Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

「日の丸」を視る目●石川真生展@茅場町 2009年5月23日-6月12日13:00-19:00

2009-05-20 23:33:27 | Weblog
アトミックサンシャイン展に参加した写真家の石川真生さんが、都内にて展示を開催しています。皆さま、お誘いあわせの上、どうぞご参加ください。


「日の丸」を視る目●石川真生展
2009年5月23日-6月12日13:00-19:00

→さぁいよいよ!5月23日からは、
 〈「日の丸」を視る目●石川真生展 〉が始まります!
 ★初日の5月23日はオープニングパーティーあり!
  17時から石川真生さん、福住廉さん(美術評論家)、
  山下陽光さん(古着屋・素人の乱 シランプリ店主)
  のトークイベントも行います!!!
  からだと毛穴を、出来るだけ開いてお越しください!
 ┌───────────────────────┐
 │  5月23日(土) ~ 6月12日(土)  │
 └───────────────────────┘
 「だが、「日の丸」をめぐる沖縄と日本のねじれた
  歴史を考えると、むしろウチナーンチュとヤマトー
  ンチュというそれぞれの他者が出会う闘技場という
  ほうがふさわしいのではないだろうか。
  ちょうど石川真生がイデオロギーの相違を越えて、
  さまざまな立場の人びとに接触することで日の丸を
  めぐる豊かな差異を明らかにしたように、私たちが
  味わいたいのは、これらの写真のなかで拮抗し、
  あるいは調和し、もしくは反発する、多種多様な
  表現の激突にほかならない。」
   (『巻きこまれ、溶けあい、昇りゆく写真
          :石川真生試論/福住廉』より)

アトミックサンシャイン in 沖縄、ついに終了!

2009-05-18 23:26:57 | Weblog
ようやく。本当にようやく。アトミックサンシャイン展がフィナーレを迎えた。

5月15日、「復帰の日」に合わせて開催したシンポジウムも、なんとか無事終了することができた。サプライズで用意した、お笑い米軍基地のショートコント(私も参加したのですが。。。)が、客席からの乱入で最後まで続けることができない、というさらなるサプライズにて応酬を受けるなど、困難な場面もあったが、司会の前嵩西一馬さん、さらにパネリストの萱野稔人さんと知念ウシさんの頑張りもあり、最後まで踏んばることができた。これはいろんな意味で、画期的なシンポジウムになったのではないだろうか?また時間をかけて、反省してみたい。

また、16日の映画「Level Five」の上映会もとても上手く行き、とにかく良かった。DVDと翻訳MDのシンクロ再生、ということだったのだが、美術館側の技術者さんの大変な頑張りもあり、上手く上映することができた。上映後、多くの方から「よかった」というコメントを頂け、万感の思いだ。早速、クリス・マルケル監督、そしてお世話になった福崎裕子さんに感謝の意を述べたいと思う。

さらに、英語でのギャラリーツアーも、万事上手く行って、よかった。英語ネイティブの方の参加は3人に留まったものの、沖縄側より英語を専門とする方たちが集まり、会場を訪れていた米国人たちと会話が自然発生的に生まれたシーンを見受けることができ、とても嬉しかった。アメリカ領事館関係者の方も参加して下さったのだが、とても好意的なコメントを頂き、とにかく嬉しかった。

日曜日の展示クローズ後、ボランティアさんを総動員して、パッキング作業を深夜にまで行った。最後まで手伝って下さったボランティアさんに、心から「ありがとう」を言いたい。

2006年1月から立ち上げたプロジェクトも、もう3年半の年月が経っているかと思うと、感慨深い。途中、この展示は本当に無理かもしれない、と思うことは何度となくあった。正直、途中でやめようか、そう、2度ばかし迷ったこともあった。しかし、ここまで、最後まで頑張れたのは、みなさんの後押しがあったからに他ならない。

展示のフォローアップをしつつ、しばらくは休養を取りたいと思う。今まで、全速力で走りっぱなしだった気がする。少しは立ち止って、考える時間を持つ時なのかもしれない。

今日のクロージング・シンポジウム 「お国は?」「沖縄ですが、何か?」 7PM~

2009-05-15 08:23:19 | Weblog
アトミックサンシャイン展のクロージング・シンポジウムイベントが今日、開催されます。皆さまお誘いあわせの上、どうぞご参加下さい。

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Into the Atomic Sunshine in Okinawa展
クロージング・シンポジウム

「お国は?」「沖縄ですが、何か?」
―ネイションとアイデンティティの対話―

 今年もまた、「復帰の日」がやってきます。沖縄の本土復帰を巡って、これまで大量の言葉が生み出されてきました。それらの中には、沖縄だけで流通消費するものもあれば、その逆に、主に沖縄の外で流通して消費されているものもあるでしょう。ある時期だけの流行りものもあれば、ある世代だけに通じる叙情的なものもあるかもしれません。「民主主義の教室」において常に「居残り組」の私たちは、これまでに何を学び、そしてこれから何を学んでいくのでしょうか。
 平和憲法と戦後美術をテーマにした「Into the Atomic Sunshine in Okinawa」展の幕を閉じるにあたって、基地(Base)、平和憲法(Constitution)、日米安保条約(Treaty)という究極のアジクーター・メニュー ― BLTならぬBCTサンドウィッチをその「教室」の片隅で噛みしめつつ、吟味しようと思います。熱くそして冷静なパフォーマンスと討議を通して、理論・表現・生活といった諸相から見える「復帰」の意味を改めて考えます。私たちが住む場所から、ネイションとアイデンティティについて「今の言葉」を残していければと、願っています。

日時:2009年5月15日(金曜日) 18:30開館 19:00開演
場所:講堂(沖縄県立博物館・美術館3階大ホール)

パネリスト:萱野稔人、知念ウシ、渡辺真也
コーディネータ:前嵩西一馬

申込方法:当日先着200名
※ このイベントは「アトミックサンシャインin沖縄」の展覧会チケット(または半券)が必要になります。

プロフィール:

萱野稔人(かやのとしひと)
1970年生まれ。2003年パリ第十大学大学院修了。哲学博士。津田塾大学国際関係学科准教授。著書に『国家とはなにか』(以文社)、『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)、『権力の読みかた?状況と理論』(青土社)など、共著に『「生きづらさ」について?貧困、アイデンティティ、ナショナリズム』(光文社)などがある。

知念ウシ(ちにんうしぃ)
1966年那覇市首里生まれ。むぬかちゃー。津田塾大学・東京大学卒業。共著に『人類館ー封印された扉』(アットワークス)『あなたは戦争で死ねますか』(NHK出版)『植民者へーポストコロニアリズムという挑発』(松籟社)などがある。また『沖縄タイムス』にて「ウシがゆく」を2005年7月から今年3月まで連載。2006年スタンフォード大学シンポジウム「沖縄と日本におけるジェンダー、植民地主義、軍事主義」にて発表。ピース&グリーンボート 2008東アジアクルーズにて水先案内人を務める。

渡辺真也(わたなべしんや)
1980年静岡県沼津市生まれのキュレーター。日本とアメリカにて経済学を専攻後、ニューヨーク大学大学院にて美術修士課程を修了。世界35カ国を放浪していく過程で、国民国家とアートとの関係性をテーマとした国際美術展を製作する様になる。

前嵩西一馬(まえたけにしかずま)
1971年那覇市生まれ。コロンビア大学人類学部博士課程修了。文化人類学・沖縄研究。現在、早稲田大学琉球・沖縄研究所客員研究員、明治大学兼任講師。論文に、「文化を漕ぐ、言葉を焼べる―沖縄の近代性と共同体に関する民族誌的断章―」(『琉球・沖縄研究』第2号、早稲田大学琉球・沖縄研究所)などがある。

お問い合わせ:文化の杜共同企業体
TEL:098-941-8200
www.museums.pref.okinawa.jp

クリス・マルケル監督 映画「Level Five」との出会い (琉球新報 09年5月13日付)

2009-05-14 00:30:24 | Weblog
(琉球新報 09年5月13日付)

クリス・マルケル監督 映画「Level Five」との出会い

渡辺真也

20歳の春アジア一人旅での、忘れられない出会いがある。シンガポールからマレーシア中部を通る電車中でのこと。私の隣に一人の老人が座り、3時間ほど親切にマレーシアの習慣や言葉などを教えてくれた。駅が近づくにつれそわそわし始めると、老人は決心したかの様に「君に聞いてもらいたい歌がある」と言うなり、右手を大きく振りながら「ハッコウイチウノー」と歌い始めた。日本の皇民化政策の際に強制させられた日本の軍歌だった。「お願いです。もう少し話を聞かせてもらえませんか?」と尋ねると、彼は私と一緒に電車を降り、日本軍の言語政策が徹底的だったこと、そして今老人となったマレーシア人の多くがその経験を心の奥にしまってきた事など、胸の詰まる話をしてくれた。私が「ここであなたに何かすることはできないが、あなたから伺ったお話を、絶対、日本の若者に伝えます」と言うと、彼は涙を流しながら手を強く握った。

当時、映画監督という夢を抱いていた私は、このやりとりの一部をビデオで録画していた。帰国1ヶ月後にアメリカ留学を控えていたが、老人との約束を果たす為、先輩の家に泊りこみ、編集作業を開始した。しかし機械の不良で作業が進まず、映画は完成しなかった。

落ち込んでいた私を励ます為、先輩が連れて行ってくれたのが、沖縄戦の記憶をテーマにしたクリス・マルケル監督の映画「Level Five」であった。フランス人女性ローラは、他界した夫が残したコンピュータプログラムの中で最も困難なゲーム「レベル5」を解くべく、キーワード「OKINAWA」を追う。映像には、渡嘉敷島の集団自決目撃者の証言や、サイパン島のバンザイクリフから身を投げる記録映像、30年以上公開を禁止された、沖縄戦で記憶を消失した米兵などが立ち現われて行く。私はこれより優れた映画を作ることは不可能だと悟り、優れた作品を紹介する側、キュレーターになろう、と決心して渡米した。

マルケル監督はこの映画について、こう述べている。「沖縄戦の死者の多くは集団自決であり、降伏してはならないと洗脳されていた。これは他に例をみない、第二次大戦のなかでもっとも狂気にみちた無残な実話だが、歴史には素通りされ、我々の集合的意識からは抹消されている、だから私は再び光を当てようと思ったのだ」。私は9条と戦後美術をテーマとした展示にて、この映画に再び光を当ててみたいと思う。

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渡辺真也:1980年静岡県生まれ。世界35カ国を単発的に放浪後、ニューヨーク大学大学院修士過程終了。「アトミックサンシャインの中へ」展のキュレーターを務める。

クリス・マルケル監督「Level Five」上映会
日時:2009年5月16日(土) 13:30開館 14:00開演
場所:講堂(沖縄県立博物館・美術館3階大ホール)
映画紹介:渡辺真也
申込方法:当日先着200名
※このイベントは「アトミックサンシャインin沖縄」の展覧会チケット(または半券)が必要になります。



真喜志勉 a.k.a Tom Max + 真喜志民子 in Azabujuban Gallery

2009-05-10 10:28:15 | Weblog
アトミックサンシャイン展に出品している、私の大好きなトム・マックスが、奥さんの民子さんと東京にて二人展を行います。

Exhibition of 真喜志 勉 真喜志民子
2009.5.13-18
Azabujuban Gallery

(展覧会DMより)
真喜志勉さんとは沖縄復帰の頃に知り合った。73年にNYのヴィレッジ・ゲイトで働いてアート・ブレーキーのドラムを管理したという筋金入りのジャズ者だ。精密さと荒々しさが見事に調和した真喜志さんの表現は、ジャズそのものだと言いたくなる。今回、奥方の民子さんの創る天女の羽衣のような作品とのデュオはどのような響きを織りなすのだろうか。 見逃せない。
ジャズピアニスト 山下洋輔


東京近郊に住んでいる方、是非ご覧になって下さい。会期前半はTom Maxさんも会場に居るそうです。

石川真生写真展 フェンス OKINAWA

2009-05-10 10:20:49 | Weblog
アトミックサンシャイン展への参加作家、石川真生さんの展示が、那覇市民ギャラリーにて開催されます。皆さまお誘いあわせの上、ご参加下さい。

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石川真生写真展 フェンス OKINAWA
2009.5.12-17
那覇市民ギャラリー

(プレスリリース)
沖縄中の米軍基地を「フェンス(有刺鉄線)」沿いに歩いてみよう。そう思い立ち、昨年(2008年)初めから一年余り、フェンス沿いに歩いて撮影した。
沖縄人が基地の中を見ることができるギリギリの境界線がフェンスだ。メインゲートはみんながいつも見ている。だが、いちいち裏に回って見る人はそういない。フェンスをグルッと回って歩いてみた。

戦後64年たってもアメリカの軍隊が沖縄に居続ける。フェンスは沖縄人を拒絶する境界線だ。米兵はフェンス(基地)の中と外を自由に行ったり来たりしている。沖縄人は基地従業員や通行許可書(パス)を持った一部の人しか出入りできない。多くの沖縄人はただフェンスの外から基地をのぞくだけだ。

車で走っているだけでは見過ごしてしまう。それが歩いてみるとよく見える。えっ?ここにこんなものがあったの?知らなかった、気づかなかった。発見の連続だ。同じ場所でも行く度に新しい発見がある。ワクワク、ドキドキする。
沖縄は狭い島だ。どこに行っても米軍基地にぶち当たる。基地にへばりつくように住宅街がある。フェンス沿いに歩くと、そこに人がいなくても「人の生活」が感じ取れる。

フェンス沿いに見える光景は実に興味深い。見ているようで見ていない光景はまだまだある。私の「フェンス」の撮影はこれからも続く。

ユタに会いに行く

2009-05-09 17:59:49 | Weblog
先日、長く希望していた、ユタとの出会いが実現した。

当初、私の友人を通じて、ユタ研究をしている大学関係者の方にユタを紹介して頂く予定だった。しかし、その研究者の方が研究対象としていたユタが皆他界しており、紹介ができない、タクシードライバーだったらユタ情報に通じているので、タクシーが溜まっている場所に行って「ユタを紹介して下さい」と頼めば、連れて行ってもらえるよ、とご連絡頂いたのであった。

本当かなぁ、と半信半疑で、ホテルの近くにある那覇最大のショッピングモール「サンエー」のタクシー乗り場へと行ってみた。ゴ-ルデンウィーク中の為か、家族づれが多く、サンエーの前にある巨大ガチャピン人形の前では、子供たちが元気にはしゃいでいた。

「私、ヤマトの人間なのですが、ぜひ沖縄で、ユタの方に見て頂きたいと思うんです。誰かユタの方、ご存じですか?」
そう、タクシードライバーに告げると、ほとんどのドライバーは「ユタなんて知らない」と断った。それでもひるまず、そこに停泊しているドライバー全員に聞いて回った。そのうち2人の人が、「ユタは知っているが、血縁者にしか紹介できない」、「ユタは合う合わないがあるから、紹介できない」と回答した。

それでもめげず、総計15台のタクシーに聞いて回った。途中から、先ほどユタを知っているけれど紹介できない、と言ったドライバーたちも私に加わってくれて、一緒に聞きこみを手伝ってくれた。

15台目のドライバーだった。ユタに会いたい、と伝えると、ドライバーは私の顔をまじまじと見つめて、
「お金かかるよ?」
と聞いてきた。
「もちろんです」
私が答えると、友人のユタに電話してくれ、その後、直接電話をすれば良い、と言って、ユタの携帯電話番号を教えてくれた。

ユタに電話をすると、最初は警戒していたのだが、次第に緊張もほぐれたのか、「じゃあ、今日の午後3時にいらっしゃい」と言ってくれた。

ユタに会うにはお金が必要なのだが、ゴールデンウィーク中で、どこのATMからも現金を下ろすことができない。頑張っていろいろ回ったものの、シティバンクが使えるATMは全滅。仕方なく、友人に頭を下げてお金を借りると、封筒にそれを入れ、紹介してくれたタクシードライバーの車に飛び乗った。みんな、ごめん!

那覇から南にタクシーで20分ほど行った山の中腹に、その集合住宅はあった。カラフルな鳥たちがさえずる山の中腹に佇むその建物の3階に入ると、2つの大きな祭壇があり、その前でユタが私を待ってくれていた。祭壇は、インドともインドネシアとも、中国とも日本ともつかない、チャンプルーな雰囲気のものだった。

「興味本位かい?」
60歳直前くらいの初老の、比較的大柄な女性が、タバコをくゆらせながらそう聞いてきた。
「興味本位なんかじゃありません。私は真剣に祖父とお話がしたいのです」
「そうかい、それじゃあ、まず一つ。私のことをユタって呼ぶのはやめて。私はこの世とあの世を繋ぐ、ナカモチ。ナカモチと呼んでね」

そんな会話をしながらお互いが少しくだけてきた所で、私の名前、干支そして出身地の静岡県、さらに父、母、祖父、祖母の名前を伝えた所から、交霊の儀式が始まった。

「言っておくけれど、ヤマトのやり方と沖縄のやり方は違うのよ。時間がかかるから、待っていてね」

そう言うと、琉歌を歌いながら、祭壇に向かって会話をはじめた。シマクトゥバなので、何を言っているのかさっぱり分からないのだが、ところどころ、理解できる箇所もあった。どうやら、死者のメッセージは、琉歌に乗って伝わって来る様だった。

ここに詳しいことを書くのははばかられるが、とても不思議な体験をした。私の家族以外、知り様の無いことをズバズバ当てられて、正直、驚いた。ほとんど情報を提供しないのに、どうしてこんな事が可能なのだろう?とにかく不思議だった。私がユタ、いや、ナカモチに興味がある、ということを伝えると、特別に儀式の道具も見せてもらった。これには、驚いた。

たっぷり3時間、根掘り葉掘り聞いた、いや、教えてもらった。私はいわゆる霊能者に会うのは初めてだったのだが、私の6代先の先祖の話を聞く、というとても貴重な体験ができ、また、この文化が生活に根付いている、という事実に驚いた。あまりにも感銘を受けたので、アトミックサンシャイン展のチケットを5枚、プレゼントして来た。

その後、ユタ研究をしている学者さんの友人と晩御飯を食べながらお話した。その方のお話では、学者からの紹介だと、ユタ側が警戒する、だからタクシードライバーに聞け、と提案をした、というのだった。私は沖縄に来てからいろんな遠回りをしている印象を受けるのだが、その一つの通過儀礼を通過した、そんな気持ちになった。

次の日、私は琉球八社の一つである、熊野権現を祀った末吉宮へと行って来た。

那覇市内にあるとは思えないほど、豊かな自然が残されている末吉公園の上に、末吉宮はあった。途中には王家の亀甲墓や、多くのウタキがあり、荘厳なイメージを湛えていた。遠くに首里城を望みながら、勇大な自然の中でのんびりしていても、上空を戦闘機が、けたたましい音を張り上げて飛んで行くのを見ると、沖縄の今を感じさせた。

末吉宮の本尊をお参りしてきたのだが、ここの本尊の琉球瓦を支えているのが、白い象の様な彫り物だったのが印象的だった。これは一体何なんだろう?そして、その左に書かれているサンスクリット語は何を意味しているのだろう?と考えると、ますます謎だった(サンスクリット語ができる方、文字の内容を教えて下さい)

その後、ハーリーの花火を遠くに見ながら食事を済ませ、坂道を歩いていると、すれ違う高校生の自転車からピヨピヨ、という声が聞こえてくる。覗き込んでみると、赤や青に染められたカラーヒヨコだった。ハーリーのお祭りで買ってきたのだろうか。

次の日、ホテルのロビーで仕事をしていると、島らっきょうを剝きながらマルチ商法のセールスをしている女性を見かけた。

沖縄に来る度、私は根源的な問題に立ちかえってしまいそうになる。

「本当にアートは必要か?」

5月6日に佐喜眞美術館の展示が終了し、梱包作業を進めていると、ナカモチさんから電話があった。

「展示、良かったよ。あなたの紹介の文章も良かったから、写メしようかと思ったんだけれど、監視員がいたから、辞めといたわ」

アトミックサンシャイン展もあと少し。15日のシンポジウムに向けて、準備を進めることにしよう。

アトミックサンシャイン展映画上映会 クリス・マルケル監督「Level Five」 5/16 2PM-

2009-05-06 11:49:46 | Weblog
「アトミックサンシャインの中へ in 沖縄」 - 映画上映会 

クリス・マルケル監督「Level Five」

日時:2009年5月16日(土) 13:30開館 14:00開演
場所:講堂(沖縄県立博物館・美術館3階大ホール)
映画紹介:渡辺真也
申込方法:当日先着200名
※このイベントは「アトミックサンシャインin沖縄」の展覧会チケット(または半券)が必要になります。

映画「レベル5」紹介文(山形国際映画祭ホームページより引用)

「Level Five」
監督・撮影:クリス・マルケル
音楽:ミシェル・クラスナ
出演:カトリーヌ・ベルコジャ、大島渚ほか
製作:アナトール・ドーマン、フランソワーズ・ウィドフ
製作会社:レ・フィルム・ド・ラストロフォル、アルゴス・フィルム
フランス/1996/フランス語 (イタリア語版字幕DVDによる上映)日本語音声付 106分

沖縄戦の記憶の分有をテーマにした、フィクションを交えたドキュメンタリー。ローラは亡き夫が残したコンピュータプログラムの中で最も難易度の高い「レベル5」のゲームを解く。渡嘉敷島の集団自決を体験した金城重明牧師の証言やサイパン島の岬から身を投げる記録フィルム、そして30年間も上映が禁止されたジョン・ヒューストン監督の『そこに光を』の中の沖縄戦で記憶を消失した兵士の映像などがモニター上で開封される。

クリス・マルケル(Chris Marker)

1921 年生まれ。戦時中は反独レジスタンス活動に身を投ずる。1950年前後からドキュメンタリー映画に関わり、アラン・レネとの共同監督『彫像もまた死す』(1953)や、『北京の日曜日』(1956)などで頭角を現す。全編スチール写真で構成したSF短編『ラ・ジュテ』(1962-64)はカルト的傑作に。旅する映画作家として知られ、日本を題材にした作品も『不思議なクミコ』(1964)『サン・ソレイユ』(1982)『AK』(1985)、そして本作と多数。また近年では、『アレクサンドルの墓~最後のボルシェヴィキ』などビデオ作品も多数あり、本作も撮影は主にビデオである。コンピューター・メディアやテレビゲームにも強い関心があり、映画百年を記念するマルチメディア・インスタレーション『Silent Movie』は 1995年以来米国各地を巡回中。最新作は人間と世界それぞれの“記憶”をテーマにしたCD-ROM 『Immemory』(1997)で、パリ、ポンピドゥー・センターで展示されている。


監督のことば
(『レヴェル5』プレス、ドロレス・ウォルフィッシュとのインタビューより構成)

第二次世界大戦についてのCD-ROMが最近よく話題になる。その中で沖縄をひいてみよう。「10万人の死者、多数の民間人を含む…」これは二重の誤りだ。日本側の軍の死者は確かに10万だった。だが民間人は沖縄人たち、別個の民族で、自分たちの歴史と自分たちの文化を持ち、最初は中国、ついで日本に併合された人々。沖縄人の死者は15万人、その人口の3分の1と推定されている―取るに足らない数?!この死者の大部分が集団自決だった。降伏してはならないと洗脳されていたのだ。これは他に例をみない、第二次大戦のなかでもっとも狂気にみち、無残な実話だが、歴史には素通りされ、我々の集合的意識からは抹消されている、だから私は再び光を当てようと思ったのだ。

テレビの存在は大きな違いになった。『レベル5』の沖縄の部分は目撃証言を基にしている。これをいわゆる「ドキュメンタリー」の中に想像して欲しい―普通にテレビを見る―日の中へ、ボスニアのある個人の悲劇や、ホロコーストの生き残りの物語と一緒に放り込まれたとして。平均的なテレビ視聴者はこのような苦しみの証言をどれだけ連続して受け止めながら、なおかつそれぞれに固有の感覚を見失わないでいられるだろうか?別の何かが必要だった。

答えはテレビゲーム、コンピューター・グラフィックス、それに女―私のお気に入りの白昼夢だ。私は自分の手の内にあるものだけを使う。

日本の撮影部分を除けば、この映画はデュエットとして、二人だけで、縦横6×10フィートの部屋の中だけで、撮影隊も、技術的補佐もなしで作った。

我が同志アストリュックの主張したペンとしての映画カメラは、彼の時代には比喩でしかなかった。だが我々はその手段を持っている(それもまったく新しいものなのだ)―親密で、孤独な映画作りのために。自分自身と向き合う映画を作るためのプロセス。

お問い合わせ:文化の杜共同企業体
TEL:098-941-8200
www.museums.pref.okinawa.jp

アトミックサンシャイン展シンポジウム:「お国は?」「沖縄ですが、何か?」 5/15 7PM-

2009-05-06 11:45:48 | Weblog
Into the Atomic Sunshine in Okinawa展
クロージング・シンポジウム

「お国は?」「沖縄ですが、何か?」
―ネイションとアイデンティティの対話―

 今年もまた、「復帰の日」がやってきます。沖縄の本土復帰を巡って、これまで大量の言葉が生み出されてきました。それらの中には、沖縄だけで流通消費するものもあれば、その逆に、主に沖縄の外で流通して消費されているものもあるでしょう。ある時期だけの流行りものもあれば、ある世代だけに通じる叙情的なものもあるかもしれません。「民主主義の教室」において常に「居残り組」の私たちは、これまでに何を学び、そしてこれから何を学んでいくのでしょうか。
 平和憲法と戦後美術をテーマにした「Into the Atomic Sunshine in Okinawa」展の幕を閉じるにあたって、基地(Base)、平和憲法(Constitution)、日米安保条約(Treaty)という究極のアジクーター・メニュー ― BLTならぬBCTサンドウィッチをその「教室」の片隅で噛みしめつつ、吟味しようと思います。熱くそして冷静なパフォーマンスと討議を通して、理論・表現・生活といった諸相から見える「復帰」の意味を改めて考えます。私たちが住む場所から、ネイションとアイデンティティについて「今の言葉」を残していければと、願っています。

日時:2009年5月15日(金曜日) 18:30開館 19:00開演
場所:講堂(沖縄県立博物館・美術館3階大ホール)

パネリスト:萱野稔人、知念ウシ、渡辺真也
コーディネータ:前嵩西一馬

申込方法:当日先着200名
※ このイベントは「アトミックサンシャインin沖縄」の展覧会チケット(または半券)が必要になります。

プロフィール:

萱野稔人(かやのとしひと)
1970年生まれ。2003年パリ第十大学大学院修了。哲学博士。津田塾大学国際関係学科准教授。著書に『国家とはなにか』(以文社)、『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)、『権力の読みかた?状況と理論』(青土社)など、共著に『「生きづらさ」について?貧困、アイデンティティ、ナショナリズム』(光文社)などがある。

知念ウシ(ちにんうしぃ)
1966年那覇市首里生まれ。むぬかちゃー。津田塾大学・東京大学卒業。共著に『人類館ー封印された扉』(アットワークス)『あなたは戦争で死ねますか』(NHK出版)『植民者へーポストコロニアリズムという挑発』(松籟社)などがある。また『沖縄タイムス』にて「ウシがゆく」を2005年7月から今年3月まで連載。2006年スタンフォード大学シンポジウム「沖縄と日本におけるジェンダー、植民地主義、軍事主義」にて発表。ピース&グリーンボート2008東アジアクルーズにて水先案内人を務める。

渡辺真也(わたなべしんや)
1980年静岡県沼津市生まれのキュレーター。日本とアメリカにて経済学を専攻後、ニューヨーク大学大学院にて美術修士課程を修了。世界35カ国を放浪していく過程で、国民国家とアートとの関係性をテーマとした国際美術展を製作する様になる。

前嵩西一馬(まえたけにしかずま)
1971年那覇市生まれ。コロンビア大学人類学部博士課程修了。文化人類学・沖縄研究。現在、早稲田大学琉球・沖縄研究所客員研究員、明治大学兼任講師。論文に、「文化を漕ぐ、言葉を焼べる―沖縄の近代性と共同体に関する民族誌的断章―」(『琉球・沖縄研究』第2号、早稲田大学琉球・沖縄研究所)などがある。

お問い合わせ:文化の杜共同企業体
TEL:098-941-8200
www.museums.pref.okinawa.jp

佐喜眞美術館でのトークは大成功!

2009-05-03 10:25:21 | Weblog
昨日、佐喜眞美術館にて開催されたサテライト展にて、アーティスト山城知佳子さんのトークがあり、聞き手役として参加して来た。

会場に到着して驚いたのは、とにかく多くの人!70人以上の来客があり、美術館周辺の駐車場が一杯になっていた。トーク開始後も、展示室に入りきれない人が外に溢れてしまうほどの盛況で、うれしい悲鳴だった。やはり、イベントのチラシにトークの告知を入れるとかなりの波及効果があるな、ということを再確認する良い機会となった。

トークのテーマは、今回山城さんがテーマとした、戦争体験の継承、である。戦争を体験したことのない私たちが、いかに戦争体験を継承するのか、そして本当に戦争体験を継承する必要があるのか、そして、それは何の為?等、大変興味深いお話となった。その様子も、機会があれば、音声ファイルなど、ぜひ公開してみたいと思う。

会場を訪れて下さったのは、新城郁夫さん、知念ウシさん、さらに琉大の先生など、そうそうたる人たちだったのだが、戦争体験のあるご年配の方から、20歳の学生まで、幅広い年齢層の人たちが来場して下さったのが嬉しかった。アート、そして戦争体験の継承、というテーマに対して、沖縄の方が確実に興味を持っている、ということが理解できた。

一つ興味深かったのは、トークの最中、20歳の学生が、「良い戦争はあると思う」と述べたことだった。「良い戦争はあると思うし、戦争はいけない、と繰り返しているだけでは説得力を持たない」、と発言した彼は、きっと自分自身の素直な意見を述べたのだろう。それに対し、年長者の方々が、丁寧に応対して下さり、シンポジウム終了後もずっとお話が続いたのが印象的だった。

トーク終了後、彼を連れ出して、佐喜眞館長さん達と一緒にシーミー料理を食べていた時のこと。彼は、普天間基地が無くなると困る、と言ったので、「なぜ困るの?」と佐喜眞さんが訪ねた所、「ベースの中にあるお気に入りのクラブが無くなるから」と答えた。すかさず、佐喜眞さんが、「俺が作ってやるから心配するな」と返していた。さすが佐喜眞さん。とっても面白かった。

佐喜眞美術館でのサテライト展は、5月6日まで開催しております。まだご覧になっていない方は、ぜひ足を運んで下さい。

その後、沖縄国際大学前のレストラン「パブロ」に行って食事をする。パブロさんには、2005年のアトミックサンシャイン展の際に、プラットフォームイベントの会場になる等、大変お世話になった。ここで、アーティストの山城知佳子さん、さらに佐喜眞さんともご一緒したのが、今の活動の原点になっている気がする。そこでサテライト展の打ち上げをすることができたのは、私にとって無上の喜びだ。

皆さん、ありがとうございました!