Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

I am still alive!

2006-06-27 01:19:14 | Weblog
Dear the reader of this blog,

Thanks for reading this blog all the time. I appreciate it.

On my arrival to Barcelona, my computer, cellphone, flight ticket and passport with US visa was stolen, and I have a hard time. I lost my computer, so I might not able to upload this blog for a while. Please check this page probably a week after. Thanks again.

lots of love from Madrid,

Shinya Watanabe

バーゼル雑感

2006-06-21 05:45:20 | Weblog
ついにアートバーゼルも終わってひと段落。最終日にはキュレーターのホウ・ハンルーにも挨拶できて、とても有益な経験になったと思う。(写真はホウ・ハンルーとアーティストのヤン・レイらと一緒に撮ったものです)

ヨーロッパは古い国だという印象は、毎回来る度に思う。ミレルと一緒にアムステルダムの町を歩いている時、そんな思いを強く持った。ヒップな感じがしない、と言えば良いだろうか。何か無理して現代のモダンに近づこうとしている印象を受ける。バーゼルの町で、ライン川の思った以上に早いライン川の流れを眺めていながら、そう思った。

バーゼルはフランスとドイツの国境地域にある為、通常の会話はドイツ語と、そして少々のフランス語がメインである。フランス語とドイツ語のバイリンガルの人が多数だが、英語が上手に話せない人が多く、それが意外だった。タクシーを電話で呼ぶときに交換手が英語ができないこともあり、そんな時は私のえせドイツ語がかなり役立った。それと、ドイツ語が少しでも話せると、人もフレンドリーに接してくれる。

また、スイスの物価がこんなに高いとは思わなかった。バーゼルは高いという話は聞いていたが、まさかこれほどだとは思わなかった。空港からタクシーで市街地まで15分ほど走っただけで、4000円くらいの料金だ。これでは日本の2倍くらいあると思う。食事も普通にレストランで食べて、ニューヨークの1.5倍くらいの値段だったと思う。しかし、すべてのものがピカピカで、豊かな国だなぁ、という印象を強く受けた。

スイスはヨーロッパの中でも多言語国家として、特異な国民国家として知られているが、この構造を支えているのが豊かさだと思う。20世紀初頭に最も貧しい国家であったスイスが国民投票で選んだのが、多言語国家という答えだった。生活上、小さなことで困ることやイライラすることはあると思うが、それが表面に出てこないのは、経済的な豊かさが最も大きな理由ではないだろうか?街でホームレスを見かけることはないし、貧しさを経験することがほとんどない。これはすごい事だと思う。

スイスの地元のアーティストとも一緒に食事をしたりして、いろいろこういった話で盛り上がった。あんなに小さな国なのに、あれだけの知性を持ったアーティストを輩出しているのは、この特異性ゆえと言えるだろう。

スイスの日々も終わり、今はスペインのマドリードに来ている。仕事のミーティングがいくつかあるのと、ちょっとした休暇もかねての旅行だ。初日、最終日と徹夜で働いていたせいか、疲れが溜まっている。スペインに癒されたい。

ワールドカップ・バーゼルと夢への第一歩

2006-06-18 01:05:49 | Weblog
昨日はモダン・ペインターズという雑誌が主催した、ワールドカップ・バーゼルというイベントに参加してくる。世界各地から集まってきたキュレーターやアーティストを対象に、みんなでワイワイ、サッカーをやろうという企画である。私もアートフェアから少しばかり休憩をもらって、参加してきた。チームメンバーの国籍はアメリカ、スイス、イタリア、スペイン、イングランドなど様々で、まさにワールドカップさながら。みんなフレンドリーな人たちばかりで、すぐ溶け込めた。サッカーは本当に、これがいい所だな、と思う。

試合中、張り切って走り回っていたら、審判に「みんな年長者なのだから、スローダウンしろ!」と窘められてしまった。確かに、白髪の混じった人も入ってプレーしている所で走り回っていたら、顰蹙を買っても仕方がない。ということでスローダウン。結果は私たちの勝ちで、優勝記念の絵画は、オークションにかけて売上金を寄付することに。これもお約束だけれど、なんだか気持ちが良い。こういうイベントに人が集まり、アーティストも協力するというのがいいなぁ、と思う。

夜はクンストハレのレストランでご飯を食べて、その後アート・バーゼル主催のパーティに行ってくる。良かったのは、前回のドクメンタのキュレーターをやったオクウィ・エンヴェゾー氏に会えたこと。私はドクメンタのファンで、オクウィ氏は私にとって目標である。いつかはああいった国際舞台で活躍してみたい、と夢見ているが、彼と談笑していたら、なんだかその夢に一歩近づいた気分になった。

バーゼルでの出会い

2006-06-16 21:03:16 | Weblog
バーゼルではとにかく多くの人に会っている。何百人という人に会っているから、さすがに覚えきれないが、とにかく充実した日々である事は間違いない。

そんな中、印象的な出会いがあった。私がキュレーションしたアクション・ストリート・ペインティング・バトルのポスターを見てバカ受けしている若い二人組みがいて、じゃあせっかくだから、という事で、アクション・ストリート・ペインティング・バトルのビデオを流す。ギュウちゃんと陵賀のパフォーマンスは強烈だったらしく、私たちも似たような事をしたい、なんて話で盛り上がる。

この二人組みはロンドン出身中国在住の女性とNY在住のアートライターだったのだが、私が名刺を渡して自己紹介すると、「ああ、君がシンヤ・ワタナベか!」と言われ、ちょっとびっくり。というのも、この男性ジェームスはマリーナ・アブラモビッチのアシスタントで、私がマリーナに送っているe-mailはすべて彼が確認している、ということだった。こんな所で会えて嬉しいよ、なんて話で盛り上がる。最近はマリーナのパフォーマンス、セブン・イージー・ピーシーズのアーカイブ作業で大忙しだと言っていた。

彼と一緒に来ていた女性にもゲストブックにサインしてもらったのだが、その女性の名前がチャーリー・コールハースであった。ロンドン出身なのに、オランダ名なのだね、なんて話をしているうちに、「うーん、それは・・・」なんて言ってモゴモゴしている。聞いてみると、このチャーリーはレム・コールハースの娘さんだという事に気が付いた。彼女は広州で中国語と英語のバイリンガル雑誌「UNIT(単元)」という雑誌をやっているらしく、サンプルをもらう。批評色の強いバイリンガルの冊子を毎月のペースでやっている、というのだから凄いエネルギーだ。恐れ入る。このUNITという雑誌、ヨーロッパの地理(特にオランダの国境)を点線で区切り、ソビエトの鎌として配置しているデザインが素晴らしく、「ブルース・マウみたいだね」と言ったら、2人とも大爆笑していた。

チャーリーに、私がレム・コールハースの影響を強く受けていて、マンハッタン・タイム・アウト・プロジェクトは彼の「錯乱のニューヨーク」を元に立ち上げたという話をした所、興味を持ってくれた様で、大変嬉しかった。こういう出会いは大切にして行きたいと思う。

ワールドカップとヨーロッパ旅行

2006-06-15 20:49:14 | Weblog
私は前回のワールドカップの時も、たまたまヨーロッパに来ていた。4年前のちょうど今くらいに、NYに留学する前に、ロンドンからイスタンブールまで、2ヶ月かけて陸路を旅をした時のことだ。大学卒業後にバイトして貯めたなけなしのお金での貧乏旅行だった。

トランジットで訪れたクアラルンプールで、丁度韓国戦(対戦国は確かイタリアだったと思う)がやっていたのだが、その場にいた多くの人たちが、ヨーロッパ人風の人も含め、韓国を応援していたのが印象的だった。やはりアジアで観戦していたからだろう。残念ながら、トルコ対日本戦は見逃してしまったが、トルコの街で日本人の私を見るたびに、「ターキー ジャパーン ワン ゼロー!」と言ってからかわれたのが印象的だった。(日本が勝ってたら、どうなったんだろう?と今でも不安に思う)

到着したロンドンでは、友人のレオの家に泊めてもらったのだが、朝早起きしてイングランド対ブラジルを見たのが印象的だった。キングスクロスの近くのパブで、みんな背広を着た人たちが夢中になってテレビにかじりついていて、町全体がワールドカップで大騒ぎという感じだった。

その後、パリでドイツ対韓国を見たのだが、フランス人はフランスがファイナルに残っていないせいか、全然興味無しといった感じだった。さすがフランス。そして、その後決勝戦をノートルダム・ド・パリ近くの特設スクリーンで見たのだが、サポーターの99%がブラジルサポーターだったのに驚かされた。フランスは隣国のドイツを応援すると思っていた私の予想は見事に外れた。さすが血で血を洗う戦争をしてきた国家同士だなぁ、と変に関心してしまった。ブラジルが勝ってとても喜んでいるフランス人を見るのは、とても滑稽に思えた。

JFKからトランジットでアムステルダムに来たのだが、トランジット時間が4時間半あったので、アムステルダム在住のキュレーター仲間のミレルを誘って、一緒にブランチを食べる。フライトが遅れてしまったにも関わらず、いやな顔一つせず受け入れてくれるミレルに感謝。持つべきものは友達です。

その後、バーゼル入り。

つづく。

アジア・ソサエティーでの陵賀のパフォーマンス

2006-06-11 13:24:24 | Weblog
今日はアジア・ソサエティーの創設50周年記念の日。そのイベントに陵賀が招かれ、ドローイングと紙芝居のパフォーマンスをやってきた。

ドローイングは始めはそこまで忙しくなかったのだけれど、途中から列が出来始め、またたく間に人気アトラクションに。人が常に並んでいる状態で、11時から4時まで、ほぼノンストップでドローイングし続けることとなった。

それと平行して、紙芝居のパフォーマンスも二度行ったのだけれど、こちらの方も評判は上々。いつも同じだけれど、回を重ねた2度目の方が人も多く集まったし、うまく行って、よかった。子供連れのお客さんが多かったので、紙芝居をアートとしてではなく、普通の楽しんでもらえて、それが良かった。たまに子供達と会うと、癒されるので、気分転換には丁度よかった。

長時間のイベントで体力的にきつかっただろうけれど、陵賀、ほんとうにお疲れさま。よくやったよ。

その後、明日スイスに発つという事もあり、トライベッカのギャラリーにとんぼ返りして、準備に追われる。まだ準備が完全に終わっていないので、それが少し心配だが、まあ何とかなるでしょう。

バーゼルに来る人は、ぜひVOLTAのブースも覗いて下さい。ではでは。

ショーン・ケリー・ギャラリーにてマリーナからダメ出し

2006-06-09 12:06:08 | Weblog
今日はショーン・ケリー・ギャラリーでオープニングがあり、行ってくる。友人のボシュコが働いていて、挨拶しながら情報交換。ドローイングセンターでキュレーターをやっているキャサリンや、コータ・エザワさんが活躍しているギャラリーのオーナーのジャニス、さらにローリー・アンダーソンにも会えて、いろいろとご挨拶。特にキャサリンさんは陵賀のイベントの成功を祝ってくれて、大変嬉しかった。(普段キャサリンと英語で呼んでいる人にさんをつけるのは、なんだか違和感があるなぁ)

今日のメインの目的は。マリーナ・アブラモビッチに会って、私の昔書いたレビューSeven Easy Pieces まだ見ぬ他者を探しての英語版のダメだしをもらうこと。マリーナはローリーとずっと話し込んでいたので、私は隅っこでじっとマリーナの用事が終わるのを待っていたのだが、「あんた、いるんだったら待ってないで早く私の所に来なさい!」と言われてしまった。やはりアポを取っているのであれば、目上の人が同伴であれ、ずかずか行っちゃっていいんだな、とちょっと反省。以前にも似たような状況があったのだが、判断に困ることが多い。

基本的に文章はほとんど訂正されず、スペルや事実関係な細かな所が指摘されたのみで、大きな変更はなかった。しかし、ソンタグへ捧げたという部分を私なりに解釈した部分に?マークが付いており、それだけ気になる所。時間が押していたので、詳細については電話で話すことに。「グッド・ジョブ!」と言われてポンポンと肩を叩かれたのが、嬉しかった。

どうでも良いけれど、マリーナに会う度に、つくづく、きれいな人だなぁ、と思う。これだけ綺麗な60歳が日本にいるのだろうか?

そういえば、英語版のウィキペディアにはマリーナの活動の詳細が載っているのだけれど、良くできている。誰か日本語版も作んないかなぁ?
http://en.wikipedia.org/wiki/Marina_Abramovic

それと、マリーナがパフォーマンスをカバーしたValie Exportの作品についてちょっとググってみたのだけれど、Action Pantsのイメージが結構かっこよかった。こんなアーティストだったのですね。

Salad Days

2006-06-08 14:08:31 | Weblog
昨日今日と大忙し。

スイスのバーゼルで開かれるVOLTAアートフェアに参加する関係で、準備に追われる。時差の関係で、現地の人たちとのコンタクトが意外と大変で、手間取る。特にスイスフランとドルの関係や、言語的な問題でもたつく場面が多く、私自身の経験不足と力不足を感じる。

昨日はSOHOにあるArtist Spaceにて、展示に関するミーティング。7月11日から8月7日にかけて開かれる展示「Salad Days」のキュレーターに指名されたのだ。この展示は、若手のキュレーター11人が集まって11人の若手アーティストを選んで展示するという企画なのだが、Non-profitのギャラリーだけあって大変良い企画だと思う。私はこの機会に、現在アメリカ在住のアーティスト、池田孔介の作品を展示することにした。孔介も気合が入っているし、良い展示になると思う。

今日はISCPにて、アーティストのリーベン・バン・ホーブとユリカ・ルデリウスに会ってくる。リーベンはベルギー出身のアーティストで、興味関心が近いことから仲良くなった。ネーションのテーマと建築を扱っている作品なので、そのテーマと作品の関連性について話す。

ユリカはドイツ生まれオランダ在住のビデオアーティストで、私とは大変馬が合う。まだ会って3回目くらいなのだが、ずいぶんと意気投合して、いろんな話をする。ユリカは両親がインテリ左翼の牧師で、彼女の作るビデオ作品にもその影響が強く出ている。ユリカの両親は現ポーランド、旧プロイセン領の出身で、「私の背が高いのは、プロイセン時代の軍国主義の影響だ!」なんて話になる。彼女は184センチの長身で、食べに行ったタイレストランでライトにぶつかっていたのが可笑しかった。

ユリカとはドイツのネーション問題について話したのだが、フィヒテのドイツ国民に告ぐの演説がフランス的な国民思想といかに異なるかという話になり、その延長線上で、ハプスブルグ家とルターの宗教改革の話になる。ルターの宗教改革によって高地ドイツ語に聖書が翻訳されたのがドイツ・ナショナリズムの成立を可能にしたという話はどう考える、という所まで来て、話が詰まった。お互いまた調べて、また話そうということになった。身近にこういう話題を提供してくれるアーティストがいると、大変参考になって嬉しい。

表象文化論学会第1回大会のお知らせ(転載・転送歓迎)

2006-06-07 12:20:16 | Weblog
スミソニアンアメリカ美術館フェローの加治屋健司さんが、7月1日と2日に東京大学
駒場キャンパスにて表象文化論学会第一回大会を企画しております。ご興味のある方
は、ぜひ足を運んでみて下さい。

--

みなさま

BCCメールで失礼いたします。

来る7月1日と2日に開催される表象文化論学会第1回大会のスケジュールが決まりまし
たので、お知らせいたします。

非学会員の方でも参加費1日1000円でご参加いただくことができますし、プレイベン
トは無料になっております。お誘い合わせの上、ご来場いただけると大変うれしく思
います。

下記の大会情報の転載・転送は、自由、というよりむしろ大歓迎です。ご関心のあり
そうな方にお知らせいただけると誠にありがたく思います。お手数おかけしますが、
どうぞよろしくお願い申し上げます。

スミソニアンアメリカ美術館フェロー
表象文化論学会発起人

加治屋健司

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表象文化論学会第1回大会
7月1日(土)-2日(日)
東京大学駒場キャンパス(京王井の頭線 駒場東大前駅 下車)

スケジュール
7月1日(土) 18号館ホール
13:30-13:45 開会の言葉(会長挨拶)
13:45-15:30 基調講演:ミハイル・ヤンポリスキー Mikhail Iampolski(ニュー
ヨーク大学)"Metaphor, Myth and Facticity"(英語、通訳なし)
15:45-17:15 対談:浅田彰(京都大学)+松浦寿輝(東京大学)「人文知の現在」
18:00-19:30 「身体の冒険――同時代の身体〈知〉をめぐって」 
イントロダクション:桜井圭介(作曲家/ダンス・キュレイター)+内野儀(東京大
学)



パフォーマンス:チェルフィッチュ、室伏鴻、KATHY
19:30- 懇親会(18号館4階オープンスペース、会費制)

7月2日(日)18号館4階コラボレーションルーム1~3
9:30-11:30
パネル1:日本芸能史における〈女性的なもの〉
遊女をめぐって――古代・中世を中心に
 沖本幸子(日本学術振興会特別研究員)
男性芸能集団「猿楽」における女性性――稚児および天皇をめぐって
 松岡心平(東京大学)
出雲の阿国をめぐって
 小笠原恭子(武蔵大学名誉教授)
 司会:横山太郎(跡見学園女子大学)

パネル2:Medium and Anamorphoses(英語によるセッション)
What Makes the Faciality in Japanese Cinema Stand Out(日本映画における顔の
位置)
 北野圭介(立命館大学)
A Self-Portrait of Patti Smith(パティ・スミスの自画像) 
 當間麗(埼玉大学)
Illustration, Daguerreotype, Film: Discourses on the Visuality of N.
Gogol's
Language(挿絵、銀板写真、映画――N・ゴーゴリの言語の視覚性をめぐる諸言説)

 乗松亨平(日本学術振興会特別研究員)
 コメンテイター:ミハイル・ヤンポリスキー(ニューヨーク大学) 司会:佐藤良
明(東京大学)

パネル3:鏡の背面――表象のヒューマニズム再考
自己展開するイメージ
 柳澤田実(南山大学)
世界の体系――『百科全書』と普遍知の唯物論
 大橋完太郎(東京大学)
コギトと表象不可能なもの
 佐藤吉幸(筑波大学)
 司会:岡田温司(東京大学)

13:00-15:00
パネル4-1:スクリーンの近代――遮蔽と投射のあいだで(1)
スクリーンとしての主観性――表象の可能性の条件としての身体
 加國尚志(立命館大学)
イメージか、スクリーンか――ジャック・ラカンにおける鏡・表面・枠
 原和之(東京大学)
映画スクリーンと観客の身体
 長谷正人(早稲田大学)
 コメンテイター:高山宏(首都大学東京) 司会:小林康夫(東京大学)

パネル5:ロシアの(逆)遠近法
イコンと視覚像――パーヴェル・フロレンスキイのイメージ論
 貝澤哉(早稲田大学)
時の抜け道――ツェラーンからマンデリシタームへ
 斉藤毅(電気通信大学)
機械的なものと有機的なものをめぐって――1920年代ソ連における美術教育の試み
 江村公(大阪大谷大学)
 司会:番場俊(新潟大学)

15:30-17:30
パネル4-2:スクリーンの近代――遮蔽と投射のあいだで(2)
メディアアートとスクリーン
 草原真知子(早稲田大学)
「見ること」の不安と白い壁――モダニズム再考へ向けて
 鈴木貴宇(東京大学)
総合討議
 コメンテイター:高山宏(首都大学東京) 司会:小林康夫(東京大学)

パネル6:エイティーズ・アート
シミュレーショニズム再考――ジェニー・ホルツァーを中心に
 平野千枝子(山梨大学)
「沈黙」というフィクション――太田省吾の「80年代」
 森山直人(京都造形芸術大学)
子供たちの時間――相米慎二と1980年代日本映画
  御園生涼子(東京大学)
 司会:大久保譲(埼玉大学)


※参加費:会員 無料/非会員 1日ごとに1000円、事前登録不要
※懇親会(会費制)は会員およびその同伴者のみが対象です。

問い合わせ先:表象文化論学会設立準備事務局
東京大学大学院総合文化研究科 表象文化論研究室内
〒153-8902 東京都目黒区駒場3-8-1 FAX 03-5454-4336
E-Mail repre@repre.org URL http://www.repre.org

基調講演共催:共生のための国際哲学交流センター(UTCP)

プレイベント
対話と上映「スクリーンと女たち」
――吉田喜重監督『鏡の女たち」上映
――対話:吉田喜重×小林康夫
日時・6月30日(金)16:30-(上映)18:50-(対話)
場所・東京大学駒場キャンパス 学際交流ホール(アドミニストレーション棟4階)

主催・東京大学表象文化論研究室+共生のための国際哲学交流センター(UTCP)
入場無料・事前登録不要

バーチャルなリアルとブルックリンのパーティ

2006-06-05 13:38:24 | Weblog
今日、New Scoolのキャンパスの前にあるQuad Cinemaにて、ジジェクのドキュメンタリー映画を見てきた。ジジェクがひたすら、ラカンのリアルについて講義しているものだ。とても濃い内容で、一度聞いて理解できるようなものではなかった。私はジジェク本人と話したことがあるが、すごい濃いキャラだ。鬼気迫った顔と、ハイテンションすぎるキャラは狂気じみている。(私はロバート・アルトマンにも同じものを感じた)一度、彼は肉しか食わないという話を聞いたことがあるが、それもそうかと思えてしまう。どうやってバランスを取っているのだろう、と心配になる。

映画の内容は、バーチャルな現実界がリアルを構成している状況が現在多く見受けられるという話を、映画からイラク戦争まで批判しているものだったのだが、面白かった。さすがジジェクというだけあって、話の飛躍と展開がすごい。

先週、バーチャルな現実界がリアルを構成している、という点で体感する出来事があった。NYではよく起こる話なのだが、語るにはタブー視されている問題なのだが、あえてちょっと書いてみたい。

週末にあるブルックリンのアンダーグラウンドなパーティに行ってきたのだが、巨大なアパートをパーティ・スペースに改造した家の雰囲気は抜群で、レイブのような格好で仮装している人たちも多く、とても賑やかな雰囲気だった。押すな押すなの混雑で、トラブルがいつ起こってもおかしくない状況だった。(しかも、そこではブラウニーを$5で販売しており、そこには小さな文字でYes, It is!と書いてあった。いわゆるポップ・ブラウニーである)

1階の部屋と2階を結ぶ階段では、あまりの混雑で人が動けないほとで、みんないらいらしていた。特に家に帰ろうと出口に向かう人たちは、なかなか出口にたどり着けず、いらついていた。

そんな中、一人の白人男性が、勢いよく出口に向かって歩いていった。私の隣を通っていったのだが、私の隣にいた黒人男性が、「お前、俺を今押しただろう!」といって口論を始めた。

白人男性はどちからというとイイやつ系のキャラで、悪意があって押したとは思えない。その彼は、「今、建物の前で男が死にかけている。俺はあいつを守らなくてはならない。そして俺はパーティのオーガナイザーだ。通してくれ」と言う。携帯で話ながら訴える彼のその表情は真剣だった。

しかし、黒人男性は彼の話を聞かない。「お前、今俺を押しただろう!」すごい剣幕だ。2人の顔と顔の距離は10センチほど。睨み合いだ。

「まあ、そう言わずに通してやってよ。彼は急いでいるんだし、押したかもしれないけれど、いいじゃないか。彼は今行かなくてはならないんだ」私は間に入って黒人男性を説得したのだが、なかなか黒人男性のほうは応じない。もう一度、ゆっくりと彼に話して、やっと聞いてもらえて、この白人男性は通してもらえた。しかし、なかなか危険な状況で、その緊張感ゆえか、周りの人間(ほとんど白人)は関わろうとしなかった。

この状況の中、普通の白人男性が黒人男性に向かって説得を試みるのは困難な場合がある。なぜなら、人種的構造が2対1になってしまい、黒人男性の反感を買う可能性があるからだ。しかし、ある意味ニュートラルな位置にいるアジア人が間に立てば、比較的波風は立たない。しかし、喧嘩に巻き込まれる可能性があるので、有る程度の所で引くしかないが。

しかし同時に、こういったパーティでの黒人男性の幅のきかせ方は、私は好きになれない。1対1の喧嘩になったら勝てるという自信があるからだろう、全然遠慮しないし、そしてそれを望んでいるとすら思える。押した押してないでそんな口論にならなくても良いではないか。この黒人男性は、おそらく押した男性が同じ黒人だったら、あそこまで強く出ないはずだ。彼が白人男性だったから、ああなったのだが、それに対して自己反省などあるはすがない。そしてそれが彼のアイデンティティのよりどころにすらなっている。

さらに、白人の男性の中で、黒人と喧嘩をしたらヤバイという潜在意識が強く働いているので、強く出ることはまずない。人数が集まれば違うと思うが、そうなったら状況はますます悪化する。

しかしここで私が思うのが、この2人がまず第一に、このイマジナリーな人種構造という構造に則って、状況を判断しており、それが現実世界を構成しているという事である。私にとっては、まず第一に人間同士の喧嘩、そして第二の状況として社会的な人種構造という問題が出てくるのだが、彼らはそういった構造的批判はおそらくない。もう白人男性と黒人男性の構図なのだ。黒人男性側は自分が黒人であるという事実を構造的に批判し、理解できていないし、白人男性側は、黒人男性に対して畏怖するばかりだ。

人種なんてイマジナリーなものなのだから、この理解そのものがヴァーチュアルな理解なのである。そのバーチャル、そしてイマジナリーな状況が、こういった社会的なリアリティを構成している。ジジェクは映画サウンド・オブ・ミュージックにおける社会的コンテクストにおいて(つまりオーストリア軍人とナチス・ドイツ、そして修道女)批判的に展開していたが、このヴァーチャルなリアル(それは社会的コンテクストを含む)はどこでも存在する。