Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

4月4日(水)のつぶやき

2012-04-05 01:21:48 | Weblog
16:56 RT from web
20政令指定都市における文化芸術振興条例の施行もしくは計画の策定状況をまとめてみました。どちらもないのは広島市だけです。 d.hatena.ne.jp/kk392/20120404…
加治屋健司 Kenji Kajiyaさんのツイート

16:56 from web (Re: @yuuka_tkmts
@yuuka_tkmts おめでとう!

17:21 from web (Re: @yuuka_tkmts
@yuuka_tkmts 自分で作っている文章を自分で校正するのは、かなり大変ですね。でも、高松さんならきっと大丈夫。ファイト!

17:29 from web  [ 9 RT ]
芸術は未来を準備することができる。

18:08 from web  [ 7 RT ]
「神よ、変えることのできないものを受け入れるだけの冷静さを、変えることのできるものを変えるだけの勇気を、そして、変えることのできるものとできないものとを識別する知性を、我に与えたまえ。」 - ラインホルド・ニーバー "Serenity Prayer"

18:22 from web
ナチスのユダヤ人虐殺に対する罪悪感から西欧人がイスラエル批判を自粛することは、ヨーロッパ人としてのアイデンティティの根底を成すキリスト教における原罪の意識が、ローマ帝国の支配原理として広められた結果生まれた呪詛であることを、ラース・フォン・トリアー監督は指摘しているのではないか?

19:41 from web  [ 1 RT ]
機械翻訳を完成させた長尾真は、人間は情報環境に大きな影響を受けている為、情報を人間と相互作用する独立の対象と捉え、動植物と環境の相互作用の研究である動物生態学、植物生態学の様に「情報生態学」を立ち上げることが必要だと考えていた。kcg.ac.jp/acm/a5008.html…

19:45 from web  [ 3 RT ]
長尾真教授は、コンピューターなどの情報科学は普遍性だけでは解決できない問題を内包する為、必然的に特殊性を扱うことになり、故に文化依存型になるだろうと述べている。これは異なる文化における言語を扱い、機械翻訳を完成させた工学者だからこそ到達し得た、一つの広大な地平だろう。

19:54 from web
先日ドイツ人の友人と予定を立てていたら「イースター後にしよう」と提案された。私はそれまで、今週の金曜日から来週の月曜日までがイースター休暇となり、休日になることに気がつかなかった。言語的に類似していても、アメリカと異なるヨーロッパの宗教上の慣習は、現地に来てみないと分からない。

20:50 RT from web (Re: @curatorshinya
@curatorshinya 長尾先生のご実家は元々神祇院の宮司の家系です。戦後宗教法人化したので後を継がれなかったけど、敗戦直前は父親は樫原神宮の宮司だったと思います。だから言霊、アミニズム的世界の理解があるのと、民博の教授もされていたので梅棹忠夫さんの生態史観の影響もあります
culturepotさんのツイート

20:51 from web (Re: @culturepot
@culturepot そうでしたか。それは長尾先生に多大な影響を与えたことでしょう。こういった偉大な知性が、現在の日本の若者にも生まれて欲しい、と切に思います。

22:41 from web  [ 1 RT ]
連続ツイート 「田川建三著『イエスという男』を読んで考えたこと」

22:42 from web  [ 2 RT ]
(田イ1)田川建三の『イエスという男』は、宗教家としてではなく歴史におけるイエスを客観的に論じることを目指した「史的イエス」に関する本である。徹底的なリサーチの上に書かれた田川氏のイエス像は、まさに逆説的反抗者という言葉がぴったりだった。amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%8…

22:43 from web
(田イ2)イエス自身は愛という単語をほぼ全く用いておらず、またイエスは律法学者の説く隣人愛(信仰共同体としてのイスラエルの民における愛)を批判している。良きサマリア人の逸話も、ヘレニズム化したサマリア人をユダヤ人が蔑視していることに対する逆説的批判として述べられたと言う。

22:44 from web
(田イ3)イエスは律法学者の説く隣人愛を批判し、「敵をこそ愛せ」と述べる。この言葉は論理的矛盾を伴うが、それは「隣人を愛せ」と主張する律法学者たちが、その影におのずと「敵を憎め」を伴うことに意識的でないからこそ、はっきりと、そうではない、「敵をこそ愛せ」、と述べたのだとしている。

22:44 from web  [ 2 RT ]
(田イ4)右の頬を殴られたら左の頬もむけて殴らせるがよい、という台詞を、吉本隆明が「これは寛容ではなく、底意地の悪い忍従の表情である」と読み解いたことを田川氏は評価し、「吉本はおそらく、実際に人間がなぐられている場面を頭に描きつつこの言葉を理解しようとしたのだろう」と述べている。

22:45 from web
(田イ5)イエスはいかなる形態であろうとも、支配する立場の者にはなるな、と主張し、支配する者を徹底的に批判した。つまりこれは歴史社会の変革プログラムではなく、あるのはいつまでも続く怨嗟と反抗であり、そこにイエスの長所と短所がある、と田川氏は指摘する。

22:45 from web  [ 2 RT ]
(田イ6)重要なのは、イエスはパリサイ派律法学者を批判したのであり、ユダヤ人全体を批判した訳ではない、ということである。これをユダヤ人全体への批判と勘違いすると、ユダヤ人を全員やっつけろ、となるか、もしくはユダヤ人国家の現状に対する批判は全て封じ込められてしまう。

22:46 from web  [ 2 RT ]
(田イ7)なお、イエスは2,3の例外を別とすると、罪という言葉を口にしていないと言う。またヘロデ王家の宮廷内の男女関係を糾弾した洗礼者ヨハネの首を何故サロメが手にするに至ったのかに関する記述はまさにお見事で、目からウロコの連続だった。

22:47 from web  [ 1 RT ]
(田イ8)マタイ福音書11章11にて、イエスは洗礼者ヨハネを「女から生まれたものの中で最も偉大なもの」「しかし神の国で最も小さいものもヨハネよりは大きい」、21章31では、取税人や遊女こそがむしろ神の国に入るのだ、と述べ、22章9では、誰でもみんな、神の国に入る、としている。

22:48 from web  [ 10 RT ]
(田イ9)学僧・親鸞が読んでいたと思われる西本願寺の宝物とされる経典『世尊布施論』は『マタイ伝』の漢訳だと考えられている。するとこの辺りから、親鸞は原罪を悪人正機と読み替えて、悟りの宗教である仏教から、キリスト教的な救い(他力)をもたらす宗教、浄土真宗を生み出したのではないか。

22:49 from web  [ 1 RT ]
(田イ10)田川氏は、マリアの処女懐胎と馬小屋での出産を、ルカによる創作だと指摘している。またイエスは大工だったとしているが、彼が権力のの匂いを感じるとする東方三博士とは一体誰なのか、そしてイエスがインドのジャガナスで修行した可能性はあるのかどうか、ぜひ本人に話を伺ってみたい。

22:49 from web
以上、連続ツイート「田川建三著『イエスという男』を読んで考えたこと」でした。読んで下さった皆様、ありがとうございました。

23:08 from web
田川建三氏の『イエスという男』は、Twitter上で @kenji_kajiya さんがお勧めしてくれたのだった。Tweetに対する返信を通じて研究が進んで行くのは、とても嬉しい。

23:39 from web (Re: @octetdesign
@octetdesign 息抜きしながら、頑張って下さい。ベルリンから応援しています!

by curatorshinya on Twitter