Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

マウント完了

2005-07-30 14:56:51 | Weblog
ショーン・ケリー・ギャラリ-から、マリーナの作品を持っているコレクターの方からloanの許可が出た、との連絡が入る。当初はギャラリーから直接借りる予定だったのだが、作品がマウントされていなかた為、コレクターの方から借りることを進められていたのだ。はあ、これで本当に一安心だ。

さらにジュンさんの彫刻作品のシッピングについて、いくつか会社に関してリサーチを行う。結果、郵便局のEMSが保険もかけれて、そして安価だった為、それを利用することにする。他にもお勧めの業者を紹介してもらったのだが、保険の件が複雑だった為、断念する。また勇賢さんの着物は、ジュンさんに持ってきてもらう事になった。

お昼過ぎには、ショーバのマウンティング済みの写真を取りに行く。相変わらず人懐こい店員が迎えてくれた。

ショーバのマウンティングは非常に上出来で、嬉しかった。サイズも大きいので、なかなか迫力がある。一緒に持って行った赤瀬川氏の作品のマウンティングも依頼したのだが、「自分でやったら?」と促される。この店の前に額縁屋さんがあるから、そこで裏表紙を買って、自分でやった方が良いよ、と言われてしまい、その通りにする。画用紙を買って、それを指定のサイズに切ってもらい、写真用の両面テープを使用してマウントする。家に帰ってみて気付いたのだが、店のおじさんに渡しておいた赤瀬川氏のプリントには、すでに写真用の両面テープが張ってあった。このおじさん、とことん商売っ気のない、本当に良い人だ。こういう人にマンハッタンで合うと、本当にほっとする。

その後、自宅に帰り、自分でマウントする。どうしても空気が入ってしまう部分があり一部が膨らんでしまうのだが、私もマウントのプロではないのだから、これは仕方ない。これくらいだったら許容範囲だろう。久しぶりに工具を使って工作をして、良い気分転換になった。しかも自分でやったお陰で、お金も節約できた。

夜はフレーム屋さんの人達とミーティング。ショーバの作品を説明して、なんとか安くフレームを作ってもらえないか、交渉する。発注でフレームを作ると数百ドルかかるのだが、私にはその余裕がない。そこで友人の紹介にて、割引しても良いよという業者の方と話しをする。展示意図や、その他いろんな話をしたのだが、なかなか上手くいきそうだ。まだ見積もりをもらっていないが、何とかなりそうだ。

夜の果てへ

2005-07-29 15:47:58 | Weblog
気付いたら、俺は貧乏だった。

ここ最近、俺は少しでも贅沢をしただろうか。贅沢な時間の使い方、贅沢な食事、贅沢な生活・・・。最近、まともな飯さえ食っていない。最近のちょっとした贅沢は、10ドルで韓国人経営の店でスシを食った事くらいだ。これは贅沢でも何でもなく、普通の食事のはずだ。

久しぶりに4ヶ月ぶりにNYのアパートに戻ってきて、久しぶりに自分の部屋で、自分のベッドの上で、自分のCDが聞けるという環境に戻ってきた。これには小さな感動を覚えた。しかしその後、部屋でマリア・カラスを聞いていて、うーん、贅沢な気分だ、と思っていた自分が少し情けなくなった。本当に俺はこれでいいのだろうか?

普通に経済学を勉強していて、そのまま金融マンあたりの道を突っ走っていたら、もうちょっとまともな生活もできたろうに、何を考えたのか、アートの道に転がりこんでしまった。資本主義のルールに適応できなかった、そしてお金に興味が湧かなかったと言うのが第一の理由だ。ファンダメンタルから切り離されたフローしっぱなしの物品に、何の価値があると言うのだろう。

最近セリーヌを読んでいたら、こんな文章にぶち当たった。彼はこれを書いた時、何を思ったのだろう?

「要するに、ドイツ軍がここまで攻め入って、殺戮、略奪のかぎりを尽くし、何から何まで、ホテルも、揚げ物も、ローラも、チュイルリ宮殿も、大臣も、その取り巻きも、学士院も、ルーブル宮も、百貨店も、何からなにまで焼き払おうが、街になだれ込み、ここに、この汚れきった掃き溜めみたいな、腐りきった市場みたいな大都会に、天罰の雷をおっことそうが、地獄の業火をぶっ放そうが、僕におっては、しかし正直なところ何ひとつ損害はないわけだ、何ひとつ、むしろありがたいことだらけだ。」

Rivane Neuenschwander

2005-07-28 14:55:33 | Weblog
今日は平日だし、比較的時間があったので、意を決してMoMAへ向かう。思い切って行かないと、いつも仕事ばかりしてしまうからだ。

MoMAに行くと、なんだか銀行に行ったような気分でげんなりしてしまうのだが、今日は収穫があった。モマの新コレクションの中で、Rivane Neuenschwanderというブラジル出身のとてつもなく素晴らしいアーティストに出会えたことだ。私が見たのは彼女の登場人物がなく、吹き出しのみが残っている漫画風の作品だったのだが、本当に素晴らしかった。久しぶりに電気が走ったよ。ありがとう、リバネ。ちなみに彼女は、こんな金魚にメッセージを付けた作品や、身近にアルファベットを付けた作品こんな感じの説明の難しい作品等を作っています。

あとは、リジア・クラークやエリオ・オイティシカ、マルセル・ブロータスが良かったかな。と書いた所で、もう私はアメリカのモダンアートに魅力を感じていない、という事がわかってしまった。いつも同じものばかりで、もうジャスパー・ジョーンズとか見ても感動しないよね、さすがに。

インディベンデントスカラーの富井玲子さんにカタログ用の赤瀬川原平氏のテキストを構成してもらった所、すっかり全文が書き直されていて、ビックリ。まさか富井先生に赤瀬川氏の紹介文を書いてもらえるとは思わなかった。これで最強のカタログが作れそうだ。

富井さんから最初返信があった際、文字化けメールだったのだが、「気を悪くした!」という部分があり、あちゃー、富井さん、怒っているみたいだ、と思いメールするのが怖かったのだが、たまたま「気を悪くした?」の「?」の部分が「!」に文字化けしていたと判明し、ホっと胸を撫で下ろす。これはハイ・レッド・センターの亡霊か?!

ミネルヴァの梟は飛び立つか?

2005-07-27 13:08:58 | Weblog
キュレーターのボシュコからカタログ用のテキストが送られて来る。俺に見てもらう前までは随分と恥ずかしがっていたのでどうなのかと思っていたのだけれど、出来上がった文章は素晴らしかった。誰でも人に最初に読んでもらうのは恥ずかしいと言った所だろうか(ちなみにキュレーターは文章のプロでない事が意外と多く、文章が下手な人も少なくない)

ボシュコの文章を読んでいると、ヨーロッパ出身の人に書いてもらった文と言うのが、節々に出てくる。これは日本人の視点からはなかなか書けないと思うおだが、それは単純に経験から来る視点の違いだろう。(その逆もしかり)

例えば国家的なるものが、18世紀ヨーロッパにおいて女性によってrepresentされていたという点。イングランド(ブリテン)という国家を代表するシンボルであった女神ブリタニカは憲法の守護であり、Pallas Athena(工芸戦術の女神、ミネルヴァ)の格好をしている。さらにフランスにおける民主的ナショナリズムを喚起するシンボルとして、マリアンヌが使われているという点だ。

そういえば、ミネルバはローマの女性軍神だが、ギリシャ期にも女性の軍神はいたのだろうか?(非常に気になるので、知っている人がいたら教えて下さい)ギリシャ期とローマ期とでは戦闘における概念が違うので、そこに何かヒントが隠れているかもしれない。またミネルヴァの梟のメタファーを使っていたのはヘーゲルであったが、これは女性性と関係があるのか、と疑問に思った。またドラクロアの絵画『民衆を導く自由の女神』に出て来るマリアンヌは胸を片方出しているが、これは両方隠れていたら革命の息吹は絵画の中で表現できなかったかもしれない、などと漠然と考えて見た。

今日はいろいろと作業を済ませてから、注文していたショーバのプリントを取りに行き、マウンティングのお店に行きいろいろと交渉。結果、お店の人が3割ほどディスカウントしてくれて、こちらとしては助かった。個人経営のとっても良い感じの店で、オーナーは南米の小国出身のインド系ヒスパニックの人だった。「おまえ日本人だろ?俺はスシが好きだ」、そんな何気ない会話の延長線で値引きが成立したのだが、これは私に親近感を持ってくれたインド系つまりアジア人マイノリティのおじさん、というのと無関係ではない、などといろいろ考えてしまう。(あえてこう書いたのは、日本在中の人にも少しでもNYの状況を知ってもらいたいからだ)

その後いろいろ展示に必要な買い物を済ませ、White Boxでの展示「Nighthift」のオープニングに行く。前に一緒に展示のインストールを手伝って仲良くなったジェフリーと話が盛り上がる。展示そのものも大変興味深いもので、やはりアートに若さは必要だ、と痛感した。

プイプイと紙芝居

2005-07-26 14:00:41 | Weblog
ルームメートの飼い犬プイプイがなんだか変だ。おしりの辺りの毛がすっかり無くなっている。ううん、これは病気ではないか、と思い志保さんに聞くと、「プイプイは尻尾が短すぎて、喜んでしっぽを振っているのかどうかが見えないから、毛を刈っちゃった」だって。可愛そうなプイプイ。後ろから見ると、本当に情けない姿になっている。。。

展示に関しては、陵賀と紙芝居の制作の件でかなり長い間やりとりをしている。紙芝居の紙のサイズが微妙にアメリカの定型サイズと異なる点や、紙芝居のフレームの関係で、どうしても見えない部分が見えてくる関係だ。見る側としてはそれほど気にならない詳細でも、見せるアーティスト側としてはとても重要な問題だ。だからマウンティングを工夫して、なんとかして綺麗に見せようといろいろ考えている。私はマウンティングの発注をした事がないので、とても不安だ。

紙芝居のパフォーマンスの様子は、録画してDVDに焼く予定だ。会場にてパフォーマンスの様子を録画すれば、陵賀がパフォーマンスをしていない間そのDVDをテーブルの上で流すことによって、まるで陵賀がパフォーマンスしているかの様に見えるという仕組みだ。そしてこのDVDは普及を目的として、低価格(20ドルくらい)で販売することも決定した。また、パフォーマンスの雰囲気を出す為、拍子木も買って日本から取り寄せる予定だ。

ICCを応援しよう!

2005-07-24 16:40:49 | Weblog
こんにちは、「もう一つの万博」キュレーターの渡辺真也です。

ネット上で少し出回っているのでご存知の方も多いかもしれませんが、ICCが閉館の危機に瀕しております。しかし、こういう時だからこそ、ネットの力を利用して、皆さんで存続支持を訴えるべきではないでしょうか?特に社会的影響力のあるポストに付いている方、ぜひぜひ応援メールを出してみてはいかがでしょう?

以下がキュレーターの四方さんからのメッセージです。四方さん宛てに皆さん応援メールを送りましょう!

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四方です。

すでに知っている人もいると思いますが、ICC閉館の可能性について、本日学芸員でメッセージをまとめました。
*広く友人知人の方に転送をお願いします。

四方のアドレス宛に、ICCの存続についての支援メールをいただければ嬉しいです。
四方幸子:shikata@ntticc.or.jp

四方幸子

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ICC存続支持メールのお願い


東京・初台のNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]*が、2005年度いっぱいで活動を停止する方向が、スポンサーであるNTT東日本株式会社より閉鎖を示唆されたのは今年3月のことでした。この件については、同社から公式アナウンスをするという決定がなされないため、内部の者から公にできない状態が続いていたのですが、ICCの現状を含め、ICCおよびメディア・アート・センター、そして文化施設や文化全般の社会的意義を広く議論する必要を感じ、学芸員の判断により今回の件を直接メールさせていただきます。


■ICCの閉鎖可能性

ICCは、アートとテクノロジー、科学の触発により生まれる新しいジャンルであるメディア・アートのアクチュアリティを紹介し、またさまざまな人々が出会う場として91年のプレイヴェント開始後、継続的に活動を続けてきました。97年春のセンター開館後は、カールスルーエのZKM(ドイツ)、リンツのアルスエレクトロニカ・センター(オーストリア)と並ぶメディア・アート・センターとして認知され、国内そしてアジア地域におけるメディア・アートの中核として機能してきました。

ICCは、メディア・アートおよびメディア文化を長年にわたって推進し育ててきた重要な拠点の一つです。長年の活動を通して国内外の交流を推進するだけでなく、大学の授業枠等での視察も多く、教育的役割を大きく担っています。またここ数年、大学機関においてメディア・アート、情報デザインのカリキュラムが増加し、数多くの学生がこの領域で学んでいます。メディアを横断する表現者の増加やネットワーク環境の普及もともなって、メディア・センターの活動は、今まさに広く一般に必要なものとなりつつあります。

公共の場としてメディア文化を牽引するICCが閉鎖されることになった場合、その社会的・文化的損失は、国内外に計り知れないものとなるでしょう。またICCはコレクションを保持しており、活動のドキュメントやアーカイヴも含めこれらをいかに保管し長期的にアクセス可能にするかという問題も出ています。スポンサーであるNTT日本は、これらを公共的な財産として未来につなげていく大きな社会的責任を荷っています。しかし、企業側からは未だ明確な指針が提示されない状況です。

ICCが今後とも継続されることについて、私たちは皆様のご賛同の表明を集めたいと考えています。


■ICC存続支持、ご意見メール送付のお願い

ICCの存続のためにも、ICCの果たしてきた役割や文化的意義について社会的に確認し、広くディスカッションを開いていくことが今まさに必要になっています。一企業の問題にとどまらず、メディア文化そして文化の未来を開いていくために、皆様からICC存続支持メールやご意見、ご署名によるご協力をお願いいたします。またこの問題をできるだけ多くの人々に知っていただくため、広くさまざまなメディアで取り上げていただきたく存じます。

○メールは、このメールへの返信としてお願いいたします。お名前、ご所属、メールアドレスに加え、ご意見をぜひよろしくお願いいたします。


2005年7月19日 ICC学芸員一同

*ICC:1990年に日本電信電話株式会社(現NTT)により日本の電話事業100周年記念事業として開始。91年よりプレイヴェントを開始、 92年より機関誌『InterCommunication』を刊行。97年4月に開館、常設および企画展スペースをもちコンサート、ワークショップ、製作支援などを並行して展開。その後NTTの分割にともないNTT東日本の所属となり、2001年4月に縮小リニューアル開館。以後企画展中心に活動。 2005年4月よりカフェ、ライブラリーを閉鎖、メンバーシップを中止。2006年度以降の活動は未定。

ジョニミ 対 テリー・リチャードソン

2005-07-24 12:47:45 | Weblog
展示について動きがあるが、ブログに書けない詳細が多すぎる。読んでいる方、申し訳ない。

それにしても私はビザ問題が深刻になり、NYでの滞在が次第に困難になってきた。私はアメリカ大使館でのビザの申請を2回も拒否されてしまった為、次の申請が困難なのだ。私はこのビザの申請に対するアメリカ大使館の却下について、未だに納得が行っていない。ツーリストステータスで3ヶ月おきに入国するのも、あと何度できるか分からない。国民国家問題は、私にとって深刻な生活上の足かせとなっている。

そしてビザ問題がある限り、私はアメリカでも一対一で勝負させてもらえない。これは相当なハンディキャップだ。起業することもできないし、雇ってもらうことも困難だ(ビザのスポンサー側にいろいろと税金上の問題が出てくる為)

そういった事を考えていると、本当にアメリカ、またはNYは私にとって最良の場所なのか、という疑問が出てくる。またNYに住んでいて辛いのは、自分の性格がキツくなる点だ。この街では人に優しくしていたら、徹底的に利用されるのがオチだ。だから自分もアグレッシブにならざるを得ない。しかしこれに慣れてしまうと、他の地域では煙たがれてしまう。そして性格がきつくなっていく自分に気付くのは、本当に辛い。

先日、お世話になっている美術史家のローズリー・ゴールドバーグとリンカーン・センター・フェスティバルにバレエを見に行ってきた。その際にビザ問題やNYにおけるキュレーターとしての活動の困難を話した所、PhDに進むか、または日本で少しはキャリアを積んだらどうなの、と薦められた。NYにはあなたの入る隙間はもうあまりないと思う、とアドバイスを頂いた。

最近、NYでキュレーターとしてミュージアムに就職している若いアメリカ人は、有名コレクターのご子息がほとんどだ。つまり、分かりやすく言ってしまえば貴族である。こういったコレクターはミュージアムに多額の寄付をしており、そのお返しに子供たちを就職させてもらう、そういった構図だ。これでは、魚屋のせがれのアジア人男性が一緒に勝負させてもらえない。アジア美術を扱うのであれば別だが。

そんな事を考えながら、ジョニ・ミッチェルのブルーを聞き、イーストビレッジを歩いていたら、テリー・リチャードソンがパンクな集団とレストランで食事していた。彼みたいなSEXばかり撮影しているどうしようもないアーティストがもてはやされる場所、つまりここNYでは、知性は敗北してしまったのか、そんな疑問さえ浮かんでくる。さらにこれは資本の問題と密接に関係しているのだが、それに対する批判がアクチュアリティを持てない、そんなお寒い現状がある気がする。

うーん、くやしい。俺は負け犬になってしまうのか。

カタログ製作なるか?

2005-07-20 14:11:39 | Weblog
現在、展示のカタログ製作を視野に入れており、その準備に追われている。

このカタログへの写真の使用許可を取るだけでも、歴史的なアーティストになってくるとコピーライトの件でもめたりする。マリーナからは写真のカタログへの使用許可がすぐ下りて、助かった。近日中にマリーナのギャラリーを訪ねて、高解像度のデジタルデータをもらってくる予定だ。

私はイントロダクションや作品紹介の文章を書く予定だが、友人のキュレーターでプラットフォームに参加してくれたボシュコが解説文を書いてくれる事で同意してくれた。しかしやはりお金の問題が大問題だ。負債を抱え込む癖が付いてしまいそうだが、どうにかしなくては。

そういえば、8月13日で沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件から一周年になるとの事。大学にあった黒く焼け焦げた壁は撤去されてしまったが、この記録だけはちゃんと留めておかなくてはならない。墜落1周年を記念した写真展“私の見た壁~1000の記憶~”があるそうで、私がとった写真も出してくれ、と依頼が来る。もちろんOKだ。せっかくだから、フォトショップで写真を2枚つなげて遊んでみた。

展示を作る方、頑張って下さい。応援しています。

第二次大戦の終結はいつ?

2005-07-18 03:11:43 | Weblog
先日、展示「もう一つの万博」の準備をしていていくつか困ったことがあった。第二次世界大戦の終戦記念日における認識の差異についてである。

日本における終戦記念日は、アメリカでは対日戦勝記念日(Victory over Japan Day、VJ Day)と呼ばれている。この日は連合国(United Nations)の第二次世界大戦における日本に対する戦勝記念日であり、基本的には1945年8月15日とされている。日本時間の1945年8月15日、日本政府は連合国に対して降伏する旨をスイス政府外務省経由でワシントンD.C.にいるアメリカ合衆国大統領・トルーマンに電信し、同日正午に昭和天皇はラジオにていわゆる玉音放送を行った。しかし、アメリカ合衆国時間では日本の降伏のニュースが報道されたのが8月14日だったので、VJ Dayは8月14日とする場合が多い。しかしアメリカの資料によっては、8月15日を正式なVJ Dayとするものもある。

私は展示のオープニングに当たる終戦記念日を8月14日の日曜日にしようか15日の月曜日にしようかでかなり悩んだのだが、より大きな世界的な文脈で捕らえたかった為、最終的にアジア・ヨーロッパで見た際の第二次世界大戦の終結日、すなわち8月15日に設定した。(ちなみにアメリカは大戦終結後、すぐにまた戦争を始めてしまったので、8月14日という日が何の日であるか、今日ではあまり馴染みがない)

それにしても暦の問題はそもそも困難で、西暦のその構造そのものに強いヨーロッパ史観が入っているので、議論をした所で不毛になりかねない、という思いもあることはある。さらに韓国では8月15日は光復節と呼ばれ、日本の植民地支配からの解放日となっている。日本でレクチャーをした際に、在日の方に「あなたは国民国家解体と言いつつも、在日の言葉が一言も出てこない。所詮あなたも日本人だ」と言われた言葉が、今でも胸に深くずっしりと重くのしかかる。私は国民国家の内外問題、すなわち勝利や敗北といった一つの側から見た立場についての立場を脱構築しようと考えているので、こういった細部が重要なのだ。

また、プレスリリースをギャラリストと一緒に書いていて、もう一つ困った点があった。オープニングの日である8月15日の記述をを第二次世界大戦の終結とせずに、極東、すなわちFar Eastにおける大戦の終結とせよ、というのである。

Far East、すなわち極東における終戦という意味合いは2つの意味で間違っていると思う。一つは「極東」というユーロセントリックな言葉を世界大戦に当てはめている点、さらに第二次世界大戦の終結をヨーロッパにおける5月8日、すなわちナチスドイツの降伏の日と思い込んでいることだ。第二次大戦の終結は日本が降伏した8月15日なのだが、それが視野に入ってこないという所に「欧米」との歴史認識の差を感じざるを得ない。

私が仕事をしているNYのギャラリーはインドネシア生まれのオランダ人、スペイン人、イングランド人、そしてアメリカ生まれのユダヤ人やイスラム教徒など多くの人がいる非常に多くの人が混在した場所(普通のアメリカ人はほとんどいない!)なのだが、歴史認識に関しては相当な隔たりがある。このギャップを埋めるのには、本当に体力が必要だ。

日本であれば、第二次大戦に関して太平洋戦争や15年戦争、大東亜戦争、アジア・太平洋戦争などいろんな呼称がある。国内でさえ意見が割れるのだから、外に行けばなおさら違うというのは当然といえば当然かもしれない。

何はともあれ、私は終戦記念日という呼称が好きだ。世界中の全ての戦争が終わった日、という事で重要だと私は考えている。この言葉の持つ意味を、ニューヨークの方と共有したいと思う。

しかし歴史と仕事をするのは困難だ。気を引き締めて、相当慎重にいかなくては、と思う。

渡辺真也

エンロン事件の重要性

2005-07-17 03:36:59 | Weblog
今日のNYタイムスにエンロンが最終的に2000年から2001年にかけてのアメリカ国内におけるエネルギー危機の責任を認めたという記事が出た。エンロンは特にカリフォルニアにおいて1ドル当たり20セントのrip-off(ぼったくり)をしていたのだ。

2000年当時、私はイリノイ大学にて経済学を専攻しており、この石油危機はかなりの話題になった。というのもイリノイはハワイに続いてアメリカで最も石油価格の高い場所であり(運送の関係で。アメリカは大きな国だ)、この危機は田舎町に住んで車で移動している学生たちにとっても深刻なものであった。

総計で650億ドル、日本円で7兆円も投資家、消費者、社員さらには国家から横領したというこの事件は、私はアメリカ資本主義の終焉の一つではないかと考えている。ドリームチームと呼ばれた、MBAを取得した社員のみによって経営されるこのスーパーエリート企業は、結果崩壊した。アメリカ有数の優良企業と呼ばれたエンロンは、実際は腐りきっていて、そして彼らの献金は、ジョージ・W・ブッシュをはじめとする多くの政治家に渡っていたのである。

今更事件が明るみに出てきた訳だが、なぜアメリカにおいて、これほどの国家的規模の事件の解決が遅れたかと言うと、セプテンバー11の影響がある。アメリカでは政治家の都合が悪くなると大事件が発生する傾向があるが、このエンロン事件にその匂いを感じてしまうのは、私だけだろうか。