≪「ザルツブルグ旧市街」観光≫
「ザルツブルグ」の名は「塩の町」の意で、古くから山で採掘される岩塩を主な産業にして発展して来た。
私がこの町を訪れるのは2度目だが、今回はバスの駐車場から徒歩で旧市街に入ったので、前回とは印象が違った。
旧市街は、岩山を掘って造った長いトンネルが出入り口になっていて、反対側は「ザルツアッハ川」に囲まれている天然の要塞といえる場所に造られていた。
(トンネル入り口)
(出口)
また、南西部は「イタリア」の北と国境を接していて、1806年まで「大司教座」が置かれ、ローマ」に告ぐ教会国家を統治していた。
そのためにバロック様式の建築物が多く、歴史地区の1000の対象物と236haの旧市街が1997年にユネスコ世界文化遺産に指定された。
(「レジデンツ」新館と広場の「バロック噴水」)
(「大聖堂」と広場の「マリア像」)
(「ゲトライデ通り」の奥は「ザンクトクラジウス教会」)
アルプスより北の町でオペラが上演されたのは、この町が初めてだという。それ以来、「ザルツブルグ大学」や「大聖堂」などで上演され続け、現在の「ザルツブルグ音楽祭」に引きつがれている。
1756年1月27日に「ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト」が生まれた生家も旧市街にあり、私は前回、彼が使用した楽器や家族の写真、自筆の楽譜などが展示されているその内部を見学している。家の前には相変わらず観光客が多かった。
ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の撮影舞台になった「ミラベル庭園」に行くのも2回目なので、映画がどこで撮影されたかなど知人を案内した。この映画は「ナチス」の追っ手から逃げる家族が画かれているため、政治的過ぎるという理由でヨーロッパでの上映が差し止められたと添乗員から聞いたが、第二次大戦後、ドイツを初めとしてヨーロッパ各国が「ナチス」の政治に多いに反省した筈なのにと不思議に思えた。
また、立派な「ミラベル宮殿」は、1606年大司教「ヴォルフ・ディートリッヒ」が愛人「ザロメ・アルト」のために造営したものだという。現在は市長の住居になっている。
(ギリシャ神話「ペガサスの噴水」)
庭園に行く途中から見た「ザルツアッハ川」とその向こうの丘に建つ「王宮」が、この町の存在感を示していた。
「ザルツアッハ川」に掛かる「マカルト橋」の欄干には、愛の鍵が止められていた。
橋を渡ったところに世界的な指揮者「カラヤン」の家があった。また、庭園傍の公園に「コペルニクス」の大きな像があったが、「オーストリア」との関係は分からなかった。(「コペルニクス」(1473~1543年)はポーランド生まれの天文学者であり、聖職者、医学者、法学者だった。「天球の回転について」という書を著し、「天動説」が信じられていた時代に、太陽を中心として地球が回転しているという「地動説」を発表した)
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