生まれたばかりの人間の赤ちゃんはとても無力です。できることといえば、泣くこととおっぱいを吸うことくらいです。しかも、おっぱいも口のそばにもってきてもらって初めて吸うことができるのです。
しかし、赤ちゃんの無力さは同時に柔軟さでもあります。専門用語では「可塑性(かそせい)」といいます。特定の本能的な能力で固まっておらず、教育によって驚くほどいろいろな能力を学習することができるのです。
赤ちゃんの可塑性は大変なもので、ほとんどどうにでも形作ることができるといってもいいくらいです。
ですから、よく挙げられる例ですが、オオカミに育てられた子どもはまるでオオカミのような行動をするようになるのです。
そういうふうに、人間が人間になるには、必ず教育-学習が必要です。
そして、人間は、もちろん他の要素もありますが、言葉をもっとも重要な核として文化を教育-学習します。
言葉によって大人から子どもへ伝達-教育されるものは、現代風にいえば「情報」です。
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前回お話ししたことと重ねていえば、人間はコスモロジーをもつことなしには生きていくことができない、つまりまとまりのある言葉の束、システム化された情報をインプットされることなしには生きていけない生き物なのです。
さて、赤ちゃん-子どもは、そうした情報をどこから得るのでしょうか? 情報源として、どんなものがあるか、考えて見てください。
母親、両親、家庭……そうですね。これがまず最初の情報源です。
それから?
近所=地域社会、そうです。
そして?
学校=教育機関、そしてマスコミ=報道機関……そのとおり。
(最近、インターネットなど、従来と性質のまったく異なった情報源が出てきましたが、これはまだ幼児には使いこなせません。)
敗戦直後の日本を考えてみると、①家庭と地域社会、②学校、③マスコミ(新聞、ラジオ、出版)のたった3種類が、コスモロジー学習の情報源だったのです。
さて、日本人の「精神的武装解除」=大和魂の骨抜き=コスモロジーの剥奪と取替えを意図したアメリカは、この3種類のどれを押さえればよかったのでしょう?
マスコミ=報道機関と学校=教育機関、そのとおりです。
各家庭や地域は、押さえるにはあまりに数が多すぎて、実行不可能です。
しかしマスコミと学校なら、十分、進駐軍=占領軍の司令部(GHQ)で押さえることができます。
そして、実際、GHQは、報道機関と教育機関をみごとに押さえ、「精神的武装解除」を実行したのです。
具体的にいうと、言論統制と教育政策(特に教育基本法、さらに特に第9条の②)という「情報操作」を徹底的に行なったのです。
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