Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

レイキャビク美術大学

2006-11-28 12:55:25 | Weblog
今日月曜日は、アイスランド滞在の最終日。前回手巻き寿司パーティで仲良くなったビデオアーティストのハラルデュルがアイスランドの美大でメディアアートを教えていて、もしよかったら大学に遊びに来ないか、と招かれた。そんな訳で早速、彼が教えるレイキャビク美術大学に遊びに行ってきた。

レイキャビク美術大学は本当にこじんまりとした大学で、学生数も1000人程度だそう。しかし非常に国際的な大学で、学生の半数以上が学位取得中に海外に留学するという。ハラルデュル自身もデンマークとオランダで学位を取っているらしく、小さな国としてはこの留学が大変重要なリソースとなっている。

小さな大学なのだが、設備の充実さに驚いた。自由に使えるコンピューターラボや撮影室、暗室、彫刻やプリント機材などのほとんどが最新式で、そのレベルではアメリカや日本の大学を十分に上回っていると言えよう。これだけ機材や設備が充実していれば、少ない学生の中からも優秀なアーティストが生まれてくるのもうなづける。

その後、学生の作品を見たり、ハラルデュルのビデオ作品を見たりした。驚いたのは、ハラルデュルは伝説的なフリー・コンピューター・プログラムであるNATOの最初期ユーザーの一人で、ニュージーランド人のNATO担当スポークスウーマンとも親しかったそう。そんな話にここで出会うとは思いも寄らなかった。またハラルデュルはウッディ・ヴァスルカの妻でアーティストのスタイナ・ヴァスルカの弟子だったそう。いろいろプログラミングなど教えてもらったそうだ。

その後、大学にて学生や教授陣と話したりしていて思ったのだが、前回書いた様に、アイスランドは精霊信仰が非常に強く、精霊の存在を多くの人が日常的に意識している、という点が正直驚きであった。エルフを見たことがあるか、という会話は別に珍しいものではなく、日常的なものだそう。試しに学生や教授の人にそういう話をしてみると、みな日常的な会話の様に受け答えてくれる。ああ、私は旦那と一緒にドライブしている時に老人のエルフを見たとか、ハラルデュルも小さいときにゴーストを見たことがある、と話してくれた。

空港に向かうバスの途中、木一本生えていないアイスランドの大地を見ながら、つくづく凄い所だなぁ、と思ってしまった。岩以外何もない広大な大地の中、人間はそこら辺にある岩を積み上げて、なんだか彫刻とも何ともつかない建造物を作っている。しかも、そんな原始的な彫刻が、広大な台地の上に、かなり見受けられる。岩を積み上げて何かを作ってしまうというのは、人間の本能的な行為なのかもしれない。紀伊半島、枯木灘の近くをハッチハイクで旅行していた時、海に浮かぶ岩々に注連縄が巻かれているのを見て日本の原風景を見た気分になったが、アイスランドの原風景を見た気分だ。

また、アイスランドは完全に日本人向けの場所だと思う。温泉もいっぱいあるし、人もシャイな人が多くて、日本人に似ていると思う。一つ違う所を挙げるとすると、意外と時間にルーズな所だろうか。のんびりしていて、それが良いと言えば良いが。

あー、今回は本当に旅を満喫できた。ありがとう、アイスランド!

アイスランドの精霊体験

2006-11-27 07:48:03 | Weblog
到着二日目。朝からレンタカーを借りて、ブルー・ラグーンという露天風呂に行ってきた。途上、アイスランドは巨大な岩山といった感じで、辺りは苔以外ほとんど何も生えていない。ここでの農業は不可能だと思った。(野菜類は海外から空輸しているそう)途中、高速を外れた所でアイスバーンに車のタイヤがハマってしまい焦ったが、何とか無事だった。

このブルー・ラグーン、7年ほど前まではただの自然露天風呂だったのだが、現在は観光地化が進み、とても綺麗なリゾート露天風呂となっている。超ハイテクなロッカールームやサウナ等には感激した。

またここ、すごい霊気のある場所で、びっくりした。とにかく、異様な雰囲気なのだ。ほんのりと硫黄のにおいがする温泉は真っ青で、マイナス五度の空気に触れたエリアには湯気が立ち上り、温泉の中では2m以上先はほとんど何も見えない。ごつごつした岩以外何もないエリアに佇んでいるのだが、その存在感は圧倒的で、10キロくらい先からでも100m以上立ち上る湯気を見ることができる。ものすごい物を見た気になった。

ドライブして首都のレイキャビクに戻り、夜はSigur RosというカリスマバンドのリーダーがやっているというギャラリーTerpentineのオープニングに行ってきた。レイキャビクは人口が20万人にも満たないのに、多くの人(おそらく200人くらい)がギャラリーのオープニングに足を運んでおり、作品も売れているようだった。

その後、昨日仲良くなったキュレーターのビルタが独自でやっているスペースGallery Dwarfのオープニングに行ってくる。このスペース、建物の地下を改造したスペースで、天井がむちゃむちゃ低く、展示スペースでは立つことができない。どうりでDwarf(小人)という名前が付いている訳だ。本当に狭いスペースの中で、みんなコートを着たまま、板チョコを溶かしただけのホットチョコレートにウォッカを入れた飲み物を飲んで、温まっていた。私も月桂冠を差し入れとして持っていったのだが、なかなか好評で嬉しかった。

オープニングの後は、みんなでビルタの友人の家に集まり、手巻き寿司パーティ。こんな所で手巻き寿司にありつけるなんて、幸せだった。参加した人たちはミュージシャンやアーティスト、文筆家の卵たちがほとんどで、日本文化についていろいろと聞かれる。ここでも村上春樹は大人気で、何冊かはアイスランド語に翻訳されているそう。人口が30万人に満たない国で翻訳をする、というのはとても凄いことなのだが、皆が言うには、アイスランドはかなり文学が盛んな地域で、みなよく読書をするそう。そんな訳で、翻訳も盛んだとか。そうでないと、あの多くの本屋のレベルの高さは説明しようがないと思う。この状況は、スロベニアのそれと似ている気がする。

ここで仲良くなったデイビッドとセードルという2人と仲良くなり、ビョークのお気に入りだったことで有名なCircusというバーに行って飲みなおし。この二人はずっとアイスランド人だと思っていたのだが、話してみると、デイビッドはスウェーデン人、セードルはフィンランド人とアフリカン・アメリカンのハーフらしい。バーで合流したデイビッドの友人たちもスウェーデン人たちで、レイキャビクには外国人のコミュニティというのがあるそう。レイキャビクではバー・クロウリングといって複数のバーをハシゴするのが通常なのだそうだが、そんな彼らと何件かバーをハシゴしていたら、少しずつアイスランドが見えてきた気がする。

土曜日、今日はお昼からヒルドルというアーティストのスタジオビジット。今回の旅はバケーションの予定なのだが、どうしても仕事をしてしまう(笑)でもこれが楽しいから、問題ない。ヒルドルもとても素敵な方で、いろいろとアイスランドのアート事情を教えてもらい、その後一緒にギャラリーをハシゴ。繰り返すが、人口20万人に満たない都市にこれだけの現代美術ギャラリーとミュージアムがあるのは、異様だ。全部で10件くらいあるのではないか。しかも、レベルが異様に高い。そのうち、シティミュージアムの展示は、ハンス・ウルリッヒ・オブリストのUncertain States of Americaであった。

夕方からは、ノルディック・コロニアリズムをテーマにした美術展のパネルディスカッション・イベントに参加してくる。

アイスランドでは込み入った歴史がある関係で、植民地主義の延長線上に自らを置く歴史を嫌ってきた。1918年にデンマークの植民地状態から名義上独立し、デンマーク王がアイスランド王を兼任することとなった。そして1944年、デンマークがドイツに占領された際、アイスランドは独立を宣言する。非武装の国家が独立するには、こういった機会を生かすしかなかったのだろう。しかし、その機会を逃したグリーンランドでは、先住民が未だにデンマークの支配から独立できておらず、先住民の闘争が続いているそう。

しかしアイスランドの国民生活レベルがデンマークを上回る状況になってからは、植民地主義への自覚は、外国人労働者を雇って富を得るアイスランド自身への批判へと繋がりかねず、タブーとなってしまった。それに対して脚光を当てようというこのパネルイベントは、マルクス主義の漁業労働者たちが作ったと言われる図書館にて開かれた。基本的に移民問題や、アメリカの影響による消費主義への批判などがメインとなった。新しい情報ばかりだったのだが、なんだかとても勉強になるパネルだった。

パネルの最中、オラフというアーティストが、「私がドイツに住んでいた際、彼らに精霊の話をしたら、馬鹿にされた。彼らは精霊の存在を信じないんだ」、と批判したのだが、それを聞いた回りの人が全員頷いているのが興味深かった。つまり、アイスランドではネーションレベルで精霊の存在が未だに信じられているのだ。しかし、それを逆手にとったアイスランド政府の観光広告などには皆嫌気がさしているらしく、その批判の話にもなった。

その後、鯨料理を食べに行き、夜にはオーロラを見てくる。高台に行けば簡単に見れるよ、と言われ高台の暗い方へと歩いていったのだが、本当に簡単に見れた。最初は湯気というか雲かと思ったのだが、暗い所に行くと、それが緑色に変化し、ひらめく。ずっと見ているうちに、どんどんそれが大きくなり、空を包んでいく。オーロラって、こんなにでかいのか、と正直ビックリした。そして、その美しさに素直に感動した。これは本当に感動します!アイスランドの精霊信仰なども、オーロラを見たら一発で分かるのではないでしょうか。

その夜、Circusに言って飲んでいたら、ミュージシャンをやっている中年男性に捕まり、三島由紀夫や秋田昌美について根掘り葉掘り聞かれる。それに受け答えていると、ビョークというアーティストに捕まり、あなた、ヒルドルの所にスタジオ・ビジットしたでしょう?と聞かれる。ああ、レイキャビクは本当に小さい町で、皆何が起きているのか理解しているのだなぁ、と関心してしまった。

アイスランド紀行

2006-11-24 07:04:40 | Weblog
今日からアメリカはサンクス・ギビングのホリデー。ホリデーと言えば旅。という訳で、やってきましたアイスランド!一人旅32カ国目です。

最初、スカンジナビア・エリアの国に行きたかったのだが、4泊しかできないことと、フライト料金を考えると、ちょっと厳しいということになり、アイスランドに決定。フライトが$490程と格安だったのが決め手だった。

アイスランドには以前から興味があり、あれだけ隔離された状況で人間がどう生きてきて、どう文化を作ってきたのか、大変興味があった。また最近、マシュー・バーニーもビョークと一緒に作品のテーマとして扱った捕鯨の問題にも興味があり、さらに米軍が今年撤退し、完全に非武装となった島でどういう状況が生まれているのか、ということにも興味があった。

文化といえばまず言語だが、言語から見ると、これがまた大変興味深い。発音もスペルも、ドイツ語、オランダ語、スカンジナビア系の言語と英語のミックスと言ったところ。最近は英語がベースになった新語の発生が多いらしい。また人々は、大変綺麗な英語をほぼ完璧に話し、ドイツ語やオランダ語、スウェーデン語も問題なく読める人が多い。本屋さんにも、多くの異なる言語の本が並んでいた。

また住宅を見る限り、カルヴァン主義の影響が伺える。というのも、住宅の窓にカーテンすら付いていない家があるのだ。あっても空けたままだったりして、道を歩いていると建物の中がまる見えだ。どうしても興味が湧いて部屋の中を見てしまうと、中にいる人に見つめ返されて、気まずい(笑)

それとレイキャビクの第一の印象は、街が洗練されている、という点だ。ゴミも落ちていないし、そして建物の外装、内装などのデザインが優れている。北欧の家具などは日照時間が短く、家に居る時間が長いことから発達したと言われているがきっとアイスランドもそうなのだろう。(ちなみに今日の日の出は朝10時くらいだった)とにかく綺麗なデザインが目に付く。人口30万人足らずの国で、これだけ生活が洗練されている、というのも異様な感じがしないでもないが。

また、アイスランド人は外部に対する意識が異様に高い、とは聞いていたが、やはりその様である。今日、SAFNというプライベート美術コレクションのキュレーターさんと話をしたのだが、NYのこと、日本のことなど、根掘り葉掘り聞かれた。しかしダイアローグを続けている上で、相手の考えていることも分かるので、とっても勉強になる。この対話は、全然終わらずに結局2時間も続いてしまった。でも、いろいろ教えてもらって、楽しかった。私はオラファー・エリアソンはデンマーク人だとばかり思っていたが、彼は両親がアイスランド人だと聞いて、なんだか腑に落ちた気がする。

またアイスランドの人もNYから来た私にしてみると、非常にフレンドリーに思えた。寡黙な人も多い印象を持ったが、決して人につめたくしている訳ではない事はなんとなく分かる。

しかし、スノーブーツを家に置いてきてしまったことが悔やまれる。町中に雪とアイスバーンが多く、今日だけで何度もころびそうになった。レイキャビクの人はやはり皆ブーツを履いていた。スニーカーではちょっとキツイ。それとニットキャップを忘れてしまったことが悔やまれる。やはり外は氷点下、気をつけないと体調をすぐ崩してしまいそうだ。

しかし、それにしても物価が高い!全て輸入品だからどうしようもないのだが、通常の食料品がNYの2倍近くする。ファーストフードレストランでフィッシュアンドチップスとコーラを頼んで、日本円で約1800円ほど。物価が高いとは聞いていたが、これほどだとは。出費に気をつけよう。

Rose is a rose is a rose is a rose.

2006-11-22 10:59:59 | Weblog
昨日の夕方、ハンガリー出身のキュレーターのアニコと、ホームレス・ミュージアム」というインスティテューションをやっているベルギー出身のフィリップと、ゴラン・ジョルジェビッチがドアマンを務めるSOHOのサロン、Salon de Fleurusに行ってきた。

そもそも、「Salon de Fleurus」とは、ガートルード・シュタインがパリにて開いていたサロンで、ピカソ、マチス、セザンヌが一同に展示をしていた場所としても有名である。まだ食えてないピカソのパトロンをやっていたシュタインの先見性には、驚くべきものがある。さすがにあれだけの詩を残した大芸術家だけのことはある。

SOHOのど真ん中にあるこのアポイントメント・オンリーのこのサロンは、秘密の地下通路のような穴を抜けて行き、広々とした庭を越えたその奥に、ひっそりと佇んでいた。中に入ると、そこは19世紀。蓄音機のようなレコードからシャンソンの様な音楽が流れており、部屋の奥にはピカソが絵画のモデルにしたと言われる、シュタインのコレクションであったと言われるアフリカのマスクがかかっていた。また、部屋は19世紀から20世紀初頭のモダン・アート、すなわちシュタインが集めていた多数のコレクションのレプリカが、ダウンライトの下で静かに光っていた。

この初老のゴランというドアマンも変わり者で、事実上Salon de Fleurusのオーナーでありながら、自身はドアマンと称し、全てを「このサロンは、・・・となっております」とか、「当時のSalon de Fleurusは、こうでした」という風に、決して一人称で語らないのである。俄然興味が湧いた私は黙って彼の話をずっと聞いていたのだが、ゴランはSalon de Fleurusが世界の美術に与えた影響、第二次大戦中の美術の状況、そしてとりわけ戦後のフランス美術の没落とNYに広がったインターナショナリズムの潮流への話へと結びつけて言った。この辺りの彼の知識は特筆すべきもので、Alfred Baarとロカフェラーの関係から、フランスの国家戦略の失敗、さらに第二次大戦がヨーロッパそのものを潰してしまったという話など、多岐に渡った。ゴランが「キュビズムは20世紀最大の美術史上の事件である」と言ったことから、少し彼の言いたいことが分かった気がした。なぜ彼がSalon de Fleurusに固執しているのだろう。おそらく彼は、モダニズムの伝道者なのだ。

私は最近、パルメニデスの多数性の問題について興味があるのだが、ガートルード・シュタインに関して言えば、文学におけるキュビズム的な答えだったのかもしれない。Rose is a rose is a rose is a rose.も、多数性の問題というよりも、時代背景から考えた際、キュビズムの問題提起と捉えた方が正しいだろう。そして彼女のもう一つの名言、When I get there, there is no there there.という言葉はタイムフレームと多数性の問題を秘めているが、やはりこの言葉にも、昔からのカリフォルニアの「オークランド」の風景そのものの田舎と、T型フォードの走るインダストリアルな景色となった「オークランド」へのキュビスト的なアプローチと理解した方が正しいのかもしれない、と思った。それは、彼女がセザンヌから大変な影響を受けていることからも伺える。

とにかく、アニコもフィリップもむちゃむちゃ頭の切れる面子だったので、話が盛り上がった。プラトンの問題、宗教の問題、ネーションの問題からモダニズムの問題まで多岐に渡り、それをブログで書ききることができないのが残念。でも、それがサロンの愉しみと言えよう。またゴランとは近いうちに会う予定だ。NYでの楽しみがまた増えた。

作品・作品・作品

2006-11-20 02:30:29 | Weblog
アーティストにとって、作品が全てだ。

キュレーターにとって、優れた作品を、ちゃんとしたコンテクストにて展示することが全てだ。

昨日、そんな初歩的なことについて考える機会があった。私はアートという領域に外部から来ていることもあり(私は大学時代、経済学を勉強していた)ややもすると美術作品への批評が、美術と全く関係ない所で成立してしまい、悪いケースだと社会学の様になってしまう。例えばカルチュラル・スタディーズと芸術の問題設定は全く違う訳で、その辺をしっかり理解していないと駄目だなぁ、と思ってしまった。

しかし、アーティストのダイアローグは、それを素早く理解させてくれるという点で、大変効果的であった。もちろん、それが成立するには、優れたアーティストとのダイアロ-グが必要となるのだが。良いアーティスト仲間に囲まれていることに、感謝しよう。

また私は美術が制度によって成り立っていることに気付いており、それは外部からのアプローチからの方が理解が早かった気がする。そんな事も含めて、私は自分にしかできない展示を作ろうと思っているが、アーティスト、そして作品が第一にあることを、忘れないで行きたい。

山崎広太「Rise:Rose」

2006-11-17 13:19:21 | Weblog
今日はチェルシーのギャラリーのオープニング巡りをした後に、ダンス・シアター・ワークショップにて山崎広太さんんのカンパニーのダンスを見てくる。

LMAKにて友人のキュレーター兼アーティストのサブリナの展示を見てくる。元々フィルム専攻の彼女だけあって、作品の作り方が非常に上手かった。サブリナは編み物をテーマにした作品を多く作っているのだが、彼女はここでオートフォーカス機能の付いたスライドプロジェクターを用意し、自分がカラフルな糸を編みこんだスライドを投影していた。スライドプロジェクターはその編み物の色を投影するのみならず、自身が生み出す振動と風により靡いた糸を追い、その焦点がぼやけていく。非常に上手い展示方法だと思った。

その後、ジェームス・コーハン・ギャラリーのユンフェイジイのオープニングにていろいろな方にご挨拶した後、ダンスシアター・ワークショップに向かう。ローズリーとその旦那さんのダコタさんと一緒に、広太さんのダンス「Rise:Rose」を見た。

実は、私は広太さんのダンスを見るのは初めてなのだ。ビデオで見たり、また広太さんと一緒にご飯を食べたりしてよく知っているのだが、ダンスしている広太さんは別人だった。とにかく体が、動く動く。激しいダンスだとは聞いていたが、ここまで激しく踊るのだとは思っていなかった。しかも、自ら作った振り付けを、完全に自分のものにしていて、またカンパニーのダンサーにも徹底的に教えている、というのが凄い。とにかく力強く、綺麗だった。

当たり前だが、広太さんのダンスは、完全にワールドクラスのダンスだった。また、パートナーのミナさん、ポールのダンスも本当に素晴らしかった。同じ舞踏の流れをくむ山海塾とは、扱っている主題も違うので比べようがないが、私は山崎広太さんのダイナミックなダンスに、より心打たれた。

広太さんはセネガルのダンサーを白塗りにして舞踏を教えた事でも有名だが、パフォーマンス後のインタビューにて、セネガルでの生活がどう広太さんに影響を与えたか、という質問に対し、自らのルーツを考えるきっかけとなり、また東北の風景がセネガルに似ていることに気付いた、という言葉が印象的だった。

足立正生の風景映画で出てきた新潟の田園風景が、あまりにも色彩が色鮮やかだったことを思い出す。そこで、私はああ、私は日本そのものを理解していない、なぜなら日本の原風景というのは、私が住んだ静岡県という環境とここまでも違った多様なものだったのだ、と感じたものだ。それは北九州の小倉に滞在したり、京都に滞在中にも感じた。いわゆる東北地方の多様性というものを、日本の批評家がもっと述べても面白いのではないか、と思う。安吾と阿部和重辺りからでも十分議論が始められるのではないか。

問い合わせ電話と京都の襖絵

2006-11-16 13:00:45 | Weblog
先日、ギャラリーで仕事をしていたら、こんな電話がかかってきた。
「こんにちは、今度ギャラリーに遊びに行きたいのですが、良いですか?」
もちろん、と答えると、こう続ける。
「えーと、私はヌーディストなのですが、裸で行っても良いですか?」
うーん、それは。。。と答えると、
「え、ヌーディストが裸で行くことが、まずいと言うのですか?それは差別的ではないですか?」
と続ける。私は、いや、うちの近所は子供連れの方が多いので、あまりご近所に迷惑になる様な行為はしたくない、うちの建物に住んでいる子供やその親を驚かせるようなことはしたくないので、と答えると、そうですか、分かりました、と言って引き下がってくれた。

このヌーディストからの電話は、今までで3度かかってきた。こんなにNYにヌーディストの人が多いとは。。。前なんて、「みんなで行って、ギャラリーの中で服を脱いで良いですか?」と聞かれて、辟易してしまった。ほんと、こんな話は日本では聞いたことがありませーん!

今日はジャパン・ソサエティーで千住博氏が参加する日本の襖絵の保存に関するレクチャーがあり、アジア・ソサエティーの手塚さん、富井玲子先生と勝間陵賀と一緒に行ってくる。アート・アジアパシフィックのエリックさんが招待してくれたのだ。エリック、ありがとう!

実は私は始めて千住博氏の話を伺ったのだが、率直にとても面白かった。アーティスト本人から自身作品の話を聞くのは、とても良いことだと思う。結果、彼が非常に真面目に日本画に取り組んでいて、それが内外で高く評価されていることがよく分かった。今回はNY最高の通訳とされているリンダさんの通訳を通してレクチャーをしたのだが、逆にそれが良かったのかもしれない。彼が言いたいタイムフレームの話などは、彼が直接英語で話そうとしたら、陳腐になりかねないものを、日本語で話し続けることによって彼のペースで話すことができたからだ。これは私にとっても非常に勉強になった。

レクチャー後、立食パーティにて本当に多くの人と会ったのだが、前回グリーソンズ・ボクシングジムでお世話になったプロボクサーの中村チカさんとお会いできたのが良かった。前回、彼女の世界ランキング戦とアクション・ペインティング・バトルが重なってしまい、見にいけなかったのだ。でもここで再会できて、よかった。彼女の試合が12月15日にあるそうなので、陵賀と一緒に見に行くことになった。楽しみ!ということで、京都のトラの絵が描かれた襖絵の前でポーズ!


父親たちの星条旗

2006-11-13 15:37:43 | Weblog
先日、クリント・イーストウッドが監督した話題の映画、「Flags of Our Fathers(父親たちの星条旗)」を見てきた。そう、あの硫黄島の激戦を、アメリカの側から描いた映画である。というのもこの映画は、硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」のアメリカ側視点の作品であり、その後、日本側からの視点で描かれた映画『硫黄島からの手紙』が公開される予定である。

アメリカを描かせたら右に出るものがいない、と思われるイーストウッド、やはり今回もやってくれた。「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」と続いて、アメリカの深部を抉る、傑作だった。硫黄島の戦いを描いているものの、そのプロットに散りばめられているのは、アメリカ批判そのものだった。ヒーローに祭り上げられた星条旗を立てた3人は、アメリカの戦債を買うマスコットに祭り上げられる。イラク戦争におけるジェシカ・リンチの話にそっくりである。またこの3人のヒーローのうち、やはり私はネイティブ・アメリカンの通称チーフに自己投影してしまった。(そういえば、アリゾナのホピの第三メサに住むデニス、そしてデニシアは、元気でやっているだろうか。)

映画そのものの出来も、すごかった。こんな凄い撮影をどうやってやったのだろう、と思うほどの撮影のスケール。戦闘シーンもリアルで、見ごたえがあった。それと映画「クラッシュ」とプロットが似ていると思ったら、ポール・ハギスが脚本を担当していたのですね。納得。

それにしても、これだけの物づくりをしている人に出会うと、本当、自分も頑張らなくては、と思う。もちろん、イーストウッドには敵わないが、彼に負けないくらいの意気込みで、展示を作って行きたいと思う。

初フォンデュ体験

2006-11-11 15:26:22 | Weblog
昨日は仲良しの双子のスイス人アーティスト、マーカスとレトの家で開かれたフォンデュ・パーティに招かれ、参加してくる。ちょうどマーカスとレトの彼女がスイスからやって来たばかりで、スイスからチーズを1kg持ってきたからみんなでフォンデュ・パーティをしよう、ということになった。
私はずっとフォンデュを一度食べてみたい、と思っていたのだが機会が無く今に至っていた。でも昨日で、すっかりフォンデュのファンになってしまった。

マーカスは「シンヤは絶対フォンデュが好きじゃないと思うから、他に食べ物を持参してきた方が良いよ」と言われてちょっとビビっていたのだが、そのビビりはフォンデュの臭いを嗅いだ時に確信に変わった。臭くなるからセーターとコートは別の部屋に置いておいて、と言われてその通りにしていたのだが、まさかフォンデュがあんなに臭いとは!大量の解けたフォンデュに、香辛料やワインなどを混ぜて溶かすと、かなり強烈な臭いになった。納豆の5~10倍くらいの臭いと言ったら伝わるだろうか。その臭いを嗅ぎつけたアパートのご近所さんのスイス人まで参加したくらいだから、相当なものだ。

ちなみに、フォンデュには白ワインとキルシュ酒(チェリー酒)というのがお決まりらしい。私はそれを知らず赤ワインを持って行き、顰蹙をかってしまった。なぜ白ワインとキルシュかと言うと、これらのお酒は胃の中でチーズを溶かす機能があるらしい。一番駄目なのは冷たいお水で、フォンデュと一緒に冷たいお水を飲むと胃の中でチーズが固まってしまい、動けなくなるそう。なんだかドリアンとお酒の関係みたいだ。

キルシュ酒に漬けたパンや、ざく切りしたトマトをひたすらチーズに漬けて食べるのだが、本当においしかった。そのアットホームな雰囲気は、日本の鍋そっくり。これは、やみつきになりそう。

それと、いつもスイス人の人たちと一緒にいると思うのだけれど、どこかしら日本人と似ている所がある。シャイな人が多い所や、几帳面な所、コミュニティ意識が強い所や、さらにお約束的なオチのあるユーモアが通じる所など。例えば、スイス人の若者がおいしいものを食べた時に、頭の上に三角形を作って「シュピッツェー!」とみんなで言うのだが、なんだか「笑っていいとも!」のタモリの掛け声に「そうですね!」と返答するオーディエンスの雰囲気に似ている。まあ、両方とも小さい国だから、内部の同意みたいのが発生しやすいのかもしれない。

それにしても、おいしかったよ、ありがとう、マーカスとレト!シュピッツェー!

コソボ出身アーティストの当事者性

2006-11-09 12:03:43 | Weblog
先週末にコソボ出身のアーティスト兼キュレーターであるエルツェンと会ってきて以来、ずっとすっきりしないものがある。またも、と自分で思ってしまうのだが、当事者性の問題である。

コソボという、NATOすなわち自由世界(経済的な意味で、もっと言ってしまえばネオリベ)によって守られた地域に住んでいるアーティストにしてみれば、ネオリベ批判は不可能なのかもしれない。しかし、そのNATOの空爆が直接アフガン空爆とイラク戦争に結びついているとしても、それに対して批判的な立場を取ることが不可能だ、と言えてしまうのだろうか。

コソボをセルビアではなくコソボたらしめているのは、ネーションを規定したイスラ-ムという彼らの宗教性であり、それはボスニア同様、オスマン・トルコ時代の名残である。そして、そのオスマン・トルコとの戦い(コソボの戦い)を神話化して、ネーションを築いてきたのが、東方正教会のセルビアではなったか。つまり、デリダ的な言い方をすれば、セルビアもコソボも、「他者」をある種暴力的に立ち上げているのだ。現在、コソボはアートなどの文化を通じてネーション・ビルディングを行っているのだが、それを見ていると、やはり芸術はフーコ-の指摘する通り、公開処刑禁止後のモダニズムにおける文化統治として機能しているのだなぁ、と思ってしまう。


ある私の尊敬するアーティストが、「私は世界を変えるアートにしか興味がない」と言っていた。そのアーティストが別のインタビューで、「私はアートが世界を変えることができるとは思わない」と言っていたのだが、一見矛盾するこの2つの文章は、精読すると矛盾していない。このアーティストは、アートが世界を変えるとは思わなくても、このアーティスト自身は、世界を変えるアートにしか興味がないのである。つまり、このアーティストが言いたいことは、ある種「願い」のようなものだろう。

「世界から戦争が無くなります様に」と願うことは、「願うことで、世界から戦争がなくなるとは思わない」私も、行うことである。もし仮に、「願うことが世界から戦争が無くなることに繋がらないから、『願う』ことをやめよ」、という人がいたとしたら、それは想像力のない人の意見なのではないか。オノ・ヨーコさんの言っている「ピース」は、こういう点に触れているような気がする。

そこで、当事者性の問題に戻ろう。

例えば私は、コソボの人に「お前はなにも現場が分かっていない」、と言われたとしよう。私はコソボに行ったことがあっても、それはそこに住んで、コソボ人の目で見て、理解したとは言えない。現場の意見に耳を傾けることそれ自体が出発点と言えよう。しかし同時に、私がコソボの人に向かって、「お前はなにも世界の歴史と現在のパワーポリティクスが分かっていない」と、逆に当事者性を利用して反論したとしよう。そうすると、最終的にはお互いの立場が鮮明になるだけで、パレーシア的なものには至らないだろう。しかし、コソボという「どうにもならぬ」場所、そして圧倒的に世界的に見て「被害者」的な立場にある人間にとって、その当事者性を批判されると、もう彼らに逃げ場所はない。そういう状況を私が作ってしまうことは、最悪の状況を招きかねない。

新しいセルビアの憲法が、憲法という自己ネーション規定にコソボという暴力的に設定された外部を用いたが、本当にこまったものだと思う。自己をトランセンデンタルな位置に置いて思考しようと試みることは可能かもしれないが、それすらも経験的・個人的・主体的行為である。しかし、それでもそういった思考を試みることは、間違っていないと思う。上に挙げた「願い」の様に。