花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

韓国の旅(3)

2009年11月07日 | 海外旅行「韓国」

今回の旅は、今までの外国人観光客を対称にした観光コースではなく、韓国人向けの国内旅行コースだった。
ガイドの説明では、韓国も経済成長を遂げ、多くの人が都市に集中して高層ビルのマンションに住み、1日中携帯電話やインターネットに取り囲まれ、高速鉄道、地下鉄、車で移動するようになった。
それに伴い、精神的な安定や時間的なゆとりを十分得られなくなり、人間関係も希薄になって来た。
すると、人間らしさを取り戻すために、休日には都市を離れて田舎の綺麗な空気とスローライフ、自然との触れ合いを求める人達が増えた。
そんな韓国人たちに人気がある癒しの旅行コースが、今回のコースなのだという。
だから今回の行程中、外国人ツアーには、本州から来た日本人ツアー1団体、ヨーロッパ人の1団体に出会っただけだった。

このコースには、3箇所の世界遺産が含まれていた。
水原(スウォン)にある「水原華城(スウォンファソン)」、高敞(コチャン)の「支石墓群」とソウルの「宗廟」だ。

今日は先ず、最初に訪れた「水原華城」について書きたい。
仁川(インチョン)空港には1日目、16;40に着陸した。
この空港の存在は、日本でもにわかに知られる様になったが、2001年に永宗(ヨンジョン)島周辺の海を埋め立てて新しく開港した韓国のハブ空港で、私は今回初めて降り立った。
(今までのソウル金浦(キンポ)空港も、その後国内線を中心に営業している)

仁川空港に着いた時はまだ明るかったが、荷物を受け取り、3列シートで座席数28のデラックスバスに乗り込んだ17;40頃には夕暮れになっていた。
ガイドは、「韓国は、日本より日の出、日の入り共に約1時間遅れます。」と言っていた。
空港を出ると、バスは海上に架かる18.2kmもの長い仁川大橋を渡って仁川市に入った。
それから102kmを1時間半走り、水原に着いたのは19;15だった。
昼食は機内で3時過ぎに食べたため、私たちはそのまま夜の「水原華城」に向った。

ガイドブックによると、李氏朝鮮22代の正祖王は、王位に就けずに非業の死を遂げた父親のために、楊州から水原郊外の華山に陵を移す事を決意し、5.7kmの城郭を築いて新しい都にしようとしたのだった。
1796年に着工したが、その後、正祖王が亡くなって遷都が中止された結果、城は作られず、城郭だけが残されたのだ。
現在は、城郭の内外は市街になっていた。

石とレンガで造った城郭には、当時48箇所の見張り場所があり、その建築様式が多様であることから世界遺産に指定されたのだという。今は43箇所が保存されている。
ライトアップされた城郭に北の「長安門」①②から入り、城郭③に沿って水原川の上に立つ「華紅門」④、高所にあって見晴らしの良い「訪花隋柳亭」⑤と辿りながら、40分間、主に北側を見て歩いた。
東西南北に6つあるという門と見張り場のデザインは、地形に合わせて非常に繊細に優美に作られているのに驚いた。
210年前に設計されたこの壮大な建築に、私は儒教の国、韓国の父を思う子の深い心情を見る思いがしたのだった。

 ① ②

 ③ ④

 ⑤




コメント
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