『サングラハ』第161号が出来ました!

2018年09月29日 | 広報

 会報誌『サングラハ』第161号が出来ました。

 本日発送しましたので、読者のみなさん、少しお待ちください。

 今号も執筆者のみなさんの力作の原稿が揃いました。

 特にコスモロジー教育の小学校での実践報告、子どもたちの感想がなかなか感動的です。

 筆者の「『唯識三十頌』を学ぶ」は、唯識を初歩から学びたい方のための連載です。まだ第2回ですから、前号の第1回と合わせて読んでいただければ、唯識の学びのスタートが切れるので、お勧めします。

 関心を持ってくださるブログ読者のみなさん、よろしければ、さらに踏み込んで本誌もお読みになりませんか。


  目 次

 ■ 近況と所感……………………………………………………… 2

 ■『唯識三十頌』を学ぶ(2)……………………………岡野守也… 6

 ■ 唯識と論理療法を融合的に学ぶ(11)………………… 〃…… 16

 ■ 新・ゴータマ・ブッダのことば(13)……………………羽矢辰夫…34

 ■ 近代、アメリカ、日本三つの未完のプロジェクト(1)…増田満… 36

 ■ 実践報告:合唱曲「COSMOS」の詞より(2)……松原弘和…… 42

 ■ 講座・研究所案内…………………………………………………46

 ■ 私の名詩選(60)万葉集の月の歌…………………………………48


 お問い合わせは、samgraha*smgrh.gr.jp(*を@に換えてください) へどうぞ。


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不安から安心への移行

2018年09月25日 | メンタル・ヘルス

 繰り返すと、当研究所の講座プログラムは、「正しく適度な心配はするが過剰な不安に囚われず、やれることをやって、後は宇宙に任せる(受容)ことのできる心」を育み、危機の時代を生き抜く心備えを確立することを目指しています。

 不安に対処する3つの方法のうち③の「正しく考える」方法としては、論理療法、ロゴセラピー、ポジティブシンキングなど、「大きく正しく考える」方法としてマルクス・アウレーリウスなどのトア哲学、そして唯識ー仏教心理学、さらにそれらを融合したコスモロジー心理学などのプログラムを提供しています。

 こうした方法を適切に組み合わせながら、繰り返し持続的に実行すると、「不安を感じていない時間」が多くなることは確実ですし、究極の理想的モデルとしては、不安も含め悩みが一切ない大安心(だいあんじん)・涅槃・ニルヴァーナの境地に到達できることになっています。

 不安から大安心までは、白黒ではなくいわばグラデーションですが、ともかく瞑想を核とした総合的プログラムに参加していただくことでストレス・不安から安心への大幅な移行が起こることは、参加者の方々へのアンケート調査からも明らかです(まだ第三者による科学的エビデンスがないので、自己宣伝っぽくなるのが残念ですが)。

 実際に体験していただくことに優るものはないのですが(「百聞は一見に如かず」!)、なかなか時間が取れない、おっくうだ、ためらいがある…といった方のためにも、参加していただいた方の反復学習用にも、今後ともできる範囲で公開していきたいと思っていますので、読んで参考にしていただけると幸いです。


*東京土曜講座の「不安の時代の心理学――なぜいまコスモロジー心理学か」は、次回、10月6日の第2回のみの参加も可能です。前回の簡単な復習――シンプルで楽な瞑想を含む――をして先に進みますから、この回のみご参加いただいても、十分、多くのヒントを得ていただけると思います。
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瞑想はストレス・不安を緩和する

2018年09月24日 | メンタル・ヘルス

 最近、アメリカでは、「マインドフルネス瞑想法」が大流行しているようです。

 いまやグーグル、アップル、ヤフー、メルカリ、ゴールドマン・サックス、サンサン、ゼネラル・ミルズ、メドトロニック、エトナなどなど、もっと、多数の優良企業が社員教育に採り入れているというのは、驚きです。

 しかし、日本にとってマインドフルネスはいわば仏教の瞑想法の逆輸入物で、それは以下のとおり創始者のジョン・カバットジン氏もはっきり認めているとおりです。

 「『マインドフルネス瞑想法』というのは、“今”という瞬間に完全に注意を集中するという方法です。これは、仏教における瞑想の中核といわれており、禅宗を初めとして、そのほかの仏教宗派でも非常に重んじられているものです。しかし、仏陀も強調しているように、『マインドフルネス瞑想法』は、仏教徒以外の人が普通の生活に広く応用できる普遍性を備えているものです。私は、多くのアメリカ人が、新しい生活や新しい生き方をめざし、この古くから実践されてきた『マインドフルネス瞑想法』をとり入れ、それが肉体的にも精神的にもたいへん役だっていることを、日本の方々にも是非お知らせしておきたいと思います。」(春木豊訳『マインドフルネス ストレス低減法』「日本の読者のみなさんへ」ⅵ、北大路書房)

 とはいっても、もちろん伝統的なかたちそのままではなく、「マインドフルネスストレス低減法は、東洋思想や技法をベースにしているのであるが、それをカバットジンはプログラム化して分かりやすくしていることである」と訳者の春木先生は言っておられます(同書ⅲ)

 筆者が学んでいる範囲で言うと、

 ①仏教の特定宗派の教義は説かず、心を調えるうえで妥当・有効な洞察だけを採り入れている、
 ②結跏趺坐にこだわらず、より楽な坐り方やイスでもできるように工夫している、
 ③体のリラックス法としてヨーガもそうとうに採り入れている、
 ④それらの全体がプログラム化されており、その臨床効果が医学的・科学的に検討―確認されてきている、

といったところが大きな特徴だと思われます。

 中でも、たくみなプログラム化と臨床効果の科学的実証については、長年いわば本家の禅のかたちで実践してきた筆者も脱帽です。

 それから、臨床効果の科学的なエビデンスを学んだ結果、坐禅・瞑想の姿勢は「結跏趺坐でなければならない」という一種の原理主義を、少なくともストレス緩和の方法という点に関しては大幅にゆるめることにしました。

 そこで、すでに研究所の講座では、かなりゆるやかにやっていただくようご指導してきましたが、結跏趺坐や半跏趺坐でも足の痛み・しびれでつらい方には、より楽な坐り方やイスでもできる瞑想法として、より積極的に「マインドフルネス的瞑想法」――こちらがいわば本家なわけですが「マインドフルネス瞑想法」としてまとめ上げたのはカバットジン氏ですから、敬意を表して少し呼び方を変えることにしました――も使っていこうと思っています。

 いずれにせよ、坐禅、マインドフルネス瞑想法、ヨーガの瞑想法、ヴィパッサナー瞑想法、チベット仏教の瞑想法などの瞑想どれもが、ストレス・不安の緩和に顕著な効果があることは、もう議論の余地はないようです。

 あと、ストレス・不安の緩和法としてどれを選択するかは、自分との相性や出会いの問題なのかもしれません。

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考えなければ不安はない

2018年09月23日 | メンタル・ヘルス

 考えるのなら、腰を据えて考え抜く。

 いい考えが浮かばないのなら、一度徹底的に頭を空っぽにしてみる。

 考えなければ、ストレスは感じない、不安にも鬱にもならない。

 俗な言い方をすれば、「バカは悩まない」のである。「バカはへこたれない」「バカほど打たれ強い」。

 では、いったん意図的にバカになってしまってはどうだろう。 


 以下の『大般若経』(初分教誡教授品第七之二十六)の言葉も、とても格調の高い言い方をしているが、要するにそういうことを言っているのだと思われる。

 スブーティよ、覚りを求める者・志の大きな者が智慧を完成する行を修行する時には、すべてのことについて認識しないようにする(何も考えない)。すべてのことについて認識しない時には、その心は衝撃を受けるとか恐怖を感じるとか不安におののくといったことはない。すべてのことにかかわって心が沈み込んでしまうことも、またくよくよと鬱になることもない。

 善現、是の如く菩薩摩訶薩、般若波羅蜜多を修行する時、一切法に於て都(すべ)て見る所無し。一切法に於て見る所無き時、其の心驚かず恐れず怖(おのの)かず。一切法に於て心沈没(ちんもつ)せず亦た憂悔(うげ)せず。
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倫理性の崩壊が深刻化していると思う

2018年09月22日 | コスモロジー

 かつて、日本人の精神性の崩壊について書きました 1) 2) 3) 4) 5)。

 精神性・倫理性の崩壊はますます進んでいる・きわめて深刻化していると思わざるをえないことがまた起きました。

 文部科学省の次官他の汚職―辞任の事件です。

 「毎日のニュースを見聞きしていると、日本の上に立つ人たちの多くが、品性のないことをするだけでなく、法律を犯しているという事件がしきりに起こっています。昨日の新聞記事もそうでした。/これでは、「十七条憲法」の精神と真っ逆さま、あまりにも美しくない国ではありませんか。」と書いたのは2007年1月でした。

 またかと言えばまたかですが、文部科学省の次官他というのが、深刻化していると思わされます。

 彼らこそ、日本の子どもたちに倫理を教えるための規準と模範を示すもっとも責任ある立場にある大人たちだったはずです。

 こういう事件を見聞きしていると、日本人の倫理性が、頂上から麓まで崩壊しつつあるのではないか、と深く憂慮せざるをえません。

 改めて、聖徳太子『十七条憲法』、特に第四条の精神とはみごとに真っ逆さまだと思わされます。

 「第四条 もろもろの貴族・官吏は、礼法を根本とせよ。そもそも民を治める根本は礼法にあるからである。上に礼法がなければ、下も秩序が調わない。下に礼法がなければ、かならず犯罪が起こる。こういうわけで、もろもろの官吏に礼法がある時は、社会秩序は乱れない。もろもろの民に礼法がある時は、国家はおのずから治まるのである。」

 そこに書いたコメントも再録しておきます。

 「集団の重要な地位にある人は、法を守ることは当然ですが、まずそれに先立つモラルやエチケットつまり「礼法」を守って、人間としてのいい生き方の模範を示す責任がある、というのです。

 人々を治める――これはもちろん支配・搾取・抑圧するという意味ではなく、穏やかに秩序を保って平和に幸福に暮らせるようにするという意味です――には、根本的に生き方の模範を示すことが必要なのです。

 上に立つ人が、エチケット、モラル、さらには法にまで違反するようでは、下の人々がちゃんとするはずがありません。

 上に立つ人のモラルが乱れていれば、下々は犯罪さえ犯すようになるのです。

 しかし上に立つ人が、法律遵守することは当然、それ以上に品格のある行動をして模範を示せば、人々も「ちゃんとした人間はああいうふうに生きるものなのだ」と、それに倣って秩序を守るようになる、というのです。

 そして人々がエチケットやモラルをちゃんと守るようになれば、まして法律を犯すようなことはなく、強制しなくても自然に国が平和になっていくのだ、と太子は言っています。

 まさにそのとおり、話としては当たり前の話ではないでしょうか。

 しかし、毎日のニュースを見聞きしていると、日本の上に立つ人たちの多くが、品性のないことをするだけでなく、法律を犯しているという事件がしきりに起こっています。昨日の新聞記事もそうでした。

 これでは、「十七条憲法」の精神と真っ逆さま、あまりにも美しくない国ではありませんか。

 一日も早く、第四条の当たり前の話・理念が、同時に当たり前の事・現実であるような国になってほしいものです、いや、したいものです、ぜひそうしましょう。

 そう思われませんか。」

 右傾化ではない日本人の精神性の再建・再構築(レコンストラクション)が切実に求められていると思われます。

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不安を感じていない時間を持つためには2

2018年09月22日 | メンタル・ヘルス

 考えなければ、悩まない。では、考えないためにはどうするか、というと……

 「覚めているけれど心が空っぽで何も考えていない」という意識状態になれるといいわけです。

 それが①を徹底したかたち、具体的には本格的な坐禅であることはいうまでもありません。

 当ブログでかつて「足の痛み・しびれは心配ありません:禅定の話 2」という記事を書きましたが、この記事は今でも多数の方に読んでいただいています。

 ちなみに、9月9日にはこの記事を中心に12404の記事を8259人が読んでくださいました。

 2005年8月20日にこのブログを始めてしばらくして、閲覧者数7千を超えてビックリしたことがありましたが、それ以来のうれしいビックリでした。

 その後も続けて、かなりの数の方が読んでくださっています。

 有難うございます。参考にしていただけて、とてもうれしいです。

 坐禅・瞑想をすると心が安らいでストレスが軽くなるのではないかという期待で、してみたいが「足の痛み・しびれが心配」で思い切ってやってみることができないという方や、始めてはみたが、やっぱり足の痛み・しびれがきつすぎて続けるのがつらい、続けられないという方が多いのでしょう。

 私の研究所の講座では、坐禅の場合も準備体操をして足の痛み・しびれが最小限になるようなご指導をしていますし、会場によって、イスでできる瞑想法もお伝えしていますので、「足の痛み・しびれが心配で」、ためらっておられる方、よろしければぜひお出かけください。

 しかし、とはいっても、心が空っぽ、さらには空(くう)というところまでいく本格的瞑想・坐禅はなかなか簡単にマスターすることは困難です。

 そこで、それよりは難易度は低いけれどもかなりの効果を期待できるのが、②にあたる数息観(呼吸を数えることに心を集中する瞑想)やマインドフルネス的瞑想(シンプルにただ呼吸を感じる瞑想)などで、こうした瞑想法もお伝えしています。

 どちらにしても、呼吸などに注意を集中できるようになると、その他の余計なことは考えない、つまり悩みを忘れている時間を作れるようになることはまちがいありません。

 もちろんどれも、それなりの練習は必要ですが、瞑想にストレス・不安の軽減の顕著な効果があること、いわばコストパフォーマンス=対労力効果は確実・十分であることは、いわゆる科学的なエビデンスによって保証されています。
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不安を感じていない時間を持つためには1

2018年09月21日 | メンタル・ヘルス

 当研究所の講座プログラムは、「正しく適度な心配はするが過剰な不安に囚われず、やれることをやって、後は宇宙に任せる(受容)ことのできる心」を育み、危機の時代を生き抜く心備えを確立することを目指しています。

  そこで、まず不安を感じていない時間を持つ方法をお伝えしていくのですが、そのためにまず大筋として以下のポイントを押さえていきます。


 ① 心を空(「から」、さらには「くう」)にする:考えない

 ② 心を何かに集中する:余計なことを考えない

 ③ 大きな心になる:大きく正しく考える


 私たちは、熟睡したり気絶したりしている時は悩んでいない。というか、悩めません。

 それは、考えていない・考えられないからです。

 逆に言えば、考えるから悩む、考えなければ悩まない、ということです。

 ですから、悩みたくなかったら、考えないこと。

 とはいっても、パスカル風にいえば「考える葦」であることを運命づけられた人間は、ふつうふだん目が覚めている時は、あれこれと考えずにはいられません。

 だとしたら、どうすればいいのでしょう。

 次回の記事をお読みください。
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不安への対処の3つのタイプ

2018年09月20日 | メンタル・ヘルス
 
 不安は、未来の危機への漠然とした想像から生まれる感情です。

 非常に不愉快な感情である不安をなくすための対処には、以下の3つのタイプが考えられるのではないでしょうか。


 ①想像・考えることをやめる:否認と気晴らし

 ②避けられないこととして受け入れる:あきらめ、受容

 ③心配し正しく認識し適切な対処法を探って行動する


  どんなに困難であっても決して対処不可能ではないことについては、否認やあきらめではなく、③の対処がもっとも合理的・適切な対処であることはいうまでもありません。

 しかし、対処にはかなりのエネルギー・意志・勇気が必要ですから、そのエネルギーをチャージするために一定の気晴らしをすることは、ある程度あっていいし、必要だとさえいえるでしょう。

 また、安易なあきらめは非合理的・不適切ですが、ほんとうに避けられない・運命的な出来事については、受容するほかありません。

 そして、受容することは、フランクル‐ロゴセラピー的にいえば「態度価値の実現」です。

 変えうることは変える、変ええないことは受容することについて、よく知られているのは、アメリカの神学者ラインホールド・二ーバー(1892–1971)の次の祈りの言葉です。


 神よ、私に、変ええないことは、それを受け容れる平静さと、変えうることは、変える勇気を与えてください。そして変えうることと変ええないことを見分ける知恵を与えてください。
 
O God, give us serenity to accept what cannot be changed, courage to change what should be changed, and wisdom to distinguish the one from the other.
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現代の主な7つの不安

2018年09月19日 | メンタル・ヘルス

 先日(15日)、東京土曜講座の「不安の時代の心理学――なぜいまコスモロジー心理学か」の第1回目を行ないました(*当日のメモに基づき昨日の記事を若干修正し、タイトルも変更しました)。

 その内容のポイントをご紹介しようと思います。

 まず、参加者のみなさんと現代の主な不安にはどのようなものがあるかを考え、筆者があげたのも含め以下のような不安があることが確認―共有されました。

 読者のみなさんは、どう思われるでしょうか。
 もちろんこれ以外にもいろいろあると思われますが、「主な」というとほぼこれだけなのではないでしょうか。もし、お気づきのことがあれば、ぜひコメントをください。


  現代の主な不安

 ①生活水準が保障されなくなるのではないか

 ②社会秩序が崩壊に向かうのではないか

 ③災害が巨大化するのではないか

 ④環境がますます悪化するのではないか

 ⑤戦争に巻き込まれるのではないか

 ⑥科学技術が行き過ぎてしまうのではないか

 ⑦人類は絶滅に向かうのではないか


 こうした不安に目をつぶらず、どう向かい合うか、が学びの課題です。

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台風と地震の後で

2018年09月07日 | 日々の暮らし

 大型の台風21号が過ぎました。

 心配してくださった方に、「今回もこちらは幸い大したことはありませんでした(もちろん自分たちだけが大丈夫ならそれでいいと思っているわけではありませんが)」、とお知らせを書こうと思っていた矢先、北海道の大きな地震のニュースで、一種、言葉を失った感じになり、すぐに記事を書くことができませんでした。

 遅れましたが、二つの大きな天災で、亡くなられた方のご冥福をお祈りし、被災された方々に心からお見舞いを申し上げ、一日も早い復旧・復興をお祈りします。


 20号台風の後の段階で、秋からの講座案内に「事実としてはいやおうなしに危機の時代・不安の時代になりそうです(望まないことですが)」と書きましたが、望まないこと・きわめて残念なことながら、ますます現実のことになりそうで、とても心配です。

 危機の時代にはどうしても、不安に囚われて気持ちが暗くなるか、それが嫌なので「正常性バイアス」的に自分だけは大丈夫だと思いたくなりがちですが、そのどちらでもなく、正しく心配しながら、つまり危機管理意識をしっかり持って、できるだけ想定外がないような対策をしながら、しかし最終的には運を天に任せる、「人事を尽くして天命を待つ」という心の姿勢を確立することが望ましいのではないか、と思います。
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9月〜12月講座の案内

2018年09月02日 | 広報

 【東京】土曜講座 「不安の時代の心理学――なぜいまコスモロジー心理学か」

 最近の「経験したことのない」豪雨、洪水、土砂崩れ(「深層崩壊」!)、ゲリラ豪雨、巨大化する台風、竜巻、そして予想される巨大地震と津波など、生活・社会の基盤である自然環境の異変や、国際情勢の不安定化は、問題はあってもなんとなくほぼこんな感じで日常は続くだろう・続いてほしいと思っていた一種の天下泰平という時代の雰囲気を変えつつあるのでしょうか。

 雰囲気が本格的に変わるにはまだ時間差(タイムラグ)があるかもしれませんが、事実としてはいやおうなしに危機の時代・不安の時代になりそうです(望まないことですが)。

 いまとそして未来をしっかり見る勇気と目のあるみなさん、ご一緒に、これからどこに・どう心を据えるかを考えませんか。

 9月15日 10月6日 計2回

▼講師:研究所主幹・岡野守也▼テキスト:随時配布。▼時間:13時―17時▼会場:フォーラムミカサ・エコ(JR神田駅西口4分、内神田1―18―12 内神田東誠ビル8F)▼参加費(一回):一般=7千円、会員=6千円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方=4千円、学生=2千円(単発受講・当日支払可)▼定員:20名


 【東京】日曜講座「『摂大乗論』全講義」シリーズ5

 唯識心理学・コスモロジー心理学の源泉としての大乗仏教の深層心理学・唯識の代表的古典『摂大乗論』を現代的に読み解くと、うつ、不安、怒り、憎しみ、争いといったネガティブな心がなぜ生まれるのか、どうしたらなくすことができるのか、はっきりとした方向性がわかります。
 (中途受講可。これまでの入門講義とシリーズ1〜4はDVDで学習できます)。

 9月16日 10月7日 計2回

▼講師:研究所主幹▼テキスト:随時配布。▼時間:13時―17時▼会場:東京マインドルフルネスセンター(赤坂3―9―18 BIC赤坂ビル8F)▼参加費(一回):一般=7千円、会員=6千円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方=4千円、学生=2千円(当日支払可)▼定員:20名


 【高松】日曜講座「勇気づけの心理学――コスモロジーセラピーのアプローチ」
                残り3回(中途受講加)

 東京に続き、「究極の勇気づけ」の理論と方法ともいうべきコスモロジー心理学・コスモロジーセラピーを実践的に学びます。 
▼講師:研究所主幹▼テキスト:随時配布。▼時間:13時半―16時半▼参加費:一般1万5百円、年金・非正規・専業主婦7千5百円、学生3千円

 10月14日 11月18日 12月16日

▼会場:10月14日 サンポートホール51会議室 11月18日 同7F和室 12月16日 同51会議室


 【高松】水曜講座「よくわかる空海入門」

          後期残り3回(中途受講可)


 前期の伝記編に続き、弘法大師空海の壮大な思想の全体像を主著『十住心論』のエッセンスを通して学んでいます。いよいよ天台、華厳、そして真言宗を論じるクライマックスへと向かいます。
 
 ▼講師:研究所主幹▼テキスト:随時配布。▼時間:19時半―21時10分▼参加費(各回):一般2千5百円、年金・非正規・専業主婦2千円、学生千円
▼会場:サンポートホール51会議室、9月5日のみサンポートホール7F和室

 9月19日 10月17日 10月31日


 【水曜講座】「よくわかる道元入門」(予定)

 11月7日 11月28日 12月12日

○受講申込方法(各講座共通)
 氏名、住所、性別、連絡用の電話番号、メールアドレスを明記して、研究所あて
メール okano@smgrh.gr.jpまたはFAX087‐899‐8178 へ

        
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異常気象の深刻化,それでも希望

2018年09月02日 | 持続可能な社会

 また大きな台風が日本列島に接近しています。

 自分のところもですが、特に豪雨被害に遭われたばかりの地域にまた豪雨ということにならないよう、被害が最少であることを祈るばかりです。

 異常気象が続き、どんどん深刻化しているようで、非常に心配です。

 短期的な対処はもちろん必要ですが、この深刻な傾向に対する根本的な対応をする必要があると思います。

 以下は、2006年8月30日の「全体状況は悪化しているが希望もある!」というブログ記事の再録です。

 ほぼそのままお読みいただきたいと思い、再録しましたが、2つだけコメントしておきます。
 ①経済と福祉と環境のバランスを目指してみごとな方向付けをしてきたスウェーデン・北欧諸国も、難民問題では苦しんでいるようで、なかなか現実政治の世界でヒューマニズムの理想を実現するのは難しい、と改めて感じさせられています。
 ②メキシコ湾流が2010年頃止まるかもしれないという予想は、幸いまだ当たっていませんが、危険が去ったわけではないようです。

             * 

 ここで確認を共有したいのですが、すでに60年代半ばに警告はあったし、さまざまな人やグループが誠実で真剣な努力を重ねてきたことはまちがいありません。

 しかし、地球環境は全体としては悪化しています。まず、このことをはっきり認識しなくてはいけないと思います。

 お話ししてきたように、最新のデータを見ても、全体としての地球環境はさらに悪化するばかりで、近い将来での改善の見込みは立っているようには感じられません。拾っていくと目の前が真っ暗になりそうな話ばかりです。

 さまざまな真剣で誠実な努力が、悪化の速度を遅くするうえで大きな貢献をしたことは確かですし、一生懸命やってこられた方にケチをつけようという気持ちはまったくありません。しかし、冷静にみると、にもかかわらず全体状況はあきらかに悪化しているのです。

 かつて私の研究所で、大井玄先生(元国立環境研究所所長)に講座をもっていただいて、1960年代には世界で4番目の面積があったアラル海――カスピ海の東にあり、カザフスタンとウズベキスタンの国境にまたがっています――が干上がってなくなりつつあることを、現場で見てこられた体験を通して報告していただきました。

 また、大井先生からコピーをいただいたペンタゴン(アメリカ国防省)発表のレポート(鳥取環境大学環境問題研究会訳)によると、温暖化→氷河の溶解と降水量の増大→北大西洋の淡水化→暖流であるメキシコ湾流が止まる→ヨーロッパのシベリア化→食糧不足に伴う世界規模の政治の不安定化、紛争の危険が増大していることが予測されています。しかもメキシコ湾流が止まってしまうのは、早ければ2010年頃かもしれないというのです。

 深刻にならざるをえない事例は、この他、挙げていけば無数にあります。そうした状況に対して、「今、多くの環境学者たちは非常な無力感に陥っています。私もそういう気持ちがします」と大井先生はいっておられました。日本でもっとも豊富で正確なデータに接する立場におられた方の言葉は、非常に重いものがあります。

 しかし、それに対して筆者は、あえて3つのことを申し上げてきました。

 1つは、「無力感」に陥る気持ちは十分、十二分にわかりますが、でも論理的・正確に捉えると、力が「ほとんどない」は、「まったくない」ではなく、「すこしはある」ことであり、そのことをちゃんと確認すれば、まず無力感から「微力感」くらいにはなるはずではないか、ということです。論理療法的に言えば、「無力感」は、非論理的な考え方から生まれた不適切な否定的感情ということになるでしょう。

 そして、私はいつもいうのですが、「微力でも協力すれば強力になる」のではないでしょうか。

 さらに2つめは、それだけを集中的に見れば「ある」、つまり環境問題解決のための力や方策はまちがいなくあるのであり、しかも確率的には―つまり比較すると―きわめて低いとしても、潜在的には大きな可能性を秘めていると考えることもできるのであり、私たちはその可能性に賭けるほかないのではないか、ということです。

 「大きくて自分一人の力ではどうすることもできない」と感じられるような危機(あるいはその情報)に直面した時、私たちが取りうる態度の選択肢がいくつかあり、どんなに小さくてもあるのならその可能性に賭けるというのが最善の選択だ、と筆者は考えています。

 それに関わって、筆者がこれまでにご紹介してきたような危機のデータを知ってから、それをまわりの方に伝えようとして受けた反応には、典型的に次のようなものがありました。

①「そういう話を聞いていると気持ちが暗くなるだけだから、聞きたくありません」。
 これは、非常に多く見られるもので、無視・逃避、あるいは抑圧という態度です。

②「今までもいろいろ大変だといわれてきたけど、結局どうにかなってきたじゃないですか。今回もおなじじゃないんですか?」。
 これは、危機の過小評価、たかをくくるという態度です。

③「個人でどうにかできるようなことじゃないでしょう。人類が滅びるとしても、それはそれでしかたないんじゃないですか?」。
 これは諦め、責任放棄という態度です。

④「何かしたいんですが、私に何ができるかわからないんです」。
 これは、問題意識を持っていながらまだ解決の方向性が見つからないという状態の場合もありますが、あえて率直にいうと、思考停止、勉強不足にすぎないこともあります。

⑤「私は環境には気を使っていて、~をやっています。これ以上、何をすればいいんですか」。
 これは、いわゆる「環境派」の市民の方によく見られるもので、環境問題は、近代という時代、近代産業主義の行き詰まりを示しているということ、地球規模の問題だという時間と空間のスケールへの認識不足であることが多いのではないでしょうか。

 いうまでもありませんが、これらのどの態度も問題解決にはつながらない、と筆者には思えます(こういうことをはっきりいうから、嫌われるんでしょうね、あーあ)。

 「大きくて」=地球規模で、「私一人の力ではどうすることもできない」=個人は微力なのなら、「地球規模の影響力のある強力な人間集団を組織して解決に当たる」というのが、唯一ありうる問題解決への道だと思います。これは、理の当然だと考えますが、いかがでしょう。

 では、地球規模の影響力のある強力な人間集団はあるでしょうか。『サングラハ』第75号(2004年5月)では、以下のように考えていました(とても残念ながら情報不足=勉強不足でした)。

                       *

 …資本主義経済―だけでなく社会主義経済を含む近代産業主義経済―には、一時的かつ局地的に―つまり近代、先進国で―貧困を克服できたというプラス面はあっても、原理的にいって、エコロジカルに持続可能な社会を構築できないという決定的な限界があると思われます。(中略)

 まず環境破壊について簡単に言えば、原因は近代の産業主義にあると思われます。そして、資本主義国では産業は国に所属した私企業が担っており、社会主義国では国家が産業をコントロールすることになっています。つまり、全体としての産業主義を変更することのできるのは国家だけであって、民間のエコロジー運動でもなければ国連の環境機関でもありません。

 もちろん国家主導でやったとしても、近代産業主義的な経済システムから真に持続可能な経済システムへ移行するのは、きわめて困難です。しかし、他に道がないとしたら、その困難な道を志向するほかない、と筆者は思うのです。(中略)

 筆者は、これまでも公言してきたとおり、まず日本を自然成長型文明を志向する国家にしたい、そしてそういう日本が世界のオピニオン・リーダーとして世界に働きかけることによって、世界全体を自然成長型文明へと移行・変容させたい、と考えています(略)。

 これは、どんなに大げさな夢のように聞こえても、ほとんど不可能なくらい困難に見えても、ほんとうによりよい世界を望むのなら、他には考えようがないのではないか、と思っています。
                       *

 しかし、幸いなことに、「近代産業主義的な経済システムから真に持続可能な経済システムへ移行する」という課題に、国家単位で取り組んでいる国があったのです。

 その代表がスウェーデンですが――繰り返し紹介してきましたが、小澤徳太郎『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日選書)をお読みになっていない方はできるだけ早くお読みになることを強くお勧めします――それだけではなく、北欧諸国はみな「持続可能な社会」を政府主導で目指しているようです。

 それは、北欧諸国にとって、必ずしも「大げさな夢」でも「ほとんど不可能なくらい困難」でもなく、今実現しつつある目標なのです。

 そして、特にスウェーデンは、これまでも国連の環境政策に大きな影響を与えてきましたが(例えば、1972年、スウェーデン・ストックホルムでの国連環境会議開催!)、さらにEU加盟後はEU全体の環境政策にも大きな影響を与えつつあります。

 環境(と経済と福祉の巧みなバランスの取り方)に関して、スウェーデンはこれからますます、世界のオピニオン・リーダーになってくれることでしょう。

 スウェーデンの現状を知ったことは私にとって、「希望ある衝撃」でした。

 その衝撃が、「日本も〈緑の福祉国家〉(=エコロジカルに持続可能な国家)にしたい! スウェーデンに学びつつ」のシンポジウムの企画につながっています。

 まず日本がしはじめたのではなく、「日本も…したい!」であるのは、日本人としてはちょっとだけ残念ですが、そんなことにこだわっている場合ではありませんね。

 どこの国が掲げたのであれ、希望は希望です。


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