Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

ブンディス・プンソンバトラット インタビュー

2007-07-29 13:34:39 | Weblog
タイのバンコク出身のアーティスト、ブンディス・プンソンバトラットへ私が行ったインタビューのビデオが、Location Oneのウェブサイトにアップロードされています。

私はこのビデオは音声だけがアップロードされる、と聞いていたのですっかり油断していたのですが、しっかり映像もアップロードされています。油断して、全く緊張感が無く、そして恥ずかしいくらいに落ち着きがない。。。恥ずかしい映像ですが、興味のある方はぜひどうぞ。

Bundith Phunsombatlert with Shinya Watanabe

*もしビデオがご覧になれない方、Quick Timeの設定速度を512kbpsに設定して下さい。

ネーションの記憶としてのエディット・ピアフと越路吹雪

2007-07-28 02:29:26 | Weblog
先日、MoMAに務めているフランス出身のキュレーターの友人と話していて、こんな事があった。

何となくカラオケの話になり、その延長線上で、 越路吹雪という日本のシャンソン歌手がエディット・ピアフの愛の賛歌をカバーしているのだが、もしかしたらこのカバーはピアフの原曲より良いのではないか、と何となく口走ってしまった。すると、いつもは優しいこの女性が「NO!」とはき捨てるように言い、ありえない、と言い切った。こんなに激しくNoと彼女に否定されたのは初めてだったので、ちょっと驚くと同時に、自分の発言を反芻してみた。

最近、こんなことがあったんだよ、と友人宅のパーティにて話をした際に、たまたま坂本九の「上を向いて歩こう」が流れてきて、ミュージシャンの友人と、やっぱり坂本九は良いね、という話になった。

そこで一つ思ったのが、もしも私がアメリカ人の友人に「アメリカには坂本九の『上を向いて歩こうを』がSukiyakiとしてTaste of Honey(81年ビルボード3位)4PM(95年ビルボード8位)によってカバーされているが、これは原曲よりも良いのではないか」、と問われたら、私はどう答えるだろう、と自問してみた。

おそらく、「ありえない」と言って切り捨てるだろう。なぜなら、「上を向いて歩こう」は「上を向いて歩こう」であって、「Sukiyaki」ではない、と私が思い込んでいるからだ。そして、それはそんなに間違っていないと思う。

(でも、アメリカのSukiyakiのカバーも、ある意味結構泣ける。しかも、アメリカにいてアジアの音楽を「発見」しているのが、アメリカのマイノリティだというのにも注意を払う必要があるかもしれない。)

そこで、越路吹雪の愛の賛歌をピアフの原曲と比べてみると、面白いことが分かる。ピアフの愛の賛歌は、飛行機事故で無くなった元恋人に向かって捧げたものだが、その愛は結構危険なもので、あなたの為なら、国や友達を見捨てても良いわ、というフレーズも歌詞に含まれているが、越路吹雪の方には、このフレーズは含まれて居ない。1950年のフランス人にとって、国を見捨てても良い、というフレーズは、かなり語彙の強いものだと思う。

ここで一つ分かることがある。言語とネーションと、ネーションの記憶の問題である。

20世紀半ばのモダンアートを専攻するフランス人キュレーターの女性にとって、ピアフは置き換え不可能なフランスのシンボルであり、それは戦後フランス文化の象徴であるはずだ。まさに、ナショナル・プライドである。

そして、戦後日本について考えを巡らしている私にとって、坂本九の「上を向いて歩こう」も「戦後日本」において特別な意味を持つ曲だと思う。涙がこぼれないように上を向いて歩く主人公には、何があったか語られることもない。しかし、これを失恋という意味以外でも理解できる、という状況を共有できたのは、敗戦国日本というネーションの問題が大きいのではないか。(ちなみにアメリカ版のSukiyakiの歌詞は、越路吹雪の愛の賛歌に似て、失恋した相手に向かって歌ったスイートな曲である)

アメリカで武者修行を行っていたグレート・ショーヘイ・ババ(後のジャイアント馬場)がこの曲を聞きながらアメリカで元気を出して頑張った、というのも、彼自身が敗戦国メンタリティを引きずっていたからこそ、より深く感動できたのではないかと思う。しかし、こういったナショナル・プライドやネーションの問題に関わる所に、本当の問題が潜んでいるような気がする。

戦争と、暴力と -

2007-07-25 15:28:56 | Weblog
一日中、戦争のことばかり考えている。どうしたら、戦争がなくなるのか。

まず一つ。国連でのコソボの独立交渉が、困難を迎えている。それもそのはずだ。NATO軍が無理矢理人道介入の名目の元、旧共産国でスラブ民族の国であったユーゴスラビアという独立国を空爆し、その結果国連統治地域となったコソボの独立に、ロシアが応答するはずない。また、アメリカはコソボ独立軍こと元CIA指定テロ組織であるウーチャーカーに肩入れしたがために、アメリカへの人身売買がアルバニアを通じて、さらにヨーロッパでの麻薬取引の多くがコソボを通過している、というムチャムチャな状況が生まれている。

またこの人道介入という名目の空爆が、アフガン空爆とイラク戦争に直結している。国家は暴力を唯一合法化する(なぜなら国家のみが法律において内部犯罪を裁くことができる)という状況、すなわち戦争を国家主権として認めるということによって、ヨーロッパ公法及び国際関係が成立してきたが、NATO軍という、旧共産国を仮想的とした実質的なアメリカ軍という一つの国家の元にある軍隊が、内戦の起こっている他国に対して人道介入としての空爆を行う、という今までの国際ルールを無視した戦争が、そのままアフガン空爆とイラク戦争の下敷きになっているのだ。
(ちなみに国家の権利としての交戦権を認めない、という「ネーション規定」をしたのが、憲法第九条だ)

アメリカはコソボを国連の判断ではなく外部にて独立させる、と言っているようだが、もしもそれでゴリ押ししてしまったら、それそこコソボとセルビア周辺が不安定化するだろうし、これではそもそも国連の意味そのものが解体してしまう。そして、このセルビアに対する根強い世界世論における批判は、また似たような形で噴出しかねない。この問題は、このまま解決されない問題としてズルズル行ってしまいそうな予感がする。

そして昨日、私の自宅近くで発砲事件があった。私の近所はマイノリティ人口も高く、ちょっとした貧民街のようになっていて、夏場になると暑さからか、警察沙汰になるような次元が増える。しかし、発砲事件の結果、10歳の黒人の少年が傷を負った、という話を聞くと、さすがに考えてしまう。

実は先日ヨーロッパに行く際、JFK空港に行く地下鉄の中でこんな事があった。地下鉄の同じ車両で、黒人同士が大喧嘩を始めたのだ。一人は細身のメッセンジャーらしき人で、商売用らしい、レース用らしき自転車を持っている。もう一人は大柄な黒人で、ボクシングでもやっていそうな体格だ。この大柄な男性は、細身の男性が持ち込んでいた自転車に勝手に腰をかけて、怒った男性が腰を上げるよう言った所、大柄な男性がそれを無視、そこから殴り合いの喧嘩が始まってしまった。

JFK周辺に住んでいるのは黒人が多く、この車両の人達もほとんど皆黒人なのだが、誰も喧嘩を止めない。本当に殴り合いの激しい喧嘩だったのだが、皆こういった状況に慣れているのか、騒ぎが起こった瞬間、ほぼ全員が隣の車両に速やかに移って行ってしまった。しかし私は大型のスーツケースを持っていた為、動く訳にも行かず、肝を冷やしたまま一部始終を見ることになった。

5人くらい残された車両の中で、2人の男性が本気で殴りあいの喧嘩をしており、つかみ合った二人は互いにもつれ合って倒れこんだまま、ボディブローを打ち合っていた。私はこの細身の男性は本当に死んでしまうのではないか、と思ったのだが、この細身の男性、どうやら格闘技をやっていたのか、とにかく強い。最後には馬乗りになって、大柄な男性を戦意喪失するまで殴った上、男性を抑えたまま立ち上がると、はき捨てるようにしてこう言った。

You know what? Look at my skin. I am black. I do not scare anything. You are black too, right? You understand what I mean?

そう言うと、意識朦朧となった大柄な男性は、こっくり頷き、それを見届けると、細身の男性はこの大柄な男性を立ち上がらせた。大柄な男性は、次の駅で電車から降りていった。

私が驚いたのは、まず誰も喧嘩を止めなかったこと。そして、私も止めれなかったこと。あれだけの喧嘩になってしまうと、大怪我をするのを覚悟でないと仲介に入れない。

そして、お互いが黒人というプライドの元に戦っていて、そしてそれに対して一定の経緯を払っていること。Look at my skin. I am black.と言って、細身の腕の肉を掴んだあの細身の男性の表情が忘れられない。さらに、日ごろの溜まった都市の鬱憤がマイノリティに集約しており、それが吹き溜まりのようになっているマンハッタンの外部で、こういった形で現れていること。

ロシアをスラブ民族として自覚させている民族の、そしてコソボをコソボたらしめているイスラームという宗教という壁。さらに、人種というアメリカの内部にある壁。こういった壁を取り除くにはどうしたら良いのだろうか。

全ての問題は繋がっている。せめて私だけでも、この問題について考えぬいて行きたいと思う。

パウル・クレー=高橋悠治

2007-07-23 13:30:36 | Weblog
先日、アーティスト仲間の友人と一緒に、夜遅くまでやっていたメトロポリタン美術館に行って、モダン・アートの鑑賞をしてくる。

私は見るその日の気分によって絵画から受ける印象が大分違い、それが自分自身にとってとても面白いのだが、昨日もやはりそうであった。そして、今回一番良いな、と思った作品が、パウル・クレーの作品群だった。(前回はバーネット・ニューマンであった)そして、クレーの絵画を前にした時、ああ、これは高橋悠治と一緒だな、と直感した。

クレーの絵画を見ていて、一つどうしても他のアーティストと違う点を感じた。空間の捉え方が普通でないのだ。どちらかと言うと、建築家のそれに近いかもしれない。

クレーの絵画では、空間と色彩そのものが一つの繋がったものとして描かれていて、それは色彩なしには成立しない空間、空間なくしては成立しない色彩、となっている。しかもそのアブストラクトな色彩と崩れたグリットの中に見える幾何学模様そのものが、カンヴァスの起伏に呼応している。ある意味、アンヴィエント・ミュージックのような、周りそのものを内部化してしまうような絵画を彼は書いていた、と言えないだろうか。

世の中を、クレーの視点で世界を見たら、もっと違った世界になるのではなろうか。しかし、それは厳しい人生となるだろう。カンディンスキー、草間、ミロ、そういう傾向を感じる。こういう空間そのものが持っている強いスピリチュアリティやヴァイブレーションみたいなものをビジュアル・アートとして的確に表現できている画家、というのは比較的少ないかもしれない。どちらかと言うと音楽家の方が多いと思うのだが、成功例は極めて少ないだろう。クセナキス、そして、高橋悠治の名前がどうしても挙がる。

高橋悠治の音楽は五線譜を使っていなかったり、自由は方法で音楽を作っているが、高橋悠治は分かりやすく言ってしまうと反近代としてそれをやっていると思う。しかしクレーの場合は、図らずとも、そうなってしまった、というのが適当な気がする。なぜなら、ヨーロッパの近代そのものが個人の問題や意識の問題そのものを内包してしまい、その中でやるしかない、という状況が彼の作品のベースになっていると思う。そして、才能、そして努力の結晶として、こういった作品群が生まれたのだと思う。

クレーは音楽家の家庭に生まれたスイス人だけれど、スイス人だ、というフィルターを通してクレーの作品を見ると、その作品がよく分かる気がする。クレーの作品の中に、優しさ、そして悲しみを見出してしまうのは、スイスの地理状況と当時の質素な生活感が影響している様に思う。

クレーの作品が、全部見てみたくなった。

コニー・アイランド紀行

2007-07-17 15:48:35 | Weblog
初めて行ってきました。世界最古の遊園地を見に、はるばるコニー・アイランドへ。

と言っても、コニー・アイランドはマンハッタンから地下鉄で45分。決して遠くないのだが、行こう行こうと思いつつ、いつまでも行く機会を逃していた。しかしそんな矢先、今年でコニー・アイランドが無くなる、という噂が流れ始め、ニューヨーカーの多くが駆け込みでコニー・アイランド参りをしている、という状況が起きている。先日、コニー・アイランドの土地をデベロッパーが買いつけ、来年から遊園地を潰してコンドミニアムを建てる、というプランがあるらしく、おそらくこの夏で最後になるのではないか、という噂が飛び交っているからだ。

そんな訳で行ってきました。まず駅を降りると、駅前のホットドック屋の多さに驚く。コニー・アイランドはホットドックが生まれた所という説もあり、名物なのです。日本人が活躍することで毎年話題になるホットドックの早食いコンテストは、ここコニー・アイランドで行われていて、早食いコンテストの時期になると、私もよく「あの日本人、知っているか?」と聞かれた。早食いの彼、NYではかなりの有名人です。

その後ビーチにてホットドックを食べて、ブライトンビーチまで歩く。コニー・アイランドの辺りは1km位、結構良いビーチになっていて、日曜日のこの日は家族連れでごった返していた。しかし、その客層の労働者階級っぷりに驚く。ほとんど全員がマイノリティであった。おそらくお金持ちの白人は、海に行く際にはもっと遠くの綺麗な海に行くのではないか。

ブライトン・ビーチの辺りは完全にロシア人地域になっていて、レストランなどの看板もキリル文字が多い。ロシアの雑貨屋さんに入ったのだが、子供向けの人形の顔が怖くて、ちょっと引く。また近所に、ロシアン・ジュイッシュの人達が集う教会に「Kumon」と書かれた看板が埋め込まれていて、ちょっとビックリ。彼らは勉強好きなのでしょうか。

その後、ビーチでアメリカ人の友人とマルガリータを飲みながら、まったりした後、遊園地へ。遊園地では「85年間無事故!」と書かれた観覧車に乗った後、お化け屋敷を見て、そしてあの!名物ジェットコースター「サイクロン」に乗ってくる。しかし、サイクロンのあまりの縦揺れ、横揺れに気分が悪くなる。(サイクロンの方には、看板に「注意!」と書かれたものが多かったのだが、こっちの方は過去数十年間でかなりの死者が出ているそう。後で知って、怖くなった。)

それにしても、この遊園地の風情はなかなか良かった。おそらく、50年代以降の施設は無いのではないか、と思うほど、古いアトラクションが未だに機能していて、関心した。また、気になったのは、的当て系のシューティングゲームの類が多く、そこにはHipHop系のDJおじさんがいて、ゲームに参加している男の子たちを盛り上げていた。これは日本にはあまりないと思う。

ノスタルジーに浸って「良かった」というのは無責任かもしれないけれど、それでも、良かったよ。コニー・アイランド。こういう景色を、アメリカも残しておいた方が良いのではないか、と思う。

マザー・テレサとゲルニカは全くの別物である

2007-07-15 04:05:49 | Weblog
「マザーテレサ・ゲルニカ」と呼ばれるマザーテレサの巨大写真パネルが、上智大学に展示されているらしい。

平和へのメッセージとしてマザー・テレサとゲルニカをパラレルするのは分かるが、写真パネルがピカソの絵画「ゲルニカ」と同じサイズだから「マザーテレサ・ゲルニカ」と呼ぶのには、私にはかなりの飛躍が感じられる。ムキになって反論する必要はないのだが、日本を代表する教育機関でありミッション系大学の上智大学にて展示されることは、やはり多少なりとも重要な問題を孕んでいると思うので、コメントしてみたい。

大阪万博の会場のプラニングの際、その中心のスペースの名前の挙げられた「お祭り広場」に対して最後まで反発したのは磯崎新であったが、磯崎氏は日本の「お祭り」と西洋の「広場」は全く別物であるから、こういった形の命名は適当でない、これを認めると万国博覧会という相互理解の場が無意味になってしまう、と批判した。しかし、彼の提案は聞き入れられず、大阪万博開催後、日本中のフェスティバルの多くに「お祭り広場」が成立することとなった。

さて、マザー・テレサだが、私が論文「国民国家が芸術に与える影響 - 旧ユーゴスラビア諸国の場合」にてこう述べた。

NATO空爆後のコソボの首都プリシュティナにて、都市の施設などの名前などが変更された。例えば、ビル・クリントン通りが出現したり、UCK(ウーチャーカー、Kosovo Liberation Army、元CIA指定のテロ組織でコソボ独立の立役者)通りと呼ばれる通りが創設され、また、最重要幹線道路は、旧来の名称「チトー元帥大通り」から「マザー・テレサ大通り(Bulevardi Nena Tereze)」へと改名された。そしてこのマザー・テレサ大通りには、アメリカの平和グループによって寄贈されたマザー・テレサの彫像が立っている。

マザー・テレサは、現在のマケドニアの首都であるスコピエに、コソボ出身のマイノリティであるアルバニア人として1910年に生まれた。しかしながら、彼女がアルバニア人でありながらも東方正教会教徒である為(アルバニア人のアイデンティティはイスラムであることであり、東方正教会はそれと対立するセルビア側の宗教)、彼女の彫像はプリスティナでは必ずしも歓迎されなかった。このアメリカの平和団体は、コソボの人々がこの彫像を歓迎するだろうと考えたのであろうが、おそらくこの平和団体は、コソボ出身のアルバニア人の宗教背景を報告しなかったメディア・コントロールの為、アルバニア人の持っている複雑な背景を理解していなかったのだろう。

さて、ゲルニカだ。私は、スペインに行って、ピカソの絵画ゲルニカを見て、そしてスペイン内戦をテーマとするアーティストやバスクの人達などと、ゲルニカやフランコなど様々なトピックについて話してきたのだが、そこで私が感じたのは、「私はゲルニカを理解しえないだろう」という直感であった。スペイン人(バスク人含む)にとって、ゲルニカは原爆やアウシュビッツのようなもので、置き換え不可能なシンボルである。当事者的要素があまりにも強く、引用したり比較するのは極めて困難なものと思えるのだ。そして、ピカソの「ゲルニカ」はゲルニカというバスクの都市の名前から来ていることを忘れてはならない。

平和のメッセージとしてマザー・テレサやゲルニカが有効なのは分かる。しかし、あまりにも乱暴すぎるのではないか。「ガンジー・アウシュビッツ」とか、「チョムスキー・広島」と呼んでいるのと大差ない。お祭り広場的な命名はキャッチーで広まりやすいかもしれないが、相互理解は生まれないと思う。本当の平和へのメッセージを考えるのであれば、もうちょっと丁寧なやり方があるのではないか、

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巨大写真「マザー・テレサ ゲルニカ」、上智大で展示

2007年07月14日18時27分

 ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ(1910~97)の写真20枚をあしらった巨大パネル(縦3.5メートル、横7.8メートル)が13日、上智大(東京都千代田区)の学舎壁面に掲げられた。31日まで展示されている。

写真上智大の学舎壁面に展示されたマザー・テレサの巨大な写真パネル=13日午後、東京都千代田区でマザーの奉仕活動を日本にいち早く紹介した写真家の沖守弘さん(78)が、自ら撮った写真を基に制作した。

パネルは、戦争の惨禍を描いた画家ピカソの代表作「ゲルニカ」と同じ大きさで、「マザー・テレサ ゲルニカ」と名付けた。沖さんは「亡くなって10年になるが、改めてその思いを知ってもらいたい」と話す。

愛は到達しない - あなたの家の

2007-07-10 07:30:49 | Weblog
愛は到達しない

現在、9条と関わる他者性、主観客観、そして愛の問題などを考えている。

愛は主観-客観構造を持たず、私-きみの構造も有していない、そして、愛の運動はむしろ、可能なもののかなたへとおもむくところにある、とレヴィナスは「全体性と無限」の中で述べている。さらにレヴィナスは、官能が目ざすものはしたがって他者ではなく、他者の官能である、官能とは官能の官能であり、他者の愛を愛することである。とも述べている。

確かルネ・ジラールは、「人間は欲望を欲望する」という事を言っていたが、ここまで言った時に、官能、という欲望は官能の官能となり、他者の愛を愛することとなる。仏教では人を愛してはいけない、という教えがあるが、この「愛」は、他者の欲望を欲求してはならない、という意味であり、キリスト教が入ってきた際にLoveを愛と訳してしまったことにより、混乱を招いてしまった様に思える。愛そのものは主観・客観構造を持たないが、ある種利己的な対象としての他者が立ち現れた際、この愛そのものがある種崩壊し、主観・客観構造を持った官能となるのであろう。それを仏陀は禁止したかったのではないか。

さらにレヴィナスが、「あなたは殺してはならない」という原理は、エロスによって冒涜される神秘とは正反対のもののように見える、と書いているのは注目に値する。


最近、ハイネの詞を読んでいたら、こんな詞があった。この詞の最後の2節は、この主観-客観の問題をかなりラディカルに提案しているように思える。
(今日の投稿はかなり自信がないので、皆様からのコメントお待ちしております。)


あなたの家の

あなたの家のかたわらを
毎朝通りすぎるとき
窓にお顔が見られると
どんなにぼくはうれしいか

あなたは黒いとび色の
瞳でじろじろぼくを見て
「あなたはどなた どこのひと
どこが悪いの 病んでるの」

「ぼくはドイツの詩人です
ドイツの国で知られてる
すぐれた詩人の名をいえば
ぼくの名前もはいります

ぼくが病んでる病気には
ドイツの人はよくかかり
ひどい痛みの名をいえば
ぼくの痛みもはいります」

関係性と真理

2007-07-06 13:22:07 | Weblog
最近、友人達と飲んでいた際、ニューヨークは関係性の街である、ということを言われ、府に落ちた。そうか、関係性=社会学的、真理=哲学的、すなわちある種相反するものであり、その関係性が圧倒的優位に立っているのがニューヨークという街である、という、そんな基礎的な事に、気づかされた。

ほとんどのものが関係性で動く社会であれば、その流れさ把握していれば、とりあえず事足りる。しかし、それは波乗りみたいなもので、その関係性そのものに異議を唱える、またそれを解体してしまうのが、真理を追究する「哲学」、そしてそれに順ずる「芸術」ではないか。

私が9条の話をする際、私のどこかで関係性の中で捉えている箇所があると思う。しかし、この9条そのものが生まれた経緯、またその昔そして現在における意味は、関係性から成り立つものではなく、真理を求める、ということにあると思う。そこが一番重要なポイントではないか。これを読み解く為には、徹底的に近代の哲学的問題、そしてそれに至る歴史を正確に把握しなくてはならない、そう思った。

例えば、カントの「永久平和のために」は、ダメ社会学者が引用したがる文章として有名だが、彼らの失敗は、カントの思想を関係性の、すなわち社会学の中に還元して述べようとしている点に問題がある。カントは、もちろんそんな議論はしていない。徹底的に理性的に、哲学的に国連的構想を考えていたと思う。そのカントの「国連」が関係性の街の中で存在している結果が、現在の「国連」である。それこそ、世界の関係性の縮図だと思う。

ちなみに、私は今までの読書の中で最も影響を受けたのはヴェーバーの「プロテスタンティズム倫理の高揚と資本主義の精神」であったが、社会学と言えども、マックス・ヴェーバー級の社会学であれば言うことはない(ヴェーバーであれ批判する哲学者は存在するが)。私は常にジャーナリズムや社会学により過ぎてしまう点があるのだが、それは私が哲学そのものを関係性の中に回収してしまっているからだ。

そうすると、私の展開する議論が暴力的だ、という話になってしまう。事実、そういう批判を何度か受けた。

なぜ私の議論が暴力的になったのか、そしてそれはどこから来たか考えてみると、やはり、アメリカでの長期的生活というのが圧倒的に大きいと思う。アメリカ人やヨーロッパ人になめられるのが嫌で、今まで徹底的に論破してきたつもりだし、その論破の仕方が、かなり暴力的な議論でよかった、すなわち簡単なポイントさえ押させて相手の矛盾さえ突けば論破できる、そんな状況に自分が慣れてしまったのかもしれない。さらに、5年間、日本には短期的にしか帰っていないし、アメリカでの英語での打ち合いに慣れてしまった時、初めて暴力的、すなわち関係性の中で哲学じみたことを論じる、ということに慣れてしまったのかもしれない。

9条というあまりにもナイーブな問題を扱う際、やはり慎重に沈思することが何よりも先行する。しかし、それだけでは何も起こらない。できる限りの向上心と全身全霊を尽くして、問題を真摯に扱う、そこにしか答えはないと思う。