今日は花友さんを誘って少し遠くの「スーパーマーケット」と「野菜農家直売店」に行ったが、帰りに思いついて昨年まで時々散歩で訪れていた公園に立ち寄った。
当地は朝の気温が氷点下になった日が今朝を含めて3日程あったので、紅葉はもう終盤を迎えていたが、綺麗だったので帰宅後カメラを持って、再度行き、写した写真だ。
自然は四季折々に素晴らしい輝きを見せてくれるが、今回は一気に冬の足音が近づいて来たように思えた。
下は庭の「コムラサキ」だ。
今日は花友さんを誘って少し遠くの「スーパーマーケット」と「野菜農家直売店」に行ったが、帰りに思いついて昨年まで時々散歩で訪れていた公園に立ち寄った。
当地は朝の気温が氷点下になった日が今朝を含めて3日程あったので、紅葉はもう終盤を迎えていたが、綺麗だったので帰宅後カメラを持って、再度行き、写した写真だ。
自然は四季折々に素晴らしい輝きを見せてくれるが、今回は一気に冬の足音が近づいて来たように思えた。
下は庭の「コムラサキ」だ。
私が昨年から野菜栽培を手伝っている方が、先日満90才になった。年齢的に見て本当に元気な方だ。多分、20才代で脳梗塞になり、その後遺症の障害を抱えている末の息子さんの面倒を30年近く見ている方なので、毎日その息子さんと一緒に緊張感を持ち続けて生活して来た事が、心身を支えているように思う。
誕生日には我が家の庭の花を摘み取って花束を作った。その他に果物とお菓子を添えて差し上げた。
その時に、望んでも元気な90才を迎えられない人も多い中で本当にお目出度い事だから、記念の写真を写させてもらえないだろうかとお願いした。薄曇りで風がない日が撮影には良いのだが、なかなかそんな日が来なかったので、昨日、秋晴れの下で写した。
自分の写真を撮るのは久し振りだと言う。早くに亡くなった夫君が植えてくれたという思い出の「むくげ」の木の花や季節の「秋明菊」を背景にして10枚ほど撮った。下はその内の1枚をぼかして載せた。90才の記念にしてくれたら嬉しい。友人には今後も元気で、できれば100才を目指して欲しいと思っている。
今日は慢性鼻炎の薬が無くなったので、耳鼻科に行った。その途中、犬を4匹つないで散歩している男性に出会った。近づきよく見ると懐にも更に子犬を1匹入れていた。全部で5匹だ。車を運転しながらその姿が滑稽で大笑いしてしまった。犬の散歩の仕方も色々あるんだと思った。
耳鼻咽喉科の病院では待合室が狭いので、いつも患者がビッシリなのだ。それで半年ほど前に行った時、「私は持病のある高齢者なので、ここ以外の場所で待ちたいのですが。」と言ったら、奥の誰もいない小部屋に案内された。今日は数人しか待合室にいなかったが、やはり別の場所に通された。
そして、医師がわざわざ診察室から私が待つ場所まで来てくれて、簡単な診察と投薬の話をしてくれたのだ。個人の医院だからできることなのか、患者思いの医師だからできることなのか、とにかく感動した。
そして後半、コロナのワクチンを打ったかどうか聞かれた。1回目を済ませたと言うと、「2回目も必ず打って下さい。免疫力が高まりますから。」と念を押された。来た患者全員にワクチンを勧めているのかも知れないが、熱心な医師の態度に感銘を受けた。
その後、普段は遠すぎて行かないスーパーに立ち寄った。入り口の両側にバーゲンセールの商品が積み上げられていた。なんとその中に数種類の「スナック菓子」があったのだ。
「スナック菓子」は油で調理されている。使われている油は椰子の実から取る「パーム油」などで、高温では酸化しやすい油だ。今日のように真夏日の高温の日に、太陽に当たる外部に積み上げて販売していると、油が酸化して商品価値がなくなってしまう。その店の商品知識の欠如に驚いた。
店内で働いていた女性店員に、担当者に伝えて欲しいと話したが、果たして販売場所を室内に変えたかどうか気になったので、先ほど改めて店の責任者に電話を掛けた。その方は「ご指摘の通りです。」と言ったので、今後気を付けるのではと思う。
昨日は例年よりもかなり早く、札幌の桜が開花したと報じられた。16日に行って見た「水芭蕉」はまだ3分咲き程度だったので、今日、写真が好きな友人を再び誘って公園を再訪して来た。
7日経ったが、気温の低い日が続いたので、今年の水芭蕉は開花した苞が少しいじけているように見えた。
小さな湿原の高い雑木林では、春を告げる小鳥たちの鳴き声が響いていて、「ホーホケキョ」というウグイスの声も聞こえた。まだ葉が出ていない高い木々の梢を探したが、とうとうウグイスは見つけられなかった。しかし、雀の半分ほどの大きさの鳥が傍の木にとんで来たのを見つけた。雀に似た「チュンチュン」という声で鳴いていたので、巣立ったばかりの小雀かもしれない。
帰路、スーパーマーケットに寄って食料品を購入し、帰宅した。
当地は三月末は比較的暖かかったが、この所、朝は氷点下の気温で、昨日の朝などは夜の内に降った雪が庭に真っ白に残っていた。
今朝、この時期に数年通い続けた水芭蕉公園に、花友さんを誘って行ってみた。
まだ「水芭蕉」は4~5日早かったようだが、「座禅草」が良い感じに水面に顔を出していた。
二つともサトイモ科の多年草で、「水芭蕉」はミズバショウ属、「座禅草」はザゼンソウ属だ。この植物の花は、黄色い「内穂花序」で、後部の花を包み込む苞は「仏炎苞」である。
「座禅草」は僧侶が仏炎を背に座禅して祈っている姿に見えるので、この名がついたらしい。「水芭蕉」と違って、水が流れない場所に繁殖するという。
「水芭蕉」の花言葉は、美しい思い出。「座禅草」の花言葉は、ひっそりと待つ、または沈黙の愛だそう。今、私もなかなか来ない新緑が萌え出す春の訪れをひっそりと?待っている身だ。
風が冷たかったが、1年ぶりの湿原で、ひととき心安らぐ時間を過ごした。そして今年も元気で早春の清々しい景色に出会えたことに感謝した。
昨日は立春だったが、当地はこの所、寒気と暖気が交互に来ている。また、日差しが強まって来たので、昼に表面が溶けた雪の路面が夜から朝に掛けて凍結し、スケートリンク状になる。
一昨日、散歩に出たら丁度そんな路面だったので、一歩ずつ足を出す場所を確認しながら、下ばかり見て小幅で歩いて来た。お陰で片足が滑りかけたが転ぶことはなく5800歩を何とか歩いた。
ところがである。乳児や幼児を前に抱いて歩いている若い母親達とすれ違ったのである。もし、片足が滑ったり、あるいは滑って転んだりしたら、必ず子供を放り出しかねないのだ。ぞっとした。
もしも、子供を凍結路面に投げ出したら、乳幼児はどうなるだろうかとそんな想像ができないのだろうか。すれ違った後で、暫く私は考え込んでしまった。
私が子供を育てた時代は、自分の背中に紐でおんぶし、大きい厚手のコートを子供ごと着て歩いたものだった。転んだ記憶は無い。
今の親たちの考えを、聞いてみたいと思ったできごとだった。
私も転倒して頭を打ったり骨折したりしたら大事なので、暫くは路面状況を確かめてから散歩したい。昨日は車で図書館まで行って来た。
昨夜は時々雨音が聞こえていたが、結局、小雨が今日の10時過ぎまで降り続いた。
昨年の日記を見ると、1~2月に雨の記録はないから、この時期の雨はやはり珍しいのだと思う。
気温は1度と高いので、積雪は少しずつ溶けるだろう。屋根からの落雪も心配だ。
そして夕方から明日に掛けてまた氷点下の気温に戻る予報なので、道路の表面は雨が凍結してスケートリンクになると思うと、車の運転も歩行も心配になる。
居間の窓辺に置いてある鉢の花の内、開花している花の写真だ。
「アザレア」
「香り椿」
「茶花椿」
「シクラメン」
11月10日に葉が出始めた「シクラメン」の写真を載せたが、2ヶ月半後の今、花芽が幾つか立ち上がって来た。もうすぐ開花し始めると思うと、期待が高まる。
今日は10時過ぎから雪が降るという予報だったが、朝は晴天だったのでスーパーに車で出かけた。
買い物をして外に出たら、凄い吹雪になっていて驚いた。
取り敢えず車に積もった雪をよけて発進したが、「ホワイトアウト」というのだろうか、2m前が見えない。ワイパーを高速にして時速30km程でゆっくりと走らせた。
何とか信号機の色は分かったので良かったが、道路の端にも雪が積もっているためどこが端かが分からないので、凄く恐ろしい。歩道が無かったら、歩行者にぶつかっていたかも知れない。対向車もライトをつけて来るので、ギリギリでぶつからないように交差する。
通常なら家までは20分ほどの距離。何時も通る近道は止め、幅の広い道を選んだ。信号機10カ所、線路の踏切1カ所あったが、凄く長く感じられた。やっと家に着いて車庫に入れてホッと息を吐いた。
今日の猛吹雪の状態は、車を運転するようになってから3度目くらいかも知れない。一番恐ろしかったのは、50代に職場から札幌市郡部の田舎道を帰宅中、急に吹雪き出して前も横も見えなくなった。止まることも考えたが、追突されそうでやめた。その時は夕方だったので、薄暗い中を必死で運転した。
(翌日、上司のところへ行き、昨日の恐怖を話してから、できれば住まいの近くに転勤させて欲しいと願い出た)
帰宅後ニュースを見たら、沢山のJRや飛行機が、運休、欠航を決めたと言う。
本当に今日は命拾いをした。
時々吹雪が止むので、その合間に除雪を3回した。
予報ではこの後もまだまだ吹雪くらしい。大きな事故が起きないことを祈るだけだ。
※ 窓辺の「香り椿」と散った花。とても良い香りがする。
1月5日は、私の父の命日である。昭和26年に39才で亡くなったから、70年忌になる。
出征先で結核になり、帰国させられてから6年間療養したが、戦中戦後は日本の医療が遅れていて、抗生物質もアメリカから輸入できず、若すぎた無念の死だった。父の死後2年経って、ストレプトマイシンが輸入されると、当時多数いた結核患者は、ようやく救命されたと聞く。
私にとっての父の面影というと、奥の8畳間に置かれたベッドに寝ていた姿、病院の小さな個室で横たわっていた姿しかない。
今のように病院に付き添い人がいない時代だったから、母親は病院でずっと付き添いをしていて、私は祖母の家や伯父の家に預けられていたから、小さい頃の母との思い出も少ない。
感染を心配したらしく、入院中の父に会いに行ったのは数回も無いが、その時父が私に「退院したら、飛行機に乗せて東京に連れて行くから。」それと「お前は病気を治す医者になれ。」と言った言葉を覚えている。「東京に行く」というのは、多分、父自身の夢だったのだろうと今になって思う。
当時は女性が働く職場は無いに等しかったので、未亡人になった30才代の母は、女学校を出た人だったが内職に頼った生活を余儀なくされ、母子家庭の我が家は本当に貧しかった。
私は高校に入った時から育英会の奨学金を借りて通学、卒業した。その3年間借りた奨学金は、2/3は無償だったが、1/3は働くようになって直ぐに返還した。高校時代は、経済的に安定できる職業に就いて母親を引き取り、最後まで面倒を見たいと勝手に思いながら一生懸命勉強した。
結婚後、母を引き取って生活を共にし出したのもつかの間、2年半後に母は肝臓の病気になって、あっという間に病死した。苦労した母親に経済的な心配のない楽しい生活を何時までもさせたいと願っていたが、長続きしなかったことが残念でたまらない。
そんな両親を見て育ったので、私は女性も例え結婚したとしても配偶者の収入だけに安住せず、不確定な人生のためには経済的な自立が必要だと信じて今までやって来た。家事、育児とフルタイムの仕事の両立がまだまだ大変だった男性優位の時代を必死で切り抜けたが、振り返ると父の早逝後の母の苦労を見て来たお陰で頑張れたし、老後の今の暮らしがある様に思う。
※窓辺で開花した「椿」
昨年は世界中が「新型コロナ」に明け暮れ、自粛とマスク生活、人との密接な交流を避け、手洗い、消毒を入念にする前代未聞の1年だった。
世界中で大勢の感染者が回復せずに亡くなった。家族であっても感染を避けるために、見舞いも介助も、重症者へ最後の言葉をかけて手に触れる事さえできなかった。
人々は年末には感染の拡大も下火になって欲しいと願ったが、新たなウイルスの変異が見つかり、今は第3波の様相を呈している。
年末からはイギリス、アメリカで新しく開発された「新型コロナウイルス」のワクチンが投与されだした。その効果はまだ明らかでは無い。
このウイルスは、絶滅することは無いという。ならばこの先、確実に私達は今までの生活を変えなければならないだろう。
仕事、教育、物資の販売などの分野で、インターネットを介したやりとりが広く実行されるようになったが、やはり直接、人間が顔を突き合わせ、表情を見て感情や考えを推察し、言葉のやり取りをしながら「ホモ・サピエンス」特有の「協力しながら事を進める」という従来のやり方が、効果的、人間的だという意見も多い。私もそう思う。
家族の生活は、どう変えれば良いか。経済格差によって、貧困層は生活スペースが不十分な事が多い。特に低開発国の、1つの空間に数人が寝起きしなければならない生活を、何とか変えて行かなければならないだろう。
また、清潔な水の確保ができないとか、産業が未発達で教育も未整備だという国や地域の改革も必要だ。また、抵抗力を保持するための十分な衣食住も大切だし、命を守るための最低の医療を保証することも大切だ。
この1年間は、先進国と言えどもコロナの感染者を受け入れて医療処置をするベッドや医療従事者が不足している現状なのだから、世界的にパンデミックが起きた場合の対策が不十分だったのは、確かだと思う。世界中に感染者を治療するハードとソフト、そして今始まったワクチン接種を必要とする全ての人に届けなければならないと思う。
それには各国の「社会福祉政策」と「医療政策」「経済政策」などを待つ以外にはないのだが、感染が世界的な規模で拡大する今は、遠い国だからとか、低開発国だから等と言って、先進国が見ないふりをすることができなくなっている。
「新型コロナ」は、今まで国内、国外に当たり前にあった「格差」の解決も、本当に重要だという事に気づかさせてくれている。
今年は、何とか平穏な生活を国内だけではなく、世界中に取り戻したいと強く望む。このような国民の願望を受け止めて、沢山の財政を運用する各国政府、特に主要国の政府、そしてWHO、ユニセフ、国連が、状況を分析するだけでは無く、今後の対策を真剣に英知を集めて考え、実行して欲しいと願っている。
つい書き出したら、最後は大事になってしまったけれど、新年に当たって望む今の私の偽らざる気持ちだ。
個人的には、1年経っても十分に回復していない左膝の痛みと、時々胸が固まるようになる症状、高血圧と糖尿病を何とか改善したいこと、そして、小さな喜びを見つける日々をおくりたいと願っている。
また1年、このブログを通して、ささやかながら暖かなお付き合いをお願いいたします。
いつも散歩に行く公園で、周りの紅葉が進み出した。銀杏の葉も黄色く成ってきている。薄暗くなる時間だったが、今日の色は明日は違う色になっているだろうと思ってシャッターを切った。
「ナナカマド」の実が真っ赤だ。
落ち葉も美しかった。この時期だけに見ることができる静かなたたずまいだ。
暫くすると渡り鳥の鳴き交わす声が聞こえてきた。もう薄暗くなった空を見上げて、どこを飛んでいるか探す内に、見つけてみたらもの凄く遠い。でもカメラを持っていたのでズームを最大にして写した。それでもこんなに遠かったので鳥は小さい。多分首が長い「オオハクチョウ」だろう。珍しく1列で飛んでいった。
春に日本から北に帰り、シベリア当たりで繁殖を済ませた渡り鳥達がまた帰ってくる季節になった。
今朝は7~8度の気温だったが、7時半に庭に出て仕事を始めようとしていたら、懐かしい聞き覚えがある鳥の鳴き声で空を見た。真っ青の空の中を60羽ほどのV字型になった群れが一団、南に向かって飛んでいた。まもなくもう一団が来た。
かなり上空なのではっきりとは鳥の姿は分からないが、確かに北国から帰ってきたのだ。この群れの中には、今春誕生した若鳥も沢山居ることだろう。朝夕、急に寒くなったはずだ。
これからはしばらく、毎日のように鳴き交わす声に続いてV字の群れで飛ぶ姿が見られるだろう。自然の摂理に従って毎年何千キロも渡る渡り鳥のたくましい姿は、私には神々しくも見える。
話は変わるが、前に1羽の「カササギ」の写真を撮って記事にしたが、それ以来つがいを見つけることができなかったので心配していた。
一昨日、前にも見かけた近所の公園を通ると、高い木の頂上で鳴いている1羽の「カササギ」を見つけた。もう一羽居ないだろうかと探すと、30mほども離れた高い木の上で鳴き交わすもう一羽の「カササギ」を見つけた。2羽とも元気で居たのだ。本当に良かった。このつがいは、今年の冬もこのあたりで冬越しをするのだろう。
今朝明け方、久し振りで伯母の夢を見た。
【【伯母と二人で買い物に出て、帰る時にバスに乗った。伯母が住んでいた家の傍のバス停に着いたので、下りようとして横の伯母に手を差し延べた。すると伯母がいないのだ。そうだ。伯母を乗ったバス停に置いてきてしまった様だと気づく。
でも大丈夫だ。伯母は迎えに戻らなくてもタクシーで来るに違いないと考える。
だが、目が見えなくなった伯母が、どうやって一人でタクシーに乗れるのだ。お金も全く持っていないのにと、伯母の事を心配して絶望的になる】
そこで目が覚めた。余りにもはっきりとしている夢だったので、すぐには夢だったとは思えなかった。
どうしてこんな夢を見たのだろうか。お盆の終わりに夢に来てくれたのだろうか。分からないが、夢でも会えて嬉しかった。
昨年は、4月20日に友人と水芭蕉公園に行き、満開の「水芭蕉」を見た。
今年は雪解けが早かったので、「水芭蕉」の開花も早いのではと思っていたが、20日は結構な雨降りだったので行くのを止め、昨日、21日の午前中に友人と誘い合って見に行った。
霧雨が降っていたが「水芭蕉」はまだ5分咲き程度。まだこれからという感じに思えた。雪解けが早くても、気温が低い日が続いていからかも知れない。しかし、雨の日の後なので水が澄んでいて、色も綺麗だった。
開花している栗色の「座禅草」はまだ少なく、その大半は遊歩道からは背中しか見えなかった。
2年前には、ここに伯母も連れて来て、「夏の思い出」の歌を大声で合唱した事が思い出された。
今年は世界中が「新型コロナ」騒動のまっただ中で、毎日暗いニュースばかりだが、霧雨の中に佇む水芭蕉を今年も友人と鑑賞でき、少しだけ心が癒やされる良い時間を持てた。
まだ「新型コロナ」感染の終息が見えない今は、身近なところでささやかな楽しみを見いだすことが大切だと思えた。
この所、外出する際はマスクを着けるのを忘れないようにしているし、外で出会う人達も、律儀にほとんどマスクをしている。
ところが「化学繊維」でできている「使い捨てマスク」は、吸湿性が無いのでマスク内に呼気の水蒸気が溜まり、べたべたする上に息苦しい。
その点、昔からあった「ガーゼのマスク」は通気性が抜群で、気分良くつけていられるが、家には2個ほどしか買い置きがない。今では薬局やスーパーでも、マスク自体が棚から消えていて、勿論ガーゼ製もいつ入荷するか分からないという。
また、私と同様、手作りしたい人達が増えているらしく、ガーゼの生地もゴム紐も品薄だ。
以前ベトナムに行った時、オートバイが多く排気ガスで大気汚染がすざましい中、オートバイの運転手とそれに同乗している1~3人は、色も柄もとりどりのマスクをしていたのを見た。
その頃、日本ではマスクと言えば白が定番で、それ以外は売られていなかったので、私も白以外のユニークなマスクをして見たくなり、生地を物色したりした事があったが、その時は緊急性がなかったので、結局作らなかった。
今回は、「コロナウイルス」による感染の危険性がいつ収束するかが分からない。気分良くマスクをしていたいので、いよいよ自分で手作りする事にした。
一昨日の夜、箪笥の中を探したら、33cm幅の「ガーゼ」の生地が2m程出て来た。「晒し木綿」も同じ位あった。どちらもマスクの「裏地」として使える。「表生地」を探したら、木綿の「ネル地」でできた寝具の新しい「襟掛け」があった。色は青で、ボーダーの花柄がついているが、使えそうだ。
違う生地同士を表裏にしてマスクを作りたいので、昨日朝、生地の全てを地直しするため、2時間ほど水を吸わせて繊維を収縮させてから、干してアイロンを掛けた。
次に「マスクの型紙」が必要だが、家にあった立体的に作られている「使い捨てマスク」の形が気に入っていたので、それを参考にして自分で簡単な型紙を作成した。この形は、折りたたみ式のと違って、生地が少ししかいらないマスクだ。
いよいよ「ネル地」と「ガーゼ地」を中表にあわせ、その上に型紙を置き、印をつけてから縫い代分を付けて2枚一緒にカットした。
反対側の生地にも簡単に印をつけて、縫い合わせて行った。
初めの1枚は完成させるまで時間が掛かったが、2枚目からは30分前後で完成できる様になった。また、裁ち方を少し変えると、サイズも大中小のものができた。
結局、昨日は9個、今日は7個で、計16個を作った。「ネル地」の使う場所によって、色々な花柄になった。
それに昨日買って来た細目のゴムひもを通して完成させ、半分は近所へもお裾分けした。(無地にできたマスクは、男性も使えるかもしれないと思って差し上げた)
すると友人が、「二重ガーゼ」でできた「タオル」が使えないかと届けに来てくれた。
早速作ってみたが、生地が厚過ぎて私のミシンでは上手く縫えないのだ。何とか2個縫い上げて見た。なかなか着け心地良いマスクにはなったが、縫いづらく時間も掛かるので、それ以上作るのは一旦諦めた。
久し振りのミシン踏みで、肩が凝って来た。それに細かな仕事をし続けたので、眼も凄く疲れた。
当面、手元に9個残っているので、暫くは洗いながら大切に使おうと思っている。
マスクは色々な形の物があるので、その内また、別の色や柄の生地を見つけて、作って見たいと思っている。
(窓ガラスに張っているシールの絵柄が、型紙に反射してしまった)