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本格的な酸素大気ができ、オゾン層が形成されて紫外線がかなり吸収され、海面近くでも生きられるようになり、細胞が複雑化していく中で、宇宙カレンダーの12月5日(10億年前)、複雑化がさらに1段階ジャンプして、多細胞生物が創発します。
多細胞生物とは、いろいろな細胞が役割分担をしながらつながりあっている生物です。
私たち人間もいうまでもなく多細胞生物で、私たちの体には、最近の説では、何と37兆2千億個もの細胞があって、協力しあっています。
例えば骨細胞、内臓の細胞、脳細胞などなど、実にさまざまな細胞が役割分担をしながらつながっているわけです。
たまには協力体制がうまくいかなくて病気になることもありますが、ふつうは実にみごとに一糸乱れず協力しあっているのです。
これもまた、驚くべきことですね。
ここでも重要なのは、役割分担をしながらつながりあっていること――分化と統合――です。
とても興味深いことに、それが自然に一貫して見られる法則のようです。
ここでもし、細胞が「みんなお互いに平等じゃないか」と主張しあって、役割分担=分業を拒否したらどうでしょう?
例えば脳細胞以外の細胞すべてが、脳細胞に向って、「なんでおまえだけがカッコイイ脳細胞をやるんだ。おれも脳細胞をやりたい」といったら、どうなるでしょう。
全部の細胞が脳細胞になったら、人間は生きていけませんね。
ちょっと尾籠な話をすると、例えば肛門の細胞が「おれ、こんな汚い役、やりたくない。いちばんカッコイイ脳細胞をやらせてくれ」といって、役割を放棄したら、全体としての体は排泄できなくて死んでしまいます。
そうすると、もちろん結果として肛門の細胞自身も死んでしまいます。
セミナーの参加者の方が教えてくれたんですが、これとそっくりのネタの落語があるんだそうですね。
ただ、その落語では、肛門細胞が目の細胞に向って、「なんでおまえだけ美人を見て楽しむんだ」とか、舌の味覚細胞に向って、「なんでおまえだけうまいものを味わっていい思いをするんだ」とかいうらしいのですが。
それはともかく、全体としての体が生きるためには、すべての細胞や細胞の集まりである器官が合意をして、つながりあって役割分担をすることが不可欠です。
それが命というもので、そういう場合、それぞれの細胞や器官にとって、損か得かという話はありません。
たぶん、人間の集まりにもそれに似たことがあるのではないでしょうか。
つながりあって役割分担をし、それぞれがそれを「ああ、これは私の役割だ」としっかり受け止めることによって、集団が生きるのです。
みなさんは、すでに仕事に就いていたり、やがて就いたりするでしょうが、その場合、例えば日本の中で、世界の中で、そして進化史の中で、宇宙史の中で、何が自分の役割なのか、全体のつながりの中で自分がやるべき役割をしっかりと見極めていただけるといいと思います。
特にこれから職業を選ぶ若い世代の方は、収入がいいかどうか、社会的評価が高いか低いかといったことを優先するより、何が宇宙から与えられた自分の役割なのかを見極めて仕事を選ぶといいと思います。
そういう宇宙的役割を担うものであれば、仕事は宇宙的にすばらしいものになるはずです。
逆にそういう選び方をしないと、いつかどこかで仕事に空しさを感じることになるのではないでしょうか。
やや横道のようですが、多細胞生物が、いろいろな細胞の集まり、すなわち役割分担とつながりによってできているということは、より複雑な多細胞生物であり社会性生物である私たちにそういう人生の教訓も示してくれるのではないかと思うのです。
*念のためにいっておくと、私のいいたいことは、戦前の右寄りの思想家の「国家は全体としての生命体であり部分としての国民は細胞のようなものだ」という話と一見似ていると思われるかもしれませんが、根本的に違っています。詳しくは、拙著『自我と無我――〈個と集団〉の成熟した関係』(PHP新書)を参照してください。
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だけど、ともすると人間は、表面的な感情や、世間やマスコミが押し付ける価値観によって、自分の役割を見失いがちになる。自分の役割ではないことに執着すると、宇宙の方向性からは疎外されてしまう。結果として心安らかにはなれない。もちろん、宇宙的にマクロの視点から見れば、それも究極的にはオッケーなんでしょうが、できれば悪あがきはしたくないです(笑)。
なにが自分の役割かを明らかにするには、宇宙のつながりやかさなりを意識したり、坐禅をすることも、その一助になるのでしょうか。人間の場合、自分の中にある本当の答えを導き出すには、そうした実践はとても有効であるように思います。頑張ります!長くなってすみません・・・。先生、今日もありがとうございました!
無数の細胞の一糸乱れぬ集積体であり、想像を絶する進化の積み重ねの頂点である、この自分の身体。気づいてみると、これは本当にすごい。
「自分の」身体だから所有物であり自由だと思っていましたが、これを知ってみるとそんなことが言えない気分がしてきました。
会社の中での職種と役職、社会での職種と大企業・中小企業なり、比べれば隣の芝生は何とやら・・・でよくなってみえるものですが。
宇宙からの役割と考えると何かこころの中から使命感を感じ、すべての仕事が等しく大切で、わたしはその中で今の仕事を全うすることが使命かと力強く思えるようになるのが不思議です。
近い関係だと損だ得だが気になりますが、尊い宇宙からの繋がりと思うからこのように思えるのですね。
今一度仕事を宇宙から受けたまわっていると思って、その役割にかなった仕事をしているか考えて見たいと思います。
碓井 司
宗教って より良く生きるために必要だと思いますが、同時に 誰かにあやつられているのではないかという思いがあります。
民にとって宗教は生きる糧、でも為政者にとっては民をまとめるための手段ですよね。国家神道が良い例です。
そのあたり、このスペースでは述べ切れませんので、繰り返しで申し訳ありませんが、ぜひ、『自我と無我』を参照してください。