Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

「アトミック・サンシャイン 9条と日本」実行委員会開催のお知らせ: 4/3 東京 南青山

2008-03-25 08:01:44 | Weblog
こんにちは、キュレーターの渡辺真也です。大変お世話になります。

2008年8月6日に迫った東京・代官山ヒルサイドフォーラムでの展示開催に備え、4月3日夜7:30分より東京南青山にて実行委員会ミーティングを開催します。キュレーターの仕事に興味のある人、展示ボランティアに興味のある方など、いらっしゃいませんか?参加に興味のある方、
article9@gmail.com
までご連絡下さい。皆様の積極的なご参加をお待ちしております。

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実行委員会議事項目

1.ニューヨーク展に関する報告
2.ファンドレイジングに関して
3.カタログ製作に関して
4.広報その他
5.インストール補助
6.パネル・ディスカッション
7.巡回可能性について

渡辺真也ロング・インタビュー+日本的イスラーム研究+ネグリ来日中止に思う

2008-03-23 05:49:58 | Weblog
私のロング・インタビュー記事が、Japan Focusに掲載されました。

Into the Atomic Sunshine: Shinya Watanabe’s New York Exhibition on Post-War Art Under Article 9
Shinya Watanabe talks with Jean Downey


記者のジーン・ダウニーさんとコーネル大学のマーク・セルデン教授にはお世話になりました。ありがとうございました。

最近、とても忙しくしている。いろいろな仕事を片付けながら、友人・知人たちが主催しているNYでのイベントにも顔を出している。今週はNYにてアジアン・コンテンポラリ・アートウィークのイベントか多く開催されており、私も関連イベントに顔を出してくる。

先日、MoMAで開催されたレバノン人アーティスト、Akram Zaatariのビデオ・プレゼンテーションを見た後に、MoMAのキュレーターであるバーバラ・ロンドンさんに招かれ、MoMAのバーでアーティストや関係者と食事をしてきた。

その際、私のすぐ隣にいる男性の方と話をした所、その男性がたまたま日本人で、現在大川周明のドキュメンタリーを製作していると伺う。この方は、父の死後、父が大川塾の学生であったことに衝撃を受け、その当時の様子をドキュメンタリーという形で製作したい、と考えたそうだ。

たまたまアジアン・コンテンポラリー・アート・ウィークのディレクターを務めているアフガニスタン人のキュレーター、リーザ・アフマディが近くに居たので、彼女を捕まえて、大川周明という、日本初のコーラン翻訳者であり、戦後A級戦犯となった人物がいるのだけれど、彼はその人のドキュメンタリーを作っているそうだ、と伝えると、とても興味深い話となった。何故コーラン翻訳をしている人がA級戦犯なの?と聞かれ一生懸命説明するが、どうしても歴史背景をかなり知らないと理解が難しいエリアなので、いろいろと困難があった。その隣で、韓国人のキュレーターが興味深そうに話を聞いていたのが印象的であった。

私は、大川周明の弟子である井筒俊彦の仕事に以前興味があり、学部時代に読んだことがあるのだが、井筒氏の主張がどれくらい的を得ているのか、イスラーム圏外の人間として分からない箇所があり、丁度良いタイミングなのでリーザに聞いてみた。

井筒氏はスンニ派とシーア派の違いの一つである、律法学者のであるウラマーとウラファーの話を展開している。コーラン解釈ができるウラファーを擁する文化であったシーア派は、コーラン解釈を禁じたスンニ派とは異なっていて、結果、スンニ派は敏感な点を沢山持っているにも関わらず、それは点としてしか成立しておらず、ウラファーを擁したシーア派は、その点と点を接続する線を作り上げることができ、その地域において芸術や文学が発達することが出来た、そんな話であったと思う。

私はイランで映画があれだけ発達したのは、このシーア派ウラファーの影響があるのではないか、と感じていた。しかし、アメリカではイラン映画を見る機会が非常に少ないのと、アメリカでは世界史と芸術双方に通じている人を見つけることが難しく、話題を共有できなかった。

「私は何故イランがあれだけ上質な映画を作ることができたのか、と考えた際、このウラファーの文学性みたいなものが大きく影響していると思う」、とリーザに言ってみた。すると、「それは面白い。そんなことは考えたこともないし、聞いたこともなり。面白い発見だ」と言ってもらえた。井筒氏の述べている日本的イスラーム研究というのは、もしかしたら凄いものなのかもしれない。

また、スンニ派ウラマーもシーア派ウラファーも律法学者であるから、この話は日本国憲法の話をする上でも有効ではないだろうか。以前話したヴーランヴィリエのフランク帝国の話やイングランドのコモン・ローの話、プロテスタンティズムの話などをまとめれば、何か面白いものになるかもしれない。

そして、その直後に知った、アントニオ・ネグリ来日中止の件、とても残念だ。

私のお世話になっている芸大の木幡和枝さんや池田剛介が頑張っていて、私もレクチャーに関連した英文構成などでお手伝いしたのだが、本当にガックリである。どうして、ビザが出ないのか?危険人物だからか?逮捕歴があるからか?はっきりして欲しいし、その決断をした外務省の責任者は、自身の名前を公表して、公式声明を述べるべきた。これでは、ネグリに対する勘違いをさらに助長させ、「国家反逆罪」という当時のイタリア政府側による発表を鵜呑みにしているだけに過ぎない。同じく、「国家反逆罪」を通告され、死にまで追い込まれたソクラテスを思い出してしまうのは、私だけではあるまい。

その後、リンダ・ホーグランドさんの映画「Wings of Defeat」のプレミア上映会に行ったり、友人のボンがオープンしたGana Artの新しいスペースのオープニングに顔を出したり、昨日はNYUにて開催された砂入博史さんと照屋勇賢さんのトークイベントに参加してくる。イベント漬けの日々であった。

今年マリエンバードで

2008-03-17 02:27:58 | Weblog
昨日、レネとロブ・グリエの「去年マリエンバードで」を見て、気づいたことが一つある。忘れないうちに書き留めて置こうと思う。

映画の中でマリエンバードをプレイする男性Aが、カフカに大変似ているのである。そこで一つ分かることがある。

マリエンバードは、ドイツの発音で、現在のチェコにある温泉街Mariánské Lázněのことである。この町は文化人の溜まり場になっており、マーク・トゥエインや皇帝フランツ・ジョゼフ、ニコライ二世、ゲーテ、ニーチェ、カフカ、トーマス・エジソン、フロイト、さらに作曲家のショパン、マーラー、ワーグナーらのお気に入りであったと言う。

この町は第一次大戦から第二次大戦までの間、大変にぎわう様になったのだが、ナチに併合されると、完全に「マリエンバード」と呼ばれる様になったと言う。そして、1933年1月30日、ヒトラー内閣が発足すると、ドイツ系ユダヤ人であったレッシングは、ドイツ語が通じる外国であるチェコスロバキアへと亡命したが、そこでナチのスパイに暗殺されている。

問題は、何故この映画に「マリエンバード」という名前が付いており、そして、何故この男性Aがカフカに似ているのか、ということである。

マリエンバードは以前もブログに書いた様にゲーム理論の名前でもあり、ある一定のルールの中でゲームをプレイする限り、先攻者が絶対に敗北する、というものである。そして、このゲームを案内する男性が、カフカ似の男である。

カフカは、オーストロ・ハンガリー帝国に占領されたチェコに生まれており、チェコ語すら話せない抑圧されたチェコの中で、さらにユダヤ人という劣等感の中で、かなり特殊なドイツ語の語感を磨いていったとされている。(この辺りはドゥルーズの「カフカ」が詳しい)

そして映画の中で、ほとんど無意味とも思える、拳銃を発砲するシーンが何度か出てくるが、このシーンとマリエンバードという発音などを考慮すると、設定は第二次大戦直前のヨーロッパであることが想像できる。

レネは、自らのフランス系ユダヤ人としての出自を、カフカとレッシングに重ね、ロブ・グリエと一緒にこの脚本を作ったのではないだろうか。サルトルさえイスラエルに関する発言が憚られたあの時、この作品を作ることが、彼なりの表現だったのではないだろうか。

そして、マリエンバードを案内する男性”A”に対して好戦的である男性”M"を描くことにより、第二次大戦において侵略国であったドイツを批判している様な気がしてならない。

「3本のバオバブの木が地球を食べてしまっている」と、枢軸国批判のメッセージをを星の王子さまに代弁させたサン・テグジュペリの様に、ユダヤ人であるレネは、「夜と霧」「ヒロシマ・モナムール」「去年マリエンバードで」の3本で、かなり間接的なナチ批判、そしてヨーロッパを覆う戦後シニシズムの問題を扱おうとしたのではないか、というのが私の考えである。

PS:アラン・ロブ・グリエの脚本は、アドルフォ ビオイ・カサーレスの小説「モレルの発明」という元ネタがあるそうです。ご存知の方、コメント下さい。または、誰か読んでコメント下さい。
モレルの発明 (叢書 アンデスの風)
アドルフォ ビオイ・カサーレス,アドルフォ ビオイ・カサレス
書肆風の薔薇

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お亡くなりになったロブ・グリエと美しい靴

2008-03-14 12:53:31 | Weblog
「去年マリエンバードで」がニューヨークでリバイバル上映されている。何故だろう、と思ったら、この脚本を書いたアラン・ロブ・グリエが2月にお亡くなりになったそう。NYの雑誌レビューに書かれていたのだが、アメリカでは、ヌーボーロマンの旗手、ロブ・グリエはあまり知られていない。そして、彼を高く評価したロラン・バルトも同じくそう知られていない様に思う。レネはよく知られていると思う。

最近、ボリス・グロイスのテキストとして紹介した、テーオドール・レッシング(「ラオコーオン」を書いたレッシングとは別人)が、亡命先のマリエンバードに滞在中にナチの軍隊に射殺された、という文章を目にした。アラン・レネは自らのユダヤ人としての出自を、ホロコーストを直接扱うのではなく、大戦が招いたもう一つの悲劇である広島をテ-マに「ヒロシマ・モナムール(邦題:二十四時間の情事)」を製作したと言われているが、そう考えられると、ユダヤ人亡命哲学者であるレッシングが射殺されたマリエンバードをテーマに据えることで、レネはヨーロッパの亡霊を扱ったのではないか、という問いさえ生まれる。今度、この映画をプロイセンの没落貴族出身で西ドイツに亡命した家族を持つ友人と一緒に見ることになった。どんな風に思うのか、感想を聞くのが楽しみだ。

「マリエンバード」は、以前ブログにも書いた様に、ゲームを開始した人が絶対に負ける、というゲーム理論の一つでもあるのだが、それを男女の恋愛関係に置き換えたのが、ロブ・グリエとレネの天才だと思う。しかも、あれほど美しい映像を取れる人は、もはやそういないだろう。レネは本当に最高ですね。

昨日、ブータンに住んでいる友人から、ブータンの宗教儀式に使うという、美しい長靴が送られて来た。突然、友人から「シンヤ、足のサイズはいくつ?」と聞かれたので何が送られて来るのかとソワソワしていたのだが、荷物を開けてみてびっくりした。本当に美しい、鮮やかな靴で、ひざの所まで伸びる靴のすねの部分は、ひざの裏で黄色い紐で結ぶようになっている。この黄色は、ブータン王室の色らしく、私がこの色を使って本当に良いのだろうか、と不安になってしまう。今度、アジアン・コンテンポラリー・アート・ウィークのイベントにでも履いて行こうかしら。

二十四時間の情事

アイ・ヴィ・シー

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「アトミック・サンシャイン」東京展開催のためのボランティアさん募集

2008-03-12 10:07:07 | Weblog
2008年夏、「アトミック・サンシャイン」展は東京に巡回します。開催期間は8月6日-24日、会場は代官山のヒルサイドフォーラムです。その後、日本各地に巡回する可能性があります。

8月の東京での展示開催に先駆け、展示ボランティア(実行委員会新規メンバー)を募集します。ボランティアさんのお手伝い内容は、以下の通りです。

1.キュレートリアル面でのボランティア
美術館、会場、アーティスト等とのやりとり、さらにインストール等の補助

2.広報
チラシの配布、ファイルの作成、インタビュー記事などのテープ起こし、その他

3.翻訳アシスタント
英語版カタログから日本語版製作の際の翻訳アシスタント

4.ファンドレイジング面
企業周りの際のファイルの製作など

その他、トラックの運転ができる人、人が呼べる人、木工ができる人、デザインができる人、美術展製作に関わってみたい人など、募集します。大学生、大学院生、社会人共に歓迎です。
article9@gmail.com
までお返事下さい。

一つの国際美術展を成功させる為には、多くの皆様のお手伝いが不可欠です。キュレーションに興味のある方、9条に興味のある方、参加してみませんか?具体的なお話は、キュレーターの渡辺真也が4月に一時帰国した際に直接お話できたらと思います。

それでは、皆様のご協力をお待ちしております。失礼します。

渡辺真也

陪審員制度から考える日本国憲法とアングロ・サクソンの法規の違い

2008-03-08 16:11:05 | Weblog
今日、アメリカ政府から、Jury Dutyとして裁判所への出頭依頼が来た。アメリカ人の多くは、このJury Dutyのレターをもらうと、「やれやれ」と思いつつ、義務だから仕方なく裁判所に行くことになる。この出頭依頼は運転免許証その他のアメリカ政府が持つアーカイブからランダムに選ばれた人に送られて来るらしく、私の所には、今回初めて来た。しかし、私はアメリカ市民ではないので、レターに書かれていた「アメリカ人ですか?」の欄に「No」をチェックし、郵送した。ある意味、この間違いも「やれやれ」という感じである。それくらい調べてから送ってくれても良いのに・・・。

以前、1993年に日本を訪れた日本国憲法の実質的最高責任者であるケーディス大佐のインタビューを読んだことがある。日本の憲法研究家が、陪審員制度を日本国憲法に入れなかったのは何故か、という質問に対して、ケーディス大佐は、「陪審制度は特殊アングローサクソン的な制度であり、一般的にドイツの法制度やナポレオン法典(これらには陪審制度はない)に従っていた日本に押し付けられるべきではないと考えたからだ」、という記事を読んだことがある。

その文章を初めて読んだ際、私は何故、陪審員制度がアングロ・サクソン的なものなのか、疑問に思ったのだが、その際には解決しなかった。しかし、少しずつ、その点に関しても分かってきた。

まず、それを理解する為には、サクソン人の受難の歴史を知る必要がある。

イングランドのコモン・ローの歴史は、ノルマン王朝に対するサクソン人の権利の主張であった。ノルマン王朝の後、プランタジネット朝、すなわち非ノルマンの王であるヘンリー2世が即位し、コモン・ローを確立するのだが、地域的慣習を法制度の中に取り入れ、それを陪審制度によって判断する、という手法をとったのである。(そして、その歴史の延長線上に、世界最古の憲法であるマグナ・カルタも位置づけられる)

さらに、ローマの延長における、フランク王国による、サクソン人のキリスト教化の歴史などを踏まえる必要がある。(ここがネーション、つまり敵対概念の発生のルーツの一つだと私は考える。この辺りの理解は1976年度のフーコーのコレージュ・ド・フランス講義におけるブーランヴィリエ論が役に立つ)そこまで考えて初めて、イングランドと日本を比較・対象することが可能になると私は考える。つまり、日本にはサクソン人のキリスト教化、ノルマン・コンクエストやコモン・ローに似通った歴史的、文化的土壌が無い、と言うことを、ケーディス大佐は言いたかったのだと思う。

そして私は、陪審員制度そのものが非常にアングロ・サクソン的なものであって、日本に合わないだろうと考えたケーディス大佐に、非常にユダヤ的なものを感じてしまう。この視点は、アングロ・サクソン自身は持ち得ないのではないだろうか。私は日本国憲法の背景に、近代における多くの問題を見出してしまう。

ボリス・グロイスと神について語る

2008-03-04 08:07:15 | Weblog
先日、Apex Artがホストになって開かれた、Boris GroysのIconoclasm Delightというビデオ作品の上映会+レクチャーに参加してきた。私はグロイスのレクチャーが好きで、事あるごとに参加している。特に彼のロシア美術に対する造詣は素晴らしく、話の上手さも本当に舌を巻いてしまうほどだ。

グロイスは、カールスルーエのZKMと一緒に、宗教に関する展示にナレーション付きのビデオを出してくれ、と頼まれ、2002年度より宗教に関するこれら3本のビデオを製作し、それがApex Artに巡回した、という次第である。ロシアの新興カルト宗教のビデオや、タルコフスキーのビデオなどに現れるイコン性についてグロイスが語る、というものであった。

レクチャーそのものがとても難解ものであったのだが、レクチャーの最後に、私はグロイスに、ヨーロッパの思想、すなわちキリスト教の延長線上において、主体の問題を超克することは可能か、と質問してみた。そしてグロイスがイコンや主体の問題、コミュニケーションの問題に触れているのは、ドイツ語という言語の性向があり、さらに主体の問題をテーマとして立てるそのやり方も、非常に三位一体的な議論のうえに成立したものであり、ヨーロッパ的である、と指摘してみた。また、そういった構図を超克しようとしたデリダが、例えば差延の概念を持ってくるが、この概念はグロイスにどういった影響を与えたのか、聞かせてください、と言ってみた。

すると彼は、まず質問が大変優れた質問であることを認めた上で、デリダの哲学が彼にかなりの影響を与えていることを述べ、そして、それ以上は語らなかった。それは当然と言えば当然なのだが、この問題に取り組んでいる哲学者は皆、その点で悩んでいる、ということだろう。

終了後、たまたまレクチャーに来ていた恩師のローズリー・ゴールドバーグに促され、グロイス氏に主体性の超克ということがキリスト教の延長線上で可能かどうか、もう一度伺ってみた。すると、彼は、力強くNo、と二度応え、キリスト教の教えそのものが世界を完全に二分してしまい、これはもはや修正不可能だ、と述べた。その回答の際、グロイス氏が申し訳なさそうにしていたのが印象的だった。

私は彼がこういったテーマに興味を持つことが、ドイツがヨーロッパにおける異物として、さらにキリスト教がヨーロッパにおける異物として存在してきたことに対する反発の様に思えてならない。グロイスが「ユダヤの逆説、ヨーロッパの逆説」の述べている様なある種の転倒がある様の思えるのだ。

日本国憲法の問題を考える際、どうしてもイングランドにおけるコモン・ローの発生の理由や、ヨーロッパ大陸におけるローマの影響を考えることが必要となってくる。そこまで行かないと、近代の問題としての「憲法問題」は語れないと私は考える。そして、近代ヨーロッパの問題、すなわち言語、ネーションの問題は、ドイツそのものの問題である。それを接続したいのだが、あまりにも巨大なテーマすぎて、考えていると何もできなくなってしまう。しかし、何とかして達成してみたいものだ。