「つながりコスモロジーとしての仏教1:ブッダと部派仏教」 目次

2007年10月28日 | 心の教育

 日本人が正当なアイデンティティを再確立する・自信を持つためには、日本の伝統的な精神性の中核にある仏教を理解する必要がある、と私は考えています。

 仏教の核心にあるのは、近・現代人にはもはや信じられないような神話的コスモロジーではなく、むしろ近代の限界を超えるためにぜひ必要な「つながりコスモロジー」だ、と私は解釈しています。

 以下の目次に従って、ぜひ、自分たちの国のすばらしい精神的な遺産について理解を深めてください。

 *現時点では、目次は整備中、まだ途中までしかできていません。鋭意、整備していきます。


  アイデンティティ確立のための上り坂
 さあ出発です
 仏教の6つの側面

 若者には縁起がわかる

 智慧・覚りと慈悲
 ゴータマ・ブッダ略伝1 
 ゴータマ・ブッダ略伝2
 縁起の理法1
 縁起の理法2
 縁起の解釈について
 4つの聖なる真理1
 4つの聖なる真理2
 4つの聖なる真理3
 4つの聖なる真理4
 真理の3つの印:三法印
 すべて形あるものは変化する:諸行無常
 無常だからこそまた花が咲く
 この世界には実体は存在しない:諸法無我
 過剰な執着を離れれば心は爽やか:涅槃寂静
 
 仏教:楽しく生きるための理論と方法

 部派仏教
 部派仏教のコンセプト
 
 ヴィッパッサナー瞑想に関するQ&A
 


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神の死とニヒリズム:ニーチェの言葉

2007年10月27日 | 生きる意味

 過去の記事「近代化の徹底とニヒリズム」で、次のように書きました。


 欧米では、もっと早い時代に、近代的な理性・科学によってキリスト教の神話が批判され、もはやそのまま信じることはできないというふうになり、ニーチェという思想家の言葉でいうと「神の死」と「ニヒリズム」がやってきたわけです。

 そして、日本では開国-明治維新と敗戦という二段階のプロセスを経て、そういう欧米的な近代的な理性・科学が社会に浸透し、いまや「神仏儒習合」の世界観が決定的に崩壊しつつあって(いわば「神仏天の死」)、遅れて本格的なニヒリズムが社会を脅かしつつあるのではないでしょうか。


 ここで確認のために、神の死とニヒリズムについて述べたニーチェの言葉を引用しておきます。


 ばかげた人――諸君はあのばかげた人のことを聞かなかったか。彼は明るい午前中にカンテラをともし、市場へ走り、たえず「私は神を捜している! 私は神を捜している!」と叫んだ。市場にはちょうど神を信じない人たちが大勢集まっていたので、彼は大笑をかった。いったい神が行方不明になったのか? とある者はいった。神が子どものように道に迷ったのか? と別の者はいった。それとも、神は隠れているのか? 神はわれわれを怖がっているのか? 神は船に乗ったのか? 移民になったのか? 彼らはてんでに叫び、笑った。ばかげた人は彼らのただなかにとびこみ、彼らをじっと見すえた。「神はどこへいったか? 」、彼は叫んだ、「私がそれを諸君にいおう! われわれが神を殺したのだ――君と私が! われわれは、皆、神の殺害者だ! しかし、どうしてそうしたのか? どうしてわれわれは海をのみほすことができたのか? 水平線全体を拭きさるための海綿をだれがわれわれにくれたのか?  この大地をその太陽の鎖から切り離したとき、われわれはなにをしたのか?  いまや大地はどこに向かって動いているのか? われわれはどこに向かって動いているのか? すべての太陽から離れていくのか? われわれはたえまなく突進しているのではないか?  しかも後へか、横へか、前へか、四方八方へか? まだ上下があるのか? われわれはいわば無限の虚無をさまよっているのではないか? われわれに息を吐きかけているのは空虚な空間ではないか? 寒くなってきたのではないか? たえず夜が、いっそうの夜が、やってくるのではないか? 午前中カンテラに火をともすのもやむをえないではないか? 神を埋葬する墓掘り人たちの騒ぎはまだ聞こえないか? 神の腐るにおいはまだしてこないか? 神々もまた腐るのだ! 神は死んだ! 神は死んだままだ! しかも、われわれが神を殺したのだ! あらゆる殺害者中の殺害者たるわれわれは、どうしてみずからを慰めたらよいのか? 世界がこれまでにもった、もっとも神聖でもっとも強力なもの、それがわれわれの短刀の下に血を流して死んだのだ――だれがこの血をわれわれからふきとってくれようか? われわれはどんな水でわが身を清めることができようか? どんな贖罪の祭り、どんな聖劇をわれわれは発明しなければならないか? この行為の偉大さはわれわれには偉大すぎるのではないか? われわれがこの行為にふさわしくみえるためだけでも、われわれはみずから神になる必要がありはせぬか? これよりも偉大な行為はたえてなかった――われわれの後に生まれてくるほどの者は、とにかく、この行為のおかげで、これまでのあらゆる歴史より高い歴史に属することになる!」――ここでばかげた人は沈黙し、ふたたび聴衆たちを凝視した。彼らもまた沈黙し、不思議そうにこの人間を注視した。とうとう彼はカンテラを地面に投げつけたので、それは粉々に割れて消えた。そこで彼は語った。「私は早く来すぎた。いまはまだ私の時ではないのだ。このすさまじい出来事はまだ途上にあり、進行中である――それはまだ人間たちの耳にはいっていないのだ。稲妻も雷鳴も時間を要する。星辰の光は時を要する。行為は、それがなされた後でも、見られ聞かれるために、時間を要する。この行為は、人間たちにとって、もっとも遠い星よりもいぜんとしてなお遠いのだ――しかも、それにもかかわらず、彼らがこの行為をなしたのだ!」――なお人びとの物語るところによれば、このばかげた人は、同じ日に、いろいろな教会に侵入し、神のための永遠の鎮魂曲を歌った。外に連れだされ、詰問されると、彼はいつもただつぎのように答えたという。「これらの教会は、神の墓穴、その墓標でないとしたら、いったい、なおなんであるのか? 」――(『悦ばしい知識』1882年、第3章125)。


 一 ニヒリズムは戸口に立っている。あらゆる訪問客のなかでもっとも不気味なこの客はどこからくるのか?――出発点。ニヒリズムの原因として、「社会的な困窮状態」、あるいは、「生理学的な変質」、それどころか、腐敗に言及するのは、見当違いである。現代はこのうえなく品のよい、また、このうえなく思いやりの深い時代なのだ。困窮は、それが心的な困窮であれ、身体的な困窮であれ、知的な困窮であれ、それ自体としては、ニヒリズム(つまり、価値、意味、願わしいものの徹底的な拒否)を生むことは断じてできない。これらの困窮は、いぜんとして、まったく種々さまざまな解釈を許すのである。むしろ、ニヒリズムは一つのまったく特定の解釈、つまりキリスト教的・道徳的な解釈のうちにひそんでいる。
二 キリスト教の没落――これは(キリスト教と不可分の――)道徳による。つまり、この道徳はキリスト教の神に逆らう(キリスト教によって高度に発達し、キリスト教的なすべての世界解釈と歴史解釈にみられる虚偽や欺瞞にたいして吐き気を催すようになる誠実の感覚)。(遺稿集『力への意志』1906年、1)

 ニヒリズムはなにを意味するか?――最高の諸価値が無価値化されるということだ。目標が欠けている。「なんのために?」への答えが欠けている。(2)

 結局、なにが起こったのか? 生存の全体的性格は「目的」という概念によっても、「統一」という概念によっても、「真理」という概念によっても解釈されてはならない、ということが理解されたとき、無価値性の感情が得られたのである。そういうものによって、なにかが目ざされたり、達成されたりすることはないのである。出来事の多様性のなかには包越的な統一性はないのである。生存の性格は「真」ではなくて、偽である……真なる世界があると納得する根拠は、もはや絶対にない……要するに、われわれが世界に価値をおき入れたさいに用いた「目的」「統一」「存在」などの範疇は、われわれによってふたたび抜きさられ、――いまや、世界は無価値なものにみえる……(12)


 こうしたニーチェのニヒリズムの到来についての先見性、神話的な宗教のコスモロジーが崩壊した後にいかにしてニヒリズムを克服するか格闘したことについては、深く敬意を表したいと思いますが、その格闘の結果については、今私たちの時代が到達した地点から見るとなんともいえない痛々しさを感じます。

 これまで述べたことの繰り返しになりますが、近代科学で見れば、「出来事の多様性のなかには包越的な統一性はない」ように見えたのですが、現代科学はもはや疑う余地もないほど明らかに宇宙の多様性・複雑性には自己組織化という方向性があることを示しています。1) 2)

 そういう意味からすると、「ニヒリズムはもう古い」と言わざるをえない、と私には見えますが、3) 4) 5) みなさんはどうお考えでしょうか。



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日本社会は荒廃しているか? している、と私は考える

2007年10月22日 | 心の教育
 
 授業や講演・文章などで「日本人の精神的荒廃」「近代化の徹底とニヒリズム」という話をすると、「それはメディア・マスコミによって作られた印象なのではないか? メディアがセンセーショナルな事件を取り上げすぎているのではないか?」といった反論的な質問がよく出てきます。

 確かにそういう面もないことはないと思います。

 そこで、一つ大きく参考になるだろう資料として、法務省『犯罪白書』(平成17、18年版を中心に)を検索して調べてみました。

 平成18年版の統計を見ると、特に「ここのところ少年犯罪が急増している」というのは、やや事実に反しているようです。

 とはいっても、昭和21年からすると明らかに増加しています。





 そして、刑法犯の統計(平成17年)を見ると、戦後の傾向としては一貫して増加しているようです。





 より正確には、『犯罪白書』のコメントにあるとおりで、平成14年にピークだったのが、幸いにしてここ数年はやや減少傾向にあるとはいえ、「戦後を通じて見れば,なお相当高い水準にある」ということのようです。


 刑法犯の認知件数と発生率

 刑法犯の認知件数は,平成8年(246万5,503件)以降,毎年戦後最多を更新し,12年に300万件を超え,14年には戦後最多の369万3,928件を記録した。翌15年に減少に転じ,16年は342万7,606件(前年比21万8,647件(6.0%)減)となったが,依然として高水準にある。
                                    『犯罪白書』平成17年版

 刑法犯の認知件数は,平成8年以降毎年戦後最多を更新し,14年には戦後最多の369万3,928件を記録したが,15年に減少に転じ,17年は前年より30万2,390件(8.8%)減少となった。認知件数は,戦後を通じて見れば,なお相当高い水準にある。
                                    『犯罪白書』平成18年版


 さらに私には、昭和21年の138万7千60件から平成14年の369万3千928件という約2.7倍の増加は、その後平成15年からの減少を勘案しても、「戦後を通じてみれば、なお相当高い水準」などというものではなく、やはり「ただごとではない荒廃」と感じられます。

 みなさんは、どう感じられますか? さらにどう判断されますか? さらに言えば、どう対処すればいいとお考えですか?

 「いつだって悪い人間はいたのであり、いまさら大騒ぎするほどのことではない」のでしょうか?

 かつての日本は安全で安心な国だったというのは、単なる美しい幻想なのでしょうか?

 「すでに打っている対策によって、この減少傾向が続くだろうから、それほど心配しなくてもいい」のでしょうか。

*さらにいえば、問題は犯罪件数だけではないと思います



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神の死からニヒリズムの死へ?:ニーチェ鎮魂

2007年10月19日 | 生きる意味

 この秋から行きはじめたキリスト教主義大学での講義で、あらためてニヒリズムとその克服の可能性について話しています。

 そのつながりで、久しぶりにニーチェ関連の文献を読んでいます(山崎庸佑『ニーチェ』講談社学術文庫など)。

 そこで、以下のようなニーチェの言葉に出会いました。


 今日、道徳的なことがらを研究しようとする者には、巨大な研究領域がひらかれる。……これまで人間が自己の「生存」とみなしてきたもののすべて、またこのようにみなすことに存する合理性、情熱、迷信のすべて――これらのものはすでに最後まで探究されているか? しかし人間の衝動がいろいろな道徳的風土に応じてなしとげた、またこれからもなしとげるであろういろいろな成長を観察することは、それだけで、もっとも勤勉な者たちにとっても、あまりにも多くの仕事を提供することになる。……

 これらの仕事がすべてなされたとしても、あらゆる問題のなかでもっともむずかしい問題、つまり、科学が行為の目標を奪いさり、破壊しうることを証明してみせたあとで、はたして科学はそれをあたえることができるかどうかという問題が、前面に出てくるだろう。――そうなると、いかなる種類のヒロイズムも満足できぬような実験、これまでの歴史のすべての偉大な仕事や犠牲が光を失うかもしれぬような数世紀の長きにわたる実験こそふさわしかろう。これまでのところ、科学はまだその巨石建築物を建造しなかったが、そのための時もまたやってくるだろう。(ニーチェ『悦ばしい知識』第一章より)


 『悦ばしい知識』は1882年に出たもので、つまり125年前のものです。

 ニーチェの予言よりはかなり早く、科学が倫理の根拠を示すことができる、「そのための時がまたやって」来つつあるようです。

 「力への意志」と「生成」と「永遠回帰」に代えて、「宇宙の自己組織化・自己複雑化」と「進化しつづける宇宙」を科学が語る時代になってきたのです。

 ニヒリズムと格闘して、克服しきれず――と私には見えますが――倒れたニーチェといまだにあちこちをうろうろしているその迷える霊に、「ご苦労さまでした。もう安心して眠ってください」と鎮魂の言葉を贈りたいという気がしています。



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いのちの意味の授業2:自信のワーク

2007年10月17日 | 心の教育
 
 テキスト:生きる自信の心理学

 戦後教育の相対評価

 目を開けると見える

 無力感か自己能力感か、それはあなたの選択

 セルフ・イメージとセルフ・トーク

 生きている価値のない人間などこの世にはいない

 心の目の向きを変える

 心の目の向きを変える 続

 あなたには6つ以上長所がある! 

 認めると伸びる

 あなたには両手に余る長所がある!

 見える大きさは見る距離で変わる

 心を明るくする5つの質問

 5つの質問のコメント

 優越感は自信ではない

 傲慢は自信ではない

 うぬぼれは自信ではない

 ナルシシズムは自信ではない

 ムダな努力をしないで幸福になる方法

 認められたかったら認めよう

 変わるか変わらないかはあなたの自由です 

 認め合えば自信は深まる

 心の中の口癖を直そう

 心の中の口癖を直す 1

 心の中の口癖を直す 2

 自信の3つのレベル



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NHK「クローズアップ現代――携帯によるいじめ」にふれて

2007年10月11日 | 心の教育

 昨日夕方、NHKテレビの「クローズアップ現代」で携帯によるいじめが広がっているという特集をやっていました(昨日時間がなかったので今日書きます)。

 高校生などの間で、相手にわからないことをいいことに、携帯でひどい言葉を集中的に浴びせるという現象が広がっているようです。

 先日、そのためにひどく傷ついて自殺した高校生も出ました。

 日本人の心の荒廃はますます深刻化している、と感じます。

 こうした子どもたちが大人になった時、日本はどういうことになっているのでしょう。

 見ながら、かみさんが「どうしたらいいの!」と悲鳴をあげました。


 しかし、こうした現象に対して、本格的に行なえばコスモロジー教育=コスモス・セラピーが相当な有効性をもっている、と私は確信しています(ただし治療効果よりも予防効果のほうがはるかに高いとは思いますが)。

 まず、ともだちといってもいいくらい身近な人をいじめて、「すっとした」「ストレス解消」というくらい、いじめる側の子どもにもストレスが溜まっているのです。

 そのストレスを適切・健全に発散-解消する方法を子どもたちに教えないかぎり、いろいろな規制をしてもその規制の網をかいくぐって、子どもたちはやり続けるでしょう。

 いじめをしなくてもストレスが解消できる、いじめるよりも楽しいことがある、と実感して、それでもいじめを続ける人間はいるはずがありません。

 主に子どもたちの感じているストレスは「比較-競争社会」のプレッシャーから来ていることはほぼまちがいありません。

 学校が主として成績による比較-競争社会であり続けるかぎり、いじめは根絶できないと思われます。1)

 といっても、一切競争を否定して「なかよしごっこ」をしなければならないというのではありません。

 けれども、人間だけではなくそもそも生物の社会が「弱肉強食」の「生存闘争」の社会であり、それは仕方のないことだというのは、もう生物学としても古い考えなのです。

 二十世紀ほぼ100年をかけてエコロジーが明らかにしたのは、生態系・生命系は「競争的共存・共存的競争」の社会であって、競争だけでも共存だけでも成り立っていないということです。

 「弱肉強食」と見えたのは個体で見るからで、種の関係は「食物連鎖」であり、もっとも強いように見える生物種は基礎(栄養)になってくれる生物種が絶滅したら自らも生存できないのです。

 そういう生命系-食物連鎖の世界には絶対的な強者も絶対的な弱者もありません。全体が、バランスによって成り立っているのです.2)

 そういうことから類推すれば、人間界にも競争も共存もどちらの面も必要だと考えられます。

 学校で、クラス編成の一番早い段階で、自分を認め、お互いを認めあうワーク 3)をしっかりと行なって、クラス作り――クラスのメンバーがほんとうの友達になる、クラスを協力社会にする――をすれば、それだけでもいじめの風土が相当に弱まるはずですし、うまく行けば根絶できるでしょう。

 その上で、よきライバルとしてのフェアな競争はさせればいいのです。


 もう1つは、なるべく早い年齢から、コスモス・カレンダーの授業によって、いのちの宇宙的な尊さをしっかりと自覚してもらうことです。4)

 自分のいのちも他者のいのちも宇宙的・絶対的に尊いことを知って、それでも他者のいのちを傷つけるなどということがありうるでしょうか。


 さらに、もう1つ。「隠れてやってばれなければいい」という考えに対する、しっかりとした心理学的な根拠のある忠告をすることです。

 もはや神仏が見ていると信じていなくても、そしてたとえ他人に隠れてばれなくても、自分のやることは自分の心――それも心の深いところ――がちゃんと見ているということです。

 卑劣なことをやっていること、自分が卑劣なことをする人間であるということは、自分の心がしっかりと見ていて、しっかりと憶えているのです(たとえ記憶を抑圧しても意識の底に残る、というのは深層心理学の常識です)。

 そして、自らが卑劣な人間であるという事実の記憶は、すぐに結果をもたらさなくても、徐々にいつか必ず結果を生み出します。

 つまり、腐ったことをやり続けていると人間は心の奥から腐ってくるのです。

 心の奥の腐った人間が、明るい、気持ちのいい、さわやかな、幸福な、クォリティ・オヴ・ライフの高い人生が送れるわけはないのです。

 自分の魂を腐らせたくなかったら、汚い、腐った、卑劣なことはしないことです。


 そういうことを、なるべく早い時期に折に触れて心を込めて伝えれば、今すぐすべての子どもにというわけにはいかなくても、気づく子どももたくさんいるはずです(少なくとも私の教えた大学生の相当多数でそういうことが起こっている、と私には見えます)。

 「手はある」、「問題は多くの教師や親が本気で使うかどうかだ」と、私には思えるのですが、読者のみなさんはどうお感じですか?




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サングラハ第95号が出来ました!

2007年10月10日 | Weblog

 『サングラハ』第95号が出来ました。

 この号の目玉原稿は、環境問題に関して今もっとも的確な発言をしておられると私が評価している小澤徳太郎先生の連載の開始です。

 さらに、ウィルバーの視点に示唆されつつ21世紀の政治がどこに向かうべきかを書いたサングラハの会員の力作投稿もあります。

 青森公立大学の羽矢先生の連載では、コンパクトでわかりやすい仏教の流れを学ぶことができます。

 私は、このブログで少し書いた「ほんとうの〈自己実現〉とは何か」ということについて続きを最後まで書きました(申し訳ありませんが、有料の雑誌読者と無料のブログ読者には少しだけ差をつけさせていただく必要がありますので)。

 関心を持っていただける方は、ぜひ、年間講読いただけると幸いです(年間6回、一般は5000円、学生は3000円)。

 お問い合わせ・お申し込みは、氏名、住所、年齢、性別、職業、電話番号、メールアドレス(できれば携帯の番号、アドレスも)を明記して、サングラハ教育・心理研究所に、メールでどうぞ(okano@smgrh.gr.jp宛)。



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いのちの授業:目次を整備しました!

2007年10月09日 | 生きる意味




 ここのところ記事を更新していませんが、それは例によって忙しいだけでなく、これまで書いてきた「いのちの授業」の、特にコスモス・カレンダーのところの目次を整備するのに時間を費やしているためです。

 やってみると、過去の記事の目次を入力し、記事とリンクさせるのはけっこう時間がかかりますね。

 でも、そうすることで、流れに沿って全体を学んでいただけると思うので、やってみました。

 初めての方、全体像が見えてくると、受講した学生たちと同じようにあなたのコスモロジーが180度変わるかもしれません。

 すでに学んでいる方、改めて、繰り返し全体の流れを学んでいくと、コスモロジーが心の奥深くに沁みていくと思います。

 ぜひ、使ってください。



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和の国日本の実現

2007年10月06日 | 歴史教育

 引き続き、『逝きし世の面影』「第四章 親和と礼節」から引用・紹介させていただきます。


……江戸社会の重要特質のひとつは人びとの生活の開放性にあった。外国人たちはまず日本の庶民の家屋がまったくあけっぴろげであるのに、度肝を抜かれた。オールコックはいう。「すべての店の表は開けっ放しになっていて、なかが見え、うしろにはかならず小さな庭があり、それに、家人たちは座ったまま働いたり、遊んだり、手でどんな仕事をしているかということ朝食・昼寝・そのあとの行水・女の家事・はだかの子供たちの遊戯・男の商取り引きや手細工などがなんでも見える」。……

 家屋があけっぴろげというのは、生活が近隣に対して隠さず開放されているということだ。したがって近隣には強い親和と連帯が生じた。家屋が開放されているだけではなく、庶民の生活は通路の上や井戸・洗い場のまわりで営まれた。子どもが家の中にいるのは食事と寝るときで、道路が彼らの遊び場だった。フォールズが述べている。「日本人の生活の大部分は街頭で過され、従ってそこで一番よく観察される。昔気質の日本人が思い出して溜息をつくよき時代にあっては、今日ふさわしいと思われるよりずっと多くの家内の出来ごとが公衆の目にさらされていた。……家屋は暑い季節には屋根から床まで開け放たれており……夜は障子がぴったりと引かれるが、深刻な悲劇や腹の皮のよじれる喜劇が演じられるのが、本人たちは気づいていないけれど、影に映って見えるのである」。……

 開放されているのは家屋だけではなかった。人びとの心もまた開放されていたのである。客は見知らぬものであっても歓迎された。ルドルフ・リンダウは横浜近郊の村、金沢の宿屋に一泊したとき、入江の向い側の二階家にあかあかと灯がともり、三味線や琴で賑わっているのに気づいた。何か祝い事をやっているのだろうと想像した彼は、様子を見たく思ってその家を訪ねた。「この家の人々は私の思いがけぬ訪問に初めは大層驚いた様子であったし、不安を感じていたとさえ思えた。だが、この家で奏でられる音楽をもっと近くから聞くために入江の向うからやって来たのだと説明すると、彼らは微笑を漏らし始め、ようこそ来られたと挨拶した」。二階には四組の夫婦と二人の子ども、それに四人の芸者がいた。リンダウは、歓迎され酒食をもてなされ、一時間以上この「日本人の楽しい集い」に同席した。彼らは異邦人にびくびくする様子はなく、素朴に好奇心をあらわして、リンダウの箸使いの不器用さを楽しんだ。そして帰途はわざわざリンダウを宿屋まで送り届けたのである。これは文久二(一八六二)年の出来ごとであった。

 通商条約締結の任を帯びて一八六六(慶応二)年来日したイタリア海軍中佐ヴィットリオ・アルミニヨン(一八三〇~九七)も、「下層の人々が日本ほど満足そうにしている国はほかにはない」と感じた一人だが、彼が「日本人の暮らしでは、貧困が暗く悲惨な形であらわになることはあまりない。人々は親切で、進んで人を助けるから、飢えに苦しむのは、どんな階層にも属さず、名も知れず、世間の同情にも値しないような人間だけである」と記しているのは留意に値する。つまり彼は、江戸峙代の庶民の生活を満ち足りたものにしているのは、ある共同体に所属することによってもたらされる相互扶助であると言っているのだ。その相互扶助は慣行化され制度化されている面もあったが、より実質的には、開放された生活形態がもたらす近隣との強い親和にこそその基礎があったのではなかろうか。

 開放的で親和的な社会はまた、安全で平和な社会でもあった。われわれは江戸時代において、ふつうの町屋は夜、戸締りをしていなかったことをホームズの記述から知る。しかしこの戸締りをしないというのは、地方の小都市では昭和の戦前期まで一般的だったらしい。ましてや農村で戸締りをする家はなかった。アーサー・クロウは明治十四年、中山道での見聞をこう書いている。「ほとんどの村にはひと気がない。住民は男も女も子供も泥深い田圃に出払っているからだ。住民が鍵もかけず、何らの防犯策も講じずに、一日中家を空けて心配しないのは、彼らの正直さを如実に物語っている」。……

 平和で争いのない人びとはまた、観察者によれば礼譲と優雅にみちた気品ある民であった。ボーヴォワルは、立ち寄った商店の女がお茶と煙草をすすめる仕草に感心し、「庶民の一婦人のこの優雅さ」からすれば、「われわれを野蛮入扱いする権利」をたしかに日本人に認めないわけにはいかないと感じた。街ゆく人びとは「誰彼となく互いに挨拶を交わし、深々と身をかがめながら口もとにほほえみを絶やさない」。田園をゆけば、茶屋の娘も田圃の中の農夫もすれちがう旅人も、みな心から挨拶の言葉をかけてくれる。「その住民すべての丁重さと愛想のよさにどんなに驚かされたか。……地球上最も礼儀正しい民族であることは確かだ」。……

 しかし画家ラファージ(一八三五~一九一〇)は、日本人の礼節に「自由の感情」あるいは「民主的と呼んでよさそうなもの」を感じた。これはチェンバレンの感じたことに非常に近い。だが、〝封建制〟あるいは身分制度の一表現でもあるはずの丁重な礼儀作法が、ある種の自由や自立に通じるという逆説には、ここでは深入りを避けよう。それよりも問題として重要なのは、観察者に深いおどろきを与えた日本人の礼儀正しさが、彼らがこぞって認めた当時の人びとの特性、無邪気で明朗、人がよく親切という特性のまさに要めに位置する徳目だということだ。その点を明瞭に認識したのはエドウィン・アーノルドである。

 「都会や駅や村や田舎道で、あなたがたの国のふつうの人びとと接してみて、私がどんなに微妙なよろこびを感じたか、とてもうまく言い表わせません。どんなところでも、私は、以前知っていたのよりずっと洗練された立ち振舞いを教えられずにはいなかったのです。また、ほんとうの善意からほとばしり、あらゆる道徳訓を超えているあの心のデリカシーに、教えを受けずにはいられませんでした」。東京クラブでこう語ったとき、アーノルドは日本人の礼儀正しさの本質をすでに見抜いていたのだった。

 彼によるとそれは、この世を住みやすいものにするための社会的合意だったのである。「日本には、礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約が存在する。誰もが多かれ少なかれ育ちがよいし、『やかましい』人、すなわち騒々しく無作法だったり、しきりに何か要求するような人物は、男でも女でもきらわれる。すぐかっとなる人、いつもせかせかしている人、ドアをばんと叩きつけたり、罵言を吐いたり、ふんぞり返って歩く人は、最も下層の車夫でさえ、母親の背中でからだをぐらぐらさせていた赤ん坊の頃から古風な礼儀を教わり身につけているこの国では、居場所を見つけることができないのである」。「この国以外世界のどこに、気持よく過すためのこんな共同謀議、人生のつらいことどもを環境の許すかぎり、受け入れやすく品のよいものたらしめようとするこんなにも広汎な合意、洗練された振舞いを万人に定着させ受け入れさせるこんなにもみごとな訓令、言葉と行いの粗野な衝動のかくのごとき普遍的な抑制、毎日の生活のこんな絵のような美しさ、生活を飾るものとしての自然へのかくも生き生きとした愛、美しい工芸品へのこのような心からのよろこび、楽しいことを楽しむ上でのかくのごとき率直さ、子どもへのこんなやさしさ、両親と老人に対するこのような尊重、洗練された趣味と習慣のかくのごとき普及、異邦人に対するかくも丁寧な態度、自分も楽しみひとも楽しませようとする上でのこのような熱心――この国以外のどこにこのようなものが存在するというのか」。「生きていることをあらゆる者にとってできるかぎり快いものたらしめようとする社会的合意、社会全体にゆきわたる暗黙の合意は、心に悲嘆を抱いているのをけっして見せまいとする習慣、とりわけ自分の悲しみによって人を悲しませることをすまいとする習慣をも含意している」。

 いまこそわれわれは彼が次のように述べた訳が理解できるだろう。「国民についていうなら、『この国はわが魂のよろこびだ』という高潔なフランシスコ・シャヴィエルの感触と私は一致するし、今後も常にそうであるだろう。都会や町や村のあらゆる階層の日本人のあいだですごした時ほど、私の日々が幸福かつ静澄で、生き生きとしていたことはない」。アーノルドは一八八九年(明治二十二)年十一月に来日し、麻布に家を借りて娘と住み、九一年一月に日本を離れた。彼は九七年に日本人女性と結婚したそうだが、日本讃美者にありがちな幻滅が晩年の彼を襲ったかどうか私は知らない。しかしそれはどうだって構わないことだ。私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうるかぎり気持のよいものにしようとする合意と、それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ。ひと言でいって、それは情愛の深い社会であった。真率な感情を無邪気に、しかも礼節とデリカシーを保ちながら伝えあうことのできる社会だった。当時の人びとに幸福と満足の表情が表われていたのは、故なきことではなかったのである。


 ぜひご紹介したいので、長い長い引用になりました。

 この本に教えられて私も著者と共に、「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうるかぎり気持のよいものにしようとする合意と、それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ。ひと言でいって、それは情愛の深い社会であった。真率な感情を無邪気に、しかも礼節とデリカシーを保ちながら伝えあうことのできる社会だった。当時の人びとに幸福と満足の表情が表われていたのは、故なきことではなかったのである。」と言いたくなりました。

 江戸末期、日本は聖徳太子以来の国家理想「和の国日本」を相当なレベルで実現していたように思えます。



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「命の授業」:うれしい報告

2007年10月05日 | 心の教育

 昨夜、藤沢ミーティングルームでの講座が終わって帰宅し、パソコン・メールを開いてみると、うれしい報告が届いていました。

 以下、送っていただいた、月曜日の「命の授業」を受けた逗子中学の生徒たちの感想です。


・わくわくしながら聞いていました。 

・死にたいと思ったことあったけど、いきててよかった 私の うまれたことは奇跡なんだ。

・初めて、道徳がこんなにおもしろいと思いました。大きくなって子供が出来たら、ご先祖様の愛の話をしてあげたい。

・わたしも子孫にいっぱい愛情をかけたいです。

・「ここが銀河」最初はピンとこなかったけど、話を聞いているうちに「お~お~」と感激しました。

・宇宙の始まりのことを考えたのははじめて。

・「自分は先祖の愛情の結晶」という話に納得した。

・わたしのしらないところでいろんなことが起こっているのがわかった。

・地球を大切に生きていきたい。


 今の子どもたちに、「きみたちはご先祖さまの愛情の結晶なんだよ」というメッセージが伝わるかどうか、少し危惧していました。

 しかし、「うちの子たちにはきっと伝わると思います」という先生の言葉で、そこに強調点を置いて話をしたのですが、しっかりと受け止めてくれたようです。

 コスモス・メッセージは――私たちの生きているコスモスからのメッセージですから当然といえば当然なのですが――確実に子どもたちの心に届くことが、また一つのケースで証明されたと思います。

 たくさんの学校で、これを使って、ほんとうに子どもたちの心に届き心を育む「道徳教育」「命の授業」をしていただきたい、と心から願っています。



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簡素で豊かだった日本

2007年10月05日 | 歴史教育

 昨日に続いて、『逝きし世の面影』の「第三章 簡素と豊かさ」から引用・紹介をします。


 日本が地上の楽園などであるはずがなく、にもかかわらず人びとに幸福と満足の感情があらわれていたとすれば、その根拠はどこに求められるのだろうか。当時の欧米人の著述のうちで私たちが最も驚かされるのは、民衆の生活のゆたかさについての証言である。そのゆたかさとはまさに最も基本的な衣食住に関するゆたかさであって、幕藩体制下の民衆生活について、悲惨きわまりないイメージを長年叩きこまれて来た私たちは、両者間に存するあまりの落差にしばし茫然たらざるをえない。一八五六(安政三)年八月日本に着任したばかりのハリスは、下田近郊の柿崎を訪れ次のような印象を持った。

 「柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが、少しも見られない。 彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている」。むろんハリスはこの村がゆたかだと言っているのではない。それは貧しい、にもかかわらず不潔ではないと言っているだけだ。しかし彼の観察は日を追うて深まる。次にあげるのは十月二十三日の日記の一節である。「五マイルばかり散歩をした。ここの田園は大変美しい。いくつかの険しい火山堆があるが、できるかぎりの場所が全部段畑になっていて、肥沃地と同様に開墾されている。これらの段畑中の或るものをつくるために、除岩作業に用いられた労働はけだし驚くべきものがある」。十月二十七日には十マイル歩き、「日本人の忍耐強い勤労」とその成果に対して、新たな讃嘆をおぼえた。翌二十八日には須崎村を訪れて次のように記す。「神社や人家や菜園を上に構えている多数の石段から判断するに、非常に古い土地柄である。これに用いられた労働の総量は実に大きい。しかもそれは全部、五百か六百の人口しかない村でなされたのである」。ハリスが認知したのは、幾世代にもわたる営々たる労働の成果を、現前する風景として沈澱させ集積せしめたひとつの文化の持続である。むろんその持続を可能ならしめたのは、このときおよそ二百三十年を経ていたいわゆる幕藩体制にほかならない。

 彼は下田の地に、有名な『日本誌』の著者ケンペル(一六五一~一七一六)が記述しているような花園が見当たらぬことに気づいていた。そしてその理由を、「この土地は貧困で、住民はいずれも豊かでなく、ただ生活するだけで精一杯で、装飾的なものに目をむける余裕がないからだ」と考えていた。ところがこの記述のあとに、彼は瞠目に値する数行をつけ加えずにおれなかったのである。「それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困ってはいない。それに家屋は清潔で、日当りもよくて気持がよい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい」。これは一八五六年十一月の記述であるが、翌五七年六月、下田の南西方面に足を踏みこんだときにも、彼はこう書いている。「私はこれまで、容貌に窮乏をあらわしている人間を一人も見ていない。子供たちの顔はみな満月のように丸々と肥えているし、男女ともすこぶる肉づきがよい。彼らが十分に食べていないと想像することはいささかもできない」。

 ハリスはこのような記述を通して何を言おうとしたのか。下田周辺の住民は、社会階層として富裕な層に属しておらず、概して貧しいということがまず第一である。しかしこの貧民は、貧に付き物の悲惨な兆候をいささかも示しておらず、衣食住の点で世界の同階層と比較すれば、最も満足すべき状態にある――これがハリスの陳述の第二の、そして瞠目すべき要点だった。ちなみに、ハリスは貿易商としてインド、東南アジア、中国を六年にわたって経めぐって来た人である。

 プロシャ商人リュードルフはハリスより一年早く下田へ来航したのであるが、近郊の田園について次のように述べている。「郊外の豊穣さはあらゆる描写を超越している。山の上まで美事な稲田があり、海の際までことごとく耕作されている。恐らく日本は天恵を受けた国、地上のパラダイスであろう。人間がほしいというものが何でも、この幸せな国に集まっている」。彼は下田に半年しか滞在しなかったのだから、美事な稲田の耕作者たちが領主階級の収奪を受けていないかどうかという点にまで、観察を行き届かせたわけではない。だが彼の記述はハリスのそれの信憑性に対する有力な傍証であるだろう。もし住民が悲惨な状態を呈しているのなら、地上のパラダイスなどという形容が口をついて出るはずがない。

 おなじ安政年間の長崎については、カッテンディーケの証言がある。彼の長崎滞在は安政四年から六年にわたっており、その間、鹿児島、対馬、平戸、下関、福岡の各地を訪れている。彼はいう。「この国が幸福であることは、一般に見受けられる繁栄が何よりの証拠である。百姓も日傭い労働者も、皆十分な衣服を纏い、下層民の食物とても、少なくとも長崎では申し分のないものを摂っている」。この観察もハリスの陳述をほぼ裏書きするものといってよかろう。すなわちここでも、日本の民衆は衣と食の二点で十分みたされているものと見なされているのだ。……

 オールコックは一八五九(安政六)年日本に着任したが、神奈川近郊の農村で「破損している小屋や農家」をほとんど見受けなかった。これは彼の前任地、すなわち「あらゆる物が朽ちつつある中国」とくらべて、快い対照であるように感じられた。男女は秋ともなれば「十分かつ心地よげに」衣類を着ていた。「住民のあいだには、ぜいたくにふけるとか富を誇示するような余裕はほとんどないにしても、飢餓や窮乏の徴候は見うけられない」というのが、彼の当座の判定だった。これはほとんどハリスとおなじ性質の観察といってよい。

 しかし一八六〇(万延元)年九月、富士登山の折に日本の農村地帯をくわしく実見するに及んで、オールコックの観察はほとんど感嘆に変った。小田原から箱根に至る道路は「他に比類のないほど美し」く、両側の田畑は稔りで輝いていた。「いかなる国にとっても繁栄の物質的な要素の面での望ましい目録に記入されている」ような、「肥沃な土壌とよい気候と勤勉な国民」がここに在った。登山の帰路は伊豆地方を通った。肥沃な土地、多種多様な農作物、松林に覆われた山々、小さな居心地のよさそうな村落。韮山の代官江川太郎左衛門の邸宅を通り過ぎたとき、彼は「自分自身の所在地や借家人とともに生活を営むのが好きな、イングランドの富裕な地主とおなじような生活がここにあると思った」。波打つ稲田、煙草や綿の畑、カレーで味つけするととてもうまいナスビ、ハスのような葉の水分の多いサトイモ、そしてサツマイモ。「立派な赤い実をつけた柿の木や金色の実をつけた柑橘類の木が村々の周囲に群をなしてはえている」。百フィート(約三十メートル)以上の立派な杉林に囲まれた小さな村。一本の杉の周囲を計ると十六フィート三インチ(約五メートル)あった。山峡をつらぬく堤防は桃色のアジサイで輝き、高度が増すにつれて優雅なイトシャジンの花畑がひろがる。山岳地帯のただ中で「突如として百軒ばかりの閑静な美しい村」に出会う。オールコックは書く。「封建領主の圧制的な支配や全労働者階級が苦労し陣吟させられている抑圧については、かねてから多くのことを聞いている。だが、これらのよく耕作された谷間を横切って、非常なゆたかさのなかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きのよさそうな住民を見ていると、これが圧制に苦しみ、苛酷な税金をとり立てられて窮乏している土地だとはとても信じがたい。むしろ反対に、ヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きのよい農民はいないし、またこれほど温和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるをえなかった」。

 熱海に彼はしばらく滞在した。「これほど原始的で容易に満足する住民」は初めて見たと彼は思った。……「村民たちは自分たち自身の風習にしたがって、どこから見ても十分に幸福な生活を営んでいる」のだと彼は思った。……たしかに「そこにおいては封建領主がすべてであって、下層の労働者階級はとるに足らぬものである」。しかし現実に彼の眼に映るのは「平和とゆたかさと外見上の満足」であり、さらには「イギリスの田園にけっして負けないほど、非常に完全かつ慎重に耕され手入れされている田園と、いたるところにいっそうの風致をそなえている森林」である。ケンペルは二世紀も前に、「彼らの国は専制君主に統治され、諸外国とのすべての通商と交通を禁止されているが、現在のように幸福だったことは一度もなかった」と述べているが、結局彼は正しかったのではないか。この国は「成文化されない法律と無責任な支配者によって奇妙に統治されている」にもかかわらず、「その国民の満足そうな性格と簡素な習慣の面で非常に幸福」なのだ。次の一節はこの問題に関する彼の省察の結語といっていい。「とにかく、公開の弁論も控訴も情状酌量すら認めないで、盗みに対しても殺人に対するのとおなじように確実に人の首をはねてしまうような、荒つぽくてきびしい司法行政を有するこれらの領域の専制的政治組織の原因と結果との関連性がどうあろうとも、他方では、この火山の多い国土からエデンの園をつくり出し、他の世界との交わりを一切断ち切ったまま、独力の国内産業によって、三千万と推定される住民が着々と物質的繁栄を増進させてきている。とすれば、このような結果が可能であるところの住民を、あるいは彼らが従っている制度を、全面的に非難するようなことはおよそ不可能である」。


 タイトルがみごとに言い当てているように、幕末、明治初期の日本は簡素で豊かな国だったようです。

 けっして贅沢ではないけれども悲惨な貧困ではなく、庶民は「簡素」と表現できるようなつましく堅実で、そして清潔で美しさを感じられる生活をしていたというのです。

 「封建制=圧制と貧困の悪の体制」という印象で教えられてきたことは、いったいなんだったのでしょう。

 著者の渡辺氏も言っておられるように、もちろんこの時代にダークサイドがなかったというのではありません。

 しかし総体として、きわめて明るい面をもっており、その面を見るかぎり「恐らく日本は天恵を受けた国、地上のパラダイスであろう。人間がほしいというものが何でも、この幸せな国に集まっている」とまで絶賛されるような「美しい国」だったようです。

 幕末-戦前-敗戦-70年代という歴史的プロセスを経て、こうした日本が次第に失われつつあり、いまや絶滅寸前の危機にある、というのが私の見方です



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美しかった日本

2007年10月04日 | 持続可能な社会

 最近、人から「名著です」と紹介されて、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社)を読みました。

 まさに名著、感動的でした。

 そこに引用された幕末から明治初期にかけて来日した欧米人たちの報告する日本の姿は、川端康成風に言えばまさに「美しい日本」でした。

 一部を抜粋・引用してご紹介します。



 まず、「第二章 陽気な人びと」です。


 十九世紀中葉、目本の地を初めて踏んだ欧米人が最初に抱いたのは、他の点はどうあろうと、この国民はたしかに満足しており幸福であるという印象だった。ときには辛辣に日本を批判したオールコックさえ、「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」と書いている。ペリーは第二回遠征のさい下田に立ち寄り「人びとは幸福で満足そう」だと感じた。ペリーの四年後に下田を訪れたオズボーンには、町を壊滅させた大津波のあとにもかかわらず、再建された下田の住民の「誰もがいかなる人びとがそうありうるよりも、幸せで煩いから解放されているように見えた」。

 ティリー(生没年不詳)は一八五八年からロシア艦隊に勤務し、五九(安政六)年その一員として訪日した英国人であるが、函館での印象として「健康と満足は男女と子どもの顔に書いてある」という。……

 一八六〇(万延元)年、通商条約締結のため来日したプロシャのオイレンブルク使節団は、その遠征報告書の中でこう述べている。「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない」。また一八七一(明治四)年に来朝したオーストリアの長老外交官ヒューブナー(一八一一~九二)はいう。「封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである」。


 続けてご紹介したいと思いますが、私たちの学んだ日本史では、江戸時代は「封建的」でひたすらひどい時代だったという印象を与えられてきましたが、まったく違った一面――もちろんひどい面があったことも事実でしょう――があったことを知り、その面の美しさに感動させられたのです。

 庶民が満足し幸福である国こそ「美しい国」なのではないでしょうか。



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いのちの意味の授業1:コスモロジー

2007年10月03日 | 生きる意味
自己紹介
前宣伝
最初のアンケート 
若者たちが危うい?
死んだらどうなると思っていますか
死んだらご先祖さまになる?
悪いことをした時、なんといって叱られましたか?
かつての日本人が信じていたこと
崩壊の3つまたは4つの段階 1-1 黒船について
崩壊の3つまたは4つの段階 1-2 神仏分離について
崩壊の3つまたは4つの段階 1-3 神仏分離について 2
崩壊の3つまたは4つの段階 2 アメリカの占領政策
*崩壊の3つまたは4つの段階 3 「理想」の死

コスモロジーについて
コスモロジー学習の情報源

アメリカの言論統制について
公教育と宗教の分離

近代化の徹底とニヒリズム
近代のプラス面
近代主義によって深刻化した3つの大問題

近代科学の〈ばらばらコスモロジー〉1
近代科学の〈ばらばらコスモロジー〉2
近代人の典型的な悩み――パスカルのケース

美しい銀河の中の私
銀河の中心部

自信の3つのレベル
自分で自分を生んだひとはだれもいない 
いのちのつながりと重さ
I was born
自己は自己でないものによって自己である

現代科学のコスモロジー:そのアウトライン
*科学的でしかもむなしくないコスモロジー
宇宙カレンダー
宇宙の始まりと私の始まり
すべては1つである
区分・区別はできるが分離していない宇宙
宇宙のイメージ
私の体には宇宙137億年の歴史が込められている
私たちは価値ある星のかけら?

星とともに走っている者

宇宙が自分の中に銀河というかたちを生み出す
天の川銀河系の誕生と超新星
原始太陽系と地球の誕生

教師の勲章

母なる地球の胎動
生命の創発

海の詩

*宇宙カレンダーの授業の感想
*毎日コスモロジー
*生命の創発の「すごさ」

すべての生命は共通の先祖から生まれた?
生きていることは息をしていること
光合成微生物と植物と私のつながり
生命の相互依存
性――このすばらしいものの創発

学生たちの変化
孤独を感じている人に

細胞たちの協力体制の創発=多細胞生物

*性と多細胞:魅力と協力の創発
*つながってこそいのち、つなげてこそいのち
*産む性ということ:柳沢大臣の発言にふれて

姿・形と香りのある世界の創発――蠕虫から魚類へ

*宇宙が宇宙を見始めた?
*能力はコスモスからのプレゼント

大地が緑に染まり始める――植物の陸地への移動
ご先祖さまの大冒険――動物の上陸
生命力の源泉――爬虫類のご先祖さまからの遺産
喜びや悲しみのある世界の創発――哺乳類への進化

教え子たち
なぜいのちは大切か2005.11.22
なぜ人を殺してはいけないか
*NHKTVいじめ特集に思う

恐竜の絶滅――エレガント化するコスモス

冬の花

破壊と創造――種の絶滅について
宇宙の労作としての脳と心
人類――言葉と道具と火を使う動物
言葉の栄光と悲惨
「ばらばらコスモロジー」と「つながり・かさなりコスモロジー」

人類は宇宙の最高傑作か失敗作か?

*生態系崩壊の崖っぷち――ジャンプか転落か

人類は宇宙の自己認識-自己感動-自己覚醒の器官である?

*人間は宇宙の自己認識器官?
*宇宙の感動器官?
*「よりよい」あるいは「まし」なコスモロジー?
*コスモロジー教育の効果、改めて実証
*つながりの心を育む
*コスモロジー教育で心はすっきり晴れやかに
*君も星だよ
*コスモロジーを伝えても元気にはならない?
*人生の有限性と決断
*コスモロジーの移行に伴う危機
*子どもたちの顔が輝く時
*コスモス・セラピーの必要性と根拠

*銀河瞑想
宗教同士なのになぜ戦争をするのか?
*人生は137億年ワン・チャンス
*リルケと星空
*孫娘とのおままごととコスモロジー
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秋の東奔西走開始

2007年10月02日 | 心の教育

 土曜日と日曜日は福岡のお寺で「日本の心と仏教」というタイトルの講座でした。

 日曜夜遅く帰ってきて、ふう、明日は休みだ、と思っていたのですが、月曜日は、急なピンチヒッターで逗子中学で「命の授業」を2時限してきました。

 でも、80人あまりの中学生、とても可愛くて、楽しかった、行ってよかったです。

 子どもたちの顔、目を見ていると、コスモスのメッセージはほとんどの子に届いたのではないかと思います。

 この子たちの未来が、あまりひどいことになりませんように。

 今日は、大学と神楽坂の講座です。

 先々週から始まった秋の仕事、また東奔西走ということになりそうです。

 体調管理をしながら、なんとか走り抜けたいと思っています。

 よかったら、ご声援下さい




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持続可能な国づくりの会・学習会

2007年10月01日 | 持続可能な社会
●「持続可能な国づくりの会」の活動が始まっています。今月は下記のとおり学習会を行ないます。
 日本を持続可能な社会にしたい!と本気で思っておられる方も、それはどういうことだろう?と関心をもっておられる方も、ぜひお出かけ下さい。




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