Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

JILL BOLTE TAYLORが語る、脳卒中から来るニルバーナ

2008-05-26 14:53:48 | Weblog
ニューヨークで脳科学を研究している友人が、私にとても興味深いビデオを送ってくれた。脳科学者であるJILL BOLTE TAYLORが語る、ニルヴァーナ体験である。なかなか面白かった。

このビデオは、何と200万回以上も再生されており、今でもJill Taylorのもとには、毎日100通以上のファンレターが寄せられると言う。このビデオのどこがそんなに凄いのか?

彼女は、弟の抱えた分裂病という病気が何なのか、そしてその治療をしたいという一心から脳の研究を初め、ハーバードにて脳科学者となった。そんな矢先、脳科学者であるジル・テイラー自身が37歳の時に脳卒中で倒れてしまったのだが、彼女はその様子を克明に記憶しており、8年間の治療の後、自身が経験したその様子を、脳科学者の立場から分析的にレクチャーしているのだ。しかも、激情を交えて。とてもリアルだ。

彼女は、朝起きて、自身の体に異変が起こっていることに気付いた。そして、自分自身が脳卒中を経験している状態だと分かり、自身の体を実験台にして、脳の機能を調べようとした。その際、例えば複数の名刺をより分けるのに、左脳の機能が不完全であるため、文字がピクセルとしてしか認識できず、記憶をたぐりよせて自分の名前がピクセルでどう表記されているのかを理解するのに、45分かかったと言う。さらに、助けを呼ぶ為に仲間を呼ぶのも困難で、電話をかけることができたものの、同僚の言語が理解できず、また自身も言葉を発することができなかったという。

そんな中、彼女は自分の手を、どこからどこまで手なのか、認識することができなくなってしまい、そしてその後、自身の体を、体の外、すなわち周りと切り離すことが不可能となり、自身が自然の一部となり、ニルバーナを感じたというのだ。すなわち、自然から自己を文節化する役割を果たした左脳が機能不全に陥ってしまい、ニルバーナとなった訳だ。

彼女がしゃべっている中盤の辺り、つまり彼女が、自分が経験したことを伝えたい、という思いにあふれている部分は圧巻だ。こういう人がいるんだ、というのは、凄いことだなぁ、と普通に関心してしまった。でも、ちょっと危険な部分も感じます。詳しくは以下のレビューをどうぞ。

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May 25, 2008
A Superhighway to Bliss
By LESLIE KAUFMAN

JILL BOLTE TAYLOR was a neuroscientist working at Harvard’s brain research center when she experienced nirvana.
But she did it by having a stroke.

詳しくは、NYタイムスのWebにてどうぞ。


「アメリカ合衆国憲法には致命的な論理矛盾がある」

2008-05-25 13:26:09 | Weblog
この言葉は、クルト・ゲーデルがアメリカに亡命する際、移民局の審査官を前に話した言葉である。この言葉は、同席したアインシュタインによって誤魔化され、ゲーデルは無事アメリカ国籍を取得することに成功した。

ゲーデルは、合衆国憲法が合法的にファシズムに移行する可能性を発見することで、民主主義自体の危険性を指摘した、と言われている。ナチから逃れてきたゲーデルにとって、新たなファシズムの発生の可能性を秘めた論理的矛盾は、どうしても指摘しなければならないものだったのだろう。

民主主義自体のファシズムへの危険性は、カール・シュミットが1923年にThe Crisis of Parliamentary Democracyの中で述べていたが、皮肉なことに、これがドイツにおいて全体主義の肯定へと向かってしまった悲劇がある。(しかし同時に、現在、人間の顔のふりをした民主主義が、イラク戦争を始め、現在の多くの矛盾を生んでいるのは事実だ。)

私は、ゲーデルの不完全性定理と、ヴィトゲンシュタインの言語ゲームにおける「語りえぬもの」は、同じ構造を持っているのでは、と最近考えている。

数学の体系が矛盾を含まないことは、その体系の内部では証明できない、そして矛盾を根本的に解決しようとすれば、もう一つ高次の次元に進まなければならない、というのがゲーデルの考えであったはずだ。つまり、数学は数学そのものの無矛盾性を証明できず、この思考には終わりがないことをゲーデルは証明したわけだ。
(私は物事の発生自体が、矛盾を含んでいるのではないか、と漠然と考えている)

ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬものについては、沈黙すべきである」という命題は、それと構造的に似ている。これは純粋に言語ゲームの内部で考えるべき命題である。

言語ゲームの内部において誰も疑わないことが、他の言語ゲームとの遭遇において、初めて疑われる。つまり、言語ゲームは立脚する明確な論理を持ち合わせてないのだ。そして、それを立脚させようするのであれば、その外部=高次の次元から定義する必要がある。しかし、ヴィトゲンシュタインにおける世界とは、「語ることのできるもの=命題になるものの総体」だから、「言語の外には、世界はない」という設定となっている。言語の外には言語的に出ることができないから、そこにおいては沈黙するしかなく、語りえないのだ。しかし、ヴィトゲンシュタインは、この言語の外部の世界を、とりあえず認めている様に思えて仕方ない。(そこはちゃんと調べてみないと分からない)

ゲーデルとヴィトゲンシュタインの共通点は、ドイツ語を話すユダヤ人ということである。彼等は、そもそも、言語的統一と同一視された、ネーション内の合意の「外部」にいる、ということである。そうでなければ、言語ゲームの外部性や、それを数学の問題として置き換えた定理の問題など、考え難かったのではないか。つまり、彼等はネーションの外部というある種の共同幻想(=定理や、言語)の外部に立つことによって、内的なルールを破綻させることができる立ち居地にいたのではないかと思われる。

ドイツ語を話すユダヤ人として考えた際、自分自身への精神分析は無意味だ、と言ったフロイトも、似た環境にいたのではないか。そして、セリーヌも、ある種似た状況にいたと思う。そして、それを言語に落とし込んで考えたのが、クリステヴァではなかったか。

日本国憲法第九条は、この20世紀のある種蓄積と、特異点の一つではないかと私は考えている。語りえぬ、まったき他者としての特徴を持っているのではないだろうか。近代の問題としての憲法を、私なりにもう少し、推し進めて考えてみたい。

資金集めの困難さ:大きく横たわる、近代の不在の問題

2008-05-21 10:57:28 | Weblog
展示の準備が、ちょっと辛くなってきた。やはり、お金集めというのは大変である。努力しても、なかなかお金が集まらないと、やはりめげそうになる。正直辛い。

特に日本は、先進国の中でも最も現代美術にお金が出ない場所であり、これは異常なほどである。企業や個人のメセナもほとんど成立していないし、現代美術が、まったく市民権を得てないのだと思う。これでは、まともな芸術家は育たない。

日本政府は現代美術を支援するのではなく、伝統芸術を残し、育てることで東洋のギリシャとなろうとしているのだとは思うが、それが必ずしも成功していないことに早く気付くべきた。また、論理的に考えて、日本の芸術は大陸側から齎されたものであるから、伝統をたどって行けば、それは日本列島の外部へと繋がってしまう。民俗学の歴史などを見れば、分かることだし、日本の右翼特有の「シルクロード・ロマンティズム」が、その屈折を物語っている。

美術館制度など、モダニズムが齎すファンダメンタルが整っていない所にポストモダンが入ってしまい、それが一番悪い形で出ている、それが今の東京だと思う。この状況は何とかしなくては、と思うが、現状の厳しさを見ると閉口してしまう。

海外で歴史を勉強していく上で思ったのは、日本における近代の不在なのだが、簡単に流れを書くと、こんな感じだろうか

モダニズム(近代)はローマ・カトリシズムの延長線上であり(コギト、すなわち意識を存在と捉えること=分断)
資本主義はプロテスタンティズムの延長に存在している(プロテスタンティズム倫理の問題→ドイツの矛盾→ヨーロッパの抱えた恒常的問題)
さらにこの資本主義とプロテスタンティズムの延長に、philanthrophy、すなわち慈善という考え方が成立している(資本主義内の再分配)

例えば、アメリカで最大規模のキュレートリアル・スタディーズを抱えるバード・カレッジ(Bard Collage)は、ゲオルジ・ショロス(英語名ジョージ・ソロス)の妻であるスーザンが学長を勤めており、資金源の一部は、資本主義の象徴である株式市場から得たヘッジファンドの利益が使用されている。このショロスの先生に当たるのがカール・ポパーであり、そのポパー主義、すなわちオープン・ソサエティーの思想はマルクシズムの否定から開始しており、それが旧共産国のカラー革命に対する資金援助の論理的・倫理的バックグラウンドとなっている。資本主義内の再分配の議論、と言って良いのではないだろうか。すなわち内外を崩していく、貨幣経済の絶対的肯定と、それによって実現する、究極的な再分配の論理である。

そしてミュージアムはモダニズムの延長線上に文化統治機関として存在するが、日本にはその近代そのものが存在していなかった。美術も訳語として作られ、そしてモダン、もっと言えば近代的自我が確立しないまま、ポストモダンがそのまま実現してしまったの様だ。日本は資本があるにも関わらず、その資本は現代美術などの市場には入ってこない。さらに、現代美術は若手の、将来性のあるアーティストの値段から上がっていくにも関わらず、それを作るだけのインフラが存在しておらず、その為海外と比較した際、マーケットが確立されにくい。

欧米では資本の行き先が無い、という状態から、美術品の高騰が続いている。中国の美術マーケットの高騰も、ファンダメンタルから来ているのではなく、行き先の無くなった資金が過剰投資されている、と見た方が良いだろう。つまり、美術品が金融商品化している。

ふぅー。どうしたら良いものだろうか。私の展示には「価値」があると思うのだが、それは金融的な商品価値を持っていない為、投資対象としてはじかれてしまう、そうするとどうやってお金集めしたら、と考えた際、金融的な投資価値のある展示に変更するか(ピースアート・ナウ、みたいな展示?)地道に寄付を募るか、または作品販売、ということになる。

美術における文学の話と、ポストモダンの話を書こうと思ったら、こんな話になってしまった。そちらについては、また今度。

届いていないラブレター - 手段と目的の逆転、さらにコミュニケーション不足解消に向けて

2008-05-14 07:10:54 | Weblog
最近、私は手段が目的となってしまうことに対して、危機感を持っている。目的、すなわちヴィションが明確になっていない為、その目的達成の手段が、ある種の目標へと転化してしまうのだ。

例えば、アーティストになりたい、と思っている人が、美大を受験したとしよう。しかし、その美大入試の為の浪人生活を続けている上で、大学に入る為のデッサンの勉強が、あたかも彼の表現の新たな目標になってしまう状況が生まれることがある。それはおそらく、この学生の目指す美術の目標が定まっていないのと、またこの美大の目指す教育が、単純なデッサンの上手い下手という足切りに立脚している、という問題も内包している(それを変えようとしたのが、デュッセルドルフ芸術アカデミーをクビになったボイスが作った、受験生全員が入学できるという自由国際大学だったと思う)

そして、現実の美術界でも、受験勉強の様に、マーケットの傾向と対策の延長線上に、作品を制作してしまったりする。その最大の優等生が、村上隆氏かもしれない(しかし彼の場合はかなり特殊なので、ずっと慎重に議論する必要がある)

他にも、真面目に右翼活動をしていた活動家が、いつしかその活動の為の手段である企業からの献金を目当てにしてしまうのや、政治家がこの国の政治を良くしようと思いつつも、結局はその目的ではなく、当選する為の手段に固執する等、枚挙に暇が無い。

ビジョン、目標がはっきりすれば、後はそれに一直線、なのだが、芸術の場合、資格試験などとは異なり、どうもそう簡単な問題ではない様だ。さらに日本の場合、言語と宗教上の理由で主体が確定し難い為、相対的な意味で目標がはっきりしない、という傾向が強い様に思える。

そこで、私のビジョンは何だったのだろう?と自問してみる。

私は経済学を学ぶ学生の頃、経済学を学ぶ自分の、そして経済学そのものの目標を「再分配」と位置づけ、勉強してきた。しかし卒業の年、周りで再分配ということに固執している学生が一人もおらず、その時、私は経済学を辞めたい、現状の経済学では人は救われない、と考えた。

ほぼ同時期、アメリカがアフガニスタンへの空爆を開始しており、私は何故戦争が起こるのか、どうしたらこの戦争というシステムを解体できるのか、考える様になっていた。そのきっかけになったのが、途上国や日本の旧植民地などを含む各地への旅行体験や、祖父の語ってくれた戦争体験の記憶、さらにアメリカで受けた根深い人種差別体験であった。また世界各国をバックパッカーとして渡り歩く上で、近代化に成功した非西欧国家であり、さらに被爆を経験し、一神教を持たず、さらに平和憲法を持っている日本国の立ち居地が、かなり特殊である事に気付き、そこに生まれ育った私に何ができるのか、と真剣に考える様になった。

その時私は、「戦争ができないシステムを作りたい」、と考える様になっていた。そこで私は、戦争、すなわち国家間の闘争が起こった場合、全員が損をするシステムを作れば、戦争は回避できるのではないか、と考えた。経済学を学んでいる際に好きだった、ヴィルフレート・パレートの思想がここで活きた。さらに自分なりに、4色問題を用いて均衡を生み出すことはできないか、さらにネーションを定義する敵対概念をいかにしたら解体できるか、等を考える様になり、大学院ではユーゴスラビアの研究などを行った。

その中で、現在の戦争のほとんどが、政治家や資本家の利権に回収され、それがなんらかの不均衡から発生しており、貧しい人がそれに巻き込まれている、と理解する様になった。

戦争を防ぐ一つの方法は、国際法の整備などもそうなのだが、私はコミュニケーションの問題である、と位置づけることにした。すなわち、不均衡が発生した際に、コミュニケーションが成立し、不均衡が解消される様な状況が生まれれば良いのだ、と考えた。(これは分かり易く言い換えれば、極右と極左の思想であるとも言え、さらに根底には意識の問題が含まれる)

そして、私はそれを文化の内部で行いたいと考える様になった。紛争や対立した国家間で共有されているのは、政治的対話ではなく、サッカーやポップ・ミュージックであることを知ったからだ。そこでジダンやナカタの知名度に驚き、ボブ・マーリーの偉大さに触れた。

9条は、前代見門の条文である。届いていないラブレターの様なものである。「あなたとは戦えない」というメッセージは、外部に向かって書かれているにも関わらず、世界で知られていない。もしこのメッセージが届いたら、他国はなんて思うのだろう、きっと「ありえない」って思うのではないか、と思う。でも、きっと日本のことが、ちょっとは好きになるのではないか。

しかし、9条を守ろう、というのが目的になってしまってはイケナイ。あくまで戦争回避、平和実現の為の手段である、というクールな視点が必要だと思う。

そして私は、文化という立ち居地で行動する限り、その平和のメッセージのテーマの下、私の選んだ美術作品を、美術作品という視点で捉える必要がある。ここでは私は、「美術」作品という、「美術」そのものを目標としたものを正確にコンテクスト化することによって、展示を製作しなくてはならず、さらに歴史に忠実であらなくてはならない。

自分の中の目標をはっきりさせ、その為の手段を、自分なりに選んで行きたいと思う。そう、コミュニケーション不足の解消に向けて。

ニューヨーク・ライフへと舞い戻る

2008-05-11 07:33:03 | Weblog
ニューヨークに帰ってからというもの、多忙を極めている。キューレーターというのは人に会うのが仕事だと私は考えているのだが、オフィス・ワークもかなり多い。毎日人に会っているとその分オフィス・ワークの仕事の時間が取れなくなるので、かなり厳しくなってくる。もう、一人でこなせる仕事量の限界を超えそうだ。私にもアシスタントがいれば・・・そんな気分になる。

仕事のミーティングがいくつかあったので、ついでにチェルシーの重要なギャラリーを巡って来る。書きたいことは沢山あるが、Matthew Marksで見たKatherina Fritschの個展が素晴らしかった。あれくらい優れたアーティストを、個展という形で見せるキュレーションもいつかやってみたい、そんな気持ちにさせる作品だった。

多くのセットアップの仕事、インタビューの依頼、ファンドレイジング用のエディション作品の販売、翻訳の仕事、、、これをこなすだけの時間を、ちゃんと確保しなくては。

リディア・ヴェニエリ、日本初個展のご案内

2008-05-06 13:37:43 | Weblog
友人のアーティスト、リディア・ヴェニエリが来日し、東京にて個展を行います。ぜひ皆様、お誘いあわせの上、足を運んでみて下さい。

Press release For immediate release
Gallery Terra Tokyo
1F NOA Bldg., 2‐3‐5, Azabudai, Minato‐ku, Tokyo 106‐0041 Japan
T +81 3 5575 6685 F +81 3 5575 6686
www.galleryterratokyo.jp

LYDIA VENIERI
見ざる。言わざる。聞かざる。
2008 年5 月10 日(土) - 6 月24 日(土)
アーティスト来日 オープニングレセプション 2008 年5 月10 日(土)
17:00 - 19:00
月-土 10:00-19:00 日・祝祭日休廊


ギャラリー・テラ・トーキョーは、リディア・ヴェニエリの日本初個展を開催いたします。

一見無垢で美しい人形の姿に目をとられ近づいてよく見ると、人形の目に映っているのは、陰惨で衝撃的な自爆テロのシーン、911 で崩れ落ちるビル、戦争により爆弾攻撃されている村、世界中で起こっている恐ろしい出来事であることに気づきます。

人形の目を通して私たちが見るものは、本当は見えているのに、見ざる。言わざる。聞かざる。してしまうことなのです。

無表情で血の通わない人形と、CNN ニュースのヘッドラインなどから取り出した現実の生々しい映像を組み合わされることで、むしろ強く、普段意識していない現実がつきつけられてくるようです。

日本では今まで一度も紹介されたことのなかったヴェニエリの作品は、シルク素材にデジタル画像をプリントする手法で表現されます。日本初個展、新作10 点を発表。

米国による日本占領と「戦後レジーム」:砂川判決に対するアメリカからの外交圧力に思う

2008-05-05 08:00:45 | Weblog
5月3日が憲法記念日ということもあり、何か私の考えを書いてみようか、という気持ちがあった。しかし同時に、私の活動に対して、9条をお題目の様に唱える人からのある種の「9条教」の様なものへの勧誘に関する違和感も拭えず、文化を創造したい、と思う私の孤立感だけが高まっていた。そう、私は文化の問題として、そしてモダニズムとしての問題として9条を扱いたい、という明確なビジョンがあるのだが、「9条教」の人と、そこが全く共有できず、苦しい思いが募っている。

そんな中、天木直人さんのブログをチェックしたら、憲法第九条と日米安保に関して、非常に重要と思える記事を発見した。
東京新聞;「米軍違憲」破棄へ圧力 砂川事件、公文書で判明
という4月29日付けの記事である。

内容は、米軍の旧立川基地の拡張計画に端を発する「砂川事件」をめぐり、59年3月に出された「米軍駐留は憲法9条違反」との東京地裁判決に衝撃を受けたマッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って藤山愛一郎外相に最高裁への「跳躍上告」を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官と密談するなど露骨な介入を行っていたことが、機密指定を解除されたアメリカの公文書から分かった、というものである。つまり、米政府が日本国にて憲法違反となった米軍駐留を認める為、日本国の最高裁に圧力をかけたのである。

以前にも書いたが、同盟や条約は、憲法の下において発効している。日米安保に基づいてアメリカ軍の駐留が存在している訳だが、これは日本国憲法の上に存在しているものだ。もしも仮に米軍駐留は憲法違反となれば、米軍は撤退するしかない。

日本のいわゆる「戦後レジーム」を規定してきたのは米国による日本占領であるが、最高裁判所が米国の意思通りに動いており、またその事実が米国側から明るみになる、という事実は、本当に残念でならない。こういった歴史的事実が、実際どれだけあるのだろう。そして、それがまた米国側から出されてくるのだろう。そんな、今後出てくるであろうスクープの中にも、北朝鮮脅威論は、日本に圧力をかけ、迎撃ミサイルを売る為にアメリカ側がでっち上げたものだ、なんて記事が紛れ込んでいるかもしれない。ジャーナリズムは、もうちょっと頑張ってもらって、そういうスクープをなんとか見つけてもらって、すぐに記事にしてもらいたいものだ。

また、毎日新聞や東京新聞がこのスクープ記事を取り上げた訳だが、朝日、読売、日経、産経がこの大スクープをまったく取り上げていないという事は何を意味しているのだろう。最近、堤清二氏が、朝日新聞社に対して、財界人が圧力をかけていた、という記事を読売新聞に書いている。

新日鉄の副社長の藤井丙午、経団連や経済同友会の小坂徳三郎、警視総監から参議院議員になった原文兵衛らが朝日新聞社長らと面会し、もしも朝日新聞が「アメリカ空軍は北爆を止めるべきだ」、という社説を書き続けるのであれば、朝日での広告を降りる、という形での圧力があった、というものだ。堤氏は、役割分担的に、彼の立場から今その事実を書いておかないと、将来若い人たちが、今流されている情報が、どこから、どうやって来たものなのか判断できなくなるのではないか、という思いから書いているのだと思う。そして、おそらく彼は、それをジャーナリズムではなく、「文化人」という立場から、使命感にかられてやっているのだと思う。

私にできることは、やって行きたいと思う。しかし、私が目指す「文化」というジャンルと、現実との壁は、未だ大きい。しかし、一歩一歩、歩みを進めていくしかない。

5/4、5日:幕張メッセでの9条世界会議に、実行委員会のブースが出店されます

2008-05-04 06:59:27 | Weblog
今日5/4、5/5日に幕張メッセで開かれる9条世界会議に、「アトミック・サンシャイン 9条と日本」実行委員会のブースが出店されます。出品作品のうち一点も、ブースに展示し、またNYでのオープニングの様子のDVDの上映、展示カタログの販売や、NYでの展示の様子を収録した「母の友」の販売などを行います。ご来場予定の方は、お誘い合わせの上、ぜひお立ち寄り下さい。

シカゴで会う旧友たち

2008-05-02 10:33:26 | Weblog
シカゴでアートフェアを終了した後、やっと1日だけ、自分の時間を過ごした。

シカゴは、私にとって思い出深い町だ。20歳の時、イリノイ大学アーバナ・シャンペイン校の経済学部に1年留学していたのだが、その際、クソ田舎のシャンペインからドライブで3時間の距離にあるシカゴに来ると、ホっとしたものである。

シカゴでは、私の旧友、BrettとAdamと再会できたのが嬉しかった。Brettは私が初めて、アメリカ人で心底友人だと思えた旧友である。経済学部の人たちがつまらなくて学校に興味が湧かなくなってきていた時、アートを専攻しているBrettに出会って、いろいろと遊びに行く様になった。音楽の趣味が合ったので、CDを貸しあったり、ライブを聞きにいったり、パーティに行ったりと、いろいろ遊んだものだ。

私がNYに行ってから、しばらくは電話での連絡は取っていたのだが、その後距離もあって音信不通になっていた。しかし、googleで連絡先を探すとすぐに出てきて、メールを打つと、すぐにBrettから電話がかかってきた。Adamも今シカゴに居るから、一緒にご飯を食べに行こう、という話になった。

学生時代によく一緒につるんでいたAdamも、しばらくデトロイトのデザイン会社に勤めた後、今はシカゴのデザイン会社で仕事をしていると言う。Brettとは今もよくつるんでいるそう。Adamは私のアメリカ最終日の日に、夜中にも関わらず、空港までドライブして見送ってくれた。Adamの優しさが嬉しくて、涙が出そうになったのを覚えている。

BrettはUIUC時代の学生仲3人間と一緒にデザイン会社を立ち上げて、今は大手クライアントと仕事をする売れっ子だそう。みんな、お互いの道を進んでいるのかと思うと、本当に嬉しかった。Adamとは夜遅くまで深酒して、人生についていろいろ話した。Adamの人生観みたいなものも共有できたのが嬉しかった。

シカゴ最終日は、朝、IITにてレム・コールハースの建物を見たのだが、素晴らしかった。水平線のラインとオレンジ色のモチーフが美しい、宝石箱の様な建築であった。彼のデザインセンスと、空間の仕切り方には、本当に唸らされる。建築をここで学んでほしい、という学生への愛、そして建築そのものへの愛が感じられた。きっとコールハースは、ミース・ファン・デル・ローヘへのオマージュと、建築への純粋な愛から、この仕事を引き受けたのだろう、そう思わせる作品だった。

その後、Brettとその仕事仲間、Adamと一緒にランチを食べた後に、Brettの職場を訪問、その後駆け足でシカゴの現代美術館であるMCAへと向かう。私の好きなGordon Matta-Clarkの展示と、コレクション展が開催されていたのだが、どちらもかなりレベルの高いものだった。Gordon Matta-Clarkの作品は文句無しに素晴らしかったが、コレクション展のVito Accontiと、そして我らがKota Ezawaさんのビデオ作品が良かった。

オヘア空港からJFKへと到着すると、急に人種が入り混じり始め、ああ、NYに帰ってきたな、と実感する。やはり、ニューヨークのエネルギーはすさまじい。

空港からブルックリンの照屋勇賢さんのスタジオに直行し、展示のファンドレイジング用のエディション写真作品の製作に関してミーティング。いろいろと有益な話ができてよかった。これからの展開が楽しみだ。