「マザーテレサ・ゲルニカ」と呼ばれるマザーテレサの巨大写真パネルが、上智大学に展示されているらしい。
平和へのメッセージとしてマザー・テレサとゲルニカをパラレルするのは分かるが、写真パネルがピカソの絵画「ゲルニカ」と同じサイズだから「マザーテレサ・ゲルニカ」と呼ぶのには、私にはかなりの飛躍が感じられる。ムキになって反論する必要はないのだが、日本を代表する教育機関でありミッション系大学の上智大学にて展示されることは、やはり多少なりとも重要な問題を孕んでいると思うので、コメントしてみたい。
大阪万博の会場のプラニングの際、その中心のスペースの名前の挙げられた「お祭り広場」に対して最後まで反発したのは磯崎新であったが、磯崎氏は日本の「お祭り」と西洋の「広場」は全く別物であるから、こういった形の命名は適当でない、これを認めると万国博覧会という相互理解の場が無意味になってしまう、と批判した。しかし、彼の提案は聞き入れられず、大阪万博開催後、日本中のフェスティバルの多くに「お祭り広場」が成立することとなった。
さて、マザー・テレサだが、私が論文
「国民国家が芸術に与える影響 - 旧ユーゴスラビア諸国の場合」にてこう述べた。
NATO空爆後のコソボの首都プリシュティナにて、都市の施設などの名前などが変更された。例えば、ビル・クリントン通りが出現したり、UCK(ウーチャーカー、Kosovo Liberation Army、元CIA指定のテロ組織でコソボ独立の立役者)通りと呼ばれる通りが創設され、また、最重要幹線道路は、旧来の名称「チトー元帥大通り」から「マザー・テレサ大通り(Bulevardi Nena Tereze)」へと改名された。そしてこのマザー・テレサ大通りには、アメリカの平和グループによって寄贈されたマザー・テレサの彫像が立っている。
マザー・テレサは、現在のマケドニアの首都であるスコピエに、コソボ出身のマイノリティであるアルバニア人として1910年に生まれた。しかしながら、彼女がアルバニア人でありながらも東方正教会教徒である為(アルバニア人のアイデンティティはイスラムであることであり、東方正教会はそれと対立するセルビア側の宗教)、彼女の彫像はプリスティナでは必ずしも歓迎されなかった。このアメリカの平和団体は、コソボの人々がこの彫像を歓迎するだろうと考えたのであろうが、おそらくこの平和団体は、コソボ出身のアルバニア人の宗教背景を報告しなかったメディア・コントロールの為、アルバニア人の持っている複雑な背景を理解していなかったのだろう。
さて、ゲルニカだ。私は、スペインに行って、ピカソの絵画ゲルニカを見て、そしてスペイン内戦をテーマとするアーティストやバスクの人達などと、ゲルニカやフランコなど様々なトピックについて話してきたのだが、そこで私が感じたのは、「私はゲルニカを理解しえないだろう」という直感であった。スペイン人(バスク人含む)にとって、ゲルニカは原爆やアウシュビッツのようなもので、置き換え不可能なシンボルである。当事者的要素があまりにも強く、引用したり比較するのは極めて困難なものと思えるのだ。そして、ピカソの「ゲルニカ」はゲルニカというバスクの都市の名前から来ていることを忘れてはならない。
平和のメッセージとしてマザー・テレサやゲルニカが有効なのは分かる。しかし、あまりにも乱暴すぎるのではないか。「ガンジー・アウシュビッツ」とか、「チョムスキー・広島」と呼んでいるのと大差ない。お祭り広場的な命名はキャッチーで広まりやすいかもしれないが、相互理解は生まれないと思う。本当の平和へのメッセージを考えるのであれば、もうちょっと丁寧なやり方があるのではないか、
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巨大写真「マザー・テレサ ゲルニカ」、上智大で展示
2007年07月14日18時27分
ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ(1910~97)の写真20枚をあしらった巨大パネル(縦3.5メートル、横7.8メートル)が13日、上智大(東京都千代田区)の学舎壁面に掲げられた。31日まで展示されている。
写真上智大の学舎壁面に展示されたマザー・テレサの巨大な写真パネル=13日午後、東京都千代田区でマザーの奉仕活動を日本にいち早く紹介した写真家の沖守弘さん(78)が、自ら撮った写真を基に制作した。
パネルは、戦争の惨禍を描いた画家ピカソの代表作「ゲルニカ」と同じ大きさで、「マザー・テレサ ゲルニカ」と名付けた。沖さんは「亡くなって10年になるが、改めてその思いを知ってもらいたい」と話す。