最近の学びの中でふと気づいたことがあり、確認を取るために小山慶太『科学史年表』(中公新書、2003年)と市川定夫『環境学のすすめ 上』(藤原書店、1994年)を開いてみました。
それは、放射能、核分裂、原子爆弾、原子力発電といった一連の研究・開発と、遺伝子研究の時間差のことです。
きわめて残念なことに、調べてみると、いつも遺伝子よりも放射線や核物質の研究のほうが先に進んでしまっていたようです。
1895年レントゲンによるX線の発見に触発されて、フランスのベクレル――この人にちなんで放射線の単位の名前もベクレル――がウラン化合物を使って放射能を発見したのは1896年です。
1899年にはラザフォードが、放射線にはアルファ線とベータ線があることを明らかにし、その翌年にはヴィラールがガンマ線を検出しています。
遺伝の法則については、メンデルがすでに1865年に発表していたのですが、当時は注目されず、コリンズ、ド・フリース、チェルマックがそれぞれ独立に再発見したのは1900年になってからでした。
1905年はご存知のアインシュタインの特殊相対性理論のE=mc2、つまりエネルギーと質量は相互に変換可能であるという式が発表された年です。この理論が、やがて核分裂による膨大なエネルギーの放出を原理とした原爆、原発の開発につながっていきます。
1910年、モーガンがキイロショウジョウバエの伴性遺伝と遺伝子の連鎖と組み換えという現象を発見しています。この頃には、細胞核には核酸とたんぱく質が含まれていて、核酸にはDNAとRNAがあることまではわかってきていましたが、遺伝子の実体はどういうものかはわかっていませんでした。
1913年にはボーアが、原子構造論を発表し、1919年にはラザフォードが原子核の破壊実験を行なっています。
1934年にはキュリー夫妻の子どものジョリオ=キュリー夫妻が人工放射能を発見し、その数ヶ月後にはキュリー夫人は白血病で亡くなっています。
同じ年、フェルミ(この人が原爆を開発した)が、中性子を使ってさらに37種類もの人工放射性元素を作り出しています。
そして1938年、ドイツのハーンとシュトラースマンが、ウランに中性子を照射して核分裂を起こす実験を行ないます。これが、まさに「核」技術の始まりだといっていいようです。
1939年、核分裂実験がドイツで行なわれたことから、ナチス・ドイツが核兵器を開発することを恐れた亡命科学者たちに依頼され、アインシュタインがルーズヴェルト大統領に核兵器の開発を勧める手紙を出しています。後にアインシュタインは後悔したといわれていますが、まさに後悔先に立たず、です。
1942年、イタリアからアメリカへ亡命したフェルミを中心に、原子爆弾の開発のための「マンハッタン計画」が始められ、シカゴ大学で原子炉が作られました。
1944年、アーベリらが遺伝子はDNAであることを明らかにしました。
「マンハッタン計画」が始まってわずか2年半後、1945年7月16日、ウランの濃縮とプルトニウムの製造に成功したアメリカは、ニューメキシコ州アラマゴルドで原子爆弾の実験を行なっています。そして、その3週間後には、広島、長崎に投下されたのです。
ようやく1953年3月、そうした放射能・核の研究の進歩(?)に遅れて、すべての生命の源泉になる情報を蓄えたDNAの二重らせん構造を明らかにした論文を、ワトソンとクリックという共同研究者が書き上げています。
ある種皮肉なことは、その論文の根拠になったのはDNA分子のX線解析写真だということです。つまり放射線の研究なしには遺伝子の解明もなかったわけです。
同じ1953年の12月には、国連でアメリカのアイゼンハワー大統領が有名な「アトムズ・フォア・ピース」(平和のための原子力)という演説を行ない、ここから国際的な原子力発電を含む「原子力の平和利用」が進められていくことになります。
そうしたアメリカの状況を留学中(?)に知った中曽根氏を中心とした政治家たちが、1954年、原子力関係の研究開発の予算を国会に提出し、通過させてしまいます。
そして、1955年、原子力基本法、原子力委員会ができあがり、日本の原子力開発は本格化していったのでした。
前回書いたような、放射線の遺伝子に対する致命的な脅威が明らかになるのは、こうした流れからかなり遅れた後のことだったようです。
言ってもしかたのないことではありますが、もし、これが逆だったら――DNAの二重らせん構造が解明されたのがX線写真のおかげだということを考えると逆はありえなかったのかもしれませんが――もう少し別のことがありあえたのではないか、と残念でならない思いがしています。
早くから、代表的にはマリー・キュリーが白血病で亡くなった例など、多くの放射性物質の研究者がガンにかかっていること、つまり放射能の生命―遺伝子に対する危険は経験的にはわかっていたはずなのですが、それが多くの「科学者」「専門家」の常識になり、それが広げられて政・官・財の指導者や国民全体の常識になるということは、いまだに起こっていないようです。
広島で被爆され、以後、被爆者の援助に携わってこられた医師の肥田舜太郎氏と映画製作者の鎌仲ひとみ氏の『内部被曝の脅威――原爆から劣化ウラン弾まで』(ちくま新書、2005年)――また内容紹介の記事は書きたいと思っていますが――の言葉が心に痛く響いています。
「放射線を出す放射性物質を体内に取り込み、からだの内部から放射線を浴びる被ばくは「内部被曝」。……内部被曝についての事実を知ったなら、私たち全人類が「被ばく者」になる可能性を簡単に理解することができるはずだ。……内部被曝の人体に与える影響がはっきりと分かっていたら、原爆も、核弾頭の製造競争が繰り広げられた東西冷戦も、そして平和利用といわれている原子力発電も存在しなかったかもしれない。それほど、「内部被曝」に関する情報は重要なのだ。」(9~10頁)
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