《観光3日目の午前中ー『普光禅寺』『土家風情園』》
旅行4日目(観光3日目)の朝、1人で早めに食堂に行くと、昨日テーブルで会話した韓国の方達がいつの間にか右の隣席に来ていた。すっかり旅友気分で食事した。
すると見知らぬ韓国人の若夫婦が左側に来た。夫君は日本語を少し勉強しているらしく私に話しかけて来た。
「このホテルには韓国人が沢山いますが、日本人は少ないです。ここは韓国では有名ですが、日本では知られていないのですか。」というのだ。私は「まだ余り知られていない事もありますが、何より去年の津波災害で、まだ立ち直っていない人が沢山います。」と答えると、「日本の放射能は、まだ危険なのでしょう?」と聞いて来たので、「危険箇所は今ではもう福島県の一部だけです。他は大丈夫ですから、是非美しい日本にも来て下さい。私は北海道ですが、大勢の中国人が来ていますよ。」と言った。
短時間だったが、隣国の旅行者と触れ合えて良かったと思った。
食後、またホテル近辺を散策した。漢方薬局、日用品店を覗いて見た。交通量が多い道路の両側には、街路樹としてタイサンボクの木が植えられ、大きい白い花が沢山咲いていて北国の私には珍しかった。
8時半に観光3日目の出発をした。午前中は張家界の市内観光だった。
最初に向かったのは張家界市の中心部にある『普光禅寺』だった。
ここは300年前の1413年に清朝時代の皇帝が建てた寺だ。ガイドの説明では、いつかは滅ぼされるという夢を見た皇帝が、自分の敵になる土地を探し当てた所、ここに寺を建て、自分よりも強い者が出ないように祈ったのだそうだ。張家界の寺の始まりはそんなものだったと言っていた。
隆盛時には寺80箇所、僧侶200人が居たらしい。良く見ると300年の年月を経た威厳が感じられる寺だった。
次は『土家(トゥチャ)風情園』だった。
そこは土家族の王が建てた木造の城『土司城』で、土家族の祭祀、行政、祈祷、祝賀行事を行って来た民族の聖地らしい。
私たちが入り口に向かうと門の横の高床式の建物からラッパと太鼓が鳴らされ、民族衣装を着た娘たちの歓迎の歌と酒で迎えられた。
『土司(ツシ)城』内に入ると城には白龍が配してあった。屋根から落ちる雨水を金色の亀と蛙の造形物が受け止めていた。水を大切にすると金持ちになるという言い伝えを表すそうだ。
内部には当時の手の込んだ木彫細工の額や生活用品などが展示されていた。
また、土家族の娘が結婚する時に、寝室で家族との別れを悲しんで3日間泣き暮らす習慣を劇風に見せてくれた。それには泣き屋も雇われたそうだ。
女性が身につける銀製品が有名だが、最上階には銀製品店もあった。
現在、中国の最大の民族は漢族である。しかし、かっては多数の少数民族が全土に住んでいた。彼らは戦いを好まず、軍事的にも弱小だったため、次第に国の南部や西部の険しい山岳地帯に追いやられて行ったのだ。今統計上は国内に55の少数民族がいて、それぞれ伝統を受け継ぎ、ある民族は今でも自給自足に近い生活をして暮らしているのである。
こうした事実に触れると、電気、ガソリン、多くの機械や近代産業の恩恵を受けて暮らしている私は、いつも驚きと疑問を抱く。しかし、そこに人間の原点を見る思いがして尊敬してしまうのである。彼らの民族的な生活は、いつまで守り続けて行けるのだろうか。
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もう1回分の最後の報告は、イギリスから帰国後に掲載します。sonata