Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

4月2日(月)のつぶやき

2012-04-03 01:19:48 | Weblog
02:56 from web (Re: @kosukeikeda
オーストラリアのアボリジニに、YesとNoという言葉を持たない部族がいて、彼らには疑う文化が無いと聞いたことがある。もしも専門家に会う機会があったら、どうやってその社会が動いているのか、ぜひ聞いてきて下さい。 @kosukeikeda 動物倫理のピーター・シンガーってオーストラリ

07:02 from web
今日のお休みの音楽。「ゲルニカ(戸川純) - 蘇州夜曲」youtube.com/watch?v=qIuUEE…

07:29 from web  [ 1 RT ]
「死と直面した刹那、人は生を生々しく実感する。…また、意識的に死と正面きって向かい合った時、急に五感が冴える。鳥の声、車の音、心臓の鼓動、吸う息、吐く息、木々の緑色の鮮やか。目もつぶれんばかりの陽の光。」- 戸川純『生命』

18:41 from web (Re: @kosukeikeda
@kosukeikeda 俺の予想だと、日本の空気を読むみたいな習慣が環太平洋圏にあって、このアボリジニの部族は、質問をしなくてもお互いが分かり合えるコミュニケーションをしているのではないかと思った。ある種のテレパシーとシンパシー、エンパシーが一致した様な共感のコミュニティかと。

18:43 from web (Re: @kosukeikeda [ 1 RT ]
@kosukeikeda ちなみに静岡県の駿河湾のスルガとは、環太平洋圏の古語で平和を意味するそう。穏やかな内海という意味合いは、漢字が導入される前の諸島地域で共有されていたみたいです。それとオーストラリア英語には、沖縄移民の方々の言葉も多く残されているそうです。

18:55 from web  [ 1 RT ]
昨日はクロイツベルグ地区にあるゴシック教会にて、パイプオルガンによるバッハの演奏を聞いてきた。ゴシック教会の垂直性のある広々とした空間でバッハを聞いていたら、バッハが捧げた神の存在が近く感じられ、またパイプオルガンという楽器の意味がより深く理解できた。

18:56 from web  [ 1 RT ]
一緒に行ったギリシャ人の友人によると、ギリシア正教会には教会内で音楽を奏でる習慣が無いと言う。西欧におけるカトリックとプロテスタント地域でクラシック音楽が発達したことと、何か関係がありそうだ。

18:57 from web  [ 1 RT ]
教会の一歩外に出ると、その前の公園でトルコ人たちが爆音を出してカラオケをやっていた。そのコントラストが、クロイツベルグ地域の今を感じさせた。

20:18 from web (Re: @TTAKE_NL [ 1 RT ]
@TTAKE_NL @nonomurax 私がNYUで勉強していた頃、学生の一人が野々村さんの『まんがダン・グレアム物語』でレポートを書き上げました。日本からNYにやって来たばかりの私にとって、野々村さんのして来た仕事がなんだかとても誇りに思えたことを思い出しました。

20:24 from web (Re: @nonomurax
@nonomurax @TTAKE_NL 静岡の田舎で高校生活を送りながら悶々としていた私にとって、Studio Voiceはまさにバイブルでした。野々村さんの存在なくして、今の私は存在しないと言っても過言ではありません。本当に、素晴らしい仕事をありがとうございます!

20:31 from web (Re: @TTAKE_NL
@TTAKE_NL @nonomurax はーい、楽しみにしてまーす!

20:39 from web
ケルンのヴァルラフ=リヒャルツ美術館にて、レンブラントの『笑う自画像』を鑑賞できて良かった。美術館には「ゼウクシスとしての自画像」に関する解説は一切無かったけれど、きっとレンブラントは自らの姿を画家ゼウクシスに重ねて描いたのだと思う。salvastyle.com/menu_baroque/r…

20:45 from web  [ 5 RT ]
実物そっくりの絵を描くことができた古代ギリシアの画家ゼウクシスは、最後の作品で老女を描いていた際、己の好奇心の本性に気付き笑い死にしたとされる。私はインドのホテルで薬物を入れられ死にそうになった時、人間とは全て同じだと気付くと笑いが止まらなくなり、気がふれそうになったことがある。

20:56 from web (Re: @Viarofka
私が先日イスラエルに行った際、イスラエルの友人から伺った話です。 @Viarofka 初めまして。これは昨日(4月1日)の投稿になりますが、冗談ではなく実際にあることと理解して宜しいですか?

20:57 RT from web
平和学の父ヨハン・ガルトゥングの言う「加害者と被害者が同じ業を共有している」を想起しました。 RT @curatorshinya: イスラエル人の子供たちに、イスラエル兵に殺されたパレスチナ人の記憶を持った子が生まれることが多々あると言う。これは一体何を意味しているのだろう?
Higashi Shinpei さんのツイート

21:02 from web  [ 8 RT ]
子供が全身運動ができる様になり、自らの体を一つと認識できる様になるのが生後18ヶ月頃、自分が母から生まれた存在であり、そして生きて死にゆく存在だと気付くのが8歳頃だと言う。このプロセスに、自我や記憶を考えるヒントがある様に思う。

21:06 from web  [ 3 RT ]
自らの体をまだ一つと認識できない生後18ヶ月未満の子供は、周りの子供が泣き始めると、まるで自分が悲しくて泣いていると思ってしまい、一斉に泣き始めてしまうのだろう。もしも周辺に、自己の記憶と混同してしまう様な契機があれば、それを自らの記憶と混同して記憶してしまう可能性はあるだろう。

21:37 RT from web
父は学徒出陣で満州に借り出され戦後はシベリア抑留、奇跡的に復員した復学したが脊髄カリエスを発病して寝たきりとなりついに学問の道に立つ人生にならなかった。でもその父の執念と意思の力を僕は心の支えにして40数年生きてきた。そういう支えを、勘違いだったのだが、侮辱されると僕は本当に弱い
Ken ITO 伊東 乾さんのツイート

23:45 RT from web
柳田國男の『山の人生』における「双方の相持ち」という箇所が頭に浮かんだ。“@curatorshinya: イスラエル人の子供たちに、イスラエル兵に殺されたパレスチナ人の記憶を持った子が生まれることが多々あると言う。これは一体何を意味しているのだろう?”
yasuhiro chibaさんのツイート

23:46 from web (Re: @yasuhirochiba
@yasuhirochiba とても鋭い指摘だと思います。イスラエル人とパレスチナ人の双方に聞かせてあげたいですね。

by curatorshinya on Twitter