25日の夜には、ボランティアさん達に集まって頂き、実行委員会のミーティングを展示会場であるヒルサイドフォーラムにて行う。ヒルサイド側でオーガナイズをして下さっている坪井さん、それと実行委員会の側でオーガナイズをリードして下さっている林田茜さんの頑張りもあり、多くの協議事項はすんなりと決まっていき、本当に良かった。参加して下さった皆様、ありがとうございます。
26日、京都行きの新幹線に乗るべく品川へと向かう頭注の山手線に乗っている途中、渋谷駅に着くと、アトミック・サンシャイン展へとカタログテキストを書いてくれたマックス・ブラックが同じ車両に乗ってきて、ばったり出会う。横須賀にある研究室にて、戦後日本の研究をしているそう。それにしても凄い偶然。いろいろと情報交換する。
京都にて、2つの大学関係者とミーティングをし、アトミック・サンシャイン京都展に関していろいろと議論する。何度となく足しげく通っている効果が出て来たのか、かなり腹を割った話となる。初めて会った大学関係者の方には、私が若いのでボランティアさんか何かだと勘違いされていたらしい(笑)
今日も大学関係のスペースをチェックした後に、お寺へと向かう。やはり京都に行ったら、最低一つはお寺に行かなくては。今回は、以前から気になっていた三十三間堂へと向かう。中学の修学旅行以来、2回目の拝観である。
ニューヨークでパ-ルシー(ゾロアスター教徒の末裔)の建築家のサロシュと話した際、ゾロアスター教のアフラ・マスダが三十三間堂に祭られている、ということに本当に驚いた、と言っていたのが印象的で、ぜひ私ももう一度訪れて見たい、と思っていたのだ。そして、やはり行ってみて良かった。28体の仏像のうち、27対がサンスクリット語から漢訳、さらに日本語訳の対訳付きで、とても勉強になった。少し準備していた事もあり、私もずっと理解が深くなっていたのだ。(ちなみに、アフラ・マスダの完訳はアフラ=阿修羅です。ちなみに図にある光明神アフラ・マスダのイメージは、エジプトの太陽神ラーのイメージと酷似している)
その後、京都国立博物館に、神像を見に行く。私は最近、仏像と神像の違いに興味があり、ぜひ京都に行ったら本物の神像を見てみたい、と思っていたのだ。
神像の中にも仏教の影響が強いものがあるのだが、いくつかは、まさに原日本を想像させる、ある種の恐ろしさを秘めた像であった。ごつごつとした顔に、クリーム色のペイントを塗られた女性の像は、人の理解を拒む様な、異様さを持っている様に感じられた。
しかし、それよりも驚いたことがあった。中国の西部で保存されていた、という「五臓六腑」(仏像を仏の像とする為に、人間の臓器を模倣して木像に入れる手製の内臓)のレプリカを見たのだが、これが凄かった。心臓や五臓を形取った布製のものにサンスクリット語の呪文が書かれているものだったのだが、その中に、子宮の卵管と、女性器そのものを形取ったものであった。そして、そのデザインが、非常に美しかったのだ。女性器そのものを形どった布が、メビウスの輪の様にデザインされていたのが印象的であった。
私は興奮気味に、ぜひ資料として個人的に使いたいので、写真をくれないか、と頼んだのだが、お寺の許可が無いと写真として公開できない、と断られてしまった。これでは、出直すしかない。しかし、あれは本当に凄いものだっが。例えば、卒塔婆はストゥーパの漢訳だが、ストゥーパは子宮を模倣している。鳥居の原型である「たまさか」も女性器に似ている、と思ったのだが、原始宗教の形態がビジュアル化した瞬間に迫る、というのは、歴史のロマンを感じませんか?
26日、京都行きの新幹線に乗るべく品川へと向かう頭注の山手線に乗っている途中、渋谷駅に着くと、アトミック・サンシャイン展へとカタログテキストを書いてくれたマックス・ブラックが同じ車両に乗ってきて、ばったり出会う。横須賀にある研究室にて、戦後日本の研究をしているそう。それにしても凄い偶然。いろいろと情報交換する。
京都にて、2つの大学関係者とミーティングをし、アトミック・サンシャイン京都展に関していろいろと議論する。何度となく足しげく通っている効果が出て来たのか、かなり腹を割った話となる。初めて会った大学関係者の方には、私が若いのでボランティアさんか何かだと勘違いされていたらしい(笑)
今日も大学関係のスペースをチェックした後に、お寺へと向かう。やはり京都に行ったら、最低一つはお寺に行かなくては。今回は、以前から気になっていた三十三間堂へと向かう。中学の修学旅行以来、2回目の拝観である。
ニューヨークでパ-ルシー(ゾロアスター教徒の末裔)の建築家のサロシュと話した際、ゾロアスター教のアフラ・マスダが三十三間堂に祭られている、ということに本当に驚いた、と言っていたのが印象的で、ぜひ私ももう一度訪れて見たい、と思っていたのだ。そして、やはり行ってみて良かった。28体の仏像のうち、27対がサンスクリット語から漢訳、さらに日本語訳の対訳付きで、とても勉強になった。少し準備していた事もあり、私もずっと理解が深くなっていたのだ。(ちなみに、アフラ・マスダの完訳はアフラ=阿修羅です。ちなみに図にある光明神アフラ・マスダのイメージは、エジプトの太陽神ラーのイメージと酷似している)
その後、京都国立博物館に、神像を見に行く。私は最近、仏像と神像の違いに興味があり、ぜひ京都に行ったら本物の神像を見てみたい、と思っていたのだ。
神像の中にも仏教の影響が強いものがあるのだが、いくつかは、まさに原日本を想像させる、ある種の恐ろしさを秘めた像であった。ごつごつとした顔に、クリーム色のペイントを塗られた女性の像は、人の理解を拒む様な、異様さを持っている様に感じられた。
しかし、それよりも驚いたことがあった。中国の西部で保存されていた、という「五臓六腑」(仏像を仏の像とする為に、人間の臓器を模倣して木像に入れる手製の内臓)のレプリカを見たのだが、これが凄かった。心臓や五臓を形取った布製のものにサンスクリット語の呪文が書かれているものだったのだが、その中に、子宮の卵管と、女性器そのものを形取ったものであった。そして、そのデザインが、非常に美しかったのだ。女性器そのものを形どった布が、メビウスの輪の様にデザインされていたのが印象的であった。
私は興奮気味に、ぜひ資料として個人的に使いたいので、写真をくれないか、と頼んだのだが、お寺の許可が無いと写真として公開できない、と断られてしまった。これでは、出直すしかない。しかし、あれは本当に凄いものだっが。例えば、卒塔婆はストゥーパの漢訳だが、ストゥーパは子宮を模倣している。鳥居の原型である「たまさか」も女性器に似ている、と思ったのだが、原始宗教の形態がビジュアル化した瞬間に迫る、というのは、歴史のロマンを感じませんか?