Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

k.d.langが歌うFado Hilario

2008-10-29 15:05:34 | Weblog
カナダの事を書いたことがきっかけで、k.d.langを聞きなおしている。

私が初めてk.d.langの音楽を聞いたのは、確かコンピレーションアルバムRed Hot+Lisbonであったと思う。このアルバムは確かデヴィッド・バーンとカエターノ・ヴェローソが中心となって、HIV撲滅キャンペーンの一貫として作られたチャリティーアルバムだったと思うのだが、7曲目に入っていたk.d.langのFado Hilarioという曲が大好きで、何度も聞いた記憶がある。とにかく、いい曲、そしていい声だな、と思った。

それから20歳の時にアメリカに留学した時、k.d.langというミュージシャンが、北米でかなり人気のあるミュージシャンであることを知った。アメリカ人の友人がアルバム「Ingénue」を薦めてくれて聞いたのだが、その時はあまりにもスイートな声で、ちょっと引いてしまったのだが、そんな時に、k.d.lang自身が同性愛者で、彼女の歌うラブソングは、すべて女性のことを歌っている、ということを知った。そして、その曲を進めてくれたアメリカ人女性も、同性愛者であることに気づいた。そういう文脈ができて初めて、ああ、だからHIV撲滅の運動に協力しているんだな、と腑に落ちた。(さらに、カエターノはトロピカリズモにて、ブラジルの軍事政権を批判し、イングランドに亡命したが、このトロピカリズモをビジュアル・アートで行ったのがエリオ・オイティシカであり、またデビッド・バーン自身もイングランド人である)

コンセプチュアル・アート (岩波 世界の美術)
トニー ゴドフリー
岩波書店

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そういえば、木幡和枝さんが翻訳したトニー・ゴドフリーの著書「コンセプチャル・アート」では、k.d.langの「Meat Stinks」という出身国のカナダで行った肉食撲滅運動のことを書いていた。
k.d.langは故郷カナダではレズビアンをカミングアウトした珍しいセレブとしてリスペクトされていると同時に、彼女自身はレズビアンであることを別に何とも思っておらず、レズビアンのコアファンには複雑な感情を抱いていたらしい。彼女は自身の故郷アルバータのカントリーミュージックファンに愛されており、彼女の地元には「k.d.langの故郷」という地域振興の看板まで立てられていたそうだ。しかしラングは、自身がベジタリアンであった為、ファンである牧畜業者の多い故郷アルバータに、何と「Meat Stinks!(お肉は臭い!)」という立て看板を立てて、肉食反対運動を開始してしまった。しかし、故郷の牧畜業者は反発し、この看板を撤去する運動を始めた。しかし!この看板を守りぬいたのは、レズビアンであることを誇りに思う、k.d.langのコアファンのグループだった、というのは凄い話だ。(これをコンセプチャル・アートの文脈で取り上げたゴドフリーのセンスもなかなかのものだ)

上にリンクしたk.d.langの曲と写真を見ていたら、このMeat Stinks!の運動に集まった人たちの顔が、ぼんやりと浮かんでくるから不思議だ。

カナダのシンコペーション

2008-10-27 03:00:59 | Weblog
私はYoutubeのヘビーユーザーなのだが、仕事の合間や食事をしながら見るのが習慣化している。Youtubeができてから、私の生活は大分変わった気がする。

頭を使う作業で疲れた後は、サッカーを見たり、音楽を聞いたりするのが最高だ。音楽は、さすがに音質は悪いが、世界中の名演奏を見ることができる。

久し振りにグレン・グールドが聞きたくなって、グールドを見てみたら、やっぱり凄い、と再確認できた。グールドの音楽的天才は、カナダの風土と密接に繋がっている、と私は考えている。ある種、時空を超えた奇跡的な融合がそこにあると思うのだ。(そういえば、グールドが漱石の草枕が大好きで、従姉に草枕を2晩にわたって朗読して聞かせたそうだが、この話は、アンディ・カウフマンが自身のコメディ・シアターの舞台にて、グレート・ギャッツビーを冒頭から最後まで読んだのとどこか通じる所がある)

グールドがカナダの風土を体現しているとしたら、カナダでは他にどんな人がいるだろうか?と思って真っ先に頭に浮かんだのはオスカー・ピーターソンだった。このビデオにあるアリス・イン・ワンダーランドのアレンジは、素晴らしいの一言だ。

彼がジャズの中で、どうしてあれだけエレガントな演奏ができるのだろう?(アメリカのジャズピアノは、私にはもう少しごつごつしている印象があるのだ)と不思議に思った際、彼がカナダのモントリオール出身だ、という話を聞いた時に、私の中で非常に腑に落ちたのだ。彼のエレガンスの中には、NYジャズやニューオリンズジャズとは異なった、独特のリズムがある。カナダのシンコペーションとでも呼べは良いのだろうか。

数年前、友人にオスカー・ピーターソンのライブがあるから、一緒に行こう、もうラストチャンスかもしれないよ、と言われたものの、お金がなくて入場料の60ドルが払えず、悔しい思いをしたことがある。ビデオを見ていたら、その悔しさが倍増してきた。これだけの才能に触れる機会を、今後は活かしていきたいものだ。

少しずつ変わりつつあるアメリカ + Meet Your Mentor

2008-10-26 05:28:09 | Weblog
先日、私がよく利用しているアッパーイースト・サイドのカフェで、こんな出来事があった。

私がレジを待つ列に並ぶと、私の前にアメリカ人の白人の老夫婦がいて、コーヒーを注文していた。見た目は(見た目で判断してしまい、申し訳ないが)、どちらかと言うと気難しそうで保守的な雰囲気の老人たちだったのだが、二人ともオバマのキャンペーンバッジを付けており、私にはそれが意外であった。

レジを打っているのは黒人の男性だったのだが、この黒人に対する二人の姿勢が、普段NYにて見られる行為よりも、明らかに丁寧だったのが印象的だった。黒人の血の入ったオバマをアメリカ大統領として支持する、という腹をくくったアメリカ老夫人の小さな決意が、この街角での黒人男性との好意的なやりとりに現われていた。

この夫婦の男性の方は少しばかり耳が遠いらしく、黒人のお兄さんがお釣りを渡そうとしても、それが聞こえていないらしく、黒人のお兄さんは、丁寧にSir,Sirと呼びかけてお釣りを渡していた。そして、お釣りを渡した後、この老夫人が窓際の席に座ろうとすると、「Sir、そちらは道路に面している為、少しうるさいのです。もしお二人でお話をするのでしたら、奥のお席はいかがでしょうか?ご案内差し上げます」と申し出て、席まで案内したのだ。これには、私は正直、驚いた。

黒人男性に対するこの老夫人の態度が丁寧なものでなかったら、この男性はこんな親切な行為に出ることはなかっただろう。なんだか、本当に嬉しい気分になる、早朝のマンハッタンでの出来事であった。

昨日は、ニューヨーク大学大学院のVisual Art Administrationからの依頼で、大学院の学生と卒業生向けに毎回開かれているMeet Your Mentorというイベントでスピーカーを務めることとなり、Bloomsbury Auctionsという所でのトークイベントに参加して来た。私を含め、NYUのVisual Art Administrationの卒業生5人が、卒業後、自らがどんなキャリア形成をして来たのか、というトークをするのだが、50人を上回る参加者の皆さんが、真剣に話を聞いて下さった。私は卒業後、苦労してビザを取得したことや、なんとかインディペンデント・キュレーターとして展示を作って来たことなどをお話したのだが、トーク終了後、多くの学生たちに囲まれて、1時間くらい、ずっと進路相談をすることとなってしまった。

学生時代にキュレーター志望である人たちは多いのだが、皆就職口が無く、アドミニストレーション系の仕事に付く、というパターンが多い。そうならない為にはどうしたら良いか、という質問が多かったのが印象的だった。私の経験と提言が、彼らの将来に何らかの好影響を与えてくれるのであれば、とても嬉しい。

イベント終了後、卒業生たちの皆が集まり、飲み会になったのだが、レベルの高いキャリア系の仕事に着いた女性たちが多く、なんだかSex and the City実写版みたいな感じだった。まあ、たまにはこんな経験も良いかな、なんて思ってみた。

ぶぅたんへ行きたし思えども ぶぅたんはあまりに遠し

2008-10-23 13:42:45 | Weblog
9ヶ月間ブータンでの仕事から帰ってきた友人と出会う。久しぶりに出会う友は、元気そうだった。

「ブータン、どうだった?」と聞くと、とにかく楽しかった、そして、人生観を変える多くの出来事に出会った、と興奮気味に語ってくれた。同時に、アメリカに帰ってきてから、ブータンでは日常と一致していない「消費」という行為が、どうしても不健全に思えてしまい、消費社会に生きる私たちが、ブータンの人たちをある種啓蒙的に扱っているのはどうなのだろうか、と疑問を持つ様になったと言う。

ブータンもグローバル化の波が押し寄せているそうだ。英語教育も盛んで、町で英語を話す若い人の数は増えており、英語はインド人の英語よりも上手いそうだ。また、TVの影響からか、ヒップホップが流行っているそうで、町では子供たちがラッパーの真似事をしているそうだ。ブータンの子供が、ダブダブの黄色い袈裟を着て、2PACか何かの真似をしている所を想像すると、なんだか複雑な気分だ。

また、日本から有名なサッカー選手が来た時は、お祭り騒ぎで、国王も大分興奮していたよ、なんて話を伺う。ああ、中田がやってきた時のことだ、と思うと、なんだか嬉しかった。彼はある意味、日本と言う国をいつのまにか背負い込んで、親善大使の様になっていると思う。文化に携わっている身として、本当に凄いことだとおもう。(ちなみに中田さんは、とても紳士的で、王様(中田よりも年下)も大満足だったそうだ。)

それにしても、ブータンに9か月とは、羨ましい限りだ。・・・ぶぅたんへ行きたし思えども ぶぅたんはあまりに遠し、と言った所だろうか。

ちなみにこの友人は、明日からアメリカ大統領選挙の日まで、NPOの仕事か何かで、アメリカの地方の選挙権を持った方に電話をして、オバマ大統領を推薦するキャンペーンを手伝うそうだ。アメリカの地方の有権者に電話すると、オバマがイスラーム教徒だったり、アルカーイダと繋がっている、なんてことを本気で信じている人が多くで、驚く、と言っていた。

オバマ支持者のアメリカ人有権者の皆さん、今が正念場なので、頑張ってほしい。

金融関係企業の破綻の美術館経営への影響

2008-10-21 01:14:37 | Weblog
先日、NYTimesにてロンドンのフリーズ・アートフェアが惨憺たる結果であったことを読んだのだが、美術業界は、金融関係企業の破綻のあおりを受けて、大分苦労している様だ。今日のTimesの記事が、これだ。

Museums Fear Lean Days Ahead

美術館経営のファンドレイジングに関して、MoMAのディレクターであるグレン・ローリーが、かなり悲観的なコメントをしていたのが印象的だった。レーマン・ブラザーズの破たんに伴い、コーポレート・ドナーからの寄付金が見込めず、小口のメンバーシップからなどの寄付金に頼らなくてはならない状態だと言う。なお、数多くの美術館の入場無料イベントをスポンサーしている大手デパートのターゲット社も売上が3%落ちており、スポンサーシップの継続が困難になって来ている様だ。

しかし、私見では、今のMoMAはスピリットを失ってしまっており、大口献金を目当てとしたバブリーな手法に対して反発も強かったため、今の状態では、多額の個人寄付を募れるほど、個人から愛されていないのではないか、と思う。(民主党の候補者選びで、ヒラリーは大企業向けの大がかりな戦略をやっていたのが裏目に出たが、一方、個人に訴え、小口の献金の収集に全力を注いだオバマが勝利した様な状況を思いだすと良いかもしれない)

なお、ブルックリン・ミュージアムでは、インカ・ショニバレの展示が来年の7月に決まっているものの、一切お金が集まっていない状態だと言う。これは深刻な状況だ。もしも本当に予算が集まらなかったら、展示のキャンセル、という可能性も現実味を帯びてくると思う。

この金融危機の中、ミュージアムも変更を迫られるだろう。金さえかけていれば面白い展示ができるし、人を呼べることができる、というブロックバスター的な発想に対しても、変換が迫られると思う。また、経営陣にも反省が求められる。

次に何が来るか、何が芸術たりえるか、そればかり考えている。

「土地を守るんじゃない、土を守るんだ」 - NYで小川紳介と巡り合う

2008-10-15 14:08:11 | Weblog
先日、NYの非営利アートスペースExit Artにて小川紳介監督の映画上映があり、足を運んで来た。小川紳介の名前は、伝説のドキュメンタリー映画監督として耳にしたことはあったのだが、何せ映画がビデオにもDVDにもなっていない、という事もあり、今まで見る機会がなかったのだ。たまたまこの上映会の機会を知ったので、足を運んできた、という次第である。(どうやら、フィルムはアテネ・フランセが所有しているものの様だった)

見てきた映画は、1971年の『三里塚 第二砦の人々』である。タイトルから分かる通り、60年代の成田闘争を巡るドキュメンタリーである。

66年に成田に国際空港を作る、と宣言してから、日本国はその土地に住んで農業を営んでいた農民たちの了解を得ないまま、一方的に土地を奪ってしまった。(この土地は、満州国に移住を促された戦前の貧しい農民たちが、満州国の崩壊後、帰る土地が無い、という理由から、天皇家の牧場であった成田の土地を農地として譲り受けたのであったが、そういった説明的な要素は、映画の中には一切出てこない)その農民たちが、自らの生活と誇りをかけて、日本国に対してNOをつきつけ、バリケード、さらには地下壕まで作って、日本国家に対して、闘争を続けたのであった。

まず、映画を見て驚いたのだが、これが本当に60年代の日本か、とびっくりした。出てくる農民が着ている服は、皆もんぺで、顔も時代劇に出てくる様な、古い日本人の顔である。現代日本人の顔とまったく異なっており、さらに言葉使いも今とは随分と違う。彼らが、木造でバリゲードを作りながら、男は竹やりと投石で、女性たちは、自らの体を、鎖と南京錠をつかって木にくくり付け、必至の抵抗を試みた。

まず、この映画は、ドキュメンタリー映画として大変優れていた。そして、この映画の中で、私が何度か激しく心打たれたシーンがあるので、それを書いてみたい。

第一に、上に書いた様に、女性たち、しかも年配の農家の女性たちが、自らの体を木に縛り付け、機動隊員に対して必至の抵抗を試みる一連のシーンである。木に体を縛り付ける鎖の供給が不足している為、何人かの女性たちは2人組となり、自分の首ともう一人の首を、地面から生えている木に一緒に鎖で括り付け、南京錠をかける。その一連のしぐさに、農業を営む共同体の、お互いに対する理解や、100%の仲間意識が感じられる(この映画に出てくる人たちは、皆仲が良さそうで、つい先日私が行ったばかりの中国におけるコミュニティと似たものを感じた)さらに、幼い子を抱える母は、息子の身体と一緒に、自らの体を木に括りつけ、大地と自らを一体化させる。そして、強制的に木を切り倒していく機動隊員や開拓業者に、「やれるもんならやってみろ、殺せるもんなら殺してみろ」と啖呵を切る。悲壮とは、こういうことか、というほど、悲壮感のこもった顔を、カメラは捉えていた。

もう一つのシーンは、学生たちが機動隊員を追い返した直後の出来事である。

機動隊員は、朝から農民の作ったバリゲードを解体しよう、と楯を持って一列に並び、従わない場合は逮捕する、と強制撤去のアナウンスを行う。そうはさせるか、と、農民を応援に来たヘルメットとマスクで軽く武装した全学連系の学生たちが、数百、数千という数でスクラムを組むと、その機動隊員に向かって一気に突撃し、散り散りにしてしまう。この学生たちが、とにかく強い。警察側は、おそらく法律上反撃できないのだが、スクラムを組んで押し合いになると、学生たちの方に分があるのだ。やはり若さはエネルギーそのものだ。

かなり激しい激突のシーンの後、そのシーンがあった。3人の年配の小柄な女性たちが、「学生たちが頑張っているんだから、私たちもやらない訳にはいかない」、と言うなり、3人でスクラムを組んで、機動隊に突撃して行くのだ。「空港反対」のシュプレヒコールを叫びながら機動隊に向かって進んで行くのだが、途中で農民の男性に「無茶だ、死んじまう」と必至に制止されるのだが、それでもその3人組は、突撃を続けようとする。このシーンには、震えた。この女性たちが訴えているものは、本当にかけがえの無いものだ、と心の底から理解できた。

ドキュメンタリー映画とは、カメラの前で何が起こったか、ということである。この映画の中には、奇跡的なシーンがいくつか含まれており、それがこの映画を、映画として素晴らしいものにしている。

「土地を守るんじゃない、土を守るんだ」

この言葉が持っている意味を、現代社会に生きる私たちは、どう理解できるのだろうか?エコがブームとなり、食糧自給率の問題が話題となる中、たった40年前に日本で起こった近代化の爪痕を収めたドキュメントは、現代に生きる私たちに多くを享受してくれる。

照屋勇賢さんの作品「Dawn」 ベルリンのDaimler Conteporaryにて展示されます

2008-10-10 00:15:59 | Weblog
ベルリンのDaimler Contemporaryにて、照屋勇賢さんの作品「Dawn」が展示されます。こちらの作品、Atomic Sunshine展でも展示したのですが、ベルリンでは原美術館と同じく、オオゴマダラという沖縄の蝶々が空間を飛んでいます。

ベルリンに行かれる予定のある方は、ぜひご覧になってみて下さい。

Ill.: Yuken Teruya, Dawn (knives), 2008 [Detail]

FORWARDS 08
October 11, 2008 - March 1, 2009

Opening
Friday, October 10, 2008, 7 pm


Daimler Contemporary
Haus Huth
Alte Potsdamer Straße 5
10785 Berlin
Germany
http://www.collection.daimler.com



DAIMLER AWARDS FOR CONTEMPORARY ART FROM GERMANY, JAPAN, SOUTH AFRICA AND THE USA

Under the name FORWARDS 08 the Daimler Art Collection is linking together three international awards for contemporary art. Along with the German-Japanese exchange program Art Scope and the Mercedes-Benz Award for South African Art and Culture, this year's event in Haus Huth in Berlin also sees the presentation of the Emerging Artist Award given in conjunction with Daimler Financial Services.

FORWARDS 08 brings Daimler AG's international and sustained promotion of young artists together for the first time in one exhibition: Daimler Japan launched the Art Scope Award in the early 1990s. A quick glance at the list of award winners to date shows that it was made to talented young artists who have gone on to represent key aspects of contemporary art in Japan. The Mercedes-Benz Award for South African Art and Culture was initiated in 1999. This award, given each year since in a different specialist area such as painting, sculpture, dance, poetry, music, photography and choreography, is recognized as the most significant cultural award in South Africa. The Emerging Artist Award, presented in 2008 for the fourth time by Daimler Financial Services 2008, is now part of a global network working to foster and promote contemporary art and culture.

Art Scope 2007/08:
Art Scope is the name given to a program launched in 1991 to support young practitioners of fine art from Japan and Germany. In 2004 the prize was restructured as an "Artist in Residence" program and opened up to young German artists as well. A joint exhibition of the work of the 2007/2008 award winners – Izumi Kato (*1969) and Yuken Teruya (*1973) from Japan, as well as the German artists Eva Teppe (*1973) and Ascan Pinckernelle (*1970) – was first shown in summer 2008 in the Hara Museum for Contemporary Art in Japan. The award winners for 2009/2010 have now been selected: Jan Scharrelman (*1975, D), Eva Berendes (*1974, D), Hiroe Saeki (*1978, J) and Meiro Koizumi (*1976, J).

Mercedes-Benz Award for South African Art and Culture 2008 – Art Projects in Public Spaces:
The renamed Mercedes-Benz Award for South African Art and Culture was awarded in March 2008 for the eighth time since 1999. The Award aims to promote artistic and cultural life in South Africa and recognizes the country's cultural activity as a reflection of its social and political development and maturity. This year's Award for Art Projects in Public Spaces goes to the artist Kevin Brand (*1953) for his pioneering art projects in public spaces. Special mention was made by the judges of nominee Samson Mudzunga (*1938) for his sculptures presented in the context of performances, which fuse art and culture with traditional rituals and ceremonials.

Emerging Artist Award 2008
The Emerging Artist Award was created by Daimler Financial Services and the Cranbrook Academy of Art in 2005 to honor a particularly innovative work by a graduate of this leading school of art. The winner of the Award is selected from among the graduates across all disciplines at the Academy, which is based in Bloomfield Hills, Michigan. With Annica Cuppetelli (*1977, Orlando, Florida) the award goes in 2008 for the first time to a graduate of the Academy's Fiber department. The exhibition of Cuppetelli's works, which examine the relationship between materiality, form and fashion, represents the first time the Award is on show at Daimler Contemporary. An accompanying publication will help the young artist to achieve wider international recognition. The winner of the Award also receives an art scholarship, combined with a one-month residency and networking and mentoring program through Künstlerhaus Bethanien, Berlin.

FORWARDS 08 comprises some 30 works – including drawings, sculptures, objects, videos and installations, as well as projects for public spaces – by seven artists from Germany, Japan, South Africa and the United States.

Participating Artists:
Kevin Brand (SA), Annica Cuppetelli (USA), Izumi Kato (J), Samson Mudzunga (SA), Ascan Pinckernelle (D), Eva Teppe (D), Yuken Teruya (J)

FORWARDS 08 is accompanied by a comprehensive program, including artist talks, lectures and discussions with represented artists as well as thematic guided tours: These tours are available in German language on every first Saturday of a month at 4 p.m. (Nov 01 / Dec 06, 2008 / Jan 10 / Feb 07, 2009). Please check our website for updates and announcements. If you would like to receive regular information about exhibitions and activities of the Daimler Art Collection please send an E-Mail to: kunst.sammlung@daimler.com.

Exhibition catalogues are available at Daimler Contemporary, at bookshop Bücherbogen am Savignyplatz in Berlin or can be ordered online at: http://collection.daimler.com/publikationen/publikationen_e.php

Contact:
Daimler Contemporary
Haus Huth
Alte Potsdamer Straße 5
10785 Berlin
Germany

Open daily 11 a.m. to 6 p.m., Admission free

Phone: +49 (0)30 259 41 42 0
Fax: +49 (0)30 259 41 42 9
E-Mail: kunst.sammlung@daimler.com
http://www.collection.daimler.com

月も雲間のなきは嫌にて候

2008-10-09 14:40:16 | Weblog
私はサッカーが好きだ。サッカーをしていると、いろんなことを忘れて、ゲームだけに集中できる。普段頭を使ってばかりいると、あたかも頭が世界をコントロールしているかの様に錯覚してしまう時があるが、サッカーは頭と体のバランスが取れるので、精神衛生上とても良い。

例によって、イーストリバーをランニングしていたら、公園の芝生の所でサッカーをやっている人たちがいるので、混ぜてもらう。その日のチームはうまくバランスが取れた混じり具合で、アメリカ人、ヨーロッパ人、南米人、アフリカ人がだいたい1/4ずつ、年齢は20-35歳くらい、といった所だろうか。アジア人は私一人だったが、「一緒にプレイしても良いか?」と聞くと、すぐに混ぜてくれた。

私は20歳の時に留学してから海外でサッカーをやる様になったが、本当に面白い。お国柄、というか、人間の身体性、というか、リアルな側面がむき出しになる。アフリカ人の身体能力任せのプレイだったり、南米人のゴリゴリとした持ちすぎのドリブルだったり、なんだか途中からミニ国連みたいな風になる。そこにいるアジア人はバランサーとして機能する、ということが良くあるのだが、そこでリーダーシップを発揮するのは困難だ。混ぜてもらうだけで良い方なのかもしれない。

私は差別的な表現、というのは極力避けたいと思うのだが、こういったミニサッカーでの細部においても、有色人種に対する、白人側からの小さな「ずるさ」を感じてしまう。例えば、ライン上で黒人のプレーヤーがボールを持ったら、「ラインを割った」と主張して、ボールを自分のものにしたり、逆に自分がボールを持ってラインを割ったとしても、「出てない」と主張したりする。しかも、そのやり方がエレガントであったりする。笑顔で、二コリとしながら、「出ていない」と主張することで、それを認めない相手の野蛮を際立たせ、それで相手を批難しながら、自己の正当性を普遍化しようとする。汚いものを綺麗に見せるのが得意な人たち、という言い方をすれば良いのだろうか。

こういった状況に自らを置いておくと、それをある種俯瞰しようとしている自分に気づく。こういった状況を言語化して説明することも、ポストモダンや実存などを通過した日本の特殊的な状況だとも思える。

また、その延長線で、ここにいる「私とは何なのか」という思考におのずと向ってしまう。日本と呼ばれる場所に育った私は、「日本的なるもの」や、日本的解決、つまり和の様なものが身についてしまっていて、それが非常に価値を持つものであると自覚していながら、なかなか上手く発露できない、というジレンマがある。こういった状況において、私は何をすれば良いのか、という疑問を持ちながら、それに対する明確な答えは打ち出せない。

最近、本を読んでいて、村田珠光の「月も雲間のなきは嫌にて候」という言葉を見つけて、グっと来た。これを感覚として世界的に共有することは、果たしてできるのだろうか?そんな道を探ってみたい。

アトミックサンシャイン東京展の写真+日本語版リーフレットデータの公開

2008-10-06 03:12:42 | Weblog
展示ウェブサイトの方を更新し、アトミックサンシャイン東京展の写真データ、さらに日本語版リーフレットデータのPDFデータを公開し、ダウンロードができる様になりました。

さらに、日本語版リーフレットに、紙面の都合上収めることのできなかったパネルディスカッションの様子も、PDFファイルにて公開しました。

より多くの方がこの展示と関連イベントに触れることができたら、と思います。ぜひこの機会に、データの方をダウンロードして、ご覧になって頂けましたら幸いです。

こんな私で良かったら

2008-10-04 12:09:08 | Weblog
最近、仕事が楽しい。現在、おかげ様で美術に関する多くのプロジェクトに関わらせて頂いているのだが、お会いする方々や、目にするものに一流のものが増えてきて、楽しい。ニューヨークという場所は、そういったことができる場所で、こういったチャンスがあるのだ、とつくづく思う。

先日、日本からNYを訪れていたある有力な美術関係者にお会いした。彼は芸術家をサポートするネットワークを構築しようとしているのだが、そのアドバイザーとして、年配の超一流企業の元社長さんに、アドバイザーとしての参加を打診したと言う。

彼は90歳にもなる高齢の方だったそうですが、「こんな私でよかったら、喜んでやらせて頂きます」とおっしゃったそうだ。若年者に、そして完全なるボランティア、さらには出資者として芸術活動に参加する際に、全く上からものを見るようなことをせず、ここまで低姿勢で参加できるとは、本当に素晴らしいと思う。このお話をNYにて聞いた私は、非常に日本的な美徳を感じてしまった。実るほど頭を下げる稲穂かな、といった所だろうか。

自分自身も、他者に対する敬意だけは忘れないで行きたいと思う。このお話をした後に、私を玄関まで送って下さった初老の日本人女性が、深々とお時儀をされたのが印象的でした。そして、その中には、私に対してのメッセージも、少なからず入っていた様に思えた。

こんな私でよかったら。。。そんな気持ちは、忘れたくない。