近代科学の〈ばらばらコスモロジー〉 1

2005年09月02日 | メンタル・ヘルス

 近代のプラス面は、何よりも合理主義と近代科学が生み出したものだといっていいでしょう。そして、実はマイナス面もそうだと思われます。

 (以下、合理主義と科学をまとめて、「近代科学」と呼んで論じていきます。)

 近代科学の方法のまず第1のポイントは、「主客分離」でした。

 この「主・客」というのは、英語でいえば「subject」と「object」ですが、日本語に訳す場合に、「主体」・「客体」と、「主観」・「客観」と2通りに訳すことができます。

 第1に、自分がどう思っているか、伝統社会がどう考えてきたか、まして私や私たちがどう信じている、どう信じたいという「主観」を脇において、対象=客体そのものがどうなっているかを「客観」的に観察・研究していくわけです。

それが、それまでのキリスト教の教義(つまり信じていること=主観)を前提に体系化された神学・形而上学とまるでちがうところです。

 神学では、信じていること=主観と事実そのもの=客観を分離することなく、信じていることに合うように事実を解釈するという傾向がきわめて強かったといっていいでしょう。

 それに対し科学は、たとえ正統的な教義がどうなっていようと、聖書にどう書いてあろうと、それが「客観的な事実かどうか」を問うたのです。

 そのことによって、まさにそれまで信仰・教義・主観に覆われて見えなかった客観的な世界のさまざまな姿が見えてきました。

 そこで、歴史的によく知られた「科学と宗教の闘争」がさまざまなかたちで行なわれました(ここでは、詳しく述べません。例えば、ホワイト『科学と宗教の闘争』岩波新書、参照)

 そして、近代の歴史は、「客観」と「主観」を分離するという近代科学の方法が、物事のあり様を研究する上でいかに有効かを実に鮮やか示してきました。

 「科学と宗教の闘争」は、欧米でも完全に終わったとはいえませんが、全体としては科学の圧倒的な優勢(ほとんど完勝?)という結果になっていることはまちがいありません。

 さて、近代科学の方法のポイントの第2は、「分析」(と「総合」)です。

 観察する主体と分離して、向こう側に置かれた研究対象=客体の「全体」は、なるべく小さな「部分」へと「分析」されます。

 つまり「全体」をばらばらにして、ばらばらの「部分」へと還元するわけです。

 そしてそれぞれの「部分」がどうなっており、それらの「部分」がどう組み合わさっているかを明らかにしていきます。

そして、最後にばらばらの「部分」を元のかたちに組み立てます。それを「総合」といいます。

 ばらばらにされた「部分」が組み合わされる=総合されると、それで対象・客体の「全体」が分かったということになります。

 この方法は実に切れ味がよかったのです。この方法を使うと、ほとんど何でも分かるように思えました(いまだに思っている方も少なくないようです)。

 何しろ物事の全体を部分の組み合わせとして捉えれば、その組み合わせはどうにでも変えられるようになりましたから、実に便利でした。

 分析という方法が、さまざまなものを人間の都合のいいように組み換える「技術」を驚異的に発達させたのです。

 その極みが、「遺伝子組み換え技術」でしょう。いのちのかたちを生み出す情報を分析し、そしてそれを組み換え、今までなかった新しいかたちを作り出すことさえできるようになりました。

 こうした近代科学の基本的な方法は、まず、主体(人間)と客体(研究対象)を分離し、さらに客体も部分へと分離・分析するのですから、これはわかりやすくいえば「ものごとをばらばらにすることを原理にした方法」といってもいいでしょう。

 そういう方法のお陰で、いろいろなことが客観的に分かってきた、そしていろいろに組み換える技術も発達した……どこが悪いというのでしょう? いいとこばかりのように見えます。それこそが「近代の栄光」というものなのではないでしょうか?

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1 コメント

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はじめまして。 (きょ~こ)
2005-09-03 00:17:52
 はじめまして。初めて記事を投稿させていただきます。私には少し難しかったけど、とても読み応えがあり、興味深く拝見させていただきました。

 “ばらばらコスモロジー”、言われてみれば確かにそういう気がします。近代科学の発展と共に人間は知恵をつけて、自分たちの都合のいいように解釈しだしたのでしょうね。だから、ニーチェも「神は死んだ」とか言い出してんですよね?(←ちょっと知ったかぶりです。)

 今のところ、神の制約を離れて、人間がいろいろな恩恵をもらうことができて、めでたしめでたし・・・というところでしょうが、この書かれ方だと どうやらそれだけではなさそうですね?(というよりも、「それだけではない何か」をきたいしてしまいます(笑)。)

 続き、楽しみにしております。
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