花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

北イタリアの旅(10) ボローニャ・モデナ・パルマ

2010年11月11日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅡ」北イタリア・南イタリア

7日目はボローニャの市内散策から始まった。
ボローニャは13世紀に北と南の交易地として栄えた城壁に囲まれた町だ。
また町中に天井の高い柱廊(アーケード)、「ポルティコ」が全部で42kmも張り巡らされている町でもある。この「ポルティコ」は、雨と強い日差しから通行人を守って来た。
現在はエミリア・ロマーナ州の州都として栄えている。

私たちは「ポルティコ」の下を10分程歩いて、マッジョーレ広場に行った。広場には16世紀に造られた町のシンボル、ネプチューンの噴水があった。①
またローマ法王庁の直轄地になった時に、高官が建てたというコムーネ宮殿②があった。

 ① ②

角を曲がると、電車通りの向こうに有名な斜塔が見えた。③
この町には、12~13世紀頃、有力貴族が競い合って建てた塔が一時189もあったというが、今残っているのは少ないらしい。
高さ97mのアシネッリの塔には498段の階段があり、上へ登れる。上がないガリセンダの塔は、3mも傾いていて危険になったので建設が中止された塔だという。
時間があれば私も塔に登るところだが、残念ながら登れなかった。

                              ③

また、1088年に創立したヨーロッパ最古のボローニャ大学がある町としても知られている。




その後、ボローニャから北西に44kmの町、モデナへ行った。広く知られているこの町の出身者は、ルチアーノ・パヴァロッテイ、エンツォ・フェラーリである。
パヴァロッテイ広場で近郊都市の食の市が開かれていて、並んだテントの下でモデナで作られるパルミジャーノチーズ、バルサミコ酢、ワインなども売られていた。
写真④は、大きく固いパルミジャーノチーズをカッターで切りながら売る店の様子。⑤はジャムやバルサミコ酢を売る店。
液体は重いし、割れる危険もある。またチーズは、途中で発酵が進むと味が変わるかも知れないので買わなかった。美味しそうだった生栗を自分の土産に買った。

 ④ ⑤

ところで、ランチを食べたレストランで、塩辛い子牛のハム(ブレザウラ)⑥と濃厚で塩辛いチーズリゾット⑦、デザートにアイスクリームが乗ったミックスフルーツが出た。私はどれも半分も食べなかったのだが、その後バスの中で胃の調子が悪くなり、トイレ休憩した時に吐いてしまった。歩けない程のひどい目まいもして来て友人の世話になった。添乗員氏も心配してくれた。
ホテルで夕食を抜き、一晩寝たら治ったので良かった。きっと食べなれないものを食べて、胃が拒絶反応を起こしたのだろう。
それにしても今回3回出されたリゾットは、どれも米に芯が残ったものだった。ヨーロッパ人は米を洗わず、水に浸漬もせず、スープにパラパラと生米を入れ、加熱も15分位なのだからこんなものができるのだ。私の様な胃腸が弱い日本人なら、毎食後、消化薬を飲んでいても消化不良を起こしてしまう。
  
         ⑥ ⑦




次はモデナの北西60kmにあるパルマに行った。16世紀にはイタリアの文化芸術の中心都市だったという。
現在、人口18万人のこの町は、パルメザンチーズと生ハムで名物である。
ここでは、雨の中、クーポラの天井に描かれたコレッジオのモザイク画が有名なサン・ジョバンニ・エヴァンジュリスタ教会⑧と、コレッジオが描いた聖母マリアが雲の中を昇天して行くクーポラのフレスコ画があるドゥモ⑨⑩を見学した。
ドゥモは12世紀に建てられたものだが、13世紀に建てられた鐘楼は改修工事中だった。
残念ながら両方のフレスコ画とも余りに高所にあって、目を凝らしたが良く見えなかった。
洗礼堂の後ろに空中庭園を造っている家があった。⑪

パルマ観光の後、118km北西の町、ラ・スペツィア迄行って、ホテルに泊まった。

      ⑧ 

 ⑨ ⑩

                            ⑪

コメント (3)
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