感動、そして反省や後悔

2012年09月11日 | コスモロジー

 「人間はコスモロジーなしには生きられない動物である」というのがコスモス・セラピー=コスモロジー教育の基本的な命題です。

 人間は心をもった動物なので、健康・正常に生きていくためには、心のまとまりが必要です。

 そして、その心のまとまりをベースから支えているのがコスモロジーなのです。

 ところが、近代科学は、きわめて強い妥当性や有効性がありますが、コスモロジーとしては突き詰めるとニヒリズムに到るという大きな欠陥があります。

 それに対して、宗教を信じることができればニヒリズムには陥りませんが、これまでの宗教のほとんどは呪術・神話的コスモロジーをベースにしているために、近代科学を学んだ=啓蒙された近代人にはそのまま信じることはそうとう困難です。

 また、科学の妥当性を捨てて呪術・神話的宗教に戻ることは、困難であるだけでなく、近代人にふさわしいことではないと思われます。

 前回の記事にも書いたように、そういうジレンマを超えるのが、現代科学と宗教のエッセンスを統合した新しいコスモロジーだ、と私は考えています。

 そういう私の考えを、あくまでも1つの提案として伝えることを目的として、前期授業の前半で、宗教から近代科学、そしてニヒリズムへという近代精神史のプロセスを大まかに話し、後半に現代科学のコスモロジーの話をしていきます。

 前半と後半でそれぞれ次のような感想を書いてくれた女子学生がいますが、講義の目的がとてもよく伝わったうれしいケースの1つです。



 H大学経済学部1年女子

 前期感想

 今までなんでこんな考え方をしてしまうんだろうとか、なんでこんなにも無意味に感じて死にたくなるんだろうとかたくさん考えてきました。

 岡野先生の授業を聞いて、こんな歴史的背景があったのだと初めて知り、こんな側面からの考え方も存在したんだと感心すると共に、また新しく考え込むことが増えました。

 やっぱりこんなにも近代化した今に自分なりの意義を持って生きるには、宗教を信じるしかないのでしょうか?

 落ち込むたびに、熱心になれるような宗教に入信した方が自分なりに充実した生き方ができるのではないか、と考えてしまいます。

 大学に入って2ヵ月経ちますが、先生の授業がいちばん興味があって面白いです。


 前期感想

 今までひねくれた考えを思ってきた自分に後悔する程感動しました。
 
 物質としか思えなかった私自身はエネルギーであり、また物質では表せない私の心があることに気がつけました。

 エネルギーでも物質でもない人類の心が今後一番の難題ですね。

 今は心に支配されすぎましたね。

 でも今は自分自身も、周りにあるものも植物も景色も愛おしく感じます。

 どんなにつらくなった時もこの気持ちを保てればなとも思いますが、今はその気持ちも新鮮に感じます。

 ちょっと自信が持てました。



 この女子学生は「今までひねくれた考えを思ってきた自分に後悔する」と書いていますが、私の考えでは、突き詰めるとニヒリズムに到るような近代的コスモロジーの中で育てられると、能天気に考えないですますか、かなり考え込んでひねくれるか、突き詰めて心や体を病んだり自殺してしまうか、いくつかの選択肢しかないので、現代の若者の多くがひねくれてもやむを得ないところがあると思っています。

 しかし現代科学のコスモロジーを採用-信頼すれば、ひねくれないで、まっすぐに健康に生きていくことができると思います。

 次の男子学生は、近代的なエゴイズムが錯覚であることに気づいて、「今、私は猛烈に反省している」「これからは怠惰な生活はせず、希望に向かって走り続けようと思うと報告してくれています。



 H大学社会学部1年男子

 前期感想

 私たち人間が、そしてこの世の全てのものが「宇宙と一体である」と知って、深い感動を覚えた。

それと同時に、「私は今生かされているのだ」と自覚することができた。

 今まで私は「自分は『生まれた』のであり、何をするにも自分の勝手だ」と思っていた。

 自分の好きなように生き、ワガママを言い、身勝手に生活してきた。

 今、私は猛烈に反省している。

 自分の過去の行いがどれだけ人に迷惑をかけたのか。

 そして、それと共に「希望」を持つことができた。

 今までの自分を改め、精一杯「今」を生きたいと感じることができた。

 これからは怠惰な生活はせず、希望に向かって走り続けようと思う。


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「近代科学と無神論」から「現代科学と宗教のエッセンス」へ

2012年09月10日 | コスモロジー

 『コスモロジーの心理学』(青土社)の最後の方で、「筆者が、科学の専門家でないにもかかわらず・でないからこそ、あえて現代科学のコスモロジーの話をするのは、まず、現代人の多くは科学の権威を非常に信頼しているので(科学主義・科学信仰という行き過ぎの面もありますが)、現代人に向けてニヒリズムを克服し人生の意味と自信を再発見できるようなコスモロジーを提案するには素材として科学の成果を借りることが最も有効だと思われる、というきわめて臨床的・実践的、実用的(プラクティカル)と言ってもいい理由からです。」(289頁)と書きました。

 そして、『コスモロジーの創造』(法蔵館)では、「本来宗教の核にあったのは、人間のいのちは、どこまでも人間のいのちでありながら、人間自身が生み出したものではなく、人間を超えた、より大きなものによって生まれたものだ、という感覚だったのではないだろうか。『生きることは生かされて生きることである』『私より大きな何者かが私を生かしている』という直感、さらに、人間だけでなく、生きているものもそうでないものも、すべてのものがより大きな全体(神、仏、自然、宇宙)に包まれているという根源的な人生の目覚めが、宗教の核にあるものだと思う。/包んでいる何か全体なるものを『神』『仏』『ブラフマン』『アラー』『道』…と呼ぶか、あるいは『自然』または『宇宙』と呼ぶかは、本質的な問題ではない。」(35頁)と書いています。

 前期授業の始めと途中で、「『近代科学は本質的に無神論であり宗教と対立するが、現代科学と宗教のエッセンスは調和する』というのが、この『現代社会と宗教』という授業の1年間の最終的結論です」と予告するのですが、前期終了の段階で結論を先取り的に理解してくれる「一を聞いて十を知る」ような学生がいます。

 以下は、その2つのケースです。



 H大学社会学部1年男子

 私の中では、神の存在は失われ、信じられる考え方は何もなかった。

 しかし、現代科学のコスモロジーは違った。

 科学は現代において、まだ信じられるものである。

 科学的な根拠も示されているのでより信じることができる。

 現代科学のコスモロジーを信じようと思った。

 私は宇宙の一部であることに感動を覚えた。

 137億年は途方もないくらい長い時間であるけれど、身近に感じた。

 死んだら終わりと、今までは考えていたが、終わりではないことを知った。

 私は一種のエネルギーであり、死んでもエネルギーなのだ。

 「死ぬ」という表現はあまり良いものではないのかもしれない。

 「死ぬ」はネガティブなイメージを含んでいるからだ。

 しかし、死んでもエネルギーは生きているのだ。

 私たちは、宇宙の一部であり、その流れに乗っている。

 死んでも終わりではないことはなんとすばらしいことだろうか。

 私は、宇宙に対してなにかできるだろうか。

 宇宙のためになることをしたいと思う。


 H大学社会学部3年男子

 正直言って、初めてこの本を読み先生の話を聞いた時は、スケールが大きすぎてついていけず、まるで何かの新興宗教のような全くもって非論理的な考えだと思い、気にも留めていなかった。

 しかし、ある日夕食を食べているときに「あ、今食べてる肉や野菜も何かしらいのちのつながりがあるのか」ということをふと考えた。

 その時から周囲の人々や事象、自然とのつながりを少しずつ意識するようになり、私の考え方も変わっていった。

 宇宙のすべてがつながっていると考えると、その中の一部であっても存在していることに意義を感じ、生きていることが素晴らしく思えてきて、少しずつではあるが、毎日が楽しくなってきた。

 宇宙のつながりは現代科学に基づいていることも考えてみると、「非論理的」と切り捨ててしまうことは近代科学的な考え方であり、自分はエゴイズムの塊であったと反省している。

 私は先生ほど学も足りずまだまだこの考えについての見識も浅いが、少し意識するだけでもここまで考えが変わったので、今後も考えることによって人生が楽しいものになればいいなと期待している。

 近代科学史観に囚われていた自分から脱却する機会を与えて下さり、先生には本当に感謝しています。

 半年間ありがとうございました。



 確かに何かというと「宇宙」という言葉を持ち出す新興宗教があるために、私も「宇宙」と言うので、当初しばしば「うさんくさいおじさん」と思われたり、「新興宗教みたい」と思われたりしますが、それはコスモロジーの転換・移行期には当然あることでやむをえないと覚悟しています。

 しかし、順を追って根拠を話していくと、これまでの多くのケースも上のケースもそうであるように、非常に多数の学生が「なるほど科学的根拠があるんだ」と納得してくれます。

 そして最初のケースの学生のように「現代科学のコスモロジーを信じよう」という気持ちになることもしばしばあるようです。

 一言だけコメントしておくと、科学の語っていることはどこまでも仮説ですから、宗教の教義のように絶対視する必要はありませんし、するべきでもありません。

 ただ、標準仮説・定説であれば、かなりの蓋然性をもってとりあえず信頼・信用しておいていいだろうということです。

 現代科学のコスモロジーを「信仰する」のではなく、「信頼・信用する」ことによって、ニヒリズムを克服し、人生の質を高めることができることは、これまでの多数の学生の報告によって、ある種実証されていると言っていいと思うのですが、読者はどうお考えでしょう?




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感動力と表現力

2012年09月09日 | コスモロジー

 宇宙と私の根源的な一体性を語る現代科学のつながりコスモロジーの理解は、たいていの場合、大きな感動につながります。

 学生たちは、その感動をそれぞれさまざまな表現で報告してくれます。

 読んでいると、なんというすばらしい感動力と表現力だろうと感心してしまいます。

 以下、3つの例を紹介します



 H大学社会学部1年男子

 私は、「現代科学のコスモロジー」というものを、あまりにも壮大すぎて、あまり理解出来ませんでした。

 しかし、一つ一つの連続性を少しずつ、丁寧に理解していき、「137億年の歴史の連続性」が、自分のなかで体系的にすべてつながり、はっきりと、「私と宇宙の一体性」を感じることができるようになった時、何かとてつもない、言葉では表しきれない感動が全身を駆けめぐりました。

 そして、これから生きていく上で糧となるだろう「自分という存在に対する揺るぎない絶対的な自信」と「次世代に命をつなげていくという私が生きていく『意味』と『目的』」を手に入れることができました。

 そして私が実際に自分の子供や子孫を持った時には、きっと私が今感じている「宇宙との一体性」をもはるかに凌駕するもの感じることができると確信しています。

 その時が今からとても、とても楽しみです。


 H大学社会学部1年女子

 前に述べたような、私たちの中には地球創生以来のものが宿っているという話。

 私は先生の本を見たり講義を聞いた中で1番感動した部分だった。

 今まで私は自分のこと宇宙規模で考えたことなど一度もなく、宇宙の中の地球の中の何十億人という人口のうちの、たまたま日本という国に住んでいるうちの1人、たかが1人だとしか思ったことはなかった。

 しかし、先生のこの話を読んだり聴いたりして、なにかこう上手く表現できないのが残念でしかたないが、ドキドキというか、なにか体の奥からこみあげてくるような、元気が沸いてきた。

 137億年もの歴史をこんな私でも抱えているのか…と思うと、今後の将来が明るくなった気さえした。

 私が生きていることに、こんなたくさんの意味があるんだ…と気づき思うことで、ニヒリズム、エゴイズムからおおいに脱却できると私は思う。


 H大学社会学部1年間男子

 1回目のレポートとは、また違った気持ちになった。

 1回目のレポートでは、「まさにそのとおりだ、心のモヤモヤが晴れたような気がする」というような感じだった。

 しかし、今回のレポートを書いてみて、なんだか胸が熱くなった。

 「人間自身が自然の一部である」という考え方を持ってはいたが、頭の中で理解するのと、他の人から言われて理解するのでは全く実感の度合いが違った。

 この広い宇宙と自分の体が同じだと思うと、今まで難しく考えていたことがなんだかちっぽけに感じた。

 また、「地球の約109倍もある太陽も同じ宇宙から生まれた。その太陽の約数億倍もある恒星も同じ宇宙から生まれた。」と考えるとこの世界がすばらしく見えた。



 「何かとてつもない、言葉では表しきれない感動が全身を駆けめぐりました」、「なにかこう上手く表現できないのが残念でしかたないが、ドキドキというか、なにか体の奥からこみあげてくるような、元気が沸いてきた」、「なんだか胸が熱くなった」、どの表現からも大きな感動が伝わってきます。

 「授業を真剣に受けてくれて有難う。感動してくれて有難う」と言いたいと思います。

 それにしても現代科学のつながりコスモロジーには人を感動させてくれる大きな力があります

 そして、その感動を忘れることさえなければ、人生のさまざまな場面で、ニヒリズム・エゴイズム・快楽主義に足をすくわれることは決してないでしょう(残念なことに人間は大切なことしばしば忘れてしまうものなので、身に染み付くくらいまで繰り返し学習が必要なのですが)。

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宇宙と私のつながり

2012年09月08日 | コスモロジー

 また1つ、A+評価のレポートと感想の全文を紹介したいと思います。

 

  H大学社会学部1年女子


  宇宙と私のつながり

 すべては1つの宇宙エネルギーだ。

 私もあなたも、あの車もあの花もあの動物も、魚も海も空も星も全てが1つなのである。

 これが現代科学アインシュタインの相対性理論から導き出される宇宙と私のつながりである。

 近代科学が説明したような物質が複雑に組み合わさってできた私、死んだら無になる私ではない。

 小さなエネルギーの玉だったという宇宙はビッグバンから始まった私でもある。

 そのような私は死んだら終わりではない。

 なぜなら生命が死ぬことがないから。

 ヘッケルによる生物の系統樹を見れば一目瞭然で、すべての生き物は共通の祖先を持つ親戚であり、宇宙が137億年かけてより複雑に練りあげてきたものが私だと気が付ける。

 先生は「そこにある樹木も親戚だね。」とおっしゃいましたが、私もその通りだと思う。

 元を辿ればすべてが宇宙の子で、宇宙の自己複雑化の成果であるから、私の生命はいつまでも続いていくと言える。

 乗物は違えど生命は引き継がれている。

 たとえ太陽が爆発し太陽系が滅びようとも、次に誕生した星の中にすべての生命の記憶が受け継がれていくと思った。

 地球上に哺乳類が誕生した時、「宇宙には喜びや悲しみ愛情といった感情が創発した。」(p.181)

 考えれば考えるほど地球と宇宙、更には私と宇宙のつながりに感動できる。

 つまり近代科学がもたらした全ての物質が分離・独立していて、私とあなたは別物であるとするコスモロジーは覆される。

 私は私というエゴイズム、いつか死ぬときが来たら私は消えてなくなり、やがて無になってしまうというニヒリズム、それなら生きている間は好き勝手にやりたいことやればいいという快楽主義、これらの考え方は私と宇宙のつながりを感じていくことで取り除かれるはずだ。

 宇宙が解き明かされていくにつれて、宇宙と私の壮大な物語りが明らかにされていくだろう。


 感想

 「宇宙の誕生は私の誕生の準備だった。」

 ノートの隅に走り書きがしてありました。

 このテーマに入ってすぐの頃、先生がにこやかにおっしゃった言葉です。

 現在ではなるほどなぁと感動する言葉ですが、当時の私には正直言うと理解できず、「私が居るから宇宙が存在する」という言葉も同様で、何を根拠に断定するのか知れませんでした。

 137億年前に起きたビッグバンと18年前に誕生した私がどうして繋がっていると言えるのか、とても疑問に感じたのを今でも覚えています。

 つまりそれだけインパクトのある言葉でした。

 そして現在ではとても心に響く言葉となりました。

 宇宙が創発して銀河ができ、太陽系ができて地球が誕生し、様々な過程のどれを欠いても私は生まれません。

 またその壮大な物語りに身震いします。

 これからもこの言葉は私に寄り添っていくことでしょう。

 前期が終わりましたが、私はこの授業を受講して多くに感動しました。

 (私が感動するということは、宇宙が感動したのですね。)

 私が「私」という小さな存在ではなくて、もっと大きくて半永久的に受け継がれていく生命で、宇宙なのだと知ることができ、前向きになれた気がします。

 宇宙と私のつながりを確認し、心が温かくなりました。

 履修して本当によかったです。

 後期もありますが、前期の講義をありがとうございました。



 この学生の「壮大な物語りに身震いします」「私が感動するということは、宇宙が感動したのですね」という言葉で表現されている、素晴らしい理解力と感性には、こちらも感動してしまいます。

 大学生の間に、つながりコスモロジーをしっかり身につけて、ばらばらコスモロジーで営まれている社会に出てからも、けっしてへこたれることのないしなやかで強い心を育んでほしいものだと心から祈らずにはいられません。



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コスモロジー教育の成果:今学期の集計2

2012年09月05日 | コスモロジー

 他のことに時間を取られていて遅れた、H大学社会学部(経済学部生も聴講)「現代社会と宗教」の今学期の成果の集計をようやくやってみました。

 前期のアンケート調査には、レポート提出者660名のうち173名がアンケートに答えてくれました(約26%)。しかし、授業を受けたことによる世界観・人生観の変化のポイントについて25名が数値無記入でしたので、有効回答148名として計算すると下記のとおりになります(パーセントは四捨五入)。

 10   44名  30%
  9   12名   8%  38%(10,9の累計、以下同様)
  8   28名  19%  57%
  7   15名  10%  67%
  6    7名   5%  72%
  5   15名  10%  82%
  4    3名   2%  84%
  3    5名   3%  87%
  2    9名   6%  93%
  1    3名   2%  95%
  0    7名   5%
  無記入 25名(内3名は世界観が変わったと記入)


 アンケートの回答率が26%、有効回答率が22%であることを考えると、これがどこまで受講者全体の傾向を表しているかという疑問が若干あるかもしれませんが、レポート全体の出来と感想を勘案すると、ほぼ全体の傾向を示していると解釈していいと思っています。

 ポイント10は、言葉にすれば「世界観が全面的に変わった」ということでしょうが、今年度は30%で、この率(25%以上30%程度まで)は、これまで十年以上続けてきたアンケートの傾向とほぼ同じです(やや高め)。

 10から7まで67%、10から5まで82%、10から1まで95%もほぼ例年どおりです。

 これは、興味深いことに、今年かなり少人数だったM大学の集計結果(受講者44名、回答者36名)ともほぼ似た傾向を示しています。

 そのことは、コスモロジー教育は受講者の数の多少にあまり影響を受けないこと、したがって、必要であれば一挙に多人数(おそらく1000人程度まで)に行なうことができるという効率性を実証していると思われます。

 また、例年の調査とあわせて、かなりの受講者に顕著な肯定的変化をもたらすこと(例えば10~7の累計が67%)、受講者のほとんどに肯定的影響があること(10~1の累計が95%)が、今学期も実証されたと考えていいでしょう。

 教育に関わるみなさん、この数字が信用できるようでしたら、ぜひ、このメソッドを学んで使ってみてください。

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コスモロジー教育のビフォー・アンド・アフター 3

2012年09月04日 | コスモロジー

 コスモロジー教育=コスモス・セラピーのテキスト『コスモロジーの心理学』(青土社)は、次のような章立てになっています。

 序 章 コスモロジーと自信
 第1章 近代日本におけるコスモロジーの変遷とニヒリズム
 第2章 近代科学・キリスト教の否定・ニヒリズム
 第3章 現代科学のコスモロジー
 第4章 ほんとうの自信
 第5章 宇宙論の意味と未来

 12年前、H大学で教え始めた頃は、第1章の話はあまりしていませんでしたし、第2章の話はまったくありませんでした。

 しかし、現代科学のコスモロジーの話をする前に、私たち戦後の日本人が教わってきたのは近代科学のコスモロジーであり、それは突き詰めるとニヒリズムに到るようなものであり、そういうコスモロジーが日本の標準になるまでには日本の近代史のプロセスがあったことも伝えたほうが、現代科学のコスモロジーの意味が際立って理解できるようになるのではないかと思い、次第に増補=ヴァージョン・アップしてきたものです。

 この部分は、医療に譬えると、処方の前の診断のようなものです。

 「はっきりとした自覚症状はないかもしれませんが、実はあなたはこういう深刻な病気です」と診断する意図は、患者を絶望させることではなく、「しかし、治療法がありますから、ちゃんとやれば治ります」と希望を持ってもらって、治療のプロセスを開始することに同意してもらうことです。

 はっきりとした診断をしなければ、治療しなければならないという自覚がはっきりしないからです。

 次の女子学生は、そういう意図がよく適合したケースだと思われます。



 H大学社会学部1年女子

 前期中間レポート感想

 深く考えないようにしていたのに、常に私の心に巣くっている不安の正体をこの本で明らかにされ死にたくなると同時に、あらたなコスモロジーへの期待が高まっています。

 私はわりと愛国心が高いほうだと自分で思っているので、第二段階等を読んでいると、ちょっと泣きたくなったりしました。

 伝統的な精神を変えられ、のところまではまだいいのですが、自らまでも変えてしまうようになったのが悲しかったです。

 しかしコスモロジーとはおそらく個人だけで所有していてもあまり意味のないものであるのかなと思いました。

 同じコスモロジーを持つ人が多ければ多いほどより強くなるのではないでしょうか。

 だからきっと、周りが変わっていく中で心屈さずに伝統を守り続けるのは困難で、しかも欧米風コスモロジーは科学という、神話的なものよりよほどわかりやすい根拠をもっていたので、浸透しやすかったのではないかと思います。

 本は授業にあわせて読む派なので、火曜日が楽しみです。


 前期末レポート感想

 私自身も多くの現代人と同じように、自分の価値や生きる意味なんてひとつもなくて、どうせ全部最後には無駄になってしまうんだからと投げやりなことを思うこともありました。

 世界や宇宙に対して、自分の存在はあまりに小さく無意味なものに思えたんだと思います。

 でも、もし自分がその果てなく大きい宇宙の一部なんだとしたら、宇宙の広さと自分の小ささを対比して落ち込む必要はまったくないように思います。

 自分のこの体を作っているものが、かつて星とともに生まれた物質だったなんて、今まで考えたこともありませんでした。

 私は星がとても好きです。

 あの暗い宇宙の中で白く輝いているのがとてもきれいだからです。

 私たち人間がみんな宇宙の進化によってうまれた星の子だと考えると、何だかうれしい気持ちになります。

 宇宙の進化の中でも最も複雑な人間の心の、喜びや驚きや感動や慈しみや愛情は、星の光に匹敵するほど美しいものなんじゃないかと思います。

 そして、自分を含めた全宇宙はそんな美しさに溢れていて、それでもまだ発展し続けていて、自分の存在がその発展の担い手のひとりだと考えると、生きる意味なんて充分すぎるほどあると思いました。



 学期の中ほどでは、「深く考えないようにしていたのに、常に私の心に巣くっている不安の正体をこの本で明らかにされ死にたくなる」と同時に、「あらたなコスモロジーへの期待が高まっています」という気持ちを報告しています。

 学期末では、「私自身も多くの現代人と同じように、自分の価値や生きる意味なんてひとつもなくて、どうせ全部最後には無駄になってしまうんだからと投げやりなことを思うこともありました」と、深く考えないようにしていたけれども、ふと考えてしまうと、空しくなってしまっていたという、自分のかつての状態への気づきが明確になっています。

 しかし、科学的な根拠に基づいて、「私たち人間がみんな宇宙の進化によってうまれた星の子だと考える」、「自分を含めた全宇宙はそんな美しさに溢れていて、それでもまだ発展し続けていて、自分の存在がその発展の担い手のひとりだと考える」ことができるというコスモロジーに触れて、「何だかうれしい気持ちになります」、「生きる意味なんて充分すぎるほどあると思いました」という実感に到っています。

 「生きる意味なんてひとつもない」から「生きる意味なんて充分すぎるほどある」へという人生感覚の変化―意味体験は、コスモロジー教育の典型的なビフォー・アンド・アフターの1つです。

 「宇宙の進化の中でも最も複雑な人間の心の、喜びや驚きや感動や慈しみや愛情は、星の光に匹敵するほど美しいものなんじゃないか」と私も思います。




コスモロジーの心理学 コスモス・セラピーの思想と実践
クリエーター情報なし
青土社


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コスモロジー教育のビフォー・アンド・アフター 2

2012年09月03日 | コスモロジー

 コスモロジー教育の授業を受けたことで起こる変化にはさまざまなタイプやケースがあることは、これまで紹介した文章でもおわかりいただけるとおりです。

 中には、前期・半年弱で劇的な変化が起こることもあります。

 次の男子学生は、授業を受ける前には死への恐怖がとても強く、中間レポート段階でかなりやわらぎ、期末レポート段階では「今の時点では0になったと言っても過言ではなくなりました」と劇的な変化を報告しています。



H大学社会学部1年男子

 中間レポート感想

 自分は「死」がとても怖かった。

 最初は5~6才の頃だと思う。

 「死んだらどうなるんだろう」ということを、なにげなく考えはじめ、そうしたら、「死んだら自分のココロはどうなるんだろう」「もし、生まれ変わったら、そのまま今のココロは引き継がれるのかな」「でも今の自分には前の時の気持ちはないよな」「じゃあどうなるの…」という風にスパイラル状にわからなくなり、それが本当に怖くて母親に泣きついた。

 10年以上も前のことなのに覚えているのだから、よっぽど印象にある(とても怖い)出来事なんだと思う。

 今でも死ぬことを考えるのは怖い。

 5~6才のときに自分に母が言った「わからないことなんだから、死ぬのを考えるのはやめな」という言葉通り、考えてないからさすがに泣いたりはしてないが。

 もし今、真剣に考えはじめたら、はたしてたえられるのか。

 先生の授業・本はそんな自分にとって、本当にありがたいものだった。

 もちろん「死んだらどうなる」ということに対しての、完璧な答えはないが(死ななければわからないし、死者に話を聞けないからあたり前だが)、なぜ自分が生きているのか、そんな視点から「生」を見つめることで、少し「死」に対しての恐怖はやわらかくなってきた。

 まだ授業は、通期で考えれば1/4だし、今後もより考えを学べると思うと本当にこの先が楽しみです。


 期末レポート感想

 このレポートを提出したことで(内容を理解することで)、1冊の本を読み終えたこととなった。

 通読の感想は後で述べるとして、まずは今回のレポートの範囲について書きたいと思う。

 今回のまとめで上手く書けたかはあまり自信がないが、主題となるのは「人とのつながりのあること」だと思う。

 昨今インターネットがはやりはじめ、文字上のつながりを見ることができても、心と心のつながりが感じられず、孤独感を感じる人が多くなっていると聞く。

 そんな人に今回のような考えかたを是非知ってもらいたいなと思った。

 近代社会では(中世?)宗教が担っていた役割を現代科学が今は担っている。

 少々おかしいように見えるが、それを知れたことは個人的にすごく大きかった。

 前回のレポートで僕は「死への恐怖」が人一倍強いと書いた。

 前回の提出より理解や概念の修得が進んだことで、前回はやわらいだだけの死への恐怖が、今の時点では0になったと言っても過言ではなくなりました。

 本当にその点で岡野先生に感謝しています。

 「死」=「無」ではないこと、それは輪廻転生を知るとかの次元ではない形で理解できました。

 正直な話をすると、初めて受けたときや本を買ったとき、先生のことはうさんくさいおじさんにしか思えませんでした(笑)。

 ですが重ねるごとに、先生が一回目の講義で仰った通り「目からウロコが落ちる」ような感覚になっています。

 おそらくこの授業の内容が合わなくて、(というか拒絶して)なに言ってるか訳わからないという生徒もいると思います。

 ですが、その生徒がふと何かでどうしようもない虚無感に陥ったとき、もう一度話すことができたなら、その子は本当に救われると思います。僕がそうだったみたいに。

 何百人の内何人かかもしれませんが、自分のようにとても悩んでいる生徒はいます。

 そのような人のためにも、今後も是非講義を続けて頂きたいです。

 本当にありがとうございました。



 すべてが宇宙エネルギーなのならば、生まれる前も宇宙エネルギー、生きている今も宇宙エネルギー、死んでも宇宙エネルギーのままだ、ということになり、「死は元の宇宙エネルギーの世界に還ること」と解釈することができます。

 また、生命は誕生して以来38~40億年ずっと生き続けているのであり、これからも当分、「個体は死んでも生命は生き続ける」のです。

 私は、生命の歴史を通じて続いてきた先祖の命を受け継いでおり、私が子供を生むと、生命はまた続いていくのです。

 そのことを実感的につかんだ聴講者は、「死が怖くなくなった」と報告してくれます。

 この場合も、その気持ちが定着し持続するかどうかという問題は残りますが、少なくとも幼いときからのビッグ・クエスチョンの答えは得られ、当面死への恐怖がゼロになったという気持ちになっているのですから、クオリティ・オヴ・ライフ(人生の質)が高まったことは確実でしょう。

 コスモロジー教育では、考えないことによってではなく、宇宙的な意味を考えることによって、死の恐怖をやわらげたり、なくしたりすることができます。

 自画自賛・自主キャンペーンですが、これはかなり素晴らしい「ビフォー・アンド・アフター」ではないでしょうか。


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コスモロジー教育のビフォー・アンド・アフター 1

2012年09月02日 | コスモロジー

 妻が見ている「ビフォー・アンド・アフター」(?)とかいうテレビ番組があり、時々付き合いで見るのですが、リフォーム前はかなりひどい状態だった家がみごとに綺麗になるのは、見ていてもう本当に驚きです。

 ふと、コスモロジー教育の学期初めと期末に似ているなと思いました。

 そこで、これからいくつか「コスモロジー教育のビフォー・アンド・アフター」をご紹介してみようと思いました(正確には、前期中間レポート時点と前期末レポート時点ですが)。

 これはアンケートの「授業を受けたことによって、人生観・世界観にプラスの変化があったと感じていますか。1から10までのスケールで表現してください。」という問いに対するスケールのパーセンテージでもわかりますが――10という回答が平均25パーセント前後――文章で表現されたものを読むと、「なるほど、こういう感じなんだ」とよく了解できます。

 今日はまず第1回目です。



 H大学社会学部1年男子

 中間レポート感想

 岡野先生の話を聞いて、とても自分が共感できる部分が多くて、特に『コスモロジーの心理学』は、少し大げさですが、まるで自分の取扱説明書を読んでいるかのような気分でした。

 しかし、共感できる部分が多いというのは、自分がニヒリズムやミーイズム、精神的荒廃に巻き込まれているということであって、自分は大変深刻な状況に置かれているのだということがわかりました。

 しかも、日本中の人間ほとんどがこんな自分のような状況に置かれているのかと気づいて、思わず無力感を感じてしまいました。

 ただ、岡野先生の話を聞いたり、本を読み進めていったりするうちに、その無力感を徐々に取り除けていけている気がします。

 自分が今見ている価値観、世界観が良い方向に変わっていってる気がします。

 これからも授業に出て、本を読み続け、この感覚を味わい続け、最終的には自分のニヒリズムというものも最大限に無くしていけたらなと思います。

 なので、よろしくお願いします。



 期末レポート感想

 僕が「生んでくれてありがとう」と思うのは、せいぜい両親、祖父母止まりでした。

 しかし、宇宙一三七億年の歴史、すべての事実は自分と関係があるという今回の話を聞いて、もしどこかのはずみでその歴史的事実が一つでも変わっていたら、僕はここに存在できなかったんだというゾッとした気持にもなりつつ、しかしその分、僕が今ここにいるということの重さを十分に受け止めることができ、一三七億年の宇宙の歴史に、言葉で伝えられない程の感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 そしてまた一つ、僕のコスモロジーにプラスとなるような変化があらわれたと思いました。



 学生たちの巧みな言語表現にはしばしば驚かされます。

 この学生の「まるで自分の取扱説明書を読んでいるかのような気分」という表現も、思わず笑いそうになりながら、実にうまく言い当てているなと思いました。

 相当多数の現代人の心の根底には、ばらばらコスモロジーが潜んでいます。

 それは根本的に欠陥があるOSを使っているコンピューターに似ていて、どんなにいいソフトを使って操作しても、結局はニヒリズム・エゴイズム・快楽主義という不具合が生じてしまうのです。

 コスモロジー教育=コスモス・セラピーの前半は、そのメカニズムの説明、インフォームド・コンセントという面があります。

 上記の学生の「取扱説明書」という表現は、メカニズムの説明を聞いて納得した感じを実にうまく表現しています。

 ところが、ばらばらコスモロジーをつながりコスモロジーというOSに取り替えると、ニヒリズムという不具合は生じなくなります。

 もちろんこれは比喩であって、コスモロジーの転換はOSの取り替のようなわけにはいきませんが。

 しかし、定着という課題が残るにしても、当面つながりコスモロジー的に物を見ることができるようになると、「僕が今ここにいるということの重さを十分に受け止めることができ、一三七億年の宇宙の歴史に、言葉で伝えてない程の感謝の気持ちでいっぱいになりました」という気持ちの大きな変化が起こります。

 これは、かなり見ちがえるほどの心のリフォームだと言ってもいいのではないでしょうか。

 これが徹底すると、コスモロジーのデコンストラクション(脱構築・解体)からリコンストラクション(再構築・再建)に到ります。

 そこまで行くと、ニヒリズムが最大限無くなってしまうはずです。

 それが、コスモロジー教育=コスモス・セラピーの目指す「ビフォー・アンド・アフター」なのです。

 この学生は、年度末にはどういうパーソナリティの変容・成長を遂げていてくれるでしょうか、楽しみです。






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我に返ったような気持、心が明るくなった

2012年09月01日 | 心の教育

 コスモス・セラピー=コスモロジー教育は、繰り返し述べてきたように現代科学が明らかにした事実や理論に基づいていて、ちゃんと聞いていればごく自然に納得がいくものなので、最初はまったく期待していなかった場合でも、むしろ疑ったり反発していたりした場合でも、ある段階まではスケールが大きすぎてついていけないと感じていたりした場合でも、どこかの段階で大きな変化をもたらすことがしばしばあります(もちろん少数――平均的に10%以下――最後まで理解できない、ついていけない、理解できても変わりたくないというケースもあります)。

 以下の2つは、最初はついていけなかったというケースとまったく期待していなかったというケースです。



 H大学社会学部1年女子

 私は今までどちらかというと、近代科学のコスモロジーよりだった。

 生きることに何の意味もないと思っていたのだ。

 しかし、先生の授業、コスモロジーの心理学を読み、現代科学のコスモロジーを知って、私は今まで何をして来たんだろうと我に返ったような気持ちである。

 特に感動した点が2つある。

 1つは、私は、生まれることは選べないが、それを贈り物として捉えることができるということ。

 このことに気づけたおかげで、今まであまり関係が上手くいっていなかった両親に感謝の気持ちを表せるようになった。

 2つ目は、私達自身が宇宙であること。

 スケールが大きすぎて、授業や本を読んでも最初はついていけなかったのだが、身近なものがすべて私たちの家族であるという事実を受け入れて、改めて実感し、感動した。

 先生の言った通り、本当に自分の人生観が変わったので、驚きとうれしい気持ちでいっぱいである。



 上の女子学生の「私は今まで何をして来たんだろうと我に返ったような気持ち」というという言葉は自分の肯定的な変化の感じをとてもよく表現していて、印象的です。

 「宇宙とつながった私・宇宙と一体の私」という事実に気づくということは、「本当の自己に目覚める」という仏教の覚りの入り口のようなもので、気づくと、まさに「我に返ったような気持ち」になるのですね。



 H大学社会学部1年男子

 私は、この授業を受けて、自分のもどかしく何とも言えない感情に対して一蹴してくれたと思う。

 私がこのニヒリズムやシラケといったそのものの考えだったからである。

 しかし、私はこんな状態の自分や毎日に不安のようなものを持っていた。

 だが、既存の宗教や考えではどこか他人の話のように思えてならず、結局自分のこのどうしようもない感情には応えてくれなかったのである。

 だからこそ、この授業ですらたいした期待を持っていなかった。

 けれども、授業内でおっしゃられた「地球も宇宙なんだよ」という言葉から考えが一変した。

 今まで宗教は、現代の科学が発達した社会においてどこか矛盾点をはらんでいた。

 しかし、この現代科学のコスモロジーはそんなところが一切なく、むしろ科学と宗教の一体となった考え方で、従来のそれとは一線を引くものでした。

 私は人に納得させられるのがあまり好きではないので、ここまで納得させられたのはとても悔しいのですが、生きていく上でとても心が明るくなったので、岡野先生には大変感謝したいです。



 最初は大した期待を持っていなかった上記の学生は、話の流れの中の1つの言葉をきっかけに世界観が変化したことを報告してくれています。

 「既存の宗教や考え」では答えられなかった人生の根本的な問い=ビッグ・クエスチョンへの答えが現代科学のコスモロジーにあることにはっと気づいたわけです。

 現代科学のコスモロジー(のコスモス・セラピー的解釈)は、宗教のエッセンスと科学の妥当性を統合しうるものだと私は考えていますが、それについてこの学生とも合意を獲得することができました。

 時々あるケースですが、この学生も、「他人に説得された」という感じがあったのでしょう、「ここまで納得させられたのはとても悔しい」と感想を述べています。

 本当は私の伝えた事実と理論によって「自己納得」し「自己変容」したのですから、自分の自己変革力をほめてあげればいいので、悔しがる必要はないと思うのですが。

 論理療法、認知療法、認知行動療法などの臨床的・実証的研究が明らかにしているとおり、その人のものの考え方・認知の枠組みが変わると驚くほどものの感じ方・感情が変わり、行動も変わります。

 コスモロジーはものの受け取り方のもっとも大きな枠組みですから、それが変わると人生や世界の見え方も根本的にといっていいくらい変わります。

 最初の女子学生の場合は、「生きることに何の意味もない」という人生感覚から、「我に返ったような気持ち」、「感謝の気持ちを表せるようになった」、「驚きと喜びでいっぱい」という変化を遂げていますし、後の男子学生の場合は、「もどかしく何とも言えない感情」、「ニヒリズムとシラケ」、「不安」といった感情から、「生きていく上でとても心が明るくなった」という変化を遂げています。

 実は、こうした変化が一時の感動にとどまらずどのようにパーソナリティ構造にまで定着していくかという次の課題はあるのですが、彼らは(そして数百人の学生たちも)、ともかくニヒリズムからの脱出口はまちがいなく見つけたと考えていいと思います。



コメント (2)
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