goo blog サービス終了のお知らせ 

花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

多忙だった年末年始

2020年01月05日 | 日記

あっという間に今日で新年も5日目となった。今年もどうか宜しくお願いします。またブログを通してお互いに交流し、私のセカンドライフを見守ってくだされば嬉しいです。

例年なら年末には制作して出す私の年賀状だが、伯母が亡くなったので新年の挨拶を遠慮して、15日に「寒中見舞い状」を出す事にし、デザインと文章は既に作って置いた。他に年末に来宅した家族の年賀状を従姉に続いてデザインして85枚印刷した。

今年の抱負は、第一に「健康保持」である。足腰の筋力の衰えを感じているので、努力したいと思う。

第二は、続けて「庭仕事をしっかりとすること」だ。昨年の内に考えて移植をして置いた薔薇や宿根草が、しっかりと育ち、開花してくれるように植物たちを世話したい。

第三は、ネコブ病菌に感染した菜園で、今年も工夫しながら「色々な野菜を育てる」ことだ。

ネコブ病に強い「ホウレン草」「サラダ菜」「春菊」「葱」「大根」「トマト」「豆類」を主として配置し、秋作にはまた「CR白菜」などを種から育てたいと思っている。

第四は、足腰に自信が戻ったら「再び海外旅行に行きたい」。この2~3日、旅行社から届くカタログを見て、検討している。

                               

他に年末は「お節料理」の準備のための買い物、料理に3日間程要したが、全てやり終えた。

にこの間に作った料理を記録の意味で載せて置きたい。

31日は、娘が札幌から寿司の上ネタを買って来てくれたので、お陰さまで年越しの主役の「生散らし寿司」を作ってたっぷり食べた。その他「旨煮」、保存してある大根で「ナマス」、そして私が収穫した金時豆を圧力鍋で煮た「煮豆」、それに「ホウレン草のお浸し」などを供した。

31日が驚くほど暖かく雨が降り、雪が溶けたので、菜園に残しておいた「秋蒔きホウレン草」を収穫して来て「お浸し」を作る事ができた。珍しいことだった。

新年の朝食は、年末に食べられなかった「蕎麦」と、花友さんが作って届けてくれた「餅」で「雑煮」を作り、その他の「お節料理」と共に食べた。勿論、仏壇前にも供えた。夕食は「十勝牛」の「すき焼き」と「刺身」などを供して喜ばれた。

年末に「昆布巻き」を作ろうとして、用意していた「日高昆布」を水で戻してみたが幅が狭い。それで急遽、圧力鍋で「昆布の佃煮」を作った。最後にたっぷりと鰹節を加えたら柔らかく美味しくできて、家族に好評だったし、娘が帰る時に持たせたので、また後日作った。沢山あった昆布が、皆なくなった。

2日朝は、「赤飯」を作った。初めて圧力鍋で「赤飯」を炊いてみたが、レシピの吸水時間が短過ぎ、案の定固めに出来上がった。夜は「寄せ鍋」を作った。

3日朝は、色々な「お節料理」の残り物を処理した。夜は私だけだったので、残りものを食べた。

4日目は、「蜜柑」の残りを娘に持たせてしまったので、新聞の折り込み広告にあった初売り出しの「蜜柑」を買出しに行った。売り出し時間より少し早めに店に着いたので、少なかった目玉商品を買うことができた。美味しい「蜜柑」だ。

夜は、家族がいたので、「十勝牛」を買い足して、また「すき焼き」をした。

5日目は、再度「赤飯」に挑戦した。もち米の浸水する時間を長くしてから蒸した。圧力鍋よりもふっくらと美味しく炊けた。

夕食には「おでん」を作った。保存してある「秋大根」が柔らかく美味しかった。また、「鰯」の煮付けをしたが美味しかった。

今日辺りからまた日常に戻る。今朝7時の外気温は-8度だった。その後は本格的な雪になって、20cmほど積もり、除雪を2回した。暦どおりの真冬だが、今年も心は縮まらずに前を向いて明るく行きたいと思っている。                           

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年の瀬にあたり

2019年12月31日 | 日記

私のブログにいつも親身になって励ましの「コメント」を下さる方々、また時々ブログに立ち寄ってくれて私の生活を見守ってくれた皆さん、皆さんに今年も支えられながら何とかブログの記事を書き続け、私自身も元気で年末を迎えることができて安堵している。有難うございました。

私の今年の一番の出来事は、介護して来た99歳の伯母を2月に看取り、無事に事後の処理を済ませることができたことである。

その後は、前の様に庭仕事が中心の生活に戻ったが、いつも傍に伯母がいてくれるような感覚で暮らして来た。もう話し合う事はできないので、寂しい。


一方、今年は近年では一番、気候が良かった。狭く、「アブラナ科」の作物に生育不良の被害が出る病原菌の「ネコブ病菌」が繁殖した畑で、今年も工夫しながら種を蒔いたり、苗を育てたりしながら作物を育てたが、ホウレン草、茎ブロッコリー、トマト、春菊の生育が良かった。

キャベツは青虫に餌を提供した形になった。無農薬栽培では、防虫ネットを張らないと難しいことが身に染みた。

白菜は、CR(ネコブ病耐性)の種から苗を育てたので、外側は虫に食べられたが内側は大丈夫だった。漬物にしたり、鍋物の具材にしたりと利用できた。来年は、やはり防虫ネットを張って育てたいと思っている。

昨日、今朝と珍しく雨が降り、菜園に残っていたホウレン草(9月半ばに種蒔きをしたもの)が雪の下から顔を出したので収穫してゆでた。この時期のホウレン草は貴重だ。ネコブ菌の菜園でも、ホウレン草は問題なく育つので、来年も春と秋の2回は種を蒔きたい。

大根もアブラナ科だが、ネコブ病の畑では菌を少なくすることができる貴重な作物。じゃが芋の跡地で育てた秋大根の内、半分は干して甘酢付けにした。残りは、ビニール袋に入れて室内の涼しい場所で保存しているが、正月料理に活躍してくれているし、2月頃までは食べられそうだ。

隠元豆の跡地では、聖護院大根を育てた。干して漬物にしたが、皆食べてしまった。

一方、薔薇は、年々木がしっかりと育つので、花の開花後は枝を適当に剪定し、11月の初めまで多くの花を咲かせられた。

[秋以降に土壌に肥料分が多く残ると、薔薇の冬の休眠ができ難くなって、冬季に枯れ易い]と知ったので、9月以降は化成肥料の施肥を中止し、堆肥と液肥だけにしたが問題がなかった。来年もこのやり方で行こうと思う。


私自身の今年の一番の懸念は、足腰の筋力低下だった。7月下旬に始めたウオーキングは、先日丸5ヶ月を迎え、歩くことには少し自信が付いて来た。今後は無理をせずにウオーキングを続けたいと思う。

近所の方々には、色々な野菜を収穫する度に例年通り、お裾分け分を利用して貰って来たが、今年も色々と交流できて感謝している。

特に花友さんには、本当にお世話になり有りがたかった。数日前に手作りの美味しい餡餅を沢山戴いた。また一昨日は、角餅も沢山戴いた。市販品とは違って水分含有量が少ないので、もちもちしていて本当に美味しい。汁粉、雑煮、黄な粉餅などを作って楽しみたい。

来年も健康を維持しながら、楽しく庭仕事をしたいと思っているので、どうかまた宜しくお願いしたい。

                                         

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

交通整理の男性の話から

2019年12月09日 | 日記

毎日市内の限られた地域をうろうろしていると、いつも決まった人達に会う。それは電気工事や道路工事をしている人達だ。

彼らの工事の場所は時々変るが、クレーン車を路上に止めて高い電柱に上がり、そこで工事をしている人がいるかと思うと、傍には交通整理をする人が必ずいる。

今朝も郊外の公園に行くと、いつも少し距離を置いて何度も出会って来た高齢の男性が、電気工事の傍で交通整理をしていた。

私は「こんにちは。」「寒い中、お疲れ様です。今まで何度も会いましたね。」というと、「自分は会う人を覚えていないけど、通る人は覚えてくれるみたいだね。」という。

私が「年齢と共に、だんだん寒さが体に応えるようになりますね。」と話したら、彼が「仕方なく働いているんだ。」「60歳で退職して家に居たけど、その内、毎日パチンコに通うようになったんだ。そうしたら、だんだん足が弱って歩けなくなってしまってさ。仕方が無いので、この仕事をし始めたんだ。」と言うのだ。

顔のしわが深いので、私よりも5歳以上は年齢が上だろうと思っていたが、聞いて見るとほぼ同年齢だった。

そして「お宅さんが元気に歩いていることを、家族は喜んでいるでしょう。」と言われた。

「お互いに体に気をつけて頑張りましょう。」と言って別れた。

ところで、今春亡くなった伯母の連れ合いだった私の亡き伯父は、朝から晩まで居間のソファーに座ったまま、TVを見たり、妻(伯母)に「おい、お茶。」「おい、新聞。」などと指図していて、自分ではトイレ位しか歩いて行かず、ソファーでうたた寝をしてしまう生活を何年もしていた。するとその内、とうとうソファーから立てなくなり、寝たきりになって、最後は94歳で亡くなったのを思い出した。

年々、日本人の「平均寿命」は伸びているが、他人の手助けを受けなくても一人で自立して生活できる「健康寿命」はそんなに伸びていないという。今日は「健康寿命」を維持する事の難しさと、一人ひとりの努力の大切さを考えさせられた。

今日の10時過ぎの気温は-3度だったが、風が弱いので歩きやすかった。9,000歩、5、6kmのウオーキングだった。

  (追 記) 厚生労働省2019年発表 

   「2018年 日本人の平均寿命」 男性81.25歳 女性87.32歳

   「2013年 日本人の健康寿命」  〃 71.19歳 女性74.21歳      

また、2016年の「都道府県別健康寿命」の中で、「北海道」は男性25位(71.98歳) 女性45位(73.77歳)だったそうだ。

私が考えた「北海道」の「健康寿命」が短い原因は、まず、北国は半年間雪に閉ざされるため、外で運動や活動をする機会が減少するからではないだろうか。

そればかりではない。冬季は家の中に引き篭もる人が大半なので、隣近所に住む人とも滅多に顔を合わす事はなくなる。なので、高齢者世帯や一人暮らしの人は、他人と言葉を交わしたり、交流する機会が極端に減って孤立してしまいがちだ。その結果、精神的な「孤独感」に陥ったり、「欝」場合によっては「認知症」になる高齢者も多いと聞く。

また、北海道の世帯別職業で昔から多い農業や水産業などの「第一次産業」に従事する人を中心に比較的「塩辛い味を好む人が多い」ため、高血圧や脳卒中などになる人が他府県よりも多いこともあるのかもしれない。 

地方自治体には、こんな北海道の高齢者が抱える問題点を改善する方策を、一日も早く打ち出して欲しい。

特に冬場、体力維持をはかるための工夫や施設が必要だ。そうでなければ、介護を受けたり、寝たきりになる高齢者が、他府県よりもずっと多く、それも長期になりがちなのが分かっているのだから。                                                                      

 

      

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駅で感心な高校生に会う

2019年12月08日 | 日記

今朝は洗濯をして、それを室内に干してから10時半にウオーキングに出た。

朝の気温は-8度程度だったと思うが、太陽が出れば徐々に気温は上がる。だから、これからは昼近くのウオーキングが良いのかも知れない。

風が吹くとほほに当る風は冷たいが、コートの「フード」を被ると風が傍を吹き抜けなくなって冷たさを感じない。「フード」は雨除けだけではなく、風除けとしてもかなり役立つことが分かった。

また、風が吹きすさぶ場所でゲームをする時は、できるだけ風を背中で受ける向きに立ってスマホをいじるようにしている。電柱が1本あれば、その影に立つだけでも暖かく感じられる。

最近は足元をしっかり確かめながら歩くようになった。雪が残っていて、アイスバーンになっている場所は、滑りやすいので除けるようにしているからだ。反対に前後、周囲への目配りが減るので、交通事故などに会わない様に注意している。

ところで、毎日、JRの駅にも寄るのだが、今日、「待ち合い室」に入ると、女子高校生が数人いて、楽しそうに話をしていた。彼女達がいなくなって少しすると男子高校生らしい人が入って来た。彼は黒っぽい財布らしきものを私に見せて、「あなたのではありませんか?」と言う。「違います。」と答えたら、駅の切符売り場に行って駅員さんに渡してから、また待ち合い室に戻って来た。

やがて構内放送が掛かった。財布の中に名前が分かるものが入っていたらしく、名前で人を呼び出していた。

私は彼に「少し前まで女子高校生らしい人が何人かいたので、その中の誰かが落としたのかも知れないですね。それにしても良い事をしましたね。最近は色々な人がいるのに。」と言った。彼はニコニコしていた。何か清々しい気持ちにさせられた。

今日は6.1km、10,000歩だった。

                       

 

 

 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよ冬も本格的だ

2019年11月29日 | 日記

昨日は午後になると雪だという予報だったので、その前に歩く事にして8時半に家を出た。風があったため、マイナス1~2度の中のウオーキングはきつかった。寒風に当って顔が日焼けしたように真っ赤になった。

「無理なら途中で帰宅しよう」と考えて出たのだったが、神社で例の男性に会い、「私もやろう!」と気合が入り、とうとういつものコースを歩ききって帰宅。8500歩、5kmのウオーキングだった。昨日は午後から予報どおり雪になったが、最高気温もマイナスで「真冬日」だったという。

今日は起きた時から寒かった。服に着替えて居間に行くと室温は前日よりも1度低い。晴れているので放射冷却現象が起きたのだろう。インターネットで調べたら、最低気温はマイナス5度を下回っていた。寒い筈だ。おまけに昨日降り続いた雪が7~8cm積もっていた。

太陽が出ていたので、少し外気温が上がるのを待ち、10時20分に家を出た。

右手でポケモンを操作するのに手袋を脱ぐと寒い。何とかしたいと考えて、伯母の形見の手袋の右人差し指の先を切り取り、切り口を裏に折り返してまつり縫いした。右の人差し指の先だけが出る手袋が2足完成。今日はそれを履いてゲームをしていると、伯母に見守られているような気持ちがした。私も満99歳まで、ポケモンができたらいいけど。

ついでに書くと、いつも履くズボンの「ポケット」で、スマホがしっかりと入りきらない「ズボン」が数着あった。晒し布を使って、スマホを入れる側に布を足して縫い、ポケットを大きくした。毎日歩数を記録しているので、これでスマホがしっかりと収まるようになり、気分が良い。

今朝は公園や歩道など、新雪が降ったままで誰も歩いていない所が多く、歩くと気分が良かった。途中で声を掛けてくれた人がいた。庭が綺麗に管理されているので以前に褒めたことがある家の女性だった。

神社に行くと、「狛犬」の所の雪に皆足跡が付いていた。例の男性が私よりも早く来たのだろうと思った。

ウオーキングの最後にスーパーマーケットに行って、玉葱2kgと有田みかん1kg、鶏肉などを買ったら、かなりリュックが重くなった。それを背負って家まで20分。結局今日は2時間半で5.6km、9000歩だった。今日も寒い中、頑張った自分に、帰宅後、美味しいお茶と和菓子の栗饅頭をプレゼントした。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神社で出会った男性のこと

2019年11月18日 | 日記

曇っていたが防寒対策を万全にして、雨になるかもと思い、傘も持って10時に家を出た。

いつも行く「神社」に行くと、以前見かけたことがある男性が、今日も「狛犬」に抱きついて手で撫ぜていた。

「こんにちわ~」と声を掛け、「どうしましたか?」と聞くと、「子供と孫の幸せを祈っています。」と言うのだ。

続けて「東京の孫が東大を受験する時に100度参りをしたら、合格しました。それで今度は弁護士試験に合格するように、また100度参りをしています。」と言う。

見たところ私より少し若いかなと思う男性だが、毎回3対ある「狛犬」全てに祈っているのだそうだ。

私には、その話が本当だとしたら、孫の並大抵ではない努力の結果であって、神への100度参りは関係ないと思うのだが。

あるいは孫が祖父の事を聞いて、それなら一層努力しなければならないと頑張った結果もあるかも知れないとも思った。

若い時に読んだ「岩波新書 脳の話」に拠ると、科学的には明らかに人の学習能力の60%程度は遺伝に拠るらしいので、祖父母、父母の存在が遺伝的に次の子孫に与える影響は決して無視できない事は確かだと思う。確率から言うと、祖父母の孫への遺伝的な影響は15%づつとなるのかな?

しかし、残りの40%は後天的な家庭環境や本人の努力、学習チャンスなどに左右される。今はこちらの方が大きいのではと私は思う。

今日は、霙が降っている「神社」で出会った男性の話から、考えた事だ。

ウオーキングの途中で霙が降り出し、気温は1度。足元が凍っている場所もあったが、無事に7000歩で4.4kmを歩いて帰宅した。熱いコーヒーが美味しい。

 

(写真は、まだ菜園に残してあった白菜。外側の葉は数枚青虫にやられたが、中は大丈夫なので、そろそろ全部片付けたい)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タイヤ交換を済ます

2019年11月09日 | 日記

昨日の昼に車に冬タイヤを積んで交換してもらおうと出かけたが、混んでいたので、そのまま諦めて帰宅したが、今朝は早めに食事を済ませ、昨日タイヤは積んであるので、7時20分に家を出、5分後にガソリンスタンドに着いた。

タイヤ交換の営業時間は8時からだそうだが、私の車が2台目だった。ピットが1箇所しかないので、「交換終了は9時近くになる。」と言われた。予想していた事だったので、スタンドに車を置いてウオーキングに出た。

気温は0度。雪がちらつき寒い。手袋、ウールのマフラー、帽子それにダウンの半コートという出で立ちだが、手袋を履いていても指先が冷える。ポケモンのジムでスマホを操作するのに手袋を脱ぐのが辛い。それでも近場のポケストップを9箇所回って5000歩歩き、スタンドに戻ると作業が完成していた。

帰宅後、物置に夏タイヤを車からやっと下ろして、奥に重ねてしまった。今年はどうした訳か、タイヤが嫌に重く感じる。数年前まで自分で交換していたのが夢の様だ。年を取ると言う事をこの事でも確認させられる。来年春も自力で車に積めるだろうか。

交換したので、もういつ雪が降っても安心だ。ついでに肥料や堆肥、米糠、園芸用品を詰め込んでいる狭い物置を片付けた。

昨日35本買った支柱が足りなくなり、午後からは更に15本買い足しに行った。最高気温は4~5度で寒かったが、残った庭仕事を2時間ほどした。

            

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月も最終日

2019年10月31日 | 日記

今年の本州の10月は、2度の大型台風と豪雨に見舞われ、多くの人達が被害にあって亡くなられたり、未だ行方不明の人もいる。

また、何度も洪水に見舞われた地域、土砂崩れや洪水で損害を受けた家屋が多いのは衝撃だ。被害者の被害状況は、言葉では尽くせない状態だ。

台風や秋雨前線の通り道に存在する日本列島は、どんなに努力をしても自然の猛威の前には、なすすべが余り無い。昨日は農業用水の溜池が決壊していたという情報があった。山地の多さ、急峻な斜面や急な流れの河、軟弱な埋立地、河川の傍の高度が低い土地などに住んでいる人たちは、身の回りの危険が一杯だ。

私も今回の被害を他人事とせずに、普段から注意して暮らす様にしたい。万が一にも自然災害で命が奪われることだけは、何としても防ぎたいものだと思うが、多くの被害を見ると、運を天に任せるしかないのかなとも思う。


秋が深まった10月も、今日で終る。

昨日、7月24日に始めたウオーキングが、「連続100日目」を迎える事ができた。我ながら良くやったと思う。

3日前に「循環器内科」と「糖尿病内科」の定期健診を受けた。「血糖値」「コレステロール値」が下がっていた。

体重の変化は2ヶ月半はあまり無かったが、ここへ来て少しずつだが減って来た。

いつの間にか夜寝ている間、足の冷えを余り感じなくなった。毎日9000歩以上歩くことで、足先まで血液が循環するようになったのだろうか。

最近、2時間程度の歩行ならできるかもしれないと思うようになって来た。これから雪が降り、路面状況が悪化する。冬場の運動をどう続けるかを思案している。

公園の「紅葉」は散り、今朝などは「柏」の枯葉なども積み重なって5cmも積もった雑木林の樹間を、葉っぱの絨毯を踏みながら歩いて来たが気分が良かった。今は「銀杏」の葉が真黄色になり、「銀杏並木」が美しい。


庭仕事では、一昨日「大根」と「聖護院大根」を抜いた。今年は肥料が少なかったかも知れないと反省している。洗って新聞紙に巻いてから大きいビニール袋に入れて、凍らない屋内に保管する。「聖護院大根」は洗って半分に切り、漬物用にザルにいれて一昨日から干している。

「長葱」は立派に育った。抜いてネットにいれ、少し乾燥している。 また、長く伸びた「アスパラガス」を根元から切って処分し、雑草を抜いた。まだ「セロリ」2株と「春菊」が植えてあるが、それを適当に処理したら、これでいよいよ私の菜園は冬眠に入る。


数日前に写した庭の薔薇の「3番花」だ。開花している枝以外は大半の剪定を終えた。枝をまとめて20~30cmの太さの束を造っているが、昨日数えたら17束もあって驚いた。

最後の花が終わると、その枝を剪定する。その後、堆肥を根元に入れ、荒縄で枝をまとめて縛り、積雪で枝が折れないように竹で支えなければならない。薔薇の数が多いので、この仕事も大仕事だ。

来春6月末に新芽に蕾ができ、開花するまでの7ヶ月間、心をときめかせてくれる薔薇の花と香りにも「さようなら」。

  

                   

 

 

           

                           

 

            

 

              

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晩秋の佇まい(2)

2019年10月20日 | 日記

昨日は、一日中雨が降り続いた。だがウオ-キングには出かけた。雨の日は湿度が高く、呼吸が楽なのが良い。

今朝は晴天になった。気分良くウオーキングができた。

昨日の雨天で、気温が低かったからか、紅葉がまた一段と進んだようだ。

ある公園で、花友さんに教えてもらった「マユミ」の木を探し当てて写真を撮った。すでに実が弾けて「仮種皮」が飛び出しているが、この中に種がある。ニシキギ科の中低木だという。なかなか趣がある。

      

この紅葉は、あるお宅の庭先に植えてある木だ。朝日が逆光となっているが、素晴らしい紅葉だ。

玄関前の歩道に散った紅葉葉も美しい。

全ては、人間の力が及ばない大自然がなすわざだ。自然は恐ろしくもあり、美しくもある。

落葉した葉は、微生物や土壌の栄養分となり、次の命を支える役割を果たす。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晩秋の佇まい(1)

2019年10月18日 | 日記

ウオーキングで幾つかの公園に立ち寄るが、日毎に木々が色づき、秋の深まりを感じる。紅葉は、冬を前にして木々が一瞬の輝きを見せてくれる。今朝は札幌で初氷が張ったらしい。

私も季節の移ろいに追われる様に、毎日庭の片づけをしている。

真っ赤に色づいた「ドウダンツツジ」の生垣

                    

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の48回忌の墓参に当り、当時の私の育児事情を振り返る

2019年09月22日 | 日記

昨日は母の命日が近く、秋分でもあるので、娘の車で一緒にI市の墓地に墓参に行って来た。

庭の「ダリア」や「アルストロメリア」「秋明菊」などで作った花束と菓子や飲料などを供えて、母と伯母、母の実家の物故者をお参りした。

 

私の母は48年前の9月に、当時私と一緒に暮らしていた地方の総合病院で亡くなった。

当時、北海道の郡部には、「3歳未満児を受け入れる保育所」がほとんど無かった。それで私は長男が生まれた後、母親を引き取り、最後まで母の面倒を見る代わりに、孫の世話をしてもらうという予定だった。

ところが同居した1年後に風邪に似た症状が母に出、微熱が続いた。その内黄疸にもなって、医者からは「急性肝炎」だと告げられた。

母を総合病院に入院させて治療をしたが、とうとう4ヶ月後に54歳の若さで旅立ってしまった。母の最後は「肝硬変」だった。

思いがけなかった母の死に私のショックは大きかったが、親の法要で取れた1週間の休暇が済み次第、出勤するために子供の育児をどうしたら良いか、先ずはそれを考えなければならなかった。 色々試してみたがなかなか上手く行かない。最終的に知人の奥さんが個人的に昼間、見てくれることになり何とか半年乗り切った。

長男は2歳になっていたが、その頃の私のフルタイムの仕事と育児を両立させる毎日は、今振り返っても本当に大変だった。

 

やがて翌春、職場の上司の努力で、私は「未満児の保育」もしている町に転勤できた。それからは「保育所」の保母さん達に支えられながら、私は働くことができ、そして長男は小学校の入学日を迎えた。

小学校に入ってからは、3年生まで、授業の終了後は夕方まで「学童保育所」で面倒を見てもらい、私は働き続けた。

長男が小学生になってから、もう一人、娘が生まれたが、産後6週間だった産休明けから1歳までは、その町が助成している「保育ママ」制度を使って、個人の家庭で保育をして貰った。

一歳になってからは「保育所」に通わせてもらい、本当に助かった。

娘も小学校入学後の午後は、3年間、「学童保育所」の世話になった。

母亡き後は、綱渡りをするような毎日の生活が続いたが、お陰さまで私は60歳の停年まで何とか勤める事ができ、子供達もそれぞれ大学を出て、独り立ちした。

振り返って見ると、働く女性を支えるには、先ずは「産休明けからの子供を預かる保育所」が必要だ。しかし、私が子供を育てた48年前から国の体制は余り前進していないように思われる。女性の働き手を増やすための政策を、国には早急に望みたいものだ。

子供を産み育てる事が、若い夫婦の喜びとなる日が来れば、「少子高齢化」が原因の諸問題を解決し、「年金問題」、そしてやがては「労働力の確保」にも明かりが見えて来るように思うのだが。

勿論、企業が長時間労働を当たり前とする意識と体制を欧米などの様に改めて、家庭生活も大事にする社会へと変る事、そして育児・子育てを男女共同の役割にする事も差し迫った課題であろう。

                                 

                                     

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何年ぶりかの札幌円山動物園

2019年06月30日 | 日記

娘を誘い、昨日、久し振りに「札幌円山動物園」に行って来た。

象が居なくなって寂しくなっていた動物園に、今年、「ミャンマー」から4頭の象がやって来て、象舎も多大な費用をかけて新築したというので、行って見たかったのだ。

9時近くのJRで札幌駅に向い、札幌に住む娘と会ってから地下鉄に乗り、「円山公園駅」で下車。私は動物園までバスに乗ったが、バス停で出発まで10分程待ったので、バスに乗らずに徒歩で向った娘の方が先に着いて待っていた。

曇り空で気温も高すぎず、おまけに土曜日だったので入園者も多く、保育所の遠足なのか、3歳児とその親、そして保母のグループが来ていて、見学後、広場で楽しんでいるのにも出会った。

園舎が離れているし、それぞれが昔よりも展示施設が大きくなっているためか、歩きながら1時間も見学すると可なり疲れた。そういえば昨日の朝は6時から庭仕事を済ませてから出かけたためかも知れないと思った。

「ライオン館」や「オランウータン館」、「マンドリル館」などは、安全性のため、金網を張ったり、仕切りの透明アクリル樹脂が酷く汚れていて、遠くに居る動物の全体像が良く見えなかったり、写真が上手く取れなくて残念だったが致し方ない。

           

                    

         

「カンガルー館」は、数の割りに檻が少し狭い感じがした。オーストラリアで広い施設を見てきたからかも知れない。

「マンドリル」は、金網の向こうで始終動き回るので、撮影するのが難しかった。

              

「象館」は、広大な建物で、象が草を食べたり、水中を泳いだりする姿も見られるようにできていたが、その姿に出会うチャンスは滅多に無さそうだった。

「キリン」の餌台は、柵の傍に設けられていたので、身近で観察できた。

                           

「ニホンザル館」では、大勢の猿が好きに動き回っているので見ていて飽きないが、猿舎が大き過ぎて猿達をあまり身近に感じられなかった。

この写真は眼下に遠い2匹を望遠で撮った。

   

「ミーアキャット」は、どうして微動だにしない姿勢になるのだろうか。敵に見つからないようにするためかな?

                          

2時間半見学したり写真を撮ったりした後、午後1時に動物園を出、娘と地下鉄「円山公園駅」まで歩き、食堂で昼を食べてから帰宅した。

この1年以上、ほとんど遠出をせず、買い物も病院も車を使っているので、少し歩いただけで疲れる。駄目だなあと思いながら帰宅した。

たまには動物園も楽しいので、またその内、写真を撮りに行きたい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水芭蕉が咲く自然公園に行く

2019年04月20日 | 日記

今日は朝の気温が零度近かったが、晴天だった。
そこで近所のカメラ好きの友人と一緒に「水芭蕉」の写真を撮りに恵庭市内の「カリンバ自然公園」に行った。
駐車場の傍の入り口に、公園の概要が書かれた看板があった。
それには「昔からこのあたりは湧き水が多く、カリンバ川が流れていました。(縄文時代のお墓や副葬品も発掘されています」
また「公園内には今も良好な樹木や水芭蕉などの湿生植物が植生しています」と書かれ、下の写真の地図も添えられていた。


 (黒い色は、湿地帯の水面から1m近い高さに作られている「木道」。そこから写真を撮った)

今年は昨年よりも2日早く行ったのだが、溜まり水が少ないように感じた。しかし今日の「水芭蕉」は開花し始めのみずみずしさで、北国の春の到来を祝福している様だった。
昨年は伯母を連れて来て、一緒に「木道」を歩き、「水芭蕉の花が咲いている 静かに咲いている水のほとり」という歌詞の「夏の思い出」の歌を大きな声で唄った事を思い出した。
友人は、「ザゼンソウ」の開花がまだ少ないのが残念だと言っていたが、私は今年も来られて嬉しかった。



        



                           




帰り際に30人以上の人達が、集団で来たのに出会った。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「四十九日」の法事から1週間

2019年03月26日 | 日記
「伯母の葬儀」から「四十九日の法事」まで、「儀式関係」の事やら「預貯金の凍結解除手続き」「未払い分の年金の処理」などで、毎日忙しい日々だった。
最後には今流行の「終活」や「相続」の記事が載っている「週刊誌」を図書館から借りて来て、伯母の死去に伴う諸手続きで漏れている事が無いかどうかをチェックした。
1つも手抜かりは無かった。「伯母の戸籍謄本がある市の市役所」に行ったり、札幌の「年金事務所」に行ったり、我ながら効率的に良くやったとホッとした。

加えて2月は、私自身の「確定申告」の手続きもあった。
前にも書いたが、伯母の「身体障害者手帳」は出したが「要介護4」の申告をしていなかった(聞かれなかったから)ので、市役所の税務課にも行って来た。
係りの人が調べてくれて、「『要介護4』を足せば障害者度は上がりますが、あなたの場合は既に控除の金額が限度まで行っているので、足しても減税額に変りはありません。」と言われて納得できた。
年金生活者なので、元々納付している今の税金が働いていた時の何分の一だから、還付される分もかなり少ないのだ。

暇になったので、図書館から本を借りて来て読書する事にした。市の図書館は、借用期間は2週間で、延長手続きをしたら更に2週間借りる事ができる。一度に借りられる冊数の制限は無いから、色々なジャンルの読みたい本を持てるだけ借りられる所が良い。
今回、先ず読んだのが「仏教」の解説本2冊だ。
中でも西条慎之介著の図解「仏の世界」が、分かり易く、興味深かった。
世界には沢山の宗教があるが、その内信者の数から言うと「キリスト教」「イスラム教」「仏教」が3大宗教になる。
3大宗教の基本的な考え方(教え)は、ほとんど変らない。ただ、「安息日」という教えは、「キリスト教」だけだという

「仏教」の考えの基本は、「無常」と「四苦八苦」だ。
「無常」とは「この世の動植物の生きとし生けるものは、全てが死ぬ。人も同じである」と言うこと
「四苦八苦」とは「人間の苦しみの種類」で、
「四苦」は「生」「老」「病」「死」に伴う基本的な苦しみ。
「八苦」は、

「愛別離苦(あいべつりく)」  … 愛する者と別離すること
「怨憎会苦(おんぞうえく)」  … 怨み憎んでいる者に会うこと
「求不得苦(ぐふとくく)」   … 求める物が得られないこと
「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」 … 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないことだ

また、仏教の教祖「釈迦」は、「死後の世界」については何も言わなかったそうだ。
質問した弟子に「帰って来たものはいないから、分からない。」といい、「そんな分からない事を考えるよりは、いかに生きるべきかを考えよ」と言ったらしい。
インドで「仏教」が誕生してから、日本に伝えられるまでに数百年かかっていて、その間に少しずつ変化していった教えや修行、作法がある。
また、日本に伝えられてからも、修行僧によって幾つかの宗派に分かれていった。
しかしどの宗派も、人生には「無常」と「四苦八苦」の苦しみがあるという基本は、ほぼ同じらしい。
これなら私にも理解できると思ったし、「仏教」に少し近づいたようにも思った。

昨日からは「上野千鶴子」著「おひとりさまの老後」を読んでいる。
今、夫婦で暮らしていようが、親子、兄弟で暮らしていようが、長寿の人は、最後は望まなくても「おひとりさま」になる可能性が高いのが現代だ。
その時に、どういう生活のあり方が良いかを著者が体験調査し、研究した内容が書いてあって、読んでいると私の考えと同じ下りがあったり、また「そうか」と参考になる部分がある。
「時々お茶を飲んだり一緒に食事をする人を、数人作っておくのが良い」という下りには「そうだな」と思って、親しい人達の顔を思い浮かべた。
本の残り半分には何が書いてあるか、楽しみだ。
                                     





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年に当たって

2019年01月02日 | 日記

明けまして おめでとうございます

昨年は不順な気候、大地震と電気のブラックアウト、米中の経済対立、株価暴落など記憶に残る事が続いた年だった。
気温が高めで雪も少ない今年のお正月を、私は比較的穏やかな気持ちで迎えることができた。
年末は、おせち料理の買出しや調理など、例年通りの忙しさだったが、娘が元日に当番で出勤するので帰省しなかったこともあって、少し気が抜けたような年越し準備だった。(北海道は年末の31日夕食から、御節を取り揃える習慣がある)

昨年のブログの「新年の挨拶」を見ると、伯母と一緒の正月を迎えて、御節料理を歯がない伯母にすべて微塵切りにして食べてもらったことが書いてあった。
今年伯母は、入院先で新年を迎えた。幾つもの病気(誤嚥性肺炎、尿管結石、狭心症)を起こしたが、皆乗り越えて現在は比較的元気だ。
ここまで生きて来た人だから、ベッドの上の暮らしとは言え、生命力の強さで100歳を目指して欲しいと欲が出てくる。

昨年、伯母が脳梗塞で倒れる前に行った3回の旅で9カ国に行く事ができたので、昨年の抱負に書いた「行きたい外国」のほとんどには行ったが、行けなかった国が「タンザニア」だった。
今年も伯母の入院が続く間は、外国旅行は無理かもしれない。


また、畑も借りる予定はないので、昨年同様、狭い庭の菜園部分で、あれこれ工夫しながら必要な作物を育てたい。
トマトはまた8株程植える積もりだが、できれば栽培未経験の野菜にも挑戦して見たいと思っている。
そのひとつが「ロメインレタス」。これはローマのレタスという名だが、「シーザーサラダ」に向く。
また、娘が道南の「厚沢部町」の道の駅から買って来てくれた小粒の「黒千石」大豆が、柔らかく煮えやすく、ポリフェノールがある植物性たんぱく質で利用価値があるので植えて見たい。
「虎豆」は美味しい豆なので、引き続き植えたいと考えている。
畑を借りれたら、小豆やカボチャ、赤隠元豆など、色々と植えたいものがあるが、今年は借りないことにした。


世界の政治状況は、あちこちで問題が噴出しているし、日本も政府は消費税を上げるとか、憲法を変えるとか目論んでいるが、そんな中で私自身は後期高齢者になったので、引き続き健康には気をつけて生活する積もりだ。
どうか皆さんにとっても、事故無く健康で、今年が明るい年になりますように。
                             

            

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする