Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

4月28日(土)のつぶやき

2012-04-29 01:17:51 | Weblog
16:49 from web (Re: @iwamotts
@iwamotts 沖縄を巡る状況は極めて複雑なので、やるとしたらとても慎重にやりたいです。沖縄のことは、今でも毎日の様に考えています。

16:52 from web  [ 1 RT ]
昨日はようやく夏の訪れが感じられる、素晴らしい日だった。街を照らす光の加減や人の表情が急に明るくなって、ベルリンに来て本当に良かったと心底思えた一日だった。

18:46 RT from web  [ 1 RT ]
東京も今日はそんな感じだったよ。橋の上の人達がみんな手を振ってくれ楽しそうだった。RT @curatorshinya: 昨日はようやく夏の訪れが感じられる、素晴らしい日だった。街を照らす光の加減や人の表情が急に明るくなって、ベルリンに来て本当に良かったと心底思えた一日だった。
Hiroshi YAMAZAKIさんのツイート

19:47 from web  [ 35 RT ]
私が20歳で初めてインドに行った時のこと。インド人に"Where are you from?"と聞かれて、"I am from Japan."と答えると、"Why?"と返されて、とても混乱したことがある。この質問に答えられる人はいるのだろうか?

19:49 from web
「なぜ?」という問いは、究極的には因果関係の解明を求めるものだと思う。すると「なぜ?」という問いに対して物理学的・言語学的に答えることが可能となるが、これら人間が認識可能な宇宙における部分情報の内部のみで、宇宙全体の因果関係を解明することは果たして可能なのだろうか?

19:50 from web
1+1=2 or 1? 2+2=4 or 1?

19:54 from web  [ 14 RT ]
2+2という計算式は、1という数字の持つユニークネスがそもそも破綻していることを前提とし、それを公理に据えることで初めて可能になる計算式だと思う。0と1という、究極的には分かつことのできない連続したものを分けて公理に据えることで、数学は宇宙全体の一部分として成立したのだと思う。

19:56 from web  [ 11 RT ]
「はいといいえの違いはなあに?」とムーミンが尋ねた時、パパは答えられなかった。トーベ・ヤンソンがこのシーンを描くことができたのは、フィンランド人の父とスウェーデン人の母の下に生まれた彼女がネーションの内外問題に触れ、物事の一面性と二元論を疑っていたからこそ生まれた表現だったろう。

19:59 from web  [ 6 RT ]
大学時代、哲学の教授に「はいといいえの違いは何ですか?」と尋ねたら、「お前みたいなバカは初めて見た!」と罵倒されたことがある。とても残念だったけれど、その経験があったからこそ、その問いを今でも自分の中に持ち続けることができているのだと思う。

20:00 RT from web (Re: @curatorshinya [ 2 RT ]
完全情報で作ったモデルは対象と一致しますが、部分情報で作ったモデルは必ず対象と乖離するので、解明不可能ですね。 @curatorshinya 部分情報の内部のみで、宇宙全体の因果関係を解明することは果たして可能
新田勝貴(にった かつよし)さんのツイート

20:00 RT from web (Re: @curatorshinya [ 1 RT ]
別解。証明のために1つ目の根拠を提示した時点で証明は不能になります。これをミュンヒハウゼンのトリレンマ ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F… と言い、人間の思考の根本的問題 @curatorshinya 部分情報の内部のみで、宇宙全体の因果関係を解明することは果たして可能
新田勝貴(にった かつよし)さんのツイート

20:05 from web  [ 8 RT ]
ヒンズー教の美術作品で男女が合体した彫刻が沢山出て来るのは、古代インドでは二元論の克服が重要な問題であり、その超克を形態化したものが男女の合体だったから。その思想は男女の相性という視点から化学反応(chemistry)の概念を生み、密教にも取り入れられて「理趣経」を形作った。

21:25 from web  [ 4 RT ]
量子力学にて5つの超弦理論を一つに統合したM理論とは、日本語における「わたし」「ぼく」「わたくし」「おれ」「わし」を英訳した場合、全て「I」に統合できることと相似形にあるのではないか?

by curatorshinya on Twitter