高江ではヘリパッド工事がはじまりました。 takae.ti-da.net/e5777239.html
平和号の上で、ひたすらダンプカーの行き来を見ながら、正の字をつける作業は、虚しいです。人がたくさんいたら、作業員が現場に入るのを止められるのになぁ。
高江の支援、どうぞお願いします。
原発の無い東京都の知事が脱原発派でなくてはならない理由は、東京オリンピック開催に向けて東京都民の被爆被害を隠蔽すべく自民党政府がメディアコントロールをかけて来た際、東京都民の被爆状態を正確に伝えて何らかの対策を立てるには、自民党員でない脱原発派の東京都知事でなくては不可能だから。
デリダは、カントのア・プリオリを自然を欲望で切り取ったものに過ぎないと批判し、スピノザは存在を、それ以外が存在しなくてもそれ自体で存在できるもの、と定義していたと記憶しているが、道元の『正法眼蔵』はこれらの問いに対してほぼ完璧に回答していたと感じた。
脱原発という大きな目標を果たすためにも、同じ目標を掲げる細川護煕氏と宇都宮健児氏の両者の間で話し合って頂きたい。個人的には、両者で選挙協力をして頂き候補を一本化し、都知事は細川氏に、副都知事は宇都宮氏に、というのが現実的だと思う。
同じ目標を掲げる政治家たちが選挙協力できるかどうかって、なんだかゲーム理論の「囚人のジレンマ」を見ている様だね。
仮に明治近代以前の日本を復興させるとしたら、それは日本の「古層」、すなわちアーキタイプへと戻るという行為を意味するだろう。その場合、その世界はおそらく、近代との親和性は極めて低いものとなり、デモクラシー(民主主義)からテオクラシー(神権政治)への逆行を意味するのではないか。
言語を自然の一部と捉えるのと同様、情報不足や判断ミスから時に間違いを犯すデモクラシーを、自然の一部と捉えることもできるだろう。それは言わば複数の体系間におけるトレードオフであり、カオス理論だ。
F/Tプログラム・ディレクターの相馬千秋さんの退任が突然決まったニュースが流れていたけれど、これはもしかしたらPort Bの『Referendum - 国民投票プロジェクト』で原発の問題を扱ったからじゃないかな?期せずして東京都のオリンピック関係部署で働いた経験のある私の勘です。
私が務めていた東京都歴史文化財団の文化発信プロジェクト室は、オリンピック誘致やF/T関連の仕事をしていたけれど、その職員の多くは電通からの出向だった。もしも電通の意向で原発をテーマにした表現に圧力がかかったのであれば、東京都にとってのアートとはその程度のものなのか、と残念至極。
人生はモーティ・フェルドマンの曲のように進む。偶然鳴った音が面白くなかったと文句をつける人もいるだろう。言わせておけ。次にそれを聞いたときには、違って聞こえるだろう。もっと面白くないかもしれないし、突然興奮するかもしれない。
NYバックしました。相当寒いけど、今日は-1度くらいにまで上がって来たので過ごしやすく。ところで日本で一番ショックだったのはこれに出くわした事。この完璧なフラクタル図形の”未来派野菜”?! pic.twitter.com/EiKRc2xT4V
もしかしたら春が夏になるのではなく、春から夏へと現象が移り変わる様に、人間の魂も生から死へという現象を通じて移り変わり、循環しているのかもしれない。
人間の死という、それを経験した人は死んでしまっているからプログラミングすることは不可能性である、ということから生まれたチューリングマシンの停止性問題という限界を乗り越えるべく、死後の世界における魂の運行について真面目に研究しているコンピューターサイエンティストはいるのだろうか?
そう言えば、以前こんなブログ記事を書きました。特定の音と、それが持つ文化的イメージについての考察です。
「風鈴の音色は涼しげか?」
blog.goo.ne.jp/spikyartshinya…
>を意味するだろう。
東洋哲学を勉強している者ですが明治近代以前の日本というのは、近代西洋の価値観とは大きく異なっていたようです。
多数派を重要視する西洋の価値観と違って少数派は貴重という価値観があったようです。
だから多数決ではなく一人一人の話を聞き、合議制で
決めていたそうです。江戸時代の寄合などもそうだし、
文献を見ると武術等の教育も1対1で個々の個性合った、
霊妙な動きを教えていたそうです。
全員同じ掛け声で、身体を力んで緊張させ、鍛えるよう
な今の武道が出来たのは、明治以降西洋化されてからので、日本の国家が近代化される前はかなり違っていたようです。
少数派を大切にして、個々とじっくり向き合うという姿勢
は、民主主義の中でも取り入れていける大切な価値観
だと思います。
五日市憲法など明治初期に深い民権意識があったこと
の裏付けにもなると思いますよ。
道教、仏教などが基盤だったようです。
今回の都知事選はほんとに大切な選挙と思いますが、
今一つ日本の若者は、選挙に関する関心が低いのです。
どの立候補者がどんな政策を掲げているのか、良く聞いて考えるよう勧めるツイッターもあまりありません。
まるで小難しい西洋哲学の中に逃げ込んでいるような
学者さんばかり。
憲法改正を着々と進めていて、反論しないということは
それを認めることと同じです。
泥をかぶりながら異論を唱えている人をせめて、助ける
なり、足を引っ張らないでほしいと思います。
革命というのは危険なことではないし、暴力で屈服させる
事でもない。
街に出て、対話して、問題を明らかにしていくこと。
若者に街に出て、政治家がどんな政策をとるのか、見て聞いて、話して考えていくことの大切さを伝えてあげて
ほしいと思います。
ツイッター拝見しました。
政策については
奇をてらったり表向きの派手さではなく、地域の活性化や経済を第一に考える。大企業ではなく庶民の視点で考える事が大事と思います。東北でも除染や復興費なども地域の経済ではなく、ゼネコンにお金が行っている
現実があります。
オリンピックでは、国立競技場の無駄遣いが指摘されていますが、その点について細川さんは何かおっしゃっていますか?
そういったして