「つながりコスモロジーとしての仏教1:ブッダと部派仏教」 目次

2007年10月28日 | 心の教育

 日本人が正当なアイデンティティを再確立する・自信を持つためには、日本の伝統的な精神性の中核にある仏教を理解する必要がある、と私は考えています。

 仏教の核心にあるのは、近・現代人にはもはや信じられないような神話的コスモロジーではなく、むしろ近代の限界を超えるためにぜひ必要な「つながりコスモロジー」だ、と私は解釈しています。

 以下の目次に従って、ぜひ、自分たちの国のすばらしい精神的な遺産について理解を深めてください。

 *現時点では、目次は整備中、まだ途中までしかできていません。鋭意、整備していきます。


  アイデンティティ確立のための上り坂
 さあ出発です
 仏教の6つの側面

 若者には縁起がわかる

 智慧・覚りと慈悲
 ゴータマ・ブッダ略伝1 
 ゴータマ・ブッダ略伝2
 縁起の理法1
 縁起の理法2
 縁起の解釈について
 4つの聖なる真理1
 4つの聖なる真理2
 4つの聖なる真理3
 4つの聖なる真理4
 真理の3つの印:三法印
 すべて形あるものは変化する:諸行無常
 無常だからこそまた花が咲く
 この世界には実体は存在しない:諸法無我
 過剰な執着を離れれば心は爽やか:涅槃寂静
 
 仏教:楽しく生きるための理論と方法

 部派仏教
 部派仏教のコンセプト
 
 ヴィッパッサナー瞑想に関するQ&A
 


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3 コメント

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すみ (しゅ)
2007-11-18 21:17:30
岡野先生、こんちは!
日頃ヴィパッサナーをしているので、
少し思ったことを書かせてください。

>理論と実践は切り離せない。ヴィパッサナでは仏教理解が不十分
ヴィパッサナーは、宗教(仏教)ではないと強調しています。
「生きる技である」と好んで言われます。(ゴエンカ氏の場合)
でも仏教と同じようなことをいうので、かなり誤解されやすいでしょう。

ただ、少しヴィパッサナーの説明をさせてください。
ヴィパッサナーのポイントの一つとして「盲目的反発」という言葉があります。
これは、日常生活における人間の心の悪しき癖を説明しています。
「盲目的」とは何か周りから嫌なことを自分の体に受けると、
無意識に(意識的でなく!)反応、反発してしまう心の癖のことを言っています。
(つい相手から言われた言葉に感情的になって、思ってもないことを言ってしまうなど)
そして、心地よい感覚に反応して渇望してしまう心の反応もそうです。

そういう反応をしないで、気づきを保ちなさい、平静さを保ちなさい、と言います。
体に起こるあらゆる感覚は無常であるという性質を理解しなさい、と言います。
瞑想を通して得られる心の平静さ――これがヴィパッサナーでいう智慧なんだと思います。
この説明は、僕はかなり納得しました。
唯識の「マナ識」はいまいちピンときませんでしたが、
「盲目的反発」という言葉は、誰でも瞑想をすれば「このことか!」と分かる気がします。

>禅をちゃんと吸収しないと、日本文化の伝統を見失う
確かに日本の文化の一つとして禅を理解するというのは、欠かせません。
しかし、今の禅宗…仏教界にはあまり期待できません。
僕は大分市に住んでいますが、道場で座りに行こうとすれば
一時間かけて佐賀関というところまで車で行かなければいけません。
家の近くの禅宗のお寺は、どうして一般市民に道場を公開しないのでしょうか?
葬式のときだけで、肝心の坐禅には本腰を入れていないように見えます。

すみません、ちょっと一言・・・ (しゅとう)
2007-11-18 21:19:32
と書いたつもりが…
すみません
ヴィパッサナについて (おかの)
2007-11-26 21:32:25
>しゅとうくん

 またまた、返事が遅れました。失礼。

 ゴエンカ氏の「生きる技」として適用されたヴィパッサナのことも、若干知っています。

 原理主義的な上座部仏教のものに比べて、開かれていていいのではないでしょうか。

 しゅとうくんにとって、それが唯識や禅よりも向いていると感じられるのなら、それでオーケーだと思います。

 それから、現状の禅宗寺院の大半が坐禅会をやっていない、できない状況にあるようで、それはとても残念なことです。

 そういう意味では、期待できないという気持ちはわかります。

 しかし、『サングラハ』第94号の「つながりコスモロジーと供養仏教』に書いたとおり、伝統的な日本仏教の意味が理解できると、供養仏教だけやっている寺院の営みにも意味があると捉えることができるのではないでしょうか。

 私は、仏教界に期待しているというより、期待させてもらいたい、頑張ってもらいたい、と強く願っています。

 

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