第5回東京集中講座案内

2013年09月09日 | 広報
           サングラハ教育・心理研究所

         東京集中講座第5回 2013年秋


 今回は、研究所・主幹の香川県移転後、初の東京集中講座です。
 これまで長く関わってくださったみなさんにも、新しく学びを始めたいというみなさんにも役立つメニューを考えるのに少し苦労し、お待たせしました。
どうぞふるって、しかし気軽にお出かけください。
 心理学については、いろいろ考えた結果、今年2回は、やはりサングラハでしか学べないコスモス・セラピーを、応用・発展編の部分をかなり加えて行なうことにしました。
 仏教については、これまでの般若経典の学びの一区切りとして、多くの仏教学者が長年の研究の結果、これが膨大な般若経典群のもっとも原型だろうと合意している「原始般若経」を取り上げることにしました。


 「日常に癒しの空間と時間を作るには――コスモス・セラピーによるストレス・コントロール」

 現代社会があまりにもストレスでいっぱいであることは、ほとんどだれもが感じていることです。そして、それぞれが自分なりのストレスに対処する方法をもっているでしょう。心理学は加えて専門的な知識や方法を提供してくれます。

 しかし、コスモス・セラピーは、それにさらに加えて、私たちは苦しみや悩みを避けることのできないこの世に生まれてきて、なぜストレスに耐えて生きなければならないのか、もっとも深いところから答えを提供します。哲学者ニーチェや精神医学者フランクルが「人間は理由のある苦しみには耐えることができる」と言っているとおり、私たちは理不尽なストレスには耐えにくいのですが、理由・訳のあるストレスは引き受けて耐え抜くことができます。さらにコスモス・セラピーは、「なぜ」に答えるだけでなく、どうしたらストレスを軽減しながら受け止めることができるかのいくつもの有効な方法を提供します。

 これまで、コスモス・セラピーの入門的な講座、初級インストラクターの養成講座を続けてきましたが、今回はその発展・応用・実用編に焦点を当てて行ないます。実用編という意味で、初めての方にも十分参考にしていただけると思います。

 日時:第1回 9月29日(日)13時~17時
     第2回 10月13日(日)   〃
 会場:フォーラムミカサ・エコ(JR神田駅西口4分、内神田東誠ビル8F)
http://fm-tohnet.com/modules/gaiyou/content0007.html
JR神田駅西口を出て、正面の西口商店街を真っすぐに抜け、交差点
(左側城北信用金庫、右側松屋)を渡って右、道の左側です。


   「般若経典の原型を読む」

 「○○般若経」という名前の経典は、最大600巻に及ぶ『大般若経』から最小の『般若心経』まで非常にたくさんありますが、19世紀から始まった仏教文献の歴史学・文献学的な研究の積み重ねの結果、『大般若経』でいうとほぼ第538~9巻「妙行品(みょうぎょうぼん)」あたりが「般若経」のもっとも最初のかたちであろうという見解の一致に到っています。

 当研究所ではこれまで『般若心経』から始めて『善勇猛般若経』の重要部分、『金剛般若経』の全文、そして「般若経典のエッセンス」といった学びを続けてきましたが、一つの区切りとして『原始般若経』を理解しながら味わう、味わいながら理解するというアプローチで学ぶことにしました。

 続けて学んでこられた方には、もっとも原点まで遡って学びを確認するという意味、初心の方にはもっとも最初の部分から学びを始めるという意味があると思います。

 日時:第1回 9月28日(土)13時~17時
     第2回 10月12日(土)   〃
     第3回 11月16日(土)   〃

 会場:第3回はフォーラムミカサ エコ
    
 参加費(1回あたり):一般7千円、会員6千円、年金生活・非正規雇用の方・専業主婦4千円、学生2千円
 定員:それぞれ23名

 申し込み:住所、氏名、性別、年齢、職業、連絡先電話・ファックス番号、メールアドレス、携帯番号・携帯メールアドレスを明記して、サングラハ教育・心理研究所 okano@smgrh.gr.jp またはファックス087-899-8178 宛

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第1回高松集中講座案内

2013年09月06日 | 広報
 
 *チラシができましたので、追加掲載します。内容は同じですが。







      『私が宇宙に生まれてきた理由(わけ)』

    コスモス・セラピー=コスモロジー教育 第1回高松集中講座

 「おとな」のみなさん、こどもや若者に「なぜ生まれてきたの?」、「どうして生きていなければならないの?」、「なぜ死んでは・殺してはいけないの?」、「何のために生きているの?」、「死んだらどうなるの?」などなどと聞かれて答えに困ったことはありませんか?

 こうした問いは、英語で「ビッグ・クエスチョン」といい、誰もが一度は心の中で問う人生のもっとも基本的な問いです。それなのに、戦後の教育を受けてきた私たちは、学校やメディアではその答えを与えられないままで育ってきましたし、親からも答えてもらったことのない人がきわめて多いのではないでしょうか。

 それは、最終的にはすべてを物質・ものに還元して捉えてしまうような近代科学では、それらに対するちゃんとした答えがないからです。というか、味も素っ気もなくありていに言ってしまえば、「人間も物質にすぎない」のであり、生きていることは物質の組み合わせの複雑な働きにすぎず、死んだら元のばらばらの物質に還元して終わり、ということになるのですが、はっきりそう言っては-考えてはあまりに空しいので、そういう問いを抑圧して、日々のいろいろなことに〔なぜだか言えないのですが〕意味があることにして、日々を過ごしているというのが、現代の日本の「ふつうのおとな」だと思われます。

 しかし、まだ感受性の豊かなこどもや若者の中には、そうした問いを問わずにはいられない人がいます。また、ふだんはおとなにならって、そういう面倒なことは考えないでいたけれど、何かのきっかけで問わずにはいられなくなる人もいます。おとなも、ある種きびしい状況におかれると、「なんのために生きているのだろう?」「こんなに苦しいのになぜ生きていなければならないんだろう?」という問いに襲われることがあります。

 ところが、20世紀初頭前後から100年あまりをかけて発達してきた「現代科学」は、驚くべきことに「近代科学」とはまるでと言ってもいいくらい別のことを語っていて、ビッグ・クエスチョンに対して生きる勇気が湧いてくるような答えを与えてくれます。

 コスモス・セラピー(心の治療に使う場合)=コスモロジー教育(心の教育に使う場合)は、そうした現代科学の世界観=コスモロジーを体系的・体験的にわかりやすく伝えることで、ビッグ・クエスチョンへの答えを与え、生きる意味、自分が自分であることへの価値観を育む、これまでとまったく違った新しいセラピー-教育法です。

 「ほんとうにそんなことってあるの?」といった半信半疑でかまいません。一度、試しに聞いてみませんか。(講師より)

 講 師:サングラハ教育・心理研究所主幹・岡野守也
    (元法政大学、桜美林大学、武蔵野大学、四国学院大学等講師、
     トランスパーソナル学会顧問、日本仏教心理学会前副会長)

 日 時:10月20日(日)午後1時半~4時半

 会 場:アルファあなぶきホール(香川県県民ホール)5階第2会議室
    (JR高松駅徒歩8分、琴電高松築港駅徒歩8分
     TEL:087-823-3131香川県高松市玉藻町9-10 
     地図・交通案内:http://www.kenminhall.com/access/index.html)

 参加費:一般2,500円、年金、非正規雇用、専業主婦の方 2,000円、学生 1,000円
(当日いただきます)

 定 員:30名(定員に達し次第締め切らせていただきます)

 申 込:氏名、住所、年齢、性別、連絡先(電話、メール等)を明記のうえ、
サングラハ教育・心理研究所、メール:okano@smgrh.gr.jpファックス:087-899-8178 へ


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心おだかやでいられない部分

2013年09月05日 | 持続可能な社会

 前回は、まずポジティヴな面からということで、「心おだやかな田舎暮らし」としましたが、実を言えば、心おだやかにばかりはいられないこともあります。

 下の画像は、我が家の南側ですが、ちょうど左半分が休耕田というか耕作放棄地、右半分が青々とした稲田です。





 右半分、南西側だけを撮ると次のようになって、いかにものどかで美しい日本の農村です。





 我が家のある綾歌郡綾川町は、讃岐平野から四国山脈に少し入った中山間地の農村で、日本中の農村とまったく同じ問題を抱えていて、農業者が高齢化し後継者がいないため耕作放棄地が目立ってきています。

 のどかで美しい日本の稲田の風景がいつまで続くのか、特にTPPで米・麦の特例が認められなかったらどうなるのか、もっと年をとってから荒廃していく農村の姿を目の前で見なければならないことになるのか、そういうことではあまり心おだやかでいられない部分もあるのです。

 しかし、それは日本と国全体のこれからの総合的・統合的政策の一部としての産業政策、農業政策がどうなるかにかかっていますので、個人として心配しすぎても、力の及ばないところがあります(可能なかぎりの発言は続けますが)。

 ともかく、今目の前にある美しさを味わわせてもらうことにしようと思っているところです。


 以下は、近所にある岡の御堂古墳とその案内板、その近くの路傍にあった可愛い野仏の画像です。











 おかげさまで、こちらでは今回の豪雨は少しそれたようで、庭が水浸しになった程度で、大きな被害はありませんでした。

 記録的豪雨や竜巻で被害を受けたみなさんに心からお見舞いを申し上げます。

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心おだやかな田舎ぐらし

2013年09月02日 | Weblog







 研究所のHPでお知らせしただけで、このブログには書いていませんでしたが、思うところがあって、今年3月で3つの大学すべてを辞め、7月末に香川県に引っ越しました。写真のようなとてものどかなところです。

 引越しの準備と片づけに時間を取られて、記事を更新できませんでしたが、ようやく片づけも目途がついて落ち着いてきましたので、そろそろ少しずつ再開しようかなと思っています。

 手始めに今日は、引越しの動機の一部と重なるような漢詩を引用・紹介することにしました。

 知る人ぞ知る田園詩人・陶淵明(とうえんめい)の代表作の一つです。

 
   園田の居に帰る

    其の一

 少きより俗に適うの調べなく わかきよりぞくにかのうのしらべなく
 性 本と邱山を愛せしに   せい もときゅうざんをあいせしに
 誤って塵網の中に落ち    あやまってじんもうのうちにおち
 一たび去りてより十三年   ひとたびさりてよりじゅうさんねん
 羈の鳥は旧の林を恋い    たびのとりはもとのはやしをこい
 池の魚は故の淵を思う    いけのさかなはもとのふちをおもう
 荒を南野の際に開かんとし  こうをなんやのさいにひらかんとし
 拙を守って園田に帰る     せつをまもってえんでんにかえる
 方宅 十余畝          ほうたく じゅうよほ
 草屋 八九間          そうおく はちくけん
 楡柳 後簷を陰い       ゆりゅう こうえんをおおい
 桃李 堂前に羅る       とうり どうぜんにつらなる
 曖曖たり 遠人の村      あいあいたり えんじんのむら
 依依たり 墟里の煙      いいたり きょりのけむり
 狗は吠ゆ 深巷の中     いぬはほゆ しんこうのうち
 鶏は鳴く 桑樹の巓      とりはなく そうじゅのいただき
 戸庭 塵雑なく         こてい じんざつなく
 虚室 余あり        きょしつ よかんあり
 久しく樊籠の裏に在りしも   ひさしくはんろうのうちにありしも
 復た自然に返るを得たり   またしぜんにかえるをえたり


   私訳

 若い時から世間に合わせられるような性格ではなく
 もともと性質からして丘や山が好きだったのに
 まちがえて塵だらけの(世間という)網に落ち込んでしまって
 いったん(丘や山から)遠ざかって十三年も過ぎてしまった
 だが、旅にある鳥がもといた林を恋しがり
 池の魚がもといた淵のことを思うように
 雑草が茂って荒れた南の野を開墾しようと
 世渡りの下手な性格を変えることなく田園に帰ってきた
 宅地は十畝あまり
 草ぶきの家で部屋は八つか九つ
 楡や柳が裏の軒を覆っており
 桃や李が座敷の前に並んで生えている
 遠くに村が霞んで見え
 里の煙がなつかしい
 村の路地の奥で犬が吠え
 桑の木のいただきで鶏が鳴く
 庭はせいせいとしていて
 人のいない部屋にはゆったりと余裕がある
 長い間鳥籠のようなところにいたが
 もう一度のびのびとしたところに帰ってくることができた


 私の場合、21年もサラリーマン生活を送り、その後もまあ社会にそこそこ適応してきたつもりなので、「少きより俗に適うの調べなく」というのはありませんが、しかし「性 本と邱山を愛せしに 誤って塵網の中に落ち」という思いはずっとあって、今、「復た自然に返るを得たり」というのが実感です。

 これから、今までより少しペースは落としながら、しかしいい仕事をしたい、できるのではないか、と思っています。

コメント (4)
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