Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

品川正治さんの講演会「戦争、人間、そして憲法九条」を読んで

2007-09-29 11:59:35 | Weblog
経済同友会終身幹事である品川正治さんの講演会「戦争、人間、そして憲法九条」の記事を読んで、心底共感した。品川さんこそ、私の考える9条論と最も考えの近い人だと思う。私はほぼ100%、彼の考えに同意する。

品川さんほど、憲法第九条の意味をちゃんと説明できている人は、そういないと思う。本当に優秀な人だ。その根底には、学生時代にカントをしっかり読んだということ、そしてアメリカの資本主義をちゃんと理解している、ということなどが挙げられる。

私も学生時代、日本とアメリカで経済学を学んでいたのだが、グローバル化というお題目の中でアメリカのやり易い様に世界の経済システムが引き込まれていくことに大変な危機感を覚えた。例えば日本での規制緩和に関する議論を見ても、まるで規制を緩和すれば経済が良くなる、という様な変な思い込みが強く、どうして日本の経済がこんなになってしまったのか、疑問に思ったものだ。また、日本にしてもアメリカにしても、外部不経済に対する考え方が弱く、どうしたらそれを克服できるのか悩んだものだが、品川さんは、それを全て踏まえているように思う。

品川さんの言った言葉の中で、私がもっとも同意するのは、以下の箇所だ。

「戦争は天災ではない、人間が起こすのだ、人間が止めることもできるのだ、なぜそれに気がつかなかったのか、と。」

私はブログでも何度も書いてきた様に、戦争はシステムの問題であり、戦争をしたら全員が損をするシステムを作れば戦争は起こらない、と考えている。広い意味での経済的パレーシアが起これば良いのだ。現在の世界、特にアメリカにおいては、軍産複合体を生んでしまった為、特定の利権団体が戦争を起こして武器を消費させなければならない、という戦争中毒の状態に陥ってしまった。しかし、日本は軍産複合体が存在しない、という世界的に珍しい発展モデルを生んできた。これは、これからも維持すべきであるし、それを「日本モデル」として世界に向かって示すべきだ。

以前、どこかでオノ・ヨーコさんが「平和がいちばん儲かる」と話していたのだが、まさに達観だ。どうして、こんな簡単なことを、みな理解できないのだろうかと思う。戦争をして損をするのは、一部の利権を握った人間以外の全員である。

よく9条の話をすると、「北朝鮮が攻めてきたらどうする?」という聞き方をされる。しかし、これは問いの立て方が間違っている。あまりにも貧しい問いだ。思考のレベルが停止している。その問いを持つものは、なぜ、自らがそういった問いを立てたのか、自問すべきだ。

それは、子供が「なぜ人を殺してはいけないの?」と聞いているのと同じである。これも、質問の立て方が間違っている。そう聞かれた親は、なぜ、子供がそういう疑問を持ったのか、自問してみる様に促すべきた。

品川さんが、そういう下らない質問を立てないで済んだ理由の一つに、講演中に見られる三好達治との出会いがあったと思う。私の好きな話で、三好達治が戦後、朝日新聞社の取材でヘリコプターに乗って、何か詩を書いてくれ、と頼まれた際、確か達治はこんな詩を書いていたと思う。「そろそろお腹もヘリコプター」(だったかな?)

私もお腹がヘリコプターなので、ご飯でも食べよう。

戦争のほんとうの恐さを知る財界人の直言
品川 正治
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9条がつくる脱アメリカ型国家―財界リーダーの提言
品川 正治
青灯社

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Ismael Ivoさんと山口小夜子さん

2007-09-28 09:16:30 | Weblog
今日はヴェニス・ビエンナーレ・ダンス部門のの総合ディレクターを務めるIsmael Ivoさんとミーティング。先日、マリーナ・アブラモビッチと一緒した際に、彼女が"He is the Best Young Curator"と言って紹介してくれたのだ。マリーナにはいつも好意的にして頂いていて、本当に嬉しい。

Ivoさんとお話しはじめてすぐ、「サヨコは元気か?」と聞かれた。あぁ、山口小夜子さんのことだ、どう答えようか、と少し悩んだ挙句、「先月、お亡くなりになりました」と伝えると、本当にビックリした様子で、「サヨコとは一緒にカルメンを踊ったのに・・・信じられない。彼女は、本当に素敵な人間だった」と言っていたのが印象的だった。イヴォさんと山口さんは89年にNHK音楽ファンタジー「カルメン」にて競演しており、国際エミー賞公演芸術部門優秀賞を受賞したそう。やっぱり山口さんは世界的なモデルだったのだな、と再認識させられた。

私も山口さんとは一度だけご一緒したことがある。私がたまたま日本に帰国していて、六本木のクラブ、スーパーデラックスにて開かれたドーグポットのイベントに行った時のこと。私はお腹がすいてカレーライスを頼んだのだが、カレーを食べようとする度にいろんな人に声を掛けられて、失礼があってはいけないと、その度に立ち上がってカレーを椅子の上に置き、名詞交換をしていた。そんな際、そのカレーが置いてある暗がりになった椅子の上に座りそうになっている女性がいて、「ああ、すいません、そこにはカレーがあるんです」と行ってその方が座りそうになっているのを制御したのだが、その方は「きみ、暗い所にカレー置いちゃ駄目よ。誰かが上に座っちゃうでしょ?」と言って、私が話し終わるまで、3分ほどカレーを持って待って下さっている方がいた。ああ、なんて親切な人だろう、と関心したのだが、あとで人に言われて、その方が山口小夜子さんだと気がついた。

そんなエピソードをイヴォさんと話しながら、ヨーロッパとアメリカにおけるアートのシステムの違いや、舞踏などについていろいろと意見交換をする。ブラジル人のイヴォさんはアメリカという拠点を去って、ベルリンをベースに過去10年間活動して来たのだが、ヨーロッパに渡って本当に良かったと言う。私もニューヨークでウンザリしてしまった際にはヨーロッパに夢見てしまうという癖があるので、彼の話は本当に参考になった。

ちなみにイヴォさんはロバート・メープルソープ最晩年のモデルであり、それをテーマにした舞台「メープルソープ」を行っている。彼のフォト・セッションは今までに経験したことのない、ある種トリップのような感覚だったと言う。80年代のニューヨークには、そういった空気があった、しかし今は・・・という話にどうしてもなってしまうのが印象的だった。

I love you=「わたし、死んでもいいわ」=「月が綺麗ですね」

2007-09-26 23:27:06 | Weblog
森達也さんは、かつて鈴木邦男さんとの対談の中で、「主語が複数になると述語は暴走する」と言っていたらしい。とても的を得た指摘だと思う。

現在の「日本」は、みな自分の意見を第三者的な立ち位置に一旦置いて、物事を批判する、という形を取る場合が多いと思う。ネット右翼などが良い例だと思うが、多くの人が一斉に第三者的立ち位置、すなわち「みんなこう思っている」「世論調査の結果はこうである」という安全圏と一体化しながら、物事を批判する。朝青龍批判しかり、イラクで人質となった3人に対する自己責任論しかり。お笑いを見ながら、隣の人の顔を伺いながらみんなで一斉に「引く」、とか、もう新興宗教のようなメタレベルでコミュニケーションが進行している様な状態があるのではないか。お笑いを見ていたら、自分が面白いと思う所で笑えば良いのに、なぜ、みんなで一斉に引く必用があるのだろう。。。そして、いつからこういう現象が始まったのだろう。

主語と述語の問題は、歴史と深く結びついている。西田幾多郎は日本における「主体」という考え方がいつから発生しただろうかと考え、「日本語」という言語における主体と客体、すなわち主語(Subject=臣下)と述語(Object)の確立の歴史から、日本における近代的自我の芽生えを研究したが、これは西田によるデカルト研究の賜物と言えるだろう。近代的自我の確立は、コギトという、考える自己に対する疑うことの不可能性、という、ローマ・カトリシズムの三位一体というフィクションの上に、さらなる捏造(神に仕える人間=臣下Object=主体)として生み出されたものといえる。近代の最大の矛盾の一つが、この自己確定の疑いのなさ、にあると思う。

このフィクションのフィクション、という事態が近代の素地となっている訳だが、そのフィクションのフィクションをフィクションとして取り入れることに失敗してしまったのが、現在の日本であり、それが「主語が複数になると述語は暴走する」という事態を生み出している様な気がしてならない。主語の確立の為には、フィクションとしてでも、神の存在が必要であった。しかし、その神そのものが不必用になった実存以降において、それがどういう意味を持つのであろう。

しかし、主体が成立しにくい、という点には、私は美徳も多いと考える。なぜなら、自己を確定する、というのはそんな簡単なことではないからだ。明治期の先人文学者たちは、恋愛における主体・客体の考え方、そして表現の仕方に苦悩した。当時の日本人は、欧米人の様にストレートな言語表現をしなかったからである。

二葉亭四迷は、トゥルゲーネフの小説「アーシャ」に出てくる女性がI love youと言われ、I love youと返答する際の言葉を、「愛している」ではなく、さんざん悩んだあげく、「わたし、死んでもいいわ」という言葉に訳したそうだ。つまり、この中の「死んでもいいわ」という言葉の中には、聞き手に対するかけがえのなさ(=愛)、そして言語表現の中に「いいわ」という女性的言い回しを残している。(I love youではそれはできない)

夏目漱石先生が英語教師をしてた時、生徒がI love youという英語を「あなたを愛しています」と訳した所、漱石は、「日本人が『愛しています』だなんて言うものか。『月が綺麗ですね』とでも訳しておけ。 それで日本人は分かるものだ」 と言ったそうだ。

主体と客体の問題が曖昧となったまま、述語だけが暴走する現代の日本。現代の日本人は、I love youに一体どんな訳を考えつくのだろう。

ベアテ・シロタ・ゴードンさん 横浜にて10月12日に講演会

2007-09-26 00:21:41 | Weblog
以前9条に関するニューヨークでのパネル・ディスカッションに参加して頂いた、私の大好きなベアテ・シロタ・ゴードンさんが来日し、憲法第24条に関するレクチャーを行う予定です。またとない機会ですので、ぜひご参加下さい。ベ・ア・テ、L・O・V・E!

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九条科学者の会かながわ
ベアテ・シロタ講演会in YOKOHAMA

日時:10月12日(金)18時30分~21時
会場:横浜市西公会堂(横浜駅西口徒歩10分、相鉄線平沼橋駅徒歩8分)
講師:ベアテ・シロタ・ゴードン(元GHQ民政局員、ニューヨーク在住)
演題:男女平等と憲法24条~日本国憲法制定の頃、そして60年後のいま~
参加費:1000円(前売券のみ、当日券はありません)
主催:ベアテさんをお招きする横浜実行委員会
申込先:旭区九条の会 池田靖子(電話045-361-9255)、小野かほる(電話045-953-1040)

へらでお好み焼きを食べることは果たしてアートか?

2007-09-22 07:30:17 | Weblog
広島にて地元の美大生とお好み焼きを食べに行った時のこと。

広島では、関西と違い、お好み焼きを箸ではなく、へらで食べるのが通だそう。え~、本当に?と思って回りを見てみると、確かに皆、へらから直接、器用にお好み焼きを食べているのだが、私にはなかなか真似できない。この食事用のへらは比較的小型で、確かにお好み焼きを食べる様のサイズとして適している様だ。お好み焼きを鉄板から直接、あつあつのまま食べる為の工夫だろうか。

「これって、アートですよね」と地元の美大生に聞かれた際、「いや、これはアートではない」と私は答えた。その後、その学生さんからメールを頂き、なぜそれがアートではないのか、もう一度私の答えを聞きたい、というリクエストを頂いたので、ここにその理由を書いてみたい。

そもそも、アートとは、アートのためだけにに捧げられた、「美」そのものや、意味の亀裂、コンテクストによる意味の変容といった、アートとしての価値以外には全く意味を持たないものである。例えば、草間弥生の「かぼちゃ」の彫刻やギューちゃんのボクシング・ペインティング、ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」さえも、美術作品として以外、全く意味を持たない。

例えば、へらで食べるお好み焼き、という状況に比較的近いパフォーマンス・アートを例にとって考えてみよう。

リクリット・ティラバーニャがギャラリーにてパッタイを振舞うというパフォーマンスを行い大変な話題になったが、ここにおけるティラバーニャの行為は、ギャラリーという通常美術作品を扱うスペースにおいて、あえてパッタイ、という彼のルーツの一つである(彼はタイの外交官の親の元、ブエノスアイレスにて生まれた)タイの民族料理をふるまう、という意味の亀裂を扱っている。すなわち、ギャラリーにおいてアーティストが振舞うパッタイは果たして芸術だろうか、というコンテクストによる意味の変容や意味の亀裂というデュシャン的な問い、さらにはグローバル化した世界における多様な価値観、という問題などを、ティラバーニャは見事に現代美術の領域でやってのけたのである。

一方、広島にてお好み焼きをへらを使って食べることは、アートではなく、生活慣習である。それはアート的、美的、芸術的であっても、アートではない。それは、中村俊介のフリーキックが芸術的であっても、それが芸術作品とならないのと一緒である。(しかし、ダグラス・ゴードンの様にジダンの芸術的プレイをテーマとして芸術作品を制作することは可能だし、赤瀬川源平の「トマソン」の様に、意味不明な建造物を「超芸術トマソン」、と呼ぶことも可能だ)

仮に言うとしたら、へらを使ってお好み焼きを食べるのは、アートではなく、無理やり美術のコンテクストに落とし込むとしたら、それは「工芸」や「民芸」の領域に入ってくると言う言い方もできるかもしれない。

いかにあつあつのお好み焼きを鉄板から食べるのか、という問いに対する現実的な答えが、へらから直接食べるという方法であり、これは慣習である。確かにへらを使って器用にお好み焼きを器用に食べる姿を見ていると、これはアートかと錯覚してしまうが、これは慣習であり、アートっぽい行為であったとしても、アートではない。

話は変わるが、イサム・ノグチがベニス・ビエンナーレにあえて工芸品に近い「Akari」シリーズを出品して、当時確実と言われた受賞をあえて逃してしまったのは、彼はこの芸術の持つコンテクストそのものを破壊してしまう、という冒険があったからの様に思えて仕方がない。そこには日本が未だに抱える輸入言語としての美術、芸術という問題が徘徊している様に思える。

30年戦争とネーションによる敵対概念

2007-09-21 07:35:43 | Weblog
日本滞在中、NHK出版の編集者である大場旦さんから頂いたネグリとハートの「マルチチュード」(上)を読んでいる。

この本の冒頭部分にて、ネグリは現在の状況がヨーロッパ近代の最初期と似ている、ということから、現在起こっている戦争を30年戦争の発生から語っているのだが、ネグリのその立ち居地に、私は激しく同意した。私も30年戦争の重要性についてはユーゴに関する論文や講演など、いろんな所で述べてきたが、皆さんの同意を得ることが一度としてなかったように思う。私と同じことを言っている人にこんな場所で会えたとのは、とても嬉しい。いや、もしかしたらこれはキリスト教徒でヨーロッパ近代という現代思想を通過した人の常識なのかもしれないが、キリスト教圏以外では共有できない、というだけのことかもしれない。特に日本語圏においては、そもそもカトリックとプロテスタントの違いを意識する機会がない、というのが現状だろう。

しかし、私がこの下りを読み進めて行く上でふと疑問に思ったのは、カトリックとプロテスタントという一神教における宗教対立そのものが成立しなかったアジアにおいては、ネーションによる、もっと言ってしまえば国民国家的な敵対概念の明確化は果たして必用だったのだろうか、ということである。

30年戦争においては、ローマ・カトリックの国でありながら、ハプスブルグ家の権力の拡大に反旗を翻したフランスがプロテスタント側についた、というフランスの立ち居地が敵対概念を曖昧化させ、それが戦争を長期化させることになった。だから、ヨーロッパではナポレオン戦争以降、30年戦争の教訓から、ネーションという敵対概念を確立することにより、内乱、そして戦争そのものが起こりにくいシステムを作ろうと試み、国民が国家を構成する、という国民国家システムが生まれた。

これはいわゆる政教分離であり、英語でこれをSeparation of Church and Stateと言うが、これはナポレオン戦争直後のトマス・ジェファソンによって、バプティストの考え方としてフランスからアメリカにもたらされた歴史がある。つまり、数多くの宗教が混在するアメリカにおいて、ジェファソンは布石を打ったのである。(だからこそ、そこにおける”サリー”というアメリカにおける黒人奴隷のハーフの女性が、ジェファソンの留学先であるフランスにおいて人間となり、ジェファソンの愛人となる、という歴史の特異点を描いたスティーブ・エリクソンの小説「Xのアーチ」に面白味があるのだ)

この近代における敵対概念は、ネーションの外部、すなわち外国人である。しかし、ここで国民の定義を法律的なものに依拠させようとしたフランスと、国民を言語的一体感と高揚感に求めようとしたドイツとで差異が生まれることとなった。ハバーマスの言う憲法愛国主義とは、ドイツのネーション定義を言語に求めてしまったことに対する失敗であり、そして、どうしてドイツがネーション定義に失敗してしまったかと言うと、カトリック地域であるババリアをビスマルクが併合してしまったこと、そして、オーストリアとスイスというドイツ語地域を他に持ってしまったこと、そしてそのドイツ語アイデンティティの根幹が、ルターによる聖書の高地ドイツ語約にある、ということになる。

これをそっくりアジアに置き換えてみて、宗教的対立が敵対概念そのものを曖昧にしてしまったことは、果たしてあるのだろうか?あえて挙げてみても、島原の乱くらいしか私には思い浮かばない。なぜ、宗教上の理由、特にキリスト教における主体性の理由が原因で戦争になるのか、私には究極的な意味において分からない。

9条は、国家の交戦権そのものを認めていない。この条項が生まれたのは、国民国家システムが世界大戦を招いてしまったことの反省からだと思うのだが、ネーションそのものが戦争を防ぐためのシステムだったのだから、そのネーションそのものを上回る戦争抑止のシステムを作る必要がある。この辺りは、徹底的に論理的に考え抜いて行きたい所だ。

NYへ帰ってきました

2007-09-20 06:19:18 | Weblog
ようやく、NYに帰ってきました。ブログの更新が滞っているので皆様には心配をかけているかもしれませんが、無事ですので、ご心配なく。

今回、日本に長いこと滞在した上で感じたのは、日本におけるアートのインフラが思った以上に整備されていない、という点である。以前も同じことを感じた記憶があるが、今回は、かなり強い印象を受けた。

アメリカでは美術団体が501cなどの非営利ステータスを得ることにより、税金上の控除や無料郵送の権利などを得ることができ、また美術団体のボードメンバーになることは、大変な栄誉とされている。しかし、日本にはそういったシステムそのものが確立されておらず、また美術教育そのものも整備されていない、という印象を受けた。

私はいつも強がって「美術は学校で勉強するものではない」みたいなことを言ってしまうが、基礎は勿論必要だ。しかし、この基礎がかなり弱い印象を受けた。

今回の日本滞在に関しては反省点や気づいた点など多くのことがあるが、それは追って時間がある時にでも考察して行きたい。

広島・京都・名古屋・静岡

2007-09-10 22:42:01 | Weblog
日本での滞在中、忙しすぎてブログの更新が滞ってしまい、読者の皆様には申し訳なく思っている。ごめんなさい。また同時に、協力者に対するプライバシーの問題も守りたく思い、9条という敏感な問題を扱うことに対して、私自身、慎重になっている、ということがある。

東京での仕事をしばらくこなし、そして数多くのミーティングをこなした後、広島、京都、名古屋と回ってきた。

広島では、実行委員会に参加して下さっている加治屋さんのお宅に滞在しながら、展示への参加アーティストである柳幸典さん、そして柳さんが所属する広島市立大学の教授陣や学生たち、そして現代美術館のキュレーター達と会ってくる。

柳さんとは展示作品、カタログテキストその他について詰めて話した後、芸術と社会の関係性などについて語る。その後、その勢いをそのままに、学生たちやキュレーター達と飲み会へと発展したのだが、飲み会が大変な盛り上がりを見せ、三次会まで行って、明け方近くまで飲み、話し込む。

学生や教授陣と話している際、自然と「広島論」といった感じの話になって行ったのだが、世界における広島の立ち居地を、広島の学生たちがどうしても上手く理解できていないのではないか、という印象を受けた。また、私が得意としているレネとデュラスのヒロシマ・モナムールについて話したのだが、学生、そして大学の助手の方などがその映画の存在そのものを知らない、ということを知って、少し驚いた。もしかしたら、今の広島には外部の人間で、広島を語る人が少しで良いから必用なのかもしれない。当事者性の問題は扱うのが困難だが、そういった理由のみで回避していては、何も変わらない。

広島は「折鶴問題」という、世界中の団体から寄せられた数百万、数千万と言われる折鶴をどう処理するか、という不思議な都市型の問題を抱えているが、柳さんはこれをドイツ人のアーティスト、また学生に考えてもらおう、というプロジェクトを行っている。これはドイツ人が「折鶴」という未知のものを通じて、貞子、そして広島を学ぶと同時に、自然と広島の抱える都市的問題、歴史的問題を認識する、というプロジェクトとなる。ドイツという日本と似て非なる戦争問題の当事者性を抱えたもの同士をコミュニケーションする、という手段は、私は素晴らしい考えだと思う。ぜひ成功してもらいたい。

京都では、つかの間の休息を取り、京都五山の一つである建仁寺を訪れる。ニューヨークで生活していると、寺に行きたくなるものなのだ。

○△□の庭では、庭の構図が○△□の構造によって出来上がっており、ゼンガク和尚が江戸期に書いた○△□の掛け軸とリンクする形で作られている。こういった○△□の考え方が、禅宗の中から出てきた、ということに興味を引かれる。ミニマル・アートなんて全く西洋のコンテクストで生まれただけで評価されており、それこそ東洋文化の記号的な焼き直しではないか、そんな風にすら思ってしまう。

京都滞在中、大阪で滞在・制作を行っている森村泰昌さんにお会いして、作品、そして芸術論について語る。4時間半、熱い話になった。森村さんがいかに真剣に美術の、そして日本の問題を考えているのか、よく理解できた。

森村さんは、「日本」という文化を東京がリプリゼントしている訳ではない、ということを大阪在住のアーティストとして主張しておきたい、ということを言っておられたが、私はその気持ちがよく分かる。私は海外在住という身で東京を見たとき、それがいかに一極的で、病んでおり、そして都市機能として麻痺してしまったこの東京という街が、あたかも日本をリプリゼントしているかの様になっているのは、おかしいと思う。

森村さんのスタジオがある、大阪は鶴橋の路地を歩いている際、その辺のオッサンが私の肩に普通にガツン、とぶつかってきて、ごめんすら言わなかったけれど、それさえも日常の中の空気として簡単に解けてしまうこの場所において、森村さんの言葉が意味を持って私に響いてきた。

森村さんは、芸術は、ある一つのコアを、そこにピンポイントで届いてくる、ということを言われており、そこから二人でゴッホ論になり、大変な盛り上がりを見せたのだが、今、「ゴッホが凄い」、というある種時代錯誤と思われてしまうようなことを、自身を持ってお互い話せた、ということが嬉しかった。

その後、名古屋にて実行委員会に参加されている方と昼食を済ませ、静岡の実家に帰って来る。実家では少しはのんびりしたいのだが、そうも行かない。全力で行くしかないのだ!

PS:広島にて、私は久しぶりに広島の平和公園を歩いたのだが、私が頻繁に夢に見る迷路のような公園のイメージが、この平和公園のイメージから来ていることが分かった。そして、この公園が、何かしら胎内体験のような感覚を持って迫ってきたのが、どうしてか分からず、混乱している。
それと、最近歯が抜ける夢をよく見る。歯が抜ける、ということの象徴的な意味は何だろうか?ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えて下さい。

東京近辺でのミーティングの日々

2007-09-04 18:20:55 | Weblog
前回の実行委員会のミーティングが終了してからと言うもの、毎日美術関係者の方やアートラバーの方、メディアの方、平和運動に興味のある方など、多くの人達に会って私の展示に関するプレゼンテーションを続けている。なかなか根気のいる作業だが、根性と行動力だけが私の長所だと思っているので、それだけは負けない、というつもりで頑張っている。

しかし、展示会場を探す件に関しては、なかなか難航している。今回の企画は営利ギャラリーでの開催にはあまり向かないので、非営利のギャラリーやミュージアムなどに話を持っていっているのだが、もう何箇所かの非営利のギャラリーにて断られてしまった。理由は、「政治的すぎる」というものである。本当に、私は聞き飽きている言葉だが、仕方がない。どんなに美術作品のクオリティ、そしてコンテクストがしっかりしていても、そう受け取められてしまうのである。

憲法とはそもそも権利の章典であり、国民の権利と義務を記したものである。それをテーマとして語ることは、国民の権利の根本であり、それこそ民主主義の原則に則っているつもりなのだが、そんな話をしても埒が明かない。では、どうしたら開催可能になるでしょうか、と聞くと、どこも「9条という言葉を外せ」という答えが返ってくる。これでは、話にならない。

しかし、非営利のギャラリーがこういう態度に出てしまっては、彼らが非営利でやっている意味がないのでは、と思ってしまう。しかし、それを指摘しても喧嘩になり、インディペンデントで活動しておる私の立場が弱くなるだけなので、そこはグっと堪える。

そんな日々の中、高田馬場に住んでいる姉の住むアパートに居候しながら、デスクワークをしていると、こんな出来事があった。

夕方、隣の部屋に住んでいるアパートの大家さんの部屋から、「渡辺さ~ん」という弱弱しい声が聞こえてきた。どうしたのだろう、と思いドアを開けてみると、60歳半ばの大家さんが玄関で倒れており、「すいません、水とパンを買ってきてくれませんか?」と訪ねられた。「一体、どうしたんですか?」と訪ねると、膝を痛めてしまい、ここ3日階段を下りることができず、3日間何も食べていないと言う。びっくりした私が一緒に病院に行こう、と提案すると、あと1日横になっていれば直る、と言い、全く聞かない。仕方がないので、食料と飲み物を買ってきて、大家さんの部屋に行き、食料を補充したのだが、心配でならない。

その後、大家さんが経営している1階にあるカレー屋さんの常連さんが、心配して覗いてきて、食料を持ってきたり、一緒に病院に行こう、と声をかけてくれているのだが、大家さんはなかなかの頑固もので、なかなか聞かない。しかし、ここ高田馬場という比較的東京の中ではコミュニティ意識が強い街だからこそ、彼も大事には至らなかった訳だが、もしもあの時、私がそばに居なかったら、そしてご近所さんがいなかったら、彼はどうなっていたのだろう、と恐ろしくなった。

豊かさの中に隠れた都市生活の孤独さ、そしてコミュニティ意識の重要さを、身をもって体験した、不思議な日々だった。