Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

NYに帰ってきました

2006-08-29 22:17:18 | Weblog
NYに帰ったら、いろんな人から郵便物が送られて来ており、それの処理に追われる。嬉しかったのは、ロンドン在住の友人レオからお気に入りCDが送られてきた事。この音楽は夜に聞いてください、と書いてあり、ボサノバやラテン系の曲などが多く入っていた。ジョン・スコフィールドやジェイコブ・ミラーなど私が持っている曲といくつかダブっている曲もあり、ちょっと笑った。

レオからの手紙に書いてあったのだけれど、ロンドンでの熱波の影響は相当なものだった様。バスの窓は開かないし、水などが地下鉄で販売していないこともあり、大変だったみたい。それとテロの影響がロンドンの町にずいぶんと重くのしかかっている、ということである。ほんと、どうなるんだろうね。

昨日のお昼は由里さんとその友人と一緒に食事。由里さんは大学院時代の同級生で、今はカリフォルニアの美術機関で働いている。コータさんに会いにサンフランシスコに行った際にあって以来、久しぶり。これからどんなことをやっていくの、そんな話で盛り上がる。とにかく元気そうで何より。

夜はMOMAの映画館にて、友人と一緒にフロイトの映画を見る。フロイトも若いころはいろいろと苦労したんだなぁ、と関心(笑)それにしてもフロイトは天才的な人物だと思う。よくもあそこまで思い込んで、自らの学説を作り上げたものだ。しかし、エディプス・コンプレックスなどはギリシャ悲劇にも出てきている様に、文学的な世界では成立していた訳で、それを論理的に整理して説明した所に凄さがあるのかもしれない。

たまたま一緒に映画を見た友人がユダヤ系の方だったので、ギュンター・グラスの事件に関して聞いてみる。すると、あってはいけない事だが、彼がSSにいた当時彼は若かったのだから、そこまで問い詰めるのも問題ではないか、とのコメントをもらった。この件に関しては、みんないろんな意見があるんだろうなぁ。

日本最終日

2006-08-26 22:46:01 | Weblog
名古屋でミーティング後、23日の深夜東京へ帰ってくる。名古屋ではNY生活の長かった建築家のTさんと一緒にお食事しながら、展示のプランについていろいろと話す。次回の展示は将来的にアジアに巡回させたい、と言った所、地元の有力者を紹介してくれることになった。彼らが興味を持ってくれると良いのだが。

24日木曜日、東京では電話や資料の作成、さらに翻訳に追われる。何故か急ぎでスペイン語の資料を日本語に翻訳せねばならない用事があり、習ったこともないスペイン語を翻訳するも、かなり苦戦する。その作業が終わらぬまま、表参道にて市原研太郎さんとミーティング。私の現在進行させているプロジェクトや、市原さんが現在進めているプロジェクトに関して、いろいろと情報/意見交換。市原さんは日本の現状についてよく知っているので、大変参考になる。

その後は私の友人と夜遅くまで飲んだ後、25日金曜日の朝からまた翻訳作業を進める。なんとか終わらせて、午後には東京国立近代美術館にて一つミーティング。その後夕方には、シュウゴ・アーツに伺い、私の展示に関していろいろと意見交換する。そこから高田馬場の姉の部屋へと帰り、パッキング。姉ととんこつラーメンを食べ終えると、私は資料でいっぱいになったトランクを持って実家の静岡へと最終電車にて帰省。

今日はどうしても父と時間を過ごしたかったので、父と一緒にドライブがてらお墓参りを済ませ、その後天城湯ヶ島の温泉に行って来る。私はNYでは湯船につかることがほとんどないので、日本に帰ってきた時くらいは、温泉でのんびりしたいと思うのだ。露天風呂でおいしい空気を吸いながら、温泉を満喫。

狩野川の渓流を歩いてフラフラしながら、親父が敬愛していた三島由紀夫について話す。三島が死んだとき、どう思った?と聞くと、声も出ないくらいショックだった、と言う。しかし父は、あの市ヶ谷での自決はあくまでパフォーマンスで、あいつはただ自殺したかっただけなのじゃないか、という話になった。それは面白い意見だと思う。たしかにクーデターを起こすくらいの事を考えているのだったら、もっと根回しするなど、いろいろな方法があっただろう、そんな話をした。

実家に帰って家族と一緒に寿司を食べる。さすがに沼津の寿司は安くてうまい。感謝感激。

明日の朝には実家を出て、NYへと向かう。どうしてもやりきれなかった仕事や会えなかった人など多くいるが、短時間でよくここまでやれた、という位多くの人に会ってきたと思う。それでも会えなかった人たち、ごめんなさい。でも、また12月くらいに帰ってきて、プロジェクトを進めて行きたいと思う。

実行委員会ミーティング、福岡、広島、名古屋

2006-08-23 16:59:14 | Weblog
昨日の月曜日は、私の次回の展示に関する実行委員会立ち上げのミーティングを、南青山にて行う。雑誌Generation Timesの伊藤剛さんのご好意で、ミーティングの際、オフィスを使用させて頂く。ありがとうございました。

ミーティングではArtiT編集長の小崎哲哉さんの持ってきたワインを空けながら、私の次回の展示に関する駄目出し+提案+意見の交換をする。さすが多くの人を交えて議論すると、改めていろいろな視点や問題点、さらに可能性について多くの提案が出てくる。特に私は日本の現状を完全に把握していない、という問題があるのだが、皆の発言によって多くを補完することが可能であった様に思える。

ミーティングでは小崎さんが圧倒的な経験と知識量を持って、議論をリードしてくれる。それにアーティストの中ザワヒデキさんがいろいろと提案するかたちで、大変議論が白熱する。日米二重国籍というバックグラウンドを持つ建築家の織部さんが、私の展示に関して大変興味深い、異なった視点を持ち込む議論をしてくれたのが、うれしかった。また友人の神部、写真家の谷邊さんなど、多くの方が議論に加わってくれた。谷邊さんはさすがレヴィナス研究をしているだけのことはあって、ディドロとダランベールを引用し、法律と国家的主権の問題について、深い視座を提供してくれた。こういった素晴らしい友人を持っているのは、私にとって大変なプラスであることは間違いない。

南青山にて深夜まで続くミーティングを終えた後、火曜日の朝には福岡に飛び、3つのミーティングをこなす。小倉にて阿部幸子さん率いるギャラリーlevel1にお邪魔して、いろいろとお話する。阿部さんとはフランクフルトの展示の件でいろいろ伺うことができ、大変有益だった。

その後、小倉から太宰府にに移動し、画家のナターシャさんとミーティング。彼女はアフガニスタン出身の画家で、エジプトにて奴隷商人に売られた後、インドに逃れ、アフガニスタンで戦闘行為に関わった後、ロシア経由で日本に渡ってきた、という凄い経歴の持ち主。短い時間だったが、彼女がアーティストとしてどういった使命を持って活動しているか、ということに関していろいろと伺う。

その後、博多に移動し、NHKの渡辺考さんとアーティストの柳幸典さんとミーティング。柳さんとは初めて会ったのだが、大変素敵な方で、感銘を受ける。さすがに元ボクシングをやっていただけの事はあって、すごい体格が良くてビックリ。最近の広島でのプロジェクトや、犬島の件などについていろいろと伺う。柳さんが尊敬しているというゲバラについて、いろいろとお話が伺えたのが、大変私にとって良かった。

深夜には、小倉に帰り、去年セイラの展示でお世話になったギャラリーSOAPの宮川さんとお話する。息子さんもカウンターで飲んでいたのだが、そっくりで笑ってしまった。level1のリーダーも加わって、みんなでお話する。楽しかった。

夜中までギャラリーlevel1で語り合った後、水曜日の朝は広島に向かう。コレクターさんの方とミーティングをして、いろいろと話す。その後、名古屋に移動し、今メールの返信に追われる。今日の夜は「もう一つの万博」の際にお世話になった田中さんとお会いして、ご飯を食べてくる予定。楽しみだなぁ。

ダンス白州と帰省

2006-08-20 21:41:16 | Weblog
昨日は姉の幸恵と一緒に、ダンス白州に行ってくる。甲府まで特急電車で向かい、その後はドライブ。東京から2-3時間ほどで到着。

このダンス・フェスティバルはもう10年以上続いているそうなのだが、中心になっているのは舞踏の田中泯さんと木幡和枝さん。私は木幡さんには大変お世話になっているので、日本滞在中どうしてもこのイベントだけは見たかったのだ。行ってみると、とてもアットホームな感じで、大変くつろげた。野菜の即売をしていたりしているので、そこでトマトを買って、そのままかじる。

田中泯さんの野外インスタレーションと即興演奏とのパフォーマンスはもちろん素晴らしかったが、インドネシアのスラウェシ島から来られたパフォーマーによる「マカッサル人の両面太鼓と民俗舞踊」が本当に素晴らしかった。これだけのパフォーマンスをあの大自然の中で見れるのは魅力だ。

私が会いたかった大野一雄さんのご子息に当たる大野慶人は残念ながら白州を発った後でお会いできなかったが、ピアニストの高橋アキさんとお話できてよかった。また、打ち上げの際に何人かのインドネシア人パフォーマ-や、フェスティバル参加者の方々といろいろと議論ができて面白かった。特にインドネシア文化の複数性と日本文化との類似の話は、なかなか良かった。その後、夜更けまで木幡さんともお話ができ、大変有意義な時間となった。

今日は白州より御殿場を経由して、沼津の実家に帰ってくる。おいっこの誕生日会があり、5歳の誕生日を家族と祝う。私もプレゼントとしてスニーカーをプレゼントしたのだが、無邪気に喜んでくれ、よかった。もう一人のおいっこリョウガもずいぶんと大きくなっていて、不思議な気分。2歳半になったリョウガに「シンヤ!シンヤ!」と言われ、不思議な気分。久しぶりに会う家族も、元気そうで何より。本当は何日かゆっくりとしたいのだが、明日は東京にてミーティングなので、一晩だけの帰省となった。

中国風の根津と下北沢

2006-08-19 00:51:33 | Weblog
昨日は友人のアートディーラーの紹介であるコレクターの方に会い、私が興味を持っているアーティストの作品を展示に出品して頂けないか、という交渉をしてくる。しかし、彼は私の企画そのものにあまり興味がなく、展示の不備を指摘されてしまった。また会ってくれる、という事は言ってくれたので、今後また仕切りなおして交渉する必要がありそうだ。

昨日の夜は根津に住んでいる親友の神部の家に泊まってきて、夜遅くまで話し込む。神部は幼稚園来の友人ということもあり、私のやりたいことをよく理解してくれている。その分、突っ込みも厳しい(笑)私がブログでコギト批判を書いたことに関し、「お前はしゃべりすぎだ!」と言われる。ほんと、すいません。。。。

せっかく根津に来たので、翌日の朝は根津神社と東大周辺を散歩する。根津神社はスサノオが祭られていることもあり、興味深かった。神社のデザインが全体的に中国風だったのが面白かった。ついでに三四郎池と安田講堂を見てきたのだが、安田講堂のかわいらしいデザインに拍子抜けする。60年代の学生はよくあんな所に立てこもったよなぁ、と変に関心する。この東大キャンパスもどこかしら中国風だったのが興味深かった。

夜は友人の富田さんの紹介で、一水会の鈴木邦夫さんに会いに下北沢へ行く。近著「愛国者は信用できるか」も大変優れた本だったが、彼は本物だ、と思う。積極的に活動をしてきた人の言葉だから、重さがある。鈴木さんとは必ずしも意見が一致する訳ではないが、いろいろと議論ができて良かった。鈴木さん、貴重な時間をありがとうございました。

私の夏休みはどこへ・・・?

2006-08-17 15:12:53 | Weblog
昨日は新宿にて、あるアーティストの方と作品の出品交渉。50代に差し掛かる年齢という事もあり、お話をしていた際に認識がすれ違うこともしばしば。しかし、4時間半に及ぶ交渉の末、展示への作品出品に関して同意して頂けた。ありがとうございます。

今日はある展示のスポンサー候補の方に今から展示概要ファイルを手持ちで持参する。その後、あるアートディーラーの方の紹介で、私が見せたいと思っているアーティストの作品のコレクターに会ってくる。どうしても見せたい作品なので、話がうまく行くと良いのだが。

明日は友人のジャーナリストと一緒に一水会の鈴木邦夫さんに、土曜日は大野一雄さんの息子である大野慶人さんと、お世話になっている木幡和江さんに会いに山梨の白州へへ行ってくる。その後、日曜日は静岡の実家に一泊後、月曜日に都内で実行委員会を立ち上げ、火曜日に九州にてアーティストの方とメディア関係者とミーティングをこなす予定。水曜日には広島と名古屋にてコレクターの方とミーティングし、その後都内にてミーティングをこなす、という激しいスケジュールです。まあ、でもやるしかない!

コギトは間違っていた

2006-08-15 11:08:53 | Weblog
日本に帰ってきてから、お世話になっている方や、友人などの多くの人に会い、話を進めていく上で気付くことが多い。これはとても刺激になる。私は多くの友人に恵まれている、ということを第一に感謝したい。

日本に帰って来てから、コギトは間違いだ、という考えが進む。

国家的なものを擬人化することは簡単でそれを主体として扱うことは分かりやすく、私もそういう言い方をすることは多いが、それは間違い。と同時に、かなりチャレンジして言ってしまうと、個人的なもの(私は・・・)という主体を設定して論理を進めていくのは、究極的には無理がある、という話である。

私が経済学を勉強している際に最も影響を受けた人物の一人が、ヴィルフレート・パレートであったが、彼の思想に見られるような効率配分、フーコー的に言えばパレーシアは、個人意思がカント並みに発達していない限り、実現しない。利他的なことが利己的であること、そして利己的であることが利他的であることを論理的に理解できるのは究極的には極左(利他的なことが利己的)と極右(利己的であることが利他的)しかいないだろう。

国家的な主体は自明のものの様に思えるが、ネーション・ステートの発生から200年ほどで構造改革の必要性が出ている気がする。フランス革命とナポレオン戦争が発生した当時、ヘーゲルも含め、構造の変革期という考えをしている歴史家はおらず、それは歴史の終わり、と言われていたことを思い出したい。

コギトの発生は、ヨーロッパへのゼロの概念の輸入と反宗教改革の中での影響が強いと考えられるが、そこから自由たりえる思想を立ち上げられるのは、ゼロの概念を洗練させていった日本に可能性がある様な気がする。

しかしコギトは間違っているという主張を論理的に説明するのは、統一場理論を作るというくらい困難だ。しかし、疑いようのない考える自分の存在、というのを中心に据えてしまい、それに世界はあぐらをかいてきた気がする。しかしコギトを日常思考レベルで否定してしまうと、「私」がここで書いている考えそのものも否定される、という逆転が起こりかねず、そういった意味で、コギトを否定するのは、統一場理論的な困難さがつきまとう気がする。

日本に到着

2006-08-12 19:52:35 | Weblog
昨日の深夜、NYから東京へとやって来た。ロンドンでのテロの影響をあおり、荷物検査でとても時間がかかり、飛行機に乗り遅れそうになったが、なんとか無事に東京に着いた。トランジットで訪れたデトロイトでの空港では、手荷物検査で危険な液体と判断されたのか、ギャッツビーのヘアクリームを没収されてしまった。しかし、パイロットも含め、航空会社の全人員を使って一生懸命検査していたので、抗議する気にはならなかった。しかし、飛行機の搭乗口で繰り広げられた光景は、あたかもコンセプチャル・アートのようだった。

東京について第一に思ったのは、街を行く人々の顔に元気がない、ということだ。これは前から思っていたのだが、日増しに悪くなっている気がする。特に中年の男性にはその傾向が強い。

早速、日本に到着してから、街を歩いている際に感じられる矛盾感の様なものに苛まれ、複雑な思いだ。この感覚は日本に慣れていくにつれ、消えていくのだが、この感覚は大切にする必要があると思う。

帰国後、早速1件のミーテングを済ませたのだが、私がテーマとするトピックを、日本的な視点からシェアすることの困難を早速感じてしまった。このギャップは、私が日本の文脈・言説を一致させなくては解消されないのだろうか?

オシム・ジャパン・選手選考についての考察

2006-08-07 08:28:10 | Weblog
イビツァ・オシム監督は、現在の日本が持っている宝である。これだけの宝をどう生かせるか、それが協会側とサポーター側に掛かっていると言ってよい。私もオシム監督に展示「もう一つの万博」でのセイラの滞在を応援してもらった事もあり、個人的にもエールを送りたい。頑張って下さい。

今回の代表召集、一部混乱もあった様だが、私はほぼ全面的に賛成だ。この選考は、オシム監督が選手を本当によく見ている、ということが分かるものであった。

A代表が全ての試合の最優先試合なのだから、試合日をカップ戦と同時期に選ぶのは協会側の手痛いミスだ。そもそもJリーグが発足した理由が代表強化である、という当初の目的を忘れてはならない。そういった意味で、サポーターも代表チームに選手を送り出すことに協力すべきた。

中沢が抜けた後の3バックをどう組むかが緊急の課題だが、闘莉王の成長を考えれれれば、センターバック/リベロのポジションは十分可能だろう。千葉では阿部がこのポジションをやっていたし、オシム監督であれば使いこなせると思う。サイドは坪井は◎、栗原も全く問題ないだろう。

もしも3バックでやった場合、闘莉王の攻撃参加を考慮すると、ボランチの戦術理解が最大の鍵になってくるが、それに関しては今野と遠藤で問題ないだろう。今野はここから2年程度で、稲本に匹敵するボランチとなるだろうし、フィシカルも強くなるだろう。それと、遠藤・阿部のチームへの貢献が鍵になってくると思う。遠藤ほどのあれだけのサッカーセンスを持ったボランチは日本にはいないと思うし、阿部も世界で通用するプレーヤーになってほしいと思う。福西は年齢的なことを考えると、次回のワールドカップは厳しいので、外れたのも納得がいく。

中盤に関しては、サントスに対してどれだけ戦術をたたき込めるかが問題になってくるだろう。サントスは左サイド以外では使えないということが証明されているので、そこを重点的に連鎖させていくことが鍵になってくるだろう。駒野は左・右・ボランチとで使えるので、右の加地が不調なとき、左のサントスが不調などきは駒野を入れ、さらに今野・遠藤が故障したら駒野を入れることも可能だ。

小野が外れたことに関しては、仕方がないと思う。小野は天才肌だが、周りとのリズムを取るのが下手な場合があり、さらに怪我と好不調の波が激しい。それであったら、若い長谷部と松井にかけた方が良いと思う。運動量も戦術理解度もあるこの2人だったら、大丈夫だろう。もちろん小野が完全に復調したら、小野ファンとしては、使ってほしい。

俊介に関しても同様だ。一人でボールを持ってしまう、そしてスペースに向かって動くのが下手な俊介は、オシム監督の哲学とかみ合わないだろう。そこは本人が変わっていくしかないのだが、そこは俊介に期待したい。

FWはポストが巻、平山、高原、我那覇、そのパートナーが田中達也、大久保、坂田あたりになってくるだろうか。

このメンバーだと問題になってくる肝心のフィシカルだが、そこは試合経験を積むしかないのではないか。しかし、空間へのイメージへの運動が選手間で連鎖すれば、十分得点機はある。それが勝利に繋がってくるだろう。

それと一言。中沢、復活してくれ!あなたほどのDFは日本にいない!

夢日記 パラオ

2006-08-06 09:25:42 | Weblog
飛行機の中で、何故か北極を中心に書かれた世界地図の書かれた観光ガイドを開きながら、パラオを地図上で探している。今回の旅は、池田孔介も一緒だ。

途中でトランジットで空港に立ち寄る。空港では何故かTV番組「ここが変だよ日本人」のゾマホン、そして他のメンバーが働いているのだが、その店で孔介が飲み物を買う。クレジットカードで購入したのだが、ゾマホンが間違えてダブルチャージしたので、私は責任者を読んでこさせ、直接交渉をする。

最初、この空港がサンフランシスコだとは気付かなかったのだが、Aya EzawaさんとKota Ezawaさんが空港にいたので、ああ、サンフランシスコなのだなぁ、と理解する。「ここ、サンフランシスコだよ」と孔介に言うと、彼は私が先に気付いたことに対して苛立つ。

その後、私達は島に着く。不思議な島で、空港から降りるといろんな看板が目に入ってくる。ここはどうやら日系移民の人たちが多いらしく、日本人らしき人が多い。熱帯性の気候で、ビーチリゾートが主な産業のようだ。みんなニコニコしていて、人が良さそうだ。

そこでは、映画、といってもショートフィルムを屋外で見たり、音楽を聴いたりする。お世話になっている泊めさせてもらっている人の家で、誰かがライブを始めよう、といい始め、夜中の1:30過ぎにドラマーのハリーさんがドラムセットを設置し始める。私はもう夜遅いんだから、近所の迷惑になる、だから今度にしよう、と提案したのだが、ハリーさんは全く耳を貸さず、ふてくされている。音楽が流れ始めると、私達に気を使ってくれていた優しい日系人の女性が、場を盛り上げようと必死になって踊るのだが、それがすごく格好いい。さっき流れていた映画のワンシーンみたいだ。私も一緒に踊るのだが、みんなで踊っている内に、数人の女性は服を脱いで踊り始める。

すっかり意気投合した私達は、みんなでビーチに泳ぎに行く。そこではまだ映画をやっていて、海の近くに設置されたスクリーンが、綺麗だ。しかし、そのショートフィルムは、よく見ると戦争映画で、物が吹き飛ぶシーンが多く、衝撃的だった。孔介は何故か、その映画から流れてくる音を、機材を使って、点滴の道具の様な道具に吊るしたマイクを使って録音している。このマイクは音をキャッチすると青白く光るようになっているので、それも綺麗だ。

海ぎわでは、先ほどの女性たちが、話し込んでいる。みんな海に半身裸で漬かっていて、ニコニコしながら、さっきの映画の話をしている。青い月明かりに照らされたこの女性たちは、美しい。そのうちの2人が海際に流れ着いたゴミを拾い始めるので、私も手伝う。

「あなた、ここに来る前にどこにいたの?」という話が出たので、私は「サンフランシスコ」と答える。私は「ここパラオって地図上ではどこにあるの?」と聞くと、彼女からは曖昧な答えしかもらえない。そこで、先ほど見ていた世界のガイドブックを見ながら、パラオを探す。

「ここにライオンはいるの?」と聞くと、「いる」と答えるので、熱帯性の地域を重点的に地図上で探すのだが、見当たらない。アラスカにたまたまパラオという地名があったので「ほら、ここにあった」と言うとみんなに笑われ、目が覚める。