Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

国連学校にて紙芝居、そしてベアテさん

2007-03-27 13:22:50 | Weblog
今日は国連国際学校の春祭りに招かれ、勝間陵賀の紙芝居パフォーマンスをやりに、国連学校へと向かう。この春祭りでは、NY周辺の日本語を勉強する高校生約400人を対象に、日本文化に関する見聞を広げてもらおう、ということで、企画されたものである。

ここで紙芝居のパフォーマンスを企画しながら、書道や囲碁、生け花などの伝統行事を教えるブースを見ていて思ったのは、アメリカと日本との物質的な距離である。例えば、日本語を勉強している高校生がNYにいたとしても、やはりかるたや囲碁、習字を教えてくれる近所のやさしいおじいちゃんはいない訳で、こういった伝統は、なんらかの方法で習わなくてはならない。そして、こうした外的なインプットなくしては、日本語を学ぶという目的と、そのモチベーションを維持するのは困難だろう。そんな訳で、日系1世2世の皆さんが一生懸命日本文化を知ってもらおうと頑張っているのを見て、私も少しでもプラスになれたら、と思い、陵賀と頑張って来ました。

これら伝統芸能のブースが約40程度あり、わたしたちはそこでひたすら紙芝居のパフォーマンスを繰り返した。一人、アンパンマンのお菓子を食べていたとても紳士的な日本人男性がいて、陵賀がアンパンマントークで盛り上がっていたのだが、あとで気付いたら日本領事館の桜井大使だったらしい。大使とアンパンマンのグミの話で盛り上がるアーティスト、陵賀もある意味凄い。

午後では、大講堂に400人の学生を集めて、大紙芝居ショー!私は紙芝居のスライドをプロジェクターで大きく写し、陵賀にはパフォーマンスを頑張ってもらった。もう伝統芸能とはほど遠い、アヴァンギャルド・アート・ショーとなってしまったが、学生たちには大ウケだった。けれど、教育上悪い影響が心配されます。。。

それが終わった後にタクシーに飛び乗って、ジャパン・ソサエティに向かう。一つ仕事のお話をした後に、アッパー・ウエスト・サイドに住むベアテ・シロタ・ゴードンさんのお宅に伺う。

以前にも書いた様に、ベアテさんはGHQのメンバーとして日本国メンバーを書いたすごい人だが、彼女の部屋も大変素敵だった。棟方志功の作品や丹下健三の建築モデルなどが所狭しと並んでおり、文化の臭いが漂っていた。ジョン・レノンから頂いたというイラスト入りのWar is Overのレコード・ジャケットなどを見ながら、いろいろと歓談する。大変重要な時代だった。ベアテさんのような素敵な方に憲法を書いてもらった日本は、本当に幸運だった、とつくづく思う。


身近な問題としての文化大革命

2007-03-24 11:28:23 | Weblog
最近はロケーション・ワンでスタジオビジットしてきたり、自分の抱えているプロジェクトに関しててんてこまいだったりと、いつものNYライフが続く。忙しすぎて昼飯もろくに食えず、歩きながらホットドックを食べながらレッドブルを飲んでいたら、なんだか真正ニューヨーカーになってしまったようんで、自分で笑ってしまった。でもまだ生きてます!

仕事の合間、同僚のZCとした中国の文化大革命の話が大変面白かった。ZCは家族がオペラシンガーであった関係で、文化大革命中には大変痛い目に会ったと言う。革命期の初期は1年間のうちに三度も家が打ち壊されたり、虐殺までは至らなかったものの、家族もろとも大変な目に遭ったと言う。本当に毛沢東というのはスターリンやポル・ポトに勝るとも劣らない独裁者であったのだなぁ、と思う。近所の人は革命中に行方不明になってしまった、と当時を知る人から直接聞くのは、大変経験として重い。

しかし、こういった事実が現在の世界(特に西洋)にてどう共有されているのだろうか、と思うとどうしても疑問符が付く。日本人は漢字語圏に住んでいるのでこういった歴史を比較的共有しやすい状況に恵まれているが、ラテン語圏の人間はそれを共有できていないと思う。経済に関しても、期待値そのものがファンダメンタルを圧倒的に上回っている状況があると思う。

そして同様、アルバニアなどの抱えた問題に関しては、アジアのインテリは理解しにくい状況にあると思う。それをどうにかして埋められないか、と思う。

ロケーション・ワンでのスタジオビジットの際、多国籍に渡る滞在アーティストの多くがネーションの問題を扱っているのが多かった。アイルランド出身のアーティストやタイ出身のアーティストが違った切り口でネーションの問題を扱っているのが、私にとってとても新鮮であった。そこに連なるなんらかの接点を、私も描いていけたらと思う。

病に効くハナモゲラ語

2007-03-19 03:03:29 | Weblog
最近、多忙なスケジュールが祟ってか、ついにダウン。風邪をひいてしまった。いつも疲れているときはちゃんと休むように心掛けているのだが、それがスケジュール的な問題で上手くいかないこともしばしば。

そんな中、本当に面白くて、夢中になれるものを見つける、元気が出てくる。最近はタモリが、ちょっとしたマイブーム。

毛沢東風中国人・マッカーサー風アメリカ人・寺山修司風日本人らによる四ヶ国語マージャン。なぜ青森開催?ってちょっと疑問におもったんだけれど、納得。寺山が入ってたんだね。寺山ではなく、寺山風、ってのが笑える。

タモリ - 第一回テーブルゲーム世界選手権大会 於青森

タモリの天才的な才能を見出したのは黒柳徹子だとされるが、この才能を見抜いた黒柳徹子というのもかなりの人物だ。徹子の部屋で行われる即興による新作発表もすごいクオリティだ。まさに芸能人。

タモリの7ヶ国語バスガイド

空耳アワーがハナモゲラ語の延長線上にあることを理解すると、なお納得。

藤村有弘というラジオのパーソナリティがイタリア語の元祖ハナモゲラ語をやっていたそうだが、ちょっと聞いてみたい。

夢日記3 横田の死とバスツアー

2007-03-16 22:47:20 | Weblog
横田の死から早1ヶ月が去った。そんなある日、横田の死についてまだ整理しきれてない人を集め、供養と記憶の整理の為に関係者一同を集めてバスツアーをしよう、という案内が届く。その様子は、ドキュメンタリー映画として撮影され、出来上がった映画は個人個人皆で保管し、そのプロセスを経て横田を供養し、そして皆の傷を癒そう、との意向である。

私はせっかくなので、横田のことを知っている私の親父もバスに同行するようにする。私はバスの最後部座席に乗り、車内では横田のことをずっと思っている。私の左隣、すなわちバスの最後部窓側の席には、私の知らない、このバスツアーのオーガナイザーである女性が座っており、右側には横田の事を知る私の親父が座っている。この女性はオーガナイザーなのだが疲れ果てていて、バスの中で何度も眠りに落ちている。どうやら、横田のことを思う気持ちが強すぎて、不眠症にかかっているようだ。

このちょっと一見真面目に見える女性は、目が覚めると私にしきりに横田の思い出について話したり、聞いてきたりする。ブランケットをかけて眠っているのだが、そのブランケットの下に隠れて私の手を握ってきたり、その手を彼女の胸に当てたりするので、ちょっと驚く。私の右に座っている親父が隣で見てるのではないかと思うと、ちょっとハラハラする。

この女性は、目的地に着く直前に私にこう尋ねる。あなたの中で横田の死について秘密を知っている人がいる。この悲劇的な死の裏には、何か隠された理由があるはずだ。だから、横田の友達で私の知らない人を教えてくれないか、と言われる。かなりアグレッシブに質問されたので返答に苦しむが、同級生のマーくんなら何か知っているかもしれない、と答える。

目的地であるうらぶれた海際の遊園地で、私は一人になってたそがれている。あたかも観覧車のような、スキーのリフトの様なものに乗り、山側に向かって登っていくと、せつない気分になり、もう私は家に帰りたい、と思い始める。

集合場所に戻り、親父にバスが出る時間を聞いてみると、7時半発の予定、まだ4時なんだからそれまではお前もここで待っていろ、と言われる。しかし私はもうここにどうしても居たくなくて、その場を去り、自力で帰宅する。

そういえば、あの女性にマーくんの事を話したのだが、あの女性はその後どうするんだろう?一体あの女性はマーくんから何を聞き出すというのだろう?

その後道を歩いていたら、同級生の山下にバッタリ出会う。おう、元気か、なんて話をした後に、横田の送別バスツアーについて話をする。そうすると山下は驚いて、横田の死、そして葬式ははもうずっと前の話だし、そんなバスツアーの話なんて聞いたことがない、おそらく新種の詐欺か、人の弱みにつけこんで勢力拡大を狙う新興宗教が仕掛けたものではないか、と言う。つまり、このバスツアーは、他者の死を間接的に聞き、受け入れることが出来なかった人を集め、供養という名目の下、高額なものを要求してくる新種の詐欺ではないか、との話では。そういえば私は主催者に色仕掛で来られた訳だし、その分だけ、余計心配になる。

それにしてもよくできた詐欺だ、と私は関心する。あまりにも関心したので、この話を誰かに話したい、という気持ちがふくらむ。またあの遊園地に行って、リフトに乗ろうと順番待ちしていると、ちょうと大学のシネマ研究会時代の高橋が、女の子と一緒にリフトに乗って山を下ってきた所で、その高橋を捕まえてもう一度リフトに乗る。4人乗りのリフトで高橋と女の子が真ん中に乗っていて、私は高橋の隣の左端に乗ったのだが、3人になってしまったのでリフトのバランスが崩れ、良く揺れる為、ちょっと怖い。

突然会ったにも関わらず、私が「いやー、ちょっと聞いてよ」と言ってこの話をし始めた為、高橋と一緒にいた女性とは自己紹介のタイミングすらつかめず、ちょっと高橋に申し訳なく思う。リフトの乗車時間だけでは話したりず、遊園地の売店にあるプレッツェル屋さんにて大きな焼きたてプレッツェルを3人で食べながら、話す。しかし、話し始めるとホームレス風の黒人男性が「トイレどこ?」と盛んに聞いてきて話を中断させ、どさくさに紛れながらお金をせびろうとする。私は面倒臭いので無視を決め込むが、高橋はずっと気にかけている。その後、アジア人の男性ホームレスが私達に同席し、何も言わずにテーブルの上にあったプレッツェルをもくもくと食べ始めたのだが、それを見た私は、ホームレスの男性でも、さっきの人のように人にからむようなやり方ではなく、このように頭を使って自己目的を達成するようなやり方の様が賢いなぁ、と思う。

しかし、高橋は俺の話が終わる前に、「じゃ、俺はもうこの辺で」と話しを切り上げ、帰ってしまう。その仕草が本当に高橋っぽくて笑ってしまう。

ポートレート・セッション展@広島市現代美術館

2007-03-11 11:30:58 | Weblog
今日、2007年3月11日から5月13日まで広島市現代美術館にて「ポートレート・セッション」展が開催されます。この展示カタログ用に文章「中心性への希求 - パメラ・ローゼンクランツの芸術行為と自己同一性の解体」を寄稿しました。出版社側からの許可を頂き、文章をホームページ上に掲載しております。もしよろしかったらご一読頂き、展示の方に足を運んで頂けたらと思います。

アメリカのプラグマティズムはプラグマティックか?

2007-03-09 14:54:18 | Weblog
先週末は、友人のジャーナリストであるゴーシャを訪ねにポートランドに行ってきた。ゴーシャには、次回の私の展示に関していくつかアドバイスを頂き、大変参考になった。

ポートランドは西海岸の大変落ち着いた町で、私は好きだ。シアトルに近いこともあり、文化もシアトルに近く、カフェ文化、そしてオルタナティブ・ミュージックシーンがあったりする。雨ばかりの気候ということもあり、どうしてもインドアで過ごす時間が長く、それが文化の醸造に繋がっている印象がある。それはアイスランドも一緒であったと思う。

しかし、ああ、ここはオレゴン州ポートランドだなぁ、と思ったのは、極端にマイノリティ人口が少ないのと、普通のデリみたいなお店で拳銃が売られていたことだ。これはNYから来た人間にしてみると少しショッキングだ。レンタルビデオ屋でライフルが置かれているのを見ると、ああ、ここはアメリカだなぁ、と思ってしまう。

最近、非常に初歩的なレベルで日本とアメリカの差異を感じることが多い。最近も、アメリカ人の人たちでアジア文化に精通している人たちと美術作品に関していろいろとおしゃべりする機会があったのだが、どうしても、話の落とし所が違っている様に思えるのだ。特に贈与的な関係に関しては、大変困難に思うことがある。

また、外部性を用いて美術作品を論じることを嫌う傾向がアメリカの中にある気がする。なぜなら、外部性を持ち込むことがアメリカの優越を破壊しかねない事に関して敏感だからなのかと思う。しかし、その外部性そのものが移民国家アメリカの力であったはずだ。

アメリカのプラグマティズムは徹底していて、それは尊敬に値するのだが、そのプラグマティズムが必ずしもプラグマティックでないような機会に直面することが多い。それを指摘すると、なかなか受け入れてもらえず、簡単なコンテクストに回収できる様な方向に促される。この傾向は、言語の問題とヘゲモニーの問題を端的に直面している気がする。

奴隷制に基づいた社会を気付いたギリシャとローマは、永久に奴隷を増やしていかねばならないという困難に直面し、最終的に自己崩壊していった。他方、アメリカは本来の力であった外部性を受け入れ続けなければ、最終的に自己崩壊していくと思う。しかし外部性を受け入れることは、現在のアメリカの価値を否定しかねない。しかし、それを恐れず受け入れ、それを修正していくのが、現時点で尤もプラグマティックなことだと思う。