Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

Chinese Art Stars

2007-01-31 22:31:20 | Weblog
うちのギャラリーにてオープニングです。NY在住の方でお時間のある方はぜひどうぞ。

For Immediate Release

ETHAN COHEN FINE ARTS PRESENTS:

Chinese Art Stars!

Artists:
Bai Yiluo, Fang Lijun, Huang Yan, Lian Dongya, Peng Yu and Sun Yuan, Qiu Zhijie, Sheng Qi, Shi Chong, Sui Jianguo, Wang Guangyi, Wu Shanzhuan, Yue Minjun, Zhang Hongtu, and Zhang Xiaogang.

Thursday, February 1 - Wednesday, March 7, 2007
Opening : Thursday, Feb 1st 6-8PM

Ethan Cohen Fine Arts is pleased to present the exhibition “Chinese Art Stars.” The rising field of Chinese Contemporary art is producing some of the most innovative today. Our exhibition highlights the best artists, creating a coherent exhibition composed of a variety of mediums: sculpture, photography, painting, and lithography.

As the Lunar New Year opens (February 18, 2007), reflection of the past and thoughts toward the future occupy our minds. Sui Jianguo, Huang Yan, Qiu Zhijie, and Zhang Xiaogang open the exhibition with clever and poignant works that seek to reclaim and to visually rewrite 20th Century Chinese visual culture. Works by Bai Yiluo, Wang Guangyi, and Wu Shanzhuan examine the trajectory of China’s future. Wang Guangyi brilliantly colored lithographs starkly criticizes China’s inevitable move to full capitalism; while the younger artist, Bai Yiluo is more hopeful. His photomontage, a series of 12 photographs entitled "Animal Destiny," draws inspiration from China’s billion plus person population and the twelve animals of the Chinese zodiac. Inevitably, all the works speak of China’s future and its great cultural legacy.

Ethan Cohen Fine Arts: 18 Jay Street (Tribeca between Hudson and Greenwich)
New York, NY 10013 Tel: 212-625-1250 Fax: 212 -274-1518
Gallery Hours: Tu-Sa 11 a.m.-6 p.m.
info@ecfa.com
www.ecfa.com

バッハ VS. 手塚治虫

2007-01-29 06:39:27 | Weblog
昨日、友人の文化人類学者である一馬さんと一緒にラーメンを食べて来た。一馬さんはその夜、教会で日本人ピアニストが弾くバッハの、あまりにもユニバーサルに完結した姿を目の当たりにして、この感覚を家に持ち帰っては行けないと思ったらしく、私に電話してくれたのだ。嬉しい限りだ。

西洋近代の問題を扱う人にとって、この問題は大きく聳え立っている。教会で聞かされるバッハの完璧な音楽は、それこそユニバーサルと言って過言ではない強度を備えているだろう。しかし、マルチカルチャリズムを志向する人間は、それに対して出口を見つけなければならないと思う。

西洋中心主義という大きな問題を突き崩す為には、アジアであったり日本というイマジナリーな存在を対立項に挙げて批判していくことに関して、私はそれは仕方がないと思う。ネーション・ステート批判をしているにも関わらずネーションを引き合いに出すのは少々気が引けるが、それをしないと言語や宗教の問題を語れないからである。(まあ、最初にも最後にもモラルの問題が発ち現れます)

すなわち、教会におけるバッハのユニバーサルな演奏を単純に対象化すれば良いのだが、そこまで来てはたと困ってしまう。高橋悠治がやろうとしてきた事はこういった思考の実践なのか、と思ってしまう。

それはそうと最近、ラテン語に対する日本語の優位性のようなものを漠然を考えている。これはナショナリスティックな意味で述べているのではなく、西洋中心主義を崩すための方法論にならないか、ということである。

私は最近、日本人は初等教育にて、日本語を外国語として勉強してきたと思うようになった。あれだけ幼少期に漢字の書き取りをして母国語を学ぶという文化は、ラテン語圏に存在しないだろう。すなわち、表意文字である漢字、さらに表音文字とその指し示すものをカタカナとして、外国語として学んだのである。さらに日本語そのものが訓読みで綴られる大和言葉と、南方から来た言葉、そして大陸から持ち込まれた文化と言語によって成り立っていることに気がついた。そして、この初等教育が大きな意味でネーション形成に多大な影響を与えていると考えるようになった。

手塚治虫は自分の絵を「象形文字」と表現していたそうだが、彼の才能のルーツが、漢字の発生が彫刻から来た、というルーツと無関係ではないと思う。すなわち、漢字を使うことは必然的に彫刻、象形文字に近い思考をするようになる、ということである。さらにひらがなとカタカナを導入することにより、多くのオノマトペが使用可能になった。すなわち、象形化できないものがオノマトペとなったのだ。これは日本語の優位であると言えよう。手塚が使ったオノマトペは現在でこそネーションワイドだが、当時は一体どう受け入れられたのだろう。

またこれが、日本のアニミズムとも関係している気がする。ラテン語がフィリオクェというローマ期におけるギリシャ語とラテン語の翻訳の問題から教会が分裂した経緯を考えれば、ラテン語がある種所有と統治の言語であり、このオノマトペ的要素が発生しにくい状況があると言えるのではないか。まさに、ローマを通過したロゴス主体の統治言語という訳である。

この際、バッハのユニバーサルな音楽に、手塚風に「タララララーン」であったり、「ジャジャジャーン」で対抗しても良いのではないか、なんて思ったりする。

東大にて茂木健一郎氏とレクチャー

2007-01-25 20:54:28 | Weblog
東京では、相変わらず激しいスケジュールだった。22日月曜日、朝から三軒茶屋にて出版社とのミーティング。展示カタログ製作に関するものだが、日本の出版事情の現状を聞き、なかなか難しいということだけはよく分かった。その後、時間の合間を縫って日本における展示の為のカタログ用の翻訳を進め、お昼過ぎには上野にて奨学金の面接。短い時間だったのでよく分からないが、うまく通れば良いなぁ、と思う。その後、日本橋に移動し、次回の展示の企業スポンサー候補の方とミーティング。中小企業の広報担当の方とのミーティングだったのだが、いかに経営が苦しいか、という話を延々と聞かされ、最終的にスポンサーシップは困難、という結論に至った。まあ、仕方がない。

夜からはNYU時代の同級生でジュエリー・デザイナーのメリッサと、メリッサ・パパこと浩一郎さんと一緒に白金台にて晩御飯。浩一郎さんと、日本のアニミズム的な要素をどう海外に輸出するか、ということで議論が盛り上がる。私と同じことを考えている人が日本にいる、という事を知ると、元気が出てくる。浩一郎さんはやはりアメリカ生活が長かったのだが、そういう外部性がこの発想に繋がっているのだと確信する。また、なんと食事中にバースデー・ケーキが出てくるサプライズ!メリッサが私の誕生日を覚えてくれていて、レストランにバースデーケーキを注文してくれていたのだ。これには感謝感激。ありがとう、メリッサ!

その後、タクシーで渋谷に移動し、茂木健一郎さんと渋谷にて合流。茂木さんは最近、NYのDiaセンターに行ったのだが、その途中のハドソン・リバーの風景にえらく感動した、という話を伺う。確かにあの辺りは大変風光明媚だと思う。茂木さんは東大で集中講義をしているらしく、その集中講義でレクチャーしてもらえないか、と依頼される。そんな訳で、日本を発つ日に茂木さんの時間枠でレクチャーすることに。

火曜日の日本滞在最終日、朝一番に歯の治療をしてから、東大駒場キャンパスに向かう。レクチャーのホストである池上高志さんと茂木さんに挨拶してから、私の企画している展示に関するレクチャーを行う。学生からのフィードバックも面白かったのだが、塩谷賢さんのコメントが切れ味鋭く、大変印象的だった。特にカントが「他者を手段としてではなく目的として扱え、と言っていることに関して、原書を読むとカントはそう言っておらず、ただ単に手段としてしか扱うな、と言っているだけである」、と述べたのには大変興味をそそられた。柄谷氏は、カントのコメントはbut alsoという形で手段としてではなく、目的としても扱え、とコメントしているが、この辺りは原書をあたらないと駄目だと思う。

とはいえ、日本の最高学府である東大でレクチャーを行えたのは、私にとってもとても良い経験であったと思う。大学受験を高校3年の春、偏差値40から始めた元々おちこぼれの私にとって、東大でレクチャーすることがあるなど、夢にも思っていなかった。茂木さん、ありがとう。

その後、NYに帰ってきて、早速アーティストとミーティング。アーモリー・ショーの展示作品などに関して意見交換。水曜日からは早速ギャラリーにて仕事。同僚のミシェルとレイチェルが私の分まで仕事を頑張ってくれていて、感謝感激。NYに帰ってくると、やはり帰ってきた、という印象が強い。日本もたまには良いが、私にはNYの方が合っている気がする。NYの持っている独特な緊張感が、私は好きだ。

合同誕生日会

2007-01-22 00:10:55 | Weblog
木曜日。お昼ごはんを甲南大学にて表象の問題を扱っている北原恵さんとご一緒する。いろいろと京都ナショナリズムの話からジュディ・シカゴの話など様々な話題で盛り上がる。ジュディ・シカゴをめぐる日米間の言説やその違いなどについて、いろいろと議論する。アメリカでフェミニズム・アートと呼ばれているものが植民地主義などの問題を内包または隠蔽しているのではないか、という話をする際、どうしてもジュディ・シカゴの話になるというのが興味深かった。

その後名古屋に向かい、そこではお世話になっている建築家の田中大介さんと、瀬戸物アーティストの道川省三さんと一緒に晩御飯をご一緒する。道川さんはさすが紫禁城で展示をやったアーティストだけあって、中国史に大変通じている。中国は皇帝の歴史であり、現在はその皇帝の地位を占めているのが中国共産党である、という意見を伺う。これは正しいと思う。その後、瀬戸物のろくろの回る方向(右回りと左回り)で文化圏が分かるという話や、焼き物の地域差の話などで盛り上がる。楽しい夜だった。

金曜日から、実家のある静岡県に向かう。父親と一緒に沼津の魚市場で食事をして、その後母方の実家にて祖母に会う。久しぶりに会う祖母は元気で、一緒に詩吟やら童謡を歌って盛り上がる(笑)とにかく元気そうで何より。実家ではおいっこのコウセイとリョウガとも一緒にサッカーやパズルをして遊ぶ。おいっこのリョウガは誕生日が1月1日で、3歳になったので、1月21日生まれの私(27歳になりました!)と一緒にお誕生日会。その後、温泉に行ったりして、つかの間の休息を楽しむ。

今日の日曜日は横浜でお世話になっているデザイナーの相澤幸彦さんとお昼ご飯を一緒した後、新宿にて友人の神部とそのパートナーである秋山さんと一緒にご飯。おいしいしゃぶしゃぶを食べれて、大満足。日本は飯がうまくて、本当それが一番好きかも。

東京・広島・京都

2007-01-18 12:05:57 | Weblog
月曜日は朝にNYとの仕事を済ませた後、新宿にて大浦信行さんとお昼ご飯。大浦氏の最新作である映画「日本心中」についていろいろと伺う。ジャケットに使われていた山下菊治の絵画が素晴らしく、その延長線上で藤田の絵画、そして刺青の持つ精神性などの話で盛り上がる。

その後まんが喫茶でファイルを作った後、外苑前にて、映画監督のジャン・ユンカーマン氏とミーティング。彼が慶応に留学していた1969年当時、アメリカ人であるユンカーマン氏がどう日本で受け止められていたのか興味津々で、いろいろと伺う。また日本での生活やアメリカに関する最近の文化事情などについていろいろと意見交換。

その後、美術関係者の方々多くを集め、南青山にて芸大美術に関する大討論会をする。またその様子は、回を改めて書こうと思う。

火曜日は朝にアーティストの池田孔介と朝食を食べながらミーティングを行う。最近東京のホテルにて開かれていたアートフェアに関して、意見交換。私も行きたかったのだが、どうしても行けなかった。日本のマーケットを知る上で重要と思われる意見を多くもらう。孔介のように、的確なコメントをくれる友人がいると、大変助かる。

その後新幹線にて広島へと向かう。新幹線の中では時差ぼけの関係で体がだるく、寝ようとするが寝付けず(涙)今回は初めて時差ぼけ対策としてメラトニンを飲んでいるのだが、それだけでは日本との14時間時差はちょっと辛い。もうちょっと緩いスケジュールを立てたいものだ。

火曜日の夜は、アーティストの柳幸典さんとミーティング。柳さんが現在企画中のごみ処理場を再利用したアートプロジェクトに関していろいろと伺う。かなり長期に渡るアートプロジェクトで大変な困難があるかと思われますが、本当にぜひ実現してもらいたい。次回広島に来た際には伺ってみたい。

水曜日の朝は私がカタログ製作を協力している広島での美術展に関するミーティング。大変クオリティの高い作品とテキストが集まり、成功が目に浮かぶ。こういうプロセスを見ているのは、本当に楽しい。

その後、新幹線にて京都に向かう。3時に到着しホテルにチェックイン後、数時間の自由時間を使い、大徳寺へと向かう。前回セイラと滞在した際には時間がなくて行けなくて、ずーっと長いこと、どうしても行きたいと思っていたのだ。しかし、到着が4時過ぎだったので、ほとんどのお寺の中には入れず。狩野永徳の襖絵が見たかったのに、また見逃してしまった。残念。でも、その寺の屋根裏で野良猫が激しい喧嘩をしていて、それが本当にすごくて、思わず写真に収める。

夜は精華大学の須川咲子さんがやっているカフェ「喫茶はなれ」にてNYにてキュレーター活動をすることに関するレクチャーを行う。多くの学生や私の友人が集まり、大変楽しかった。こういう方と前回のセイラの滞在の際に知り合えたのは、本当に嬉しい。特に久保田テツさんと再会できたのはよかった。

他者 = OthersとThe Others

2007-01-14 18:32:38 | Weblog
金曜日のお昼より日本に帰国。NYでは朝から晩まで、仕事と自分のプロジェクトに追われる。昼飯を食いのがすかどうかのギリギリのスケジュールが続く。

帰国前日には、通訳のリンダさんと一緒に私のプロジェクトに関して意見交換。その際、私の日本語でいう所の他者に関して、英文を直される。「Others」ではなく、「The Others」である、という指摘だ。

「The Others」という言葉は、私の言いたいメッセージに関して、文法的にはまったく間違っていないし、むしろ正しいと思う。しかし、他者を特定するtheという言葉は、果たして存在しえて、そしてそれはどこから存在しているのだろうか。それはおそらく「自己」の存在に置いてのみである。

レヴィナスの哲学における他者の設定を暴力的だと批判したのはデリダであったが、他者について話そうとする時に、theを付けて特定するのはいたし方のないこととは言え、少し引っかかる。しかし、othersという風に特定せずに他者を話そうをした場合、それはなんだか投げやりな風にも感じられるし、不可能なのかもしれない。難しい所だ。ラテン言語に特有な所有の問題を感じる。

成田空港から新宿に来る途中、ただ「箱」と呼びたくなるような建物の連続を見ながら、日本の近代化に関していろいろと思う。この箱の連鎖が歴史の中に見えてくるのは、私が少しずつ歴史を勉強してきたからだろか。または、外国人の視点を手に入れたからだろうか。

その後、姉と一緒にとんこつラーメンを食いに行く。朝は松屋の牛丼。どちらも美味い。その後、朝一でユニクロと丸井のセールで買い物し(私に合うサイズのシャツがアメリカにはない!)、午後にアーティストの下道さん、夕方に鈴木邦男さんとミーティング。非常に有意義な議論ができてよかった。

God of Small Things

2007-01-07 11:12:24 | Weblog
最近、サダム・フセインの死に関して友人たちにいろいろと聞かれる。ブログにも書いたような私見を述べると同時に、裁判制度の問題、そして近代の問題などについて話す。

昨日、友人がNYで話題になっているらしいセプテンバー11によって父を失ったアメリカ在住のユダヤ人の青年が20世紀以降の世界情勢そして大戦を俯瞰する、というストーリーの小説にはまっていて、しきりにその話をされる。あまりにも素晴らしい下りだから朗読させてくれ、と言われ、黙ってその場に座り、ある下りを聞いた。

そこではその少年が、広島の被爆者にインタビューをするシーンがある。被爆者の男性は、淡々と語る。

広島に一瞬、光が広がる。その直後、男性は愛する女性を探し、街をさ迷う。街は瓦礫の山と化しており、駅は倒れた兵隊で溢れている。やっとの事でその女性を見つけ出して肩に手をかけると、その皮膚が、肩からずるりと落ちてしまう。私、死ぬのね、と言う女性に対し、男性が、いや、お前は死なない、俺が愛している限りは絶対に死なない、という下りであった。

広島の被爆体験は、私にはもちろんない。しかし海外、特にアメリカに来てしまうと、その被爆に対する無視そのものがあまりにも軽視されており、それが私には耐えられない場合がある。そして、このアーティストは、そんな私の心境も知っており、被爆を扱ったユダヤ系アメリカ人作家の視点を通し広島を間接的に学習し、私にその印象、そして感動を伝えたく、涙を流して読んだ、というパートを朗読してくれたのである。

戦争によって間接的に被害を受けたアーティストの方から、こんな朗読をしてもらうのは大変光栄だった。と同時に、経験というものに対し、私に今一度考える機会を与えてくれたように思う。

経験は固有のもので、究極的には共有できないかもしれない。それはユーゴを旅して、身にしみた。しかし、経験に固執するのではなく、「あなた」のことを「わたし」のものとして理解しようとする努力が、重要なのではないか。被爆者である「あなた」を、「わたし」、そして第三者である「あなた」が理解する努力をすることが重要ではないか。

「ヒロシマ・モナムール」におけるデュラスとレネの天才は、ヒロシマを、ナチに占領されたヌベールにおける自己の経験と重ね合わせてしまったフランス人反戦女優に対して、日本人建築家が平手打ちしてしまうシーンを含めたことである。この凄さは、ここではそう簡単には書けない。

デュラスとレネは、「ヒロシマ」をどう理解したのだろうか。きっと、中国人男性を愛してしまったフランス領インドシナ生まれのフランス人女性、そしてホロコーストの嵐を生き抜いたユダヤ系フランス人としての経験を通じ、理解したのであろう。こういった固有の経験が、他者を見るまなざしの中に生きていると思う。