Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

記憶と音楽

2008-09-30 12:50:15 | Weblog
Shenzhenでの空港でのこと。飛行機の待ち時間に、パソコンを広げて仕事をしていたら、テレビから懐かしい音楽が聞こえてきた。私の大好きなCarlos d'Alessioの、バイオリンの幻想的な曲である。目を閉じるだけで、コロニアル様式の建物の中での舞踏会の様子が浮かぶ様な、美しい曲だ。

このダレッシオの曲は、大学時代に音楽好きの友人から貸してもらったのだが、マルグリット・デュラスの監督した「インディア・ソング」のサウンドトラックで、当時まだDVDになっていなかったデュラスのまだ見ぬ映画のイメージを目に浮かべて、想像しながらひたすら聞いたものだった。デュラスファンの私としては、この音楽だけが彼女の映画のイメージであり、ひたすら空想を膨らませたのだが、実際デュラスの映画を見た時には、正直ガックリきてしまった。

そんな曲が、なぜ中国の空港で流れているのだろう?と大変驚いたのだが、空港でCMを出している中国産のウイスキーのCMの音楽として流れていたのであった。アルゼンチン生まれのミュージシャンが、インドをテーマとしたフランス植民地におけるヨーロッパの貴族をテーマとした映画音楽として、ベトナム生まれ、中国人に愛されたフランス人女性の映画のサウンドトラックに使われ、それが現在中国のウイスキーCMに使われている、という歴史の因果が面白くもあった。

中国では、なつかしい歌にたくさん出会った。SMAPの歌は中国語に翻訳されているものが多いらしく、中島みゆき、サザンオールスターズなどの中国語吹き替えの曲も多く聞いたが、一番ハっとさせられたのは、タクシーの中で聞いた大事MANブラザーズバンドの「それが大事」であった。

そう、「負けないこと 投げ出さないこと 逃げ出さないこと 信じぬくこと」という歌い出しの曲である。もう何年も聞いていない曲だし、もしも中国で聴かなかったらもう一生聞くことも無いんじゃないか、という曲をタクシーの中で広東語で聞いた時、中学生時代の記憶が急に溢れ出してきた。本当に、噴水の様に記憶があふれて来たのだ。

私は何度か似た経験をしたことがあるが、マレーシアのタクシーの中で流れていた浜田省吾の歌、それとNYにて韓国人の友人のお別れパーティで、友人の彼女が韓国語で歌った尾崎豊の「I Love You」を聞いた時もそうであった。曲を聞いていて、ああ、尾崎だ、と思った瞬間に、記憶の噴水状態になって、一瞬感情がコントロールできなくなる。

匂いや聴覚、というのは記憶との結び付きが強いと思う。動物的な本能なのだろうか。それが音楽の様な美しいものから引き出される、記憶が美しく再生される気がする。

麻生首相による「集団的自衛権の憲法解釈見直し」演説に思う

2008-09-26 14:48:46 | Weblog
最近、運動不足が気になり初めて、ちょっと近所を走りはじめた。今日はイースト・リバーパークで高校生のグループがサッカーをやっていたので、その中に入って一緒に遊ぶ。男女や人種がいい具合に混ざった、アナーキーな感じのする空気が、NYらしくて心地よかった。

夜は超多忙な照屋勇賢さんを捕まえて、一緒に晩御飯を食べながら、アトミックサンシャイン東京展の報告をする。勇賢さんにはお世話になったので、ぜひ直接報告したかったのだ。ベルリン行きの直前で忙しい中、いろんな会話をする。他の仕方。

NYと言えば、麻生首相が国連総会で一般討論演説を行った様子が、今日の毎日新聞に出ていた。

”麻生首相:「集団的自衛権の憲法解釈見直しを」国連演説後”

私はできるだけアートの文脈に寄りたいので、直接的に政治的な発言はできれば控えたいのだが、看過できない問題を多く含んでいた為、少し私見を述べてみたい。

まず、”集団的自衛権の行使を禁じた憲法解釈について「基本的に変えるべきものだ。ずっと同じことを言っている」と記者団に述べ、行使を可能にするよう見直すべきだとの考えを示した。演説で強調したインド洋での給油活動の継続との関連については「補給活動は憲法違反ではなく、ただちにこのために変える必要はないと思う」と指摘した。”ことに関して、彼は国際情勢音痴なのだろうか?と伺ってしまった。

集団的自衛権の行使は、それこそアメリカのおもうツボである。アメリカ側は、日本の自衛隊を、集団的自衛権の論理の中に引き込んで、海外で攻撃されたアメリカ軍を守る為に、日本の自衛隊を使うことで自らの国防費の出費を抑え、さらに産軍複合体の目指す、永遠とも思える「テロ戦争」(つまり軍閥の私服を肥やすための戦争)に巻き込もう、と目論んでいる。

「民主主義」というお題目の元、オレンジ革命を利用してウクライナを民主化させ、ロシアのサテライト国家を西欧陣営につけ、さらにNATO軍に入ってもらうことで、アメリカのネオコンは、世界における影響力を強化しよう、と望んでいる。

セルビアの反ミロシェビッチを掲げた団体「オトポル」のノウハウを、ロンドン金融の大番頭ソロスが指揮するオープンソサエティファンド(ポパー主義=マルクシズムの否定!)が支援してウクライナのオレンジ革命が起こったが、同じくこのオトポルのノウハウを移植したのがバラ革命で、その後、グルジアにはサーカシビリ政権が生まれた。サーカシビリは通称CIA大学と呼ばれるアメリカのジョージ・ワシントン大学にて博士を取得した親米大統領だが、彼がロシアの弱体化を目論むアメリカ側にけしかけられてロシアに対して仕掛けた戦争が、南オセチア紛争であった。

日本は現在、グルジアに大使館を作ろうとしている、という新聞記事を読んだが、今、日本が不安定であるグルジアに大使館を置くメリットは、果たして何なのか?これに対し、グルジアは日本の国連常任理事国入りを支持したが、こんなきな臭いやりとりの中で、平和を志向する国連が動いているのはどうかと思う。平和への理想というのは、もっと高貴なものではないか?

グルジアでの日本大使館の件は、おそらくはアメリカ側が日本に打診したものを日本側が2つ返事で了解したものだと思うのだが、これは「集団的自衛権」と同じく、アメリカの利益となったたとしても、本当に日本にとって利益となるものなのだろうか?もしそうなのであれば、その理由を知りたい。

アメリカはロシアへの牽制、という意味で、旧ソビエトの反ロシア感情の強いサテライト国家をNATOに引き込み、ロシア包囲を狙っているが、アメリカそのものの弱体化、もっと言ってしまえば、金融資本を中心に世界を支配しようとしていたNYとロンドンを拠点としてきたアングロサクソン・ユダヤ同盟=アメリカのネオコンの弱体化が、リーマンの破たん以降、急速に進んでいる。

もしこのタイミングで、日本が集団的自衛権を認め、アメリカ側にべったりとついてしまった場合、仮にグルジアで紛争が起きた場合、日本の自衛隊がNATO軍として機能を始めたグルジアと軍事同盟を結んでいるアメリカの安全保障条約国として、集団的自衛権の行使上、ロシア軍と戦わなくてはらななくなる。それこそ、アメリカの代理戦争として、永遠のテロ戦争として。

さらに、集団的自衛権を結んでしまうと、アメリカの対中国戦略に巻き込まれ、今後日本とアジア諸国、特に中国と友好関係を結ぶのが困難になる。中国と日本が対立した場合、損をするのは中国と日本で、それを通じて得をするのは、アメリカである。

永遠のテロ戦争が続くと、得をするのは誰か。世界中のほとんど全員が損をして、軍事産業だけが潤う。軍事産業が政治における支配層と結びついているので、政治は変わらない、という魔のサイクルが繰り返される。

新テロ対策特別措置法の延長など、テロとの戦いについて「逃げない」と明言した麻生首相は、本当に日本の首相としてふさわしいのだろうか?「逃げない」って、テロという認識における問いの立て方そのものが、間違っていると私は考える。

麻生首相の祖父である吉田茂がこの演説を見たら、悲しく思うのではないだろうか。

アトミックサンシャイン・オープニング記念シンポジウム@YouTube + 佐藤レオさんの映画上映

2008-09-25 23:50:50 | Weblog
去る2008年8月6日、代官山ヒルサイドフォーラムにて『アトミックサンシャインの中へ「日本国平和憲法九条下における戦後美術」』オープニング記念シンポジウム「憲法第九条と戦後日本」が行われました。そのビデオを、パレスチナを舞台とした映画を作成している映画監督の佐藤レオが担当して下さいました。素晴らしい編集になっておりますので、ぜひご覧になって下さい。

リンク先の右の方にある、「すべて再生」のリンクを押してください。全篇で1時間40分ありますので、お時間のあるときにどうぞ。
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オープニング記念シンポジウム
「憲法第九条と戦後日本・戦後美術」

出演者:
太田昌国(現代企画室編集長)
鈴木邦男(政治批評家、新右翼団体「一水会」創設者)

参加アーティスト:
柳幸典
大浦信行
エリック・ヴァン・ホーヴ

司会: 渡辺真也(当展示キュレーター)

撮影協力:荒川桃子、岡部恭子、小荒井 浩達、丹山 浩克
編集協力:佐藤レオ
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なお、佐藤レオさんの映画「ビリン・闘いの村」-パレスチナの非暴力抵抗が、10月13(月・祝)にUPLINK FACTORYにて再上映されます。こちらも皆様お誘い合わせの上、ぜひご来場下さい。

08/10/13(月・祝)… 開場 14:30/開演 15:00/終演 17:00予定
監督・佐藤レオによる近況報告、「ブレイキング ザ サイレンス」(11分)上映イベント付きです。
今のところ都内での上映はありませんので、この機会に是非お越し下さい。
UPLINK FACTORY 03-6825-5502 地図 http://www.uplink.co.jp/info/map.html
料金:当日¥1,500 特別鑑賞券¥1,300 学生¥1,200 シニア¥1,000

UPLINK website
http://www.uplink.co.jp/factory/log/002790.php
公式HP
http://www.hamsafilms.com/bilin/

Lovelessな私

2008-09-24 04:41:57 | Weblog
先日、私のお気に入りのアーティスト、Vと一緒に御飯を食べた。アーティストとしてどうやってこれからサバイブして行くのか、そんな話をした。

若いアーティストが芸術で生計を立てていくのは大変だ。作品を作り、そして展示をやって、そして作品を販売して行かなくてはならない。特にキャリアの無い若いうちは、がむしゃらに作って発表して行くくらいの意気込みがないとダメだ。Vの作品は派手さは無いが、きっとちゃんとチャンスが来るから、それに向けて準備をしないと。。。そんな話をしながら、今後の作戦を練った。

昨日はSejla Kamericの展示のオープニングがあり、Austian Cultural Councilへと行って来る。セイラからInviteしてもらったのだった。セイラの出品作品は「Bosnian Girl」のポスターで、入口周辺に沢山飾ってあった。セイラのボスニアン・ガールを既にNYで展示していた私としては、少しだけ「ふふん」という気分であった。セイラとも久し振りに会って、いろいろと情報交換をする。元気そうで何よりだ。

夜は、日本よりNYに来ていた友人のキュレーター朋子さんの紹介で、アメリカ人アーティストカップルの自宅兼スタジオでご飯を食べながら、作品を見せてもらったり、日本文化についていろいろと話す。しかし、かなり本質的な話になったので、ネタばれにならない様、ブログでは発表できない

(最近、仕事に直結するネタが多すぎて、ブログに書くことが困難な機会が増えている。嬉しくもあり、歯がゆくもある)

今日のNYTimesで、学生時代に私が好きだったバンドMy Bloody Valentineが、All Tomorrow’s Parties festivalにて再結成した、というニュースを読む。知らなかったのだけれど、彼らはアイルランドのミュージシャンだったのですね。なんだか納得。Lovelessが1991年のアルバムだから、もう随分前の話なんだなぁ。ちなみのこのアルバムは音づくりにこだわりすぎて、Lovelessはなんと5000万円近くかけて作ったらしい。この借金が原因で、バンドは解散。なんだかBeach Boysみたいだ。

なんてことを思う、Lovelessで資金難の私でした。ちゃんちゃん。

NYに帰ってきました

2008-09-21 07:22:46 | Weblog
サンフランシスコを経由し、ようやく16日の深夜、NYへと帰って来る。お金を節約しようと思い、Shuttle Busにてマンハッタンにて向かったのだが、隣に座っていた方がマニラ帰りのAIGの社員で、リーマン・ブラザーズの破綻の件で話が進む。

「うちの会社もどうなることやら・・・」なんて話をその方としていたのだが、夜が明けてニュースにてAIGを救済する、という記事を見つけると、なんだかホっとすると同時に、リーマン・ブラザーズという日本の国家予算規模のファンドの破綻が、世界経済にどんな影響を与えるんだろう、と不安になる。

にも関わらず、その日のNYTimesは、ダミアン・ハーストがサザビーズ+White Cubeとガゴシアンと一緒に行ったオークションが、最高落札価格を上回る金額で販売された、という記事を読む。一体、どうなっているのか、と思うが、ハーストのマーケティングの上手さには舌を巻く。しかし、マーケティングの時代は、投資という考えが破たんしていくこれからも続くのだろうか?歴史の過渡期に生きる身として、興味がある。

その日の夜はカールスルーエのZKMにてご一緒したインド人アーティスト、Vivan Sundraamのオープニングがあり、眠い目をこすりながらチェルシーへと伺う。そして、Vivanとお話をしている過程で、またしても一つ、歴史の深い所にある「鉱脈」を見つけてしまった。私の中で、世界の多くの事象が、ひとつの線になって繋がって来ている。これをちゃんとした形で発表して行きたいものだ。

その後、Iseにて企画されていた齋木克裕さんの展示のお手伝いをして、オープニングに参加して来る。久し振りにNYの仲間たちとご一緒して、挨拶する。皆元気そうだ。齋木さん、オープニングおめでとうございます!

森村泰昌 + 上原酒造 コラボレーション作品 「静聴せよ 大吟醸」 販売中です。

2008-09-15 12:19:17 | Weblog
森村泰昌 + 上原酒造株式会社のコラボレーション作品「静聴せよ 大吟醸」ですが、販売の方を継続しております。

茂木健一郎さんも推薦のこの作品、どうぞお買い求めの上、ご静聴下さい。

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「アトミック・サンシャインの中へ-日本国憲法第9条下における戦後美術」東京巡回展にあたって、展示参加アーティスト森村泰昌氏と、上原酒造株式会社とのコラボレーションによって、素晴らしい作品が生まれました。

その名も「静聴せよ 大吟醸」。本展に展示された森村氏の三島由紀夫をテーマとした作品から作られたものです。

桐箱蓋とラベルに書かれた「静聴せよ」の墨文字は、すべて森村氏の手によるもので、20本限定作品の一点一点がユニーク、つまりたったひとつしか存在しないものです。なお、桐箱の中には、三島由紀夫の演説を元にした森村氏の演説「静聴せよ」全文が書かれた和紙が収められています。

お酒は、皇室献上酒として知られる新潟の酒造会社、上原酒造株式会社の「越後鶴亀大吟醸」です。主に清酒鑑表会や研究開発のために、蔵人たちが精魂をかたむけて醸し出した貴重な清酒です。精米歩合40%の山田錦特上米を使用した大吟醸は、角田山麓弘法の清水と、昔ながらの和釜により蒸米、箱麹法から造られた麹を使用しています。可能な限り極上の香味で保存する為に、少量の炭素による無圧濾過にて搾られています。果実を思わせる吟醸香があり、芳醇な喉越し、コクとキレのある味わいです。

また、作品販売による利益はすべて、本展運営資金とさせていただいております。これは、皆で表現世界を作り出そうというささやかな提案であり、この提案にご賛同いただいた皆様にも、この作品に込められた思いを静聴していただけましたら、この上ない幸せです。

「静聴せよ 大吟醸」 720ml / 限定20本 / 販売価格:3万円

「静聴せよ 大吟醸」購入に関する問い合わせは、article9@gmail.comまでよろしくお願いします。振込み先のご案内を差し上げます。

協力:森村泰昌 & 上原酒造(上原誠一郎)

上原酒造株式会社
新潟県西蒲原郡巻町竹野町2580
TEL:0256-72-2039 FAX:0256-73-3875

横浜トリエンナーレ・オープニング!

2008-09-14 18:48:50 | Weblog
金曜日、土曜日と、横浜トリエンナーレのオープニングに行って来た。金曜日の朝から、プレス向けのオープニング、記者会見、そして夜中まで続いたレセプションとパーティにも参加してきた。朝まで飲んで、そのまま横浜在住のアーティストの友人宅に泊まり(シンゴさんありがとう!)、続けて展示を見てきた。ハードな日程だったが、楽しかった。

とにかく、素晴らしい展示だった。水沢勉さんのコンセプトも見事なものだし、よくもまあ、あれだけ一線で活躍しているスターキュレーターを連れてきたと思う。そして、そのキュレーター達が、このコンセプトの元、優れたアーティストを連れて来たのだ。

横浜市内の各場所へと散らばった会場や空間デザイン、コンセプトと全体の構成とバランス、さらに選ばれたアーティストとその作品など、どれをとっても一級品であった。特に会場に関しては、三渓園を展示会場にしたのは、水沢氏の卓越した視点と、神奈川を地元として活動してきた経験が生きていると思えた。あれはど優れた展示スペースは、世界的に見ても珍しいと思う。

また機会を見て優れた作品に関してはレビューを書きたいと思うが、個人的には、Joan Jonasのパフォーマンスを見れたのが本当に嬉しかった。彼女のパフォーマンスを見たのは初めてなのだが、彼女がアブラモビッチやボイス等と並んで高く評価されている理由が理解できた。私は今まで多くのパフォーマンスアートを見てきたが、Joan Jonasのこのパフォーマンスは、その中でもone of the bestであった。

このトリエンナーレは、完全にワールドクラスの展示になっており、どこに出しても恥ずかしくない、一級品だと思う。ようやく日本の国際展も、国際レベルに追いついてきた、と言えるだろう。関係者の皆様、おめでとうございます!

北京から東京へ

2008-09-09 01:44:58 | Weblog
北京では、万里の長城を登って来た。登ってきた、と書いたのは、かなりの急勾配だからだ。私も1時間程度登っただけで、汗だくだく、息が上がってしまった。しかも、前日にやたらと辛い四川料理を食べてしまい、お腹の調子が悪かったので、正直かなりキツかった。この万里の長城を西から、そして東から同時に歩いて行き、3ヵ月後に中央で出会って「さようなら」を告げたマリーナ・アブラモビッチとウレイは相当な体力が要求されたのだろう、ということが体感できた。

その後、798に戻り、Ulensのコレクションや、東京画廊のオープニングに顔を出してくる。東京画廊でのオープニング後の夕食に招いて頂いたのだが、中国人アーティストの友人たちがどういう訳か大量にいて、圧倒される。人口の多さと図太さを感じさせられた。その後、現地のアートイベントのコーディネーターの方と深酒をしながら、いろいろと語る。

次の日は故宮を訪ね、その後日本人の若いバックパッカーと一緒にカフェで一休み。そんな中、友人のアーティスト、シンレイがようやくベルリンから帰って来たので、新疆料理を食べながら、お話する。北京は新疆地区にほど近いため、モンゴル系の人が多い、とシンレイは話してくれた。

その後、ホハイという貴族の所有していた湖のほとりにあるバーで、深酒をする。シンレイは父も兄も歴史家、ということもあり、中国の歴史や政治経済の話などを中心に話したのだが、とても博識で、勉強になった。やはり中国のことは、中国人に聞くのが一番である。シンレイ、ありがとう。

今日は早朝に北京を出て、成田へと到着。夕方から、「ダダカン」展のオープニングに伺って来る。主催者の木呂さんも、オープニングが成功した様で、満足げ。そのまま2次会に参加したのだが、ゼロ次元の加藤好弘さん、秋山祐徳太子さん、竹熊健太郎さん、康芳夫さんらとお話する。特に康さんとは、私が中国帰りというのと、康さんが中国籍ということもあり、中国のお話で盛り上がる。私が中国の今後を案じる発言をすると、康さんは、中国は大きな船みたいなもので、今までいろんなものに何度もぶつかって来たから大丈夫、というお話を伺う。

加藤さんとは喫茶店をお茶を飲みながら、アジアとアートについて語る。加藤さんもインドやインドネシアが長かった関係で、いろいろと経験的示唆を与えてくれる。楽しい夜だった。

北京日記

2008-09-07 14:38:47 | Weblog
昨日は朝から友人のアーティスト、Pan XingleiのガールフレンドであるJingさんが798周辺を案内してくれる。

シンレイのスタジオ芸術基地は798のほど近くにあるのだが、それまでの道のりが見事なくらい綺麗だった。Jingさんの運転する電動スクーターに乗って、森の中を抜けていく。そこには、一人のアーティストには広すぎるくらいのスタジオスペースがあり、シンレイの作品と愛犬が鎮座していた。そこで記念撮影。

その後、シンレイのキュレーションした展示を見て(Eric van Hoveも参加していた)、Jingさんとランチ。やはり中国人と一緒に食べる中華料理は奥が深い。鴨とライスのサンドイッチの様なものを八宝菜と一緒に食べる。おいしかった。

Jingさんは「本当はあなたを友人の車で案内したいのだけれど、友人の車が偶数のナンバーの車だから、奇数日の今日は運転できないのです。残念」と言っていたのが印象的だった。オリンピックを迎えた北京は、偶数ナンバーの車は偶数日のみにしか運転できないのだ。「こんな政策を立てている政府に、みんな怒ってないの?」と聞くと、下を向いたまま、本当に小さく頷く。「でも、そういったことは公言できないんだ」と言うと、また下を向いたまま小さく頷く。中国の難しさを感じた瞬間だった。

その後、一人でタクシーで天安門広場と故旧へと向かう。やはり、奇数のナンバーの車しか走っていない。それでも、大気汚染はかなりのもので、空気がかすんで見える。故旧は最終入場が3:30だったので、入場できず。代わりに天安門へと向かう。

本当は、シンレイと一緒に天安門に来たかったのだが、シンレイがベルリンからの帰国中、問題が発生して、北京で落ち合うことができなかったのだ。シンレイは89年の天安門事件の中心メンバーで、当時19歳であったシンレイが、天安門に掲げてあった共産党員の肖像写真を引き摺り下ろしたのであった。シンレイと一緒に来て、その話をもっと聞きたかったと思うと、残念でならない。

仕方なく、天安門だけ入場し、その後は、天安門の裏にある南羅鼓港というカフェ街をぷらぷらする。とても雰囲気の良いカフェがあり、思わず中に入って読書を始めると、モンゴルの民族音楽ばかり流れている。お婆さんと娘さんがやっているカフェなのだが、「モンゴル出身ですか?」と聞くと、そうだ、と言う。周りがパワー系の中華系のカフェの中で、一つだけしっとりと佇んでいたこのカフェがモンゴル系、というのが興味深かった。

その後、北京でぜひ見たかった、コールハースデザインしたCCTVを見に行ってくる。タクシーに乗って「CCTVまでお願いします」と告げると、なんだか古めかしい電波等のある建物に連れて行かれる。確かに、そこにはCCTVと書かれていたが、「私が行きたいのは、この箱型の建物の方だ」と告げると、タクシーはそちらに向かって走ってくれた。

タクシーを降りると、驚いたのだが、CCTVはまだ建設中であった。このCCTVの建物は北京オリンピックに合わせて建てたのではないか?だとしたら、本当に大失態だ、と思うのだが、この事実は全く報道されてない気がする。コールハースがCCTVの件で大変怒っていた、という噂は聞いていたのだが、こういう事だったとは。

その後、ホテルに帰り、インターネットをしようとするが、ネットが繋がらず。英語のできないホテルのフロントスタッフと何とか意思の疎通を図るが、上手く行かない。ラップトップを持ちながら、北京の町を徘徊し、野良電波を拾う羽目に。結局、それも上手くいかず、インターネットカフェまで行って作業する。こういう落ちが付いてしまう所が、中国、といった所だろうか。


Shenzhenから北京へ

2008-09-05 01:25:53 | Weblog
Shenzhenでは、最後の一日をめいっぱい遊ぶ。中国を代表するテーマパークがShenzhenにあるので、地下鉄に乗ってそこまで足を伸ばしてくる。

Shenzhenは香港と隣接していることもあり、狭苦しい香港を抜け出してきた香港人たちが羽を伸ばす場所でもある。かなりの高額投資をして出来上がった、中国全土をミニチュアで作った都市や、中国全土に広まる少数民族をモチーフにした民族村などがある。

民族村のつくりは、少数民族を切り売りする様なものでいたたまれなかったが、かなり多くの、各州にまたがる少数民族の住宅や衣服などをまとめて見ることができたので、大変参考になった。特に、私は2000年の春に、タイのゴールデン・トライアングル周辺で中国から逃げてきたキリスト教徒の集落や、モン、アカ、カレン族の村に遊びに行ったことがあったので、中国国内である種見世物として消費されている実情を見て、歴史が一本の線で繋がる気分だった。

その後、テーマパークで山の上30mほどからスライダーで降りる綱渡りをしたり(本当に怖かった!)、ラクダや馬に乗ってコースを一周したりと、楽しかった。ラクダに小山へと登りながら、香港側に近いShenzhenの摩天楼を眺めていたら、もうこの国が、そして世界が後戻りできない所まで来ている、ということを実感した。

飛行機に乗って北京に向かう。その中で中国日報や英語版のChina Dailyが配られているので、見てみると、特集されているのはいずれも「iPhoneガール」であった。この写真はShenzhenの工場で撮影されたもので、Shenzhenではこの話で持ちきりだった様だ。

私達は、自分たちが使っている工場製品が誰が作ったものかを考えているだろうか?労働集約的な産物には、もちろん人の労働があってのもの、そんなあたりまえのことが、国境を越えた消費というスペクタクルの中で忘れ去られている気がする。(日本で毒ギョウザの事件が話題になった時も、そういった「他者」に対する想像力が全く欠如している、というのが私には居心地が悪かった。)iPhoneガールという、笑顔の女性の顔を見た時、私達はハっとさせられたのかもしれない。この顔を見たイギリス人男性の最初の気持ちの動揺に、とても興味がある。

北京では、友人が予約してくれた798芸術特区の近くのホテルにチェックイン。今日はまる一日、798のギャラリーを巡った後に、世界遺産のSummer Palaceを見てくる。Summer Palaceはさすがに美しかった。広大な敷地の中、蓮の花が浮かんだ湖のほとりで中国風の笛を吹く男の演奏を聞いていたら、たった数百年前まで、これが生活であったのだろう、とある種不思議な夢見心地であった。

夜はGaleria Continuaにて開かれたKim Soojaのオープニングと、その後のレクチャーへと参加してくる。Kim Soojaはアーティストとして、そして人間として本当に優れていると思う。彼女の話を聞いている上で、彼女の作品の中に出てくるYin & Yangの思想が、より深く理解できた。これに関しては、いつか文章を書いてみたい。