戦争などしている時ではない

2022年02月25日 | 持続可能な社会

 

 言っても聞く耳を持たない人には届かず、聞く耳のある人ならすでにわかっていることなので、改めて言ってもすぐに効果はないにしても、それでも言っておきたいことがあるものです。

 

 全人類が共通の祖先から生まれたいわば一つの親族であるという事実――これは疑いようのない生物学的事実だと思われます――からすれば、戦争はしてはならないことですし、その事実を自覚していれば、決してしたくならないはずのことです。

 

 しかしきわめて残念なことに、国家、民族、宗教、イデオロギーなどなどが違っていると、全人類の本質的一体性が見えなくなり、分離していると錯覚して対立・抗争することになります。

 

 確かに人類には、国家、民族、宗教、イデオロギーなどの違いはありますが、それは現われたかたちとして区別できるということであって、本質的には分離しているということではありません。

 

 これまでさまざまな形でお伝えしてきたとおり、区別できるかたちはあっても、人類そして世界は事実としてすべてつながっていますし、究極のところ一体です。

 

 例えば、同じ一つの地球に住み、同じ一つの地球大気を分け合って吸い、地球全体を循環する同じ一つの水を分け合って飲んで生きています。

 

 区別を分離・分断と考え、対立・抗争するのは、自他共に不幸をもたらす悲しむべき錯覚――仏教用語では分別知といい、知恵のように見えて実は無明です――というほかない、と筆者には見えます。

 

 気候変動が人類の持続可能性を根本から脅かしている今、人類は一致してその課題に取り組むべき時であり、戦争つまり仲間割れなどしている時ではないと思われます。

 

 全人類、とりわけそのリーダーたちが、一日も早く錯覚から目を覚まして、戦争を止め、平和で持続可能な世界を創り出してくれることを、強く強く、願望、希望、希求してやみません。

 

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『サングラハ』第181号が出ました!

2022年02月09日 | 広報

 

*当研究所―本誌はおかげさまで今年1月で満30年を迎えることができました。その「近況と所感」を以下に引用させていただきます。

 

   近況と所感

 今年は寒(かん)らしい寒になりましたが、それでも近所の滝宮天満宮では数輪白梅が咲き始めています。「冬来たりなば春遠からじ」ということですね。
 今年最初なので、遅ればせですが、ご挨拶を。
 問題山積の時代ですが、それでも生かされているだけでも喜ばしいことなので、明けましておめでとうございます、と申し上げます。今年も皆さんの身心のご健康をお祈りします。
 問題山積という状況は、「陰極まれば陽に転ず」というプロセスの陰がまだ極まっていないということでしょう。やがて陽に転じるまで、転じさせるべく、それぞれの最善を尽くしながら、気長に待ちましょう(「能動的忍耐」!)。
 今年最初の号をお届けします。本年もよろしくご愛読をお願いいたします。コロナ第六波の影響があって、また少し遅くなってしまいました。どうぞご海容ください。
           *
 ところで、当研究所-本誌は一九九二年一月十八日にスタートしましたので、この一月十七日で満三十年でした。
 振り返ると、創刊号で創設の目的について次のように書きました。


 サングラハ心理学研究所の目的


 この「サングラハ心理学研究所」を通じて、私が目指したいことは、これまでもいろいろなかたちでみなさんに申し上げてきましたが、あらためていえば、以下のようなことです。


◇どうしたら、人間すべてが、自分白身とも他者とも自然とも調和した、「仲よく楽しく生きて楽に死ぬ」ことができるような生き方に到達できるか、徹底的な探究を試みること。


◇そのためには、近代的な理性・科学主義、個人主義、ヒューマニズムは不十分であり、霊性と理性の統合、自己実現から自己超越へという意味での〈意識の変容〉が必要条件――十分条件ではない――だと思われるので、そのための理論と方法とそしてなによりも実践そのものを探究すること。


◇その時その時に到達した探究の成果を、自己絶対化することなく仮説・試案・提案といったかたちで、しかしやはり広く社会に提示していくこと。


◇そのことによって、人類の全体的変容-サヴァイバルになにほどか貢献すること。


 若さの気負いでずい分大きな構えでスタートしたなと思いますが、振り返ってみて、「人はなぜ争うか」「人はなぜ死を恐れるか」という大きな問い(ビッグクエスチョン)についての「徹底的な探究」は自分で納得できる程度にはできたかと思っています。ではどうしたらいいのかという答えも、ある程度まで明らかにできたと考えています。


 「到達した探究の成果を……社会に提示していくこと」についても、三十冊あまりの著作とたくさんの講義と本誌の通算一八〇号などで、かなりの程度できたのではないかと思いますが、「広く」という点ではまだまだです。


 肝腎の「そのことによって、人類の全体的変容-サヴァイバルになにほどか貢献すること」は、当初気負ったほど広く影響を及ぼして大きく貢献できるということにはなっておらず、残念ながらまさに「なにほどか」です。


 けれども、コスモロジーセラピーの自信のワークでやるとおり、「『あまりない』は『ない』ではない。どんなに小さくても、なにほどかであっても、あるものはある」という見方を選択することにしています。


 関わってきてくださった皆さんの評価はいかがでしょう。


 それに、これもいつも皆さんにお話ししているとおり、「まだまだだ」は「これからだ」ということでもありますから、これからも天・宇宙が生かしてくれている間は、できることをさらにできるだけやっていくつもりです。


 よろしければ、ご一緒しましょう。
           *
 それに関して、ちょうど一年前の本誌第一七五号の「六波羅蜜を学ぶ⑸」の精進について引用した『大般若経』の個所を改めて噛みしめて読み直しながら、「精進波羅蜜多!」と自分を鼓舞しています。ご参考に、一部再掲します。


 もし菩薩が一カルパかけて行なった事業を振り返って、長かったという想いになるようであれば、まさに怠惰な菩薩と名づけられると知るべきである。
 もし菩薩大士が一カルパかけて行なった事業を振り返って、一日で行なった仕事のように思うなら、まさに精進の菩薩が精進波羅蜜多にしっかりと留まっていると名づけられると知るべきである。
 また、プールナよ、諸々の菩薩大士は、覚りの行を修行するうえでカルパの数の多少を考えてはならない。もし菩薩大士がカルパ数を考えて限界を設けるようなら、精進し勇猛果敢に覚りの行を修行し、この上なく等しいもののない覚りを求め覚ったとしても、まさに怠惰な菩薩と名づけられると知るべきである。
 もし菩薩・大士が次のような考えをしたとしよう。たとえ数限りない大カルパを経ても精進し、勇猛果敢に覚りの行を修行して、必ずこの上なく等しいもののない覚りを覚ろう。私は、決して心に尻込みする気持ちをもってこの上なく等しいもののない覚りを追究するようなことはしない、と。まさに精進の菩薩が精進波羅蜜多にしっかりと留まっているのである。
 精進波羅蜜多を修行して速やかに完成し、生死輪廻を超越してただちに一切を知る者の智慧を覚り得て、諸々の衆生のために大いなる益をなすと名づけられると知るべきである。
 もし菩薩大士がカルパの数を考えて限界を設けるようであれば、極めて勇猛に常に努めて布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若波羅蜜多を修行しても、それでも名づけて怠惰な菩薩とするのである。
           *
 「大乗の菩薩は、同時に摩訶薩・大士・志の大きな人であって、一切衆生を救うなどという大きな仕事が一年や十年や一カルパくらいでできると思ってはならない。果てしなくやり続けるのだ。一カルパかけてやったこともほんの一日仕事にすぎないと思うように」ということでした。
 一カルパでさえそうですから、まして三十年は菩薩大士にとって大した長さではありません。ごくごく短いワンステップであって、大げさに騒ぐほどのことではないとも言えます。


 それでも、凡夫の時間感覚ではそこそこの長さであり、それなりの感慨もありますので、コロナ感染症の流行が収まっていたら、皆さんにお集まりいただいて、東京または神奈川で三十周年記念の行事くらいはしてもいいかなと思っていましたが、なかなか収まる気配もありませんので、当面、特別な集まりはしないことにしました。
          (中略)
           *
 最後に今回も、協力執筆者の皆さんと読者の皆さんに心から感謝し、本年もよろしくお付き合いいただけますようお願いいたします。


 もう一度、山積する問題を見つめ過ぎて絶望したり、目をそらして能天気になったりすることなく、最終的には天・宇宙にお任せという気軽さを保ちながら、精進-能動的忍耐という行を続けましょう。

 

  目 次

■ 近況と所感 ……………………………………………………………………………… 2

■「典座教訓」講義(4) ……………………………………………………岡野守也… 5

■ 仏弟子たちのことば(13) ………………………………………………羽矢辰夫… 20

■書評『人新世の「資本論」』における「脱成長コミュニズム」(2) …増田満… 22

■ 国際比較で見る日本のコスモロジー崩壊(8)…………………………三谷真介… 31

■ 講座・研究所案内  ……………………………………………………………………… 42

■ 私の名詩選(80) 『正法眼蔵』「梅華」巻より …………………………………… 44

 

 

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