『サングラハ』第184号「近況と所感」

2022年08月21日 | 広報

 少し遅れましたが、『サングラハ』第184号の「近況と所感」も掲載しておきます。 

 実際の暑さのピークはまだこれからです。八月は平年並みかそれ以上の暑さになりそうだと天気予報は言っています。
 日本中、記録的な大雨で被害が出ました。被害に遭われた方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 その他、一つ一つ改めて書くのはやめておきますが、国内外で、いろいろ好ましくない出来事がこれでもかこれでもかと起こってきています。
 読者のみなさんは、ご無事・お元気でしょうか。いつも、みなさんのご無事・ご健康をお祈りしています。
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 筆者は、もともと瀬戸内海の生まれで、若い頃は暑さには比較的強く、夏は好きな季節だったのですが、最近はとても強いとは言えず、ここのところ毎年、夏が終わると、「何とかやっと生き延びた」という感じです。
 とはいっても、筆者が少年だった今から半世紀以上前の夏は、今ほど暑くなかったので、弱くなったと感じるのは、年齢のせいだけではないようです。こちらが暑さに弱くなっただけでなく、暑さのほうがあまりに強くなったということもあるのでしょう。
 禅の言葉に「寒時(かんじ)は闍梨(じゃり)を寒殺(かんさつ)し熱時(ねつじ)は闍梨を熱殺(ねっさつ)す」(『碧巌録』第四十三則)というのがあります。「闍梨」は「阿闍梨(あじゃり)」つまり僧の敬称で、ここでは話している相手のことです。「〔嫌がって不平を言っていないで〕寒い時には寒さに成り切り、暑い時には暑さに成り切りなさい。〔そうすれば、乗り切ることができる〕」といった意味で、確かにある程度まではそうだと思うのですが、しかし寒さも暑さも、度を超すと本当に死んでしまいかねません。
 近年の気候変動による暑さは、精神論だけでは対処しきれないところまできているようです。筆者も、最近はクーラーを付けて寝ています。過度な我慢はせず、適度で合理的な暑さ対策をしながら、この夏も乗り超えたいものです。
 夏もまた無常ですから、どんなに厳しくてもやがては必ず終わります。
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 暑さだけでなく、今起こっている山積みの問題もまた、無常です。「無常は仏法なり」(道元)。あらゆるものが変化するというのが宇宙の法則ですから、どんな問題もいつかは終わります。そして終わってみると、その問題は新しい解決へのプロセスだったことが見えてくるはずです。
 ただ、個人や集団や人類にとって不都合なことは、問題が終わって新しい解決が創発する前に個人のいのちが終わってしまったり、集団も壊滅状態になったり、人類の場合は、問題の終わりと一緒に人類も他の多くの生命種と同じ運命を辿って終わってしまうかもしれないということです。
 しかし、これまで何度もお伝えしてきましたし(「耳タコ」の方もおられるかもしれません⦅笑⦆)、後の記事「コスモロジー心理学各論8――全地球的な危機について」グローバルでも改めて書きましたが、「もし、破壊が次の創発の準備であり、死が次の誕生の準備だとすれば、根源的には宇宙には不条理はない、ということになります」。

 個人が、幸福な人生を送り穏やかな死を迎えようが、不幸な人生を送って悲惨な死を迎えようが、「生死は仏のおんいのち」です(今回と次回の連載記事「『正法眼蔵』「生死」巻講義、参照)。
 水曜講座で講義を始めた『正法眼蔵』「一顆明珠(いっかみょうじゅ)」の言葉を先取り的に引用すると、「いったい誰が、いろいろな事が起こったり滅したりするのを、これは宇宙のことだ、これは宇宙のことではないと肯定したり否定したりすることに心を煩わせる必要があろう。たとえ思い悩んだり心を煩わせたりしても、宇宙のことでないことはない。宇宙でないものがあって起こさせた行為でも思いでもないのだから、ただまさに須弥山(しゅみせん)中の亡者どもが住む暗黒の洞窟の中でさまざまな生活があり、それもまたただ一体なる宇宙〔の働き〕だということなのである」と言われています。
 すべての出来事は一つのエネルギーとしての宇宙(一顆明珠)の働きであり、私の悩みもまた宇宙の働きであり、暗黒の洞窟のようなところで無明に囚われた人々がやっているトラブルだらけの生活(第一八二号「無明がある限り、死の怖れ、環境破壊、戦争もある」参照)もまた宇宙の働き以外のものではない、というのです。
 自分の都合という分別知でものごとを捉え感じてしまう未熟な修行者・凡夫の菩薩である私たちには、なかなかすぐには肚落ちしない言葉ですが、ただの凡夫のように「そうは思えない。それは理屈だ。それは理想論だ。私には無理だ」と反発したり尻込みしたりしないで、肚落ちさせるべく精進を続けていきましょう。
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 自分にとってあまり好都合ではない時代であっても、よく生き抜いてよく死ぬためのヒントになりそうな記事を、今回も掲載しました。お役に立てていただけると幸いです。
 変わらないご愛読を感謝します。

 

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『サングラハ』第183号「近況と所感」

2022年08月21日 | 広報

 『サングラハ』第183号の発行のお知らせの時、「近況と所感」を掲載するのを忘れていました。

 問題山積の時代にあって、心が折れないためのヒントになるかと思い、掲載することにしました。参考にしていただけると幸いです。

 

 爽やかだった季節が終わろうとしています。季節は確実に移っていきます。「無常は仏法なり」(道元)。
 皆さんはいかがお過ごしですか。お元気でしょうか。
 あまり元気の出るニュースのない昨今ですが、それでも生かされて生きている日々は貴重です。生きることが許されている間は、日常をしっかり丁寧に生きたいものです。
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 ウクライナのあまりにも厳しい状況のニュースが毎日のように報道されています。私のまわりには、そうしたつらいニュースにずっと触れて、ご自分もとてもつらくなってしまっている方たちも少なくないようです。
 そういう方たちが「共感疲労」という言葉を使われるのを聞いて、そういう言葉があることを初めて知りました。
 そして「なるほど、実にうまく表現した言葉だな。今そういう気持ちになっている人は多いんだな。それはそうだ」と妙に納得してしまいました。
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それどころか「共感うつ」と表現してもいいくらいになっている方もいるようです。そういう気持ちはよくわかります。共感性が高いというか高すぎる人はそうなりがちです。
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「鈍感力」という言葉もあって、いろいろな出来事に対してあまり強く感じないという気質の人もいるようです。
 それから、特に悪げがあるわけではなくごく庶民的に大きなことは自分には関係がないと思って無関心でいることができ、その結果いろいろなことにわりに平気でいられる人もかなり多いように見えます。
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 それに対して「HSP(Highly Sensitive Person,繊細すぎる人)」と呼ばれるタイプの気質の人は、ものごとを強く感じすぎて、生きるのがなかなか大変なようです(心理学者のエレイン・アーロンによれば人口の二〇パーセント
くらいいるとのこと)。
 筆者もそういう傾向がありましたし、今でもちょっと油断すると外部の状況に影響されてうつ気分になりそうです。
 しかし、幸い禅と論理療法を学んだおかげで、「共感うつ」にはならないですんでいます。
 すでに著書や講義で皆さんにお伝えしてきましたが、今回改めてポイントをお話ししておくといいと思いました。
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 かつて初めて論理療法を学んで「眼からウロコ」だったのは、「共感することと共感しすぎることは同じではない」ということでした。
 真面目な人には、「他人の不幸には共感すべきであり、共感して心が乱れるべきである」という思い込み(イラショナル・ビリーフ)がありがちだが、「不幸な人を見た時にするべきことは、その不幸を無くすか軽減するための行動であって、自分も共感しすぎて心が乱れて不幸になることではない」というのです。
「健全な市民にはもちろん適度な共感性は必要だが、共感しすぎて自分まで不幸になるのは、世界に不幸な人を一人増やすだけで、不幸を減らすことにはならない。あなたがすべきことは、不幸を少しでも減らす具体的な行動をす
ることであって、それができないのなら、そのことは忘れて、せめて自分が不幸になるのは避けるように」と。
 これだけでは、真面目すぎ、優しすぎ、共感性が過度に高い方には、すぐには納得しにくいかもしれません。
 でも、共感しすぎて疲れたりうつになったりするようでしたら、人間として適度な共感の範囲にとどまって、できる行動をすることのほうが有効性があるという理性的な考え方(ラショナル・ビリーフ)に変更することを検討してみていただくといいのではないか、と筆者は思っています(詳しくは拙著『いやな気分の整理学――論理療法入門』NHK生活人新書、P・A・ホーク/拙訳『きっと「うつ」は治る』PHP研究所、どちらも品切れですがネット等の古書で入手可)。
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もう一つ、『坐禅儀』では、冒頭で「大乗の菩薩は坐禅をする時にまずすべての生きとし生けるものを救いたいという大悲心を起こすように」と言っておきながら、そのすぐ後に「諸縁(しょえん)を放捨(ほうしゃ)し万事(ばんじ)を休息(きゅうそく)せよ(さまざまな関わり合いを忘れ去り、すべての俗事を休むように)」と言っていました(第一七六号「六波羅蜜を学ぶ⑹」参照)。
 それは、いったんすべてを忘れ休んで、心を静かにし心のエネルギーを取り戻して、それから衆生救済に取りかかるように、ということでした。慈悲は、過度の共感や同情ではなく、具体的な業・行為(カルマ)であり、それには大変なエネルギーが必要で、そのためには十分な休息も必要だということでしたね。
 ぜひ、この世(家庭や会社や日本や世界)のトラブルのことを一切忘れて深くやすらぐ時間を確保して、それからまた元気になって(根元である宇宙のエネルギー・気をもらって)、この世でしっかり働いて、最後は迷わず光の国
に帰れるといいですね。引き続きご一緒に精進しましょう。


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『サングラハ』第184号が出ました!

2022年08月01日 | 広報

 お待たせしました。『サングラハ』第184号が出ました。混迷の深まる時代をどう生き抜くかのヒントをが語られています。どうぞ、ご購読ください。

 

  目 次

■ 近況と所感…………………………………………………………………………………… 2

■『正法眼蔵』「生死」巻講義上………………………………………………岡野守也… 4

■ コスモロジー心理学各論8―全地球的(グローバル)な危機について…岡野守也… 19

■書評『人新世の「資本論」』における「脱成長コミュニズム」(5) …増田満…… 28

■ 講座・研究所案内…………………………………………………………………………… 38

■ 私の名詩選(83) 寒山詩…………………………………………………………………… 40

 

 編集後記


 今号、普通には「心が折れる」世の現状に対する、いわば対処法の特集となっています。

 主幹による正法眼蔵「生死」の巻講義録が始まりました。覚りの眼には絶望などありえないことが納得できます。

 コスモロジー各論では、それに対応する外面の世界観においても、絶望は無用であることが明示されています。

 ぜひ、このカオスが新たな秩序の創発につながってほしいものです。

 羽矢先生の「仏弟子たちのことば」は著者都合により短期間休載となります。

 増田さんの書評では、脱成長コミュニズムの理想が紹介されています。対応する内面的変革がぜひ必要だと感じます。

                              (編集担当)

 

●購読の問合せ、申込みはサングラハ教育・心理研究所のフォームでどうぞ。

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