfa.com www.ecfa.com

アート・バーゼル日記

2006-12-12 07:18:12 | Weblog
アート・バーゼル期間中のマイアミは、信じられないくらい忙しい。朝から晩まで、本当にてんてこ舞いだ。そんな中、ペロタン・ギャラリーにてアーティストのアイ・ウェイウェイにお会いできたのが嬉しかった。

木幡和枝さんから、アイ・ウェイウェイが中上健司に似ている、と言われていたのだが、本当にそんな感じの人だった。中上の小説の中で「大男」が出てくる短編小説があるが、この大男は決して大柄な人間ではなく、ずんぐりむっくりとした、なにをしでかすか分からないという意味での大男であったと思う。そういう意味では、アイ・ウェイウェイも同じで、決して大柄という訳ではないが、とても迫力があり、中上の様に角材を持って空港に座っているのが似合いそうな風貌だった。初めて会って、一瞬でこの人は本当に苦労してきた人だ、ということが理解できた。

アイ・ウェイウェイに挨拶して、写真を一緒に撮らせて下さい、と頼むと、いいよ、じゃあ、ここで撮ろう、と言ってソファーの上に座り、ウェイウェイの膝の上に座って写真を撮らせて頂いた。なんだか、パパと呼びたくなる様な人だった。この人が北京でオリンピックスタジアムを作っているのかと思うと、複雑な気分だ。

バーゼルのメインフェアはさすがに超一流のギャラリーが集まっており、見ごたえがある。フランスのギャラリーにてニコラ・ド・スタールの作品がまとめて見れたのがよかった。またとても多くの人に会い、フォローアップできたのも良かったと思う。

特にDavid Zwirnerのブースに展示されていたJames Wellingの写真があまりにも美しく、ため息が出てしまった。緑色の淡いフォトグラムの作品は、緩やかなグラデーションを奏でており、それがすうっと私の体に入ってきた。今回のアートフェアで私が本当に「買いたい!」と思った作品は、これだけかもしれない。

アートフェアに参加していて一つどうしても気になってしまったのは。マイアミにおける貧困層と富裕層の格差である。ここは行楽地ということもあってか、格差が一際激しい。

フェア開始から2日目、フェアの会場の近くで、地元のハイチ人たちが「parking」というダンボール箱でできた看板を作って、掲げている。看板を持った子供がはしゃいて、「Parking $10」と書かれたダンボール紙をもって道の真ん中でジャンプしているのを見て、正直涙がでそうになった。この状況の中で、私は何ができるのだろう、と自問してしまう。

資本主義そのものは既にかなり疲弊しており、そこで一極集中した資本は出口を求めてうごめき、アートマーケットというかなり特殊な市場にも入り込んでくる。そもそも貨幣そのものには価値はなく、交換価値、もっと言ってしまうと交換しないと価値が生まれないのである。極端に資本を持った人たちはそれを交換しようと躍起になっており、それが美術作品のバブルを生んでいると言えるのではないか。

アート・バーゼル・イン・マイアミ

2006-12-06 12:59:08 | Weblog
日曜日から、アートフェアの仕事の関係でマイアミに来ている。私の勤めているギャラリーがアート・バーゼル・マイアミ期間中に開かれるPulseアートフェアに参加するのだ。

同僚のミシェルと一緒にレンタカーを借りて、有料道路を走っていたら、料金所のおばちゃんに「hola」と声をかけられる。ああ、マイアミに来たな、と実感。その後、必要なものを買い集めたり、NYからのシッピングを完了させ、インストールを始める。私もマイアミでのアートフェアに参加するのは2回目、またアートフェアそのものはもうかなりこなしてきた関係で、かなり手際がよくなってきた。

アートフェアに参加していく度に、参加している顔ぶれがほぼ皆一緒で、アート界というのは、世界規模でも狭い世界で動いているのだなぁ、と実感してしまう。フェアに参加しているブースを歩いていたら、1年前にパームビーチで仲良くなったキューバ人のジョセリンが、中国でのギャラリー勤めの後にスペインのギャラリーに勤めているのを見つけて驚いたり、「もう一つの万博」の際にホワイトボックスでマネージャーを務めていたヤシャがNYのコマーシャル・ギャラリストとしてフェアに参加していたり、バーゼルで仲良くなったユーゴ出身のキュレーターのララがパリのギャラリーのブースで働いていたりするのを見ると、ああ、アート界は狭いのだな、とつくづく感じてしまう。

それはそうと、マイアミはNYに比べ、圧倒的に人が良い。みんな親切な人ばかりで、驚いてしまう。こういう環境に身を置くと、私は汚い人間になのではないか、と感じてしまうほどだ。フェアの会場で働いていたキューバ系の喫茶店の売り子さんが、私が作品をインストールしている隣にちょこんと座って、まるで子供のようにアートについて聞いてくるのを見ていて、ああ、なんて素直な人たちなのだろう、と感じてしまった。こういう不思議な体験をすると、アートの仕事って面白いな、と思う。

言語のFossilization

2006-12-02 10:32:54 | Weblog
昨日、ヨーロッパ出身のアーティストの方と作品について話していた際、こんな出来事があった。

この新作、どんなタイトルなの?と聞いた所、英文のタイトルの中にofが5つ入っていたのである。このアーティストはドイツ語圏の出身のアーティストであり、アーティスト自身が元々ドイツ語で考えたタイトルを英文に置き換えてタイトルとしているのが伺い知ることができた。しかし、その置換が英語にうまくフィットしていないのである。この現象は、言語のfossilization(化石化)と言われる現象で、私も、自分の言いたいことを英文に置き換えて説明しようとする際、どうしても日本語的構文の影響が強かった時期が長く、このfossilizationに関しては大変苦労した記憶がある。関係詞と枠構造で文章を組み立てていくドイツ語(この作品のドイツ語タイトルにはvonが一つしか入っていない)を英文にそのまま置き換えていくとofなどの助詞が必然的に増えて行くのだが、それは英語に関して言えば悪文である。

「このタイトル、ドイツ語で考えたものを英語に置き換えたものだと思うけれど、助詞がやたらと多く、英語の構造にフィットしていない」とアーティストに指摘すると、そんな事はない、英語とドイツ語は兄弟みたいなものだから、文章的な問題はない、という風に言い返されてしまった。それが残念でならない。論理的に間違いを丁寧に説明した際にこういった反応をされてしまうのは、心外だったのだが、ラテン語圏の出来事に関してアジア人が発言している、という事に対する反発の方が強いように私には見受けられてしまった。以前、アメリカ人の友人が私に文章をプルーフリードしてくれ、と頼んできた際、文法的間違いを見つけて指摘した際に、向こうから頼んできたにも関わらず、間違いを指摘した際にムっとされてしまった経験も何度かあり、それも私には残念でならなかった。

私はこういった出来事を社会構造から演繹して考えてしまいがちだが、単純に感情の問題としての側面が強いと思う。しかし、こういう場面に直面した際、私にはそれを解くだけのノウハウがない、ということにも気がついた。処世術的に対処して行った方が良いのかもしれないし、キュレーターにはそれが求められる場面は多いと思う。しかし私は、真理への探求という意味において、誠実ではあり続けたい。