Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

風鈴の音色は涼しげか?

2010-08-31 01:49:56 | Weblog
自転車に乗って、うだる様な暑さの街を走り抜けていったら、街角から「ちりん、ちりん」という風鈴の音がかすかに聞こえてきた。その瞬間、私は「ああ、涼しげな音だな」と感じた。その「涼しげ」、という感覚は、あたかも、ちらちらと反射する水面の下に沈んでいるスイカを取りだそうと、樽の中の冷え切った水に手を差しいれた様な、そんな感覚であった。

しかし、何故私は、風鈴の音色を「涼しげだ」と感じたのだろうか?

もしも、仮に風鈴の音色を、「ちりんちりん」という日本語的なオノマトペにて表象しない人(例えば英語ネイティブのアメリカ人や、ドイツ語を話すドイツ人、もしくはヒンズー語を話すインド人)が聞いても、涼しげな音と感じるのだろうか?おそらく、綺麗な音だとは思っても、涼しげな音とは直結しないのではないか、と私は考える。

風鈴のかん高い音色、そして風鈴の色やガラスが想起させる透明感、風鈴を鳴らしているそよ風の涼しさ、さらにどこかで聞いたことのある、グラスの中ではじける氷の音などの経験的なものが連なりあって、風鈴の音色が「涼しさ」を表象するものとしてのネーション内合意=日本語の「ちりんちりん」を生み出している様に思える。(かき氷をほおばった時の、口と頭に来る「キーン」という言葉で表象される感覚も、どこか似た所があるかもしれない。)その連なりあった経験的なものの蓄積が、「ちりんちりん」というオノマトペ的に解される音を涼しげだと思う所から、日本人が涼しさを求めて夏に軒先にかけるというミーム的な広がりを持つ様になり、以降、夏の風物詩として定着したのではないか、と考えた。

signifieとsinifianはあくまで恣意的な関係である、と述べたのはソシュールであったが、例えばkikiとboobaの例をとってみれば、言語とそれが表象するものが、五感のどこかで繋がっており、完全に恣意的であると述べることは説明可能である。(Synthestasiaや、Jazzのブルーノートなんかもここと繋がっていると思う。)もしくは、ソシュールがsigneという言葉で言おうとしたのは、kikiとboobaのみで語ることができない、もっと限定的な意味での言語の恣意性・signe(=無、空)だったのかもしれない。

バラの香りを嗅いだ瞬間に昔の記憶を思い出す、ということがあるのであれば、それはバラの香りが私の過去の記憶を思い出させているのではなく、バラの香りの中に私の記憶が含まれているからだ、と考えたのはベルグソンであったが、私は、バラの匂いに含まれている「私」の「記憶」には、何らかの「意思」が感じられ、それをベルグソンはエラン・ヴィタールと言ったのではないかと思うのだが、果たしてどうなのだろうか。ベルグソンを日本的に解釈して失敗した小林秀雄の前例を横目に見ながら、私は考え抜いて行きたい。


見つけたぞ!何を?鉱脈を! - アルメニアへの旅から

2010-08-13 00:37:44 | Weblog
アルメニアの旅行から帰ってきてからというもの、大きなものをもたらしてくれた今回の旅行について、繰り返し反芻している。その結果、私の知らなかったこと、そして疑問に思っていたことが、あたかも霧が晴れて行く様に理解できる様になった。そして、今回の旅行を通じ、私が20歳の時に開始したユーラシアの東側・香港からネパールまでのバックパッキングが、西側から22歳の時に開始した、ロンドンからイスタンブールへのバックパッキング、さらにその後のイタリアやバーレーンへの旅などを通じ、一本の線となって繋がって行くのを感じた。

以前から疑問に思っていたナザレのイエスと厩戸皇子の伝説の類似性、ギルガメシュ叙事詩と旧約聖書における洪水伝説の関係、さらにメソポタミア文明とエジプト文明の接続がヘレニズムを用意し、それがローマ、さらにその延長線上のインドと仏教を準備したことなどが、次々と理解できた。ヘレニズムの時代にペルシャとの融和を図ったアレキサンダー大王が、マケドニアとペルシャの血を引いたハーフであったことも、恥ずかしながら今回初めて知ることができた。

さらに近親相姦による神話の発生によって可能になった言語の複雑化、キリスト教文化が流入した際に、アルメニア地域でも本地垂迹と同じ現象が起こったこと、フン族の流入に対してペルシャの傭兵として戦ったのが、キリスト教化したアルメニアであったことなど、民族の移動に伴う文化、そして言語の派生について様々な手掛かりを得たと同時に、大きな宿題を手にしてしまった。

私が今回、特に感動したのは、アルメニアの原始宗教の中に見られる太陽神、ミフルの神殿であった。イタリアの教会建築にみられるキューポラやバジリカなどのベースとなった、アルメニア教会建築の源流とも言えるのがこの太陽神ミフルの神殿なのだが、これがエジプトに入るとミトラ神となり、仏教に入ると弥勒、沖縄ではミルク神となる。この弥勒菩薩を日本でまつったのが聖徳太子と大陸系の秦河勝であり、秦の名字を与えたのが仁徳天皇であることを考えると、日本史とユーラシアの歴史が見えてくる。

以前、ゼロ次元の加藤好弘さんとご一緒した際、お前はやりたいことをやっていれば深い鉱脈を見つけることができるから一生懸命頑張れ、と激励を頂いたことがある。私はやりたいことをやり続ける中で、ようやく、その鉱脈を見つけることができたのかもしれない。

これらの問題は、今後私のライフワークとなっていく可能性がある。これからも、時間をかけて勉強しながら、じっくりと考えて行きたい。