花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

「フィリピンの旅」(1)

2015年01月06日 | 海外旅行「東南アジアⅠ」フィリピン・インドネシア

寒い北海道を抜け出して、明日から「フィリピン」に出かける。
ツアーの出発は8日からだが、羽田空港出発が9;35の予定なので、明日家を出て羽田に前泊するのだ。
所が天気予報が問題で、今日は予報どおりの雨だが、明日から2日間は猛吹雪になると言うのだ。
新千歳空港は雪に弱い空港なので、行くことができるかどうか気を揉んでいる。

旅行は7日間だが、最終日の帰国時刻が19;55なので、帰りも私は後泊して、北海道に戻るのは翌日15日午前中になる。
北海道に住む私には、日程だけでも今回も一番余計な時間とホテル代がかかる旅行になるが、止むを得ない。

今回「フィリピン」に行く事にしたのは、この時期は北海道が寒いので、暖かい所に行きたいというのが第一の理由。「フィリピン」の平均気温は25~30度というから、11月に行った「メキシコ」の気候に近い。「メキシコ」旅行の時に用意した真夏の服装をほぼそのまま持参するつもりだ。

それと近隣国の中で、まだ行っていない国の一つであることがもう一つの理由だ。
日本の南に位置する近隣国なのだが、政情が安定していなかったり、治安が余り良くない国という思いがあって今まで避けて来た。しかし、一度は実際に自分の目で見てみたいと思う。
首都「マニラ」までは飛行機で僅か5時間しかかからない。時差も-1時間なので、体の負担は少ない筈だ。

日程を見ると「ルソン島」「レイテ島」「セブ島」「ボホール島」を高速船や飛行機で周遊し、「レイテ島戦跡巡り」や「小学校訪問」も予定されている。

先日TVのBSドキュメンタリーで見た「憎しみと許しーマニラ市街戦その後」は、やはり衝撃的だった。
第二次世界大戦末期に1942年から日本が支配していた「マニラ」に1945年2月9日アメリカ軍が進駐して来て市街戦になった際、日本軍は多くの市民を殺戮したのだった。
その後、200人を超す日本兵が米軍に捕らえられて「モンテンルパ」刑務所に収監され「死刑」判決を受けた

フィリピンが独立した後は、刑務所の日本軍の処置はフィリピン側にゆだねられた。大統領が死刑の執行にサインして死刑が執行された人は1951年1月までに計17人だった。
自らの妻や子どもを日本兵に殺された「キリノ大統領」であったが、彼の「許し」の決断による「特赦」により1953年6月23日108人全員が日本に戻された。
帰国後引き続き「巣鴨」の刑務所に最後まで収監されていた死刑囚も、その年の12月30日、「キリノ大統領」の「恩赦」命令で最終的に罪を許されたのだった。(その後の選挙で彼は国民の反発を受けて落選し、2年後に病死したという)


東南アジアには、こうした戦争の生々しい歴史が残っていて、住民感情も日本に必ずしも好意的とは言えないから、やはり安易な気持では行けないと思っている。加害者は忘れていることでも、被害者の側の傷は深く消え難いのだから。

先ずは明日、新千歳空港から飛行機が無事に飛ぶ事を願っている。
旅行中、ブログを休むのでどうぞ宜しく!

(寒い玄関に置いてある「茶花椿」が開花した) 
          




コメント (5)
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