Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

トークイベント「水辺をひらく アートでひらく」 2010年2月7日(日) 13:00~16:30

2010-01-28 18:16:04 | Weblog
2月7日(日曜日)に、水辺とアートに関するトークイベントにて司会を務めます。簡単な水辺とアートに関するプレゼンテーションも行いますので、皆さまぜひお誘いあわせの上、ご来場下さい。

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LOB TOKYO 09-10 トークベント
水辺をひらく アートでひらく ~都市の新たな水上経験~

「都市に新たな水上経験を」をモットーに、都市の水辺を楽しくしようと活動しているBOAT PEOPLE Association(BPA)と共に、東京の水辺に関するトークイベントを開催します。 このトークイベントでは、世界各地の水辺を使ったアートプロジェクトの先行事例やBPAの活動を紹介すると共に、アートを通じて東京の水辺を活性化し、楽しめるアートプロジェクトの可能性を、アーティストと共に考えて行きたいと思います。

イベント情報詳細
■日程:2010年2月7日(日) 13:00~16:30(開場12:30)
■会場:TYハーバー WATERLINE Floating Lounge(東京都品川区東品川2-1-3)[アクセス]
■定員:60名(要予約)
■入場料:1,000円 *当日受付にてお支払いください
■主催:東京都、東京文化発信プロジェクト室(財団法人東京都歴史文化財団)、BOAT PEOPLE Association
■協力:TYハーバー

第一部: 13:00~14:00
「水辺のアートヒストリー」 プレゼンテーション:渡辺真也
「東京の水辺とアート活動について」 プレゼンテーション:井出玄一 岩本唯史 (BPA)

第二部:14:00~14:50
アーティストたちによる東京の水辺を使用したアートについてのトーク
トークイベント開催に先立ち、私たちは東京の水辺にある、アートを通じて有効利用することが可能ではないかと思われる場所やオブジェをピックアップし、それらを使って楽しめるプランを、アーティストの方々にご用意頂きました。こちらの案は、プレゼンテーション終了後、会場の皆さまと一緒に人気投票を行い、人気の高かったプランについては、実現可能性を探りたいと思います。
プレゼンテーション:小沢剛、宇治野宗輝、SHIMURABROS.

[休憩]

第三部:15:00~16:30
BPAとアーティストとによるディスカッション、会場との質疑応答

司会:渡辺真也(東京文化発信プロジェクト室 地域文化交流推進担当)

お申し込み方法
(1)[インターネット] ウェブページよりオンライン申込み
(2)[ファックス]「水辺をひらく アートでひらく」ご参加とし、
1.お名前、2.電話番号、3.住所を明記の上、FAX(03-5638-8811)にてお申し込み

*定員に達した場合はお断りする場合があります

アーティスト紹介

小沢剛
1965年東京生まれ。
東京芸術大学大学院修了。風景の中に自作の地蔵を建立する《地蔵建立》、牛乳箱を移動式ギャラリーにした《なすび画廊》、日本美術史の名作を醤油で描いた《醤油画資料館》、野菜で出来た武器を持つ女性のポートレート写真《ベジタブル・ウェポン》などで知られる。国内外の展覧会に多数参加。

宇治野宗輝
1964年東京生まれ。
1988年東京芸術大学美術学部工芸科染織専攻卒業。90年代よりサウンドスカルプチャーを制作、またそれを使ったライヴパフォーマンスを行っている。 06年シドニー・ビエンナーレ、09年ヘイワードギャラリー(ロンドン、UK)、ナムジュンパイク・アートセンター(京畿道、韓国)など展示多数。
http://the-rotators.com/

SHIMURABROS.
ユカ(1976年生まれ。英国 セントラル・セント・マーチンズ 大学院 映画・舞台芸術学部卒)&ケンシロウ(1979年生まれ。東京工芸大学映像学科卒)による姉弟ユニット。
新たな映像装置の発明によって既存の枠をこえたイメージの実体化を企てる。2009年、「SEKILALA」が第13回 文化庁メディア芸術祭 アート部門 優秀賞(文部科学大臣賞)を受賞。
http://www.shimurabros.com/

お問い合わせ
財団法人東京都歴史文化財団 東京文化発信プロジェクト室 地域文化交流推進担当
Tel:03-5638-8803
Fax:03-5638-8811
E-Mail:info-ap@bh-project.jp

1955年 具体によるパフォーマンスのフィルムスクリーニング in New York

2010-01-26 01:32:45 | Weblog
私も少しだけお手伝いさせて頂いた、1955年の毎日放送のニュース映画として録画された具体による大原会館でのパフォーマンスの様子が、いよいよNYにて公開されます。本当に貴重な機会になると思いますので、ニューヨーク在住の方は、ぜひ足をお運びください。


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1st Gutai Art Exhibition
(1955)

McCaffrey Fine Art is pleased to present original news-reel footage of the first collective exhibition of the Gutai Art Association, held at Ohara Kaikan, Tokyo, in October 1955. Under the leadership of Jirō Yoshihara, the group's founder, the Gutai members were encouraged to present what can be called “performance painting”―their radically new reconceptualization of painting as performance. The film, shot by Mainichi Broadcasting System during a press preview, was previously thought to be lost or destroyed. This is the first public screening since 1955. Though only two and half minutes in length, it presents critical documentation of two seminal works: Kazuo Shiraga's iconic Challenging Mud (1955) and Saburo Murakami's hitherto little known version of Paper Breaking (1955). Also included are early and important works by Tsuroku Yamazaki, Yasuo Sumi, Sadamasa Motonaga, Akira Kanayama, and Shōzō Shimamoto. This unprecedented screening will run from February 2 through February 23, 2010.

The Gutai Journal
(1954―1965)

In association with Geika Publishing, Tokyo, McCaffrey Fine Art is also proud to launch the newly published facsimile of the group's journal Gutai. Twelve volumes were published between 1955 and 1965 documenting and promoting Gutai's collective activities and individual members' works. Published in a limited edition of 200 copies and accompanied by a 13th volume containing previously unavailable English language translation and critical commentary, the Gutai facsimile provides invaluable access to rare source material on this revolutionary Japanese avant-garde group.

Kazuo Shiraga, Challenging Mud, 1955 (3rd execution). Created at 1st Gutai Art Exhibition, Ohara Kaikan, Tokyo. © Shiraga Fujiko and the former members of the Gutai Art Association; courtesy Ashiya City Museum of Art & History

McCaffrey Fine Art | 23 East 67th Street | New York | NY | 10065

30歳の自画像

2010-01-24 16:51:49 | Weblog
エリック・ロメール死去のニュースや、ジェフリー・ダイチがLAMOCAのディレクターに就任したというニュースなどを読んでいると、一つの時代の喪失が急ピッチで進んでいることを感じる。

アートに関しては、コマーシャルとパブリックの境目が曖昧になってきている、という現状と共に、Roberta Smithが述べている様に、アメリカのミュージアムがビジョンを持てなくなっている、という現状にもリンクしていると思う。何故、ジェフリー・ダイチがミュージアムをやらなくてはならないのだろう?金銭的な面以外には、明確な答えを出せる人はおそらくいないのではないだろうか。

また、ハイチでの震災のニュースに、心が痛んでいる。ドミニカに行った際、ハイチに行きたいという強い衝動に駆られたが、自分がハイチにいく、ということがどういうことなのか上手く整理ができず、結局行くことができなかったことを思い出した。これは対岸の火事ではなくて、ハイチという、現在の世界を形作っている国家という構造のひずみが生んだ、人類にとっての一つの試練ではないか、とさえ思う。皆がこの問題を、自分のことの様に考え、目を向けてくれたら、と思う。

久しぶりに東京で会おう、と言って約束していた、アフリカ帰りの国境なき医師団に務める友人から連絡があり、緊急ミッションでハイチに行く、と言っていた。また会えなくなってしまうのは寂しいけれど、きっと今、彼を必要としている人が沢山いると思う。精一杯、頑張ってきて欲しい。

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若い若いと言われ続けた私も、ついに30歳になった。波乱万丈の20代を送ったと思う。これから30代の私の10年は、一体どんな10年になるのだろうか。

大学院を卒業する際、個人的な目標として掲げていた、30歳になるまでに3つの国際巡回展を作るという目標は、Another Expo展、Atomic Sunshine展、Volcano Lovers展にてとりあえず実現できたと思う。

私はこれら3つの展示で、近代の構造から生まれた副産物を、ゆるやかなテーマとして扱ってきた。つまり、

Another Expo展=ネーション・ステートと万博
Atomic Sunshine展=ネーション規程としての憲法と、他者の問題
Volcano Lovers展=プレートテクトニクスとアニミズム

である。

どの展示も、「近代」という壮大すぎるスケールをテーマとしたものであった。途中で何度も、これは本当にダメかもしれない、と思い、悩んだことが多々あったのだが、ぎりぎりの所で毎回なんとか切り抜けて来た様に思う。回数を重ねる度に、ノウハウの蓄積ができたり、理解者も増えていく中で、展示も最初に比べれば比較的やりやすくなってきたと思う。

そんなことを考えていたら、今までのプロジェクトに関わって下さった皆様の顔が、走馬燈の様にかけ巡って行った。ご協力して下さった皆さん、心からありがとう。


これからも、ずっと扱って行きたい展示のテーマはいくつもあるけれど、ヨーロッパの近代の構造の一つの終着点としての日本から、世界に応答できる様な展示をしたい、それを英語メディアを中心に流通させ、普遍的な価値を持たせて行きたい、と思う。果たして、できるだろうか。皆さん、これからもぜひ展示をご覧になって下さい。

Volcano Lovers展 in New York クローズしました

2010-01-09 22:41:49 | Weblog
ようやく、Volcano Lovers展 in New Yorkの全ての作品の撤収作業を終えることができた。撤収作業では、アートハンドラーの大介くん、さらに陵賀が随分と手伝ってくれて本当に助かった。作業の難航が予想されていた、ギャラリーの柱に巻きつけられたHaraldurの壁紙型の作品も、二人の頑張りもあり完璧に取り除くことができた。全ての作品をノーダメージでリターンすることができ、完璧な撤収作業となった。これで一安心。とにかく良かった。

私も国際展のキュレーションを3つ経験したことで、少しずつノウハウが蓄積し、大分プロっぽくなってきたかな、と思う。アーティストとのやりとりや、輸送の方法、インストール作業など、細かな所で全体的にクオリティを上げることができたのではないだろうか。3大陸にまたがるプロジェクトということで文化的な面などで苦労した部分があったけれど、これが自信になってくると思う。とにかく疲れたけれど、今は達成感で一杯だ。

展示に関わって下さった皆さま、ご協力、ありがとうございました!

(写真は、チェルシーから眺めるマンハッタンの空)

星の王子様の記憶

2010-01-04 20:57:42 | Weblog
ニューヨークにある自宅の部屋の掃除をしていたら、サン・テグジュペリの「Le Petit Prince(星の王子さま)」が出て来た。この本、あるコレクターさんから、亡くなった母のコレクションの形見をappraisalしてほしい、という依頼を受けてお家に伺った際、本棚から手に取ったものだ。

この女性の母は、ナチから逃れて来たユダヤ系の画家で、NYに来てからも絵画制作とコレクションを続けていたという。C.C.Wangと共にコレクションしたという日本画や、骨董の類の記録を付けていると、一人の人間が駆け抜けた人生を検証する様な、とても貴重な経験をした。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/c7/7c9daca729f467b818e2116cace5046c.jpg

この女性が持っていたサンテグジュペリの「Le Petiti Prince」は、おそらく彼女が誰かからプレゼントされたものだろう。1951年、という日付と共に、サインが入っている。私が興味深げにこの本を眺めていると、母の形見を見るその娘さんは、「どうぞ、持って行って下さい」と言って、私に下さったのだった。その瞬間、私はとてもパーソナルな個人史、そして世界史の双方に触れた気分になった。

宮崎駿が作った映画「Poco Rosso(紅の豚)」の最後のシーンで、加藤登紀子の歌「時には昔の話を」が流れる中、夜間飛行をする飛行士たちのイメージが出てくる。これは第二次世界大戦中、「夜間飛行」中に追撃されて死亡したサンテグジュペリに対する宮崎監督によるオマージュだ、と加藤登紀子自身が語っていた。紅の豚は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間におけるイタリアをテーマにした映画だが、ファシズムに対するアンチテーゼが節々に感じられる。加藤自身が述べている通り、アドリア海をテーマにしたこの映画の中で、当時始まったばかりのユーゴスラビアの内戦に関して宮崎監督は無関心ではいられず、ラストシーンの近くで、紛争当事者国の人たちがキャスティングで選ばれている所など、映画の中での平和へのメッセージが感じられる。そして、加藤登紀子という、壮絶な個人史を持つミュージシャンに、「時には昔の話を」を歌わせた宮崎監督のセンスにも、敬意を払わずにはいられない。

先日、「テグジュペリを撃ち落としたのは私だ」、と名乗り出たドイツ人パイロット、ホルスト・リッペルトに関する記事を読んだ。少年時代にテグジュペリの本を読んでファンだったという彼は、フランス国籍の飛行機をアドリア海で撃ち落とした際、もしかしたらテグジュペリではないか、と思い、ずっと悩んで来たと言う。

象を飲み込んでしまったウワバミやの話や、地球をつつみこんでしまった3本のバオバブの木の話が、大人になって考えると、やはり当時の三国同盟やファシズムなどに対する、彼なりの、空から見た地球に対する詩的なアプローチだったのではないか、と感じられる。そういうメッセージをキャッチできる様なアンテナは、常に維持して行きたい。

宮崎監督が映画という手法を用いて、世界の歴史に応答している様に、私も展示を作るなかで、世界の歴史に応答し、メッセージを放って行きたい。

Happy New Year!

2010-01-02 18:43:05 | Weblog
ニューヨークの街を歩いていると、人間が生き物として活き活きと生きている、そんな気がする。みんな、手足を伸ばして、精一杯生きている。あたかも、その行為の一つ一つが、それ自身の生命の存在証明であるかのように。

自由度の高い、アナーキーな感じの人たちや空気に触れていると、生命のバイブレーションが共振して、私も気持ち良くなってくる。そう、この感じ。大切にして行きたい。

2009年は大変な年だったと思う。しかし、毎年暮れになって過去一年間を振り返ると、毎年の様に「去年は大変だったなぁ」と思っている気がする。

今年は自分のやりたいことにできるだけフォーカスできる様、集中できる環境を作りたいと思う。自らが正しいと思える道を、それが倫理的な行為である、ということにできるだけ迷いを持たず、歩みを進めて行きたい。

ブログ読者の皆さま、今年もどうぞよろしくお願いします。

渡辺真也