花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設16年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調が重なり、家の回りの生活が主になった。

昨日の伯母の様子

2018年05月19日 | 高齢期の生活全般
昨日の土曜日、午後15時半頃病院に行った。
先ず、看護師に治療の様子などを聞きたいと思い詰め所に行ったら、そこに伯母がいたので驚いた。
寝てばかりなのは辛いだろうと思って、車椅子に座らせてくれたのだそうだ。

看護婦に「昨日からしている点滴は何の目的ですか。」と聞くと、「血液をさらさらにする薬です。」と答えてくれた。
「これで梗塞している血栓を取り除けるのですか。」と重ねて聞くと、「難しい。」という。「既に傷付いた脳の部分を回復する事は、まずできないのでは。」と言われた。
それなら伯母の視力は、もう戻らない事になる。急に視力を失ったら、自分では何もできなくなる。
私との生活も、今までの様に続けられるのかどうか、心配になって来た。

ベッドの手すりには「ナースコール」が取り付けてあったし、また、伯母のベッドの横に薄い「マット」が敷いてあった。その「マット」を伯母がベッドから降りて踏むと、看護師詰め所に連絡が行き、看護婦が駆けつけてくれる仕掛けになっているのだ。
また今日は、手を繋いで、散歩も少ししてくれたらしい。一昨日「入院の問診票」に「趣味は手押し車に掴って散歩すること、歌を唄うこと、漢字の書き取り」と私が書いて置いたからだろうか。
食事も洗面も、目が見えないので全部手助けしてくれているようだ。

伯母に食事の内容を聞くと、「家で食べていたのと同じように料理されているよ。」と言っていた。
同じく「入院の問診票」に、私の調理の仕方(野菜は全て微塵切りにして柔らかくしたもの、ご飯はおかゆではなく、柔らかめに炊いたもの、肉はひき肉なら食べられるなど)を書いて置いたからだろう。
看護師も色々とプロの目で見て考えて、伯母には気を使ってくれている事が良く分かり、2~3週間入院となりそうな今の病院の生活に、ひと先ず安心して帰宅した。

                                  

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昨夕、伯母が脳梗塞を起こして入院した

2018年05月19日 | 高齢期の生活全般
昨日の午前10時半頃までは,、伯母に異常は無かった。鮭の小骨を自分で取って朝食を食べたから。
しかし、私が10時半に庭仕事を終えて家に入ると、伯母の様子がオカシイ。
聞くと「目が見えない。」と言うのだ。「時計を見ようとしたら、何時か分からない。周囲がぼんやりしている。」というのだ。
12時に軽食を出したが、「何がどこにあるか見えない。」というので、私がスプーンで食べさせた。

それから慌てて午後は2時から診察がある行きつけの眼科に車を走らせ、視力検査、眼底撮影をした後で診察を受けた。
眼科医は、「視力が凄く落ちましたが、眼底に以前の写真との変化は見つかりません。この後、「脳神経外科」を受診して下さい。」と言って、紹介状を書いてくれた。

そのまま伯母を連れて、今度は近くの総合病院へ直行し「脳神経外科」を受診した。
脳の断層写真を撮影後、医師から「大変な事が分かりました。左大脳の光を感じる部分に「脳梗塞」が起きています。このまま入院して原因を探し、リハビリをしますから。」と言われた。
しかし、幸いなことに「命に別状はありません。」とも告げられて安心した。

その後、入院手続き書を書いたり、病棟担当者との面談などをするのにかなり時間が掛かったが、その後、一旦家に戻り、期間が分からない入院生活に必要な生活用具や下着などを揃えて伯母の病室に届けた。
看護師が「全てのものに名前を書いて下さい。」と言って、サインペンとビニールテープを渡された。それでスプーンやフォーク、湯飲み、スリッパの果てまで記名した。

伯母は難聴に加えて視力まで0.01になってしまったので、無言でベットの上で寝ていた。
小さいラジオを持参したので、元気になれば聞いて過せるとは思う。
目が見えなくなった事は、伯母にとって物凄い衝撃だろうと推察した。
しかし、問診票で「大変な状態になった時、病名や余命を知りたいですか。」という質問があった。それには「知りたい。」と答えた。実に気持ちがしっかりしている人だ。

私が昨夜帰宅したのは、21時近かった。
遠くにいる娘と私の札幌の妹に事の顛末を連絡して、何かの時の助けを求めた。

それにしても伯母は運が強い人だ。「脳梗塞」になったのは週末の金曜日だったから、2つの病院の診察を受けられた事。土曜の今日ならそうは行かなかった。
それに「脳梗塞」を起こした場所が、命に別状が無い場所だった事だ。
さらに、私が傍にいた。もしも私が、外国旅行にでも出ていて、いない時だったら、「ショートステイ」の施設では大変だったと想像する。
後は病院に任せて、一日も早い視力の回復を待つばかりなのだから。
                               
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