花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

忘れっぽくなった私

2007年08月01日 | 医療・健康・食生活・衣生活
 一昨日、家を戸締まりして出掛けたのだが、JR駅に着いてから、窓を1カ所閉め忘れた事に気づいた。
 しかし、家に戻って確かめる時間はない。札幌駅に着いてから公衆電話を探して、日頃お世話になっている近所のA家の電話番号を調べ、窓を見て頂く事にしようと思い立った。
 所が、札幌駅の公衆電話の傍には、企業の電話番号が載っている分厚いタウンページは数冊置いてあったが、個人名の電話帳がないのだ。すっかり困ってしまった。

 色々考えた末に、地元の警察に連絡して、パトロールのお願いをしてみる事を思いついた。そこで電話帳を調べ、警察に掛けて事情を話し、巡回をお願いした。そして、もし開き戸の窓が開いていたら、外から押しておいて欲しいとお願いして、やっと安心して一泊の登山に出掛けた。

 昨夜帰宅し、家に入るなり心配だった窓の鍵を調べた。何とちゃんと内側から鍵が掛かっているではないか。閉め忘れたと私が思い違いをしていた事が判ったのだ。新聞受けを見たら、「異常がありませんでした」と書かれたパトロール報告が署名入りで入っていた。

 今朝、警察署にお礼の電話を掛けた。
 と同時に、今後のためにA家に行き、何かの時のためにとお願いして、電話番号を教えて頂いた。快く教えてくれた番号を聞いてびっくりした。我が家の電話番号と1番違いだったのだ。

 今回の事を振り返ると、最近は歳と共に物事を忘れっぽくなって、いよいよ周りの人に迷惑をかけるようになって来たのである。全く困ったものだが、同じ間違いを繰り返さない様に、次回から出掛ける時には余裕を持って点検するなど、心したいと思った。残念だが、歳を取るということは、次第に悲しい事も多くなるなぁ。

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ユニ石狩岳登山

2007年08月01日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 昨日は、3週間前に富良野岳に登った友人と一緒に、あるグループが毎年一回行う登山ツアーに参加し、「ユニ石狩岳」1745mに登って来た。
 続けての登山だったので、膝に脱力感があり心配したが、薬局で求めた生ゴム製のバンドを朝から両膝に装着して行ったので、膝が適度に固定され、違和感なく最後まで登山ができて良かった。

 登山の前日、友人と札幌駅で待ち合わせ、特急で旭川に行った。旭川駅前には送迎バスが来ていて、それで層雲峡温泉のホテルまで行った。
 レストランでバイキングの夕食をしていたら、数年前に黒岳~旭岳コースを縦走した時に一緒だった男性の知人2人を見つけ言葉を交わした。懐かしかった。彼らは今年も5時半出発の過酷な縦走コースなのだという。
 また、数年ぶりで大学時代のクラスメイトにも会った。彼女は夫婦で参加していたが、私達とは別のコースだった。

 翌朝6時出発なので、5時にモーニングコールのセットをして早めに布団に入ったが、どうした訳か頭が冴えてさっぱり寝付けない。睡眠導入剤を飲んだけれど、結局、寝たのは2時間程だった。

 5時前に起きた。不眠だった事が心配だったが、体調は悪くはないので支度をし、朝と昼の弁当とお茶2本を受け取って、6時にバスで登山口に向かった。バスに乗るなり、みんなで早速、お握りを頬張った。
 層雲峡と十勝三股を結ぶ国道273号線を走り、人造湖の大雪湖を左に見ると、間もなく右に「ユニ石狩岳登山口」の標識が見えた。バスがそこから右側の林道に入ると直ぐに上川営林署が管理するゲートがあった。添乗員が営林署に電話で鍵の番号を問い合わせてゲートを解錠し、バスはそのまま狭い川沿いの林道を、約4,5km奥へと進んだ。

 やがて樹林に囲まれた車10台程が駐車できる広場に突き当たった。そこが車止めで、登山者名簿を記録する小さなボックス、地形図が書かれた立派な立て看板があった。「ユニ石狩岳」は標高差が635mあるとガイドブックに書いてあったので、ここはすでに標高1110mもあるのだ。私達はガイド氏の指導で5分間程体操をして筋肉を伸ばした。

 7時5分登山開始。私達の「ユニ石狩岳」登山コースには、23人の参加者に対して北海道山岳連盟認証の登山ガイド3人(男性2女性1)と添乗員1人がついてくれた。
 しばらくはユニ石狩川に沿って薄暗い原生林の中を歩いて行った。鶯の甲高い鳴き声が私達を歓迎してくれた。山鳩もいた。
 先頭のガイド氏が笛を吹き鳴らした。今のは何のためか聞くと「熊さんに入山をお知らせしました。」という返事だった。人の気配を知ると、熊は警戒して近づいてこないらしいのだ。
 間もなく丸太を3本組み合わせた橋が架かった場所に来た。「ゆっくりと一人ずつ順番に渡るように…」というガイド氏の注意を受けた。全員が渡りきるのに時間がかかった。そんな橋がもう一カ所あった。

 次第に道が一人通れる幅に狭まった所で、ガイド氏から「今の気温は10度です」と知らされた。なるほど空気は本当にひんやりとしていたし、湿度が高いので呼吸が楽だった。また、白い可憐な花を付けたゴゼンタチバナ草が、足元に沢山咲いていた。たんぽぽ状の白い花をつけた磯つつじやうす桃色のほたる袋もあった。
 
 やがて登山道脇の山肌が苔むした岩れきの斜面になると、直径10cm前後の穴が沢山空いた場所になった。ガイド氏は「なきうさぎの巣です」と説明してくれた。時折、高いトーンで「チチッ!チチッ!」と鳴く声が聞こえたが、早朝のためか、ついに姿を見ることはなかった。途中には「鳴兎園」の看板もあるそんな穴だらけの斜面がかなり長く続いた。(写真)
 なきうさぎは7~1万年前にシベリアから北海道に南下してきた動物の生き残りだといわれていて、凍結風化しても砂状にならない花崗岩や火山岩などでできた岩場を住処にする体長15cm位の動物である。5~6月に繁殖し、6~7月に出産するらしいので、穴の奥には沢山の子どもがいたのかも知れない。
 友人が、氷河期以来何万年も絶える事なく生きてきたなんて凄い動物だね、と感心していた。私は気候変化が少ない土の中で生息したからではないかと思った。
 (www.hakuyukai.or.jp/kawamura を検索して鳴き声を聞いたら、昨日、私達が聞いた鳴き声は低めだったので、どうやら警戒の時の声だった様だ)

 しばらく進むとユニ石狩岳の西側斜面が崩れてできたという「大崩れ」に来た。随分高い場所から沢に向かって崩れた岩がゴロゴロと折り重なっている所を、私達は注意しながら越えていった。乗ると動く浮き石もあったし、足をどの岩に乗せたら良いのか困る様な場所もあって、気が抜けなかった。

 やっと「大崩れ」を越して振り返ったら、樹木もなぎ倒されたために見通しが利くようになっていて、遠くに残雪を抱いたニセイカウシュッペ山、1878.9mが美しくそびえていた。(写真)

 谷に残雪が2カ所あった。ガイド氏は雪の厚みを確認し、安全な場所を選んでガイドしてくれた。所が、最後の人が、少し中央側に足を乗せたらしく、穴が空き、2m程下の沢に落ちるというトラブルがあった。怪我はなかったが、本人はショックだっただろうと気の毒だった。(写真)

 やがて規模の小さな岩崩れを越えて進むと、はい松とつつじ、クロウスゴの低木樹林の中に入って行った。先頭のガイド氏が、狭い登山道を塞いでいる枝をハサミで刈りながら進んでくれた。
  
 岩が積み上がった傾斜の緩い広場がある「十国峠」1576mでリュックを下ろして休憩した。
 その時初めて、眼前に聳え立つ山が私達の目指す「ユニ石狩岳」だと知らされた。凄い高さの美しい山だが、その急斜面に頂上に向かって伸びている登山道が見えた。(写真)

 ガイド氏から「もう一頑張りだよ」と言われて立ち上がり、一端50m程下ってから頂上を目指した。標高差200m以上の所を途中から私は列に付いて行く事ができず、休み休みゆっくりと登った。中程でリュックを道の端に下ろして、お握りと水だけ持ち、身軽になった。頂上近くの岩れきの所々に、短い夏を惜しむようにピンク色の花をつけたコマクサがへばりついていた。

 頂上は、涼しい風が吹く360度の大絶景だった。南西には2012.7mの独特な姿を見せる「二ペソツ山」、西には「1966mの石狩岳」「1932mの音更山」、北側には西端に北海道の最高峰「旭岳2290.3m」から連なる表大雪連峰が残雪を抱いた雄大な姿をはっきりと見せていた。
遥か東南方向には、阿寒の山々や「斜里岳」もうっすらと姿を見せていた。阿寒湖の上には真っ白く雲海が広がっていた。お握りを食べてから、写真を数枚撮って記念にした。(写真)

 結局、登り3時間、下り2時間半かかった登山だった。途中出逢った人は、登山に来た2人と、なきうさぎ園で観察しているらしい2人だけだった。
 バスでホテルに戻って新しい露天風呂に浸かり汗を流したら、ほとんど疲れは感じなかった。友達もそう言うので、「きっと登山用の筋肉ができたのかも知れないね。」と話した。

 旭川駅までバスに乗り、駅ホームに入っていた札幌行きのJRの特急に飛び乗った。来年はどんなコースに参加しようか、などと話しながら2時間で札幌に着いた。今回は天気と良いガイドに恵まれ、変化のある静かで素晴らしい山への登山だった。
 

 

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