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逝きし世の面影(渡辺京二著) 書評

2016-04-16 11:11:38 | Weblog


はじめに

本書は、江戸時代・徳川期日本という、私たちが知っていたようで実は全く知らなかった「われら失いし世界」を、おそらく初めて明らかにした研究であり、たとえそれが著者の本来の意図ではなかったとしても、今や失われた古き日本文明の実質に迫る最良の書というにふさわしい、画期的な業績として評価されるべき名著だと思う。そして本書が示した近代以前の日本の実像を前提としてでなければ、私たちは自身の歴史=ルーツを理解しそれにアイデンティファイすることにおいて、これまでずっと無自覚にそうしてきたように、今後とも躓き続けることになると思われてならない。本書が説得力をもって描き出した、かつてこの国にあった高度でかけがえのない文明の姿とは、それほど鮮烈であり、私たちの心の深層、言い換えれば日本人の「魂」を揺さぶるものがある。


著者とその執筆意図について

著者・渡辺氏は、初版当時予備校講師であったという在野の思想家であり、だからこそ、後述のアカデミズムの業界事情から自由な立場で本書を執筆できたのであろう。人格形成期に敗戦と価値崩壊を経験した世代(一九三〇年生まれ)に属しており、特に少年期を満州で過ごしたという来歴から、その体験が苛烈なものであったろうことが推察される。そのためか著者の問題意識は日本近代に集約されており、初版にシリーズ名として「日本近代素描Ⅰ」と付されているとおり、本書は無残に滅亡した近代日本を問う「長い旅」の出発点という位置づけで書かれている。にもかかわらず、その執筆意図とは別の意味で、本書の功績は大きいと考えられる。


本書の意義

端的に言って本書の意義は、近代化以前の古きよき日本文明の実像に初めて適切な方法でアプローチし、それを活写したところにある。
「古きよき日本」―しかしこうした言説に対しては、「感傷的な懐古趣味」「安易なお江戸礼賛」「過去礼賛への耽溺」「現実を直視できなかった悪書」といった類いの批判が、直ちに・反射的に予想されてしまうし、実際に本書に対してはそうした批判がなされているらしい。しかし、本書が前もってを予想し考察しているとおり、それらの批判は的外れである。もちろん、「外国人(ほぼ白人)にお褒めいただく」といった態の、明らかに国民的な自信喪失と表裏にある病的な日本礼賛がメディアでまかり通っている現在だけに、安易な自己称揚に陥ってはいないか慎重な判断を要するのは当然だろう。しかし一読すればわかるように、本書の論述はそうした退行的な集団的自己愛によるものとは根本的に異なる。にもかかわらず、本書の業績がそうしたものと混同して批判されるとすれば、それは日本人にとって不幸な損失というほかない。
そのように、本書の画期的な意義は、当時訪れた異邦人の外からの眼によって、近代以前の古き日本文明の生き生きとしたイメージをもたらしている点にある。著者は言う。「……幕末・明治初期の外国人による日本観察記のいくつかを初めて通読する機会を得たのだが、彼らが描き出す古き日本の形姿は実に新鮮で、日本にとって近代が何であったか、否応なしに沈思を迫られる思いがした」。そして、日本社会の構成員が書いた文献史料に立脚する従来の方法ではなく、異邦人の眼を通じてありし日の文明を追体験するという姿勢に、意図的に徹している。ここには、歴史というものが本来属する集団の内面の次元、K・ウィルバーの四象限理論でいう左下象限の本質である、意味すなわち「意の味」がある。だからこそ、比較的大冊の書であり、また思想的・思索的な格調高い文章であるにもかかわらず、読者は流れるようにそこに引き込まれるのであろう。
本書を通じて読者が追体験できるのは、幕末から明治初期にかけて訪れた外国人が、いろいろな振幅を含みつつも、ほぼ一様に評価ないし賞賛した古き日本文明の世界であり、それは近代ニヒリズムと集団的アイデンティティ喪失に立ちすくむ現代日本の私たちにとって、非常に鮮烈で、あえて言うならばまぶしく感動的にすら感じられるものである。しかしその文明は、明治国家による近代化の過程で急速に死滅していかざるをえなかった。彼ら異邦人の多くはすでに開国当初の早い時点で、彼ら自身がもたらす近代文明により眼前の日本文明が近い将来確実に滅亡することを予測して、次のような感慨を抱かざるを得なかったという。(以下、〔 〕で囲んだ箇所は評者による。)

 下田に来泊したイギリスのエルギン使節団の一艦長に対して、彼〔米国初代駐日公使ハリス〕は「日本人へのあたたかい、心からの讃辞」を漏らすとともに、「衣食住に関するかぎり完璧にみえるひとつの生存システムを、ヨーロッパ文明とその異質な信条が破壊し、ともかくも初めのうちはそれに替るものを提供しない場合、悲惨と革命の長い過程が間違いなく続くだろうことに、愛情にみちた当然の懸念を表明」せずにはおれなかったのである。(本書初版本一〇頁、以下同じく初版本による。)

 「いまや私〔ハリスの通訳ヒュースケン〕がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾り気のなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてそのどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終りを迎えようとしており、西洋の人々が彼ら
の重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない。」(同)


彼らが自らの外交上の任務にもかかわらず哀惜の念を表せざるを得なかった古き日本文明の「扼殺と葬送」が、当の日本人自身によって今に至るまでおめでたくも「文明開化」とされてきていること、そして古き文明はいまやその影すら見出すことができないことの意味を、ここで考えないわけにはいかない。


視点―歴史観の問題

しかし内容に入る前に、従来日本で江戸時代がいかに語られてきたかを前提にしなければ、本書の画期的意義が掴めないのではないかと思う。
「江戸時代」と言われて、私たちは何をイメージするだろうか。「身分制度の地獄」において「武士の収奪と百姓の貧窮」が常態化していて、にもかかわらず「懐かしき庶民の生活」は「義理と人情の浮き世」であり、しかし結局それは「チョンマゲと鎖国の遅れた社会」、「黒船でひっくり返った愚かな時代」にすぎない―教育や時代劇等々で長年すり込まれてきたのはそんなところであって、私たちの江戸時代のイメージはそれらの中間のどこかで限りなくぼんやりとしている。最近の歴史研究は徳川期を再評価しつつあるようだが、私たち一般の日本人のイメージはいまだこのようなものであり続けており、煎じ詰めればそこに残るのは「遅れた時代」ということだけだ。結局のところ江戸時代とは、日本が遅れた国となった原因として、これまで一般にまともに評価されてこなかったのだと思う。しかし日本の前近代とは、時間的には私たちから数世代を隔てているに過ぎない。本書を読んでまず思わされるのは、一つの歴史観というものが自らの近しい過去をどれほどまでに歪曲して読み取ってしまうか、ということである。


歪曲され続けてきた江戸時代

本書の刊行は一九九八年、ロシアや東欧の社会主義政権が崩壊してすでに久しく、マルクス主義思想なるものの凋落が誰の目にも明らかになったという時代背景にある。今では一般には意識されていないが、日本史学とは長らくそうした左翼史観の牙城だったのであり、その歴史観とは、結局はすべてを「階級」「生産関係」「収奪」「革命」等々の用語に還元してしまうような、その前提を共有していない人間にとっては、奇怪とも異様とも言うほかないものであった。そうして一時代を風靡した歴史観も、いまの眼で見れば、その硬直性と教条化したトーンはあまりに明らかだとしか評価しようがない。そうした歴史学によって書かれた当時の教科書や教養書を一読して「日本という国の歴史はなんていじけていてつまらないのだろう」と心底感じさせられたことが思い出される。
さらに徳川時代の不幸とは、クーデター政権としての薩長新政府が、前体制の意味・価値を全否定する「官軍史観」を捏造し、それが現在に至るまで公教育によって事実上の「正史」として国民にすり込まれ続けてきていること(「官軍教育」について、原田伊織氏の著作に関する本誌一四四号書評参照)や、戦後、米国による占領―影響下にあって、悲惨な敗戦の責任追及は内へ・過去へと内攻せざるを得ず(米軍の思想政策について、岡野守也『コスモロジーの心理学』第一章参照)、最終的には江戸時代の封建制・身分制といった退嬰性こそがいわば「戦犯」であると決めつけられ教え込まれてきたこと(「戦後教育」)に、すでに始まっていたと思われる。
こうして三重の歪んだレンズの向こうにあって、江戸時代は「無知蒙昧の遅れた時代」「身分差別が貫徹した封建時代」「搾取と抑圧の暗黒時代」等々として、つまりは恥ずべき歴史として、ほぼ罵倒に等しい形で描かれてきたのだと言えよう。徳川期の日本社会が私たちの中で奇妙にもあいまいな像しか結ばないその原因には、こうした歴史的経緯があったのだと思われる。そしてその問題性はいまだに総括されてはいない。かくして、私たち日本人は江戸時代の意味を抹消することで、それ以前の日本の歴史全体の意味をも同時に消去してしまったのだ。到達点が愚かなら、時代を遡るほどその度合いが深刻になるだけだからである。
それにしても、本書が明示する日本の前近代社会の実態が、それらネガティブな既成の像からいかにかけ離れているかは、驚くべきものがある。いみじくも著者が述べるように、「幕藩体制下の民衆生活について、悲惨きわまりないイメージを長年叩き込まれて来た私たちは、両者間に存するあまりの落差にしばし茫然たらざるを得ない」のである。


歴史的自己アレルギーと意味なき歴史像

一方で本書は、当時の外国人による記録を史料に用いるための準備作業として、ある典型的な歴史研究を俎上に載せ、そこから敷衍して日本知識人の深層の心理的傾向を暴き出す。それは、その時々の知的流行によってさまざまに装いを変えつつも、いわば歴史的な自己矮小化とでもいうべき線で一貫している抜きがたいバイアスにほかならない。すなわち、過去の日本のイメージを再生する試みにおいては、上記のような歴史的経緯によって形成され自明化している、自己批判の条件付けないし心的コンプレックスが作動するということ、言い替えれば母国日本に限定した強度の思想的‐心理的アレルギー反応が生じるということである。それがある種の危険な慢性病と似ているのは、病識の欠如から来る悪循環が、さらに病を重篤化させていくところであろう(日本人の精神的自己アレルギーの分析については、本誌七五号の研究所主幹の論考を参照されたい)。
その果てに残ったのは、制度と権力構造、資源と消費、流通と商品経済、土地とその利用形態等々、要するにモノとそのシステムだけの歴史の叙述である。そのようにはなから歴史の意味性・物語性を不問に付すのが暗黙の前提であるばかりか、さらに進んでそれを積極的に剥奪・解体するのが現在の主流であるように見える。歴史という内面的解釈の世界がきれいに外面的諸関係に還元され、深みも質も欠いた平板な歴史像―しかしそうだとすれば、一体歴史が存在する理由とは何なのか。歴史の意味性を否定する歴史学の存在こそ、単純に何の役に立つのかという意味で、無意味の最たるものではないか、と言いたくもなる。
ともあれ、こうした状況だからこそ、本書が与えたインパクトは大きいと思われるのである。後で紹介するように、彼ら異邦人に目撃された当時の日本文明の姿とは、私たちにとって意外にも、豊かで明るく親和性に満ちたものであったことを、本書は明示している。これを単にエキゾチシズムが見せた幻影として片付けることは、まず現実問題として無理があると言わざるを得ない。何より、当時日本を訪れた外国人の多くは、世界分割とアジア植民地化の果てに日本に到達した西洋列強の利益代表者であった。つまり、各国を比較考察しうる位置にあった現実的な観察者たちなのである。にもかかわらず彼らの眼に一様に映ったものを幻影としか見ないとしたら、その見方こそ、典型的な自己矮小化という意味で幻影にほかならないであろう。


文化人類学的方法とその妥当性

さらにより根本的な問題として、歴史とはそれを見る者の視点すなわち史観次第で、あらゆる読込みが可能であるという事実がある。そのことは、前述のように日本人自身が自己の近しい過去にあらゆるネガティブな読込みをしてきた実例があるだけに、私たちにとっては理解しやすい。そしてまた、特定の史観に基づいて文献史料に記された当時の社会のタテマエを分析すればするほど、かえって実態を読み損ない、肝心の全体像から遠ざかってしまうであろう。一体どのようにすれば、そうした限界を突破し、過去の文明の実質に接近することができるのだろうか。
そうした疑問に対し、いわばコロンブスの卵的な視点から答えたのが、本書の方法だと思われる。本書は開国以降明治初期までに日本を訪れた外国人の手になる膨大な文献・記録を網羅的に扱っているのだが、特徴的なのは単にそれらを史料として利用するだけでなく、異邦人が感じ取った印象そのものを追体験するという方法を採っていることである。次のとおり、著者はそれを文化人類学的方法と位置づけ、自覚的に採用しているのである。(傍点は評者による。)

 滅んだ古い日本文明の在りし日の姿を偲ぶには、私たちは異邦人の証言に頼らねばならない。なぜなら、私たちの祖先があまりにも当然のこととして記述しなかったこと、いや記述以前に自覚すらしなかった自国の文明の特質が、文化人類学の定石通り、異邦人によって記録されているからである。文化人類学はある文化に特有なコードは、その文化に属する人間によっては意識されにくく、従って記録されにくいことを教えている。……それゆえにこそ、そういう強固な優越感と先入観にもかかわらず、彼らが当時の日本文明に賛嘆の声を惜しまず、進んで西欧文明の反省にまで及んだことに、われわれは強い感銘を受けずにはおれない。(一四頁)

 文化人類学の今日の到達が示すところによれば、ある異文化に接近する前提は、それが観察者の属する文化のコードとは全く異質のコードによって成り立っていることへのおどろきである。ある異文化が観察者にとっていかにユーニークで異質であるかということの自覚なしには、そして、その理解のためには観察者自身のコードを徹底的に脱ぎ捨てることが必要なのだという自覚なしには、異文化に対する理解の端緒は開けない。(三八頁)


「ある文明の特質はそれを異文化として経験するものにしか見えてこない」、つまり「自国人には記述されない特質」を現在の自国人である私たちが知るためには、当時の外部からの視点によるほかにないということである。私たちが現在の日本と江戸時代が同一の文明に属すると思い込み、そこからすでに滅亡していた古き日本文明をずっと誤読してきたのだとすれば、たしかに、その文明の内部の者に意識されることのなかった特徴に接近するために、異文化に属していた人々の証言を借りる以上に適切な方法はないと思われる。
それはもちろん、彼らが客観的で公平な証言をしているということではない。彼らが西洋中心主義的な偏見から日本を観ていたのは想像に難くないことである。しかし、本書が慎重に指摘しているように、「偏見とはつねに何ものか何ごとかについての偏見である……その誤解やゆがみを通してさえ、彼らが何ものか何ごとかの存在を証言している事実は消えようがない」。たとえそこに自らが依って立つ近代文明の優越感から来る偏見がどれほどあったとしても、また逆に近代ニヒリズムの反動として非西洋的なものを賛美する「ばらいろの眼鏡」というフィルターがかかっていたとしても、そのゆえにこそ両文明に横たわる懸隔が生々しい文化的ショックとして経験され記録されたことに注目すべきなのだと著者は主張する。

 問題はいまや明らかである。異邦から来た観察者はオリエンタリズムの眼鏡をかけていたかもしれない。それゆえに、その眼に映った日本の事物は奇妙に歪められていたかもしれない。だが彼らは在りもしないものを見たわけではないのだ。日本の古い文明はオリエンタリズムの眼鏡を通して見ることのできるようなある根拠を有していたのだし、奇妙に歪められることを通してさえ、その実質を開示していたのである。……錯覚ですら何かについての錯覚である。その何かの存在こそが私たちのいまの問題であるのだ。彼らの讃辞がどれほど的外れであり、日本の現実から乖離した幻影めいたものであったとしても、彼らはたしかにおのれの文明と異質な何ものかの存在を覚知したのである。幻影はそれを生む何らかの根拠があってこそ幻影たりうる。私たちが思いをひそめねばならないのはその根拠である。(四〇頁)


そう考えてみると、幕末・明治初期という時代は、独自に高度な発達を遂げていた前近代の日本文明が突如外に開かれ、西洋の近代人が一斉にそれを目撃し体験することとなった、日本史上一回限りの文明間の遭遇の機会だったと言える。そして彼らが図らずも行ったいわばフィールドワークを、私たちは彼らが残した文献記録から追体験することができるのである。
このように本書の論述の特色は、膨大な当時の異邦人の証言の引用によって、彼らの眼に映り肌で感じられた古き文明の実質を描き出すという方法にある。もちろんこの方法は、特定の視点から都合のいい証言だけを選り出して、都合の悪い記述を無視するという操作・編集の問題が伴うものであり、実際にそうした肯定的な評価を下しうるかは読者が慎重に判断すべきであるが、この点については、各章末尾に引用文献が詳細に明示されており、必要に応じて著者の評価の妥当性を検証することに開かれている。しかし、膨大な証言が構成するその説得力からすれば、彼らの眼に映った江戸文明の実質が、かつての暗黒史観が描き出したような陰惨極まるものであったとは考えがたいし、また「いつの時代もいい面と悪い面があった」とするような思考停止で済ますことも到底できるものではない。少なくとも、彼ら異邦人が古き日本文明に瞠目したのは確実だと深く納得させるに足るものがある。
繰り返しになるが重要なのは、本書の試みによって私たちは初めて、近代以前の古き日本文明のイメージをはっきりと結べるようになったということである。これはまた、前近代から長い時間を経過し、さらにそれ以上に心理的に遠く断絶してしまった現代の私たちが、古き日本文明との予期せぬ遭遇に深い文化的ショックを受けた彼ら異邦人と今や非常に近い位相にいるからこそ、ようやく彼らの体験を共感的に理解できるようになったということでもあるだろう。それを可能にした本書の意義は実に大きいと思われてならない。


古き日本文明の姿

では、本書が取り上げている異邦人の証言とは、そもそもどのような性質のものなのだろうか。

 
〔ある外国人からの引用について〕それは情景の素描に過ぎず、「国民、生産物、商業、法律等々についての正確な情報」はまったく存在しない。彼が感受した〝日本〟は、そういう客観的情報などによってではなく、このような第一印象の素描によってしか伝えられないような何ものかだったのである。……だがこういう西洋人の日本に関する印象を、たんなる異国趣味が生んだ幻影としか受け取って来なかったところに、じつはわれわれの日本近代史読解の盲点と貧しさがあったのだ。(四七頁)


本書はこうした意図によって、これまでの歴史研究が見落してきた、彼ら外国人の感受・印象・解釈の側面を集中的に扱っている。そしてそれら異文化に属す人間の証言を通じて初めて明らかになるものこそ、これまで空気のように無視されてきた、古き日本人の心性と文明の実質なのである。それは、近代西洋とも、また他のアジア諸地域とも著しく異なる感触を彼らに与えた独自の文明であり、また夥しい証言が示すとおり、一言で言って「幸福で満ち足りた」と表現せざるを得ない文明であった。価値的な判断について慎重な著者も、末尾に至ってこれを「完成されたよき文明」「古きよき文明」と明言している。その実際については、ぜひ本書を読んで、ありし日の文明の世界を追体験し確認していただきたいと思う。以下にとりわけ印象的な箇所を抜粋し紹介していくが、しかしあくまで本書の描き出す印象の総体こそが重要であることに留意してほしい。

陽気な人々
まず際立つのが、訪日した外国人がほぼ一様に強く印象づけられた、人々の顔に浮かぶ幸福感と底抜けの陽気さであり、中でも社会の下層ほど顕著な幸福感と満足が現れていたという観察的事実であって、その証言は実に枚挙にいとまがない。

 十九世紀中葉、日本の地を初めて踏んだ欧米人が最初に抱いたのは、他の点はどうあろうと、この国の国民はたしかに満足しており幸福であるという印象だった。ときには辛辣に日本を批判したオールコック〔英国初代駐日公使〕でさえ、「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」と書いている。ペリーは第二回遠征の際に下田に立ち寄り「人びとは幸福で満足そう」だと感じた。ペリーの四年後に下田を訪れたオズボーンには、街を壊滅させた大津波のあとにもかかわらず、再建された下田の住民の「誰もがいかなる人びとがそうでありうるよりも、幸せで煩いから解放されているように見えた」。(五九頁)

 ……プロシャのオイレンブルク使節団は、その遠征報告書の中でこう述べている。「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない」。……オーストリアの長老外交官ヒューブナーはいう。「封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである。」(六〇頁)

 スイスの遣日使節団長として一八六三(文久三)年に来日したアンベールは、当時の横浜の「海岸の住民」について、こう書いている。「みんな善良な人たちで、私に会うと親愛の情をこめた挨拶をし、……根が親切と真心は、日本の社会の下層階級全体の特徴である」。(六四頁)


西洋人にとって悲惨や悪徳と見えた社会的現実(貧困や売春等)は確かに存在したが、にもかかわらずそのことにおいてすら、異文化に属する人間もはっきり認知しえた、あっけらかんとした陽気さ・明るさのムードが漲っていたのは、特筆すべきことであろう。

簡素と豊かさ
さらに、私たちにとって最も意外なのが、「圧政下で貧窮する民衆」といったかつての貧農史観・暗黒史観とは文字通り正反対に、ほとんどの外国人にとって、当時の日本の庶民の生活が、同時代の西洋列強の社会と比較して、少なくとも基本的な衣食住に関してはより豊かだと見えたという事実である。このことは特に重要だと思われるので、長くなるが引用したい。

 彼〔ハリス〕は……「この土地は貧困で、住民はいずれも豊かでなく、ただ生活するだけで精一杯で、装飾的なものに目をむける余裕がないからだ」と考えていた。ところがこの記述のあとに、彼は瞠目に値する数行をつけ加えずにはおれなかったのである。「それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困ってはいない。それに家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちがよい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい」。/「私はこれまで、容貌に窮乏をあらわしている人間を一人も見ていない。子供たちの顔はみな満月のように丸々と肥えているし、男女ともすこぶる肉づきがよい。彼らが十分に食べていないと想像することはいささかもできない」。(八二頁)

 彼〔オランダの海軍軍人カッテンディーケ〕はいう。「この国が幸福であることは、一般に見受けられる繁栄が何よりの証拠である。百姓も日雇労働者も、皆十分な衣服を纏い、下層民の食物とても、少なくとも長崎では申し分ないものを摂っている」。(八四頁)

 オールコックは書く。「封建領主の圧制的な支配や全労働者階級が苦労し呻吟させられている抑圧については、かねてから多くのことを聞いている。だが、これらのよく耕作された谷間を横切って、非常なゆたかさのなかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きのよさそうな住民を見ていると、これが圧制に苦しみ、苛酷な税金をとり立てられて窮乏している土地だとはとても信じがたい。むしろ反対に、ヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きのよい農民はいないし、またこれほど温和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるをえなかった」。(八五頁)


(以下次号)
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書評『呆けたカントに「理性」はあるか』(大井玄 著)

2016-02-11 22:49:13 | Weblog
以下、『サングラハ』第145号(2016年1月25日発行)から転載します。
書きましたように、とても深くすばらしい本だと思いますので、認知症について関心のある方はもちろんのこと、むしろ今後を生きる若い人にこそ手にとってほしいものだと思いました。


【書評『呆けたカントに「理性」はあるか』(大井玄 著)】


本書は、看取りの臨床を実践されている著者の、認知症高齢者への慈しみに満ちた深い思索の書です。象徴的な書名になっていますが、むしろ本書の眼目は、近代的な理性の限界が端的に現れているのが認知症を巡る問題であることを見出し、その限界を超える新しくより妥当な人間観・生命観を提示しているところにあると思われます。
認知症とは、超高齢化社会の重要課題であり、また私たちの多くがやがて行く道として人生の大問題でもあります。言ってしまえば、本書の「認知症高齢者の意思は尊重されるべきか」という問いに対し、私たちのほとんどは自明のこととして「否」と答えざるを得ないのが現実ではないでしょうか。しかし、本書はその「自明の現実」なるものに、根本的な人間観の欠陥ないし不足が伏在していることを、冷静な科学的裏付けに基づき説得力をもって指摘します。
本書が全体を通じたテーマとして論じているのが、著者が行った意向調査における、大多数の認知症高齢者の胃ろう造設に対する拒否の意思表示についてです。そもそも寝たきり老人への医学的効果が確認されていないにもかかわらず、専ら医療従事者の構造的不足という日本的事情により、胃ろう造設が患者本人の意向を無視して行われる現実があり、そこには認知症高齢者に意思能力なしとする暗黙の前提があるのですが、しかし上述の調査における認知症高齢者の胃ろうの拒絶はほぼ一様で明快であり、かつ認知症のない「正常」群との同じ傾向が見出されていて、そこに生に関わる強い意思的判断が存することを伺わせます。
本書はそれを、デカルト―カント的な言語的理性に対して、適応と生存の能力であるヒューム的な生物的理性の働きとして基礎づけます。つまり、財産管理や契約行為などを遂行する言語的能力に基づく理性を失っても、より深いところで自分の生存にとって適切か否かを判断する情動的・生命的な理性は働いている、と。そして、本書は豊富な生物の観察や脳科学の知見などによって、それが単なる遺伝的な本能ではなく、唯識のマナ識・アーラヤ識の世界に相当するような、環境適応に即した無意識的かつ主体的な判断能力であることを明示します。まさに私たちにおいて、今現在そうした無意識的理性が働いていることを生き生きと垣間見せてくれるもので、認知症高齢者の意思表示に深い意味での正当性があることを実感的に把握できます。
にもかかわらず、私たちの社会はこのような深層の理性の存在をほぼ完全に無視するかたちで営まれており、ここに根源的な矛盾を生じているわけです。有り体に言えば「呆けたらおしまい」というこのような深い思い込みの背後にあるのは、人を動物から峻別し特権化する西洋の基底的なコスモロジーと、その極限として言語的な思考を絶対化しある種実体視するデカルト―カント的な理性であるとし、本書では比喩的に、生命三十八億年に一貫する「樹木の幹」すなわち生命的な深層の理性に対し、そうした言語による分別的な理性をその「ひとつの枝」のさらに先端にすぎないと表現しています。しかし理性絶対主義のもと病的に異常発達した枝は、今では生命の樹全体の倒壊をもたらすほどになってしまっている。大は戦争から地球気候の激変に至るまで、人類の未曾有の危機の根本に、近代的な理性の暴走すなわち際限なき言葉による分別の問題があるという指摘に、深く納得せざるを得ません。
最も重要と思われるのは、そうした言語的な理性自体が、身体―情動に支えられているばかりでなく、情動のコントロールなくして存在し得ず、さらにその根源は無意識的・情動的なものであるという本書の指摘する事実です。言語的理性は、確かに人間において初めて出現した進化の最先端の成果であり、生命史三十八億年の一瞬の光芒のごとく文明社会を実現していますが、それも現在に至る無数の進化の累積がなければ存在しません。いわば海上に現れた氷山は、海面下の見えざる大部分に支えられて初めて頂点でありうるというのに似ています。「頂点」として健全であるために、私たちは内面と外面にわたるこの断絶からぜひとも回復する必要があるということだと思われます。
言語的な(狭義の)理性を絶対化して、それを失った認知症高齢者にも現に働いている生命的な(広義の)理性を無視し、大変な不幸や社会的負担を惹き起こしている「延命治療」の問題とは、現代的矛盾の一つの焦点と言えます。本書の示すように、認知症高齢者の姿はまさに私たち自身の生存の危機への気づきを促すメッセージにほかならないと思えてきます。巻末に記された近代の大哲学者カントの、「純粋痴呆」に至り着いた最晩年の静かな姿は、このことを体現したかのように象徴的で深く印象に残ります。本書が示唆する「大往生」こそが、単に生を生きるのみならず、必然的に生を死ぬべく条件付けられた生命存在としての私たちの、根源的な願いであるのは間違いありません。
著者にとっての「ささやかな遺書」とされている本書は、コンパクトな新書であり、一般向けに平易に書かれていながら、その意味するところはこのように深く、認知症を巡る私たちの常識を覆すばかりか、私たち自身の生命観・人生観をも転回させ、大きな安心をもたらすものだと感じられます。認知症高齢者の関係者ばかりでなく、多くの若い世代にもぜひ手に取っていただきたいと思います。
(『呆けたカントに「理性」はあるか』大井玄著、新潮社、二〇一五年)
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書評『明治維新という過ち』(原田伊織著) その2

2016-01-01 21:58:03 | 歴史
 先の書評記事の後半、私の見るところのマイナス点というか批判点について転載します。

 書いた後、改めて考えてみますと、この著者に限らず歴史に関する一般的な「語り」に何かが重要な点が決定的に欠けていると感じられてしまうのは、人間にとって言葉とは本来どういう内面的意味と機能を持っているのか、そしてその言葉が構成する物語=歴史観=コスモロジーとは我々にとって何であるのか、要するに人間の内面(個人にとっての心/集団にとっての文化)にはいかなるリアリティがあるのか、という言説以前の前提が、あたかも盲点にあるかのように無自覚になっているためだと思う。
 にもかかわらず、その無自覚の上に「歴史」という本来的に物語的・内面的・文化的なカテゴリーに属する事柄を語ろうとすることで、ここに根本的な矛盾が生じているわけである。
 この非常に居心地の悪い違和感――要するに「心に意味がないんだったら、『歴史を語る』なんてそれこそ意味ないでしょ?」ということだ。
 本書には、この無自覚とそこから生じる矛盾が、きわめて典型的な形で顕著に現れていると思われる。
 それがために、著者・原田氏はある種「得意になって」対象となる「維新物語」を批判しているのだが、その足下への顧慮がまったくおろそかになっていて、舌鋒鋭く批判を飛ばして物語を突き崩しつつ、自分自身だけはその例外になって個人的・感情的動機にもとづいて白か黒かで何かを語ってしまうという、言葉は厳しいようだがかなり恥ずかしいというか滑稽な姿勢になっていると見えてならない。
 書いているように批判とは代案があって初めて意味をなすものだと私は思う。本書については、まさしく「批判のための批判」という批判が当てはまるであろう。

(かく言う私も同様の批判が当てはまることになるのであり、自身の立ち位置を述べておけば、岡野守也氏(サングラハ教育・心理研究所主幹)が提案している「神仏儒習合(とりわけ仏教)により涵養されてきた日本的コスモロジー」という線が、有力な代案として非常に当たっているのではないかと考えている。詳しくは会報『サングラハ』バックナンバーを読んでいただきたいです。私が編集していて、ほんとに読者が増えてほしいと思います。)


【書評『明治維新という過ち』 つづき】

本書に対する批判点
 一方、「明治維新」の全否定的な批判を展開するに当たり、著者は「虚偽」「デタラメ」「過ち」「狂気」「罪悪」等々といった極端な言葉を全編で多用しており、バランスを失った白か黒かの二元思考に陥っているとの印象が強い。また批判の根拠が明確に読み取れない点が多く見受けられる。
 そしてその上で語られる本書の「官軍教育」に対する代案とは、後半の章で語られているように、いわば敗者への共感ないし武士道精神への情緒的な回帰とも言うべきもの(著者は自覚的に「感情的」と述べている)にとどまっていて、それ以上の展望がない。そのために上記の批判が建設的に活かされているとは思えないのである。さらに、著者は特に自身の来歴からそうした「武家が具現した日本の精神文化」を強調しある種称揚するのだが、一方で本書の記述からはそれが具体的に何を意味するのかが掴めず、また言及されるのはわずかに戦国時代までで、その精神がいかなる伝統と蓄積によって形成されてきたのかも判然としない。
 思うに、ここには(著者が冒頭で強調したはずの)「永い時間軸」という通史的な視野と、歴史という内面的な営みが本来何を意味するかという根源的な問いの両方が欠けているのである。これではいわゆる歴史好きや歴史業界関係者以外の大多数の日本人にとって意味ある提言にはならないし、特に歴史をはじめ「大きな物語」そのものをはなから脱構築されロストしている七〇年代以降生まれの世代には、「面白い(けどそれが何?)」という以上の意味を持たないであろう。

まとめ
 著者自身の問題意識は「私たちは目下日本人としての基盤を喪失しつつあって、それは『明治維新』以降現在に至る『官軍教育』に原因している」という点にあり、それ自体は鋭く的を射ていると感じられる。だからこそ、そこに新しい史観・コンテクストの提案がないのは残念である。
 特にその問題意識の原点として、新政府主導の仏教文化殲滅運動たる明治初年の「廃仏毀釈」に第一章冒頭で言及し、それが神仏習合の伝統文化を破壊したとしながら、著者が「武家が担った精神文化」と曖昧かつ情緒的に表現しているところの、日本人の伝統的コスモロジーを本書は語り得ていない。そのため、一体「官軍教育」によって何が破壊され、何が断絶し、その結果私たち日本人がどうなってしまっているのかが掴めないのである。例えば、この点について核心を突いているとして、本書の結論の箇所で引用されている司馬氏の一文、「―われわれが持続してきた文化というのは弥生式時代に出発して室町で開花し、江戸期で固定して、明治後、崩壊をつづけ、昭和四十年前後にほぼほろびた」とは、単に文化のみならず、それら文化を包摂していた日本的コスモロジーの崩壊過程への悲嘆として読み取らなければ、著者の問題意識からは意味をなさなかったはずである(研究所主幹による神仏儒習合の日本的コスモロジーの考察については本誌の過去の号を参照されたい)。
 私たち日本人は明らかに「官軍教育」によって「洗脳」されてきている。しかし教育そのものが著者も述べているとおりある種の洗脳―価値観の内面化であって、さらに歴史とは集団のアイデンティティを担う大きな物語にほかならず、そのいずれもが必然で避けられないのなら、批判を超えて「今の危機の時代に当たり、国民として結集するための新しい史観は、この線ではどうだろうか」という代案の提示こそあるべきだろう。その意味で、本書はいまだ「脱洗脳」のレベルにとどまっていると評さざるを得ない。
 このようにいわば竜頭蛇尾にとどまる本書ではあるが、その「竜頭」が本物だとの印象は確かである。その上で、肝心の竜の胴体をどう描くか、すなわち物語としての歴史をどう回復するかが、これからの私たちの課題となるであろう。ともあれ、本書は危機の時代に対処すべく、日本人が歴史=国民的アイデンティティを健全に取り戻すという作業の手がかりとして、必読であると思われる。

(終り)
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書評『明治維新という過ち』(原田伊織著) その1

2015-12-30 16:42:43 | Weblog
まったく久々の更新でして、思えばこれらを書いていたのは30代も前半だったのだなあと感慨が深い。
実は(でもなかったんだっけ?)私はサングラハ教育・心理研究所の会報『サングラハ』の編集をしていまして、かれこれ14年になろうとしているのだった!
今回、下記のような書評を書いたので、せっかく書いたので掲載します。できればお読みの方は会報『サングラハ』をご購入いただきたい!
 ⇒https://www.dlmarket.jp/manufacture/index.php?consignors_id=9174
今の時代にまったく流行らないであろうが、本質的なことが書かれていると私は思っているので。

さて、今回書評させていただいた本は、大きな書店の歴史関係の棚には平積みにされていることと思う(H27.12月現在)。
非常に興味深くも微妙な本でして、問題意識ないしは感性として非常に当たっていると思われる点と、一方ご自身の「立ち位置」についてかなり無自覚に「感情的」に書かれているという点の両方が混交した本だと思われる。
まず前者の(プラスの)点から転載したい。

(『明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』〈増補改訂版〉、原田伊織著、毎日ワンズ、二〇一五年)


【書評『明治維新という過ち』】

 本書は「作家・クリエイティブディレクター」である在野の著者の、鋭敏な問題意識による刺激的な本である。後述のような批判点はあるものの、常識の盲点を暴露するという点で、日本史の決定的な転換点であった時代に関するこれまでの見方に大幅な修正を迫る内容だと思う。

「明治維新」という虚像
 端的に言って著者の主張は「日本人は『明治維新』を一度徹底的に批判し総括する必要がある」ということに尽きる。私たちにとって「明治維新」とは、概ね「暗黒の封建体制を打倒して文明開化の新時代をもたらした、輝かしい若者群像の物語」といった、そんな単純にポジティブなイメージで彩られており、それが戦前戦後を通じ、総じてずっと無批判であり続けてきたのは間違いないだろう。
 しかし本書は、「明治維新」なる言葉が昭和初期に「昭和維新」と対になって流布したものであることを明らかにした上で、「明治維新」を彩るさまざまな「ウソ」を容赦なく暴く。代表的には吉田松陰(第三章)、坂本龍馬(「はじめに」)、高杉晋作(第二章)等々、詳細は本書に譲るが、それら英雄的人物像が軒並み虚像であること、天皇拉致や御所襲撃までも企てた薩長の「尊皇」とは文字通りのタテマエ=ウソにすぎなかったこと、それらが推し進めた倒幕運動とは当時の正統的政治権力である江戸幕府からすれば危険なテロリズムそのものであり、それを実行した「勤王の志士」とは狂信的なテロリストにほかならなかったこと、さらにその背景にあった水戸学とは奇矯な人物に発する誇大妄想的な「狂気の思想」であったこと等々、従来の「明治維新」に関する見方をほとんど反転をさせる説得力を持つ。「明治維新」とは、「官」と「賊」が容易に入れ替わり、昨日の朝敵が一夜にして錦の御旗(それも捏造だった)を掲げる官軍になるという非常に流動的な情勢において、過激派勢力が暴力‐軍事力をもって政権を文字通り強奪するに至った一連の政治的事件であって、決して歴史の必然ではなかったのである。

隠蔽された戦争犯罪
 そしてそのような「麗しい」物語によって隠蔽されてきたのが、敗者への犯罪行為、特に「官軍」に成り上がった薩長の軍に対し徹底抗戦を敢行し、「賊軍」と処断されることとなった会津など東北諸藩への戦争犯罪であるとする(第五章)。「明治維新」は戊辰戦争の終結で完成したとされ、その勝敗を決定的に分けたのは、単純に近代兵器の有無という格差であったらしい。そして圧倒的な武力による蹂躙の下で行われた暴力行為から虐殺に至るまで、本書が明らかにするとおり、それらはまさしく後の言葉で言う戦争犯罪にほかならない。そうした「官軍」の戦争犯罪や、明治初年に一藩丸ごと流刑に処すという会津に対する非道は、輝かしい「維新物語」の陰となって現在もほとんど意識されていないのは間違いない。

「官軍教育」による洗脳
 本書は全体を通じ、「官軍教育」というキーワードによって、「明治維新」には勝者とりわけ長州出身者主体の新政府=クーデター政権側が、自分たちの都合によって恣意的に作り上げてきた一つの物語という面が濃厚にあることをあぶり出す。それは「勝者が歴史を作る」という言葉のとおり古今東西いつもあったことで、テロを通じた政権転覆、さらに内戦を強行して生まれたクーデター政権としての勝者が、前体制を全否定する「明治維新」という物語を作ったのは、むしろ当然だったはずである。にもかかわらずこれまでずっと、こと「明治維新」に関してはあたかも盲点にあるかのようにあるべき批判がナイーブに欠如してきたのであって、本書の指摘のとおりそれこそが今日まで「官軍教育」の「洗脳」が生きている証拠なのであろう。
 特に代表的に、これまでほぼ世間的な歴史理解の標準とされて批判の外にあり続けてきた、司馬遼太郎氏の「明治維新」を称揚する歴史物語=司馬史観について、それこそがまさに「官軍教育」の線に沿った維新至上主義そのものであり、その点で司馬史観は「断罪」されるべきとしている(一方、著者は司馬氏の業績全体には敬意を述べている)。
 このように「官軍教育」が現在に至るまで一貫して行われてきており、それが私たちが自身の歴史につながりひいては精神的にまとまること、換言すれば日本人のアイデンティティと日本社会の統合性を、近現代においてずっと損ねてきたという、その問題意識は極めて妥当だと思われる。
 また、そうした「官軍教育」の延長線上に、侵略に続く先の戦争があるとの推論(一二四頁)は、あの悲惨な大戦の意味を再考する上で非常に重要である。さらに、敗戦後現在まで続く標準的な歴史観もまた勝者米国の都合という線で作られた歴史観にほかならないとすれば、私たち日本人の精神史には近代以降、「官軍教育」と「戦後教育」による二重に複合した捻れないし断絶があることになるだろう。これら点は詳細な検証が必要と思われる。

「官軍教育」で否定されたもの
 では、そのように英雄を捏造し戦争犯罪を隠蔽する「官軍教育」により、勝者たる明治新政府が否定してきたものは何だったのか。江戸時代はかつて文字通りの暗黒時代と捉えられてきたし、今でも政治体制としての幕府は「後進的・反動的で要するにダメだった。だから倒されて当然だったのだ」と認識されていると思う。それに対し、本書ではその見方こそ「官軍教育」の成果そのものだと指摘し、江戸幕府について、二百数十年にわたり概ね平和な統治を実現し、「黒船」来航に先立ち既に実質的な開国を遂げ(そもそも「鎖国」なるものが実際には存在しなかったのだが)、優秀な実務官僚のもと列強相手に必死の外交を展開した、統治能力のある正当な政治体制だったと捉え直している。そして幕末においてリーダー層は全体として尊皇佐幕で一致していたのであり、従って倒幕とは必然ではなく、クーデターによって実現した一つの可能性にすぎなかったとしている。さらに、幕府や諸藩が統治する江戸期の社会とは、一言で言って文明度の高い社会=江戸システムだったのであり、いまだにその本質的な意味が再検討されているとは言いがたいというのは、重要な指摘であろう。要するに「官軍教育」とは、自らが打倒した前体制である江戸時代の意味を貶め全否定する意図に貫かれていたのである。
 一方で本書は、旧幕府側によるその後の統一政権が仮に実現した場合に、日本が近代において北欧諸国のような平和・中立の国になった可能性、少なくとも先の大戦のような方向を回避できただろう可能性に言及する(三六頁他)。その点、著者の言うようにさらなる考察が必要だろうが、「江戸システム」の達成を考えた時に、納得させられるものがある。


(続く)
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『ストイックという思想――マルクス・アウレーリウス『自省録』を読む」について

2012-12-18 01:13:15 | Weblog
まったく久しくブログ更新忘れていましたが、何か書きたいと思いました。
素人が書くことに何の意味があるのか、そして何より今の時代言葉は本当の意味で通じるのか、さらには自分自身のその言葉に本気なのか…
ともあれ、私がファンであるところの著者である岡野守也氏の新刊が出たとのことで紹介というかシェアしたいと思います。
もう最近はこの人の本と山本七平さんの戦記物(?)と漫画『闇金ウシジマくん』とかしか読んでいないような気がします。

12月中書店に並ぶとのことですが、さっそく聞きつけましたので。。。



サングラハ教育・心理研究所の機関紙である「サングラハ」(渋いというかそっけないというかの外見ですが、中身はすごいと思います。そのこともいつかご紹介できればと思いますが)に連載していたころから読んでいますが、2000年前の皇帝の言葉がまるで今の私たちに語りかけているかのようです!紹介する時間がありませんしその才もないような気がしますので、ぜひ同書をあたっていただければと思います。私もこれから読むのですが楽しみであります。

(蛇足というかですが、マルクス皇帝の肖像というのは少年のころのを見ても晩年頃と思われるものを見ても、そしてこの本の表紙の硬貨のレリーフを見ても、当たり前なのかもしれませんがよく似ていて、こういう顔の人だったんだなあと感じるものがあります。それはそうとヤマザキマリさんの『テルマエ・ロマエ』で流行の同時代(もう少し後か?)、こちらの本もぜひ流行ってほしいものだと思いました。それはそうとタイトルが渋すぎる!)
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21世紀日本の「大本営発表」さらに「言論統制」

2011-09-17 01:09:59 | Weblog
唐突な話題ではありますが、あの原発事故以来コンビニで原発報道で頑張っていると思っていたのが『週刊現代』で、先日まででかでかと各地の放射能数値を誌上発表していたり原発利権の構造を暴いたりしていて、週刊誌というメディアにも良心があるのだと思っていたのですが、ひと月くらい前に少なくともセブンイレブンやファミマで見かける限りはいったん発売日に店頭に置かれなくなり、「あれ?」と思っていたのが、その次に復活した号からは、原発報道が怖いくらいにまったく見かけなくなりました。
憶測ではありますが、たぶん間違いなくどこかからの圧力があってのことだと思います。3・11以降のNHKをはじめ気持ちの悪い「大本営発表」は決して比喩ではないというような報道ぶりに加え、このようなあからさまな「言論統制」ぶり、21世紀にもなってこのようなことを経験しようとは思いませんでした。われわれは65年前の日本の戦争末期の状況を他人事のようにあげつらうことはもうできない状況にあるといわなければ嘘だ。少なくともあの時代には弾圧する側すらもっと真剣だったと思われてならない。
とうにかく普通に言えば世界を見ても日本を見ても自分の生きている状況を見ても、よくなる目があるように思えないのがきわめて悲しいところです。このような状況で鬱や自暴自棄に陥らずに生きることは可能なのか・・・無理です。普通に言えば。
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超ブルーマンデー。。。

2011-09-11 23:39:07 | Weblog
いや~ブログ更新すっかりご無沙汰となっておりました…これからちょくちょく書きたいと思います。どうせ身辺雑記なら書く必然性はあるまい、また、もっと先にやるべきことがあるだろう、というのと、仕事が時間的に若干きつくてというのもありました。
しかし愚痴なりにかかないともやもやしてしまう感じなので書いていこうかなと。さいきんツイッターというのがあってネット上でつぶやけるようですが、新しいことは覚えるのが面倒です。
ああ、出勤まであと8時間か~~
世界を見ても、日本を見ても、会社の環境(とくにウチの係の険悪な雰囲気…)を見ても、そして自分の人生を考えても、行き詰っちゃってるなあと感じられてならない。
パソコンだけは最近買い換えたcore i7の性能と光回線のネットのすごいスピードで快適です。しかしそれは人生の幸せにはほとんど関係ありませんね。。。
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文字通りの雑感

2009-09-02 02:31:02 | Weblog
 すっかり忘れていましたが、先日このブログでお伝えしました9月13日予定の大井玄先生による講演は、残念ながら講師体調不良により延期となりました。後日日程は持続可能な国づくりの会ブログ・HPで周知があるとのことですので、そちらに注意していてください。

 ところで変わりまして同日、サングラハ教育・心理研究所の主幹をされている本家のブログの岡野守也先生の講演「持続可能な社会を実現できる心とは」を開催します。
 皆さまのご参加をお待ちしております。


(PDF版はこちら

詳しくは先生のブログを見てください。私がくだくだと書くよりそちらのほうが誤解がなくわかりやすいと思います。
それにしても日本がここまで落ちてしまって(悲しいけれどもこれからもどんどん落ちていくのでしょう)思うのは、日本は戦後60年、本家ブログでいわれているような「内面」への配慮をほぼ完全に怠ってきたのだなあということです。
これはけっして突飛な話ではないつもりなのですが、あの戦争に決定的に敗れ米軍に長期占領され価値観が骨抜きにされたことは、60年・3世代を経てボディブローのように日本の足腰を立たなくし、いまの私たちの惨状にストレート・ダイレクトに届いているのだなということです。だいたいこういう横文字が横行していること自体が私たちの国語がいかにダメになっているかということを表しているに違いない。
別に批判のための政治批判(それはいまやすごく安易な事です)をするつもりではないのですが、最近起きるのがめんどくさくてさぼってしまった選挙結果を見るに、リーダーの人材払底は目を覆うのみの状態です。
いわゆる戦後教育は人の上に立ってはいけない・上下があってはならないと、エリートであることを忌避するように私たちを仕向けてきましたが(それでいて受験競争においやってきたのですからウソくさいことはなはだしい限りです)、その成果が今やしっかり芽生えているといったら皮肉な言い方になるでしょうか。
というかこういっている自分の言葉が一番ウソクサイ感じがします。言葉は有益に使わねばなりませんね。
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8月12日のこと

2009-08-12 00:49:13 | Weblog
ひさしぶりに書くにも関わらず唐突ですが、日付が変わってきょうは8月12日。
この日はもう二十数年前になりますが日航ジャンボ機が群馬県の山中に墜落した日です。
おそらく今日の新聞、テレビ等ではまたこのことについての報道があると思います。
私は小学生のときこのニュースに接して、子供のころ一番の大ニュースだったという感じで強烈な印象で覚えています。

ところで不思議なことにというか、この事故は一般にあまり認識されていないようですが大きな謎があります。
それは当時の運輸省・航空事故調査委員会(事故調)が原因と断定し、以降の報道もほとんどそれを追認している国の公式見解が、じつはかなり決定的に疑わしいという事実です。

その公式見解とは大雑把に、
 ①しりもち事故後のボーイング社の後部圧力隔壁修理ミス
 ②修理ミスから金属疲労が蓄積・拡大
 ③123便のフライトで隔壁が客室の与圧に耐えきれず破断
 ④客室の急減圧により爆発的に突出した空気が垂直尾翼と全油圧系統を破壊
といった流れですが、この説はきわめて問題があるといわれています。

それがために自衛隊機が撃墜したとかの妄想がかった陰謀説に至るまでいろいろな憶測をよんでいるのですが、そのことはおいておいて、それ以前にもっとはっきりとした、素人目にもわかる基本的な問題があるのは明白です。

それは、④の客室に急減圧はあきらかに発生していない、という一点に尽きます。

したがって隔壁破壊→急減圧→垂直尾翼と油圧系統の破壊、という事故調-国の見解は根底から覆ってしまうことになります。

事故機にトラブルが発生した高度7000m以上では、機体に穴があいて急減圧が発生すると、風速200mにも及ぶ大音響を伴うすさまじい突風が発生し、客室内の拘束されていないあらゆるものが飛んで穴から機外に吸い出され、機内の温度は数秒でマイナス40度C以下になり、人はわずかの時間に意識を失ってしまうのだそうです。
ともかくすさまじい状況であることがわかります。

このことは同種の幾多の航空事故の事例で証明されていますし、それ以前に航空科学の基本中の基本といった事実であるとのことです。
そのようなきわめて危険な事態であるため、急減圧が発生するとパイロットはなにをおいても真っ先に安全な高度に緊急降下するよう徹底的に訓練されているとのこと。

しかし123便に急減圧が発生した兆候を見出すことはできません。
これは専門家の指摘以前の問題だと思います。

第一に、生存者の方々が誰も上記のような状況を証言していないことから明らかです。
また高度7000m以上の危険な高度を事故機は18分間以上飛行したのですから、生存者の方全員が意識を失っていたほうが自然です。

第二に、亡くなった方の遺書にそういう記述が全く見られないことも、急減圧が発生していないことを裏付けています。
そもそも急減圧の過酷な状況下では遺書など書くことができなかったでしょう。

第三に、決定的なのは、ボイスレコーダーに残された事故機パイロットの苦闘の記録に、急減圧の兆候がまったく見られないことです。
いかに異常発生直後に操縦不能に陥った機体の操作に追われていたとはいえ、すさまじい急減圧の状況に、ましてプロのパイロットが気付かないことはあり得ないと思います。
というより、気づく気づかない以前の問題としてまったく認識されていません。

そのことは事故直後から公開されていた文字化された記録でも明白だったのですが、事故後15年経って一般にリークされたボイスレコーダーの衝撃的な音声では一層はっきりします。
相模湾上空で発生した、隔壁-尾翼破壊の音とされる異常音の直後には、急減圧発生を思わせるものは一切なく、異常発生個所の確認や地上との交信、油圧の抜けた気体のコントロールに追われています。

以上の素人目にも明らかな事実から、事故調‐国が公式見解としている隔壁破壊説は根底から破たんしているといっていいと思います。
ともかく、事故原因がほかにあったことは間違いないと思われます。

さらに、事故後わずかの時間で米軍が事故現場を特定し救出活動を開始しようとしたにもかかわらずなぜかストップがかかり、さらに当初からかなりはっきりしていた墜落地点がなぜか二転三転し、救出隊が現場に到着したのは翌朝もかなりたってからになってしまったという不可解な事実があります。

また今年もこの事故については慰霊の話というかたちで報道されることと思います。
報道という点では、この事故はほとんど核心に触れられないまま放置されてきたと言って過言ではないでしょう。

またこれまでこの事故をあつかった映画やテレビドラマや書籍、そればかりかノンフィクションもまた、感動の美談や、センセーショナルな墜落遺体の話に終始してきた観があります。
とくに地元の新聞記者を題材にした人気映画や、事故を起こした日航の会社体質をえぐったノンフィクションなどが話題になった記憶がありますが、このあまりに明白な事故原因にかかわる根本的な事実にはほとんど触れられていません。
この航空史上空前の大事故で、この点に触れないでものを書くとは、いったい何をどうしようというのでしょうか?

ともかく思うのは、政府の公式見解と、それに乗っかったマスコミ報道というのは、ときとしてほとんど当てにならない、どころか否定しようのない事実すら隠ぺいしている場合がある、という気持ちの悪い事実がある、それはいまも続いている、ということです。
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9月13日学習会「環境問題の根源~脳科学と生態学の視点から~」(大井玄氏講演について)

2009-07-30 03:03:02 | Weblog


 標記のとおり、持続可能な国づくりの会主催の講演が開催されます。
 皆様ぜひご参加ください。
 (申し込み・問い合わせは上のPDFのリンクより)

 久しぶりのブログ再開…忙しくて書けませんでしたが、ぼちぼち書いていこうと思います。身辺雑記です。
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