「内部被曝」の知識の悲劇的な遅れ

2011年06月23日 | 原発と放射能

 最近の学びの中でふと気づいたことがあり、確認を取るために小山慶太『科学史年表』(中公新書、2003年)と市川定夫『環境学のすすめ 上』(藤原書店、1994年)を開いてみました。

 それは、放射能、核分裂、原子爆弾、原子力発電といった一連の研究・開発と、遺伝子研究の時間差のことです。

 きわめて残念なことに、調べてみると、いつも遺伝子よりも放射線や核物質の研究のほうが先に進んでしまっていたようです。

 1895年レントゲンによるX線の発見に触発されて、フランスのベクレル――この人にちなんで放射線の単位の名前もベクレル――がウラン化合物を使って放射能を発見したのは1896年です。

 1899年にはラザフォードが、放射線にはアルファ線とベータ線があることを明らかにし、その翌年にはヴィラールがガンマ線を検出しています。

 遺伝の法則については、メンデルがすでに1865年に発表していたのですが、当時は注目されず、コリンズ、ド・フリース、チェルマックがそれぞれ独立に再発見したのは1900年になってからでした。

 1905年はご存知のアインシュタインの特殊相対性理論のE=mc2、つまりエネルギーと質量は相互に変換可能であるという式が発表された年です。この理論が、やがて核分裂による膨大なエネルギーの放出を原理とした原爆、原発の開発につながっていきます。

 1910年、モーガンがキイロショウジョウバエの伴性遺伝と遺伝子の連鎖と組み換えという現象を発見しています。この頃には、細胞核には核酸とたんぱく質が含まれていて、核酸にはDNAとRNAがあることまではわかってきていましたが、遺伝子の実体はどういうものかはわかっていませんでした。

 1913年にはボーアが、原子構造論を発表し、1919年にはラザフォードが原子核の破壊実験を行なっています。

 1934年にはキュリー夫妻の子どものジョリオ=キュリー夫妻が人工放射能を発見し、その数ヶ月後にはキュリー夫人は白血病で亡くなっています。

 同じ年、フェルミ(この人が原爆を開発した)が、中性子を使ってさらに37種類もの人工放射性元素を作り出しています。

 そして1938年、ドイツのハーンとシュトラースマンが、ウランに中性子を照射して核分裂を起こす実験を行ないます。これが、まさに「核」技術の始まりだといっていいようです。

 1939年、核分裂実験がドイツで行なわれたことから、ナチス・ドイツが核兵器を開発することを恐れた亡命科学者たちに依頼され、アインシュタインがルーズヴェルト大統領に核兵器の開発を勧める手紙を出しています。後にアインシュタインは後悔したといわれていますが、まさに後悔先に立たず、です。

 1942年、イタリアからアメリカへ亡命したフェルミを中心に、原子爆弾の開発のための「マンハッタン計画」が始められ、シカゴ大学で原子炉が作られました。

 1944年、アーベリらが遺伝子はDNAであることを明らかにしました。

 「マンハッタン計画」が始まってわずか2年半後、1945年7月16日、ウランの濃縮とプルトニウムの製造に成功したアメリカは、ニューメキシコ州アラマゴルドで原子爆弾の実験を行なっています。そして、その3週間後には、広島、長崎に投下されたのです。

 ようやく1953年3月、そうした放射能・核の研究の進歩(?)に遅れて、すべての生命の源泉になる情報を蓄えたDNAの二重らせん構造を明らかにした論文を、ワトソンとクリックという共同研究者が書き上げています。
 ある種皮肉なことは、その論文の根拠になったのはDNA分子のX線解析写真だということです。つまり放射線の研究なしには遺伝子の解明もなかったわけです。

 同じ1953年の12月には、国連でアメリカのアイゼンハワー大統領が有名な「アトムズ・フォア・ピース」(平和のための原子力)という演説を行ない、ここから国際的な原子力発電を含む「原子力の平和利用」が進められていくことになります。

 そうしたアメリカの状況を留学中(?)に知った中曽根氏を中心とした政治家たちが、1954年、原子力関係の研究開発の予算を国会に提出し、通過させてしまいます。

 そして、1955年、原子力基本法、原子力委員会ができあがり、日本の原子力開発は本格化していったのでした。

 前回書いたような、放射線の遺伝子に対する致命的な脅威が明らかになるのは、こうした流れからかなり遅れた後のことだったようです。

 言ってもしかたのないことではありますが、もし、これが逆だったら――DNAの二重らせん構造が解明されたのがX線写真のおかげだということを考えると逆はありえなかったのかもしれませんが――もう少し別のことがありあえたのではないか、と残念でならない思いがしています。

 早くから、代表的にはマリー・キュリーが白血病で亡くなった例など、多くの放射性物質の研究者がガンにかかっていること、つまり放射能の生命―遺伝子に対する危険は経験的にはわかっていたはずなのですが、それが多くの「科学者」「専門家」の常識になり、それが広げられて政・官・財の指導者や国民全体の常識になるということは、いまだに起こっていないようです。

 広島で被爆され、以後、被爆者の援助に携わってこられた医師の肥田舜太郎氏と映画製作者の鎌仲ひとみ氏の『内部被曝の脅威――原爆から劣化ウラン弾まで』(ちくま新書、2005年)――また内容紹介の記事は書きたいと思っていますが――の言葉が心に痛く響いています。

 「放射線を出す放射性物質を体内に取り込み、からだの内部から放射線を浴びる被ばくは「内部被曝」。……内部被曝についての事実を知ったなら、私たち全人類が「被ばく者」になる可能性を簡単に理解することができるはずだ。……内部被曝の人体に与える影響がはっきりと分かっていたら、原爆も、核弾頭の製造競争が繰り広げられた東西冷戦も、そして平和利用といわれている原子力発電も存在しなかったかもしれない。それほど、「内部被曝」に関する情報は重要なのだ。」(9~10頁)



科学史年表 (中公新書)
クリエーター情報なし
中央公論新社



環境学のすすめ―21世紀を生きぬくために〈下〉 (Save our planet series)
クリエーター情報なし
藤原書店



内部被曝の脅威 ちくま新書(541)
クリエーター情報なし
筑摩書房



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人間の作り出したものが人間の生命を脅かすという矛盾

2011年06月20日 | 原発と放射能
 
 市川定夫氏のことは、放射能がムラサキツユクサに及ぼす影響を明らかにした実験のことで少しだけ知っていましたが、著書をちゃんと読んだことがありませんでした。

 今回の一連の学びの中で、5月29日のブログ記事に掲載させていただいた「自然放射能と人工放射能のちがい」についてのコメントが非常に示唆的だったので、もっと知りたいと思い、『新・環境学 現代の科学技術批判――生物の進化と適応の過程を忘れた科学技術 Ⅰ』藤原書店、2008年』を読んでみました。

 感想を一言で言うと、この巻だけでも、環境問題のもっとも基本的なポイントについてきわめて明快に気づかせていただいた、という思いです(Ⅱ、Ⅲも続けて読むつもりです)。

 そのもっとも基本的なポイントとは、以下のようなところでした(強調の赤字は筆者)。


「……この地球上には、ウイルスからヒトまで、実に多様な生物が生息しており、これら生物では、分子レベルから、生態系レベルまで、さまざまな生命現象が見られる。そうした生命現象の主役を担っているのは、たんぱく質と核酸であり、たんぱく質が生命現象の現場での担い手として、核酸のうち、DNA(RNAウイルスを除く)がそのたんぱく質を合成する設計図(遺伝情報)として、RNAがその設計図に基づくたんぱく質分子合成役として、それぞれ重要な働きをしている。」(26頁)

 「そして、こうしたさまざまなたんぱく質のすべてが、DNAの遺伝情報に従って合成されるのであるから、生命現象は、遺伝子の働きの綜合結果といえるのである。」(58頁)

 「このように、生物は、実にさまざまな自己防御機能をもっている。これらはすべて、進化の途上で環境との長い接触を通じて築き上げてきたものである。したがって、自然界に存在した、生物が遭遇することができた要因に対してのみ、このような多様な防御機能が築き上げられたのであり、そうした防御機能を獲得した生物種のみが適応種として繁栄してきたのである。最も重要なのは、自然界にはまったく存在しなかった人工的なものに対しては、生物の長い進化と適応の過程で、どの生物もかつて遭遇する機会がまたくなかったのであるから、そうした防御機能をまったくもっていないということである。」(71~71頁)

 「経済性または経済効率を最優先してきた現代社会は、科学技術の適用もその範疇で取捨選択してきたし、多くの場合、個々の時点での経済性や経済効率を最優先してきた。どちらがより経済的かという科学技術の適用こそが、現在の環境問題をもたらしたのである。同じことは、消費者としての一般市民にもあてはまる。何があるいはどちらがより安価に入手でき、より利便性に優れ、より快適なのかが、すべての尺度であった。
 しかし、そうした経済優先主義や利便追求思考は、最も重要な視点を忘れ去っていた。それは、近代科学技術の適用が、恵まれた地球の自然環境の中での、ヒトを含むあらゆる生物の進化と適応の過程をすっかり忘れたものであったという視点である。……
 本巻の第二章で簡潔に述べ、第二巻、第三巻で詳述するさまざまな問題点は、いずれも人工的なもの、つまり生物が長い進化と適応の過程でかつて遭遇したことのないものに対して、遭遇したことがないゆえに適応を知らず、それゆえまったく適応できなかったり、進化の過程で獲得してきた自然環境に存在したものに対する優れた適応がかえって悲しい宿命となったり、誤った反応をしてしまったりして、生態系が破壊され続けてきたことを明示している。
 自然環境中に存在しなかった人工化合物が生体内で分解も排出もされずに蓄積したり、人工化合物を生体内で有害なものに変えてしまったり、これまで安全であった元素につくり出された人工放射性核種が生体内で著しく濃縮されたり、さまざまな人工条件が生態系を破壊する例は、いずれも、私たちの科学技術というものが、生物の進化と適応の過程を忘れたものであったことを訴えている。
 最新のバイオテクノロジーもまた、生物の進化と適応の過程を忘れたまま、人為的な手を加えた生物を次々と産み出しつつある。
 このように、人工化合物、人工放射性核種、人工的条件、人工生物など、さまざまな人工的なものが、細胞内で遺伝子DNAを破壊し、個体に性の撹乱と免疫毒性をもたらし、生態系を破壊し、さらに地球規模でも環境を破壊しているのである。私たちは、生物がその進化と適応の過程でかつて遭遇したことがまったくなかったこうした人工的なものがもつ意味を、緊急かつ真摯に問い直す必要がある。」(98~100頁)


 そうした、人間が作り出したものが人間の生命を脅かすという根本的な矛盾を乗り越えることによってのみ、国も世界も持続可能になる、そこを乗り越えられなければ持続可能な国も世界もありえない、ということだと、改めて根本的な問題点についてはっきりと了解したという気がしています。




新・環境学 1―現代の科学技術批判
市川 定夫
藤原書店


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動画:「なぜ持続可能な国づくりなのか」

2011年06月12日 | 持続可能な社会

 持続可能な国づくりの会のブログ用に録画したものを転載します。

 なぜ抵抗感の少ない「持続可能な社会」という言葉を使わないで、あえて「持続可能な国」と言うのか、すでに文章で書きましたが、あらためてスピーチのかたちでお伝えしたいと思います。


なぜ、持続可能な国づくりなのか。1/2


なぜ、持続可能な国づくりなのか。2/2



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だから放射能・原発は危険だったんだ! 基本の基本から5

2011年06月11日 | 原発と放射能

 学んでみると放射能の怖さは、体の外側に浴びた場合(外部被曝)ももちろんですが、体の内側に取り込まれてしまった場合(内部被曝)もそれに劣らない、あるいはそれ以上のものがあります。

 外部被曝はある程度までなら遮蔽する、距離を置く、時間を短くするという対策もあり、また一定程度除染することもできますが、内部被曝は排出することが非常に困難だといわれています。

 よく聞かれるように、外部被曝の場合、「被曝線量は距離の2乗に反比例する」ので、例えば距離が2倍離れていれば2の2乗分の1つまり4分の1になります。10倍離れていれば100分の1です。

 これだけ考えると事故を起こした原発からある程度離れていれば、それほど心配する必要はない―「私には関係ない=大した影響はない」―ように思えます。

 しかし、内部被曝の場合、距離が半分になっただけでも被曝線量は4倍になることになり、10分の1になったら100倍ですから、体の中にたとえ微量でも放射性物質が入った場合、極限的な至近距離で被曝することになり、被曝線量は大変なものになることがわかります。

 「ウランやプルトニウムが体内に入ってアルファ線を放出すると、30~40μm(細胞1個分程度)しか飛べないが、そこで全エネルギーを消費して濃密に電離や励起を起こすので、細胞レベルでの致死的な影響を受ける。アルファ線は外部被曝は問題ないが、アルファ線放射体を体内に取り込むことは極力避けなければならない。」(安斎育郎『図解雑学 放射線と放射能』ナツメ社、168頁)

 すべてはつながり関わっているので、世界で起こったことはプラスもマイナスも「私に関係ない」と言うことはできないのです。

 ところで、現時点で、私の調べたかぎりでは、「ある程度までなら放射能は安全だ。神経質になる必要はない」と言っている学者たちは、内部被曝の危険についてはほとんど語っていないように思えます。自分が注目していないのか、知っていて意図的に語ろうとしない・隠しているのかはわかりかねますが。

 以下の文献は、「図解雑学」というシリーズで、タイトルからは軽い感じがするかもしれませんが、著者(立命館大学名誉教授)も内容もしっかりとしたものだと思います(素人向きにはしっかりしすぎ気味かもしれません)。



放射線と放射能 (図解雑学)
クリエーター情報なし
ナツメ社


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チェルノブイリとフクシマ

2011年06月09日 | 原発と放射能

 サングラハ教育・心理研究所と持続可能な国づくりの会、どちらも会員になってくださっているジャーナリストの高世仁さんが、チェルノブイリでの取材をユーチューブに公開しています。

 きびしい現実ですが、目をそらしてはならないと思います。

 以下、ご紹介します。























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小出裕章氏の仕事

2011年06月06日 | 原発と放射能

 ここのところ、読書―情報収集が原発・放射能に集中しています。

 そのポイントだと思ったところをご紹介していますが、時間のある方には情報源の本を読んで、詳しい情報を共有していただきたいと願っています。

 読んだ範囲では、長年反原発に取り組んでこられた高木仁三郎氏のものが、定評もあり信頼できると感じてきました。しかし、非常に残念なことに2000年に亡くなっておられ、フクシマについてのコメントを聞くことはできません。

 現存の学者の中でも、小出裕章氏のことは、すでに多く方がご存知のとおりです。しかし、NHK他の大きなメディアはなかなか起用しようとしていませんが。

 私は、『隠される原子力・核の真実』(創史社)を読んで以来、この人は信用できると思っています。

 特に最新刊の『原発のウソ』(扶桑社新書)はフクシマの現状へのコメントも含め、コンパクトで(新書版184頁)きわめて正確な―と私には思えます―情報を提供してくれる本です。

 現状で、一冊だけと言われたら、この本を強くご推薦したいと思います。

 忙しくて情報を収集する時間がない方、私の判断力を信用してくださる方のために、今後も「基本の基本」だと思うポイントについて書いていきますが、やや詳しくは、どうぞこの本を読んでください。

 加えて、『放射能汚染の現実を超えて』(北斗出版、1992、河出書房新社、2011再刊)は、チェルノブイリ事故の後の著作ですが、今でも読むに値する、小出氏の心情や思想もよく伝わってくる本です。

 なお、小出氏の折々の発言・コメントを知りたい方には、「小出裕章(京大助教)非公式まとめ」というブログが参考になります。

 つけたしですが、小出氏は私とほぼ同世代で、同世代にこういう人がいてくれたことに深い感謝と尊敬の念を感じています。



原発のウソ (扶桑社新書)
クリエーター情報なし
扶桑社



放射能汚染の現実を超えて
クリエーター情報なし
河出書房新社

コメント (5)
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