Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

9月29日(水)のつぶやき

2010-09-30 02:06:44 | Weblog
00:02 from web
確かに純粋にビジュアル・アート一本でやっている方に比べると文学的かもしれません。昔は随分「君は政治的だ」と言われて複雑な気分でした(笑)@art_composition
03:08 from web
アイスランド人のルーツは、今までデンマーク人だと言われていたのですが、実は奴隷化されたケルト人たちです。そして、ケルトの神、つまりドルイドの神は、リグ・ヴェーダの神と語源的には同じです@art_composition
03:10 from web
ヨーロッパでは大陸合理論に対してイギリス経験論が生まれてきますが、この成り立ちとアジアにおける日本の立ち位置が似ていると考えています。アニミズムを、上手くスピノザの汎神論に接続できたら面白いと思います。@art_composition
10:26 from web
連続ツイート(面白い1)久しぶりの快晴。目の前に明るい光が広がっているだけで、うきうきしてくる。ベッドの中に差し込んでいる光を感じると、病床のゲーテが放った「もっと光を!(Mehr Licht!)」という言葉がとても近く感じられる。
10:27 from web
(面白い2)先日、太陽に関する連続ツイートをしたが、「この夕日、面白い(interesting)じゃない」とは言わない、と書いたのはアメリカの批評家スーザン・ソンタグ女史であった。また哲学者ヘーゲルは、芸術の美は天然の美よりも優れていて、より高次なものである、と考えていた。
10:31 from web
(面白い3)つまり人間が作った精神の産物である芸術は高次なものであり、自然がbeautifulだとしたら、芸術はinterestingである。しかし、自然の中に美を感受するのもまた人間の精神であり、オスカー・ワイルドは、芸術は自然をいかに享受するかを訓練してくれる、と述べている。
10:33 from web
(面白い3)さて、そこで日本はどうだろうか、と考えると、これがまた、まさに面白い(interesting)のである。なぜなら、面白い、という言葉自身が、日の光が当たって面が白くなる、という意味だからだ。
10:34 from web
(面白い5)アメノウズメノミコトが天の岩戸の前で裸踊りをした際、中からアマテラスを引き出すことに成功した。この時、天が晴れて光が差し込み、神々の面(おも)が白くなった。そこで愉快になった神々が手を伸ばして踊りながら、「あはれ、あなおもろし、あなたのし」とはやし立てた。
10:37 from web
(面白い6)「あはれ=天晴れ(あっぱれ)」「おもしろ=面白」「たのし(手伸し)」、つまり太陽の光は、多くの喜びを表象する意味を数多く持っているのである。きっと古代の日本人たちは、自然の中に美を享受する、豊かな人間精神を持っていたのだろう。
10:38 from web
(面白い7)さて皆さん、こんな良い天気の日は、ゲーテやワイルドなどの「高次」なヨーロッパ芸術の理解を通じて、太陽の下、皆で手を伸ばして自然を享受してみませんか?
10:39 from web
以上、(面白い)に関する連続ツイートでした
12:23 from web
今から埼玉行ってきま~す。
23:44 from mobile web (Re: @art_composition
ちょっと行ったことがないので分からないですが、興味深いですね。@art_composition
23:46 from mobile web (Re: @art_composition
それが日本の強みでもあり、弱点でもあると考えています。@art_composition
23:47 from mobile web (Re: @art_composition
非常に重要な問題なので、じっくり考えてみます。@art_composition
23:49 from mobile web
フランクフルト、駄目だった。overqualifiedと言われてしまった。
by curatorshinya on Twitter

9月28日(火)のつぶやき

2010-09-29 02:07:29 | Weblog
10:14 from web
連続ツイート
(祖父とTV 1)
「真也、真也!」
一階の祖父の部屋から、私を呼ぶ大きな声が聞こえる。まだ少年であった私は、その声が聞こえると、二階の私の部屋から、祖父の部屋に駆け下りて行く。部屋に行くと、興奮気味の祖父が、TVを凝視している。
10:17 from web
(祖父とTV 2)
「ほら、鯨だよ」
祖父は言う。しかし、二階から走って降りていった私の目には、さっきまで祖父の目に映っていたであろう鯨の姿を捉えることができない。今一歩遅かったのだ。
「もう一回映るかもしれないから、もうちょっと見ていろ」
10:18 from web
(祖父とTV 3)
そう言われてTVを見続けていたが、それを何度も繰り返すまで、なかなか鯨の姿をTV上に捉えることはできなかった。
祖父には、単純に孫と一緒にTVを見たかった、ということ以上に、私にどうしても鯨を見てもらう必要があったのである。
10:21 from web
(祖父とTV 4)私の祖父は静岡県沼津市の漁師であり、漁船を持っていた。私はまだ幼稚園の頃から漁船に乗り込み、祖父と一緒に釣りをしていた。まだちびっこであったにも関わらず、ソーダカツオ、タコやイカ、イサキなど、それなりに沢山の魚を釣り上げていた記憶がある。
10:23 from web
(祖父とTV 5)「ほら真也、見ろ、鯨だ」
祖父にそう言われ、船上の私は、一生懸命鯨の陰を追った。しかし、ベテラン漁師である祖父には見えても、私には鯨の陰を捉えることができない。(一度だけ、とてつもなく大きな魚影を見たことがあるが、あれが鯨であったのかどうかはよく分からない。)
10:26 from web
(祖父とTV 6)「まったく、しょうがないなぁ」せっかくの驚きや興奮が感動できなかったことを残念がりながら、祖父は釣りの作業に戻った。私も、必死に鯨を見たいと思ったにも関わらず、それが叶わなかったことが残念だった。
10:31 from web
(祖父とTV 7)祖父にとって、テレビは孫である私とコミュニケーションを取る重要な手段であったのだ。私が見た鯨を孫に見てもらいたい、という切実な思いをかなえてくれる、魔法の様なデバイスであり、あの頃のTVには、そういった驚きや感動を伝える力が、あったと思う。
10:36 from web
(祖父とTV 8)しかし、映像メディアが反乱し、視聴率の競争などが起こる過程の中で、これらの感動を伝える割合や、メディア情報を受ける側の感受性が低下していった様に思う。実際に見たものを再度伝える、という記憶のアーカイブ的なTVの役割は、圧倒的に低下したと言わざるを得ない。
10:37 from web
以上、連続ツイート(祖父とTV)でした。
10:37 from web
はぁ、連続ツイートは難しいな。140文字で長文の文章作って行くって、良いトレーニングになるかもしれない。
19:10 from web
隠れキリシタンが書いた「天地始之事」では、アダムとイブは「あだん」と「ゑわ」と書かれている。青森にある「キリストの墓」と呼ばれるミステリースポットの近くでは、父のことを「あだ」、母のことを「えば」と呼ぶと聞いたことがあるが、この町は隠れキリシタンの町だったのではないだろうか?
19:16 from web
Human nature is against nature.
by curatorshinya on Twitter

9月27日(月)のつぶやき

2010-09-28 02:06:34 | Weblog
10:45 from web
連続ツイート(太陽)
大学院2年生の年にサラエボに行った時のこと。サラエボにある美大の教授から、今度地元の美術館で日本美術に関する展示があり、デザイン科の学生に展示ポスターを作らせている、せっかくの機会なので、そのポスターの批評を行ってくれ、と頼まれた。
10:48 from web
(太陽2)20人ほどの学生と対面し、日本展ポスターの批評会がはじまった。学生の多くがそこでモチーフにしていたのが、着物とお箸、そして「日の丸」であった。しかし、私にとって、彼らのイメージが「日本」というネーションを表象するものとして、どこか違和感として残った。
10:49 from web
(太陽3)着物はさほど違和感は無かったのだが、お箸のデザインはどうもおかしい。お箸がお米と一緒に並んでいるデザインが何点かあったのだが、サラエボには白米を食べる文化が無い為か、たきたてのご飯ではなく、調理されていない米粒が箸と一緒に配置されていることに違和感を感じた。
10:50 from web
もっと違和感を感じたのは、日の丸をテーマとしたデザイン群であった。ある学生は、目玉焼きの黄身の部分をオレンジ色に変更し、「日本国旗をイメージした」と述べた。私には、ただの目玉焼きにしか見えなかったのだが、サラエボの学生の意見は、「日の丸に見える」ということで一致していた。
10:51 from web
私は、この目玉焼き(sunny side up)は、日本語では目玉を意味する、目玉焼きでは日本人にとって日本国旗である日の丸には見えない、日本では、日の丸をイメージした食べ物として、plum picklesを白いご飯に入れた日の丸弁当というものがある、と述べた。
10:53 from web
(太陽6)するとサラエボの学生たちは、目玉焼きのデザインをした学生を弁護し、私は日の丸と太陽について説明をする、という体験をした。やりとりを通じて理解できたのは、この学生たちは太陽をそもそも黄色いものだと捉えており、何故日本人が太陽を赤色で捉えたのか分からない、ということだった。
10:54 from web
(太陽7)同時に、サラエボの学生たちから、日の丸が卓越したデザインであることを随分聞かされた。その時私は、ああ、日の丸は優れたデザインなのだ、と初めて理解できた。
10:57 from web
(太陽8)目玉焼きは英語でsunny side up(太陽上向き)、と言うくらいだから、少なくとも英語圏にて、目玉焼きは「太陽」なのである。この学生は、目玉焼きは太陽だから、その黄色を赤色に近付けていけば日の丸になると思ったが、赤色に近付けたら美味しそうに見えなかった、と述べた。
10:58 from web
(太陽9)日本神話では、イザナギが黄泉のケガレを洗い落した際、左目からアマテラス(太陽)、右目からツクヨミ(月)、鼻からにスサノオ(海)が生まれている。つまり、日本神話において、太陽はもともと「目玉」でもあったのだ。
10:59 from web
(太陽10)太陽を赤い丸で描く文化は、日本とインドネシアのみ、という説がある。ユーラシアの東部に位置する日本やインドネシアは、太陽が東の海から上がって来た時、「赤い」と認識したのだろうか。私はサラエボの学生から、異なる文化における太陽の認識とその表象について、教えられた。
10:59 from web
以上、(太陽)に関する連続ツイートでした。
13:05 from web
現在ドイツから日本に滞在中のアーティスト、Daniel & Geo Fuchsに会ってきます。初来日しているアーティストに東京案内するのは、簡単な様で難しかったりする。楽しんで来よう!
23:21 from web
ドイツのお客さんを案内するのは、思考が似通っているせいか、基本的にとっても楽しいです。私はやはり、ドイツ人と一緒に仕事をするのが向いているんだろうな、とつくづく感じます。@art_composition
23:24 from web
NY在住中、改憲を公言している阿部政権が誕生したのを見て、ああ、9条もなくなってしまうのかな、でも、せっかくNYにいるのだから、その前にアメリカ人が書いたものをアメリカ人に知ってもらえないかな、私に何ができるのかな、と考えていました。@art_composition
23:26 from web
丁度その頃、照屋勇賢さんのスタジオに遊びに行った時に、壁に日の丸がかかっていて、「勇賢さん、何で日の丸を壁にかけているんですか?!」と伺った所、彼は「ようく見てごらん、さかさまだよ」と言うなり、混乱する私を尻目に、日の丸を凝視し始めました。
23:27 from web
その時に私は、この作家は真剣だ、そしてこの作品が単なるジョークの作品ではなく、歴史的コンテクストに裏付けられた作品であることを裏付ける為には何が必要だろう、と考えた時、私の中に「9条」と「戦後」というキーワードが際立ってきた、という次第です。
by curatorshinya on Twitter

9月26日(日)のつぶやき

2010-09-27 02:06:39 | Weblog
09:50 from web
連続ツイート (船長)
菅首相は、尖閣諸島沖で拿捕した中国漁船の船長を那覇地検が釈放したことについて「検察当局が事件の性質などを総合的に考慮し、国内法に基づいて粛々と判断した結果だ」と述べ、あくまでも地検独自の判断であると強調した。
09:53 from web
(船長2)一国の首相が、この大きな問題の責任を、地検になすりつけてしまったのである。これは大変な問題だ。私はこの事件に、責任の不在、という「日本病」がかんじられる。思い起こせば、阪神・淡路大震災の時には、こんな事件があった。
09:54 from web
(船長3)震災直後、家屋の下敷きになってしまった住民を救う為、救助犬を連れた救援隊がスイスからやって来た時のこと。日本の入国管理局は救助犬の動物検疫が必要として、無検査の入国を認めなかった。その結果、救えたはずの命が救えなくなった可能性がある。
09:56 from web
(船長4)もしも合理的な判断、言いかえれば政治主導のトップダウンができるのであれば、この問題が発生した直後、国境管理をする官僚トップの独断、もしくは内閣府の担当大臣と相談の上、迅速に判断し、狂犬病の危機よりも人命救助を優先させ、救助犬を無検査で通すべきだった。
09:57 from web
(船長5)しかし、無許可で通さなかった入国管理局が世論に批判されたとしても、入国管理局、つまり組織は「ルールに従ったのだから、まあ、仕方ない」ということで、組織を守り、責任主体を曖昧にする。
10:03 from web
(船長6)仮に、リーダーが合理的判断を独断した場合、ルールを守らなかったとして、組織の中からはじかれてしまう。すると、リーダーは個人の合理的判断よりも、組織の非合理的判断に従うことで守られる方を選択してしまう、それが日本が慢性的に抱える「日本病」である。
10:04 from web
(船長7)ある新聞社は、蓮舫行政刷新担当相は「(尖閣諸島は)領土問題であり、日本は毅然とした立場を冷静に発信するべきだ」と述べ、「解決すべき領有権の問題は存在しない」とする日本の政府見解と矛盾する発言を行ったことを強く非難していた。
10:05 from web
(船長8)しかし実際、領土に関する問題が起こっている際に、領土問題は存在しない、と公式見解を唱え、蓮舫氏を批判してふんぞり返っているだけでは、問題が解決しないのは明らかである。そう、皆が組織の論理で責任逃れをする、という日本病にかかってしまっているのである。
10:07 from web
(船長9)今回の最大の問題は、中国人船長を釈放したこと自体ではない。釈放の決定に関して、菅首相、仙谷官房長官、前原外相が、自らのリーダーとしての責任を放棄し、検察になすりつけてしまったことである。
10:08 from web
(船長10)那覇地検がこれほど高度な政治的判断をすることはありえない。おそらく地検を徹底的にまもる口約束を内閣側と結んだ上で、対外的にあいまいな政策を取ったのではないか、と思われる。しかし、これではあまりにも稚拙ではないか。
10:09 from web
(船長11)カントは国境紛争を「子供の喧嘩」と呼んでいた。ちゃんとした大人は、ここぞという時には、自ら決定し、責任を取るのだと思う。それができない日本はまだ、それこそマッカーサーの言う通り「12歳の少年」のままなのかもしれない。
10:09 from web
(船長)に関する連続ツイートでした
16:46 from mobile web
千葉市美術館にて田中一村の展示最終日に駆け込んで来る。それにしても素晴らしい作品群だった。彼は、自然が持つ独自の次元を、上手くビジュアルに落とし込むことができた稀な作家だと思う。
16:49 from mobile web
美術館に行くまでローカルのバスに乗ったのだけれど、混雑したバスの中でのverbal communicationが心地良かった。御年配の女性たちの言葉使いや、天真爛漫とした空気が、都心のそれと違ったのが印象的だった。
by curatorshinya on Twitter

9月25日(土)のつぶやき

2010-09-26 02:06:01 | Weblog
12:44 from web
私は迷い込んでしまったのだろうか?
14:25 from web
日本に帰って来てから、「死者」との分裂をとても強く感じる。夜、マラソンのついでに隅田川のほとりから水面を眺めていると、「向こう側」からのメッセージがうごめいている印象を受ける。日本近代における死者との分裂が、社会の端々で悪い方向に出ている。
19:04 from mobile web (Re: @kenichiromogi
茂木さん、tweetありがとう。とにかく全力で頑張ります!@kenichiromogi
20:43 from web
Gallery Art Compositionにて興梠優護さんの個展「火/花」を見て来た。作品に、ロベルト・マッタ的なものを感じた。久しぶりに自分と同世代の画家で、自身のテーマを絵画表現に昇華させている作家に出会った気がする。http://bit.ly/byPrc7
20:47 from web
明日26日(日)午後7時から、坂口恭平さんと茂木健一郎さんのトークイベントがあります。会場は渋谷のディクショナリー倶楽部。皆さま、ぜひご来場下さい。http://bit.ly/cNuRUT
by curatorshinya on Twitter

9月24日(金)のつぶやき

2010-09-25 02:06:40 | Weblog
00:37 from web
名古屋の友人が、中川運河を使用したアートプロジェクトの立ち上げに関わっており、10月1日にはファンドレイジング・パーティを企画しております。名古屋の水辺を活性化させるイベント、ぜひ皆さまお誘い合わせの上、ご来場下さい。
http://bit.ly/doJt9y
01:27 from web
In Japan, Harvard Professor Michael Sandel who talks about justice in the sense of communitalianism became extremely popular.
01:27 from web
I think his theory has been heavily influenced by John Rawls, so read an articles on Rawls.
http://bit.ly/bsJOJv
01:28 from web
The utilitarian has one moral principle for maximize utility, but Rawls does not have one.
01:29 from web
In his comprehensive doctrine, each reasonable citizens has own view, and they are unwilling to impose comprehensive doctrines on others.
01:29 from web
Reasonable citizens understand that people of good will can disagree her opinion, and reaches different conclusions (reasonable pluralism).
01:30 from web
Therefore, no comprehensive doctrine can be accepted by all reasonable citizens,
01:30 from web
so no comprehensive doctrine can serve as the basis for the legitimate use of coercive political power.
01:32 from web
The argument of Political liberalism (which Rawls does not follow) and Libertanianism was interesting for me.
01:32 from web
Rawls's criteria of liberalian conception of justice is not a liberal conception of justice.
01:33 from web
Libertanianism does not assure all citizens sufficient means to make use of their basic liberties,
01:33 from web
and it permits excessive inequalities of wealth and power.
01:34 from web
Rawls's conception of justice does qualify as a member of the family of liberal political conception of justice.
01:35 from web
“In justice as fairness, men agree to share one another's fate.” - John Rawls
02:36 from web
管内閣、やばいぞ。
”国民新党の亀井静香代表は22日昼の定例議員総会で、民主党の鉢呂吉雄国会対策委員長が郵政改革法案の修正を示唆したことについて「極めて遺憾だ」と反発した。”
http://s.nikkei.com/byZhgN
02:50 from web
前原外務大臣って高坂正堯教授の門下生なんだね。父の高坂正顕は京都学派四天王として有名だけれど、戦後の高坂正堯の親米化工作とフルブライト文脈で考えると、状況がよく見えてくる。今回の尖閣列島の件も、アメリカと中国は落とし所を事前に決めて裏取引しており、日本ははめられているのでは?
by curatorshinya on Twitter

9月23日(木)のつぶやき

2010-09-24 02:06:40 | Weblog
12:50 from web
ふと奥崎謙三のことを思い出した。彼の様な人物を、サブカルの文脈に引き込んでしまったのは大きな間違いだと思う。不毛な日本文化の構造が端的に表れている気がする。
13:03 from web
松本清張による唯一の翻訳小説「北京原人失踪」読了。司馬遼太郎もそうだが、この時代の日本の小説家の視野の広さには関心させられる。第二次世界大戦中の物語を、アルメニア人女性の視点から考察できる点が興味深かった。
17:31 from web
日本で言うエコって、もしかしたら無意識におけるイザナミ信仰、とでも言えるものではないか?
by curatorshinya on Twitter

名古屋「中川運河キャナルアート」 Project No. Zeroのお誘い

2010-09-24 00:24:15 | Weblog
名古屋の友人が、中川運河を使用したアートプロジェクトの立ち上げに関わっており、10月1日にはファンドレイジング・パーティを企画しております。名古屋の水辺を活性化させるイベント、ぜひ皆さまお誘い合わせの上、ご来場下さい。

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「中川運河キャナルアート」 Project No. Zero
ファンドレイジング・パーティーへのお誘い
日時:10月1日(金)OPEN19:00 START19:30
場所:シーフード・カンパニー ほとりす
会費:¥4000(1ドリンク+軽食+寄付)

次、を運ぶ河・・・中川運河。
この運河には名古屋を変える力がある!
「中川運河キャナルアート」
ここから、次の名古屋へと進化する、新たなムーブメントが始まります。

2010年10月30日(土)、31日(日)に、名古屋で初めての中川運河の水辺を
舞台としたプロジェクト「中川運河キャナルアート」を開催いたします。
これは名古屋の貴重な水辺空間のひとつであるこの運河のポテンシャルを再発見し、
より多くの方々にその魅力を知ってもらうことを目指した、現代アートを主軸にした
プロジェクトです。
任意団体である中川運河実行委員会が主宰し、ボランティアベースの運営を基本とし、
個人と企業からの寄付をその資金としています。

ですが、まだまだ資金が不足しています。

この10月1日のファンドレイジング・パーティーは、このプロジェクトにご賛同下さる
方々にご寄付をお願いするパーティーです。
まずは中川運河の魅力を知って頂きたい!
そしてこのプロジェクト・中川運河キャナルアートの魅力を知って頂きたい!そんな思いで企画を準備しております。

パーティーの冒頭では、まずはチェロの素晴らしい音色で、
仕事モードから開放され、ゆったりと寛ぎいただきたいと思っております。
また、「東京静脈」の映像作家、野田真外さんの驚くほど美しい、
中川運河の映像作品もご覧頂き、ご本人からもお話しを伺います。
そして、更にお時間を頂き、私たちの考える、
「中川運河の魅力」、「中川運河キャナルアート」の魅力に付いても、
しっかりとお伝えして参ります。


予約は不要です。詳しくは、添付のフライヤーをご覧下さい。
是非、お誘い合わせの上、ご参加くださいますようお願い申し上げます。

中川運河キャナルアート 実行委員会
実行委員長 服部 充代

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
like air + water, co. ltd
・・・空気のように ・・・水のように

〒451-0041 名古屋市西区幅下1-6-10
tel:052.583.6663 fax:052.583.6663
email: mitsuyohattori@likeairandwater.com
HP: http://www.likeairandwater.com

9月22日(水)のつぶやき

2010-09-23 02:06:33 | Weblog
17:33 from web
出光美術館にて、仙厓和尚の展示を見て来た。なんだか、忌野清志郎とリリー・フランキーとどこかで通底するユーモラスかつ機智的な世界観だった。
17:38 from web
仙厓和尚による布袋さんが描かれた童歌「お月さまいくつ 十三七つ」の墨絵を見た時、文化人類学者の井本英一氏が、十三という数字を死と再生のシンボルとして捉え、ヨーロッパの復活祭とパラレルして論じていることを思い出した。
17:41 from web
井本氏の唱える文化波動論によると、穀霊と再生の儀式であった月に関する儀式が大陸より日本国内に広がっており、東北地方に広がる十三九つが一番古く、全国に広がる十三七つや大阪の十三一つは江戸期辺りに成立していると推測している。
17:43 from web
仙厓和尚は七福神の解釈に関しても、道教の福禄寿ではなく神道の稲荷を描いているが、当時の九州の文化は、東京などの文化よりも、圧倒的に大陸を意識したものではなかったか、と思う。
20:57 from web
昨日渋谷で朝まで飲んでいたら、帰りにはばててしまい、自転車を駅前に置いたまま帰宅。今日の夕方に自転車をピックアップして、浅草橋まで帰ってきた。途中で自転車に乗った日体大の学生と意気投合し、一緒に銀座まで走った。なんだか楽しかったな。
20:58 from web
でも渋谷は遠い。渋谷から浅草橋まで、一時間かかったよ。これで少しは痩せたかな?!
by curatorshinya on Twitter

9月21日(火)のつぶやき

2010-09-22 02:06:12 | Weblog
00:00 from web
People might consider him as a U.S. soldier, even if you explain that you are British, so please be patient if something difficult happens.
00:00 from web
Then, he said that he is now studying Japanese and want to speak Japanese, and that's why he is going to Okinawa.
00:02 from web
Then I asked whether he knows the history of Okinawa, where people were forced to speak Japanese, and could not speak their own language.
00:03 from web
Then he replied "I am going to Okinawa only for work, because there is a job, that's it." He left the table.
00:04 from web
I felt like a old man, but I just wanted to reminds him that he is going to a special place which have a very complex history.
00:04 from web
Without knowing the current political situation and historical background, to go to Okinawa right now as a foreigner might be not easy.
00:05 from web
If he have certain knowledge, he can imagine why something difficult happens to him, and I wanted to give him some clue.
00:06 from web
I have an impression that sometimes native speaker of English has a lack of knowledge/imagination of "the other",
00:07 from web
which is related to the history of colonialism, and as long as it exist, we need to keep thinking about this.
13:20 from web
あれは忘れもしない、小学校4年生の時のことである。人と話をしていて、「きみは今日はどこに行くの?」とか「何が食べたい」と聞かれた私は、その質問に答えることができなくなってしまったことがある。
13:21 from web
それは、他者が私に対して発話する「きみ」という言葉に対して懐疑的になってしまい、さらに、「私」という考えている存在に対して懐疑が生まれてしまったからであった。
13:23 from web
果たして、彼が話している「君」は、今ここで考えている「私」と同一なのだろうか?そして、質問している側は、それに自覚的なのだろうか?「何が食べたい?」という質問は、あなたの「食べたい」感覚と私が「食べたい」という感覚の暗黙の同意で成り立っているのではないか、
13:24 from web
いつもそうこう考える癖が付いてしまい、私は人から簡単な質問を受けた際、すぐに返答できない、という状態に陥ってしまい、もちろんそれが言語化できない私は、3か月ほど、ひたすら混乱し、自分が知恵遅れなのではないか、という危惧さえ抱いた。
13:27 from web
その時、TVで「あっぱれさんま大先生」を見ていた時のことである。確かこのみちゃんだったと思うが、人から質問されて、それが何を指しているのか分からないので、「私=私」の「好き=好き」な「食べ物=食べ物」と確認しながら考え込まないと答えられない、と述べていた。
13:29 from web
当時、10歳くらいの私は、同い年くらいの子供が全く同じ症状に悩まされていることに気付いて、とても安心した。その混乱に対して、私は「必要以上に考えず、皆が同意していることを解として受け入れる」ことを決め込んで、その危機を乗り越えることができた。
13:32 from web
先日、河合隼雄先生の本を読んでいて、この症状が「統合失調症」と呼ばれるものであることに気付いた。その患者さんは、ある日「机というもの」ではなく、「机そのもの」が見えてきて、その素晴らしさを伝えることができず、机をひっくり返してしまい、精神病院に入れられてしまったと言う。
13:39 from web
河合隼雄先生は、名づけるという限定における安心について述べ、それができなかった例を、ゴッホの糸杉に見ている。ゴッホが晩年に木の幹を描いた作品に私は激しく揺り動かされたが、そこには、私の個人的体験が影響している様に思える。
by curatorshinya on Twitter