Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

ベアテさんロング・インタビューと映画上映会も無事終了

2007-04-27 14:02:04 | Weblog
今日はお昼からGeneration Timesの伊藤剛編集長と一緒に、ベアテさんへのインタビューを行う。伊藤さんとは一緒にお昼ごはんを食べながら、約10程度の質問を準備する。その後ベアテさんのアパートに伺い、質問をしたのだが、一番最初の質問「なぜあなたは憲法に、日本における男女平等を書いたのですか?」という質問に、なんと1時間半もかけて丁寧に答えてくれた。これは超第一級の資料でもあるし、本当に面白い話となった。私は映画上映の準備をしなくてはならなかった為、伊藤さんを残してその場を立ったのだが、このインタビューはなんと5時間も続いたらしい!ベアテさん、凄い!そんなベアテさんには、ほんと惚れそうです。

その後、私の母校でもあるニューヨーク大学に向かい、ジャン・ユンカーマン監督の映画上映の準備を行う。今回はNYUにて教授をしている砂入博史さんとの共同イベントだったのだが、砂入さんの大変な頑張りと協力もあり、大変有意義なイベントとなった。

特に広島出身で、被爆の歴史を踏まえた上でピースアートというテーマでアメリカ人の学生を教えている砂入さんと、広島の被爆と丸木夫婦のドキュメンタリーを撮影し、その後憲法第九条の映画を撮ったユンカーマン監督がお互いのドキュメンタリーをニューヨークにて上映する、ということができたのは、本当に意味があったと思う。また、映画上映後の質疑応答も活発なものとなり、本当によかった。またチボマットの羽鳥美保さんが二人の間を接続するような質問してくれたのが嬉しかった。

ユンカーマン監督、砂入さん、そして鈴木邦男さん、今回はお疲れ様でした!

(また詳細に渡るレポートをお伝えします)

パネル・ディスカッションは大成功!

2007-04-26 14:19:13 | Weblog
今日、アジア・ソサエティで開かれたパネル・ディスカッションは大成功だった。開場には約170人の人が詰めかけ、大変な盛況だった。議論もかなり活発なものとなり、私としては本当に嬉しかった。

今回のパネル・ディスカッションに参加してくださったパネリスト、アジア・ソサエティーの皆様、実行委員会の皆様と協力者の皆様、そして開場にお越し頂いた皆様に、ここで感謝の意を述べたいと思います。本当に、ありがとうございました。

鈴木邦男・ユンカーマン監督と歩くストロベリー・フィールズ

2007-04-25 11:59:56 | Weblog
今日は朝に仕事を済ませた後、鈴木邦男さんをガーシュウィン・ホテルまで迎えに行き、そこから近くにあるエンパイア・ステート・ビルへと足を運ぶ。今日は完全な夏日で、エンパイアの屋上へと行くと、夏の風が心地よかった。鈴木さんもNYを見下ろすことができて、満足そう。その後、タイムズスクエア周辺を散策した後、NYへと到着したジャン・ユンカーマン監督と合流し、ランチをご一緒する。ボストンから来たばかりのユンカーマン監督から、ボストンの松坂フィーバーがいかに凄いか、という話を伺う。私は野球ファンでも松坂ファンでもないのだが、そういう話を聞くと何だか嬉しい。

その後アジア・ソサエティに向かい、アジア・ソサエティの方とお会いしたり、開場を見たり、さらに通訳さんと打ち合わせを行う。特に通訳の竹田さんと鈴木さんにご一緒して頂き、スピーチの内容が確認できたのがよかった。またこの日本語原文のスピーチ内容は、ユンカーマン監督という最高のプルーフリーダーがいたお陰で、大変有意義なものとなった。特に、「憲法第九条を世界遺産に」をWorld Heritage Status for Article 9と訳したり、三島由紀夫の発言「これではアメリカの傭兵ではないか」という箇所を「America's mercenary」と訳したりと、かなり具体的な話ができたのが良かった。

その後、すぐ近くにあるセントラル・パークへと向かい、散歩しながら九条についてユンカーマン監督と鈴木さんがお話したのだが、その内容が凄くて、驚いた。やはり真剣に九条について考え抜いている人間のする会話は、とても奥深い。これと同内容、またはそれを上回る会話が当日できたらと思う。

アジア・ソサエティーからセントラル・パークを東から西に抜け、ダコタ・ハウスの前にあるストロベリー・フィールズへと行ってくる。「ここは世界中からジョン・レノンを偲ぶ人たちがひっきりなしに訪れる場所です」を鈴木さんに説明した時、「えーうっそだー、そんな人気ないでしょ、ジョン・レノン」と言っていたのだが、ストロベリー・フィールズを訪れると、オノ・ヨーコさんが作った「Imagine」の彫刻の上に顕花がたくさんあり、多くの方が写真を取っている姿を目撃した鈴木さんは、どうやら意見を変えたようだった。そう、やはりジョン・レノンはそれだけのカリスマだったのだなぁ、と再確認する。私も私なりに、Imagineのメッセージを伝えて行きたい。

鈴木邦男さん、NY入り

2007-04-24 12:11:55 | Weblog
今日、鈴木邦男さんがNY入りする。JFKまでお迎えに行く。鈴木さんを迎えにと待っていたら、映画「Cats of Mirikitani」の監督であるマサさんと偶然会ってビックリ。明日からワシントンで上映があるそう。ドキュメンタリー映画製作に力を傾けるマサさんにも頑張ってもらいたい。

鈴木さんも無事NYに到着し、ホテルへと向かう。時差ぼけなどで疲れているだろうと思ったが、元気そうで何より。鈴木さんの滞在先は、アーティストが滞在することで有名なガーシュウィン・ホテル。私も初めて中に入ったのだが、ウォーホルのシルクスクリーンの作品などが多数あり、かなり80年代NYっぽい雰囲気が良い感じだった。その後、チェックインを済ますと、チャイナタウンで食事を済ませ、そこから遠くない所にあるグラウンド・ゼロへと向かう。

グラウンド・ゼロに行くと、大きな工事用のボードに、戦没者の名前がびっしりと書かれており、その上には大きく「Heroes」と書かれてある。「鈴木さん、セプテンバー11のテロでお亡くなりになられた人は、果たしてヒーローなのでしょうか?」と訪ねると、「そうですね、ヒーローではなく、テロの被害者でしょうね」と返される。そんな感じの会話をしながら、鈴木さんと一旦別れる。

その後私は部屋に戻り、より多くの聴衆動員を目指し、ラストスパート!新聞社や大学、日本国総領事館や友人などに電話しまくり、イベントの告知を行う。この努力が結果に出ることを祈る。

アートは世界を変えるのか?

2007-04-18 12:57:42 | Weblog
今日はMoMAに務める友人のヴェランヌの誘いで、MoMAシアターにて開かれたローリー・アンダーソンとウィリアム・ケントリッジの作品のプレゼンテーションに行ってくる。シアターと芸術の関係、といった形の議論で、シアタースペースの変換というものがメインのトピックらしい。

ローリーはさすがパフォーマンスをやっているアーティストのことだけあって、レクチャーも非常に上手い。最新作であるヴァーチャル・シアターから旧作までビデオで披露したのだが、私が日本語訳を担当したローリー自身をテーマとした詩の作品も出てきて、ちょっと嬉しいと同時に、恥ずかしかった。

ケントリッジ氏は最近モーツァルトの「魔笛」をテーマとしたオペラを作ったらしいのだが、それがかなりの傑作らしい。ケントリッジ氏の作品は以前からシアトリカルであると思っていたが、以前に「ファウスト・イン・アフリカ」という作品を作っているらしくその作品の短縮版を披露してくれたのだが、その出来が素晴らしく、ぜひ見てみたくなった。

彼らは二人とも、ローリーが911以降の世界情勢を、ケントリッジ氏がアパルトヘイト問題を扱ってきた、ということもあり、質疑応答のコーナで私は彼らにこう質問してみた。歴史的に見て、シアターは必然的に政治や社会学と距離が近く、そういったテーマを扱うことが多くなると思う。そこでアーティストとして、あなた達はシアトリカルなアートを製作することが世界をより良くすることに繋がると思うのか、またもしそう思うのであれば、それはアートを作る上での目標になるのか、聞いてみた。

ケントリッジ氏は、アートを出来上がったオブジェクトと捉え、そのオブジェがたとえばその美しさやその装飾性に打たれた人がいて、それが世界を変えるようなことがあるかもしれないが、それは作品のbi-productであり、目標ではない、と答えてくれた。ローリーは、ア-トが世界を変えるとは思っておらず、世の中を良くしようとかいった考え方は、彼女自身が宗教家の家庭に育ってしまった関係もあり、どうしても抜け出したいものとして存在している、と言っていた。二人とも、大変素直に答えてくれたと思う。

憲法第九条という大テーマを扱う私にとっても、これは大きな問題だ。私の現在の最高の目標は、キュレーターという文化を生み出す側にいる人間として、最上級の文化を生み出す仕事をすることである。ヨーロッパ近代の問題と国民国家問題を扱ってきた身として、敵対概念とネーションそのものを解体してしまったこのとてつもない「九条」というものを、芸術を通じて論じてみたいのだ。繰り返すが、文化を創造するのが最大の目的だ。そして、その結果、九条の価値が見直され、守られていくことになったら、本望である。

「まる・さんかく・しかく」とNYの魅力

2007-04-17 05:16:55 | Weblog
今日はお昼過ぎに憲法第九条に関するパネル・ディスカッションの通訳を担当するタケダさんとお会いして、打ち合わせをする。タケダさんには鈴木さんの英語への通訳を担当して頂く予定で、混乱が無い様に、事前に打ち合わせをすることにしたのだ。しかし、元アーティストであるタケダさんとその旦那さんであるナカザトさんとアートの話で盛り上がってしまい、話は大分それてしまった(笑)

ナカザトさんは松澤宥さんと友好関係があったらしく、松澤氏の作品や仙崖和尚の「まる・さんかく・しかく」の絵について話している際に、仏教の思想には幾何学的なものが多く含まれている、という話になる。ユングが引用することになる胎蔵界曼荼羅などにも十分そういった構造が含まれていたと思うし、「一つ」でありながら「二つ」であるという「不二」という思想なども、非常に幾何学的、もっと言ってしまうと非ユークリッド幾何学的だといえるかもしれない。

三角形の3つの内角を足すと180度になると見つけたのは少年のピタゴラスだったと思うが、四角だと角度の和は360度、もっと多角になると、内角の和は増えていく。円というのも無限に角のある多角形の一つといえるかもしれないから、その内角を足すと無限大になるはずだ。マンダラのmanという言葉にはサンスクリットで得る、とか円、という意味があるので、大日如来を配置した胎蔵界曼荼羅は、非常にフラクタル的な世界の把握を象徴したもの、ともいえるのかもしれない。

サンスクリットの話をしている時にインド人のヌプールに言われた、「シューンヤ(空・クウ)はnothingness, emptiness and beginning of circleだ」という言葉が思い出される。beginning of circtleというのは、ある意味イデアの事ではないか。すなわち、線という直線のイメージのみが存在しており、それは「不二」における一から二への発生以前の状態で静止しているのだ。そう考えると、二に至る、すなわち創造する直前の段階が「空」であると言えるのではないか。そうだから創造以前でなくてはならず、emptiでしかないのだ。全てが発生する空というのは、イメージのみが存在し、そこからどういった方向にでも動ける、ということなのではないか、などと考えてみる。

その後、国連学校の学長を務める津田さんとお会いして、いろいろと意見交換をする。

カントの哲学を本当に国連で実現しようという理想を追い求める津田さんの姿勢には、心打たれた。まさにライフワークだと思う。すごい。また、国連学校ではロシアやキューバが国連加盟国であることから、高校生を対象にトロツキーに関する演劇を教える授業などがあると伺う。へぇ、そんな教育がアメリカ国内でもあるのだなぁと考えると目からうろこが落ちる。

津田さんは、ボブ・マーリーのアポロシアターでのラスト・コンサートを見ており、その10年後、NYを訪れていた中上健二とボブ・マーリーの追悼ライブに言ったらしい。羨ましい・・・。こんな話が日常的にできる所が、NYの魅力ではないか。

ピンク映画と1ドルアート

2007-04-15 06:35:10 | Weblog
今日、映画館にて女池充監督のピンク映画「花井さちこの華麗な生涯」を見てきた。お昼の上映だったので映画館はガラガラだったけれど、とにかく楽しかった!この映画、女池さんにしか撮れない映画だと思う

女池さんはピンク映画史上(世界史上?)初めて、文化庁の奨学金をもらってNYに研究に来たアーティストである。NYではアメリカのポルノ映画研究(?)をしていたようなのだが、こんな楽しい映画を作ってくれて、本当に嬉しい。文化庁も話が分かるのだなぁ。

この映画もピンク映画の伝統をちゃんと継承していると思う。元々ピンク映画は予算をもらえなかった左翼の映画連中が、ピンク映画を取るということで予算をもらって、好き勝手に映画を作ってきた歴史があると思うのだけれど(神代辰巳「恋人たちは濡れた」は私の好きな映画)、この「花井さちこ」もちょっと似ていると思う。核発射装置としてのブッシュ大統領の指が、勝手に女優の股間に入って行きレイプするシーンなんて、かなりきわどいと思う。この映画、ドイツの上映ではスタンディング・オベーションを受けたというのだが、分かる気がする。映画館のアメリカ人たちも笑ってた。

帰りにアスター・プレイス付近を歩いていると、路上で若いアーティストがドル札を売っていた。こルイジアナ出身だと言うアーティスト、ワシントンの顔に落書きがされた1ドル札を「美術作品です。口ひげが50セント、顎鬚付きが75セントです」と言って売っているのだ。

私はお金をテーマにした美術品に、美術館や歴史などでは多く目にしてきたが、実際お金をテ-マにしているアーティストにこういった形で直接会ったことは少ない。そこで、私も一点、作品を買うことに。4種類あったので全部欲しい、と言うと、一人一つのみ、と言われる。そこで、顎鬚の書かれたワシントンの1ドル札を1ドルで購入し、おつりの25セントをもらう。交換価値という事に問いかけを行ってくれる、こういうアーティストがまだアメリカにいるんだ、と思うと、なんだか嬉しかった。

伝説のライブハウス「トニック」、ついに幕を閉じる

2007-04-14 11:33:10 | Weblog
今日は私のお気に入りのライブハウス、「tonic」の最終営業日。そんな訳で足を運んでくる。ジョン・ゾーンのライブだったのだが、大変な混雑で、入場するまで45分程度かかった。でも、さすがジョン・ゾーン、超一流の演奏を披露してくれて、大満足だった。

私は東京にいる時にこのライブハウス「トニック」について小耳に挟んでおり、NYに行ったら絶対足を運ぶべきだ、と聞いていた。2002年の8月から大学院の関係でNYに来たのだが、来てすぐトニックに行くと、それから大ファンになってしまい、1年目の時なんて、ほんと毎週のように通っていた。

このライブハウスの良い所は、世界最高レベルのエクスペリメンタル・ミュージックが常に、しかも低価格で見れることだった。ジョン・ゾーンのライブはもう6回は行ったと思うけれど、15ドル程度で見れたし、元チボマットの羽鳥さんがやってるスモーキー・アンド・ミホなんて確か5ドルくらいだったと思う。そんな訳で大ファンになって、本当にあきるくらい通ったものだ。それが高じて、最後には私はロウアー・イースト・サイドに引っ越してしまった。

ここでは、ジム・オルークから、恩田晃さん、デーモン・アンド・ナオミからイクエ・モリ、アラン・リヒト、ボアダムス、ティム・バーンズまで本当に多くの人に出会えた。この経験は、もう私の体内まで隅々に入ってしまっている。私の耳を作ってくれたトニックには、本当に感謝している。特にティムさんとはこれがきっかけで、アクション・ペインティング・ショーのドラムまでやってもらった。あの時は本当にお世話になった。

そのトニックが、NYから消えてしまうのだ。信じがたい。4年半前、ロウアーイースト・サイドに文化施設が全くない頃、トニックを目当てに世界中からアーティストやミュージシャンが集っていた。その関係で、LESがヒップなエリアになり、ショップやレストランが立ち並ぶようになると、今度はコンドミニアムやホテルが建ち始め、そうなると、元々いたトニックなどは地上げの関係で家賃が払えなくなり、最終的には文化を作り上げた張本人が立ち退きを求められてしまうのだ。

昔は更地だった両側の土地を高層コンドミニアムに挟まれてしまったトニックは、本当にかわいそうだった。何とかしてあげたいが、これは時代の流れなのだろうか。昔、ホームページに書いたのだけれど、ロウアー・イースト・サイドの風景は、次第にその姿を消しつつある。NYがますます、つまらなくなっていく。残念だ。

国民投票法案、憲法特委で可決=自公賛成、野党は抗議-13日に衆院通過

2007-04-13 01:50:06 | Weblog
大きなニュースです。この憲法改正の為の国民投票法案には最低投票率が定められていないのですが、これは致命的な欠陥と言えるのではないでしょうか。可決の前に、十分な議論がされてほしかった、というのが率直な印象です。


国民投票法案、憲法特委で可決=自公賛成、野党は抗議-13日に衆院通過

4月12日23時1分配信 時事通信

 衆院憲法調査特別委員会は12日夕、憲法改正の手続きを定める国民投票法案について、与党と民主党の両修正案の採決を行い、与党案を自民、公明両党の賛成多数で可決した。与党案は13日の衆院本会議で可決、参院へ送付される運びだ。与党は、安倍晋三首相が目標とする5月3日の憲法記念日までの成立を目指している。
 同委員会は12日午後、両案の質疑を続行。質疑には野党も出席したが、国民新党は「採決前提の審議には応じられない」として途中で退席。民主党などの議員が、質疑終局を宣言した中山太郎委員長に詰め寄って抗議するなど混乱する中、民主党案が否決され、与党案が可決された。
 与党と民主党は採決ぎりぎりまで、共同修正の可能性を模索したが、不調に終わった。自民党の保岡興治与党筆頭理事は可決後、「小沢一郎民主党代表の考え方に沿って一字一句直せないというのでは、どうしようもない」と民主党を批判。採決に先立ち、首相は首相官邸で「相当長く深い議論をしてきた。いよいよ採決する時が来た」と述べ、採決は当然との考えを示した。
 法案が予定通り衆院を通過すれば、与党は16日の参院本会議で与党案の趣旨説明と質疑を行い、17日に参院憲法調査特別委員会で実質審議に入りたい考えだ。大型連休前の今月27日の成立を目標にしている。 

「アトミック・サンシャイン - 九条と日本」ブログ、誕生!

2007-04-12 14:29:40 | Weblog
ブログ読者の皆様

こんにちは、キュレータ-の渡辺真也です。お世話になります。

今日をもちまして、当ブログは「もう一つの万博 - ネーション・ステートの彼方へ and Beyond」より「アトミック・サンシャイン - 九条と日本」ブログとして生まれ変わります!

私の次回の美術展覧会「アトミック・サンシャインの中へ - 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」開催、そしてその関連イベントの開催に向けて、このブログを通じて情報を発信して行きたいと思います。

なお、イベントの公式HPは以下の通りです。ここでは、開催が迫っているパネル・ディスカッションから順に、映画上映会美術展示の順で配置してみました。4月25日、26日に行われるディスカッション・イベントと映画上映会の詳細は以下の通りです。


1MB程度のプレス用PDFファイルを用意しましたので、ぜひダウンロードしてみて下さい。


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パネル・ディスカッション 「平和憲法は時代遅れか?再軍備を検討する日本」
日程:2007年4月25日水曜日
時間:6:00 - 6:30 登録、 6:30 - 8:30 討議、 8:30 - 9:00 レセプション
場所:アメリカ、ニューヨーク、アジア・ソサエティー 725 Park Ave, New York, NY

パネリスト:
ベアテ・シロタ・ゴードン
(日本国憲法起草メンバー、ザ・アジア・ソサエティー・パフォーミング・アート・フィルム・レクチャー部門元ディレクター)

鈴木邦男
(政治批評家、新右翼団体「一水会」創設者)

ジャン・ユンカーマン
(ドキュメンタリー映画作家、 映画「日本国憲法」監督)

フランシス・ローゼンブルース
(イェール大学ポリティカル・サイエンス教授、日本経済のスペシャリスト)

司会:キャロル・グラック (コロンビア大学日本史教授)

地球規模での紛争や緊張、日本ナショナリズムの復活、そして北朝鮮の核保有の現実に直面した今日、日本は過去60年において初めてとなる、第二次世界大戦後に採用したユニークな平和憲法を改正する第一歩を踏み出すことを考えている。これは理に適った動きなのだろうか?この動きは、日本と周辺諸国そしてアメリカとの関係に、どういった影響を与えるのだろうか?

入場料: $10(アジア・ソサエティー・メンバー) 一般 $15

チケットの購入は、Asia Societyのウェブサイトからどうぞ

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ドキュメンタリー映画上映会

「映画 日本国憲法」

日程: 2007年4月26日 6PM - 8PM
場所: ニューヨーク大学バーニー・ビルディング アインシュタイン講堂
34 Stuyvesant Street (East 9thと10th Streetの間, 2nd と 3rdアベニューの間)

*映画上映の前に、NHKによる砂入博史氏によるアート・プロジェクト「Peace by Piece」が上映されます (約10分)

監督:ジャン・ユンカーマン
プロデューサー:山上徹二郎
撮影:大津幸四郎
音楽:ソウル・フラワーズ・ユニオン
(日本語、英語字幕付き)
78 min, 2005

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美術展覧会: 「アトミック・サンシャインの中へ - 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」
キュレーター: 渡辺真也

日本国憲法は、1947年、アメリカ占領軍によって実質的に書かれた歴史がある。そして平和憲法として知られる第九条には、主権国家としての交戦権の放棄と戦力不保持が明記されている。

1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世界的に見ても非常に珍しくユニークな憲法上の平和主義の規定は、アメリカのニューディーラーの理想主義が反映されている。この平和主義を含んだ新憲法は、第二次大戦の苦しみを経験した当時の日本の一般市民に受け入れられ60年間改正されることなく今日に至るが、アジアの不安定化とナショナリズムの高揚と共に、この平和憲法の基盤である第九条が、現在、その存在を問われている。

美術展覧会「アトミック・サンシャインの中へ - 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」は、日本国憲法改正の可能性を目前とする今、戦後の国民・国家形成の根幹を担った平和憲法と、それに反応した日本の戦後美術を検証する試みである。

憲法第九条は、戦後日本の復興と再形成に多大な影響を与えたのみならず、60年間他国との直接交戦の回避を可能にした。しかし、九条を持つことで日本は直接交戦から回避することに成功したが、日本の実質的戦争協力は、第九条が保持される限り、ねじれた状況を生み出し続ける。この日本の特異な磁場から、多くのアーティストたちは取り組むべき新たな課題を発見し、彼らの芸術に表現してきた。日本の戦後やアイデンティティ問題などをテーマとした美術作品の中には、戦後の問題、アイデンティティ問題、また憲法第九条や世界平和をテーマとしたものが少なくない。

アトミック・サンシャインとは、1946年2月13日、GHQのホイットニー准将が、吉田茂とその側近であった白洲次郎、憲法改正を担当した国務大臣の松本烝治らと行った憲法改正会議のことである。ここで、ホイットニー准将は保守的な松本試案を一蹴し、GHQ民政局の憲法試案を「日本の状況が要求している諸原則を具体化した案」で、マッカーサーの承認済みのものだと説明した。その後、アメリカ側が公邸の庭に下がり、英文を読む時間を日本側に与えたのだが、その際、英語に長けた白洲次郎が庭に出てアメリカ人のグループに加わっていくと、ホイットニー准将は白洲にこう言った。 「We have been enjoying your atomic sunshine.」

この一言で、ホイットニー准将は日本側に、戦争の勝者・敗者を明確に思い起こさせ、さらにGHQ草案に示された諸規定を受け入れることが、天皇を「安泰」にする最善の保障であり、もし日本政府がこの方針を拒否するならば、最高司令官マッカーサーは日本国民に直接この草案を示す用意がある、と発言した。その後、この憲法改正における日本国とGHQの会議は「アトミック・サンシャイン会議」と呼ばれるようになる。このGHQ草案に添った形で修正した内閣案が、最終的に1946年11月3日に日本国憲法として公布された。

展示の目的

世界的に見て、憲法第九条は非常にユニークなものでありながら、その存在そのものが意外と知られていない。そこで、この展覧会を通じ、日本の戦後美術のみならず、日本国憲法第九条を、ニューヨークの聴衆に紹介する。また、この平和憲法の成り立ち、そしてその為に日本が戦後60年間、直接的交戦における犠牲者を出してこなかったという歴史的意義と重要性を検証する。


助成:花王芸術・科学財団、朝日新聞文化財団


なお、展示「アトミック・サンシャインの中へ - 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」実現に向けて、寄付を募っております。皆様のご協力を、心からお待ち申し上げます。それでは、よろしくお願いします。失礼します。

渡辺真也