与那国島、自衛隊配備の光と影 「防衛省から副町長」案も(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160330-… #Yahooニュース
トランプ氏「対北朝鮮で日本の核兵器保有を容認」 www3.nhk.or.jp/news/html/2016… #nhk_news
ニッポンへの発言:キーワード リベラルの自滅と暴言の自由=中森明夫 - 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20160…
憲法は国家権力を縛るものなのに、安倍総理のその考え方だと、憲法は国家権力を解放するものになってしまう。いや、もっと言えば、憲法の名において国家権力が自分を自由にデザインし、権力を自由にハンドリングできるものになってしまう。 twitter.com/ozawa_jimusho/…
核拡散の問題は本当に深刻で、この兵器を持つものと持たざるものとの間の不均衡が破れる瞬間が、いつかどこかで起こるだろう、と考えると、本当に憂鬱な気分になる。それが起こってからでは、もう取り返しのつかないことになるから、いかにそれを回避するのかを考えなくては。
「敵の敵は味方」みたいな二元論的発想の延長線上でトランプ氏を支持する日本の保守派って、私にはどこか貧しく思える。現状では難しいけれど、芸術を志す私は、ものごとをもっと一元的に捉えたい。そうすれば全てが私の一部になって、敵も味方もなくなる。
現行の国民国家という部分を前提として全体である世界を運営することはもはや不可能。だからそのオルタナティブとして、全体からいかに部分最適を構築するかが必要。その為には、ネーション規定である敵と味方の概念を解体する必要し、私とあなたは同じであるという、二元論から一元論への移行が必要。
近代的な資本主義のメカニズムは、違いを強調することで発達して来たが、この違いの根本にあるイデアは、違いから生まれている為、全てを包括することができない。一方、同質性を強調すると、より抽象的なグルーピングが可能になる。この発想が、より大きなアソシエーションを作る際には重要になる。
私は国民国家のオルタナティブという共生に向けてのテーマを掲げてずっとやって来たけれど、それが国家を超えた連続性としてのユーラシアだと言うことを、世界中の一人でも多くの人と共有したい。その為にも、早く自分の映画『Soul Odyssey - ユーラシアを探して』を上映したい!
秦氏の先祖とされる渡来人の弓月君は、おそらくスキタイ系の弓を使う月氏の末裔だろう。月氏はアレキサンダー大王の遠征から生まれた北部インドのグレコ・バクトリア王朝を滅ぼしたけれど、この弓という字は、東夷(大きな弓を使うツングース)とも重なる。
朝鮮語で大王を意味する言葉を、古事記は「こにしき」と表記しているが、私はこれがドイツ語で王を意味するKönig(コーニッヒ)に似ているのが気になった。東ローマ帝国と繋がっていたとされる新羅人は百済人と同じ言葉でコミュニケーションが取れなかったそうだが、彼らは一体何語を話していた?
日本に馬がやって来たのは、三韓征伐後に新羅が日本に服属して馬飼の役を果たす様になってからとされる。新羅が騎馬民族国家であったことは間違いないけれど、新羅が具体的にどんな国で、何語を話すグループだったのか、もう少し詳細について知りたい。
古事記には童男(おぐな)という人物が2人登場する。一人は成人してヤマトタケルとなり、もう一人の大長谷王子(おおはつせのみこと)は雄略天皇となるが、この二人の行動が瓜二つだ。手塚治虫は弁慶伝説の節々に、猿田彦伝説と似たアーキタイプが現れていると直感して、火の鳥で重ね合わせたのか?
古事記における熊とは神に繋がる接頭語だけれど、熊樫(くまかし)という表現は、きっと樫の木を崇拝する中央アジアの人たちの信仰が、熊をトーテムとする民族と融合しながら日本に入ったものだろう。ちなみにこの樫の木崇拝は、ドイツやクリミア半島のカライテ・ユダヤ人とも共通する。
古事記によると桑原には中国からの移民が住んだ場所とされるが、これはきっと養蚕に使う桑と関係しているのだろう。桑は雷神を避ける力があり、雷よけとしてクワバラ・クワバラと呪文を唱える習慣が残っているけれど、これは雷神ドナー(ユピテル)の住むとされる樫の木信仰と繋がっていると思う。