生命の相互依存

2005年10月31日 | いのちの大切さ

 話を先に進めましょう。

 酸素はとても結合力の強い元素で、単独の原子の状態であることはほとんどなく、ふつうは2つが結びついてO2というかたちになります。

 ところが光合成微生物や植物たちが出してくれた酸素の中にO3つまりオゾンになるものがあります。

 ご存知のとおり、オゾンには紫外線を吸収する効果があります。

 ごくわずかずつながら長い時間をかけてオゾンが大気圏の非常に高いところに一定量たまってくると、地上に注がれる紫外線の量がようやく減ってきます。

 光合成をする生物にとっては、陸は海中より利用できる太陽エネルギーが多くて魅力的な場所でした。

 しかし紫外線も強くて進出できなかったのですが、ここで、太陽の光の直射している陸上でも生命が生きていくことのできる条件が生まれたわけです。

*地球の大気は、高度20キロまでの対流圏、20―50キロの成層圏(この中20―30キロにオゾン層)、50―80キロの中間圏、80―500キロの熱圏、500―900キロの外気圏の5つの層からなっています。


 そういう条件ができたのに、放っておくという手はありません。

 実際、チャンスを逃さなかった生物たちがいたのです。

 まず陸に上がったのは、太陽エネルギーをできるだけたくさん利用したい植物です(動物が先かもしれないという説もあるようですが、ここではこちらの説を採用しておきます)。

 水の中よりもより光を多く取り入れられるので、上陸していく植物が出てきます。宇宙カレンダーの12月19日(4億3千9百万年前、シルル期)のことです。

 植物が陸に上がると、それが食べ物になりますから、それを追って動物も陸に上がっていきます。12月20日(4億8百万年前)、デヴォン期のことです。

 最初に上陸したのは、動物といっても昆虫だったようです。

 生命が創発してから35億年間、ずっと海の中にいた生命たちがまったくちがった環境である陸へと冒険というほかない進出を果たしていったのです。

 さて、この段階で起こったこと、そして今の私たちにそのままつながっている重要なことは、この地球では微生物と植物と動物が支えあい、相互依存して生きているということです。

 繰り返すと、私たちは生きているわけですが、生きているということは息をするということです。

 息をするには空気がなければいけない。

 空気の中の酸素がなければいけない。

 もちろん酸素原子は宇宙の初めのころに出来ていますが、様々な爆発=燃焼のためにほとんどが炭素と結びついていたと推測されています。

 そうした炭素と結合した酸素を分離して、この地球上の大気圏の分子酸素(つまりO2)にしてくれたのは、酸素発生型バクテリアや植物なのです。

 その酸素を吸って動物たちは生きています。

 そして動物は、二酸化炭素・炭酸ガスを吐き出します。

 植物は、動物が出した炭酸ガスの中の炭素と水から炭水化物を光合成し、栄養にしていきます。

 炭水化物に含まれる炭素は、動物の中でたんぱく質や脂肪の一部になっていきます。

 動物や植物が死ぬと、微生物によって分解され、炭素は二酸化炭素として空気中にもどっていきます。

 これを生物学・生態学の用語で「炭素循環」といいます。

 こういうふうに、炭素は空気―植物―動物―微生物の間を巡っています。

 つまりある時は空気だった炭素が、ある時は植物の体になり、ある時は動物の体になり、ある時は微生物の体になったり、また微生物によって分解されて空気にもどったりするわけです。

 筆者は、しばしば大きな木のあるところに行って、深呼吸しながら、こんなことを思います。

 「そうか、今私が吸っている空気の中の酸素は、この木が出してくれたものかもしれない。

 私が吐き出している二酸化炭素を、やがてこの木が吸ってくれるだろう。

 私ではなかった空気中の酸素が、私のからだの一部になり、私のからだの一部だった炭素が酸素と結合して出ていって、私ではなくなり、その炭素は私ではない木の一部になっていく……。

 空気と私と木とは、酸素と炭素を通じてまちがいなくつながっている。

 自然と分離した私だけで生きていられるような『私』なんていないのだ。

 私はまちがいなく宇宙とつながって一つだ……」と。

 何より私たち動物は、自力で太陽エネルギーを生命エネルギーに換えることはできませんから、植物かその植物を食べて生きている他の動物を食べさせてもらうことによって、間接的に太陽エネルギーを生命エネルギーとして得ているわけです。

 その植物や動物は、死ぬと腐敗して、つまり微生物によって分解され、簡単な化合物に帰ります。

 その化合物は、やがてまた別の植物の栄養として吸収されていきます。

 これは、生物学の用語では「食物連鎖」と呼ばれるものです。

 循環は、炭素や酸素だけのことでなく、生物の体を形成するすべての元素で起こっているのです。

 かつて、生物の世界は「強食弱肉」と「生存闘争」の世界だいう、かなり短絡的なイメージのあった時代がありました。

 文科系の学生たちに聞くかぎりでは、この後の話をするまで、ずっとそういうイメージだったという人の数も少なくありません。

 ネット学生のみなさん、だいじょうぶですか?

 しかし、今では一見そう見える生物の関係を、個体と個体ではなく、種相互の関係として見直すと、そこにはあるバランスが保たれていることがわかってきています。

 これは、1869年、ヘッケルがエコロジー(生態学)を提唱してから100年以上の積み重ねの中で、疑う余地のないほど明らかになっていることです

 もっとも有名なのは、北アメリカ――記憶ではロッキー山脈の麓のあたり――で、シカが天敵に食べられてかわいそうだと思った動物愛護家たちが、オオカミやコヨーテやピューマなどをライフルで撃ち殺して絶滅させかかった時の話です。

 天敵がほとんどいなくなったお陰で、確かに当座はシカは好きなように繁殖できたのです。

 ところが、シカは地域の木や草を食べます。

 繁殖しすぎたシカたちは、その地域の植物を食べ尽くし、植物が全滅になりそうになります。

 そうすると、食べ物がなくなって、シカは自滅-絶滅の危機に追やられることになったのです。

 こういうふうに、1匹1匹のシカを見ると、天敵に食べられることは不幸なことですが、全体としてみると、適当な数が食べられて減らなければ地域の生命全体のバランスが崩れ、種全体が絶滅しかねなくなるのです。

 シカは植物を食べ、そのシカを食べたオオカミも、やがて死んで、微生物のエサになります。

 そして分解された化合物を、また植物が吸収していきます。

 そういうふうに、長いタイム・スケールでよく見ていくと、オオカミもひたすら食べる側にだけいるわけではないことがわかります。

 実際にはもっともっと複雑ですが、ともかくある地域に存在するさまざまな生命の種の間に(そしてその場所そのものとも)微妙なバランスが保たれることによって、全体が維持されているのです。

 こういうふうに、ある環境とそこに生きる生物の多様な種がバランスを保ちながら1つのシステムを形成していることを「エコ・システム(生態系)」ということは、多くの方がご存知のとおりです(より詳しいことはエコロジーの本で学んでください)。

 もちろん、生物同士の間にある種の争いがないわけではありません。

 しかしそれは、ひたすらどれかが勝ってあとはすべて滅ぼされるというふうな闘争ではなく、「競争的共存・共存的競争」がなされているのだといわれています。

 例えばごく身の周りの草むらをよく観察してみてください。

 実に多様な植物が、栄養や日光を得るための競争をしています。

 しかし、決してどれか1つの草だけが他の草を枯らして繁栄し続けるということはありません(一時的にそう見える場合はありますが)。

 そして、その草むらには実に様々な虫たちが生きているはずです。

 草の根元の土の中には、ミミズやオケラや様々な微生物などが住んでいるでしょう。

 そうした生き物たちは、競争しながら、同時に共存・相互依存もしているのです。

 そういうふうに、微生物と植物と動物の相互依存が20億年前からこの地球上で始まっていて、微生物と動物と植物はつながっているわけです。

 あるいはもっと言えば、もともと同じ宇宙の一部がそれぞれ、微生物、植物、動物という区別できるかたちを現わしながら(分化)、つながりあい働きあっている(統合)といえるでしょう。

 実に多様に分化しながら統合された1つのシステムを形成していくのが、宇宙の進化に一貫したかたちだということが、ここでも読み取れるようです。


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光合成微生物と植物と私のつながり

2005年10月30日 | いのちの大切さ

 宇宙カレンダーの10月18日(27,8億年前)、酸素発生型の光合成をする微生物・シアノバクテリアが登場し、分離した分子酸素を出しはじめます。

 といっても、倍率の高い顕微鏡でしか見えないほどの単細胞の微生物です。きわめてわずかずつでしかありません。

 しかしどんなにわずかずつでも出していれば、溜まっていきます。

 なんと6~9億年も経って、11月3日(19~22億年前)頃からやっと大気中の酸素量が増加しはじめるのです。

 実にゆったりとした速度ですが、それでも確実に私たちの地球は進化していきます。

 さらに11月8日(20億年前)、つまりさらに2,3億年も経って、光合成をする植物が出てきます。

 このようにほとんど想像もできないほどの長い時間をかけて、シアノバクテリアが生まれ、植物が生まれ、今私たちが吸って生きている酸素の多い大気が調えられていきます

 11月29日(12億年前)になって、ようやく明確な酸素大気が発達――完成ではありません――しはじめたと考えられています。

 酸素発生型バクテリアの創発から15,6億年も経っています。

 しかし、この段階ではまだすべての生命は海の中です。

 その最大の理由は、酸素の豊富な大気圏が形成されていない、したがってオゾン層が形成されていないからです。

 オゾン層なしの状態では、太陽から来る非常に強い紫外線が地上に直接に降り注いでいるので、生命は、紫外線が吸収されて弱くなった海の深めのところでしか生きられず、浅いところや海の外では死んでしまいます。

 地上は溶岩の固まった岩かまだ噴火している火山ばかり、花はもちろんのこと、木や草も一本も生えていません。

 一匹の虫も動物も動いていません。

 想像しただけでも、凄まじく荒涼とした世界です。

 そんな世界が、おそらく12月19日(4億3千9百万年前)頃まで続きます。

 ところが、きわめてゆっくりではあるのですが、それでもやはり海中の酸素発生型の光合成バクテリアと植物(といっても微生物)はしだいに増えていき、放出する酸素量も増えていきます。

 そうして、現在の地球大気に近い酸素の多い大気圏が形成されていきます。

 光合成バクテリアの創発から大気中の酸素量が増えはじめるまででも15,6億年、オゾン層が形成されて、地上に出ても紫外線で細胞膜が壊されない、つまり死なない状態になるには、なんと24,5億年かかっています。

 さて、ここで断片的な科学知識としてではなく、コスモロジー(世界観)として、このことの意味を考えて見ましょう。

 バクテリアは、私たちと無関係ではありません。

 最初のバクテリアは私たちの先祖であり、他の種も先祖から分かれた親戚なのです。

 さらにバクテリアのような生命から進化・分化して、植物が生まれます。

 植物も、私たち動物と枝分かれした親戚です。

 つまり、40億年前のご先祖さまや27,8億年前の親戚、20億年前の親戚たちが、その後の子孫である多様な酸素を必要とする好気性生物のために、24,5億年もかけて、酸素大気というプレゼントを準備してくれたといってもいいでしょう。

 驚くほど根気強い努力です。

 その努力のお陰で、今私たちが呼吸できるのです。

 英語のpresentという言葉には、「贈り物」と「今」という2つの意味があります。

 今という時は多くの先祖たちからの贈り物だといっていいのではないでしょうか。

 すでに気づいている読者も多いと思いますが、こういう事実は、たままたそうなっただけ、偶然だと解釈することもできます。

 また、近代科学には、宇宙の始まりから現在まで、すべてを偶然そうなったと捉えるのが科学的な考えだという、強い偏見――あえて「偏見」といいたいと思いますが――がありました。

 しかし、すでにいくつか引用してきたように、「現代科学」では、そうとう事情が変わってきています。

 少なくとも、宇宙で起っているすべてのことが宇宙の自己組織化――自分で自分をそう変容させてきた――の結果であるということについては、1977年プリゴジーヌのノーベル賞受賞以後の現代の科学者にとっては、当然の合意ラインだと思われます。

 そして、それよりも何よりも、「無数の先祖たちのお陰で今私がいる」という捉え方のほうが、はるかに人生を豊かにするものではないかと思うのですが、どうでしょう。

 しかし、どちらの捉え方をするか、現段階では、それぞれの選択の自由・思想の自由だということになるでしょうが。

*前にも載せた地球の写真を再度載せます。地平線のあたりの青くぼやけているごく薄い層が大気圏です。酸素21%のこの薄い膜を海の中の光合成微生物と植物、そして遅れて地上の植物が協力して作ってくれたのです。できれば拡大して、しみじみと見てください。


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生きていることは息をしていること

2005年10月29日 | いのちの大切さ

 生命の誕生は、宇宙の外に宇宙でない生命というものができたということではありません。

 それは、宇宙の中に宇宙の一部としてそれまでにない新しい性質を持った部分ができたということ、すなわち宇宙の創発的な自己組織化なのです。

 ビッグバンから原子の誕生、星の誕生、銀河の誕生、太陽系の誕生、地球の誕生、そして生命の誕生まで――そして実は私の誕生まで――すべては1つにつながった創発的な出来事の連なりなのだ、と確実にいえるようです。

 ところで、私たち人間が生きているには、息をすること・呼吸が必要です。

息をするとは、出空気中の酸素を吸収して、二酸化炭素を吐き出すことですね。

 「何を当たり前のことをいっているんだ」と思われるかもしれません。

 しかし、いわれてみるとすぐわかるけれども、いわれるまで気が付かない方も多いのではないかと思いますが、息をすることについて、私たちには選択の自由はありませんよね。

 「息をしようとしまいと私の勝手でしょ」というわけにはいかないのです。

 もちろん、首をくくって自殺することはできますが、生きるのなら、息をしなければなりません。

 それは生きていくための選択の余地のない基本的な条件です。

 そして、それがいろいろなことを選択しながら生きることができる基礎でもあるのです。

 現在の地球の大気は、窒素が78%くらい、酸素が21%くらい、アルゴンが0.95%、二酸化炭素と水蒸気その他が1%弱という割合になっているそうです。

 だからといって、「窒素のほうが多くて有利だから、オレは窒素を吸うことにする」とか、「アルゴンのほうが希少で価値がありそうだから、アルゴンにする」といった選択は不可能なんですね。

 ここで改めて、最初にお話しした「自由に選択できない条件が自由に選択できる基礎になっている」ということを思い出してください。

 私たちの生きる決定的な条件・基礎の一つ、酸素を吸い二酸化炭素を吐くということも、進化の歴史の中で決められ、与えられたことです。

 では、それは、いつごろ、どういうふうに決まったのでしょうか。

 すべての生命は生きていくために、何よりも炭素、水素、酸素、窒素と、エネルギーが必要ですが、生命は最初から酸素を吸収していたわけではないようです。

 小惑星や隕石の衝突による激しい爆発-燃焼によってできたため、原始の地球大気には、分離した酸素はほとんどなかったと推測されています。

 最初の生命は、有機物のスープのような原始の海の水から、糖の一種であるグルコース(ブドウ糖、C6H12O6)を食べ、分解して、生きていただろうといわれています。

 糖の分解は一種の発酵で酸素は必要ではないのです。

 それどころか、そういう生命(嫌気性細菌)にとっては、酸素は生命にかかわる毒だったといいます。

 ところが、生命が創発し、20億年もかかって膨大に増えてくると、さすがに豊富にあった海中のグルコースが不足してきます。

 食糧危機、飢死の危険が出てきたのです。

 ところが驚くべきことに――驚くべきことばかりですね――それに対処する方法を考え出した生物がいるのです。

 思わず「考え出した」という表現を使ってしまいましたが、単細胞の微生物に考える能力=知恵があったのでしょうか?

 それは、単なる生存に有利な突然変異がたまたま起っただけなのでしょうか?

 知恵があったとしかいいようがない、と私は感じるのですが、それはおいておきましょう。

 ともかく、まず自分でグルコースを合成することのできる生命が生まれます。

 さらに、太陽の光のエネルギーを使ってより効率的にグルコースを合成できる生命が生まれてきます。

 そうです、「光合成生物」です。

 最古の光合成を行なう生命、シアノバクテリア(ラン藻)は、化石から見て遅くとも35億年前、宇宙カレンダーの9月29日頃には誕生しているといわれています。

 初期の光合成は、太陽エネルギーを使って、二酸化炭素と、水素ガス、硫化水素などから取った水素でグルコースを作るというものでした。

 しかしやがて、地球に豊富にある水を分解して水素を取るというかたちに進化していきます。

 水から水素を取ると、残るのは酸素です。

 そうです。この頃からようやく地球の大気に酸素が含まれるようになっていくのです。


 酸素発生型光合成生物の創発は、10月18~21日(27~28億年前)のことです。

 これは、進化史の2大事件の1つという科学者もいるほどの出来事です。

 つまり、これはずっと後の、私たちを含む酸素を吸って生きる生物が、生まれ生きていくための基本的条件がこの時から始まったということなのです。

 今私が呼吸をしているということは、27、8億年前の光合成微生物の創発と根本的に関わったことなのですね。

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すべての生命は共通の先祖から生まれた?

2005年10月28日 | いのちの大切さ

 近代ではなく現代の生物学によれば、生命は物質を基礎にしていますが、単純に物質に還元できない新しい性質をもっています。

 といっても生命は、つながりあった原子=分子、さらに分子がいっそう複雑にしかしデタラメではなく整然とした秩序をもってつながりあった高分子という物質に支えられていることはまちがいありません。

 生命を支えている高分子には、たんぱく質(酵素の主体)、多糖類(でんぷん等)、核酸があり、よく知られているように様々な生命のかたちを決める遺伝情報はDNAと呼ばれる複雑な核酸によって担われています。

 そして、1950年代、ワトソンとクリックによる遺伝子のラセン構造の発見以来、今日までに研究されてきた生物は、不思議なことにもっとも単純なものからもっとも複雑なものまですべて基本的には同じ構造のDNAを持っているらしいのです。

 そして、すべての生命のDNAの違いをいわば系図のように調べていくと、どうも38~40億年くらい前に地球上-海の中で発生した1つの生命がすべての生命の祖先であるようです。

(1つだけではないという説もありますが、それにしてもごく少数の生命からということのようです)。

 もしその仮説が正しいとすると、すべての生命は、たった1つの共通の祖先から驚くほど多様に展開・進化してきたものだ、ということになります。

 つまり、すべての生命はつながっているわけです。

 そして、そういう38~40億年の生命のつながりの中で私が生まれているのです。

 K・マーシャルという女性科学教育家の『人類の長い旅――ビッグ・バンからあなたまで』(さ・え・ら書房、87頁)という本には、こう書かれています(読みやすくするために改行、1行あけを加えています)。

 「人間のからだをつくっている化合物……じつは、動物や植物の化合物とまったくおなじなのです。
地上のすべての生きものには、アミノ酸と核酸塩基があります。

 そして、将来の世代をつくり出すための指令となっている、複雑なかたちのDNAの分子をもっています。花と木と魚とトカゲとトラとゾウと人間と、それぞれのあいだのちがいは、ただ化合物のならびかたと、DNAが伝える命令のちがいだけです。

 このことからわかるのは、わたしたちはみな、おなじ生命の木からはえているえだなのだということです。」

 現代日本の代表的な生物学者岩槻邦男さんの言葉も聞いてみましょう(『生命系――生物多様性の新しい考え』岩波書店、17頁)。

 「……自分の生命は何百万年前にさかのぼると、ヒトの身体から、だんだんサルに似た生命体に収まっており、さらに時代を億単位の年数で数える昔にさかのぼると、魚のような姿の生命体の中で生きており、30億年も前にまで歴史をさかのぼると、ついにはバクテリアのような姿の生命体に収まっている生命にまで到達することを確認する。

 ……生物のひとつの個体は、個体がつくるとき誕生するものであるとしても、生きている生命は個体をつくる生命体を乗り換えながら、30数億年前からの生を生き続けているのである。」

 「さらにここで考えておかなければならないことは、30数億年生き続けてきたのは、ヒトの生命だけではない、という事実である。

 私たちの身の回りにいる生物はすべて、30数億年の生命をもっているのである。」

 すべての生命は、最初のたった1つの単細胞生物の生命を引き継ぎながら、30数億年かけて多様に進化-分化したものです。

そういう意味でいうと、すべての生き物は共通の先祖を持った親戚です。

 遠い遠い関係だとしても、でもやはり親戚なのですね。

水中や地下の微生物も、道端の草や山の木も、セミやトンボもチョウも、イヌもネコも、数え切れないほどのいろいろな生き物が、みんな自分の親戚だということが、科学の眼からも語ることができるというのは、とても不思議で、とても感動的なことだとは思いませんか。

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海の詩

2005年10月27日 | 心の教育

   郷 愁
                  三好達治

 蝶のような私の郷愁……蝶はいくつかの籬(まがき)を
 越え、午後の街角に海を見る……私は壁に海を聴く……。
 私は本を閉じる。私は壁に凭(もた)れる。隣の部屋で
 二時が打つ。
 「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。――海よ、
 僕らの使う文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、
 仏蘭西(フランス)人の言葉では、あなたの中に海がある。

 asassataさんから、堀口大学ではなく三好達治の詩だったことを教えていただきました。ありがとうございました。

 ずいぶん久しぶりに読み直したのですが、あらためてとてもいい詩だなと思い、みなさんと共有したくなりました。

 私は、郷里が瀬戸内海なので、時々無性に海が見たくなることがあります。

 幸いにして山側ですが湘南に住んでいますので、そんな時は、衝動的に「海に行こうか」とかみさんを誘って、ちょっとだけバスに乗って、JR東海道線の線路の向こう側の海辺に散歩に出かけます。

 晴れの日も、曇りの日も、冬の雨が降っているような時も、行くたびに、海はいいなあと思います。 

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生命の創発

2005年10月26日 | いのちの大切さ

 宇宙カレンダーの9月16~21日頃(38~40億年前)、原始の海は、煮えたぎる 原子や分子のスープ状態でした。

 熱湯の海には、暴風雨の雲の合間から絶え間なくイナズマが閃き落雷します(放電)。

 オゾン層はまだできていないので、遮るものなしに強烈な紫外線が直射し、宇宙線が降り注ぎます。
 
 酸素大気がないので、隕石は途中で流れ星になって燃え尽きることなく、海も陸も直撃します。

 化学反応を引き起こすそうしたいくつもの要因によって、海では激しい化学反応が起こり続けます。

 それによって次々に、様々な原子がつながりあって分子が生まれ、分子が複雑につながりあって高分子が生まれていきます。

 ここで重要なのは、複雑といってももちろんデタラメではなく、整然とした秩序をもってつながっていく、つまり「組織化」していくということです。

 理科系の苦手な人は、面倒な化学式はいったんぜんぶ忘れましょう。

 ただ、そのシーン、つまり物質がダイナミックに「自己複雑化・自己組織化」していくシーンをイメージしてみていただきたいのです。

 原初、1つのエネルギーだった宇宙が、やがてクォーク、そして陽子や中性子や電子、さらに原子、分子、高分子と自己組織化を遂げていくシーンを想像してみてください。

 1つの宇宙の中の地球の中の海の中で、高分子が誕生するのですが、しかしそれは宇宙のある部分が自己組織化してそういう形になっただけであって、宇宙でない何かになったわけではありません。

 高分子がさらにつながりつながって、複雑化のあるレベルをジャンプした時、それまでには存在しなかった「生命」という存在が、宇宙の中の天の川銀河の中の地球の中に、誕生します。

 それまでは物質だけだった世界に、物質を基礎としながら、ただの物質には還元しきれない、新しい特性をもった「生命」という存在が生み出されたのです。

 (「生命の特性はそれが創発する前の物質の特性には還元できない」、つまり「生命は物質に還元できない」というのは、現代生物学の大きな合意点だと思われます。)

 さて、ネット学生のみなさん、単なる物質に還元することのできない「生命」特有の性質というのは、何だったか覚えていますか?

 私たち人間は、まぎれもなく「生命」の1種ですから、生命の特性を知らないということは、自分の特性をも知らないということになりかねません。

 ぜひ、ここで苦手だったかもしれない「生物」の暗記項目としてではなく、自分の本質として、生命の本質をつかみなおしておいてください。

 生命の特性とは、①細胞膜によって自分と外部を区分しながらつながっている、②新陳代謝によって外界と交流しながら自分を維持する、③生殖によって自分とほとんど同じ生命体を複製する、という3つでしたね。

 (これに④成長する、を加えることもあります。)

 英語の科学用語で、それ以前にはなかった新しい性質が生まれることをemergence といいます。

 「発現」あるいは「創発」と訳されますが、私は「創発」という訳語が非常に気に入っています。

 それまで存在しなかったまったく新しいものが「創造的に発生する」というニュアンスがとても印象的で心に響くからです。

おそらく、38億から40億年前、1年に縮尺した宇宙カレンダーでは秋の実りの季節、海の中で生命が創発したのです。

ということは、同時に地球上に、太陽系に、天の川銀河系に……ということはすなわち宇宙に生命が創発したわけです。

 (もしかすると、すでに広い宇宙のどこかの星で生命が創発していたかもしれませんが、それは今のところわからないことなので、カッコに括っておきましょう。)

 浜辺に立って大きな海を眺めると、一種独特の感じが心に湧いてくるという方は多いのではないでしょうか。

何か、大きな、包むような、力に溢れた、しかし優しさ……といった感じです。

 浜辺を歩いていると、打ち上げられた海草やカニや小魚の死骸、無数の貝殻、そして嵐の後には大きな魚や海鳥の死骸などが目に入ります。

 無数の命を宿し、無数の死をもたらし、しかし海の波は絶えることなく、寄せては渚で砕けそして帰っていきます。

 それは、ほとんど永遠に近く繰り返すいわば海の脈動です。

 そうした海辺のシーンを見ている時、私は、海が数え切れないほどの生と死の営みを包み込んだ「母なる海」なのだと実感するのです。

 そしてそれは、おそらく私を含むすべての生命が元々海で生まれたことの太古の記憶に関わっているのではないか、と思ったりするのです。

 どこかで(うまく思い出せないのですが)、フランス語では海も母も「メール」であり、漢字の「海」には母という字が入っている、という詩を読んだことがあります(堀口大学だったか)。

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母なる地球の胎動

2005年10月25日 | いのちの大切さ
 46億年前、太陽系の第3の惑星として地球は生まれたのですが、私たちのこの地球は、他の惑星にはない特徴を与えられた星でした。

 それは、金星や水星のように、太陽からの距離が近すぎて熱すぎ、水がぜんぶ蒸発してしまうこともなく、火星や木星、さらに遠い惑星のように、遠すぎて冷たすぎ、水がぜんぶ凍り付いてしまうこともなかったということです。

 他の惑星とちがって地球は、液体状の水がたっぷりとあるので、「水の惑星」と呼ばれています。

 ここで、私たちの体の七〇パーセント近くが水だということを思い出しましょう。

 つまり、細胞の大部分は水であり、ということは、水なしにはあらゆる生命活動がありえないということです。

 もし、地球が太陽にもっと近かったり、遠かったりしたら、水の惑星でなくなっており、そうすると、あらゆるいのちも、もちろん私のいのちも存在しなかったのです。

 太陽と地球の絶妙の距離が、いのちがいのちであること、私が私であることを可能にしているのです。

 何と不思議なことでしょうか。

 これは、単なる偶然なのでしょうか?

 それとも、そこに宇宙の摂理のようなものがあるのでしょうか?

 それはともかく、生まれたばかりの地球は灼熱地獄のような高温で、すぐに生命が生まれるような状態ではなかったとかんがえられています。

 小さな惑星が激しい衝突によって集まり、その熱で惑星の内部の水や二酸化炭素が放出されます。

 創発直後の地球は、水蒸気や二酸化炭素の厚い大気で覆われていたようです。

 それは、今問題になっている「温暖化」の原因とされる二酸化炭素の濃度とは比較にならないほどだったのです。

 その厚い大気の「温室効果」で、熱の放散がほとんどといっていいほど妨げられ、地表の温度はどんどん上がり、溶けて、「マグマの海」状態になります。

 しかし長い長い何億年もの時間をかけて、ようやく次第に温度が下がってきて、マグマは固形化しはじめます。

 それにつれて、大気の温度も下がってくると、地球は大気中の水蒸気が凝集してできた厚い雲に覆われます。

 ようやく一部が固形化しはじめ、ある部分ではまだマグマが燃えているという状態の地表、そしてその上には厚い雲に覆われた真っ暗な空という地球を想像してみてください。

 さらに温度が下がると、その厚い雲が熱い雨になり、地球の表面あらゆるところが絶え間ない土砂降りというすさまじい状態になります。

 しかし地表の温度はまだ下がりきっていませんから、雨は、焼けたフライパンに注がれたお湯のように跳ね上がって蒸発し、水蒸気そして雲になり、また少し冷えると雨になって降り注ぐ……。

 雲は静電気を帯びていて、絶え間なくイナズマが閃き、カミナリがとどろきます。

 地球の表面は、年中嵐どころか、何千年も何万年も、さらに数億年の間、信じられないほど暗く荒々しい嵐の世界だったようです。

 さらに時が経ち、焼けたフライパンのような地表がようやく冷えてくると、水の蒸発が少なくなり、地球の表面のくぼんだ部分に溜まってきます。

 「原始の海」が創発したのです。

 地球を覆う大気とこの熱湯状態の原始の海の水には、生物にとって必要な元素すべてが含まれていました。

 もちろん、ばらばらの原子としてではなく、ほとんどがすでにそうとうに複雑に結びついた様々な分子として存在していたようです。

 ここで、まだ生命は一つも生まれていない、しかしまちがいなく生命の誕生に向かって、長い長い激動――まさに誕生に向かう「胎動」、産みの苦しみ――を続けている地球を想像してみてください。

 そういう想像をすると、私は、感動せずにはいられませんし、古代の人々が大地を「母」あるいは「母なる神」と呼んだことの意味がいっそうよくわかる気がします。

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教師の勲章

2005年10月22日 | 心の教育
 実際の大学の授業で何回かに1回、学生たちに感想文を書いてもらっています。

 昨日、提出された感想文の中に、とてもうれしい言葉がありました(感想文を匿名で公表することがあると学生たちに予め了承を得てあります)。

 「……私は後期の仏教心理論2を前期の段階で履修していませんでした。

 本当に失礼ですが、後期に他にとりたい授業があったので、前期の暇をつぶすために仏教心理論1をとったのです。

 私の心が変わったのは前期の途中ぐらいでした。

 先生のお話しを聞いて、心が震えるような感覚がありました。

 それで「この講義を聞かなかったら一生後悔する!」と思い、後期をとることにしたのです。

 とる予定だった授業より、仏教心理論の方が私の人生の歩みの上で必要なのだと思いました。……」

 「心が震えるような感覚」があったのは、おそらく今このネット授業でやっているあたりだったのではないかと思います。

 前回、「自分と宇宙の根源的なつながりについて考えると、全身がぞくぞくするほどの不思議さと感動を実感します」と書きました。

 授業をしていて、語っている私もぞくぞくするほどの感動をしているのですが、その感動がストレートに彼女の心に伝わったのでしょう。

 だれかと感動を共有できることは、人生の大きな喜びの1つです。

 そして、伝えたかった感動を学生たちに受け止めてもらって、こんな言葉を書いてもらうと、いつも、「これは、もうピカピカの教師の勲章だ!」と思ってしまいます。

 授業が進むにつれて、眼が輝いてくる学生の数が増え、すてきな感想文をたくさんもらえるようになっていきます。

 そうすると、「教師と○○は、1回やったら止められない」という気分になってしまうのです。

 明日から山中湖畔のワークショップに行ってきます。

 おそらくまた、「コスモス・セラピーのインストラクターと○○は、1回やったら止められない、たぶん一生止められない」という気分になれると、わくわくしているところです。

 ……というわけで、授業は2日ほど休講ということになるかもしれません。ネット学生のみなさん、よろしく。

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原始太陽系と地球の誕生

2005年10月21日 | 心の教育

 引き続き、宇宙では星の誕生と死が繰り返されていきます。

 そして、夏の終わり、8月20~25日頃、そういう無数――私たちのこの宇宙には1000億~1兆の銀河があるといわれていますが――の銀河の一つ、私たちの「天の川銀河」の中に太陽系が誕生します。

 といっても最初は、核になる太陽の原型――ほとんどが水素とヘリウムのガス――とその周りを回る円盤状の星間ガスで、まだ惑星ははっきりしたかたちを現わしていません。

 大変な速さで回っている星間ガスがいたるところで凝縮して小さな惑星になり、小さな惑星同士が衝突を繰り返して次第に大きくなって本格的な惑星になり、今のかたちに近い太陽系が生まれてきたというのが、現在のところ有力な仮説のようです(松井孝典『地球・宇宙・そして人間』徳間書店など)。

 そういう意味でいうと、厳密には全体としてのガス星雲が太陽と惑星にはっきり分かれた時が、太陽系の誕生というべきかもしれません。

 つまり、太陽の誕生と地球の誕生は同時だともいえる、ということのようです。

 そして8月31日、46億年前、いよいよ、今のところ知られている唯一の生命の星である地球の誕生です。

 あるいは、「宇宙の一部が天の川銀河というかたちを現わし、天の川銀河の一部が太陽系というかたちを現わし、太陽系の一部が地球というかたちを現わした」といったほうがいいでしょう。

 宇宙の外に、宇宙の一部でない地球が生まれたわけではないのですからね。

 ここでも、この46億年前の地球の誕生が、いつかどこか外側で起こった「関係ない」話ではなく、「今ここにいる私」の誕生に直接つながった不可欠の条件だということを、もう一度思い出しておきましょう。

 つまり、私たちは「銀河の子」であり、「星の子」であり、「太陽の子」であり、「地球の子」なのです。

 逆の言い方をすれば、銀河も超新星も太陽も地球も、私たちの「ご先祖さま」であるということです。

 父や母、祖父や祖母、曽祖父や曾祖母……といったご先祖さまだけではなく、地球、太陽、超新星、銀河……そして全宇宙というご先祖さまの、どれが欠けても私は存在しなかった、ということの不思議さを感じませんか。

 筆者は、例えば夏の夜、海辺か山の真っ暗なところに寝転んで、それこそ降るような星空、乳白色に煙る天の川銀河を見ながら、改めてこうした自分と宇宙の根源的なつながりについて考えると、全身がぞくぞくするほどの不思議さと感動を実感します。

 その不思議なつながりについてさらに考えていきましょう。

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*写真はX線で見た太陽。Credit:NASA
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天の川銀河系の誕生と超新星

2005年10月20日 | 心の教育
 宇宙カレンダーでいえば4カ月、1年の最初の3分の1、つまり50億年が、無数の銀河の形成に費やされます。

 カレンダーの4月9日つまり100億年前頃(これは説によって誤差が相当大きいようですが)に、私たちが現にいる「天の川」銀河系も生まれたようです。

 つまり「私たちの天の川銀河は宇宙によって生まれた」わけです。

 さて銀河を形成している無数の星――例えば天の川銀河系には太陽以上の大きさの恒星が2000億個くらいあるといわれています――には、誕生があるだけではなく、死もあるといわれています。

 質量によって、終わり方もいくつかのタイプがあるのですが、特に太陽の10倍以上ある星は、寿命が1000万年以下で、まず水素を燃やした後にできるヘリウムが核にたまってくるとやがて、その核の部分は温度も圧力も太陽よりもはるかに高くなります。

 そして核融合によって、炭素や酸素よりも陽子の多いネオン、マグネシウム、ケイ素、イオウなどを作り、さらにケイ素の原子核から鉄の原子核を作っていきます。

 そして鉄まで来ると、鉄の原子核はとても安定しているので、新しい元素の形成はいったん止まります。

 ところが、重力で星の内部は収縮し、さらに温度が高くなり、あまりの高熱にこんどは鉄の原子核が分解し始めます。

 すると、星の核の圧力と重力のバランスが崩れて一気につぶれ、その反動で爆発します。

 この爆発によって、非常に強く輝くので、新しい星が突然生まれたのかと思われて、超新星(スーパーノーヴァ)」と呼ばれていました。

 しかし研究が進むと、星が新しく生まれたわけではなく、実はそれはいわば「星の死」だということがわかりました。

 何か永遠なものの象徴のように思われる星も、誕生しやがて死を迎えるのですね。

 そのことだけを考えると、何か淋しいような、空しいような、あるいはひどく恐ろしいような気がします。

 しかし、星はムダに死ぬわけではなく、その大爆発の際の強烈な熱と圧力によって、鉄よりも重い元素が作られ、それらは宇宙空間に広く広く撒き散らされます。

 宇宙空間に広がった物質は、星間ガスと呼ばれ、またそれが集まってより複雑な原子からなる新しい星が誕生するのです。

 つまり、超新星は、いったん死ぬことによって新しいもの・新しい星を生み出していくわけです。

 すでに学んできたとおり、私たちの体はさまざまな元素でできています。

 その元素の多くは、そういうふうにして星の誕生と死の繰り返しの中から生まれたと推測されています。

 私の体・いのちが、今・ここにまちがいなく存在することから逆に遡って考えていくと、水素ガスの星の誕生、銀河の誕生、その中での星の誕生と死は、それに続く太陽系、地球、生命、人類、私の先祖、そしてこの私の誕生の準備だったことになります。 

 そうした元素の誕生の歴史と、それが明らかにされてきた近代の科学の歴史を語った、きわめて興味深い、マーカス・チャウン『僕らは星のかけら――原子をつくった魔法の炉を探して』(無名舎)という本があります。

詳しいことはその本にゆずるとして、一文だけ引用しておきましょう(同書2頁)。

 「私たちの血液に含まれている鉄、骨に含まれているカルシウム、息を吸うたびに肺を満たす酸素は、すべて、星の内部奥深くの灼熱のオーブンで焼かれ、その星が年老いて、消滅すると同時に、宇宙に解き放たれたものだ。私たちは、誰もが大昔に死に絶えた星の忘れ形見なのである。私たちの誰もが、文字通り天でつくられたのである。」

 それにしても、「私たちの誰もが、文字通り天でつくられたのである」とは、なんとロマンティックな言葉でしょう。

 しかし、これもまた詩人ではなく科学者の言葉です。

 よく調べれば調べるほど、宇宙そのものがとても壮大な物語=ロマンに満ちている、つまりロマンティックな存在だったことが、科学によって明らかにされてきた、ということでしょう。

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*写真は、銀河NGC2403付近の超新星。Credit:NASA
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宇宙が自分の中に銀河というかたちを生み出す

2005年10月19日 | 心の教育

 誕生して10~30万年後頃、宇宙に存在する元素は水素とヘリウム(および少量のリチウム)だけ、いわば水素とヘリウムの霧でいっぱいという時があったようです。

 最初からゆらぎ(ムラ)があったために、水素とヘリウムの霧にも濃淡があり、重力によって濃いところには粒子がどんどん集まっていき、巨大な霧の塊ができていきます。

 これは何だと思いますか?

 なんと! 水素とヘリウムガスの「星」の誕生なのです。

 私たちは地球から連想して、「星」というと何か固い塊を想像しがちですが、宇宙の初期に生まれた星はすべてガス状だったといいます。

 ガスの塊が重力によって凝縮するために、内部は大変な温度と圧力になります。

 凝縮された星の内部では、水素原子核(陽子)や重水素原子核(重陽子)などが激しく衝突しあい、ついに核融合反応を起こし、膨大なエネルギーが解き放たれ、新しい元素が誕生します。

 解き放たれたエネルギーは、目くるめく光となって空間に放射されます。

 そうです、星が光りはじめたのです。

 夜空で見ると、静かで愛らしくて、少しさみしく見えることもある星たちの多くは、今でもそういう驚くべき灼熱の核融合炉を内部に抱えていることで、あの光を放っているわけです。

 そして、内部では、猛烈な熱の中で元素が合成されています。

 今でも多くの星が水素とヘリウムガスでできていて、宇宙のあちこちで水素より重い元素が新たに合成されているのだそうです。

 できたての酸素、炭素、窒素……の目に見えないほどの小さな粒子を想像すると、何とも不思議の思いに誘われてしまいます。

 宇宙の歴史を学んでいると、私は、あちこちで驚きや不思議さや美しさなどに思わず立ち止まってしまいそうになります。

 しかし、宇宙のダイナミックな進化は一瞬も立ち止まってはくれないようです。

 さらに、そうした星が次々と誕生し、無数の星々はまた重力によって引き合い集まって星団をなし、いくつもの星団がさらに集まって銀河をなし、さらには銀河群、そして銀河団をなしていきます。

 まだ太陽系も地球も存在せず、だから当然、どんな生命も意識ももちろん私も存在していない宇宙で、気が遠くなるほど長い時間を費やしながら、しかし霧は混沌(カオス)状態のままにとどまっておらず、星になり、星の群れになり、さらにはっきりとかたちをもった無数の巨大な銀河に変容していきます。

 その様子を、精一杯想像力を広げてイメージしてみてください。

 すごい! なんとも壮大な……!光景ですね。

 そして、壮大なイメージが心に描けたら、その銀河を「生み出した」のは何か、つまり銀河は「何によって生まれた」のか、ここでちょっと考えてみてください。

 すぐ前の段落で「宇宙で」という言い方をしましたが、これは実はやや不正確な表現だ、と私は思うのです。

 正確な意味での「宇宙」とは、果てしなく広がる巨大な暗黒の「空間」のことではありません。

 もともと一つのエネルギーの塊だったものが、時間、空間、物質へと分かれてきたわけですが、そのすべてが「宇宙」なのです。

 だとすると、「宇宙で」「銀河が生まれてくる」というより、「宇宙が」「銀河を生み出していく」というほうがより正確な言い方でしょう。

 さらにそれは、自分の外に宇宙とは別の銀河というものを生み出すわけではありません。

 「宇宙が」「自分の中に」「銀河というかたちを生み出していく」ということなのです。

 私たちは、ものごとを分離して考えることにあまりにも慣れていて、「宇宙」「銀河」という言葉を使うと、ついそれぞれが分離した別々のものだと思ってしまいがちです。

 けれども、「宇宙」とは事実としても定義上も「全体」ですから、「部分」をすべて含んでいなければなりません。

 そして銀河はすべて、宇宙の部分なのです。

 ここで、「分離」と「区別・区分」の違いを思い出してください。

 もちろん、いったんかたちができると、あの銀河とこの銀河の区分・区別はできるのです。

 空間と銀河の区分もできます。

 しかし、そのすべてが分離できない全体としての1つの宇宙に含まれ、包まれている、あるいは1つの宇宙のままである、というほかないのではないでしょうか。

 だとすれば、「宇宙があるところで銀河というかたちを現わしていく」、あるいは「宇宙が自分の一部として銀河というかたちを現わしていく」といったほうがいいかもしれません。

 星も、星団も、銀河もみな、宇宙の自己組織化のもたらした宇宙自身の美しい実りです。

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星とともに走っている者

2005年10月17日 | 心の教育

 古代ローマの哲学者皇帝マルクス・アウレーリウスが、こんなことをいっています(神谷美恵子訳『自省録』岩波文庫、7・47)。

 星とともに走っている者として星の運行をながめよ。また元素が互いに変化し合うのを絶えず思い浮べよ。かかる想念は我々の地上生活の汚れを潔め去ってくれる。 

 これは、まるで今私たちが学んでいる現代科学的なコスモロジーとそっくりですね。

 悩みとか落ち込みとかは、いわば心の汚れです。そういうときには心が爽やかじゃないわけですからね。

 そういう時、彼は、自分は星とともに走っている、宇宙の中で宇宙と共にダイナミックに運動している、そういう存在として星の運行を眺める、という大きなスケールでものを見ようとします。

 私たちは、今この感覚器官で見える範囲だけを見ていると、何かが起こると、そこだけで喜んだり悲しんだりしているというスケールしか見えません。

 特に落ち込んでいる場合は、ほとんど法則的に視野が狭くなっています。

 こんど自分が落ち込んだ時、思い出してみてください。「ああ、オレ/私、落ち込んでいるなあ……で、宇宙スケールのことを考えているかな?」と。

 だいたい落ち込んでいる時には自分の身のまわりの、かなり狭い範囲のことしか考えていませんね。

 そういう時、起こっていることはすべて大きな宇宙の摂理というか、宇宙進化の方向性の中の小さなエピソードなんだという視点を自分の中に持つことができたら、かなり楽になります。

 自分たちが喜んだり悲しんだりしていることも、物質レベルでいうと宇宙の元素の変動であると見ていくと、それにはまり込んでしまった時の落ち込みとか苦しみに比べて、ずっと楽になります。

 これを心理学用語では「ディスアイデンティファイ(脱同一化)」といいます。

 自分の心の中で自分と苦しみが一体化しているのではなくて、一回それを離して向こう側に見てみる。

 離して向こう側に見るといっても、ほんの少しのことではなく、例えば太陽系スケールで見るんです。

 太陽系の中の一つの星である地球の、その中のちっぽけな日本という島の中の、その○○という地名の、ここにいるこのちっぽけな私……でもその私が星とともに宇宙の動きを形づくっている、と見ます。

 しかも結局は、いろいろな苦しみや破壊や悩みがあっても、宇宙はある大きな目的に向かってダイナミックな運動をしていて、自分はそれに参加しているんだ、その自分の苦しみにもそういう意味があるんだ、と見ることができたら、ずいぶん気持ちが大らかに、楽になるでしょう。

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*写真は『星の風景」(http://www.asahi-net.or.jp/~vd7m-kndu/)から転載させていただきました。
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私たちは価値ある星のかけら?

2005年10月16日 | 心の教育

 話は、水素の創発で終わりではありません。

 さらに水分子の中の酸素のほうですが、水素よりは遅れて、しかしこれもかなり早い時期にできています。

 ……と、ここまでお話ししてきて、いつも感慨にふけってしまいます。

 「そうか、元素も永遠の昔からあるわけではなく、できたんだなあ……宇宙そのものができたんだから、当たり前といえば当たり前だけど」と。

 さて、原子の違いは、原子核の陽子の数に対応しています。

 陽子一個の水素原子核同士の核融合反応によって、重陽子(陽子一個、中性子一個)ができます。

 陽子と重陽子が反応してヘリウム3(陽子二個、中性子一個)ができ、さらにヘリウム3とヘリウム3が反応してヘリウム4(陽子二個、中性子二個)ができます。

 これは今でも多くの星、特に太陽で起っていることで、私たち地球の生命のほとんどは、その核融合反応のエネルギーによって生かされています。

 ヘリウム同士の反応によってベリリウムや炭素ができ、ヘリウムと炭素の反応によって酸素ができた、といわれています(佐治晴夫『ゆらぎの不思議』PHP文庫、44頁)。

 私たちがまったく別のもののように思っているそれぞれの原子は、すべて同じ陽子、中性子、電子という要素からできていて、ただその数が違うだけなのです。

現在、宇宙には、自然にできた元素が約90種類、人工のものを加えると110種類以上発見されていますが、それらすべての物質が、基本的にまったく同じ構成要素でできている、そしてもちろん私の体もそうだというのは、気づいてみると、とても不思議なことですね。

 そして酸素は、水分子の中の酸素として、また血液中の酸素として、私の体の中にありますし、炭素も、タンパク質、糖、核酸、アミノ酸、脂肪などの炭素化合物の一部として、私の体・いのちを構成しています。

 さらに「どの生物にとっても不可欠な元素が17種類あると考えられてい」て(前掲『元素の話』)、水素、酸素、炭素、窒素、カルシウム、燐、硫黄、ナトリウム、カリウム、塩素……などですが、水素やヘリウム以外の元素も宇宙の誕生後まもなく(といっても2億年後)、水素やヘリウムの原子が集まって生まれた恒星内部での核融合反応によって作られはじめたものです。

 宇宙論の専門家佐治晴夫さんはこういっておられます(『ゆらぎの不思議』48頁)。

  「……考えてみると、私たちのまわりにあるすべてのものたちは、ひとつのこらず星のかけらからつくられたものであり、熱い星のからだの中をくぐりぬけてきたものばかりなのですね。

 私たちだって例外ではありません。

 もとはといえば、みんな小さな光の粒の中にいました。やがて渦巻く水素の霧としてただよい、銀河となって、星になり、星が一生かけてつくってくれた元素たちから生命がうまれました。だからみんなみんな〝星のかけら〟なのです。

 もう一度いっておきたいのですが、これも科学者の言葉であって、特定の宗教の教義やイデオロギーではありません。

 誰でも、ほんとうかどうか疑ったり、確かめたりすることができ、納得できたら、共有できるものです。

 こうしたことを学んだ時、筆者は、「私・私のいのちには、宇宙137億年の歴史が込められている。それに価値がないなどと、誰がいえるだろう」と思いました。

 これはもちろん、すべての人に当てはまることです。

 どんな人でも、人間であるということだけで、宇宙の歴史が体の中に秘められているのですから。

 そうだとすると、「私と宇宙はつながって1つ」という事実に基づいて、私の、あなたの、すべての人のいのちには、宇宙的、つまり絶対的な価値・尊厳があるといえるのではないでしょうか?

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*写真はM16「ワシ星雲」内にある星形成領域の赤外線写真。NASA提供。


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私の体には宇宙138億年の歴史が込められている?

2005年10月15日 | いのちの大切さ

 まず宇宙が始まって1兆分の1の1兆分の1のそのまた100億分の1秒くらい経った時、物質の元の元になる基本粒子にレプトンとクォークの区別が生まれ、1万分の1秒くらい後にクォーク同士が結合して陽子や中性子といった複合粒子が生まれます。

 そして、その後の数分間で陽子と中性子が結合して重水素、ヘリウム、リチウムなどの原子核も作られます。

 ご存知のとおり、原子は、原子核とその周りにある電子からできています。

 ビッグバンから10~30万年くらい経った頃、レプトンの一種である電子一個が陽子一個に捉えられ、その周りを回りはじめます。

 水素原子の誕生です。

 英語の科学用語で創めて発生するという意味の emergence という言葉があり、「創発」と訳されていますが、私はこの言葉の響きがとても好きなので、こちらを使いましょう。

 ビッグバンから10~30万年後、宇宙カレンダーだと、1月1日、午前0時4~12分頃、水素原子が創発したのです。

 実に見えないミクロの世界――しかもその頃は人間などおらず、したがって目もありませんから、そうでなくても見えないわけですが――で、宇宙で創めての原子が創発する……なんとも不思議なことだと思いませんか?

 水素(特にその原子核)は、標準的な仮説では、宇宙の誕生後、もっとも初期に形成された、もっとも単純で基本的な原子(原子核)だといわれます。
 
 そしてそういうわけで、水素は、今でも宇宙の物質の90パーセント以上を占めているそうです(斎藤一夫『元素の話』培風館、九八頁)。

 初期の宇宙は、水素原子(あるいはヘリウムもあったかもしれませんが)だらけ、濃密な水素の霧状態だったようなのです。

 科学的な正確さをあまり気にしないで、その状態を想像してみてください。

 実にすごい! 実に不思議! と私は思わざるをえません。

 水素、特にその原子核をなしている陽子は、そう簡単に壊れたりしないもので、陽子の寿命は宇宙の現在までのところの年齢138億年よりもはるかに長いといいます。

 陽子の寿命なんてものまでわかっているんですねえ。

 どのくらい長いかというと、10の32乗年以上だそうです(桜井弘『元素一一一の新知識』講談社ブルーバックス)。

 1の後に0が32個付くということは、億や兆といった私たちが知っている数の名前では呼べないほどの大変な長さです。

 ちなみに、兆の上が垓(がい)、その上が禾に予で「じょ」〔字がありません〕、その上が穣(じょう)、その上が溝(こう)で、ようやく10の32乗です。

 気の遠くなるような長さですね。

 こういう話だけでも驚いたり、感動したりする人もいるでしょうが、「宇宙」は自分や地球の外側にあるとイメージしていると、「それがどうした。私には関係ない」という気がする人もいるかもしれません。

 しかし実は、その水素の原子核はおそらくまちがいなく、宇宙創成以来138億年の歴史を抱えて、そのまま私やあなたの体の一部になっているのです。

 「え?」と思う人が多いでしょう。

 でも、初歩的な理科の知識を思い出してください。

 水の分子式って、どうなっていましたか?

 そう、H2O でしたね。

 で、Hは? そう、水素。

 Oは? そう、酸素、でしたね

 つまり、水の分子には水素が含まれているわけです。

 そして、私たちの体の70パーセント近くは水分だそうです。

 つまらない冗談をいうと、だから、どんなに干からびたような方でも、人はみんなみんなみずみずしいんですね。

 元にもどりましょう。

 ですから当然、私たちの体には多くの水素原子、つまり水素の原子核も入っているわけです。

 後でお話ししていくように、生物は今から40億年くらい前に海中で生じたと考えられていますが、「陸に住む生物も含め、現在の生体内に最も多い物質は化合物でいうと水であり、元素としては水素と酸素である」(前掲『元素の話』、116頁)といわれています。

 さて、ここからがポイントです。

 私の体に水があり、したがって水素がある。

 それは、「今ここにいる私の体には、まちがいなく宇宙138億年の歴史が込められている!」ということです。

 宇宙創成後まもなく創発した水素(の原子核である陽子)は、そのまま壊れることなく、私の体の中にある、というより私の体を成しているのです。

 これはとても感動的です!

 初めてそのことに気づいた時、「そうか、そうなのか!」と、筆者自身とても驚き、いたく感動しました。

 しかし、それは専門的にいってまちがいないのかという気がしてきて、何人もの専門家にたずねました。

 そうすると、どの方も「そうですね、いわれてみると、そういうことになりますね」と答え、一緒に感動してくださる方も少なくありませんでした。

 私の体には宇宙138億年の歴史が入っている――これは、まちがいない事実のようです。

 今までは気づいていなかったので、「関心」がなかった、だから「関係ないと思っていた」だけなんですね。

 事実としては、水素原子があることは、私が今ここに生きていることと切っても切れない「関係がある」し、宇宙138億年の歴史にそのままつながる「関係がある」のです。

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「宇宙」のイメージ

2005年10月14日 | 心の教育

 ところで、ここでネット学生のみなさんにうかがいたいと思います。

 みなさんは、「宇宙」という言葉を聞くと、頭にどんなイメージが浮かぶでしょう?

 これまでいろいろな方に聞いてきてもっとも多かった答えは、「夜空」つまり「無数の星が輝いているが大部分は暗黒の、自分の向こう側にある広大な空間」です。

 それに加えて、宇宙飛行士とその向こうの青く輝く地球や、火星や土星の写真を思い浮かべる人もいます。

 それは、おそらくまちがいなく、これまで見た学習図鑑やテレビ映像などの影響だと思われます。

 しかし、ここでよく考えてみたいのですが、そういう宇宙は、言葉の定義としても事実としても、ほんとうの「全宇宙」ではないのではないでしょうか?

 地球も生命も私も含んでいなければ、ほんとうの全体ではなく、したがって「全宇宙」とはいえません。……ですよね?

 私や地球がこちらにあって宇宙は向こうにあるというのは、ごくごくふつうの見方ですが、よく考えるとほんとうの「全宇宙」を捉えた見方とはいえない、と私は思うのですが、どう思われますか?

 テレビの宇宙関係の番組でもしょっちゅうこういう見方で「宇宙」が語られていますが、それは「地球外空間」と呼んだほうが正確なのではないか、と私は思うのですが。

 そういうい言い方がふつうになっているのは、すでにお話ししたように、近代科学の主客分離の認識方法が、そのまま日常のものの見方にまで浸透した結果、私・主体と宇宙・客体は分離していて、私はこちら、宇宙は向こうにあるという――あえて厳密・正確にいえば――錯覚が当たり前になっているからだと思われます。

 しかし、くどいようですが、よく考えて見ましょう。

 私たちは宇宙の中に宇宙の生み出した宇宙の一部として存在している、というのがより正確な事実なのではないでしょうか。

 そしてほんとうの全宇宙は、地球とそこに住む無数の生命と、そして私と私の心を含んでいます。

 だとすれば、常識からは一見奇妙な言い方に聞こえるかもしれませんが、「宇宙には、ただ物質と空間があるだけではなく、その一部としていのちも心もある」といわざるをえません。

 それは、暗黒の宇宙空間にオカルティックないのちや心があるということではなく、宇宙の一部として私たちのいのちも心もある、ということですが。

 そうした点について、現代の一流の科学者たちはどういっているのでしょう。

 フランスの代表的な物理学者、生物学者、人類学者に、エコロジストがインタヴューした本(リーヴス他『世界でいちばん美しい物語』木村恵一訳、筑摩書房)から引用してみましょう(読みやすくするために、改行、1行空けを加えました。斜体は筆者によるものです)。

 では、科学はいったいどのような驚くべき事実を明らかにしたのか。

 それは、150億年前からずっと同じ1つの冒険が続いており、宇宙と生命と人類とをあたかも長大な叙事詩の各章のように結びつけている、ということだ。

 ビッグバンから知性にいたるまで、同じ1つの進化の過程が進行し、素粒子、原子、分子、星、細胞、有機体、生物、さらにはこの人間という奇妙な動物へと、より複雑性が増す方向へ進んでいる。

 すべてが同じ鎖でつながれ、同じ運動によって引き起こされている。

 私たちはサルやバクテリアの子孫だが、また星や銀河の子孫でもある。

 私たちの体を構成する物質はかつて宇宙を作り上げた物質にほかならない。

 私たちはまさしく星の子なのだ。
                                                        (9~10頁)

 宇宙は静的なものではなく……この点が特に重要ですが、物質は徐々に組織化されていく、ということです。

 ……単純なものから複雑なものへ、効率の低いものからより高いものへと移行していくのです。

 宇宙の歴史、それは物質が自らを組織化していく歴史なのです。
                                                          (41頁) 

 ここではっきりと「私たちはまさしく星の子なのだ」といっているのは、ロマンティストの詩人などでなく、まぎれもなく科学者だということに注目してください。

 現代科学の標準的な仮説によれば、宇宙の進化史は、物質が自らを組織化・複雑化していく歴史であり、私たちも宇宙の1部、その歴史の1部だ、ということになるのです。

 ところで、宇宙がビッグバンの直前、極度に凝縮した極微のエネルギーの球だったとして、さらにその前は何だったのか、気になりませんか。

現代の物理学者には、そこまで考えた人がいます。ロシア出身で現在アメリカ国籍の物理学者ビレンキンという人です。

彼によれば、宇宙は、時間、空間、物質、エネルギーがすべてないという意味での「無」から始まったといいます。

 「宇宙は〝無〟の世界からトンネルをくぐってひょっこり顔を現わした、ちっぽけな閉じた時空です。ただちにインフレーションを起こして1人前の宇宙になり、熱いビッグバンを経て物質をつくり出したのです。私たちは星の子であり、超新星の子であり、〝無〟の子でもあるのです」(『宇宙創生に挑むパイオニア』日本放送出版協会)

 ビレンキンの説は、まだ定説・標準的仮説というところまでいってはいませんが、けっしてデタラメな思いつきではなく、やがて定説になる可能性の高い、有力な仮説の1つと考えられているようです。

 これは最先端の物理学、宇宙論の話なのですが、もうまるで仏教の『般若心経』の世界のようでもあります。

 「色即是空」、つまり色=色や形に現われたもの=物質的現象はすなわち「無」の子だというのですから。

 (といっても、私たちの考えでは、ほんとうの全宇宙は、外面・物質面だけでなく、内面・精神面をも含んでいますから、これは「外面と内面が対応している」ということであって、「同じことをいっている」わけではありませんが。)

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*写真は白鳥座~ペルセウス座の天の川。国立天文台提供。
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