Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

植民地主義の爪痕

2005-08-31 13:11:46 | Weblog
おとといの夜は、ホルヘさんとSan Juanより東側へとドライブして行った。椰子の木が生い茂る夜の海岸線をドライブしていくのは、非常に気持ちよかった。あまりにも星空と浜辺が綺麗なので、ちょっと車を止めてみよう、なんて海岸線に入っていったのが間違い。タイヤが砂にはまってしまい、抜けなくなってしまった。俺は車から降りて一生懸命押してもタイヤが抜けない。そうこうしているうちに、警察が来てクレーンを呼んでくれるということになったのだが、そんな矢先、チェーンを持っているヒッピーの車が通りすがり、車を出すのを手伝ってくれた。プエルトリコ、困ったときは助けてくれるらしい。それにしても焦りまくっているホルヘには笑った。

その後、ドミニカ人の集まるバーで現地の料理を食べた。プエルトリコにはドミニカからの移民が多く、彼らはメレンゲ音楽が大音量で流れるバーに溜まっているのだ。

プエルトリコの一人当たりGNPはアメリカ本土の約半分だが、ドミニカはそれよりもずっと低い。そこで、ドミニカの貧困者がひと稼ぎしようと、ボートでプエルトリコへと違法入国して来るのだ。さらに、彼らのうちの多くが、プエルトリコで身分証明書を偽造し、アメリカに入国していると言う。そんな話をホルヘから聞いた後、お店の看板を見てみると、「プエルトリコに行こう!」と描かれた海賊船をモチーフにした看板で、ちょっと笑う。

最終日はツアーに参加して、ユンケと呼ばれる熱帯雨林のジャングルへと行ってくる。ジャングルへと行ったのは、マレーシアのタマヌガラ以来なので、久しぶり。スコールの降る中、ジャングルを散策する。気温が暑い為か、雨はそれほど気にならない。工程の中腹にある滝つぼで泳いだのが大変気持ちよかった。

今回の旅で印象的だったのは、何といってもカリブ海に残る植民地主義の爪痕に他ならない。スペイン人の渡来から奴隷貿易、米西戦争後のアメリカによる支配、第二次大戦後、そしてキューバ革命後のプエルトリコの状況は、全てスペイン人の渡来から始める。ちなみに先ほど私が述べたドミニカ人の集まるバーは貧民街に属しており、そこは元々奴隷貿易の市場の跡地であった。そんなリアルな経験が、歴史と私の経験の距離を縮める。国民の過半数がアメリカの州になること、またはcommonwealthに留まること、または独立することに関しても「該当しない」と答えているのは、この3つの考え方そのものがヨーロッパ近代の延長線上にある考えである事に国民が気付いたからではないだろうか。しかし、それを語る具体的な言葉を持っていないのが、プエルトリコの現状なのかもしれない。

と同時に、私はスペイン語すら話せない。その事実が、現地の人々と私の距離を開かせる。プエルトリコにおいて英語を話すことは、植民地主義の側に立つことになりかねない。しかし、私にはスペイン語を勉強する時間がなく、またこの為だけに勉強する訳にもいかない。申し訳なく思うのだが、英語という歴史のある種必然として成立してしまった共通言語に頼りがちな私にとって、身を裂かれる思いがする。と同時に、スペイン語を話した所で、やっぱり植民地主義者の側に立っているという事実は変わらない。最後は、自らがどう思い、そしてどう行動するかにかかっているとしか言い様がないのかもしれない。この問いだけは忘れないでいく事が重要だと思う。

辺野古新基地反対署名にご協力お願いします

2005-08-31 12:48:40 | Weblog
アメリカ在住のウチナーンチュが、辺野古新基地建設を含め、沖縄の米軍基地
過剰負担の増加を阻止するために、署名運動を日本語と英語で行っています。
9月11日まで、一万人の署名を集め、町村外務大臣、大野防衛庁長官、ラムズフェル
ド国防長官、ライス国務長官に提出したいと考えています。1分もかかりませんの
で、よろしければ、以下のURLにて、わたしたちからの呼びかけ文と署名の文章をお
読みになったうえで、署名をお願い致します。わたしが知っている限り、これは、ウ
チナンチューが発起人となり、太平洋の両岸で行われる署名運動としては、初めての
試みです。これを成功させるために、このメールを友人や知り合いに 転送するよう
に お願い致します。

署名はこちらからーー>
http://www.okinawa.peacefighters.org/petition/ja.htm

琉球新報がわたしたちの運動を取り上げてくれました。詳しくは、
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-5018-storytopic-1.htmlまで参照くだ
さい。

では、よろしくお願い致します。

島袋まりあ

ENGLISH

Please take one minute to sign the on-line petition to prevent the
construction of a new US military base in Henoko, Okinawa. As
Okinawans currently living in the US, supported by Okinawans in Japan
and in Okinawa, we collectively oppose any increase in Okinawa's
already excessive burden of US military bases. We hope to gather
10,000 signatures by the end of September 11, 2005 in both English and
Japanese in the US, Japan, and Okinawa. This is the first bilingual,
transpacific petition, created by Okinawans that I am aware of. Please help
us make it a success by distributing it wide and far to your friends,
family, and colleagues.


SIGN HERE-->
http://www.okinawa.peacefighters.org/petition/en.htm

Please refer here to a newspaper article in Japanese describing our
movement.-->
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-5323-storytopic-17.html

Thanks,
Annmaria Shimabuku, Cornell University, East Asian Literature PhD
Program

New York Sun

2005-08-30 09:24:00 | Weblog
今日の新聞NY Sunに「もう一つの万博」の展示風景が掲載された模様。レビューに関してはどういう風になっているのか不明ですが、どなかた見られた方がいましたら、記事を頂けると嬉しいです。それでは、よろしくお願いします。

ミュージアム巡り

2005-08-29 09:45:20 | Weblog

ここ2日間はひたすら美術館巡り。

最初に行ったのは、パブロ・カザルス・ミュージアム。カタロニア出身で、フランコ体制に異議を唱えてプエルトリコに亡命したチェリストの美術館だ。小さい美術館の為、地元の人達に聞いてもなかなか知られておらず、探すのは大変困難だった。

驚いたのは、カザルスのミュージアムで流れていたのは東芝が作った作ったドキュメンタリーで、日本語字幕が付いていた点。日本のクラシックファンのレベルはマニアックなレベルが高いと思うが、こういったアーカイブが日本で作られていたのは素直に嬉しい。プエルトリコで毎年開かれているカザルス・フェスティバルのポスターがとっても格好よく、胸打たれる。やはり超一流の人の為に捧げたアーティストの作品は、良作が多い。結局、シルクスクリーンのポスターを購入する。

他にもアメリカ美術館や地元の歴史美術館に行くものの、スペイン語の解説しかなく、ちょっと残念。サンテリアに関する展示があったが、キューバに行った際もサンテリア関連の展示や儀式の場所、道具などを見たが、実際の儀式が見れなかったのは残念。まあ、そんな簡単に見れるものではないが、チャンスがなかったのは残念。

今日は現代美術館とファインアート美術館を見てくる。こちらは二つともクオリティが大変高く、感激。展示の一つは「None of the above」というもので、プエルトリコが州、独立とも違った傾向を持っている点に焦点を絞ったもの。興味深かったのは、あるアーティストがバイクのマフラーにトランペットを付けて、返還された元米軍基地の周りを回る作品。トランペットの持つ祝祭的雰囲気が、プエルトリコの豊かな自然の中に響き渡っていくのが印象的だった。

プエルトリコの若手アーティストのレベルは、世界的に見てもいい線行っているのではないかと思うのだが、何せ分からない作品が多すぎる。私もこういった、特にアニミスティックな傾向を持つアーティストの作品を語る言葉を持っていない。こういった領域こそ批評を必要としているのだろう。

蛙のオーケストラ

2005-08-27 14:19:15 | Weblog
昨日の夜、NYでお世話になっている三木さんに紹介して頂いたホルヘさんにさっそく電話した所、夜遅かったにも関わらず、一緒に食事に行くことになった。車でSan Juanの街をぐるりと一周したのだが、本当に美しい町並みで心打たれた。プエルトリコがキューバの兄弟、と言われているだけあって、本当に素晴らしいスペイン・コロニアル風の歴史建築が多く残っている。また博識のホルヘさんが解説してくれたので、大変勉強になった。

今日はその建物のいくつかをデジカメで撮ってきた。Old San Juanであまりにも夢中になって写真を撮っていたので、いつの間にか夜更けのスラム街に入り込んでしまい、ちょっと怖い目にもあった。兄さん兄さん、と声をかけてきた男がいて、向こうがトランクを開けると中身は薬物らしきものが一杯。どうやらドラッグディーラーだった様だ。その話をホルヘさんにしたら、あの辺は危ないから行かない方がいいよ、と言われてしまった。

天気がよかったので、お昼はビーチでひと泳ぎ。サンダーストームをやりすごしてからビーチに行ったためか、人気がまったく無くて、海を独り占めできた。最高だった。

夕方からは、ホルヘさんの親戚の男の子の送別会に招かれる。彼は今年からNYUでPhDに行くらしく、親戚一同から祝福されていた。プエルトリコに限らず、スペイン語圏の人の家族の絆は本当に強いなぁ、と感じてしまう。家族みんなで本当に幸せそうに冗談を言っているのが印象的だった。ちなみにアメリカの中で最も幸福度が高いのはプエルトリコというリサーチ結果があり、その代表的理由が家族愛と友情だそうだが、それも頷けるなあ、と思ってしまった。

その親戚の家はカリフォルニアのようなsuburbにあり、ハイウェイを抜けた先、門番のいるゲートを2つくぐった先にある豪邸だった。この山道を走っていて印象的だったのは、Tree Flogと呼ばれる木の上で鳴く蛙だ。本当に鳥のような鳴き声であちらこちらで鳴くので、びっくりしてしまった。本当にオーケストラの様だ。車を止めた後夢中になって探すと、茶色いアマガエルがまるでウグイスのような声で鳴いていた。これには本当にビックリだ。この蛙は世界中でプエルトリコにしか生息しないと言う。これを見ただけでも、プエルトリコに来た価値があったと思う。

そのパーティの中で、ある女性と話が弾んだ。ノルデと言っただろうか。私がキューバに行ったことがあると行ったら大変驚いて、どうやって行ったの?と何度も聞かれた。プエルトリコ人にとって、キューバへの旅は困難な夢である。ノルデの弟は大学院のリサーチで複雑な書類審査を通した上、念願のキューバらしいのだが、そこで現地のキューバ人女性と結婚したそう。そこで複雑な審査の上、キューバ人の奥さんをプエルトリコに連れてきたのだそうだが、その奥さんがプエルトリコとのカルチャーギャップに悩んでいると言う。国家間でいろんな問題があるんだな、と思う。

そのノルデは強固なプエルトリコ独立派で、プエルトリコに米軍基地があるのはおかしい、と考えているそう。しかしプエルトリコにおいて独立派は少数(10%足らず)で、commonwealth(連邦、アメリカのテリトリー)の約50%、州昇格派の約40%に比べれは小数だ。アメリカのグリーンパーティに似ているかもしれない。独立派の人達は概してインテリが多いと聞いたが、彼女も大変なインテリだった。

インテリと言えば、今日行った本屋さんでイザベル・アジェンデの数多くの本が山積みになっていたが、これもプエルトリコの政治状況の産物かもしれない。イザベルがこんなに本を書いているとは知らなかった。スペイン語で書かれているから、出版しやすいのだろう。

ちなみにホルヘさんはプエルトリコの独立はありえないと考えている。なぜなら、プエルトリコの独立は経済的に不可能だと考えているからだ。この辺りは、沖縄の米軍基地問題と似ている気がする。

その家からの帰り道、ホルヘさんの家で自慢のジュースのボトルのコレクションを見せてもらった。1960年代まで、交通の便が悪かったプエルトリコ各地にはローカルの飲み物が多く存在しており、ホルヘさんはそれを収集していたそう。なかなか綺麗なビンが多くて、面白かった。

Puerto Rico!

2005-08-26 10:41:46 | Weblog
今日、JFKからプエルトリコの首都サンファンにやって来た。ミニバケーションと、ちょっとしたリサーチを兼ねた小旅行である。

プエルトリコはアメリカのテリトリーであり、正式な州ではない。だから大統領選に投票する権利もないし、ホワイトハウスに議員を送ることもない。しかし通貨はドルを使用しており、テレビの影響かアメリカ文化が圧倒的に強い。スペイン語が主流だが、英語も通じる。私のテーマである国民国家問題を考える上で、プエルトリコは非常に重要な地域である。

JFKからプエルトリコ行きの飛行機に登場する際は、パスポートの提示を求められることもなく、私のニューヨーク州のドライバーズ・ライセンスのみで搭乗できた。不思議な感覚。ターミナルもJFKの中でも他の国際線と離れており、台湾行きのみが羽田から出発している日本の構造と似ている。

プエルトリコは、言い方は悪いが、キューバと沖縄を足して2で割ったような所だ。そもそも米西戦争までは、プエルトリコはキューバの兄弟、さらにはキューバとプエルトリコは一羽の鳥の2つの羽と詠われていた。その後キューバが共産主義革命をした後、砂糖の取得が困難となったアメリカのテリトリーとして、砂糖供給地として活躍してきた歴史がある。この経緯は、日本の本土が沖縄にさとうきび畑を増やしていった経緯と似ている。

それと、一旦さとうきび畑を作ってしまうと、米作に戻すのは困難な為、砂糖の輸入先に依存してしまう構造がある。その為、経済的な理由もあってか、独立の動きは次第に鈍くなり、アメリカ依存の地域となっていった。また、米軍基地の問題などを抱えている点も、沖縄と似ている。また、温暖な気候、そしてやさしい人柄も、沖縄とそっくりだ。これから何か興味深いものを見つけたら書いていこうと思う。

PS:飛行機から見える雲は、いつ見ても美しいなぁ、としみじみ思ってしまった。

展示のレビュー状況

2005-08-26 10:22:40 | Weblog
ホワイトボックスのヤシャがウェブ上の紹介文などをリストにして送ってくれた。いろんな所が掲載してくれています。

Another Expo web-listings:
http://www.nyartsmagazine.com/pages/nyam_document.php?nid=595&did=2674
http://www.aaa.org.hk/details.asp?id=4327
http://www.re-title.com/exhibitions/WHITEBOX.asp
http://www.artcal.net/event/view/1/1011
http://www.e-guana.net/organizations.php3action=printContentTypeHome&orgid=100&typeID=888&sortField=alpha
http://www.artforum.com/guide/region=&country=US&place=New%20York&page_id=13&show=all
http://tenplusone.inax.co.jp/backnumber/no36.html

ここでは星をもらっています。他に星をもらっているのは、私の好きなシャンタル・アケルマンの展示や、リクリット・ティラバニーヴァの参加しているグループ展、そしてあのアーサー・ダントが9・11に反応してApex Artで作った展示、それとバード・グラジュエート・センターでのゲオルグ・エンセンの展示。これに並んだのには我ながら感心。やったぜ!
http://www.nymag.com/cueN/art_listings.cfm

ブログのレビューもあったりします。ジュンさん、やったぜ!
http://www.grographics.com/webactivism/2005/08/flying-nauru.html

アルベルト・ヘタ・インタビュー

2005-08-25 14:16:50 | Weblog
今日はコソボからニューヨークを訪ねていたアーティスト、アルベルト・ヘタに会ってきた。アルベルトは、今年のベネチア・ビエンナーレでアルバニア・パビリオンを改造してコソボ・パビリオンと銘打ったアーティストとしてちょっとした有名人だ。またセルビア国内にコソボ大使館という建物を建てて現地ではかなり話題になった人物だ。アルベルトはNYでプラットフォームに参加してくれたベサの友人であり、ベサが紹介してくれたのだ。

トライベッカのホテルのバーで録音インタビューしながらいろいろと話したのだが、非常に面白いインタビューになった。特に彼と私の歴史認識、特にユーゴスラビアにおける民族浄化、UCK(コソボ解放軍)とNATOの空爆に関する認識が相当違っており、それが私にとって(そしておそらくアルベルトにとって)興味深い点となった。細部を話すとあまりにも専門的になってしまうので書かないが、究極的にはやはり当事者性と他者論に終始する話となった。

彼は個人として作品を作っており、制作は個人的体験から発生しているものがほとんどだと言う。それは私は正しいと思う。しかし全体として見た時、「セルビア軍に拳銃を突きつけられて家を追い出された」という彼の原体験、そしてNATO軍によるベオグラード空爆に対する彼の支持は、決して正しくないと私は思い、私は彼にそう言った。かなり激論となったが、お互いの立場がある程度明確になった点で重要だった。

当事者性というのは本当にやっかいなもので、これをぬきにしたら何も語れなくなる(俯瞰しようとしてる個もある種の個、そして当事者性からは自由ではないと言える)。しかし明確な被害者意識というのは、困りもんだと思う。そういった議論を果てしなく自己にぶつけてきた、という点でアルベルトと私は一致した。良いインタビューだったと思う。どこかで発表できないだろうか、とも思う。

カタログ制作とNYへ来た友人

2005-08-24 15:28:18 | Weblog
カタログ制作で手間取っている。というのも、PDFにデータを変換する際のbleedの設定が上手くいかなかったのだ。担当者から明確な指示があったのは今日だったので、対応が遅れてしまった。しかし、問題は解決したので、無事プリントされるはずだ。

お昼過ぎに勇賢さんを訪ね、consignment foamを書き終えてからギャラリーに向かう。今日から陵賀のドローイング・プロジェクトが始まるのだ。結果はあまり上手く行かず。Give Me Anything, つまり陵賀のドローイング作品と鑑賞者の所有物をバーター取引するという企画なのだが、鑑賞者にしてみると何故陵賀のドローイングの為にものをあげなければならないの、と怪訝な様子。これはなかなか難しい問題だ。食べ物をもらおうと思っていた陵賀はすっかりおなかを減らしており、ギャラリストの女の子を書いて代わりにネクタリンをもらっていた。これではダメだ。何とかしなくては。

帰り際に、セイラのポスターが最近の雨でまたはがれてしまっていた為、予備を張り出す。それと勇賢さんの旗を留めていたポールがちょっとグラグラしてきたので、ホァンがドリルで新しく穴を開けて強化する。

その後、オープニングに来てくださったアーティストの方とイーストビレッジで食事。絵画論やNYでの生活などの話が盛り上がる。食事を済ませた後、イリノイ大学時代の同級生でイリノイからNYに引っ越してきた友人とバーで飲む。NYのパブリックライブラリーに就職するそうだ。2年ぶりに会ったので、いろいろと情報交換をする。時の流れは、本当に早いなぁ、と実感する。

残念!

2005-08-22 13:57:48 | Weblog
今日、デンマークの図書館が主催している「LIBRI: Best Student Paper Award / 05-04」から返事が。実は大学院時代に書いたユーゴスラビアに関する論文を提出していたのだ。結果から報告すると、ダメだった。まあ、図書館関係の論文で受賞者も図書館学の論文が多かったので、トピずれではあったのだが、ちょっと残念。誰かがどこかで評価してくれれば良いのだけれど。。。

せっかく展示がオープンし、少し時間が出来たので、たまっていた本を読む。赤瀬川原平氏の「櫻画報」と、cabinet magazineのFictional State特集。赤瀬川氏はやっぱり凄い。よく、あの時代にあれだけの仕事をしたものだ、と関心してしまう。「もう一つの万博」に出品させて頂いた作品「万博の跡地に万博を建造する」に関する日記の中で、赤瀬川氏が万博で使われた制作費が欲しかった、と書いていたのには少し笑ってしまった。

キャビネットのFictional State特集も非常に良くできていた。Cabinetはnon-profit団体で、その為か非常にクリティカルな問題を大々的に扱うことが可能なのだ。ここではミクロネーション(台湾、チベットやコソボなど、国家的枠組みが不鮮明な地域)に関する議論がなされているのだが、こういった議論ももっと日本に輸入していって良いと思う。俺がやろうかな?